新ナポレオン奇譚
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書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点7.00pt |
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サイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
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1904年に発表されたチェスタトンのデビュー長編小説。実にチェスタトンらしく、様々な警句と美意識に満ちた作品だ。 | ||||
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※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
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チェスタトンはまじめである。まじめだからこそふざけるのだ。彼は本物のキリスト教徒でもある。キリスト教徒だからこそ、預言者とよばれる事を回避しえたという逆説。 現代における狂気と生真面目さの問題をこれほど愉快にそして切実に料理した人は他にいないだろう。 私は、チェスタトンの真剣さはドストエフスキーやコリン·ウィルソンを凌ぐものだと思う。人前で苦しげな顔や真剣な顔をする男だけが信用に足るわけではないと言う事だ。 ただ、題名だけは直訳で良かったと思う。ナポレオンの話かと思うがフランスの大野心家は爪先すら出てこない。原題どおり『ノッティングヒルの』ナポレオンが主人公の話。イギリスの下町で不羈に目覚めた男を、諧謔の試練に掛けながらカッチョ良く描く。 チェスタトンの小説第一作は、軽さと崇高さを釣り合わせるいう挑戦だったのかな? | ||||
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くじ引きで国王を決めてしまうと云うふざけた設定以外はまるきり「今(原書は1904年刊)」と全く同じである百年後のロンドン。そこで偶然国王になってしまった諧謔家が、これまたふざけた施策を次々と断行し、古き良き騎士道精神に則った(と云う名目の)社会を作ってしまうが、これを大真面目に捉えた一人の子供がやがて若者に成長し、そうした諧謔の裏側、詰まり真の意図を全く汲み取ろうとせず、その「理想」に全身全霊挙げて殉じてしまうことから思わぬ混乱が引き起こされる………と云うお話。逆説を好んだチェスタトンらしい、ジョークがジョークでなくなってしまうことから来るドタバタを、哄笑と共にスイスイと描いてみせるユーモア小説。長編処女作と云うことだけあって、技巧的には些か未完成なところも見受けられ、著者自身、本作の出来には満足していなかったらしいが、チェスタトン風味は存分に出ている。狂信に対するピリリとした逆説的な教訓を含む警世の書として読むも好し、アホらしい笑い話として読むも好し。原題は『ノッティング・ヒルのナポレオン』。『◯◯横丁の革命家』位の意か。邦題ではこのバカバカしさが良く分からないのがもどかしい。 | ||||
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序盤は初期の漱石を彷彿とさせます。 オーベロン・クウィンは『我が輩は猫である』の迷亭と思えば楽しめます。 アダム・ウェインが登場すると俄然富野由悠季の小説っぽくなってきます。 結末は逆襲のシャアです。 サブカル好きにもっと持て囃されていい一冊です。 | ||||
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人間とはこのように困ったものである、という話。ではどのように?というのをイギリス風ユーモアで笑った後にぞくりと体験するために、この本はある。 人間は愚かである、が、その愚かさこそが人間を有意義にしている。ひっくり返して言うなら、人間が賢くなったそのときに、人間の美徳やら情熱やらもすっかりなくなりなんとも無意味な滓しか残らない...ようだ。でもそうはならない。人間は愚かであり続けるので。 クウィンの政治システムを現行の(そして、かつて現行であった)あらゆる政治システムに置き換え、ウェインのロマンを愛国心やら民族主義やらのすべての信条、情熱に照らし合わせて読んでみてください。 世界を一歩ひいた地点から眺めることができるようになります。 | ||||
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チェスタトンを社会哲学・思想家と位置づけていない 人には氏が好んで使う警句や逆説的な言い回しの 観念的な難解さは免れない小説だと思う。 ただ、1点だけ付け足すと、この本についてはチェスタトン自身 まだ思想が固まっていたとは言い難い時だったらしいということ。 私はチェスタトン思想の完熟しきった「正統とは何か」 の良き理解者とは言えないが、良き読者であると思うが、 もしもチェスタトンを保守主義者と呼ぶことができるとしたら、 この小説は「レトロ趣味」、 (幾分否定的な意味合いを込めざるをえないものとして) そういう読後感として残ってしまったという印象がある。 それはやはり私の尺度によって思想哲学の観点から照らし出し たものであるから、小説の名誉は傷つける意図はまったくない。 つまり純粋に思想として、純粋に小説として読むのは間違っている ということかもしれない。若い小説というべきか。 その意味は若さには、危険なくらいに魅力がありはするが未熟さを 免れない。 ユーモアキングのクゥインが、諧謔の人チェスタトンに、 狂信情熱家のウェインが、超人ニーチェに見えたのだが、 小説中で語られるように、両者は互いに対立するものだが、 両者は実は「近代的なるものに懐疑を向けた」という点では、 互いに背を付け合っているという構図に見え面白かったというのは、 余計な感想レビューだろうか。 話がまとまらないが、ともかくチェスタトンを単なる推理小説家として 読むことだけは許してはならない。彼の評価を貶めるのはやめるべきだ。 | ||||
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