■スポンサードリンク
コリーニ事件
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
コリーニ事件の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.06pt |
■スポンサードリンク
Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全38件 21~38 2/2ページ
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
とても薄い本なので、読む前は果たしてミステリーとして満足しうるのかと疑問でしたが、読み始めるとそこはやはりシーラッハ。さすが上手い。最後まで一気に読めます。戦争が何代にもわたってその人生を狂わせること改めて感じました。全ての犠牲者に冥福を祈らずにはいられない1冊。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
作品に引き込まれる。この作者の他の作品同様買って損はないと思う作品です。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
シーラッハ、初めての長編へ。短編3部作は滅法面白かった。 長編といっても、全体で190Pちょっと。そう長くはなかった。 けど中身は歴史にかかわる、それもナチスが出てきて、へぇーともなるが、 著者の家系からは避けては通れない題材でもあるのかなと。 コリーニ事件。殺人事件。弁護士のライネンは新米弁護士でもあり コリーニ事件は弁護するに厄介な事件となる。殺人の動機がわからないから。 その背景とライネンの弁護士として成長していく姿が面白いといえば おもしろかったかな。ちょっとしたヒントから解明へと。 ドイツはナチスが絡んでるから、最後のページに「本書が出版されて数ヶ月後の 2012年1月、ドイツ連邦共和国法務大臣は法務省内に「ナチの過去再検討委員会」を 設置した。」とあり、本書における法律も本来はナチの有罪をあろうことか無罪へと導きかねない 危うさが最後のさいごまでついて回った。法廷というか裁判というか、5日間に亘るライネンの すさまじい努力によって事件は解明へと繫がったが、そうでなかったら、大きな権力によって つぶされかねない、それはドイツも日本も同じかもしれないけれど、弁護士って興味ある 職種だなぁっておもいました。それでもやっぱりシーラッハは短編のほうが好き。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
何処の国もそれぞれ戦後を引きずっているのを感じた。国民国家になって戦争が国民皆兵制度のもとに行われることになってから、色々な悲劇が兵だけでなく、無辜の民にも及ぶことになったのを感じる。 日本、米国などと違った、ドイツ司法制度にも興味を持って読むことが出来た。最後の章は、少し物足りないが素晴らし小説で、電車を乗り過ごしてしまった。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
”犯罪”で書いたコメントのとおり、大変能力の高い作家だと思う。 次回作に期待している。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
装丁はシンプルで200頁余りのハードカバーである。厚さがないので手頃感があり、持ち運びも便利で、カバンに入れても型崩れしない。文章もセンテンスが短いので読み易い。 冒頭から読者を引き付ける。被害者はホテルの一室で4発の銃弾を頭に受け、しかもその頭を靴で踏みつけられたのだ。犯人は逃げもせず警察を呼んでくれるよう頼む。直ぐに捕まったが、動機は黙秘する。 被害者が殺されるような人物ではない描写なので、殺意の強固さとその落差を読み解いていく事になる。相変わらずシーラッハは面白い。乾いた文章というのか、残酷な描写が淡々と書かれるので、逆にリアル感があり、ゾクゾクする。 そして何といっても圧巻の後半。21世紀になってもドイツという国に戦後は終わっていない事を思い知らされる。法を信じるか、社会を信じるか、含蓄のある言葉が忘れられない | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
