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薬指の標本
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薬指の標本の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.31pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全85件 21~40 2/5ページ
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2作品ともすごいですね。「薬指の標本」は、怪しくて湿度が高い作品。大人向けで雰囲気あってなかなか良いですね。靴の魅力。彼女を掠め取ろうとする靴に身を委ねる、「自由になんてなりたくないんです。この靴をはいたまま、標本室で、彼に封じこめられていたいんです。」低い温度の描写ですが、熱いですね。秘密の標本室で何が行われているのか。古びた女子アパートの使われていない浴室・・。何だか、「ホテルアイリス」の世界を予期させるような。 「六角形の小部屋」も小川ワールド爆発、みたいな作品です。もう、三次元の世界を超えて、未知との遭遇みたいなブラックホール感というか、時空の揺らぎを感じました。出てくる舞台が田舎のコンビナートの廃社宅。ごく普通の人々が、ほんの少しの時空の揺らぎを感じる雰囲気です。スポーツクラブの更衣室のシーンは、私が好きなマーガレット・ドラブル女史の「Seven Sisters」のロンドンのジムを思い出しました。たぶん小川先生の作品とは全く関係ないと思いますが。 | ||||
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多くは語りませんが、この物語は噛み砕いて、骨の髄までしゃぶらないと比喩等が理解できません。 故に、読書歴の浅い方々を分別するため、いい意味で「最悪」としました。 そしてこの物語は、ある話が見え隠れしています。もちろん主観ですが、文面にも書かれてあることです。 それを理解した途端、この作品の恐ろしさに気がつくと思います。 美しくも奇妙な、傑作です。標本にしておきたいくらいです。 | ||||
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ひんやりと冷たくて肌触りのよい良質なセンシュアリティ。「薬指の標本」に感じたこの感覚は小川洋子の上品で不思議な感性と過不足ない筆致の賜物であると思う。 サイダー工場での事故で薬指の先を失ったある若い女性。ある標本技術士の求人を見て吸い寄せられるように受付係に就職する。そこには焼跡に残った三つのキノコ、楽譜に書かれた音、文鳥の骨など、人々が喪失した思いを閉じ込めておくかのような注文品を持ち込む。まるでクラフトエヴィング商會との共著「注文の多い注文書」のような世界である。 しかし、ここはそんな安全な場所ではなかった。ある日その標本技術士が、彼女の足に完璧にフィットする黒い靴をプレゼントする。そして今後一切その靴以外ははかないように命じる。その後における男と女の情景は小川洋子の真骨頂。読むべしである。 その靴を今脱がないと危ないよと諭してくれる靴磨きのおじさんもいたが、彼女は靴を脱がない。 「自由になんてなりたくないんです。このまま彼に封じ込められていたいんです。」 指を失う事故の際にサイダーが血に染まって桃色に変色していく情景、三つのキノコの標本がゆらゆら揺れる様、顔の火傷の標本を頼まれた技術士がその頬の焼跡をなぞる指、段々と身体の一部と化す黒い靴。いろいろなものに心の奥底をそっとなぞられるような快感がある。 そして最後に標本となるものは。。。ぞくっとする余韻を残して物語は終わる。ここまでひんやりと上質に、倒錯した愛と性を描写することは並大抵の技ではない。書けそうで書けない見事な筆捌きに小川洋子の本領を見た思いがした。 もう一編の「六角形の小部屋」も現実と非現実の間を揺蕩うような良質な佳作ではあるが、「薬指の標本」に比べてやや現実的である。 | ||||
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映画を見たので 本を探した。 ストーリーは感動になりました。 発送も速い | ||||
