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カラマ-ゾフの兄弟
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【この小説が収録されている参考書籍】
カラマ-ゾフの兄弟の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.26pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全554件 281~300 15/28ページ
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このレビューを書いている段階では中巻の半分近くを読んでいる段階だが、 難しいこともなく、人物が紛らわしくなることもなく読めている。 長いがテンポよくストーリーが展開していくのでスラスラと読める。 | ||||
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私は海外小説をよく購入しますが、内容の良し悪しよりも翻訳の文体で決めることがしばしばあります。 というのも、特に文学ともなれば購入が前提であることが多いのがひとつ、もう一つは、訳者によっては雰囲気ががらりと変わってしまうからです。 内容についてはもう他の方が沢山レビューしてくださっているので、内容ではなく翻訳内容をレビューすることにします。 これの翻訳者は原さんですが、文は適度な難易度でした。一文が長いのは海外小説ではもうお約束ですが、これは所々で長すぎる印象を抱くかもしれません。ですが、活字にあまり触れない方でも頑張れば読破できるレベルです。 文字の大きさの面でも読みやすいと思いますし、何より注訳が多いのは助かりました。 人名の注訳はもちろん、慣用句、引用の注訳までついているので、初めて読む方に特におすすめしたいのはこれ(新潮文庫)です。 あと、新潮文庫にはしおりがついているのが良いですね。しおりを落として読んだ場所が分からなくなるといったことも滅多にありません。 比較として、Amazonにおいてある岩波文庫と光文社古典新訳文庫の方も軽く紹介します。 【岩波文庫】の米川さん訳は、非常に漢字が多く、振り仮名も少ないので初見には向いていません。 ただ、一度「カラマーゾフの兄弟」に目を通した方なら、この独特の雰囲気を楽しむことができると思います。 【光文社古典新訳文庫】の亀山さんの訳は【新潮文庫】と比較してもかなり簡単に訳されていますが、小説というのは文が簡単だからと言って簡単に読めるとは限りません。あまりに簡単すぎると往々にしてつまらなくなってしまいます。 こちらは、簡易さに力を入れて大事な部分を所々飛ばしてしまっているのではないかという印象を受けました。なので、普段活字に触れている方にはおすすめしません。 それでも、その分薄くなってはいるので、本を読むのが本当に苦手で、ストーリーだけをさくっと把握したい方ならこちらでもいいと思います。 | ||||
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長い・・・とにかく長いです。 しかもほどんど登場人物の台詞で話が進んでいくので、19世紀のロシア人はあんなにおしゃべりだったのだろうかと考えてしまいます。 3兄弟の性格はバラバラです。(スメルジャコフを含めると4兄弟ですが) 自分はどの人に近いかと考えてみました。 希望はアリョーシャですが、残念ながら間違いなく違うなと感じました。 人間の内側や、普段は見てみぬふり、気付かぬふりをしている部分にざくっと切り込んできます。 血の呪い、神はいるのか、など深くて重いテーマを扱っていますが、ラストは希望のあるものだったのでほっとしました。 | ||||
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250ページ7行目と281ページ6行目の、ユダヤ女の楽器はシンバルではなくツィンバロンだと思う(原文Цимбалы)。この単語にはどちらの意味もあるようだけれど、ヴァイオリンとシンバルじゃあまりに不釣り合いだし、ユダヤ人の辻音楽師はよくヴァイオリンとツィンバロンの組合せで演奏していたようだ。298ページになって、ユダヤ女の楽器がヴァイオリンとツィター(Цитра)になっているが、これはもしかするとドストエフスキーの筆がすべった可能性もある。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%84%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%90%E3%83%AD%E3%83%A0 http://odakyuensen.blog105.fc2.com/blog-category-6.html | ||||
