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木曜の男
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木曜の男の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.00pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全35件 21~35 2/2ページ
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氏によるチェスタトン翻訳にはもう一つ『自叙伝』があって、二冊ともチェスタトン理解のための好適な資料となりました。 カトリック陣営が英国の知識階級の中で拡大する動きには、幾つかの説明の方法がありますが、文学の世界でそのダイナミズムを求めるのならば、ブルームズベリー・グループにおけるカトリック思想の影響を考えてみるのが一つの試みとなるでしょう。 チェスタトンの批評に働く意識は、思想と社会を「今」深く切り裂きます。と同時にその刀は自らをも切り裂かざるをえません。無論いったん表現の領域に移行するのならば、それは思索の終ったあとでの態度決定でもあるのですが、自分が発言者、表現者として時代に相対して無事であるのではありません。 表現は精神の活動の始点にあたるので、ここから動き始めるのです。 その背景には、発言者、表現者の義務があります。 ちなみに、原題には副題がありますので、注意してください。 | ||||
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「木曜の男」を読んだのは30年以上前。この光文社の新訳シリーズは、昔懐かしい作品を(新訳で)読み直すキッカケとなると言う点で良い企画だと思う。本作はチェスタトンの唯一の長編だが、初読時よりもチェスタトンの思弁が前面に出ているいる印象を受けた。鬱々とした印象のあった本作を、なるべく平明に訳そうとする意図にも好感が持てた。 "日曜日"を議長とする無政府主義者評議会に、新しい"木曜日"として潜入した刑事サイムが体験する不条理とも言えるサスペンス小説の体裁で書かれているが、チェスタトンらしい趣向が施され、味わい深い作品となっている。読む方は、迷宮を彷徨っている感じを味わうと思う。そして、いつも通りチェンスタンの社会観・人間観が良く現われている。"目に見えるものが必ずしも真実ではない"、との趣旨が全編を通じ逆説的論理で綴られている。階層社会に対しては否定的なチェスタトンだが、本作では宗教を含め、何が社会的正義なのか懐疑的になっているのが印象的だった。 上述の通り、チェスタトン唯一の長編であり、ミステリ的技巧と共に当時のチェスタトンの思索が充分堪能出来る作品。新訳で読み易さも増し、チェスタトン・ファンにとって必読の名作。 | ||||
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吉田健一訳の『木曜の男』(創元推理文庫)以来、南條竹則の新訳による本作品を久しぶりに読んでみました。 主人公ガブリエル・サイムの恐れと不安がスリリングな熱気をはらむ前半から中盤にかけての歩みと、俄然、一点に向けて物語が収束していく後半のスピーディーな展開と。本文庫の「訳者あとがき」に<この話が一種壮大なピクニック譚だ>とありますが、第十一章「犯罪者が警察を追う」以降の展開は、確かに、ファンタスティックな幻想「ピクニック譚」と言ってもいい妙味がありますね。はらはら、どきどきしながら、頁をめくっていました。 ガブリエル・サイムとガブリエル・ゲイル、主人公の名前が似ていること。「金色の太陽」というカフェと「昇る太陽」という宿屋、話の中に出てくる店の名に、両方とも「太陽」の二文字が入っていること。本作品(1908)のおよそ二十年後に書かれたチェスタトンの『詩人と狂人たち』(1929)のことを、ふっと思い浮かべたりもしました。 訳文は読みやすかったです。吉田健一の訳文の独特な旨味、あれはもう一種の名人芸かなと。文章の馴染みやすさ、分かりやすさという点では、この南條訳に軍配が上がるでしょうか。でも、どちらもそれぞれにいい訳だと思います。蛇足ですが、南條竹則訳では英国怪談のアンソロジー『怪談の悦び』がとても気に入っています。 それと、訳者による本文庫の「解説」、これがよかったなあ。チェスタトンの思想、友人に恵まれたその人生を、ささっとスケッチして見せてくれたような案内文。奇想天外なこの物語を書いた作者の人となり、その一端に触れ得た思い。読みごたえ、ありました。解説文の途中に挟まれた一枚の絵も、雰囲気があって魅力的。机に向かって何か書いているチェスタトンと、それを見守っているふたりの親友、モーリス・ベアリングとヒレア・ベロックを描いたこの絵は、ジェイムズ・ガンの「団欒図」(1932)。 | ||||