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ひさびさに気の進まない読書をした。 小川洋子さんの作品はあの有名な「博士の愛した数式」でさえ、私は数ページで挫折してしまった過去を持つ。 なんだか端々まで苦手な作家さんなのである。この世界には本当に心のきれいな人間がいる、とか思っていそうなあの感じが。 しかし今回は短編なので、修行と思い挑戦してみた。 内容は、薬指の先端を失った21歳の女性が主人公。 彼女が標本技術者のある男と出会い、彼の標本の材料として自らの薬指を差し出すまでの過程を描いた作品。 肉体の欠損(サイダー工場で働いている最中に、薬指の先っぽを機械にはさまれて失う)をきっかけに、主人公が自分の肉体の性的な部分やその価値について、自覚的になっていくように読めた。 自分の欠けた薬指に興味を示す標本技術者との出会い。 これは少女が事故のような形で処女を失うことにより、自らの身体が半ば強制的に女性性を備え、時と場合に応じてそれを発揮するのだという自覚を余儀なくされる過程とよく似ている。 けれど、主人公が自分の身体に性的な主体性を持つことと、他者と積極的に人間関係性を結ぶようになることはイコールではない。 むしろ彼女の薬指はそういった人間的な関係性を阻んでいるのではないか。 そんな問いが繰り返し頭に浮かぶ。 主人公と、謎めいた標本技術者。 2人の交流は、恋愛関係、主従関係、友愛その他、いずれからもはるかに隔たった、関係性未満の一方的な確認作業に終始しているように見受けられる。(標本技術者についての描写も、生身の実在しそうな男性というよりは、少女マンガに出てくるような浮世ばなれしたイメージだ) 標本技術者の存在は、あくまで主人公が自らに見出した自分の新しい価値(それは標本の対象物として魅力的な、特徴ある薬指に象徴される)を映し出すための鏡であり、標本室とそこの主である標本技術者の男は、主人公のファンタジーをお膳立てするための格好の舞台装置である。 主人公の一連の行動は、「自分という存在が他者にとって最も意味を持ち、輝く瞬間というのは、自らがその肉体の一部(あるいは全体)を人間性から切り離し、一個の譲渡可能・交換可能な「物」として差し出すときである」という自覚に基づいているので、時として受け身で、一方的に標本技術者に支配されているようにも見えるが、本質は異なる。 主人公の行動原理は、自らの薬指(またはそれと地続きである女性としての身体)の価値をよりはっきりと実感したい、確かめたい、という自己承認願望にもとづいている。 そういう意味で、この作品は女性の自己愛のひとつの典型を描いた小説とも読める。 今回この作品を読んでみて、小川洋子さんという作家はすこぶる健全健康なメンタリティの持ち主で、フェチズムや倒錯の世界とかおよそ無縁なのだろうなぁと思った。 たぶん、小川さんにとって性的倒錯やフェチズムといった現象は自分という世界の外側にあるもので、それを「観察」することはしても、自分自身の実感として腑に落ちたり、どうしようもない性(さが)として向き合ったり、ということはする必要がないのだと思う。 だから小川さんの作品というのは、事細かな観察日記のようなもので、その緻密さだとかはある種の美しさを醸し出すものではあるけれども、そして観察日記的な美を楽しみたい場合にはまずまず愉快なのかもしれないけれど。 けれど、小川さんの小説においては道具でしかない人間の業の所産で苦しんでいる人間にはガツンと腹に響くものは少ないのだと思うし、むしろ弱い人間の生き方の片鱗(生き方そのものではなくて、あくまで片鱗です)を、舞台の小道具とか書割なんかにしちゃっている健康人の無神経さが際立っていて、読んでるとなんだか腹が立ってしまう。 『博士の愛した数式』を途中で挫折したときも思ったのだけれど、小川洋子さんは世界には心のきれいな人間がいる、とか思っていそう、と今回また思った。 まっさらな紙のような、穢れを知らない人間がいる、とか信じていそう。どんな怪奇やホラーよりも、私はそういう原理主義っぽい思い込みが一番こわい。 その思い込みの枠からはずれたものは、ものすごく特殊な、もっと言えば異常な人間だと見なされてしまう気がして。 私は小川洋子氏のメンタルが健康健全であるがゆえに無神経なことを平気でやってのけてしまうという、そのがさつな感じが苦手なのだと思う。 がさつ、というとアレだから、鈍感、と言ってもいいのだけれど。 小川さんはスカートの下にブルマ―履いてそうなのだ。心は女子高1年生なのだ。(この人の心が履いているスカート&ブルマ―の話ですよ、念のため) つまり、よくもわるくも自分しかまだ世界に存在していない、という感じがする。 ・・・と、今回の『薬指の標本』を読んで思ったのが以上。 たまに苦手なタイプの小説の何が苦手かを考えてみるのも発見がある。 ちなみにこの短編はフランスで映画化されていて、そちらはもう少しヨーロッパらしいです。 | ||||