あなたが求めているものがミステリや推理小説なら、別の本をあたりましょう。このミスがどんな紹介をしたのか知りませんが、この本はミステリや推理小説ではありません。そもそもミステリの要素はほとんどありません。冒頭から犯人は明らかですし、犯行についても、明快に描写されていて疑問の余地はありません。唯一謎なのは動機ですが、それを明らかにしていく過程について、著者はミステリとしてのお約束を抑えようとはしていませんし、後書きにもあるとおり、著者はそんなことに興味すら感じていないでしょう。 あなたがいわゆる「法廷もの」を求めているなら、確かにこの本はその範疇に入ると思います。クライマックスへ雪崩れ込んでいく証人喚問、その静かでありながらしかし確実に真実を暴いていく迫力は、法廷ものの名にしおうものです。ですが、(当然お気づきでしょうが)おそらく物足りないでしょう。そもそもの本としての分量が少なめな上に公判が始まるのは半分を過ぎてからですから、公判のシーン自体も多くはありません。 あなたが法廷での審理が浮かび上がらせる悲劇、そこに関わってしまった人々の悲哀といったものを描いた物語、そして示唆される倫理や公正の意味、などに興味を感じられるのであれば、この本を読んでみることをおすすめします。おそらく損をした気になることはないはずです。 およそ人が選ぶ最後の選択、その究極の一つが殺人だと思います。この本が焦点をしぼるのは、その動機です。そして、公判は、(結局のところ)動機が行為を(ある程度まで、かもしれませんが)正当化しうるのかどうかを問うていくことになるわけですが… しかし、この作品はその答えを示しはしません。現実社会が往々にして(常に?)そうであるように、明確な答えは出ませんし、示されもしません。被告人弁護士である主人公は行為を正当化しうる(あるいは罪を軽減しうる)動機がありえることを示唆しますが、しかし、対立する被害者側の弁護士は法の下での公正を訴えます。そして、その被害者側弁護士は大物でしたたかで抜け目ない人物ですが、決して悪役ではありません。実際、主人公は彼と親交を持っており、偉大な先達として敬意を払っています。 物語のところどころにちりばめられた主人公の独白は、著者が主人公よりの立場にあることを示唆しているのかもしれませんが、それが正しいと掲示するような結末ではありません。むしろ… 「彼は何年にも渡って教授の講義を聞いてきた(中略)刑事訴訟を理解しようと努めてきた。だが今日、自ら発言しながらはじめて、問題は別のことだと思い至った。問うべきなのは虐げられた人のことなのだ」この作品の中盤の主人公の独白ですが、これがこの作品の核心なんじゃないかと思うのです。 とかなんとか、やや振りかぶりぎみですけど、とにかく胸にせまる作品でした。ラストの写真のところなどは、かなりグッときてしまいました。 それでも、星4つなのは、やっぱりちょっと個人的には物足りない感がないわけでもないからです。もっと公判を詳細に描いてもよかったんではないかな、とか。裁判の前半は、当然のことながら主人公の被告人弁護士はほとんどなすすべもないわけですが、その辺とかももっと丹念に書いとくとクライマックスでのカタルシスがより大きくなるんではないか、とか… それから、冒頭から滑り出しは淡々とですが、しかし確実に引っ張ってくれるのですが、それを過ぎたあとしばらくの主人公の過去の部分に関しては結構たるい感もありましたし、ちょっと必然性が感じられない感じもあって、もどかしい感もありました(まあ、でも確かに重要な部分でもあったんですが) それでも、確かに「よかった」といえる作品だと思います。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
この作品を単なるエンターテイメント、帯の「法廷劇」と捉えると違和感があると思う。 しかし、シーラッハの作品は「犯罪」「罪悪」もそうであったように、人間の心の奥にある所を押し広げて、直視しようとする所がある。 それは、彼の生い立ちの影響もあると思う。ナチの幹部であった祖父、思春期までそれを知らなかったと言うのだから。 ドイツがナチの反省に立って、様々な手をつくしているのは、彼我の差を見れば、評価できる事であるが、実は、かなり長く、それを人々は認められないで過ごして来ているのだと、これを読むと分かる。 殺人事件の解決、が主軸ではなく、何故、人を殺さなければならなかったのか、 他に、手立てはなかったか?そこに、シーラッハの眼目がある。 単なるエンターテイメントの物ではなく。 確かに、「ナチ」を取り上げたものは多くあって、成り行きは大抵の人には、登場人物プロフィールで推測出来てしまうであろう。 