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怒り



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【この小説が収録されている参考書籍】
怒り(上)
怒り(下)
怒り(上) (中公文庫)
怒り(下) (中公文庫)

怒りの評価: 3.68/5点 レビュー 203件。 Aランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点3.68pt


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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全203件 201~203 11/11ページ
No.3:
(5pt)

解釈を拒む絶対的な「怒り」とそれに挑む者

小さな綻びから偶然が積み重って、とりかえしのつかない裏切りや誤解につながる日常の悲劇。(以下ネタばれあり)殺人犯が顔の整形をして偽名を使いながら全国を点々とし、沖縄の無人島に潜伏…という、明らかに数年前千葉県で起きた英国人女性英語教師殺害事件を連想させるストーリを幹としているが、一見それと間違うような枝葉がずぶずぶとこの幹から生えている。千葉の漁港で、出戻り娘の婿に落ち着いた寡黙な田代哲也。平凡な中流家庭に育ち、一般企業に勤める同性愛者のもとに転がり込んだ大西直人。沖縄の無人島暮らしから民宿の手伝いをするようになった田中信吾。彼らは同一人物なのか。そうでなければ、いったい誰が八王子郊外で共働き夫婦を惨殺した犯人、山神一也なのか。

テレビニュースで容疑者に関するあらたな情報が流れるたびに、日本のあちこちでさまざまな名前を名乗る素性の知れない若い男の正体をめぐって小さな波紋が広がる。日本には、捜索願が受理された家出人だけでも8万人以上いるという。彼らも生きていれば、何らかの仕事をするなり、誰かの世話になるなりしているはずだ。最近自分の前に姿を現したあの男は何者なのか。なぜ彼は昔の話をしないのか。誰とも連絡をとろうとしないのか。普通に考えれば、過去や他人に無頓着な人間はいくらでもいるが、逃走中の殺人犯との類似点に気が付いてしまったとき、その男への疑念がどんどん深まっていく。自分の人生にとって重要な人間になりそうだという予感があったからこそそうではないことを強く祈りつつも、そこは強い自己防衛本能というものが人間には働くのかもしれない。

私たちは小説の最後に誰が犯人であり、誰がそうでなかったかを知り、自分自身の判断力のおぼつかなさを思い知る。結果的に自分にとっていちばん大切な人間を疑ってしまうことになった登場人物たちは、決して狭量な人間でもひねくれた人間でもなく、むしろその逆だ。そして犯人も常に凶悪な顔を見せていたわけではなく、働き者で面倒見のいい側面もあった。同じ著者による小説『パレード』という小説を読んだとき、「私たちは誰ひとりとして同じ世界には住んでいない。同じ人物に対しても異なる評価、同じ出来事に対するしても異なる解釈がいく通りも存在し、最大公約数的なものを「真実」とか「事実」と思い込んでいるに過ぎない」と書いた。今回もそれに近いことを感じた。

タイトルの『怒り』は、犯人が犯行現場に血で殴り書きしていた「怒」という文字からとったと考えられるが、結局、山神一也が何にそれほどまでに怒っていたのかは明らかにされない。犯行現場に残されていた「怒」という文字、そして潜伏していた無人島の廃墟の壁に書かれていた「怒」という文字。この事件が本当に起きていたら、当局もメディアも識者も「怒」に何らかの意味づけをしようとしただろう。しかしときに他者の理解を完璧なまでに拒絶する怒りが存在する。事件を追う刑事、北見が山神の父親が生まれ育った福岡と大分の県境にある奥谷地区を訪ねたとき、地元の巡査長が、戦前あったという殺人事件の話をする。毎年夏の鎮魂祭によそ者を読んで先祖神の化身として歓待するという村の慣習があったこの村で、祭りで歓待されたあと村に住みついた男が突然村人7人を無差別殺人したという話である。「気がふれていた」としか記録には残っておらず、その後村では事件のことは封印された。この殺人犯と山神の理不尽な怒りが重なる。