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読んでいてすごく不思議な感じがしました。 レトロな雰囲気でフィルターをかけてその場面を見ているような・・・ 薬指の標本はたまにどことなく妖しいにおいが漂うところがあり、なんとなくドキドキしました。はっきりと恋だの愛だの書かれていないのに、とても不思議でした。 六角形の部屋も最初から危うい雰囲気でしたね。なんだかあるのにない。消えてしまいそうな・・・ 二つとも何かが「消える」ような錯覚をしてしまいました。 今まで読んだことのない雰囲気の話しで思わず一気読みしてしまいました。その様子は浮かんでくるのに、どこかベールで包まれているような、不思議な本。 | ||||
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恋という言葉も愛という言葉も使わずに、ここまでの表現ができるなんて。大切なものを標本にすることで、自分を解放するという発想もすごい。 | ||||
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「お義父さまの形見ですの」 隣でそう言ったのは家内だ。先日、銀座の時計修理専門店でのこと。この店、小さな雑居ビルの9階にあるやはり小さな店なのだが、ネットで探し当てた客が他所では手に負えなかった依頼品を、次々に持ち込んでくる。 どこどこで何十年前に買った。誰から贈られた。どんなに愛着があるか。聞き耳をたてると、客たちはだれもが、依頼内容よりも「思い」を滔滔と語っている。店が混んでいるのは引きも切らぬ来店よりも、どの客も話が長いせいであるようだ。 私たちの依頼品は年代もののラドー。羽振りの良かった頃の叔父が父に贈ったスイス土産だったもの。大ぶりなサイズなのだが硬質ガラスのカットがきらきら宝石のようであり、ベルトはエレガントなステンレスで、なぜだか彼女が気に入ってブレスレッドのように愛用してくれていた。 オトウサマと呼ばれた父は25年前に他界した。家内は1日だけその父に会ったことがある。学生だった私たちはスキー帰りに実家に寄った。家族と一緒にすき焼きを食べた。父は上機嫌だった。翌朝出張に出かける父を2人で見送った。なにげない朝であった。 その日出張先で父は亡くなった。前触れもなくあっけない「突然死」だった。 あの時どうして。いったいなぜ。常には封印され意識の奥底にしまいこまれた「思い」が、カタミというひと言を皮切りに溢れ出そうになる。「はっ」と強く意識することでそれを押しとどめる。 家内はどうしてラドーを愛してくれているのだろうか、それもまた定かではない。 モノに付随した思い、込められた思いはひと通りではない。 消し去りたいものがある。密かに葬りたいものもある。愛おしくて常に身近にありたいものもある。「フェッチ」などというひと言で括り得るものじゃない。 この物語の舞台は「標本室」である。 さまざまな依頼人がさまざまな「思い」を標本に封じ込めるためやってくる。 例えば依頼人のひとり、3人の家族全員を火事で失った少女は、焼け跡にそれだけ残って生えていた「3本」のキノコを持ってくる。 深い悲しみ。つらい思い出。消せぬ心の傷。それらを遠くに葬り去るために、あるいは優しく送るために、依頼人は標本室を訪ねる。かれらの思いに耳を傾けるのが主人公の仕事である。 この物語を原作とするフランス映画がある。原作を読むのと同時進行でDVDを観た。フランス映画の性(さが)と割り切って苦笑するしかない。登場人物は1人残らず病んでいて、男女はもちろん同性でも老人と子どもでさえ、エロスを避けて通れる人間関係は存在しない。何十本観たか知れぬこの国の映画に、ひとつの例外もなかった。小川洋子の原作は、それとは異なる。遥かに深く底が知れない。 そこが怖ろしいところなのか、あるいは安らぐところなのか決して判然としない。だが、抗することはできず、なぜか穏やかにそこに吸い寄せられていく。物語の終盤、底知れぬ深みに自ら落ちてゆく感覚を、読むものに追体験させてくれる。 「フェッチ」、「病んでいる」、「倒錯」などと、ひと言で簡単に言い捨ててしまうことなどできない。 心の奥底に無数にある襞、その中に間違いなくある一断面を、暗示的であるにも拘らず、極めて明快に描ききっていて、もはや見事というほかない。 | ||||
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内容は云々言うまでもありません ショップの対応はとってもよかったです。 | ||||