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全3巻読了に5ヶ月。正直、物語そのものが面白いとは思えないし、一つ一つが恐ろしく長い訳文も好きではない。神の存在に対するドストエフスキーの問いに至っては、その真なるところ理解できていないように思う。つまるところ、『カラマーゾフの兄弟』を一つの作品として手放しに「面白かった」「名作だ」などとは言えないというのが正直なところ。 一方で、読み終えて数ヶ月経ってもパラパラ読み返したり、ウェブであれこれ調べたりすることが多いのも事実。何故だろうと考えてみるに、半分は「何がこの小説を不朽の名作にしているのか理解したい」という好奇心。残り半分はこの小説が持つ異様な迫力に惹きつけられているのだと思う。 その異様な迫力を静動対照的ながら強く感じたのが、この上巻に収録されている、スネギリョフ二等大尉がアリョーシャより差し出された金を踏みにじるシーンと「反逆」の章。 涙を浮かべた目玉が半ば飛び出し、首筋には血管が浮かび上がり、いまにも噛みつかんばかりの表情が目に浮かぶスネギリョフ。この激しい描写に、卑屈な言動の裏にも人間の自尊心が必ずや潜んでいることを見せ付けられたような気がする。 一方、無垢の子供が流す涙を前に、キリスト教信仰の根幹にある予定調和にすら「反逆」を厭わないとするイワンの叫びは静かだ。静かだけど悲痛に満ちた正義を問う叫びは、キリスト教的価値観を共有するか否かを問題にすることなく、ストレートに心に響くものがあった。 「大審問官」も自分が感じるところの異様な迫力に満ちた章ではあるものの、上記二つの場面に比べれば好奇心が先立つ章だった。ドストエフスキーが何を問うているのかを理解したいという興味で、色々と解説を読んでは「なるほど」と楽しんだ一節。そういう楽しみを提供するという意味で、この小説は自分が計り知れないほど奥深いのだろう。 | ||||
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「ねえちょっと、おくさん!」 「あら、なあに?」 「(声をひそめて)ご存知?」 「(同じく声をひそめて)なんのこと?」 「あそこよ、カラマーゾフさんとこのフョードルさんと息子さんたち、なんだか揉めてるらしいわよ〜」 「あらやだ、ほんとぉ〜?」 「何だかね、お父さんと上の息子さんで一人の女を奪い合ってるらしいのよぉ」 「やあねえ〜まったく」 …というやりとりが街で交わされていたかどうかは知りませんが、 カラマーゾフさん家のごたごたは相変わらず続いております。 中巻冒頭でゾシマ長老に、後半で長男ドミートリィにそれぞれ事件が起こります (他の方のレビューの通り…) この巻で長男ドミートリィが前面に出てきます。何だか憎めないんだよな、ミーチャ。 決して素行よろしき青年では無いし、ちょっとイカレテルとは思うけど、 人間臭くて嫌いになれないよ。 | ||||
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ロシアの作家、ドストエフスキー(1881年没)の小説「カラマーゾフの兄弟」−東大の先生が学生に読ませたい一番の本−である。光文社から新訳が出版され、話題となり、書店で陳列され積まれて久しい。いずれ手にしようと思いつつ手が出せずにいたが、とうとう手を出すことにした。ただ上述の読みやすくなった光文社古典新訳文庫にするか、新潮文庫にするか、岩波文庫にするか悩み、結局、上中下三冊と一番短い新潮文庫にすることにした。昭和53年初版から七十七刷、世界文学屈指の名作だけはある。ページ一杯に文字ばかり、分かりづらい長文が多く、例えば72頁「弟のイワンについてのドミートリイの感激しきった批評は、イワンにくらべてドミートリイがほとんどまったく無教養の人間であり、二人をならべてみると、人柄といい性格といい、ひょっとすると、これほど似たところのない二人を考え出すことは不可能ではないかという気がするくらい、際立った対照をなしていただけに、アリョーシャからみると、いっそう特徴的だった。」といった具合の文章が続く。十分注意しないと143頁の「二人の修道士」は88頁の「修道士が二人」と同じであると気づかずに見過ごしてしまう。143頁(五 アーメン、アーメン)からは、教会と国家についての論文論争が語られるが、読み辛く何が書いてあるのかさっぱり頭に入らない。「教会と国家というものの本質の混合は、…多少なりとも協和的な状態にさえ導くことは決してないはずであるにもかかわらず、やはりそれが永久的なものにちがいない、という命題から出発しているのです。」 作者は、長老が唇も血の気が失せ失神の直前と記してるにも関わらず、153ページ「つまり、こういうことです」から158ページの「そうあってほしいものです、アーメン、アーメン!」まで、長老に台詞を不自然なまでにひたすら語らせ続ける。それから、ロシアの人物名の覚えにくさ、父:フョードル・パーヴロウィチ・カラマーゾフ、長男:ドミートリー・フョードロウィチ、次男:イワン・フョードロウィチ、三男:アレクセイ・フョードロウィチ。例えば172頁で突然出てきた「ミーチャ」が長男のことだと最初気づかなかった。このアマゾンの皆さん方の熱い想いのレヴューを読み背を押されながら、黙読から音読に切り替えて、読み続け四分の一の184頁(184/667=27%)で「カラマーゾフ的良心」という語句を発見して、ようやく入り口に辿り着いた感じを受ける。この「カラマーゾフ的良心ってやつだな」という言葉もさっと読んでしまえば誰の内心の言葉か判らずミウーソフのものとは気がつかず読み過ぎてしまうだろう。208頁「ミウーソフは口をつぐんだ。長広舌の最後のくだりを言い終えて、彼はすっかり自分に満足し、…」んん、ミウーソフの言葉って作者自身だよきっと。ほとんど情景の説明はなく、台詞が途切れず続く。336頁「オールドミス」、337頁「彼女にモーションをかけて」は、訳者原卓也(昭和五年の生まれ)としては斬新な語句か!とかとぼんやり想いながら、読解困難が続く。今まで自分が読んできた本で、一番だ。