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デンデラ
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デンデラの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.31pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全36件 1~20 1/2ページ
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この作家の大ファンになりました。奇想天外な内容が面白くて明け方近くまで読み明かしました。今まで読んできた小説が生ぬるく感じてしまいます。他の本も読みたいけれど、これほど面白い本が見つかるか疑問です。 | ||||
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姥捨山が題材という事で楢山節考的なものを期待して読みましたが大間違い。雲泥の差がある。 途中で飽きてしまいました、残念。 | ||||
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なかなか良いババアファンタジーです。 なかなか無いですよね?このジャンル。 ファンタジーは若者だけの物ではないという気迫を感じます。 何なら異世界転生物の要素も入っています。時代を先取りしています。 応援したい。 | ||||
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映画をみてから原作があるとのことで本作を読みました。 ネタバレになるかもしれませんが、映画と本作では一部内容が異なります。 しかし映画の疑問はこれで解けると思います。 でもなぁ、熊と全力疾走の追いかけっこしたらすぐに追いつかれちゃうと思うの。 そこが違和感。 | ||||
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楢山節考と熊嵐をクロスオーバーさせるという着想は面白い ただ日本文学史に残る怪作2つを上手く合わせて料理する手腕が著者にはまだないと思わざるを得なかった おばあちゃん達の心理にリアリティがないんだよね 他の人もレビューで書いてたけど青臭いというか、外見や体力衰え気味な描写抜けば10代の少女達でも問題ないような描き方 あとキャラクターの名前が覚えにくい。モブ程度の活躍しかしないキャラはフルネーム明記しないほうがわかりやすいよ モデルになった2作品好きだし、この著者さんも期待できる何かがあると感じたので今後に期待 | ||||
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少子高齢化時代の今日、今に生きることの大切さの意味を「デンデラ」は読む人に問いかけている。日本が戦後74年をこえて人工的には4人に一人は70歳をこえ団塊の世代と言われ昭和22〜25年生まれの大半が70歳をこえた。歳をとるそれは祝うべき事柄であるが「デンデラ」に描かれるのはその当時は少なくない村社会、とりわけ人口、数百人での自給自足経済で生きる人々は60歳になるとデンデラ野に捨てられた。そして村人、家族友とはなれ無人の山あいにあって生き絶えていく。凍えそうな降り積もる雪。捨てられる山間の僻地は人が住めるところではない。まず生きるに欠かせぬ食べ物とてない。そんな中で極楽を信じる(老婆)は横たわり死の瞑想に入る。白帷子に降りしきる雪あと数時間で凍死寸前にあって予想外の事態に出会う。古びた帷子、防寒用の外衣に身をつつんだ老婆二人。それは同じ部落の山入りで死での別れをした筈の同朋だった。住む生き物といえば野うさぎか、言い伝えで知られる山の主という熊。今この目で見る人は明らかに生きた人間。何故、そこにいる。この人らは数年も前に極楽に行ってるはず? 物語では齢70歳でお山に行くことを設定しているが柳田国男の「遠野物語」には60歳の伝承を伝えており部落の特性では一律ではない。主人公、斎藤カユ。そしてかっては先人としてお山に眠っているはずの知り人、自分を入れてその数50人。 総支配に関与するのが30年前にお山に捨てられた長老、三ツ屋メイ。村の掟に逆らいてずくりで築き上げた手ずくりの隠れ家。100歳の大婆の想いとは何なのか。極楽行きとは全く正反対の執念。生きることの意味をといかけている。 | ||||
