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サトリ
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サトリの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.91pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全35件 1~20 1/2ページ
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ロシアの要人を暗殺する上巻から下巻に入り、物語が錯綜し始めます。 上巻だけでも物語は完結してるので下巻は要るか?とも思います。 終わり方が続編があるような終わり方でありウィンズローも意欲があるようなので、サトリのヘルの続編も読んでみたいです。 | ||||
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トレヴェニアンのシブミの前日譚。 章立てが細かくなっているので読みやすく、内容もテンポ良い。ウィンズローは初めて読んだが面白い小説を書くものだ。 えてして亡くなった作家の作品を受け継いで書くと、首を傾げたくなる例が多いが本作は十二分の出来。トレヴェニアンも草葉の陰で喜んでいるだろう。 | ||||
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おもしろくておもしろくてページをめくる手が止まらなかった。さすがウィンズロウ。 『シブミ』とか『サトリ』の日本語に意見を述べているレビュアーがいるが、そんなことはどうでもいい。要するに中身。主人公ニコライ・ヘルが神業のように必殺技を決めるところは、爽快なエンタメ要素として十分余りある。日本人側から見ても、誇りを感じた。 残念だったところは、ラストがちょっと物足りなかったこと。ヘルの復讐劇をたっぷりと堪能したかったのだが。しかし全体的には十分おもしろかったので満点評価とする。 私は訳者あとがきで、本書出版より以前(32年前)に出版されているトレヴェニアン著『シブミ』を知った。その前日譚、主人公の若き日を描いたものがウィンズロウ著による本書とのこと。 とても興味がわいたので、この後『シブミ』に取り掛かることにした。 | ||||
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これが、とある暗殺者(と言えるか微妙だけど)の誕生の物語だと読めば、よくできた設定とプロットと人物描写の妙を感じるのだけど、ドン・ウィンズロウの作品ととらえると普段の書き込み方には遠く、悲惨な状況すら淡々と描く描写を感じられず何となく物足りない。シブミの前日談と捉えれば、トレヴェニヤンの語りを引き継ぐ者の作品と捉えれば、いやむしろ、そう捉えた方が楽しめる。人物もランドなど素敵な小悪党じゃないか? | ||||
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解説まで読んで初めてシブミの時の作者と違う人間が書いているということを知りました。 一人の主人公の物語を多くの人間が描くというのはあまり馴染みがなかったので全く分かっていませんでした。 ちょっと最後のソランジュの最期があっけなっくて残念でしたがそれでもあらゆるスパイものやアクションもので必要なお約束事を抑えつつ「近接感覚」という独特の能力をもとにしたストーリーは引き込まれます。 | ||||
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「シブミ」「サトリ」という言葉は口語としては一般的ではない。 が、その微妙な人間の生きる姿勢におけるニュアンスを拾い上げるセンスというのは流石だ。 そしてそのスタイルに沿って生きる人間を描く、という時点でもう面白いに決まってると私は感じました。 同時並行的に「シブミ」を読んでいるので私が感じたことが本書からなのか「シブミ」からなのか分からなくなる。 ということはそれだけ登場人物像が貫徹されている、ということだろう。 それだけ貫徹されたニコライ・ヘルという人物を読んでいくのが面白いのはその人間が作られていく過程を丁寧に描いているからこそであり、その人物が北京で自ら飛び込んでいく魑魅魍魎の世界に胸がときめくのと同時に登場人物を「心配する」ということが読書において可能になる。 最高に面白いです。 早く下を読みたいです。 | ||||