文語調というのでもなく、特に難しい漢字が出てくるわけでもなく難解というわけではないが、作者自身の宗教観が繰り返し述懐され、具体的にはキリスト教・教会についてだが、八百万神の日本人はここまで執拗に神について考えることはまれであるので、こういった考え方に馴染みがないというほかあるまい。前述した(五 アーメン、アーメン)の部分などは、読者の読書を阻む防塁のようにさえ思える。(七 論争)もしかり。全体的に、何が書いてあるのか分かりづらい。登場人物の台詞を介しての独り言がひたすら続き、自分に鞭を打ちつつ読書意欲を保ちながら、第一部396頁(396/667=59%)をとうとう終了。 第一部 第一編 15「アレクセイ・フョードロウイチ・カラマーゾフは、-。」 16「彼は二度結婚し、子供が三人あった。長男のドミートリイは最初の妻の子で、あとの二人、イワンとアレクセイが二度目の妻の子である。」 19「ミーチャ(訳注中ドミートリイの愛称)-。」 22「亡くなった(最初の妻の)アデライーダの従兄にあたるピョートル・アレクサンドロウィチ・ミウーソフ-。」 40「アリョーシャ(訳注中アレクセイの愛称)-。」 53「-、アリョーシャは父(フョードル)に向かって突然、自分は修道院に入りたいと思うし、僧たちも見習い僧として入れてくれるつもりでいる、と申し出た。」 66「アリョーシャは、長老に非常に目をかけられ、そばに近づけられて、長老の草庵で暮らしていた。」 73「当時、遺産や財産上の勘定をめぐる(長男)ドミートリイと父フョードルの不和は、-。-、ゾシマ長老の草庵にみなが集まって-、-話をつけようではないか、-。-ドミートリイは、-。-、この申し出を受け入れたのだった。-、彼(ドミートリイ)はイワンのように父の家に暮らしているのではなく、町の反対側のはずれに一人だけ別に暮らしていた。」 第二編 78「訪問者たちは修道院の外塀のわきにある宿坊で馬車を乗りすて、歩いて修道院の門をくぐった。」 82「『僧庵にいらしたあと、修道院長さまがみなさまにぜひお食事をさしあげたいと申しておられます。-』」 84「『あれが僧庵だ、やっと着いたな!』フョードル(父)が叫んだ。」 88「彼らが部屋に入ったのは、来客の知らせをきいてすぐに寝室から現れた長老と、ほとんど同時だった。-、僧庵の司祭修道士が二人、-待ち受けていた。-。ゾシマ長老は見習い僧一人と、アリョーシャとを従えて出てきた。」 89「−ミウーソフ-。-。フョードル-。-。イワン-、カルガーノフ-。」90「-客たちを、-、−四人ならんで坐らせた。」 106「長老がだしぬけに席を立った。『申しわけありませんが、みなさん、ほんの数分だけ中断させていただきます』」 108「母と娘の二人-。母のホフラコワ夫人、-。−未亡人になってすでに五年になる。十四歳の娘(リザヴェータ)は小児麻痺で足が不自由だった。-、長い車椅子で運ばれていた。」 124「(長老)『お前さん(ホフラコワ夫人)にも、子供のリザヴェータにも、神さまがともに祝福を賜りますよう。-』」 127「(ホフラコワ夫人)『アレクセイ・フョードロウィチ(三男アリョーシャ)、この子(リザヴェータ)はあなた宛に用事をことづかってますのよ。ご機嫌はいかがですの?』夫人は突然アリョーシャに顔を向け、-。-。『カテリーナ・イワノーヴナからこれをことづかったんです』彼女は小さな手紙をさしだした。『あなた(アリョーシャ)に来てほしいって、-』」 139「『-。申し訳ないのですが、わたし(長老)はこれ以上あなた(ホフラコワ夫人)とごいっしょにおるわけにはまいらないのです、待っておる人がおりますので。では、いずれまた』」 143「長老がふたたび庵室に入ってみると、客たちの間で共通の会話がはずんでいるところだった。」 161「-、ドアが開いて、ひどく遅刻したドミートリイ(長男)が入ってきた。」 171「(フョードル)『-。神父さま、実を申しますと、この大将(長男ドミートリイ)は-、-、良家の令嬢を夢中にさせましたんです。」 172「-このお嬢さん(カテリーナ)にプロポーズなんぞして-。-こいつの婚約者になっているのですが、こいつときたら、-、-さる妖婦(グルーシェニカ)のところに通いつめているんです。-。この妖婦にもう何千という金をつぎこんでいる始末なんでございます』」 174「(長男ドミートリイ)『-。-、あんた(父フョードル)の代理人とやらは、あんたが妖婦とか表現した当の女性(グルーシェニカ)のところへ行って、-。−僕(長男ドミートリイ)を刑務所へぶちこんでしまえるように訴訟を起こしてくれって。-。-あんた(フョードル)自身が彼女(グルーシェニカ)に岡惚れして言い寄ってる-』」 177「『決闘だ!』老人(父フョードル)は息をあえがせ、-、わめきたてた。」 178「『恥を知りなさい!』突然イォシフ神父が叫んだ。-『こんな男がなぜ生きているんだ!』-ドミートリイが、低い声で唸るように言った。-。『-、父親殺しの言うことをききましたかね?』フョードルはイォシフ神父に食ってかかった。」 179「ふいに長老が席を立ったのである。-。長老はドミートリイの方に歩き出し、すぐそばまでに行きつくなり、その前にひざまずいた。-。-足もとにはっきりした、意識的な跪拝をし、額を地面に触れさえした。」 206(僧庵から食堂に移って)「ミウーソフとカルガーノフとイワンが入っていったとき、神父たちはもう修道院の食堂で待ち受けていた。さらに地主のマクシーモフも、わきの方で待ちくたびれた顔をしていた。」 210「-彼(フョードル)は急ぎ足に修道院にとって返し、まっすぐ院長のところに向かった。-。修道院長の食堂に彼(フョードル)が姿をあらわしたのは、まさに、お祈りが終わってみなが食卓に移ったその瞬間だった。」 