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登場人物と年齢がはじめに一覧でまとめられている。ほぼ全て70歳オーバー(一部60歳代)の老婆たち。主人公である斎藤カユが『お山』に棄てられるところから、物語は始まる。姥捨て山、その後の物語。 老婆だけの隠れ里デンデラ(コミュニティ=ユートピア=ディストピア)、派閥争い、羆、疫病、羆、疫病、馬鈴薯...復讐譚かと思いきや、物語の焦点は次第にズレていき、期待させたようなカタストロフィを迎えず。行きつ戻りつするグダグダした展開。とってつけたような疫病の原因。主人公の観念的な思考が青臭すぎて老人とは思えない。浅く薄い人物描写。設定が老婆=年老いた女性というだけで、老人も女性も描けていない。 設定は面白い。けれどもそういう作品は多い。 | ||||
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いろんな作品の良いところを寄せ集めてひと儲け企んだが結局失敗した様な作品。 最初からもう嫌〜な感じを醸し出していましたが熊に倉庫を荒らされた辺りで読むの止めました。 武闘派の三ツ屋メイの100才とは思えないアジテーションの濃さに辟易しました。 「ふたりの老女」に比べたら100均のオモチャみたいなもんです。 | ||||
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姥捨山に捨てられた老人たちのその後の闘いを描いたものです。サバイバル的内容がメインかと思いきや,映画『リメインズ 美しき勇者たち』を彷彿とさせるような人食い熊や雪との闘いが大半を占めました。 一度生を諦めた老人たちが如何に生きることにこだわるようになっていったのかという心理描写が巧みです。 最後は,カユは熊を村に誘うことに成功したのでしょうか。想像をかき立てられます。 | ||||
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ストーリーに引き込まれ、貪るように一気に読み通しました。 最後はもう少し最期まで描写して欲しかったし、村や村との関係に変化をもたらすようなストーリーを期待しました。 熊との対決のシーンは、まるで進撃の巨人です。 感傷的な気持ちにならざるを得ない死を瞬間的なもので描写していて、死なんてあっけなく、逆にだからこそ真剣に真摯に生きようという気持ちを持ちました。 読了満足感は結構あります。 | ||||
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その後の姥捨て山という設定のようだが、それはまったく関係ありません。いわゆるパニック小説です。女性が描けていないとか人間が描けていないとかの批判は的外れです。単なるパニック小説なんですから。そもそも老婆たちの運動能力、生命力も半端なく強く、とても現実の老人とは思えないほどですから(笑)。ありえないです。難しいことを考えて読む小説ではありません。エンターテイメントです。 | ||||
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姥捨て山に捨てられたはずの高齢者の身体能力がめちゃくちゃ高い! 寒村に育ち、教育もろくに受けていないはずのお婆ちゃんたちの会話が やけに知的?というか、まずこんな単語使わないでしょう?という箇所が てんこ盛り。みんな女学校でも出ていたのでしょうか? 女子高生のような会話している。 高齢になればADLとともに気力も落ちていくのが常なのに、 ここのお婆ちゃんたちはとにかく意欲的。 老年期症候群などとは無縁の世界。 でんでらとはパラレルワールドかもしれない。 作者はまだお若いようで高齢者とあまり接したことがないのかもしれないけど、 こんなお年寄りおらんわ、とつっこみながら最後まで読んでしまいました。 クマに追いかけられても、50すぎたらまず走れませんよ。 高齢者のみなさん、クマと競争できますか? | ||||
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時代背景は判然としないが、口減らしとして姥捨てが慣例化している貧農が舞台となっているから、推して知るべしだろう。登場人物は、皆、老婆である。なんと平均年齢80歳強! 70歳を迎えた斎藤カユは、村の慣例通り『お山』に捨てられた。極楽浄土を願い雪原に横たわるカユ。しかし、カユが目覚めると、そこには『お山』に入って死んだとばかり思っていた老婆たちがいた。老婆たちは、『デンデラ』という女だけの社会を形成し、『お山』に入ったものを救いながら、生きてきたのだ。助けられたことに怒りをあらわにするカユ。『デンデラ』に溶け込もうとしないカユだったが、やがて、老婆たちの対立に巻き揉まれていく ・・・ 僕は、本作品を読んでいて斎藤環さん『戦闘少女の精神分析』を思い出した。