北見刑事に山神と工事現場で土木作業現場で一緒だったと証言したムショ帰りの男はこんな言葉を吐いた。「……ムショに何度も入っているからわかるんすよ。ほんとにイカれてる奴ってのは、ああいう顔してんですよ。一見、普通の顔してっけど、その普通の顔で人殺すんですよ」。「荒んだ生活の中にいれば、その人間の心が荒むのは当然だが、やはり顔もまた、同じように荒んでいく」と単純に考えていた北見は自分を見透かされたような気になる。県警でこの男の取り調べを終えて出てきた廊下のベンチに座っていた老婆を見た北見は出来の悪い息子を何度もこの場所に引き取りにきている薄幸の老母だろうか、と思う。しかしそうではなく、優秀な大学生の孫がたまたまバイクで転んだのに付き添って来ていただけだった。北見の上司の南篠は言う。「結局、場所なんだよ。たとえば山神が沖縄のリゾート地にいたとして、誰が殺人犯だと疑うかってことだ。……」

人間は文脈なしに日々の記憶を紡いでいくことはできない。だから自分なりのストーリーが必要だし、起きたことに対して理由を求める。結局、犯人ではなかった娘婿を疑い、追い詰めることになってしまった槇洋平は、自分の描いたストーリーが妄想だったと知って悔いる。「自分はいったい何に目をつぶろうとしていたのだろうか。目をつぶろうとしていたのはこの事件ではなく、自分や愛子の、期待できそうにない人生に対してだったのではないだろうか」。私たちは事件が起きるたびにもっともらしい理由ともとめ、ありがちなストーリーを当てはめて何かを理解したような気になっている。本書で描かれた「怒り」はそのような理解や説明をまったく受け付けない、人間存在のなかの暗部である。その暗部に切り込んでいけるのは、これもまた説明することを拒絶する強い怒りを抱えた者だけである。神話における正邪の対決の原型。「怒り」は山神の怒りではなく、辰哉の怒りではなかったか。
怒り(上)Amazon書評・レビュー:怒り(上)より
4120045862
No.2:
(5pt)

この作家の見る世界

巧い。
点に散りばめられた小さなエピソードが、それぞれ化膿した傷のように痛み出す。
その各キャラクターたちの痛みに共感したら、もうこの物語から逃げられない。
吉田修一はこの作品で、よりエンタテイナーになったように思う。
パワフル且つ繊細で、読む者を、吉田ワールドへ引きずり込む。
ただ、エンディングあたりで、前作「愛に乱暴」と似たような失速感?を感じる。
唐突に、読者はドラマティックな世界から、ドライで無機質な現実に戻されるのだ。
吉田修一が敢えてそういう手法を選ぶのか、それとも飽和して尽きた結果なのか。
いずれにしても、前後編の85%まで、読み手は激しい感情に揺さぶられるのだから、凄い力量には違いない。
イッキ読み必至の面白さ。保証します。
怒り(下)Amazon書評・レビュー:怒り(下)より
4120045870
No.1:
(5pt)

普通のエンタメ小説ではない。

殺人を犯し、整形をして逃げる犯人の男といえば、誰もが実際に起きた事件の容疑者を思い浮かべるだろう。
沖縄の離島や、千葉の漁港で働き、はたまたゲイの居候をしていたと聞けば、より上記の事件の犯人の足取りと結びつく。
殺害現場に残された怒りの文字。犯人は怒りを体現し、それを示したかったのか、それとも何か別の理由があるのか。
この三人の男たちは同一人物なのだろうか。「怒り」はどこにあるのか?
読み終えて最初に思ったのは、ある意味で肩透かしの部分はあるし、掘り下げるべきテーマがもっとあったのではないかということだった。
しかし、それをやってしまえば他のエンタメ小説と変わらないし、作者が書きたかったのは、ワーキングプアの実態とか同性愛者の差別とか、そんな世俗的なものではないと思い直した。
誰の心にも潜み、そして時折抑えられない衝動として湧き上がる、怒り。
けれど、それさえも本当のテーマではない。激しい怒りのあとに訪れる虚しさや哀しみ、そして虚無。
ラストには救いがある。同じく、救いはない。
怒り(上)Amazon書評・レビュー:怒り(上)より
4120045862

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