219「『-、神父さん、わたし「(フョードル)は帰りますよ。-。さ、イワン、-、わしにつづけ-』」 220「フョードルは-馬車にのりこみ、つづいてイワンが-。-。-地主のマクシーモフが-。遅れまいと息せき切って駆けつけた-。」 第三編 224「フョードル・カラマーゾフの家は、-。-。−母屋に住んでいたのは、フョードル(父)と息子のイワン(次男)だけだったし、召使用の離れにも、老僕のグリゴーリイと、その老妻マルファ、スメルジャコフというまだ若い召使の、全部でたった三人が暮らしている-。」 247「彼(三男アリョーシャ)は裏通りづたいに近道することに決めた。-。-。ときにはよその生垣を乗りこえたり、よその庭先をぬけたりせねばならなかったが、-」 248「突然、まったく予想もしなかった-。生垣の向こうの隣家の庭に、兄のドミートリイが-こちらに合図を送って、-、手招きしているのだった。」 263「『−お前(三男アリョーシャ)はどこへ行くところだったんだい?』『お父さんのところですけど、その前にカテリーナ・イワノーヴナのところに寄るつもりだったんです』 273「(長兄ドミートリイ)『-、ふいにきわめて興味ある一つの事実をはっきり知ったんだ。-』」 275「中佐(カテリーナの父)が-(軍の官金を)貸し付けていたんだよ。-。-突然、伝令が帳簿と命令をもって駆けつけてきた。『官金を二時間以内に、ただちに提出せよ』」 277「(カテリーナ)『-、四千五百ルーブルくださるとか。わたくし(カテリーナ)、(ドミートリイのところに)参りました・・・お金をください!』」 280「俺(ドミートリイ)は-無記名債権をとりだした。-彼女(カテリ−ナ)にそれを見せて、-手渡す-。」 283「中佐(カテリーナの父)はどっと病の床について、-、−死んじまった-」 284「俺(ドミートリイ)は-四千五百ルーブルを受け取った-。−手紙がきた。-。結婚を申し込んできたんだ、-。-。-わたし(カテリーナ)の夫になってくださいませ。」 289「-、グルーシェニカのところに通うようになったとたん、-俺は婚約者で-なくなっちまったんだ。」 291「あのグルーシェニカの悪女は-。-。『−結婚してあげるかもしれないわ』こう言って、-」 292「−三千ルーブルを懐にして、俺(ドミートリイ)はグルーシェニカのところへ行ったんだし、-」 294「(ドミートリイ)『お前(アリョーシャ)の口から彼女(カテリーナ)にお別れの挨拶を伝えてもらうことが、−必要なんだよ。-』」 300「アリョーシャは-父のところに向かった」 301「アリョーシャが入っていったとき、」 302「アリョーシャ(三男)を見ると-喜んで、フョードル(父)がわめきたてた。」 312「ロシアの兵士の話-キリスト教を棄てて回教に改宗することを迫られたのに、信仰を裏切るのをいさぎよしとせずに-、皮を剥がれ、キリストを賛美したたえながら死んでいったという」 313「『今のお話ですが』-思いがけずスメルジャコフ(召使)がしゃべり始めた。『-。わたしの考えでは、かりにそんな不慮の災難にあって、キリストの御名-を否定したとしても、-、やはり何の罪もないだろうと思うんです』-。ちょうどこのとき、アリョーシャが(父の家へ)入ってきたのだった。」 324「-すぐに召使たち(グリゴーリイとスメルジャコフ)が退散する-。」 340「-、ドアが勢いよく開き、ドミートリイ(長男)が広間にとびこんできた。老人(父)はぎょっとしてイワン(次男)の方にとびのいた。-ドミートリイにつづいて、(召使たち)グリゴーリイとスメルジャコフも広間に駆けこんできた。(召使の)二人は玄関で、中に通すまいと争っていたのである。」 341「ドミートリイは叫んだ。『あの女(グルーシェニカ)がこの家の方へ曲ったのを、俺は今この目で見たんだ、-、あの女はどこだ?』」 343「-ドミートリイ(長男)を見たとたん、フョードル(父)が金切り声をたて-。-ドミートリイにとびかかった。が、相手は-床に投げとばした。そのうえ、倒れたところを-踵で顔を蹴りはじめた。」 344「(アリョーシャ)『誓ってもいい、あの人(グルーシェニカ)はここに来ませんよ、-』 (ドミートリイ)『-あばよ-、(ドミートリイの婚約者の)カテリーナには-伝えてくれ。『-くれぐれもよろしく!』とな。-』」 349「(父)『-、お前(三男アリョーシャ)ひとつグルーシェニカのとこへ自分で行って、会ってくれんか。-。あれがどっちに傾いているか。俺(父)か、それともあいつ(長男ドミートリイ)かをさ?-』」 353「アリョーシャは、-父の家を出た。」 355「-カテリーナのところへアリョーシャが向かった-、-。-。アリョーシャが(カテリーナの家の)玄関に入り、-」 356-、嬉しそうな喜びの微笑をうかべたカテリーナが、両手をアリョーシャにさしのべながら-入ってきた。」 359「-、アリョーシャはつぶやいた。『僕はあの・・・・・・兄(ドミートリイ)の使いで来たんです・・・・・・』」 360「『兄(ドミートリイ)はあなた(カテリーナ)に・・・・・・よろしく、もう二度と伺わないから・・・・・・よろしくということでした』」 365「だしぬけに彼女(カテリーナ)は隣の部屋をふりかえって、だれかに叫んだ。-戸口のカーテンがあがった、-グルーシェニカが-近づいてきた。」 368「『あたくしたち(カテリーナとグルーシェニカ)、初対面ですのよ、-』カテリーナは感きわまったように口走った。『-、この方(グルーシェニカ)がご自分から来てくださったんですわ。-』 372「(グルーシェニカ)『-。あたし、-、ずっと悪い女かもしれませんのよ。