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カラマ-ゾフの兄弟
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【この小説が収録されている参考書籍】
カラマ-ゾフの兄弟の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.26pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全554件 341~360 18/28ページ
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強欲で好色下品な父、フョードル・カラマーゾフ。放埒で堕落した生活から抜けられない直情型の長男ドミートリィ。大学出の秀才、合理主義者、無神論者を気取っている次男イワン。修道僧であり純情で真面目で素直な三男アレクセイ。長男ドミートリィが財産と娼婦をめぐって父フョードルと醜悪な争いを繰り広げ事件は起こってしまう。愛情と思いやりを持って事態の打開に奔走する三男アレクセイ、あくまで冷静沈着な次男イワン。カラマーゾフ家の人々が織り成す情景を面白おかしく描いています。ロマンス、思想、ドラマ、サスペンス、コメディー、アクション、全てごちゃ混ぜだけれどもそれでいて上手く纏まっている。読めば納得いくハズです。カラマーゾフの兄弟(中巻)オススメです! | ||||
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強欲で好色下品な父、フョードル・カラマーゾフ。放埒で堕落した生活から抜けられない直情型の長男ドミートリィ。大学出の秀才、合理主義者、無神論者を気取っている次男イワン。修道僧であり純情で真面目で素直な三男アレクセイ。長男ドミートリィが財産と娼婦をめぐって父フョードルと醜悪な争いを繰り広げ事件は起こってしまう。愛情と思いやりを持って事態の打開に奔走する三男アレクセイ、あくまで冷静沈着な次男イワン。カラマーゾフ家の人々が織り成す情景を面白おかしく描いています。ロマンス、思想、ドラマ、サスペンス、コメディー、アクション、全てごちゃ混ぜだけれどもそれでいて上手く纏まっている。読めば納得いくハズです。カラマーゾフの兄弟(下巻)オススメです! | ||||
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強欲で好色下品な父、フョードル・カラマーゾフ。放埒で堕落した生活から抜けられない直情型の長男ドミートリィ。大学出の秀才、合理主義者、無神論者を気取っている次男イワン。修道僧であり純情で真面目で素直な三男アレクセイ。長男ドミートリィが財産と娼婦をめぐって父フョードルと醜悪な争いを繰り広げ事件は起こってしまう。愛情と思いやりを持って事態の打開に奔走する三男アレクセイ、あくまで冷静沈着な次男イワン。カラマーゾフ家の人々が織り成す情景を面白おかしく描いています。ロマンス、思想、ドラマ、サスペンス、コメディー、アクション、全てごちゃ混ぜだけれどもそれでいて上手く纏まっている。読めば納得いくハズです。カラマーゾフの兄弟オススメです! | ||||
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ロシア語がわからないので翻訳云々の話はわかりません。 ただ、この第一巻は、思想小説として、あるいは家族小説として、極めて興味深いとこがあるように思います。 今時、思想なんて誰も興味を持ったりしないのだろうけれど。。 電話すらなく、登場人物同士のやりとりが手紙と直接の会話に限定されるために、物語の展開が何だかのんびりしているようにも感じられるのですが、そこがまたいい味出してます。 19世紀的な小説の良い部分とでも申しましょうか。 その割には、十分に面白い展開が用意されているように思います。 一読を薦めます。 | ||||