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日曜日から土曜日まで、七曜を名乗る 男たちが巣くう秘密結社《七曜会》――。 この怪しくも魅惑的な集団の名に、私がはじめて 触れたのは『街』というゲームソフトにおいてでした。 そのゲームは、妖艶で世俗を超越した美女「日曜日」のもと、 《七曜会》のメンバーとなってターゲットを脅迫し、一万円を 支払わせるという、一見不条理劇のような装飾が施されていながら、 結末では、じつはスタンダードな成長物語であることに判明する、 といったものでした。 そのオリジナルだろうチェスタトンの本作も、 基本的には同じ構造のように思います。 正直、「神」や「宗教」といったことと無縁な生活を送る私には、 チェスタトンが抱えるアンビバレントな宗教的苦悩を正確に 推し量ることはできません。 しかし、なんとなくですが、理性によっては人は救われず、 己自身の空虚さに狂わされていくのみだ、といったことを 本作を通じて表現したかったのではないかと感じました。 | ||||
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翻訳のせいか、読みにくい話しのはずなのに読みやすかったです。 また、話しが一転、二転、三転とし、最後まで息つく暇もありません。 そうでありながら、中身の薄っぺらな物語とはやはり違います。 さすが20世紀初頭のイギリス小説!という雰囲気がたっぷりと つまっています。 ブラウン神父を彷彿とさせる逆説がもり沢山。 日本の今のくっだらない三文ビジネス本もどきを読む時間があるなら、 やはりこれらの中身がたっぷり、充実した本を読んでいこうと 2009年初頭、気持ちを新たにしました。 いい読書体験ができます。 | ||||
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チェスタトンというのは本当に不思議な作家だ。スパイ小説というジャンルが生まれる前に、スパイ小説の究極のパロディを書いてしまったのだ! この本1冊読めば、どんなスパイ小説も結局はこの本をなぞっているだけということが分かる。スパイ小説いらずになる本。 | ||||
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ブラウン神父シリーズは途中挫折した、というか全部は読んでいない程度のチェスタトンファンだが、本書は雰囲気が全く違い、混沌とした独自の世界が広がっていて、モロ好みである。 あまり著者の細かい経歴まで調べたりしないたちなので、他の方のレビューのそういう部分はとても参考になった。そうなのか、面白いね。全く無自覚だったけど、思想性のあるものが好きなんだな、私は。 読まないで死ぬと損をする作品の一つだと思う。 | ||||
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「人生はアップでみると悲劇だが、ロングでみれば喜劇である」 というチャップリンの言葉があるが、本書を読んでそれがあたまにうかんだ。 なるほど、この作品に書かれていることは、主人公であるサイムにとっては悪夢にちがいない。 しかし読者にとっては、グレゴリーとの議論をはじめとする、サイムと登場人物たちの逆説やユーモアに みちたやりとりは楽しいし。「木曜日」と「金曜日」による暗号のやりとりはギャグであるし。 物語の中盤からくりひろげられる逃走劇と追走劇はまさにドタバタ喜劇である。 ほかのレビュアーのかたが書いているように、本作品から哲学や作者の苦悩をよみとることも可能である。 しかしまた、本作は良質なエンターテイメントでもあるのだ。 これから本書を読もうというかたも、小難しいかもとは思わずに、気軽に手にとっていただきたい。 | ||||
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日曜日からの七曜を名乗る無政府主義者を名乗る男達の物語。 帯の「探偵小説にして黙示録!」に惹かれ読みましたが、 100年前のロンドンの時代背景やチェスタトンの思想的な背景も 不勉強なため物語の展開を追う読み方しかできませんでした。 無政府主義最高評議会メンバー間のかけひきや逃走場面など楽しめました。 終わり方が不思議です。 | ||||
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ブラウン神父シリーズでおなじみ、また思想家としても有名なチェスタトンの、なんともまあ不思議な長編小説です。外形的には無政府主義組織の爆弾テロの企みをめぐる一種の冒険譚、ですが、とてもそれだけでは語り尽くせません。まずは御用とお急ぎでない方はご一読あれ! とにかくいろいろな読み方ができます。冒頭からの、あれよあれよという展開(しかも最後に唖然とすることうけあい)を普通に楽しんでも良いでしょう。著者ならではの、ユーモアと逆説に満ち満ちた会話(男ばっかりの登場人物がやたらと飲み食いしながらしゃべるしゃべる!)や文章、そして思想を味わうのも一興。あるいは同時代的な文学状況のなかで、カフカやジョイスなんかと並べてみることもできるかもしれない。さらにはちょうど百年前の、世界戦争も社会主義国も知らないが、しかしすでに爆弾テロを知っている欧州、について考えるのもあり。などなど。 おまけ的に最近出たこの南條竹則訳と、古典といってよい(?)吉田健一訳のそれぞれの特長(徴)をそれぞれのページに載せてみました。原文と比較対照したわけではないし、さらっと一読しただけなので不完全で一方的な印象ですが。 こちらは吉田訳に比し価格は若干高いですが、文字は大きく読みやすい。吉田訳では割愛されている、著者の友人あての序詩も訳され、末尾の訳者解説で解釈もされています。人名表記なども含め正確さの度合いではおそらく南條訳の方が上かと。必要なところには訳注も加えられています。文体的には、原文にあわせたのとおそらく南條氏自身の文体と両方でしょうが、若干擬古調というか、結構古いボキャブラリーも使われ、吉田訳との半世紀近い差は意外に感じられませんでした。が、やはり会話にしても地の文にしても、ぎこちなさはなく読みやすい。読みやすさ重視の場合はこちらでしょうか。 | ||||