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あほか。せめてブックオフの値札ぐらい外して発送しろよ。せどりじゃねーか。覆面作家トレヴェニアンの前日譚を大変楽しみに、しかもウィンズロウが書いたと聞いて楽しみにしてたが、ブックオフの108円とは恐れ入るぜ。転売も結構だが、ほどほどにしとけ。 | ||||
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名作として知られるトレヴェニアンの「シブミ」の前日譚として書かれた本作。著者は麻薬戦争を描いた「犬の力」などで知られるあのドン・ウィンズロウ。トレヴェニアンへのオマージュがこれでもか言うほど(たぶん)ウィンズロウから伝わってくる。 さて、本作の単行本の帯などには、あの著名な日本人作家も驚愕!というような言葉が躍っているが、結論から言うと、読んでみてびっくり。この作品を高く評価する人がいるの?と思ってしまうくらい信じられない作品。また、これは本当にウィンズロウが書いたの?というのが率直なところ。なぜそう思うか、さっそく本題に入ろう。 まず前提として、私はトレヴェニアンの「シブミ」を読んでいない。なので、トレヴェニアンやシブミとの比較という視点ではなく、あくまで本作そのものについてレビューしていることをふまえていただきたい。 本作は、冒頭から日本に関する知識がこれでもかというほど開陳されていて、深い見識を備えた上で書かれていることがわかる。しかし同時に、違和感も覚える。 まず、「シブミ」と「サトリ」という日本語。どちらもあまり一般的な日本語ではない。この点、「サトリ」については意味を理解できる人は多いだろう。しかし、「シブミ」に関してはどうだろうか。もちろん日本語の単語として「渋い」は存在するしその名詞形としての意味も想像できると思うが、日本語の用法として、「シブミ」を使う機会があるだろうか?「サトリ」よりもはるかに使用する機会のない日本語、というより使用すること自体があるのかとほとんどの日本人が感じる日本語ではないだろうか。それらの事情を知らない外国人が本作を読んだら、「シブミ」は日本語としてごく普通の言葉だと誤解しないだろうか、というのが違和感の一つ。 次に気になったのは、暗殺者コブラ。冒頭にその登場シーンがあり、これがひどい。伏線として用意したつもりなのだろうが、待ち伏せして刺し殺した、という以上のものは何も無い退屈な場面が描かれている。プロの暗殺者としての手並みの良さや能力の高さが感じられるようなものは一切無い。冒頭のこうした登場シーンで鮮烈な印象を残せない暗殺者に、読者は「魅力」を感じるだろうか。また、こういう場面こそ暗殺者を早めに登場させる意味がある見せ場にもなるわけで、ここできっちり仕事をこなしていないのは拍子抜けと感じるし、その後の展開にも期待が持てなくなる。実際、このコブラに暗殺者としての「魅力」は最後まで感じられない。ナイフの達人という位置づけも、それが分かるような場面は無く説得力は無い。プロだということを強調したいがためにとってつけたような陳腐な形容に終わっている。本作のようなスパイもの、インテリジェンスものには「デキる」暗殺者が不可欠だと思うし、ウィンズロウはその期待(というか要請)に応えられると思うのだが…。 そして、教育係の女性と恋に落ちる、というストーリー。この部分が本作のキモとなっているわけでもあるので悩ましいところではあるのだろうが、主人公が教育係の女性と真剣な恋に落ちている時点で「なんだかなぁ」という低評価になる。プロにしては安直過ぎないか?それってプロじゃないでしょ?と言いたくなるのは決して言い過ぎではないだろう。「魅力的な」云々の漠然とした印象を与える形容が多いのも気になる。もっと緻密に紡ぎあげていくべきで、そうでないとこのカテゴリーの作品の雰囲気に馴染まない。もちろん、物語が進むにつれて彼女の過酷な体験が語られたり、その詳細が分かったりするのだが、早い段階から恋に落ちてスタートしており、あとから付け足して言い訳しているような印象も受ける。批判を恐れず言うなら、三流小説やB級映画の脚本のような感じ…。 さて、突っ込みどころをやたらと並べ立てているようで恐縮だが、どうしても挙げておきたい違和感の一つが「裸-殺」と名付けられた武術。「裸-殺」について本作中に詳しい説明はあまり無いが、素手で行う必殺の殺人技、というような位置づけになっているようだ。これが不自然。というのも、日本ではなく中国的な発想という印象を受けるからで、勘違いの日本ではないかと思われるのである。基本的な理解として、日本も中国も武術が盛んな国ではあるが、若干の違いもある。その違いが分かっていないのではないか、ということである。