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この作品には人生において必要なものすべてが含まれているとも言われる世界文学の最高峰。 しかし、そんな難しいことを考えずにとにかく読んでみよう。 19世紀のロシアにおいても、すでに幼児虐待問題が取りざたされていたことに驚くだろう。 そして、私がこの本の中でもっとも好きな場面が、エピローグでアリョーシャが子供たちに聞いてほしいと話をする場面。 「自分たちが生きていくなかで、そうした思い出(子供時代の、両親といっしょに暮らした時代の思い出など)をたくさんあつめれば、 人は一生救われるのです。もしも、自分たちの心に、たとえひとつでもよい思い出が残っていれば、いつかはそれがぼくらを救ってく れるのです。」 子を持つ親の一人として、子どもたちにはできるだけたくさんのよい思い出を作ってあげたい。 そうした思いがすべての人に分かち合え、この世界から幼児虐待という不幸が少しでも無くなってくれれば・・・ 作品を読み終えたとき、そんな思いがこみ上げてきた。 カラマーゾフの兄弟には、様々な問題が取り上げられ、それは非常に現代性があり、永遠に読み継がれていく作品だと思う。 読んだ人それぞれが自分の興味ある問題について考えるきっかけになるはずだ。 | ||||
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『山波』―アルピニズムに象徴されるような山頂を中心にした価値観とは異なる山との関わり方を模索する筆者は、その新たな視座をこの言葉を創造することにより見出した。その思考が見事に結実したのが本書のラスト2編、「頂のない山」「群島へ」だ。どことも知れぬ海辺の小さな山歩きは、眼下に見下ろす白い波へ吸い込まれるようにつながったかと思うと、そのまま音楽のメドレーのように心地よくゆるやかに群島を巡る旅へとつづいていく。 一方でショートソングスに掲載された「刻」「池」のように過ぎ去った昔を大切に振り返る筆致も魅力的だ。とても丁寧な描き方であると思う。まことしやかに語られる「本」のようなほら話も面白い。『山波』は時空や夢想をも包括した広がりのある言葉として用いられているのだと感じる。 本書で見出した『山波』という開放的な視座をもとに、山を波としてとらえ乗りこなす山との新たな関わり方は、次作でさらに明確に提示されるものと思う。大いに期待したい。 | ||||
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昔十代の頃に読んで以来四十年ぶりにカラマーゾフの兄弟を再読しようと亀山郁夫訳を手にとってみて驚いた。 以前の訳では重々しく読みづらく感じられたのに、今度はすらすらと走るように読めるのだ。この感じはまる でバルザックを読んでいるようだ。 | ||||
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大きなストーリーとしてはカラマーゾフ一家(父と3人兄弟)の葛藤と殺人事件ということになるのでしょうが、 長い小説の随所に、多様なテーマを持ったエピソードが盛り込まれており、自分の周りを含め色々と深く考え させられる本でした。 主なエピソードのテーマは ・神の存在と信仰について ・キリストとそれを引継いだキリスト教団の矛盾について ・宗教原理主義と進歩(自由)主義について ・児童虐待について ・思春期の少年と少女が抱く不安感について ・病で死んでいく少年とその家族・友人について ・男の嫉妬・女の嫉妬について ・個人主義のいきつく先とは何かについて ・金の力と貧困について ・非ユークリッド数学による宇宙論について ・遺伝子から逃れられない人間のありようについて 等々 ドストエフスキーらしく登場人物のセリフには矛盾が多く一筋縄では読み切れないのですが、そこがまたクセに なります。 それにしても人間って複雑!特に女性の心理は男性の私には理解し難いところがあり過ぎ。 しかしこれだけ中身の濃い小説なのに、作者の前書きを見ると 「この部分は導入部で、13年後を描いた続編こそが本格的な小説になる」という意味のことが書かれていて驚いてしまう。 その続編とやらが書かれたらいったいどんな小説になったことか空恐ろしい… | ||||