『戦闘少女の精神分析』では、闘う少女たちをファリック・ガール=男性器を持つ女性と定義づけて精神分析を試みていくのだけど、斎藤カユら老婆たちのキャラクターがまさにファリック・ガールなのだ。会話をおっていくだけなら、年齢、性別ともに不詳でも通じてしまう。そんな独特な雰囲気が本作品を特徴づけているようだ。 『村』に復讐を誓う襲撃派と『デンデラ』の繁栄を願う穏健派の内紛、襲いくる凶暴な人喰い羆、そして謎の疫病。 凍てつく雪景色の中、闘いが繰り広げられていく。一人また一人と命を落とす老婆たち。ヒロイズムに突き動かされた行動に、戦闘少女の精神性が垣間見える(肉体の破壊描写がグロテスクゆえ、そういうシーンが苦手な方は注意されたし)。戦闘”老婆”の生きざまを見よ! 崩壊しつつある『デンデラ』を前に、襲撃派にも穏健派にも冷ややかな態度をとっていたカユは、目的意識に目覚める。ラストは羆との最終決戦だ。満身創痍となったカユの決断とは何か。そして、それは成就するのだろうか ・・・ と続いていく。 本作品を簡単に要約すると、ただただ、老婆たちが殺されていくだけのお話だ。好き嫌いが別れそうだけれど、私は、解説にあるようなラノベ感覚と、老婆たちのアクティヴさに惹かれた。 | ||||
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映画化されたあと設定が面白そうだと手にしてみましたが、「斃す」とか「肉片」とか「臓物」とか、そんな言葉で構成された小説です。こういうのが売れていたり、映画化されたり、現代人の心の底には何か恐いものがあるなあと。でもホラー小説のファンの方もたくさんいらっしゃるから、そういうジャンルもあるんだろうと。文学小説や古典をたくさん読まれているような方にとっては「鑑賞に耐えない」作品かもしれません。私はもったいないから最後まで頑張って読みましたが。 | ||||
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楢山節考が姥捨て山の話なら、このデンデラは姥捨て山のその後を描いた作品です。 ある貧しい村では、老人たちは70歳をすぎると、息子に背負われ山に捨てに行かれます。 ここまでは良く聞く話です。 しかし、この作品では、捨てられた主人公、斎藤カユが、自分以前に捨てられた老婆たちに救われます。 そして49人の70歳以上の老婆で構成されたもう1つの村、「デンデラ」へ連れて行かれます。 主人公を入れて50人です。 村の長は三ツ屋メイ(100歳!)です。 70歳で捨てられたメイは30年かけてデンデラを作り上げたのです。 その目的は自分を捨てた村の人々への復讐でした。 しかし、山の主である、熊がデンデラを襲撃するに及んで、デンデラは村への襲撃どころではなくなります。 しかも、デンデラでは疫病まではやりだし、存亡の危機に瀕します 途中、ミステリー的な要素も盛り込まれ、厳しい自然との戦い、熊との死力を尽くした戦闘シーン、デンデラ内部での派閥抗争など読みどころ満載です。 作者の佐藤友哉という方の作品は今まで読んだことありませんでしたが、インパクト抜群の作品です。 高齢者しか出てきませんが、決してウェットでなく、どちらかというと爽快感を感じることができます。 | ||||
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「姥捨て」された老婆たちが「デンデラ」というコミュニティを築き、サバイバル生活をする―― そこでは捨てた村に復讐を近う「襲撃派」、新しい生活を発展させたい「穏健派」が対立しており、 主人公はどちらに与することもなく、短気で怒りやすい考え無しではあるが、持ち前の直感で関わっていく。 ……というあらすじである。 奇抜で興味深い設定ではあるが、これらは全てガジェットに過ぎない。 途中何度も襲いかかる羆も、デンデラを襲う疫病も、襲撃派と穏健派の対立でさえ、単なる舞台装置である。 更に、キャラクターもテーマのための記号でしかない。登場人物たちは老婆であることを作中何度も強調されるが、 70を超えた老婆たちは羆を相手に大立ち回りするし、思考や性格も若くまるで十代の少女を見ているようである。 ゆえに、「老婆たちの知恵で村に復讐する活劇」と思って読み始めると肩透かしを食らう。 肝心のテーマについては、多くを内包しており、単純に語ることはできないが、 個人的には、「個は孤である」という点が印象に残った。 登場人物たちは「姥捨て」について様々な見解を持っており、その姿に共感するも、反感を抱くも読者の考え方である。 読者としての自分は「51人目のデンデラのメンバー」として、安全な位置から思考実験に参加しているような印象を受けた。 なお、主人公が最後どうなったかはほぼ確定的に暗示されるものの明確に描写はされていない。 「その後」は読者の主義によっていくつかに分かれるだろう。不思議な作品である。 | ||||