-、ドミートリイさんだって、あのとき、ほんのからかい心から誘惑したんですわ』」 376「(カテリーナ)『(グルーシェニカに)出ていくがいい、淫売!』カテリーナがわめきたてた。-。『ええ、帰るわ』-、グルーシェニカが言い放った。」 377「グルーシェニカは-、家を走り出ていった。」 378「(カテリーナ)『お帰りになって、アレクセイ・フョードロウィチ(アリョーシャ)!-』」 379「アリョーシャは-封筒を受け取り-ポケットにねじこんだ。-修道院までは、-。-人気のまったくない道を、アリョーシャは急いで歩いていった。-。道のりの半ばほどのところに四辻があった。-。(アリョーシャ)『なんだ、兄さん(ドミートリイ)じゃありませんか!』」 382「『カテリーナ・イワーノヴナのところに、グルーシェニカがいたんですよ』」 385「(ドミートリイ)『-アリョーシャ、それにしても、どうやってあの女たちから逃れられたんだい?-』」 388「そして彼(長男ドミートリイ)はふいに去ってゆき、-。アリョーシャ(三男)は修道院に向かった。-。修道院を彼はぐるりとまわり、-まっすぐ僧庵に行った。」 392「たとえあと一日か二日生きのびるかもしれぬにしても、長老が世を去ろうとしていることは、アリョーシャにとって疑念の余地もなかった。アリョーシャは-、明日は修道院から一歩も出ずに、息を引きとるその時まで長老の枕辺に付き添っていようと、熱っぽい気持ちで固く決心した。」 393「−カテリーナ・イワーノヴナの女中から渡された-。−。−封筒を開けた。中は彼宛の手紙で、-、今朝、長老の前で彼をさんざんからかった、ホフラコワ夫人の若い令嬢である。-いとしいアリョーシャ、愛しています。」 395「アリョーシャはおどろきとともに読み終え、-。-。ゆっくり手紙を封筒にしまい、-、横になった。」 第二部 第四編 423「『- 長老はどうした?』『とてもお悪いのです。ことによると今日亡くなられるかもしれません』アリョーシャは答えたが、父親はろくにきこうともせず、-」 432「父のところを出て、ホフラコワ夫人の家に向かいながら、-。-。しかし、アリョーシャはいつまでも考えごとをしているわけにいかなくなった。」 433「彼(アリョーシャ)は坂下の橋の手前に、いずれも九つからせいぜい十二くらいまでの年少の子供ばかりだったが、-小さな一団を見い出した。-。また、溝川の向こうには、このグループからおよそ三十歩ほどへだてた塀のわきに、少年が一人立っていた。」 434「-、どうやら敵対関係にあるらしい、-。」 436「-投石合戦がはじまった-。」 438「アリョーシャは橋を渡ると、塀のわきを通って、仲間はずれの少年の方へまっすぐ坂を上って行った。」 440「いきなりとびだすと、自分の方からアリョーシャに組みついてゆき、-、−少年は頭を下げ、両手で彼の左手をつかむなり、中指にひどく噛みついた。」 441「−少年は-逃げだした。」 442「-彼(アリョーシャ)はホフラコワ夫人の家についた。」 452「(アリョーシャ)『-、法に定められた年齢に達したら、すぐに僕たちは結婚しましょう。-』『だって、あたしは片輪なのよ、車椅子で運ばれる身なのよ!』リーザ(リザヴェータ)は頬を真っ赤に染めて笑い出した。」 455「『-、アレクセイ・フョードロウィチ(アリョーシャ)、あなたのいらしたことを知るとすぐ、カテリーナ・イワーノヴナがあたくし(ホフラコワ夫人)のところへとんでらして、そりゃもうお待ちかねですのよ』」 461「アリョーシャの姿を見ると、カテリーナは、−イワン(次男)に-言った。『-もうちょっといらしてくださいな。』」 469「『残念ながら、僕はおそらく明日、モスクワへ発って、-』-イワンが言った。」 476「彼(イワン)は女主人のホフラコワ夫人にさえ別れを告げずに、部屋を出て行った。」 477「-、カテリーナ-。その手に二枚の百ループル札が握られていた。(カテリ−ナ)『-。-さる飲屋ですけど。-。-、ドミートリイ・フョードロウィチ(長兄)は-二等大尉にひどく腹を立て、顎ひげをつかむなり、そんな屈辱的な格好のまま衆人環視の中に往来に引きずり出し、往来でも永いことひきまわしていたそうですわ。-」 478「-小さな坊やが、それを見て、-、父親のために赦しを乞い、−助けてくれるように頼んだ-。」 479「-、ここに二百ルーブルありますけど、これを渡していただきたいんです。-。その人はオジョールナヤ通りの、−家に暮らしていますわ-」』 485「カテリーナの頼みはオジョールナヤ通りに行くことだったが、-、アリョーシャはとにかく二等大尉の家に行く前に、兄のところに寄ってみることに決めた。」 486「-、二等大尉の息子の小さい中学生が、-、アリョーシャの指に噛みついた先ほどの中学生にちがいないという思いがふいにひらめいた-。-。ドミートリイは家にいなかった。」 492「『僕・・・・・・アレクセイ・カラマーゾフという者で・・・・・・』-『手前は二等大尉スネギリョフでござります。-』」 510「(二等大尉スネギリョフ)『-。一寸の虫にも五分の魂、と申しますですからね。あなた(アリョシャ)は、-一部始終をご存知ありますまい。」 517「【-あいつ(ドミートリイ)はパパ(二等大尉スネギリョフ)にひどい恥をかかせたんだね!】あの子はこう叫びましたっけ。それをきいて手前も泣き出してしまったんです。-』」 519「(アリョーシャ)『-。僕の兄の、-、いいなずけである、心の気高いお嬢さん(カテリーナ)-。-その人は、あなた(二等大尉スネギリョフ)の受けた侮辱をきき、あなたの不幸な境遇を知って、僕に今しがた・・・・・・いや先ほど、お見舞いをあなたに届けてくれるよう頼んだんです-』」 520「そしてアリョーシャは真新しい虹色の百ルーブル札を二枚、彼にさしだした。」 