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二十年ぶりに本書を読みました。当時は岩波の米川版です。但し第一巻で投げ出しました。 当時私に読めと言った恩師も最近になり亀山版は読みやすいと勧めます。昨年読んだ北條民雄全集でも北條が「いのちの初夜」で得た金で全集を買い求め、死の床でドストエフスキーをむさぼり読みます。北條の師であった川端康成はドストエフスキーと聖書以外は読むなと北條に手紙を書きます。 埴谷雄高の「死霊」の書評を読むと「カラマーゾフの兄弟」が大きく影響しているという。 しょうがない。第一巻を買ってみました。字が大きい。登場人物の名前が整理されている。現代仮名遣い。最近の言葉遣いと単語に置き換えられている。それでも慎重に第一巻を読み終えてから第二巻を買い、そして第三巻を読み終えたところで、残りの第四巻五巻を購入しました。但しさすが大学教授。本編を買うともれなく解説が付いてきます。第五巻は本文は57頁で300頁は解説です。 第四巻の途中から俄然面白くなり、その構成に驚き、130年前の作品とは思えないリアリティを以て迫ってきました。 ドストエフスキーは本作を3年で書き上げたようですが、埴谷雄高は40年費やし未完でした。本書のパロディが「死霊」です。と言ったら礫が飛んできそうですが、「死霊」の方が面白かったです。 でも、本書の幾重もの心理描写は幕末から明治に生きたニコライが帰国した際にドストエフスキーと面会を果たした逸話を知るに及び私に納得は出来ました。 スメルジャコフの心理が印象に残りました。 農奴制が崩れ、初期資本主義が浸透し始めた弱体化が始まったロシア帝国が背景にありますが、普遍的な命題を帯びた大衆小説だと思います。発表当時のロシアでは識字率や個人収入から見て大衆小説ではなかったでしょう。また、また旧訳も大衆小説のつもりで訳したわけではないでしょうが。ロシア語が母国語ではない私は、まるで下手くそな舞台演出には目をつぶります。観客に席を立たれないことが大切です。 友人が現在モスクワに赴任していますが、ロシアの人々は電車やカフェで皆本を読み、本屋で山のように本を買い込み、週末を郊外の小屋(ダーチャ)で読書三昧するとのことです。読書好きのロシア人が生んだ文化なのでしょう。 書店には幾種類もの装丁の「罪と罰」や「カラマーゾフの兄弟」があるそうです。 私が友人に頼んでEMSで送ってもらった原書「カラマーゾフの兄弟」はTOM1(384頁)とTOM2(541頁)でした。 豪華なインテリアです。 あんな小説は雪に閉ざされた白夜の民が読む本だなんて切り捨てていた自分を反省します。正直に申します。それでも私は通勤電車で丸1ヶ月はかかりました。 | ||||
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物欲の権化のような父とそれぞれ異なりながら血を引いた三人の兄弟、そして私生児。 個性豊かな面々ですが、それは理性やら常識やら体裁などといった物によって抑制しているだけであり、誰もが持ち合わせているもなのでしょう…。 生死、恋愛、宗教、哲学など様々なテーマを孕んでいます。一体人間とは何ものであるのでしょうか…。 「かりに俺が人生を信じないで、愛する女性にも幻滅し、世の中の秩序に幻滅し、それどころか、すべては無秩序な呪わしい、おそらくは悪魔的な混沌なのだと確信して、たとえ人間的な幻滅のあらゆる恐ろしさにうちのめされたとしても、それでもやはり生きてたいし、いったんこの大杯に口をつけた以上、すっかり飲み干すまでは口を離すものか!」 | ||||
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19世紀中期、無神論が横行する混乱期のロシア社会の中で、主人公の精神的支柱であった長老が亡くなる。 その直後、共通の愛人を巡る父と長兄との醜悪な争いのうちに或る事件が生じる。 罪とは何時生じるものなのでしょうか。刑事上において過ちを犯した時なのでしょうか、もしくは罪の認識がなされた時なのでしょうか。罪と対峙する時、人は何を思うのでしょうか…。 「僕が泣いているのは楽しいからで、悲しみのためじゃありませんよ。僕はみずからすすんで、みなに対して罪深い人間でありたいと望んでいるんです。ただ、うまく説明できないだけですよ。だって僕はそういう美や栄光をどうやって愛したらいいのか、わからないんですもの。僕はあらゆるものに対して罪深い人間でいいんだ、その代りみんなが僕を赦してくれますからね。これこそ楽園じゃありませんか。はたして僕が今いるところは、楽園じゃないでしょうか?」 | ||||