わかりやすく言うと、誰かを確実に暗殺しようとする場合、日本では武器を使うのが自然だ。本作で描かれているような素手による殺人テクニックのみで人を暗殺しようとすることは通常無い。あるとしたら、条件が限られているなど武器が手に入らないとか使えないとか、やむを得ず素手で実行するような場合であって、本作のように武器を選ぶことも出来るであろう状況の中、武器使用を一切検討することなく素手による殺人テクニックのみで実行するというのは、その殺人技に自信があったとしても、極めて不自然である。常識で考えてみてもわかると思うが、日本人的な発想で誰かを殺そうとする場合、日本刀や匕首などの武器を使うでしょ、ということ。匕首とかには見向きもしないで柔道の締技で殺しに行くとか、一体どういうプランだよ、という感じ。ところが中国について検討してみると、素手による殺人も日本ほど有り得ないわけではない。そのあたりを混同して、あるいはあまり区別せずにひとくくりに捉えて必殺の殺人技なるものを作り上げてしまったのではないか、と感じるのである。 また、秘密作戦実行中に重要なプレイヤーと連絡が取れなくなり、作戦を中止するかどうか悩む場面があるが、ここでもプロとは思えない判断が行われる。なぜ、「大丈夫だ」とか「問題ないはずだ」というような根拠の無い楽観主義が出てくるのか、全く理解できない。このような現実的に有り得ない描き方をしているスパイ小説を高く評価することはできないだろう。 本作は、中盤あたりから展開がインテリジェンス小説らしく熱を帯びてくる。なので、まったく見どころが無いとまでは言わないが、上述したように作品のキモとなる部分その他に違和感があり不自然さがあり、非常に残念な作品である。ウィンズロウ作品という観点でも、「犬の力」や「ザ・カルテル」のような小説とは別ジャンルの作品、と言い訳しても言い訳にならないであろう。 以上、思いのほか長文になってしまったが、突っ込みどころ満載というか、あれこれ言わずにはいられない気持ちにさせる作品である。 | ||||
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オーダー受付後、在庫確保できなかったようでオーダーキャンセルされた。 | ||||
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「シブミ」を読んで凄く良かったので、作家は違うが、とても気になり読んでみた。ニコライ ヘルによく似た別の主人公の別の作家の話として割りきって読めば楽しめると思う。「シブミ」で暗殺者になる前と極めてからの主人公の両方を知っている人には、「サトリ」でのニコライの思考等に?な所が多く、ストーリ―の中にコブラの必要性もよくわからない。極めつけは「シブミ」で気に入った二人のサブキャラが、「サトリ」では一人にされていたこと。信じられなかった。 | ||||
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「シブミ」のニコライ・ヘルの若き日を描いた前日譚。 この小説に関しては、2つの点が重要ではないかと思いました。以下に述べると、 1、トレヴェニアンが描いた世界をどこまで模倣できるか。 2、トレヴェニアンの作品と同じ位かまたはそれ以上の面白さで小説を書けるか。 という難題が著者のウィンズロウに課されている様に感じました。 1について言うと、個人差があると思いますが、かなり忠実に「シブミ」の世界観、雰囲気を醸し出す事に成功している様に思えました。主人公のキャラクターの描き方、特にアクションシーン、立ち居振る舞い等、よく出来ている様に思えました。事に、秘術である「裸ー殺」を使うシーンは迫真的で流石ウィンズロウと頷きました。 2に関してはこれまた著者のウィンズロウの筆力によるものか、かなり面白い活劇小説になっていて唸りました。ソフトカバー版の賛辞に「潔いほどに映像的サスペンス」というのがあったと記憶しますが、確かに凄く読み易い小説で最初から最後まで存分に楽しめました。ネタの謀略もよく考えられていて感心しました。 という訳で、名作「シブミ」を読んでいる方は勿論、読んでいない方でも楽しめる異色の活劇小説として十分過ぎる位の面白い作品に思えました。「シブミ」がかなり名のある名作なので、その正当後継者役を引き受けた著者は多分相当怯んでトレヴェニアンの事を研究したであろうと思われますが、これだけ書ければ成功していると言えると思います。 蛇足ですがタイトルはフラワー・トラヴェリング・バンドの「SATORI」と掛けて圧あるのでしょうか?気になります。あと、主人公の体得している「裸ー殺」は実在する武術なのでしょうか?実在するなら習ってみたいです(笑)。 実力派作家の膂力に唸る傑作。是非ご一読を。 | ||||
