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カラマ-ゾフの兄弟



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カラマ-ゾフの兄弟の評価: 4.26/5点 レビュー 681件。 Cランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点4.26pt


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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全554件 321~340 17/28ページ
No.234:
(5pt)

近代のキリスト造型への再挑戦

坂口安吾は『不良少年とキリスト』で次のように書いている。
"奴(ドストエフスキー)ぐらいの腕ッ節になると、キリストだの何だのヒキアイに出さぬ。自分がキリストになる。キリストをこしらえやがる。まったく、とうとう、こしらえやがった。アリョーシャという、死の直前に、ようやく、まにあった。"

私は、ドストエフスキーは、新たなキリストを造型したのではなく、近代にキリストを降り立たせる前段階として、福音書がほとんど記録していない少年・青年前期イエスを描いたのだと考えている。
『白痴』でいきなり近代のキリストを描こうとして果たせなかったドストエフスキーは、少年期から描き起こして、その課題に再挑戦したのではないか。

"よく侮辱を受けた一時間ほどあとに(中略)人なつこい冷静な態度で、自分のほうから話しかけたりすることがあった。その際にも侮辱をうっかり忘れたとか、ことさら赦してやるとかいう態度をとるわけではなく、ただそんなことを侮辱とみなしていないだけだったので、これが子供たちの心を惹きつけ、征服するのだった。"(P.44-45)

この上巻で描かれた少年アリョーシャの肖像は、ヨハネ伝で罪の女への考えを問いただされながら素知らぬ顔で地面に何かを書き続ける男の少年期の肖像として、ルカ伝の悟りすました神童像よりよほど似つかわしくないだろうか。

もちろん、福音書のイエスには、アリョーシャにはない老獪さがある。
この小説の続編が執筆されたなら、近代のキリストはどのような姿を現しただろうか。
カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)より
4102010106
No.233:
(5pt)

物の哀れ

「罪と罰」と言う作品に対しても
同じ様に思うのだが、


「古典中の古典だから」
「一字一句を残さずに拾ってやる」
「教養を深めるのだ」
等と肩肘を張らずに、

「感じる」
「無我」
「陶酔」

こうした境地で接すれば
良いと思う

其の時々、
自分に分かる範囲で
解すれば良いと思う

そうすれば「ドストエフスキー」の
精神と交わり、
「ecstasy」に達する事が
できると思う

こうした在り方で接っせられた方が、
詩人という人達にとっても、
余程嬉しいのでは無かろうか


彼の作品に出てくる、

「精神的倒錯状態」

「Ahaaaaaaaaaaaa...」

「もうワケが分からない、
でもどうしてだろう

ああ、涙が止まらない
ああ、喜びが溢れ出でて来る

観念が頭を飛び交い、
言葉等が次々と、
怒濤の如く生まれ出でて来る

自分が消えていく、
でも命が燃えて溢れかえり、
体中から飛び出して来るんだ

最早之を、

止める事は

止める事など

出来やしない」


と言う様な詩情を感じる事が出来れば、
その人には詩人としての素質が在ると
思う


源氏物語でも、フロイトでも、
もちろんドストエフスキーでも、

観念を発露するのを禁じ得ない
人達というのは、
本質的には同じ様な事を言いたい、
伝えたいのであり、

ただその表現の仕方、
文学なのか音楽なのか美術なのか、
より具体的な表現の流派が違うのか、
はた又、
そもそも芸術以外の
もっと断然違った立場から物を言うのか、

只それ等が違うだけでは在るまいか


付け加えると、以上の様な事を
解してくださる方は、

何故

「喰らえ、このAI
プリキュア、拳パ〜ンチ!」

と言う様な結末になったのかも、
察する事が出来るだろうなあ、
と思う


片江嘉人 平成21年2月24日 0808 記す
カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)より
4102010106
No.232:
(5pt)

完読に一年かかったかな?