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父親殺しの嫌疑をかけられた長兄の裁判が始まる。公判が進むにつれて、事件は意外な方向へと発展し、終焉を迎える。 1世紀以上前に書かれた作品ですが、現代に通ずる点も多く、普遍的な内容を孕んでいます。 歴史とは繰り返すものなのでしょう。現代は過去と比較して著しく発展したように錯覚をしがちですが、根幹は進歩しておらず、何も学んでいないのではないでしょうか。 何も学ばないにもかかわらず、見返りを求め続けているのでしょう。人間は誰しも無意識下において赦される事を望んでいるのではないでしょうか…。 「人間たちは、文句なしにすぐれたあれほどの知性をそなえながら、この喜劇を何か深刻なものにとり違えているんだよ。そこに彼らの悲劇もあるわけだがね。そりゃ、もちろん、人間たちは苦しんでいるよ、しかし…その代り、とにかく生きているじゃないか、幻想の中でじゃなく、現実に生きているんだ。なぜなら苦悩こそ人生にほかならないからね。苦悩がなかったら、たとえどんな喜びがあろうと、すべては一つの無限なお祈りと化してしまうことだろう。」 | ||||
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本書は6度目の挑戦で、ついにもうすぐ全巻完読するところまできました。 学生の時から挫折を繰り返すこと5回、40才の手前になって、この新訳で初めて壁を超えられたような気がします。 いままでは、文章から強烈な魅力を感じると同時に、読んでいるうちに登場人物のキャラの濃さとストーリーの展開の激しさにあてられて、息苦しくなってきて、やめての繰り返しでした。 この新訳は、訳もわかりやすいのですが、字が大きくて行間がとってあって、キツイ話を読んでいても、必要以上に息苦しくならない(過集中しなくてすむ)感じがしました。巻末にある読書ガイドも、息抜きできてとてもよいです。 初めて、ドストエフスキーを読む人、過去に途中で投げ出した人、目が悪い人にもおすすめします。 | ||||
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去年購入したものの、上まで読んで、その後忙しくなり、また上を読み直し、また忙しくなりと、 なかなか読み進むことが出来なかったんですが、やっと読み終えることができました。 が・・・。続きが読みたい!!ここまででも最高傑作だとは言われていますが、 本当に最高傑作なだけに続きが読みたくて仕方がないです。 未完だなんて、本当に残念でなりません。 これから、アリョーシャがどうなっていくのか、これからという時に・・・。 本当に残念です。 仕方がないので、他のドストエフスキー作品でも読んでみます。 | ||||
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高校生の私でも、最後までグイグイと読み終えることが出来ました。特に中巻からは文字通り寝食を忘れて読みました。私はクリスチャンなので、神と人というこの大きな永遠のテーマに興味を持って読みはじめたのですが、大審問官の部分では衝撃で心身が震えました。クリスチャンは是非是非、何度も読むべき本だと思いました。 また、登場人物がとても魅力的に書かれています。兄弟それぞれに愛すべき所が沢山あり、結末近くはそれぞれのために涙が止まりませんでした。裁判部分も迫力があり、推理小説としても一流です! 長々と書いて何が言いたいかというと、長さと前評判だけで、この本を敬遠している高校生に、是非手にとってほしいということです。世界にこんな傑作があったのか!と衝撃を受けること間違いなしです。 | ||||
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正直キリスト教の信者でないと挫折しそうになる。そこをこの読者ガイドが助け舟を出してくれる。しかし内容の濃いこと、しかもなんとも多くの箴言が含まれている事か。読むのに時間はかかるが日本の最近の流行作家より頭二つか、いや異次元のレベルまで抜きん出ている。内容の薄い本を多読するよりもこの本一つを熟読するほうが遥かに優れていると個人的に思いました。 | ||||