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そもそも「シブミ」の前に「サトリ」が来てしまうのはおかしいでしょ・・・内容も全然悟っていないし、シブミの前兆もない未練たらしい。冒険活劇としてはおもしろいが、トレヴェニアン・日本の「渋み・悟り」というキーワードを考えると、ドンさん「ワビさび」からお勉強しましょう。 | ||||
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トレヴェニアン『シブミ』の前日譚として書いたのでかなり手間のかかった労作なのだろうが,いかんせん背景となる教養と文体においてトレヴェニアンには敵わないところは仕方ないか。 | ||||
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上巻で繰り広げられた中国でのミッションを終え、追ってから逃れるためにラオス経由でベトナムのサイゴンに逃れるところから下巻がスタートする。 ダイヤモンド少佐率いるCIA、ソビエト情報部、中国警察、ラオス・ベトナム国境付近の有力部族、ベトナムゲリラ、フランス諜報部など多数のステークホルダーと虚々実々のやり取りを繰り広げながら、ソランジュと逃走を続けていく。 トレヴェニアンの思い(アメリカ文化批判、アジア文化の深い理解、囲碁と洞窟探検のうんちくなど)アクが強かった反面、それが物語に厚みを与えていて独特の雰囲気をだしていたシブミと比べて、全体的にシンプルなストーリー構成で、”アクが抜けたシブミの続編”といった感想をもった。 シブミを読んだ時のような興奮はなかったが、それでもウィンズロウの力量でエンターテイメントとしては上出来なレベルにはなっていると思う。 冒険小説、アクション小説が好きな方に加えて、ウィンズロウ、トレヴェニアンのファンにもお勧めできると思う。 | ||||
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冒険小説の傑作と言われるトレヴェニアンのシブミの続編が出るとは、正直思っていなかった。 20年以上前にその正確で深い日本文化の理解に驚きながら、そして興奮しながら読んだのを思い出した。そして本作を読むにあたり、シブミを再読したが、改めてその物語世界の素晴らしさを実感した。 本作サトリでは、日本での育ての親である岸川将軍が戦犯として逮捕される寸前に、ニコライが息子として、親を絞首台の屈辱から救うべく、苦痛なく一瞬にして岸川将軍を殺害した罪を問われて、巣鴨拘置所に収容された状態でストーリーが始まる。 ダイヤモンド少佐とその手下による熾烈な拷問によって心身ともに痛めつけられたニコライだが、中国にいるロシア要人を暗殺することと交換条件で釈放されることになる。 暗殺を成功させ、日本で短い間一緒に生活したフランス美女のソランジュと生活を共にすること、そしてダイヤモンド少佐とその手下に復讐することを生きがいとしてニコライの苦難の戦いが潜入した中国で始まる。 トレヴェニアンの前作と比べて、ニコライのキャラ造形は違和感がないところは、さすがウィンズロウであると思う。 またシブミで執拗に展開されていたアメリカ文化批判や、詳細なケービング(洞窟探検)のシーンなどトレヴェニアン個人の思い入れなどが一切省かれて、スリラーに徹した執筆姿勢に手堅さを感じた反面、シブミの独特な物語世界が、出来はいいがよくあるようなスリラーになってしまうような点が物足りないような感じがする。 とはいえ、中国での苦難のミッションを終えたところで上巻が終わる。 下巻が非常に楽しみである。 | ||||
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ウィンズロウの本は初めてです。 いいテンポを作れる作家さんですね。 結構、気に入って一気読みしました。 場面転換が多くて、テレビか映画のノベライズみたいな構成ですが、戸惑うことはないし、うまいです。 他の方も書かれている通り、たしかに、プロットに「テキトー」感はありますが、まっ、暇つぶしだし、私はそれも楽しんで読みました。 点が低くなっちゃったのは、急に締切がきてバタバタまとめた連載漫画みたいな終わり方(コブラがそれはないだろう・・と)が理由です。 ヘルさん=寅さん、のストーリでこれから10連作ぐらいするのなら、こういう終わり方も1作目としてありかもしれませんが、ちがうだろうな・・・。 終わり方への違和感はあくまで私個人のものですが、文章が好きだっただけにそこが残念!ということで☆2つです。 | ||||