この本を読破するのにおよそ一年ほどかかった。
まず一巻を読むのに十ヶ月以上は要したと思う。あまりの長さと、難解さに圧倒され眩暈を覚え、諦めてそのままずっと放置していたのだ。でもやがてそろそろこの本を読まなければならないと思い、重い腰を上げて読み始めて、結局読み始めてから十ヶ月かかって一巻を読み終わった。
でもそのあとの残り二巻は二ヶ月ほどで読み終わった。一巻を読み終わった時点でもう続きが気になって気になって急いで本屋に行って残りの巻を買ったのだ。それでも二ヶ月かかったのは読む時間がなかっただけで、もし十分に読む時間を与えてもらえれば、二週間ほどで読み切っていたと思う。もともと本を読むのが遅いので、それでも二週間かかってしまうのです。
とにかく、一旦その世界に入り込んでしまえば、あとは次が気になってどうしようもなくなるほど圧倒的なまでの吸引力をこの本は持っている。ドストエフスキーの小説の大半はそうであるが、とくに『カラマーゾフの兄弟』は素晴らしく、凄い。物語に圧倒されてしまうのだ。もちろんすべてを理解できているわけではない。そう簡単に理解できるような物語ではない。とても難解で、理解に苦しむところは多々ある。しかし、それでもこの本は読む人を引きつけて離さない。それはもはや理解できるかどうか、そんな低次元の小説ではないのだ。理解できなくても読まされてしまうのだ、この物語は。普通ではこんな小説はそうはないだろう。理解できなかればつまらないという言葉で簡単に本を閉じてしまうものだが、これが理解できなくても本を閉じられないのだ。
内容は、人間の嫌らしいところが露骨に表現され、欲深さ、愛情、執着。また神といった問題にも書かれている。
とにかく長い小説で、一旦入り込めばいいのだが、なかなか入り込めない小説でもあり、それまではある意味拷問に近い感覚が続くかもしれない。しかしそこを乗り越えてしまえばあとはもう、逆にこの本が逃れられなくなるだろう。
カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)より
4102010106
No.231:
(4pt)

ドストエフスキーの見つめているもの

この作品の核心は、「大審問官」でもなく、延々と続く公判記録でもなく、実はラストの「石のそばでの演説」にあると思う。

父と長兄の痴情のもつれ、父の殺害、執拗な猜疑心から心を滅ぼす次兄、軽佻浮薄かつ自意識過剰、要するに自分のことしか考えていない多彩な登場人物・・・。これら気も遠くなるような現世のゴタゴタの果てにドストエフスキーが見出そうとする本当の人間のありかた。それが、作品の最後の最後になって3男アレクセイによって語られる。
スネリギョフとイリューシャ一家、そしてそれをとりまく少年たち。当時のロシア社会の底辺に近い或る一家をめぐる、みじめで薄ら悲しくすらあるエピソードの中から、ドストエフスキーは思いもかけない宝石を取り出して見せる。長く、重苦しく、やりきれない物語は、このアレクセイの「演説」によって、ようやくカタルシスを与えられる。

ドストエフスキーは、あらゆる頭でっかちなもの、小賢しいもの、自意識過剰なものを疑う。そして、これらのために見えなくなっているが、人間が本来もっているはずの素朴な人間感情そのものの中にこそ、真に世界を救済する基盤があると考える。

この大長編が真に伝えたかったことは、実は、この1点にあるのではないかと思う。
カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)より
4102010106
No.230:
(5pt)

カラマーゾフ的なるものーそれは我々の生きる世界そのもの

“カラマーゾフの兄弟”−およそ読書好きの方なら身震いするほどの怪しげで圧倒的な魅力を放っているタイトルです。 この作品には我々が人間社会に見られるありとあらゆる要素が含まれており、文章によって世界そのものを構築しようとした19世紀ロシア最大の作家のパワーそのものが行間にみなぎっています。 その試みが必ずしも成功しているとは私には思えないのですが、特に前半の面白さは圧倒的だと思います。 人によって意見は分かれるでしょうが、私は後半の冗長さ、結論がはっきりせぬままに強引にまとめられたかのようなラストシーンにはどうも不満を持ってしまいます。 だから初めて読む、という方は、最初の二巻を読んでみて自分には合わない、と思ったらお薦めできません。 もっともこの亀山版は非常によみやすく、構成が割りと単純な二巻まではすんなり読めると思うのですがー。 