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かねてから挑戦しようと思っていたカラマーゾフの兄弟を読破することができた。内容は少し私の頭脳では分かりにくかったが、以下が私の感想である。 父親殺しは結局誰だったのか?これがはっきりとは書いていないので謎のまま終わっている。 もう一つは、アリョーシャに関わった少年たちである。彼らとの接触は、書かれずに終わった続編の主要人物と言われている。彼らの行動に何の意味があるのか? その他、ミーチャの独白の中で「美」についての一こまがある。これは三島由紀夫の「仮面の告白」の中にも出てくるので要注意しておくと面白い者である。 また、ポーランド人も登場してくるが、このころのロシアとポーランドとの微妙な関係が分かり興味深いのではないだろうか。この作品は、再読、再再読の価値があるが、わかりにくいので星4つとした。 | ||||
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清濁併せ呑むとは、この作品にこそふさわしい言葉でしょう!西洋的な神と人がテーマに なっているので、キリスト教に縁遠い人には入り込みにくいところがあるみたいですね(私 は親が信者でした)。オウム事件などからきた宗教アレルギーのせいもあるのかもしれませ んが、その辺を抜きにしてこの作品は語れないと思います。しかし様々な角度から語れても しまうのがこの作品のすごい所です! 新訳も出ていますが、私の特に好きなゾシマ長老の話の所(他のレビュアーさんの中で退 屈と書かれている方が何人かいるのが私には驚きでした!)は、こちらの訳の方が断然良い と感じます(そこしか比較してませんが)! 濁サイドは受け入れ難いかもしれませんが(私は濁サイドも好きですよ!)、清サイドの ドストエフスキーの想像力の素晴らしさは、きっと?初詣に寺に行くようなクリスチャンに も伝わると思います! | ||||
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長年トライしてみようと思いながらも、なかなか時間が取れず、 読まずじまいだった本。 今回意を決して読み始める。…と思っていたよりずっと早く 読了してしまった。 とにかく圧巻の人物描写と、ある事件を巡るスリリングな展開 とにぐいぐい引き込まれる。 読んでいる間ずっと、 人間にとって自由とは何か、信仰とは何かを深く考えさせられ、 同時に、自分にとっての「答え」を要求される緊張感に包まれる。 この先、何度も読み返したい超名作である。 | ||||
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史上最高峰との文学と言われるほど名高い、ドストエフスキーの最晩年の作品である。 その「謳い文句」に関わらず、私がこれまでの人生で最も感動した、うち震えるほどの感動をしたのがこの作品であった。 私は現在32歳であるが、『カラマーゾフの兄弟』は3回通読した程である。 淫蕩の限りを尽くす、父フォードル、自らを卑劣漢とまで称しながらも最も誇り高い長男ドミートリー、冷徹な哲学的見地に立つことで「カラマーゾフ的血縁」を憎みながらも生命の崇高さを誰よりも強く思う次男イワン、神学の道に身を置きながら俗世へ下りその後最も「カラマーゾフ的な性質」の現れが臭われた聖人アレクセイ。 この4人の「カラマーゾフ」によって物語は展開する。 神学的なモチーフがふんだんに用いられながらも、父フォードルの謎の死というプロットによって物語はサスペンス的なスピード感を持つことになり、これが読者を一気に惹き付けることになる。 直情的なドミートリーが最も怪しまれつつ、イワンの皮相な思想談義に動機が臭いそれを後押しするかのように登場する従僕スメルジャコフによるイワンの思想の極端化、どの兄とも決して疑わないアレクセイの愛と献身、これらが折り重なり、最終的には最も悲劇的な結末を迎えることになる。 一般にロシア文学は難関だというイメージがあるかと思われるが、私はそこらの娯楽小説を読むくらいなら時間をかけてでも『カラマーゾフの兄弟』を読むべきだと強く奨めたい。 | ||||
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