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私は、日本のことを一生懸命調べたり、体験したりしてくれた作者がとてもいとおしく感じました。時には「やりすぎ」と思う場面もありましたが、主人公のニコライがスパイ通しの心理戦を碁盤を見立てて、シュミレーションする様など、私も碁をはじめたいな、と思うほどでした。ニコライの清潔な心身とそれをとりまくグロテスクな環境、ニヒルな会話、このバランスがすごくよいです。 | ||||
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ドン・ウィンズロウ作『サトリ』の下巻。トレヴェニアンの『シブミ』の空白を埋める作品にして続編。 トレヴェニアンの『シブミ』という、1979年出版にしてもはや既に「古典」といって差し支えないような存在となった作品の前日譚にして続編となる作品。作者が亡くなった場合など、別の作家がシリーズを続けるのは、007シリーズのイアン・フレミング→ジョン・ガードナー→レイモンド・ベンソンの例を初めとして、そう珍しいものでもないと思うが、そもそもシリーズでもなく、まして約30年も前の作品の続編というのは、そうないのではないかと思う。その意味では、そもそもこの企画を思いついた編集者、また、それを実行出来る人間の所に話を持っていったというのが、何よりファインプレーだったと思う。 トレヴェニアンの『シブミ』においては、主人公ニコライ・ヘルの少年時代と暗殺者を引退した後の時代を描写しているのに対し、この『サトリ』では、暗殺者としての最初の事件が描かれている。ある意味、静と動というかたちで対称的になっている点が面白い。また、今作の作者であるドン・ウィンズロウがトレヴェニアンの作品を本当にリスペクトしているということを伺わせる描写が、そこかしこに見られるのも嬉しい。シャーロック・ホームズのパロディ物などでも出来の良い作品には、思わずニヤリとさせられるような描写があるが、今作でも同様だ。 更に嬉しいのは、ドン・ウィンズロウ本人はこのニコライ・ヘルのシリーズを書くことをかなり乗り気らしい。勿論、現時点で更なる続編の情報は全くないが、そう遠くない将来、あるいは第3作があるかもしれない。 | ||||
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「犬の力」が5つ星じゃ足りない程面白かったので、本作も期待して新品で上下一気に購入したが、日本を含めた東洋に関する記述が、外国映画にたまにでてくるような「変な日本」、「変な東洋」が多くて興ざめしました。 冒頭に、主人公が芸者付でお茶会したり、空手の型を秘術と呼んでみたり、なぜか暗殺者が道着(笑)を着て、手斧で襲ってきたり。ハリウッド映画にもありがちですがアジア人はプロでも拳銃を使わないで、肉弾戦を挑むようです。 それで、襲われた後殺し屋の人種は何かとの会話で主人公が「日本人は手斧を使わない」「日本人の殺し屋ならそうたやすく<壁に絵を描く恐れる僧侶>の技にやられないはずだ」と言い放ち、 犯人は中国人だと結論付けた時、私はそっと本を閉じました。 犬の力から入ったにわかファンですが、「ストリートキッズ」→「フランキー・マシーンの冬」→「夜明けのパトロール 」と読んできて、少なくとも翻訳されているものでこの作家に外れはないだろうと思い 満を持して本著を手にしたのですが(普段は外国人作家が日本や日本関連を描いたものは避けているため「サトリ」は後回しにしていた)東洋好きの外国人作家が書いたライトノベルのようで本当にがっかりしました。 日本文化に対するリスペクトのようなものはたしかに伝わってきてその点日本人としては嬉しいですが、同時に間違っていたり奇妙な描写が気になってしまいとても読んでいられません。 もはやこの作者の大ファンになっているので、このハズレ具合にはショックが大きいです。 「変な日本」が読み飛ばせるか否かで評価が大きく別れる作品だと思います。 | ||||
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1951年東京。日本的精神の至高の境地〈シブミ〉を学んだ暗殺者ニコライ・ヘルは… との紹介だったので、忍者とかでてくるタイプかと思って読み始めました。 しかし早々日本を出て、正統派に戻っていった。 ちょっと残念だけど、面白いのでOK! | ||||
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