ありきたりの観察なのですが、主人公の三兄弟が象徴しているのは愛または信仰(アリョーシャ)・知性または科学(イワン)・情熱または行動(ミーチャ)だと思います。 この三つの要素を生み出したのが父・フョードル(ドストエフスキーと同名)という俗悪極まりない男でした。 ”こんな男がなぜ存在しているんだ!“という絶望的な叫びが一巻の中にありますが、”男“という単語を”世界“と置き換えてみたらどうでしょうか。 全ての人間が胸に抱くこの悲痛な叫びに作者はどう答えようとしているのかー。 恐るべき思索のドラマの幕開けです。

カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)Amazon書評・レビュー:カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)より
4334751067
No.229:
(5pt)

大審問官とロシアの修道僧

“カラマーゾフの兄弟”前半のクライマックス、“大審問官伝説”の与えた衝撃というのはいまさら贅言を費やすまでもありません。 この恐るべき問題は、現代ではもはや姿かたちを変えこそすれ、広く一般の人たちにも共有されていると思いますが、発表当時、少なくともこんなことを文学の形で表現した人は恐らくいなかったと思います。 さらに、その後の“ロシアの修道僧”偏で語られている問題などは(P436)、現代人が漠として抱えている不安そのものを喝破しており、こういった現代性において、ドストエフスキーは確かにトルストイを凌駕していると思います。 

ただ、モームなどは、この陰鬱たる理論を構築した後、ドストエフスキーは自分のしたことが怖くなって、必死になってそれを打ち消すような話をくっつけて失敗した、といっていますが、それは必ずしも当たっていないと思います。 ゾシマ長老の牧歌的な人生観、楽観的な希望というのは、大審問官伝説という洞察的想像力とももに、案外人間が見失ってはいけない大切な美徳にも思えます。 少なくともこの小説を読んでいる限りにおいてはそう見えます。 この長老の長い物語の後、ドストエフスキーはまたあっと驚く展開を用意しているのですが、このあたり、まさに思想家としての深みと作家としての技量において、ドストエフスキーはその頂点に達していると思います。

カラマーゾフの兄弟2 (光文社古典新訳文庫)Amazon書評・レビュー:カラマーゾフの兄弟2 (光文社古典新訳文庫)より
4334751172
No.228:
(4pt)

やはり見事な訳業

大きな話題となった亀山版“カラマーゾフの兄弟”を少し遅ればせながらに読んだのですが、やはりこれは意義のある仕事だったと思います。 私は今までこの作品を三回読んでいますが、なんといっても読んでみて一番“腑に落ちた”と感じられたのはこの亀山版だったと素直に思えます。 とにかく毎巻末によせられている丁寧な解説、そしてエピローグ別巻は、ほとんどがこの作品の解説本という破格の文庫本の登場には驚かされました。 この構成に異を唱える人も居ると思いますが、本来古典、それも外国の作品というのは、場合によってはこういったやり方でないと隠れた意味がよく伝わりにくい、ということはあると思います。 

丁寧な解説を読んだ後で私なりの感想を言わせてもらえば、“カラマーゾフの兄弟”は、現在の形のままでは世界最高の文学作品とはちょっと言いがたい小説だと思います。 なにしろ、これはやがて書かれることになっていた壮大な第二の物語の序章に過ぎず、特にこの文庫版で四巻以降の話の中で、作者はその第二部のための伏線を張り始めているのですが、それらが何を意味しているのか、この第一部だけで理解することは不可能です。 亀山氏は、その第二部がいかなるものになるのか、大胆な予想も試みていて、それはそれで楽しかったです。 もし第二部が完成していたら、それは恐らく人類の描きえた最大級の物語になっていたのでしょうが、この“現代の聖書”を書くという壮大な特権を、神はやはり一人の人間の手にゆだねることはありませんでした。 なにはともあれ、そういうことまではっきりと読者に認識させるほどの力を持った訳業には違いなかったと思います。  

カラマーゾフの兄弟 5 エピローグ別巻 (5) (光文社古典新訳文庫)Amazon書評・レビュー:カラマーゾフの兄弟 5 エピローグ別巻 (5) (光文社古典新訳文庫)より
4334751334
No.227:
(5pt)