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ちょっと変わった世界を描いた芥川賞作家、小川洋子の中編小説集。 「薬指の標本」 人々が思い出の品を標本にしてもらいにやってくる「標本室」。 そこで受け付け事務として働く「わたし」は、標本技師の弟子丸にほのかな興味を覚えていた。 そんある日、わたしは弟子丸からぴったりと合った靴をプレゼントされる。その日以来、二人の関係は近づいたように見えたのだか……。 「六角形の小部屋」 水泳教室で一緒になった「ミドリさん」に興味を覚えたわたしは、ある日、帰りがけらしい彼女の姿を見つけてその後を追う。 やがて、たどり着いたのは木でできた六角形の柱が置いてある一室。わたしはそこでミドリさんからそれが「語り小部屋」という名の、人が独り言を言うための場所だと教わり……。 すごく変わった世界観の中で日常の風景が広がる。 っていうのは、現代小説において、ひとつのパターンになっている感がある。 川上弘美、多和田葉子、松浦理英子、いしいしんじ。みんなこのパターンを描く名手だ。 小川洋子さんの作品を読むのは初めてなので、彼女もそのパターンの一人、とは決して言い切れないが、 少なくともこの作品は、明らかにこのパターンの範疇に入る。 その中で重要になるのは「それをどう描くか」ということだ。ここに作家の個性が出る。 この人の場合は、丹念に描写すること、その一点をすごく大切にしているように思えた。 細かいとか執拗とかとはまた違う、不思議な丹念さ。そこから滲み出てくるものが作品を形作っている。 僕はとても苦手だ、と感じ、事実読んでいてすごく長く思えたが、 こういうのが大好きな人もきっといると思う。それくらい「独特」だし、面白い小説だとも思う。 もしかしたらこの小説は、とても女性的なのかもしれない。 そう言えば、このパターンを得意としている作家には女性がとても多い。 そう考えると、余計に女性的に思えてくる。 なんにしても、とても興味深い作品だった。 ちなみにこの作品を元にした外国映画も作られている。 興味のある方はそちらもぜひ。 | ||||
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初出92年で文庫化は97年。小川さんの本はあまり読んだことがなかったので読んでみる。 設定がブローティガンの愛のゆくえに似ていてるな、というかマンマだな、 (小川さんも影響されてると言ってたし、意図的なのかもしれない) と思いつつ読んでいくと、どうも出てくる人物、物語の流れが類型的というか女版オタク的と言うか。 途中、突然男が女に靴をプレゼントするシーンがあるのだけど、そこで読むのやめようかと思った。 (なにが「まあ、ぴったりだわ!」だよ。苦笑した。) ヲタク的妄想恋愛小説の女の子版に、口当たりの良いホラー幻想要素を組み合わせた、そういう感じである。 思わせぶりに靴屋のオヤジが登場するのだけど、ここも悪い意味であざとい。 ピアノとか火傷の少女とか雲母の結晶とか、ここらへんの登場してくる品もいかにもと言った感じであざとい。 要するにこれを読んでも新しい何かが得られるわけでなく、 いや、幻想小説として読めばいいんだろうけど、 中高生女子あたりを狙った雰囲気系恋愛小説の域は出ていないと思う。 ただ文章はうまいし携帯小説を読むよりは全然マシである女子向けメルヘン。 そう.そう、メルヘンなんだよこれは 「毎日その靴をはいてほしい。とにかくずっとだ。いいね」って男の人にキリッとした顔で言ってほしい女子向け。 | ||||
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不思議な空間で起こる不思議なこと どちらの話も同じテーマで描かれていると思う。 若干のオカルト的な話と 若干のファンタジー的な話 読み終わった後に感動はなかったので 僕の評価は 星3つ(It's OK) | ||||
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『薬指の標本』と『六角形の小部屋』の短編集。 (六角形の小部屋は割愛) 『薬指の標本は』標本技師(男)とそこで働く事務員(女)との恋を描いている。 この恋愛、一言でいうと『究極の束縛』。 縛る男と縛られる女。 閉じ込める男と閉じ込められる事を望む女。 話の中で男は女に「毎日履いてほしい」と靴をプレゼントする。 その靴は女の足にぴったりで、女は男の言う通り毎日履き続けた。 靴は女の足を侵す。 逃げられない様に。 まるで中国の纏足の様に。 標本技師は女を封じ込める。 足を留め、体を留め、心を留める。 なんて歪んだ恋愛だと思うけど、人の気持ちなんて大概歪んでいる。 どこかでこの話に惹かれるのは、心の湾曲にこの話の歪みがぴたりと添うからなんだと思う。 | ||||