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何度も邦訳されていますが、ただの探偵小説ではない本作は2008年で原作からちょうど100年(帯でも解説でも触れていませんが)。タイトルにもこだわったよい出来になっています。 探偵(といっても警察組織の一員)が無政府主義者の組織(いまだったらテロ組織)に潜入。爆弾テロを防ごうとしますが、実はその組織とは・・・というすばらしい展開です。秘密をさぐって答えを導くのではなく、おおげさにいえば「探偵とは何か」が哲学的に問われています。正統的な文学=哲学小説。 しかも文章がうまい。100年前のイギリスの「大衆」の無気味さとか、人物たちのかけひきとか、キリスト教とか。私小説的かつ寓話的。すごい小説です。 ちなみに、邦訳がでたばかりのS・ジジェク『ロベスピエール/毛沢東』(河出文庫)でも引用されていて、思想史の文脈でも興味深い作品です。光文社さんの古典新訳シリーズの題材の選び方はおもしろいですね。 | ||||
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ある詩人が真っ暗な部屋にいるうさんくさいおっさんの命をうけて無政府主義団体に潜入するお話。その詩人はまんまとその団体の幹部の一人「木曜」に就任してしまうのだが、その前任者の「木曜」(話に出てきたときには既に死亡)の葬儀シーンがある意味抱腹もの。他の幹部たちの正体が次々と明るみに出る展開は掛け値なしに面白い。ラスボスの「日曜」の正体が明らかになる前後で話はグダグダになるが、そのグダグダさもラストの伏線になっているから食えない小説だ。最後にのけぞってしまうのは、物語の真相が最初の1ページに堂々と書いてあることだ。親友のベントリーに捧げられた小説らしいが、そいつが書いた「トレント最後の事件」をはるかに上回るすごさを味わってほしい。 | ||||
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無政府主義中央会議の議員として「木曜」に選ばれた主人公が体験する奇妙な出来事を描いた物語です。まず、タイトルが秀逸。読者の興味を惹きつけます。最初私はこれを推理小説だと思って読み始めましたが、最期まで読んでみると一種の思想小説と言った方が適当のようです。前半部はスリラー調で緊張感がありますが、中盤の入り口あたりで話の筋は予想できるでしょう。ただ展開は予想できたのですが「一体この話をどうまとめるのだろう?」という疑問を持ちながら読み進めたところ、後半の3章で思いも寄らぬ展開になり唖然となりました。本作はブラウン神父シリーズでチェスタトンが好きな人には戸惑う内容になっていると思います。当時の文脈の中に身を置いていない私たちにはより難解になっていますが、チェスタトンがどう世界を解釈していたかを知る貴重な一冊ですので一読の価値はあるでしょう。 | ||||
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厳密に言えば、推理小説ではありません。一種の思想小説なのですが、ジャンルわけすることができない唯一無二の作品です。現実の世界から遊離した、知的建造物とでもいうような雰囲気を持った作品です。これを読んでいてしきりに思い出されたのが笠井潔氏の一連の矢吹駆シリーズでした。木曜の男が日曜の男に絶望的な問いかけをします。"あなたは一度でも苦しんだことがあるのか?"と。答えはもちろん返ってくることはなく、底知れぬ暗黒の世界が読後に広がりました。 この作品から14年後、チェスタトンはカトリックに改宗しているのですが、神を受け入れた彼は心の平安を得ることができたのでしょうか。この作品が書かれたのは1908年-明治時代の終わりです。彼はヨーロッパの衰退を見ることなく逝ったわけですが、できればもっと長生きして第二次大戦後のヨーロッパについても健筆を振るっていただきたかったですね。 少し読みにくい文章ですが、一読の価値ありです。 | ||||
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何とも言えない不思議さ、ストーリーの先の読めなさ。次はどうなるの?とハラハラしながら引き込まれるスリル。ウィットに富む文章と哲学的で詩的なキャラクター達とオリジナリティー溢れる逆説的設定。この物語に形容詞を付けるのは難しい。とにかく読んでみて欲しい。ただ一つ言えるのは、チェスタトンは本当に天才だということ。 | ||||
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