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カラマ-ゾフの兄弟
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【この小説が収録されている参考書籍】
カラマ-ゾフの兄弟の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.26pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全49件 41~49 3/3ページ
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読んだのは少し前、ちょうどブームになっていたころです。いつまでも「読んだふり」でもあるまいと、ブームに乗ることにしました。 こちらの新潮文庫版にしたのは、もとが古典なのだから、文章もいくらか古典風味があったほうがいいと思ったのと(実際には、古典がかった文章ではなく、読みやすかったですが)、光文社版より総額が安かったから。あと、亀山訳では、ロシア語(orスラブ語?)特有の「父称」が省かれているとどこかで読んで(聞きかじりです。ほんとに省いてあるかどうかは未確認)、いやあやっぱりあれはあったほうがいい、いかにもロシア〜って感じだもの、と思ったから。 読むのに、そんなに苦労はしなかったです。おもしろいところと退屈なところがあるので、退屈なところはちょい飛ばし読みにしたから(笑) 三兄弟を始め大人のお話はドロドロなのに、少年たちのお話は対比をなすように切なく美しいです。少年がダメおやじのお父さんを必死にかばうくだりなど、泣けました。 でも、キリスト教国では、「父と子」には、「神と人」というイメージが重ねられているのだろう。そのへん、非キリスト教徒の日本人にはわかりにくいのかもしれない。しかもここに描かれているのは、ロシア正教だもんなあ。「ギリシャ正教」という本も読みましたが、そのぐらいで何とかなるようなものではないですね。 | ||||
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多くの方がおっしゃっているように私も長年中途挫折してきた作品でした。この訳本は読みやすく初めて読破できました。が、一点、日本語訳本なのには”とんでもございません”とか”とんでももありません”というとんでもない訳が繰り返されて使われているところに脱力感を感じます。 | ||||
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誰もが絶賛する名作にもかかわらず、まだ一度も読んだことがなかったので 購入しました。他にも別の訳者で出版されていますが、新潮文庫を選びました。 登場人物の名前がややこしくて、メモを見ながら読みましたが、なかなか 読み進まず、途中他の本と平行して読み、結局2ヶ月もかかってようやく上巻を 読了しました。第5編の『プロとコントラ』まではどこが面白いのか全くわからず むしろ苦痛な思いでしたが、ようやく話が進みだしたような気配なので次の中巻・下巻に 期待しています。 | ||||
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この新訳は活字を読みなれていない最近人には、とっつきやすいかもしれない。 しかし、僕には以前の岩波の重厚で正確な訳のほうが好きである。 真の名作は、そこいらの通俗小説のように簡単に読まれ、捨てられるべきものではないと思う。 | ||||
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「このレビューは参考になりましたか?― いいえ」を覚悟して、2巻まで読んだ時点で、思った通りに書きます。 まず、ストーリー展開が遅すぎます。単純な話をどうしてこうも引きのばして書くのか、途中で何度も中断したくなりました。又、やはり内容が古すぎです。19世紀のロシアと、21世紀の日本ではキリスト教的信仰(=神への信仰)の持つ意味合いが違いすぎます。私も含め、聖書を読んだ事の無い多くの日本人にとって、本書の後半、ゾシマ長老の話は抹香クサイお説教にしか思えないでしょう。「文豪ドストエフスキーの最高傑作」の名声の前に、ひれ伏して誰も批判しないけど、小説としてはダラダラし過ぎの展開でとても成功作とは思えませんでした。 有名な「大審問官」の章も期待ほどではありませんでした。例えば無神論宣言としてはサド侯爵の『閨房哲学』なんかの方がずっとインパクト、説得力があると思いました。 | ||||
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高校時代『罪と罰』(河出書房世界文学全集)は面白く読んだものの、『悪霊』(新潮文庫)の長さにかなり退屈し、『カラマーゾフの兄弟』(岩波文庫)はついに第1巻途中で挫折。もうこの「最高傑作」も読まないまま人生を終わるか、と思っていた矢先、新訳の評価の高さを知り、再挑戦した。 確かに以前読んだ訳よりも、こなれた訳文と大き目の活字でずっと読み易かった。しかしこの第1巻(特に前半)では登場人物の紹介に多くのページが割かれ、物語が少ししか進行しない。登場人物(特に父親のフョードルと長男ドミトリー)の語るセリフもやたら長いが、時代がかった大仰なもので、口調のわりには内容的には密度が薄いというか、あんまりピンと来ないものが多いと感ぜられた。やはり時代の差を痛感せざるを得ない。興味深いイワンがまだ殆ど語っていないので、取りあえずは第2巻の有名な「大審問官」の所までは読もうと思うが、最後まで通読できるかどうかは怪しいかなあ。しおりの登場人物紹介は名前がコロコロ変わるロシア文学には特にありがたいが、出来ればもう少し紹介人物を増やしてミウーソフやグリゴーリーの紹介も入れて欲しかった。この第1巻では結構重要な役どころでしょ? | ||||
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あー、やっと読み終えた。原稿料稼ぎとしか思えないようなくどくど文学。 八方美人の神さんが、あっちでぺちゃくちゃ、こっちでぺちゃくちゃ、 10分もあれば着くような目的地に、1日かかっても着かないようなもの。 評論家どもにだまされた。評論家好みの作品だ。 始めに解説本か、要約本を読むべきだった。 神は人によって作られた、やっと面白くなってきたぞと思ったら、 それでおしまい、がっかり。 3兄弟の愛憎、葛藤を期待したが、期待は大外れとなった。 そもそも3兄弟が登場する必然性が希薄だ。 思想書としても、探偵物としても、二流。 | ||||
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罪や良心というテーマを書き上げたドストエフスキーの晩年の傑作。 莫大な財産を持っている父ヒョードル、気性の激しいドミートリィ、冷静なイワン、純粋な青年アリョーシャ(主人公なのかは謎)の喜悲劇である。 出家したアリョーシャは、父や兄に可愛がられていた。家庭の問題に巻き込まれたくなかった彼は、兄たちと議論をする。財産に無縁な無欲の思想である宗教に、彼は人間自身の束縛からの解放を見出したのだった。上巻と中巻しか満足に読んでないが、四人の男たちの思想の違いは 封建制ロシアの当時に通じるものがあるのだ。 目標を持って生きるということは何か、例えばイデア論はそれを教えてくれる。アリョーシャの出家に涙を流す強欲な父は、『罪と罰』で完成された良心の概念を知っていたのだ。だから結局ニヒリズムでもあるアリョーシャの意見に、主要登場人物や脇役までが聞き入ってしまうのだ。 | ||||
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ゾシマ長老の死後(中巻)から俄然面白くなりますが、クライマックスの裁判で失速。読者は裁判が始まる前に真犯人が分かっているので、的外れな論告を延々と読まされると辟易してしまう。この小説は、『大審問官』をめぐる問題などテーマについては讃えられるが、小説そのものの出来は『罪と罰』に劣る。 | ||||
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