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主人公は斎藤カユ、70歳。 舞台は、姥捨て山の向こう側にある隠れ集落デンデラ。 とある貧しい村で、70歳になると男女ともに姥捨て山に行くことが決まっていた。 これを「お山参り」という。 お山参りをすれば極楽浄土へ行ける、というのが村の言い伝えであった。 物語りは、雪降りしきる中、カユのお山参りのシーンから始まる。 意識朦朧、これで安らかに極楽浄土へ行けると考えるカユ。 いざ命のともし火消えようとしたところで、カユはデンデラの老婆たちに救われる。 デンデラで目が覚めたカユは、助けられたことを喜ばない。 むしろ憤慨する。 デンデラの老婆たちを「生き恥」だと考え、そして口に出して罵る。 それでもデンデラ軍団はカユを包み込むように受け入れる。 老婆たちは、ほとんど皆が生まれた村のことを恨んでいた。 そして、いつか村を復讐のために襲撃しようという「襲撃派」と、 デンデラを静かに発展させていくべきだという「穏健派」の派閥に分かれていた。 決して一枚岩ではないのである。 そんな平均年齢80歳の老婆集落に、熊が襲ってくるのだからたまらない。 あれ? 男がいないぞ。 集落の長である三ツ屋メイ(100歳)は言う。 「男なんざ絶対に入れんよ! この『デンデラ』は女だけのものだ! ざまあみろ」 ひゃぁっ、手厳しい!! デンデラで生活したいとは思わないけれど、こうまで憎まれると男としては肩身が狭い。 全体を通してみると、無人島に漂着したロビンソンみたいなサバイバルものであり、 女学園で派閥に分かれて火花を散らす乙女たちの青春ストーリーのようでもあり、 熊に喰われるシーンがやけに生々しいパニック・ホラーという感じもあって、 さらには生きるとは何か、死ぬとは何か、そんなことを考えさせる純文学風でもある。 そんないろいろな要素を詰め込むだけ詰め込んで、うまくまとめ上げた感じ。 それにしても、この老婆たち、とにかく元気だ。 木槍をもって熊に突っ込んだり、山を駆けたり、互いに取っ組み合いのケンカをしたり、 とてもじゃないが、診察室で見る70歳、80歳の人にはムリだろうと思う。設定を、 「ある村では豊作祈願のため、毎冬になると裏山の社に15歳の少女を生け贄として捧げていた。 彼女らはただ死を待つのではなく、山の向こうに小さな集落を創っていた」 という風にすれば、アクションシーンは違和感がなくなるが、 村に対する凄まじい恨みや、熊や飢えや病気といった「死」と対峙する姿などは、 やはり若造ではなく老婆たちでないと醸し出せない味わいだ。 映画化もされているこの小説。 グロテスク描写もふんだんに盛り込まれているので、苦手な人は避けるべし。 | ||||
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一言で言うと、奇抜な設定が活かしきれず、残念です。 老婆たちが、自分たちを捨てた村を襲撃するなんて、よく考えつくものだと感心したのですが、それで血みどろの復讐劇にするのではなく、熊との戦いにスライドしてしまっています。 もっと男女差別を強調して、男社会への憎悪という風にもっていけば、無理なく大殺戮のフィナーレとなったのではないかと、思います。つくづくもったいないと思います。 | ||||
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登場人物が薄っぺらい 老婆といえば聞こえは悪いが 長い時間を生きてきた人たちとはとても思えない人物描写が多い 学園もののライトノベルのような人物ばかり 設定が面白かっただけに残念 話の盛り上がりからラストにかけて流れていく展開は楽しむことができました | ||||
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まず、登場人物へのネーミングセンスに驚いた。「ササカ」「コテイ」など、実際に居そうでなかなか見かけない名前だ。 読む前は前半に人間模様/後半に羆との戦いだろうと勝手に思い込んでいたが、実際には人と羆交互にスポットが当たり、テンポ良く読めるところと何回かじっくり読み返したいところとが分かれた。 三ツ屋メイがあまりにも典型的な攻撃派と自分は感じて、そこが少し残念。一方羆の心理描写やしたたかさは恐るべしと思った。 この物語の舞台は東北とのことなので、欲を言えば所々(アクセント程度に)その土地の言葉が入っていればより情景が浮かんできたかもしれないと思った。 | ||||
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