ぎゃー。読んだ。

原訳の上中下巻。

やれやれ。

感想はこれだけ。

ラフマニノフのピアノ協奏曲第二番ハ短調をリピートしながら
京王八王子と新宿を何往復したか知れない。

京王線、ごめん。
カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)より
4102010106
No.226:
(4pt)

クライマックスを描き出す筆力

カラマーゾフの兄弟という小説のクライマックスがこの巻。
クライマックスを描き出すための手法の手本のような本書は、読んでおいて損はないなと思います。
カラマーゾフの兄弟 4 (光文社古典新訳文庫)Amazon書評・レビュー:カラマーゾフの兄弟 4 (光文社古典新訳文庫)より
4334751326
No.225:
(5pt)

書かれず、従い、読まれない続編

カラマーゾフとの 初めてで長い旅も本巻で大団円を迎えることになるのだが、結論的に言うと、寧ろ途方に暮れた。

 表面的には本書の第一のテーマである「フョードル殺しの犯人探し」という点に関しては、一応、真相らしきものは説明される。法廷での弁護士の論戦も含めて、犯罪小説としての本書は一応は完結していると言ってよい。
 
 但し、これが本当に「完結」なのだろうか。むしろ、最終巻になった段階で新しい暗示や謎が次々と提出され、それが未完のまま放り出された思いがした。著者は本書の続編を完全に視野に入れて本書を書いたとされているが、他ならぬ著者の死亡で、続編はついに書かれずに終わったしまった。残されたのは宙ずりのままの登場人物と、僕ら読者である。

 著者のドストエフスキーは無念の死だったに違いない。そうして、残された読者としての僕も無念だ。本書の続編を書かれず、従い、読まれないということは大きな損失になっている。そんな喪失感を強く覚えた。

 


カラマーゾフの兄弟 4 (光文社古典新訳文庫)Amazon書評・レビュー:カラマーゾフの兄弟 4 (光文社古典新訳文庫)より
4334751326
No.224:
(5pt)

再読の時期をもう考え始めているところだ

本巻の著者は訳者の亀山郁夫である。

 本巻に亀山が書き下ろしているドストエフスキーの生涯と、「カラマーゾフの兄弟」の解題は質量共に圧倒的だ。普通の「訳者のあとがき」を凌駕した内容となっている。

 解題で描き出される圧倒的なディテールには正直溜息が出た。今回、初めてカラマーゾフを読んだ者として、話の展開にすっかり魅了され、かような細部を味わう余裕などどこにも無かった。とにかく頁をめくることばかりに追い立てられて物語を追ってきた僕がいかに細部に無頓着であったかを痛感されたのが解題であった。逆に言うと、これだけの巨大な小説にディテールを埋め込んで行ったドストエフスキーという方の天才ということなのだろう。

 とりあえず、これでカラマーゾフは一回は読んだ。昔、どこかで「本好きには二種類ある。カラマーゾフを読んだことがある本好きと、読んだことがない本好きと」と聞いたことがあった。ながらく後者だったので、今回漸く本書を読んでほっとしている反面、一回で読み取れるような本でないことも分かった。既に再読をいつしようかと考え始めているところだ。



カラマーゾフの兄弟 5 エピローグ別巻 (5) (光文社古典新訳文庫)Amazon書評・レビュー:カラマーゾフの兄弟 5 エピローグ別巻 (5) (光文社古典新訳文庫)より
4334751334
No.223:
(5pt)

錯乱と混乱を表現すること

カラマーゾフの兄弟の第三巻は、錯乱と混乱をどう文章で表現するかの手本のようなものである。
意図的に書こうとしたって、こんなの書けないもの、ドストエフスキーって偉大。
カラマーゾフの兄弟3 (光文社古典新訳文庫)Amazon書評・レビュー:カラマーゾフの兄弟3 (光文社古典新訳文庫)より
4334751237
No.222:
(4pt)