527「(二等大尉スネギリョフは)-百ブール札を-、もみくちゃにし、右手の拳に固く握りしめた。-、力まかせに二枚のもみくちゃになった札を砂の上にたたきつけた。」 528「『一家の恥とひきかえにあなたのお金を受け取ったりしたら、うちの坊主になんと言えばいいのです?』-。走り去ってゆく二等大尉-。」 第五編 533「アリョーシャは部屋に入った。リーズ(リザヴェータ)はなにかはにかんだように見つめ、ふいに耳まで真っ赤になった。」 544「アリョーシャは彼女(リザヴェータ)の手になおも自分の手をあずけたまま、立っていた。ふいに彼は身をかがめ、彼女の唇にまともにキスした。」 545「『-、どうしてあなたはあたしみたいな、病気もちのおばかさんをもらってくださるの、-ああ、アリョシャ、あたくしこわいくらい幸せよ、-』」 553「リーズの部屋を出た-。」 554「−ホフラコワ夫人が目の前に立ち現れた。-。『-。あんなのは子供のたわごとです、何もかもでたらめですわ。あなたはまさか本気で空想したりなさらないと思いますけれど-』」 556「『-、今はこれで失礼します!』こういってアリョーシャは階段から通りに走りでた。」 557「-、兄ドミートリイを不意に捕まえることだ-。ほかでもない、昨日のように生垣を乗りこえて、庭に入り、例のあずまやに忍びこむのだ。」 559「-、どこかに茂みの中にだれかいるのだ。-。-。-ベンチに今だれか腰をおろしたのだ。」 567「-、予期せぬことが起こった。アリョーシャが突然くしゃみをしたのだ。ベンチのあたりは一瞬のうちに静かになった。アリョーシャは立ちあがり、二人の方へ歩いて行った。それはまさしくスメルジャコフで、-。-。女は家主の娘マリアで、-。」 569「『僕(アリョーシャ)は今、一生懸命に兄を探してるんです。ぜひ兄に会うなり、兄が今どこにいるかを教えていただくなりしたいと思いまして。-』」 570「(スメルジャコフ)『-。-、ことによると今頃、あの方はイワンさまと飲屋に坐ってらっしゃるかもしれませんですよ。-』」 571「『イワン兄さんが今ドミートリイ兄さんを飲屋によびだしたって?』アリョーシャは早口にきき返した。-。彼は飲屋に急いだ。」 572「だが、飲屋に近づいたとたん、ふいに一つの窓が開いて、当のイワンが窓から彼に声をかけた。-イワンは一人で食事をしているところだった。」 580「(イワン)『-。ところで今日ドミートリイを見かけなかったかい?』(アリョーシャ)『いいえ、会いませんでした。-』」 583「『彼女(カテリーナ)が愛したのも、ドミートリーじゃなく、この俺(イワン)さ』イワンは楽しげに言い張った。」 590「『-。-、今の俺たちの課題は何だと思う?ほかでもない、できるだけ早くお前(アリョーシャ)に俺(イワン)の本質を、つまり、俺がどういう人間であり、何を信じ、何を期待しているかを説き明かすのが、課題なんだ、-』」 599「『ついでに、-きいた話を披露しておくがね』イワンは-、つづけた。『-。-トルコ人どもは性的快楽を味わいながら子供たちまで痛めつけ、妊婦の腹から短剣で赤ん坊をえぐりだすことからはじまって、母親の目の前で赤ん坊を放り上げ、それを銃剣で受けとめるなんて真似までやってのけるんだ。-』」 608「『-。−女の子が夜中にうんちを知らせなかったというだけの理由でね、その罰に顔じゅうに洩らしたうんこをなすりつけたり、うんこを食べさせたりするんだ、それも母親がだぜ、-』」 610「『-。-、召使の忰で、せいぜい八つかそこらの小さな男の子が、遊んでいるはずみに、-、将軍お気に入りのロシア・ハウンドの足を怪我させちまったのさ。」 611「−。少年を裸にしろという将軍の命令で、男の子は素裸にされてしまう。-。【襲え!】将軍の絶叫するなり、-。母親の目の前で犬に噛み殺されたんだよ。犬どもは少年をずたずたに引きちぎってしまった!-』」 613「(イワン)『-、何のためにすべてがこんな仕組みになっているのか、さっぱり理解できないってことを、謙虚に認めるよ。-」 614「-。−俺(イワン)はあの子供たちをどうしてやればいいんだ?これは俺には解決できない問題だよ。-』」 619「『-。-、俺(イワン)はいつだったか、そう一年くらい前に、叙事詩を一つ作ったんだよ。-』」 620「『俺の叙事詩は『大審問官』という表題でね。』」 665「二人は外に出たが、飲屋の表階段のわきで立ちどまった。」 666「イワンはふいに身をひるがえすと、もはやふりかえりもせず、歩み去って行った。」 そして、とうとう上巻を読み終えた。 第二部は、第五編の620頁(五 大審問官)がとても難読だった。宗教観が繰り返し述懐され、655頁「…(わしの話は終わりだ)』」まで続く、イワンの台詞はおそろしくとても長い。 全巻買い揃えているから中巻へと読書は続く、どっこいしょ。いつ読み終えれるのやら。 | ||||