それも、分かるが、酒寄さんも言っているように、なぜそうなったかを考える事が、読み手にも求められる作品だと思う。 ミステリーとして楽しむだけではない、考えさせるものをこの作品は持っている。 ナチズムについての作品としては、是非 酒寄さんの翻訳の作品、クラウス・コルドン作、ベルリン三部作(ベルリン1919 ベルリン1933 ベルリン1945 理論社)をお読みいただきたい。 「ナチズム」とは、特別な人間が犯した特異な犯罪、ではない。 誰にでも起こりうる犯罪、見て見ぬふり、無関心、利己心、排他主義、そういうものが、僅かなきっかけで人心を攫み、何処の国でも、起こり得るのだと言う事を知っておく為に。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
もう30年も前のことになりますが、オランダに滞在していたときに ドイツ人の奥様と知り合いになりました。日本語を学びたいということで しばらくお付き合いが続きましたが、最初の出会いで「私たちは自分たちの犯した罪について 世界に謝りたい」と言われたのには驚きました。つまりナチスの罪について 謝罪したい、という意味だったのです。 本作『コリーニ事件』については多くの方が優れたレビューを 書いていらっしゃいますのであらすじなどを述べることはしませんが 同盟国であるイタリアのパルチザンに対するナチスの悪行が メインテーマです。押しも押されもせぬ現代ドイツの名士の過去が 明らかになったときに『コリーニ事件』の全貌が歴史の闇から姿を現わします。 正直申し上げて、ミステリーとしての本書の面白さはそれほどではありません。 ですが新人弁護士ライネンの静かな情熱が次第に真実に迫っていく過程には迫力があり、 全てが明るみに出たとき、ナチスの蛮行がヨーロッパに与えた傷の深さに慄然とさせられます。 ナチスの元高官が戦後に要職についたという事実にやりきれなさを感じると共に、 弁護士でもあるフォン・シーラッハの冷徹な文体、酒寄進一氏の名訳に感銘を受けつつ、 この厳しくも悲しい物語を深い感慨とともに読み終えました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
戦争というものがどんなに恐ろしいものなのかということを改めて思わざるを得ない。 ある殺人事件の弁護を担当することになった新人弁護士。 被告人は、殺人は認めたが、犯行に至った理由は黙したまま。 被害者は、新人弁護士が幼少のころから知る老人。友人の祖父。 感情を殺したような静かな文章。 だからこそ、この犯罪の裏にあることが、じわっと、心の奥底に響く。 「犯罪」「罪悪」の冷静な文章ではあるが、長編もののためか、悲しみの感情が底にひたひたと流れているような気がする。 次作も楽しみです。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
3作目だが、文体がいい。翻訳がいいということなのだろうが、読んでいて、モノクロ映画を見ているかのような感覚を覚える。 物語は予定調和で終わる。それでいいのだ。意外性を必要とするお話ではない。(過去の2作品も) 被害者と加害者がドイツ人とイタリア人で、それぞれ相当の年齢ということは、過去の何の話と関係するか誰にでもわかる。 その部分の真相を隠すのが作者の本意ではない。 ドイツのある法律が紹介されるが、その成り立ちを考えると恐ろしい。この部分は実話なのだから。 この本の出版後、ドイツに、ある委員会が設置された。この本を書いた甲斐があった、と作者は思ったに違いない。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
もともと史実にリンクしたミステリーが好きでこれまでは「オデッサファイル」が一番好きでしたが、今般この本を読んで冒頭の描写から引きこまれ一気に読み終えてしまいました。ナチス物のミステリーが好きな方には外せない一冊だと思いました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
刑事コロンボのように、最初から犯人が分かっている物語。犯人には、感情移入が全くできないどころか、被害者の人間味や周囲の人々の善良さが伝わってくる。犯人は絶体絶命、弁護を担当する主人公は一体どういう弁護をするのか、全く予想ができない。そんな状況から一気に事件は進展していく。全てが白日の下に晒されたとき、犯人への共感を感じた。しかし、あえて私は言いたい。犯人のコリーニが国にある言葉として語った「死者は復讐を望まない。望むのは生者だけだ」ということの重みを。難しい事だが、怨讐をこえていくことの重要さを痛感した。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