大審問官とゾシマの半生がすごい。

大審問官とゾシマの半生はそれだけでかなり完成度の高い小説として読める。
スメルジャコフの嫌な奴っぷりもよくわかり、面白い。
カラマーゾフの兄弟2 (光文社古典新訳文庫)Amazon書評・レビュー:カラマーゾフの兄弟2 (光文社古典新訳文庫)より
4334751172
No.221:
(5pt)

過剰さということ

初めて読んでいるカラマーゾフである。二巻までしか買っていなかったが、今回日本帰国の際に残りも買ってきた。海外の不便さは、読書に関しては非常なるハンディである。

 三巻はアクションの巻である。二巻が大審問官とゾシマ長老の物語をじっくり聴かせたのに対し、一転して殺人事件を追いかける早い展開となっている。早さだけではなく、過剰さにも充ち溢れている事が特に印象に残った。主人公達の話振りも、僕にとってはちょっと理解に苦しむくらいに過剰であるし、乱痴気騒ぎとも言うべきパーティーの場面も過剰以外の何物でもない。ガルガンチュアという「過剰さ」の大先輩を輩出している欧州ならではの場面なのだろうかと幾度か感じ入った次第だ。

 とにかく二巻との対比で、ある種の圧倒性がある。四巻が待ち遠しい一書となった。
カラマーゾフの兄弟3 (光文社古典新訳文庫)Amazon書評・レビュー:カラマーゾフの兄弟3 (光文社古典新訳文庫)より
4334751237
No.220:
(5pt)

これは面白い!

強欲で好色下品な父、フョードル・カラマーゾフ。放埒で堕落した生活から抜けられない直情型の長男ドミートリィ。大学出の秀才、合理主義者、無神論者を気取っている次男イワン。修道僧であり純情で真面目で素直な三男アレクセイ。長男ドミートリィが財産と娼婦をめぐって父フョードルと醜悪な争いを繰り広げ事件は起こってしまう。愛情と思いやりを持って事態の打開に奔走する三男アレクセイ、あくまで冷静沈着な次男イワン。カラマーゾフ家の人々が織り成す情景を面白おかしく描いています。ロマンス、思想、ドラマ、サスペンス、コメディー、アクション、全てごちゃ混ぜだけれどもそれでいて上手く纏まっている。読めば納得いくハズです。カラマーゾフの兄弟オススメです!
カラマーゾフの兄弟2 (光文社古典新訳文庫)Amazon書評・レビュー:カラマーゾフの兄弟2 (光文社古典新訳文庫)より
4334751172
No.219:
(5pt)

これは面白い!

強欲で好色下品な父、フョードル・カラマーゾフ。放埒で堕落した生活から抜けられない直情型の長男ドミートリィ。大学出の秀才、合理主義者、無神論者を気取っている次男イワン。修道僧であり純情で真面目で素直な三男アレクセイ。長男ドミートリィが財産と娼婦をめぐって父フョードルと醜悪な争いを繰り広げ事件は起こってしまう。愛情と思いやりを持って事態の打開に奔走する三男アレクセイ、あくまで冷静沈着な次男イワン。カラマーゾフ家の人々が織り成す情景を面白おかしく描いています。ロマンス、思想、ドラマ、サスペンス、コメディー、アクション、全てごちゃ混ぜだけれどもそれでいて上手く纏まっている。読めば納得いくハズです。カラマーゾフの兄弟オススメです!
カラマーゾフの兄弟3 (光文社古典新訳文庫)Amazon書評・レビュー:カラマーゾフの兄弟3 (光文社古典新訳文庫)より
4334751237
No.218:
(5pt)

これは面白い!