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やっと上巻を読み終えました。 なのでまだ感想が固まっていないのですが、ひとつ言えることがあります。 やはり「大審問官」の部分はすごい。もちろん全部理解できたわけでは無いのです。 上巻最後の方なので(自分が息切れして)正直やっつけ的に読んでしまったのは否めませんが、 それでもこの章はすごいと思いました。 中・下巻を読み終えた時にこそ、この作品の真価が見えるのでしょうが、 ひとまず上巻だけでも非常に重厚な読書体験ができました。 疑問もひとつ。 どの宗教の文化圏にも通ずる普遍的なテーマを扱っているのでしょうが、 やはりキリスト教をよく知らない自分にとって、ちょっと表現が「??」という箇所もあります。 私の無知と読み込みの足りなさが原因だと思いますが。 いわゆる非キリスト教圏の人間が読んでもやはり不朽の名作と言われるんでしょうかね? (もちろんありきたりの小説に比べたらとんでもなくレベルが高いと思いますけど…) 万人におススメできるかは難しいですが、少しでも興味を持った、若いうちに名作を沢山読んでおこう、 というのなら、たとえ途中で挫折しても手に取った方がいいと私は思いました。 | ||||
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昨年、亀山訳のおかげで初めて本作品を通読できました。 今回、またカラマーゾフの兄弟が読みたくなって、 本棚の挫折版を取り出したのですが、熱が違いますね。 たとえば、細かいところですが、名前+父称(何とか・何とかビッチ! というヤツです)などの呼び名も、卑称(アリョーシカとか)も 全部そのままなので、これを「アリョーシャ」なら「アリョーシャ」に 統一している亀山訳は読みやすい、というか理解しやすいのは 言うまでもないのですが、いちいち違う呼び名が出てくる本書には それなりの迫力が出てくることがよく分かりました。 ロシアの小説はそれがいやだ!というのが通説(?)だし、 でも、いったん仕組みが分かればそれが呼びかけにおいても いろいろに呼びかけるセリフの味になり、この小説、というか ドストエフスキー小説の持つ熱がびんびん伝わってきました。 上巻は、とにかく読み通さないと、長い1800ページの たかだか3分の1なのに、100ページまでも届かないのが 普通だと思います。それだけ前置きが長いし、なんのことやら?? というエピソードが続きます。 その間は辛抱する、としか言いようがないですが、 とにかく読み続けていると、この上巻も後半くらいから 熱が自分に移ってきます。そうなればこっちのものかなぁ。 | ||||
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上巻を苦労して読み終えたあと、中巻に 入ってくると、人物たちも頭に入っていて、 それぞれに動き、語りも縦横無尽でまずは 読了に向けてかなりの程度に達しているはずです。 この巻では宗教的なところが多分に理解しにくい面が あります。そんなところは思い切って「理解しないまま」 読んでしまっても、大事件が控え、細かなエピソードも ふんだんで、どんどん引き込まれていくと思います。 | ||||
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スメルジャコフとのイワンの対決、そしてイワンの発狂、 何よりもミーチャの公判…… 興趣がつきません。 この巻を読む人は真犯人を知って公判にのぞむのですから、 結論は分かっているようなもの。 それでも、ぐいぐいと引っ張るのは圧倒的な筆力とそこから 発せられる熱でしょうね。 弁護士としてそれでいいのか、という気もしますが、 おおざっぱに言ってのければ、意外にも、 19世紀ロシアの裁判はきちんとしていて、 科学捜査が今ほどではないことを抜きにすれば、 日本の刑事裁判と大して変わらないです。 僕は個人としてはそんな感想さえ持ちましたが、 人と人との会話の密度の濃さはこの巻で頂点に 達し、推理小説ばりとまではいかないものの、 これまでの1000ページを超す記述にちりばめられた 小ストーリーがあたかも伏線のように効いてくる ところなどは小説におぼれる、おおいなる楽しみを 十分に味わいました。 | ||||
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本作は長男ドミートリィを中心にしたサスペンスとしても楽しめるが、作品の本質は信仰と無神論の対決にある。 一方の極にはキリスト教的な慈愛の精神を説くゾシマ長老にとその精神を受け継ぐ三男アリョーシャがいて、もう一方の極には無神論を 推し進め、アナーキズムの域にまで達している次男イワンと、そのイワンの理論に陶酔するスメルジャコフがいる。そのほか様々な人物が 複雑に絡み合い、非常に奥深い作品になっている。 | ||||
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前置きが、とにかく長い! ドストエフスキーの悪いくせ。 完璧な造形をできるだけ理解してもらいたいが為なんだけども、人物紹介で半分ぐらい使うのはやり過ぎ(;^_^A ここで断念しちゃう人もいると思うよ。 普通なら、これはエピソードの間と間に挿入させれば済む話。 でも、多分、この粘着性がドストエフスキーの魅力なんだよね(;^_^A でも、入り口の泥濘を抜けると、素晴らしい物語の世界が待ってるから我慢して読んでください! アリョーシャ?だったよね、主人公。 彼は素晴らしい(T_T) 天使だ、天使。 イアン?次男は悪魔のように美しいね。 私はこちらに惹かれます。 兄は典型的な直情型なんだけど、ゾシマは愛すんだよな。多分、一番愛情深いからだろう。 あの娘がねぇ、小悪魔でさ。2人の間で揺れ動くんだけども、女はみんなこうじゃない? アリョーシャが若干、可哀想(;^_^A | ||||