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著者の本を初めて読みました。 ひとこと「不思議で靄がかかったようなお話」でした。 ちょっぴりファンタジックな要素もあって、 登場人物に良い意味で生命力を感じないと言いますか、 軽く触れただけで崩れてしまいそうなモロさを帯びていながらも、 芯の強さは感じさせる。収録されている2編とも、同じことを感じました。 次は「博士の愛した数式」を読んでみますが、 どんな世界が広がっているのか楽しみ&興味が湧いてきました(笑顔) | ||||
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標題の「薬指の標本」は勿論すばらしいのですが、 (ドラマチックなので分かりやすいです) 「六角形の小部屋」もなんともいえない不思議な風情を湛えた快作でした。 現代社会に生きるわたしたちが必要としている「場」を見事に描いています。 小川洋子さんの本領が見事に発揮されている二編です。 | ||||
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「薬指の標本」と「六角形の小部屋」の二編を収録した短編集。単行本は94年の発売だから著者の初期の作品となる。著者の医大秘書室勤務の経験が生かされている作品だ。 前者は、頼まれた(、そして2度と顧みられることがない)ものを何でも標本にする標本室の受付係の女性が、標本技師に徐々に吸い寄せられ(恋といっていいだろう)、身体を侵食されることを受け入れる話。後者は、外界と隔絶された持ち運び可能な六角形の、その中にこもってただ独白するための小部屋が近所にやって来たことを知り、その不思議な心地よさにやみつきになり、ある日小部屋が消え去ったことにとまどう女性の話。 現実には存在しないが、いかにもありそうな、現代人の思いをすくい取るサービス業の想定が奇抜で面白い。二編とも主人公の女性がそのサービス業およびサービス提供者に依存していく、心の揺れが繊細なタッチで描かれる。行間に漂う静謐・透明な雰囲気は著者のファンにはたまらない。 どちらも「ここまでたどり着けたことが大事」な物語。私は「博士の愛した数式」からの、新参者のファンだが、これら現代の伝奇小説にめぐり合えたことを大切に思いたい。 | ||||
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最近の本は面白くないと言われていますが、この人の作品は面白い。 最近は連載を始めていますが やはり面白かった。 これが文学だと思いました。 | ||||
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たまたま、書店でもらったチラシでこの本が映画化されたことを知った。しかも、フランスの映画監督で。 小川洋子の作品を読むのは、『博士の愛した数式』以来だが、あの作品よりも、彼女らしい、万人受けしない作品だ(?)。 耽美的でフェティッシュで、マジカルでリリカル。日本映画ではなくフランス映画が似つかわしい。 ちょっとグロい話も、彼女の抑えた筆致がかえって、想像力を書きたてる。この作品がどう映画化されたのかな。映画も見てみたい。 | ||||
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この小説は「博士の愛した数式」を読んでから、手に取りました。この物語はホラーっぽいです。なので「博士の愛した数式」のような泣ける感じを期待していた僕は見事に裏切られました。でもその裏切りは良い方の裏切りでもありました。僕はこの本を購入しないで立ち読みでしが、読んでいると周りの雑音が消し飛びました。それだけこの小説にはなにかしらの引力があるってことですね。こんなに本に夢中になったのは久々でした。ページも少ないので、軽く読めると思います。でも内容は深い。 | ||||
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ある人の日記で、SMシーンの一切無いSM小説だと紹介されていて、興味を持って読んでみた。確かに、ここに描かれている世界は紛れも無いSMワールドだと思う。 標本と赤い靴という小道具が、とても妖しく世界を形作っていく。何度も何度も読み直してみたくなる、不思議な小説だ。 | ||||
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