衝撃的な殺人の現場から本書は始まる。 執拗な傷つけかたから動機は怨恨に拠るものと推察されるが、 犯人は黙して語らず、新米弁護士は繰り返し書類を読み返すことしかできない。 しかし、現場写真を見ていて気がついた。 凶器はワルサーP38。 言わずと知れた第二次世界大戦中にナチス・ドイツ陸軍に制式採用された銃である。 ここから被告人の悲しい過去が浮き彫りにされて行く。 五十八年の歳月を経て復讐を果たしたコリーニは、じぶんの罪をよく理解していた。 それでも晴らさなければならなかった恨みである。 人間が人間に対する非情な、非人道的な振る舞いにも驚かされるが、 法律によって(わたしには身勝手で不公平な内容にしか思えないが)それが正当化されていた上に、 「戦時だから許される」といった判断をしてしまう愚かな理性にも呆れる。 こうして、わたしたちは思い知らされる。 踏みつけにされた人びとのこころが癒されることは絶対にないのだと。 本書が出版されたあと、ドイツ連邦法務省は「ナチの過去再検討委員会」を設置した。 これはナチ犯罪の共犯者に対する時効の問題を扱うものである。 臭いものに蓋をし続ければ見なくても済むが、見ぬふりはもうやめたのだ。 日本でも戦争を美化して語ったり、当時の軍人を神として崇めるのはいい加減にしたらどうか。 現在の政治家でも従軍慰安婦に対して軽はずみな発言をする者がいる。 いくら戦後の生まれとはいえ無神経に過ぎはしないか。 弱い者に寄り添う気持ちはないのだろうか。 本書のラストは少し肩すかしを食らったように感じるが、これが当然の帰結だろうとも思う。 誰にも言えない錘りを抱えて生きて来たコリーニのこころのうちを慮るに、ただただ痛ましい。 この国ももっと変わらなければ。わたしも何かしなければ。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
外国人労働者として35年間ドイツで暮らしてきたイタリア人、ファブリツィオ・コリーニは67歳。ある日、85歳のドイツ人を惨殺して逮捕される。国選弁護人に雇われたのは弁護士になりたてのライネン。加害者と被害者との間に接点は一向に見えてこず、コリーニは一貫して殺害動機を話そうとしない。果たしてライネンはコリーニの弁護を果たすことができるのだろうか…。 ドイツ人作家フェルディナント・フォン・シーハッラはこれまで『犯罪』と『罪悪』という二つの短編小説集で、市井の人々がやむにやまれぬ形で犯罪に手を染めたり被害者になっていったりする痛ましさを冷徹な文章で紡いでみせてきました。物語の中に、読者である私自身の姿を見つけることが多いその読書体験はとても豊かなものであり、彼の小説に魅了され続けて来た私にとって、彼の初めての長編小説というふれこみのこの書の翻訳が出来(しゅったい)したと聞き、迷わず手にしました。 実際には、この小説は長編というよりは200頁にも満たない中編程度のものでしたが、期待を裏切ることのない物語展開を前にして、私は一度も書を措くことなく、一気呵成に読了ました。 ミステリー小説ですので、その内容に必要以上に触れるのは避けたいところです。カバーの内側にあらすじが記されていますが、そこに被害者の素性が明示されているのは明らかに踏み込み過ぎだと私は思います。幸い私は、フォン・シーラッハの新作小説だという以上には、カバーにある記載も含めて一切の情報に接することなく、白紙の状態で入って行くことができたので、この素晴らしい物語を十全に味わうことができました。 そしてこれはミステリーの謎解きの面白さを味わうだけの小説ではありません。 エピグラフには、アーネスト・ヘミングウェイの「われわれは 自分にふさわしい生き方をするように できているのだ」という謎めいた言葉が記されています。その言葉の意味することの哀しさと力強さとが、物の見事に物語の最後に示されます。奥歯を噛みしめなければ生きていけないような苛烈な定めを背負いながらも、主人公たちは、そして作者フォン・シーラッハ自身は、わずかな希望を捨てることなく今後の人生を懸命に歩んでいくのだろう。そしてそれは私たち現代の日本人読者にもあてはまること。この小説が内包する人間への温い眼差しを思い、私は本を抱えながら思わず涙ぐんでしまいました。 さらに忘れてならないのは、翻訳者・酒寄進一氏の素晴らしい翻訳手腕に今回も感服させられたことです。 