強欲で好色下品な父、フョードル・カラマーゾフ。放埒で堕落した生活から抜けられない直情型の長男ドミートリィ。大学出の秀才、合理主義者、無神論者を気取っている次男イワン。修道僧であり純情で真面目で素直な三男アレクセイ。長男ドミートリィが財産と娼婦をめぐって父フョードルと醜悪な争いを繰り広げ事件は起こってしまう。愛情と思いやりを持って事態の打開に奔走する三男アレクセイ、あくまで冷静沈着な次男イワン。カラマーゾフ家の人々が織り成す情景を面白おかしく描いています。ロマンス、思想、ドラマ、サスペンス、コメディー、アクション、全てごちゃ混ぜだけれどもそれでいて上手く纏まっている。読めば納得いくハズです。カラマーゾフの兄弟オススメです!
カラマーゾフの兄弟 4 (光文社古典新訳文庫)Amazon書評・レビュー:カラマーゾフの兄弟 4 (光文社古典新訳文庫)より
4334751326
No.217:
(5pt)

地上のパンのみにて生きているであろう僕として

初めて読んでいるカラマーゾフの二巻目を読了した。まだ続きは長いわけだが、とりあえず強烈に堪能した巻であったことも確かだ。


 本巻では、やはり「大審問官」の部分に圧倒された。16世紀に蘇ったイエスキリストに対して、枢機卿である九十歳の大審問官が語り続ける場面は続けて二回読んだ程である。


 大審問官が描き出す人間とは自らの自由に耐えかねた弱い羊の群れであると僕は読んだ。「耐えられない自由」を賦課しようとするイエスに対して、大審問官は自らは既に悪魔と契約の上、そういう人間から自由を奪ってやることが人間の幸せなのだと主張している。


 こう書いた段階で、これが本当に正しい読み方なのかいまだに自信がない。それは僕自身がキリスト教の知識が不足しているので読解力に自信がないということもあるが、それ以上に、書いていて空恐ろしくなるからでもある。「天上のパン」か「地上のパン」かと問われたら、間違いなく後者を選ぶに違いない。そんな僕にとって、地上のパンを退けるイエスキリストという方は理解を超えている。その意味では再来したキリストを邪魔者扱いする大審問官への親近感の方が僕にあるような気がしてならない。

 
 しかし噂通りの凄い本である。まだ続きがあること自体がうれしい。これは久しぶりの感覚だ。
カラマーゾフの兄弟2 (光文社古典新訳文庫)Amazon書評・レビュー:カラマーゾフの兄弟2 (光文社古典新訳文庫)より
4334751172
No.216:
(5pt)

第一巻を読み終えて 

有る時期から小説を読む機会が減った。それへの反省もあって、久しぶりに読む小説に本書を選んだ。今までドストエフスキーの本は5−6冊読んだが、彼の代表作である本書を読むことは初めてである。

 第一巻を読み終えたばかりなので、全体の感想を述べることは出来ない。但し、第一巻だけでもいくつか考えさせられる言葉があった。特にゾシマ長老の以下セリフが心に残った。

  「人類一般を好きになればなるほど、個々の人間を、ということはつまり一人一人を個々の人間として愛せなくなるからだ」

 僕自身が信仰を持っていないせいか、そもそも「人類一般を好きになる」ことが比較的難しい気がしている。イエスキリストが全ての人間の原罪を背負って十字架に磔になったというキリスト教の発想がどうしても皮膚感覚で理解出来ない。
 そんな僕が、長老のこのセリフに引っかかってしまうのは、「そこに真実がある」いう一種の直感が働いたからだと思っている。直感であるので、現段階では、それ以上の事が僕には分からない。今後二巻以降を読み続ける中で、それが見つかるかどうか。楽しみにしている次第だ。
カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)Amazon書評・レビュー:カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)より
4334751067
No.215:
(5pt)

これは面白い!

強欲で好色下品な父、フョードル・カラマーゾフ。放埒で堕落した生活から抜けられない直情型の長男ドミートリィ。大学出の秀才、合理主義者、無神論者を気取っている次男イワン。修道僧であり純情で真面目で素直な三男アレクセイ。長男ドミートリィが財産と娼婦をめぐって父フョードルと醜悪な争いを繰り広げ事件は起こってしまう。愛情と思いやりを持って事態の打開に奔走する三男アレクセイ、あくまで冷静沈着な次男イワン。カラマーゾフ家の人々が織り成す情景を面白おかしく描いています。ロマンス、思想、ドラマ、サスペンス、コメディー、アクション、全てごちゃ混ぜだけれどもそれでいて上手く纏まっている。読めば納得いくハズです。カラマーゾフの兄弟(上巻)オススメです!
カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)より
4102010106

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