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アリョーシャの取り乱しっぷりが良い。 ミーチャ、頑張れ! まあ、物語の中間ということで、一番盛り上がるべきところなんですが、なぜか中弛み(;^_^A なぜだ? 多分、言いたかったことを、一冊目の最後に持ってきちゃったからだね。 で、二冊目は三冊目のあの対決シーンを書くための前振り。 また前振り長い(><) もう、このくせは死ぬまで治らないんだ、ドストエフスキー。 そりゃあ、宗教問題、ロシア政治問題、犯罪心理、やりだしたらキリがないよ〜 全部やっちゃうからさ、ドストエフスキーは。 ある意味天才だ! 天才ゆえの苦悩なんだろう。 ううん、でもまあ、ミーチャが魅力的だから読めるよね。可愛いよね。わかりやすい(^-^) イアンとか、召使に甘んじてる兄弟とかの存在があるからこそ、ミーチャやアリョーシャが生きてくる。 感謝しなさいよ、2人に〜 悪者役の方が辛いんだからね! | ||||
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アリョーシャと子供達の会話が素晴らしい! 未来を託す人々の友情に乾杯! アリョーシャとイアンの対決シーンは圧巻!ピリピリとした緊張感の中でアリョーシャが言う一言! イアン、死亡(><) ズルいさ、それは。それは言ってはいけない一言なんだよ(T_T) イアン、もう立ち直れないから(><) ああ、でも、ミーチャ本当に良い奴(T_T) あいつが全部背負うの?長男だから? そんな〜(;_;) まあ愛は得られたから善いか(^-^) 続編は、みんなが心で描けばいいよね(^-^) 大丈夫。子供達がいる以上、未来は生まれるから(^^)v | ||||
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本作は単純に、父親殺しの嫌疑をかけられた長男ドミートリィを中心としたミステリー小説として楽しむ こともできるが、そこがこの物語の本質ではない。 本書の主題は、神の存在の問題、信仰と不信仰の賛否にある。 一方の極にはキリスト教的な慈愛の精神を説くゾシマ長老とその精神を継ぐ三男アリョーシャがいる。 もう一方の極には無神論を推し進め、アナーキズムの域にまで達している次男イワンと、そのイワンの理論に 陶酔するスメルジャコフがいる。本作はこの二つの極、信仰と無神論の対決から成り立っている。 大審問官の章をはじめとして、それぞれの人物の思想や苦悩が奥深く描かれている所に本作の最大の魅力があると思う。 | ||||
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1、物語として。 2、人生のあらゆる困難について 3、作者の人生観 この3つが織りなす物語は最高です。よく物語の核とされる「大審問官」の場面は何度も読み返しては考えてみます(毎回同じ考えにたどり着く癖に笑) しかしそれだけでなく、物語的な部分もとてもおもしろい。 また、作者の経験による「親殺し」についても深く考察用されています。 読み終わった後の達成感、そしてなんだろう。まだ終わらないでくれ(終わってないじゃないか!)という感情がずっとあります。 そして上巻に手を伸ばしかいつまんで読んでしまう。 私としては上巻が一番好きです! 女好きの大学生の病的な意見でした・・・ | ||||
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俗っぽすぎるくらい面白い話でした。 高尚な本みたいなイメージがあったので敬遠していて損をした。 ニーチェのツァラトゥストラ第一部と読み比べるとより興味深くなる本です。 もし彼らが出会っていたらいずれは喧嘩になっていたでしょうけどね。 | ||||
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米川訳で読みましたが亀山訳は読みやすいです。 途中変な日本語になったりするのは原典に問題あるのでしょ〜。 しかし、1巻の本で終わった人は多いのではないでしょうか? 1巻はつまんないところで終わっているので気になります。 個人的には2巻の4章で面白くなってきますのでめげずに読み進めて欲しいです。 | ||||
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ドストエフスキー最後の作品「カラマーゾフの兄弟」 この作品は間違いなく、世界の文学の中でも5本指に数えられます。 この作品の凄いところは、絶望的に重いテーマを扱っていながら、 滅法面白いという点です。 通常この様なテーマが主題の場合、物語は面白くはなりません。 この偉大な物語には「全て」があります。 ヒトの持つ、慈悲、優しさ、無関心、そして目を覆うような醜さ・・・ この物語は以下の3人の兄弟を中心に織り合わせられます。 長男:ドミトリー・カラマーゾフ(人間の本性を体現したような人物) 二男:イワン・カラマーゾフ(理性(論理)で懸命に生きようとする悲痛な人物) 三男:アリョーシャ・カラマーゾフ(人間の善意を体現したかのような人物) イワンが語る、「反逆」「大審問官」の章を読んでみて下さい。 ここまで悲しく、かつペシミスティックなものは他に比類するものがないほどです。 最近のライトノベルでは決して得ることのできない「なにか」がこの本にはあります。 (それは感動とかいうチープなものでは決してありません。) 最近光文社新書からカラマーゾフの兄弟の新訳が出版されましたが、私は新潮文庫版の訳の方が好きです。 死ぬまでに一度は読んでみましょう。 | ||||
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