amazon.deのサイトで原書『Der Fall Collini』の冒頭部分を「なか見!検索」して酒寄氏の翻訳と比較してみました。ドイツ語では過去形で表現されている動詞をところどころ敢えて現在形で和訳することで、翻訳が「〜だった」「〜した」と単調な繰り返しに陥らない工夫をしています。また、原文とは文章の切り分け方を思い切って違(たが)えて、バタ臭い翻訳調の日本語に堕すことを回避しています。文芸翻訳のお手本のような、流麗で品位あふれる和文にはほれぼれします。酒寄氏という優れた翻訳者が存在する恵みに対して、私は大いに感謝の念を抱くのです。 読了後、この物語の素晴らしさを誰かと語り明かしたい。そんな気持ちに強く駆られる小説です。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
老人が大金持ちを殺す。仕事欲しさに国選弁護士を引き受ける新米のライネン。 老人は殺害動機をライネンにも話さない。 ドイツの抱える戦争責任と真摯に向き合う法廷物。 「自虐、自虐」と拗ねている国では、他国の話としてではなく知っておきたい。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
これまでのシーラッハ作品には、その斬新で大胆な手法やネタに大いにうならされたものですが、今回はちょっと趣がちがいます。 「ドイツ」で「老人」がらみだと大スジは予想がついてしまうものですが、安手のミステリもどきに対するようなオチやサプライズなんかを期待せずとも、全編がじゅうぶんに読み手を満足させる、「行間を読ませる」作品になっていました。 そもそも人間に、過去の精算などできるのか? なんだか誰も彼も哀しくて滑稽です。 どんな科学やテクノロジーにも解決不可能な次元へと読者の意識をいざないます。 ちょっとジョルジュ・シムノン風な雰囲気もある、濃密なドラマを味わいましょう。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
世界でベストセラーになった「犯罪」「罪悪」を著した高名な現役刑事弁護士、フェルディナント・フォン・シーラッハによる初の長編小説です。地元ドイツでは35万部を突破したとか。前作同様に、罪を犯す人への愛しさ、哀しさを鮮やかに描く手腕は本作でも冴えています。 ライネンはベルリンで弁護士事務所を開いて2日目に殺人犯の国選弁護人を引き受けてしまいます。67歳のイタリア人移民が85歳のドイツ人資産家を殺しますが、被害者はライネンのかつての親友の祖父でした。容疑者は、犯行事実は明白にもかかわらず犯行にいたった動機を自供しないので、ライネンは頭を抱えてしまいます。弁護士なりたてで右も左もわからないのにライネンは絶望的に不利な状況で被害者側の代理人であるベテラン凄腕弁護士と対決することになります。弁護の手がかりを掴もうと不眠不休で証拠を調べます。そして彼が突き止めた事実が公判を逆転させ、社会を揺るがせることになります。新人弁護士がしなやかで繊細な優しい心と強い使命感を持つ人物に描かれていることが悲しいストーリーにさわやかな救いを与えています。 「あとがき」によると作者自身の姿がライネンに色濃く投影されているようです。父の「込み入ったことには首を突っ込むな」との忠告を振り切って刑事弁護士を志したこと、祖父の過去の経歴に重苦しさを感じたこと、「自分にふさわしく生きる」の信条をもっていること、などです。そして、前作同様にここで語られるのは「正義とは何か」「誰が犯人か」とかではなく、犯罪を通して見えてくる深い人間性です。作者は犯罪を犯すに至った男の辛くて哀しい人生をていねいに読者に差し出すのです。 作者の人間への優しい眼差しが強く心に残りました。ドイツの歴史の影で苦しむ人々に心を寄せる姿勢もドイツにおける人気の一因ではないか、と推察します。「犯罪」などの短編はもちろん素敵でしたが、長編になって人物がたんねんに書き込まれた分だけ感動が大きくなりました。作者の主張もいっそう明確になったと思います。明晰で簡潔、静かな余韻を残す酒寄進一氏の訳文はこの作品にぴったりでした。 *本書の帯に「圧巻の法廷劇」「緊迫感に満ち満ちた法廷劇」とありますが、この表現は正確ではないと思いました。法廷でのやりとりよりもそこで明らかになる哀しい物語の衝撃が胸を打つのですから。 | ||||
| ||||
|
■スポンサードリンク
|
|
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!