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比類なきジーヴス
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比類なきジーヴスの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.00pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全20件 1~20 1/1ページ
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とこからでも読めると言う事で購入しました。まずは頭から読み始めました。ちょっとの時間でも気軽に構えず読めます。読みやすいです。 | ||||
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とても気に入っています。ありがとうございました。 | ||||
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本書の語り手は、「僕」こと、バーティー。ジーヴスのご主人様です。 本書の帯には、「ぐうたらでダメ男の若旦那バーティー」 ひどすぎる帯の照会文ですね。 何と言っても、バーティーは、このジーヴスのシリーズ(全14冊)の語り手なんですから。 自分のことは、誇張して自虐的に書いているように感じます。ジーヴスを際立たせるために。 何と言っても、ご主人様を最高にコケにしているのは、ジーヴス。 この本の最後の最後のトピックスをお読みください。 訳者の森村たまきさんによると、 「ウッドハウスの作品というのは、一部が全部であって全部が一部であるような大いなるマンネリの世界だ」(300頁) そのとおり。一事が万事。一万回練りに練ったマンネリ作品。 これ以上、練れないくらい練りに練った、笑っちゃうくらい完成度の高い (繰り返しの多い?)作品。 最初は、漫画で読んだんですが、つい原作も読みたくなり、本書を購読しました。 漫画には漫画の良さがありましたが、 文字だけの本書は独特の文字の世界を表出しており、別味の読書が愉しめました。 数字が面白い。 「一瞬、僕には百十五匹くらいのあらゆるサイズとあらゆる色柄の猫が部屋の真ん中でつかみ合いをしているのが見えた」(94頁) 「一瞬」のことなのに、「百十五匹」とやけに細かい数字には、 くく(はちじゅういち)と笑うしかないと思います。 「あらゆるサイズとあらゆる色柄の猫」! 「あらゆる」ときましたね。大雑把すぎて、いわゆる笑いをさそう。 「ビンゴがあごに十五センチもある茶色いひげをはやして颯爽(さっそう)とやって来た」(141頁) 十五センチもあれば、うっそうとしていて、うっとうしくて、うるさそうなひげ。 『何ものも顧みない女』(274頁、281頁)という本の 「彼が本をいじっていると、ぱたんと二一五ページが開いた」(276頁) おそらく、本の二一五ページに<開き癖>が付いていたのでしょう。 「きっと何か気の利いたことが書いてあったのだろう」(276頁) 「二一五ページが開かれていた。鉛筆で強く下線が引かれた一節が目に留まった」(281頁) ウッドハウスは「十五」という数字が、とことん好きみたいですね。ただの癖かも? 「愛想のいい主人が階段を転がり落ちんばかりの勢いでかけ下りて来た。石炭が一トン届いたかのようだ」(24頁) 「石炭が一トン届いたかのよう」という比喩が、具体的数字なので、かがく的な感じ。 ドスンドスンとかガタンガタンとかみたいな、音のオノマトペと違って。 「あの双子の毒のなさといったら二匹の陽気な若いタランチュラくらいだ。今のはあの二人を修飾するには余りにもふざけた形容であるように思われた」(251頁) 毒のないタランチュラだって? 毒がタランチューノ。 作者自身が「余りにもふざけた形容である」と自認するほどのマジなふざけ方。 真面目にふざけてるので、あきれてなんも言えないです。 本書には、『何ものも顧みない女』という本の他に、次のような本も登場します。 著者は全て、ロージー・M・バンクス。 『すべては愛のために』(17頁、275頁) 『紅い、紅い夏の薔薇』(17頁) 『むこうみずなミルテ』(19頁、275頁) 『ただの女工』(19頁、275頁) 『ストラスモーリック卿の求愛』(19頁) 『クラブマン、マーヴィン・キーン』(287頁) そして最後の最後、問題を全部解決するためのジーヴスのアイデアは、 なんと、ご主人様を「キチガイ」(292頁)扱いすること! まいりました。脱力。おしまい。 ジーヴスの服装の好みは、ご主人様とはことごとく違うジーヴス。 ご主人様の許可を得る前に、 それらのものを勝手に処分してしまうジーヴスの癖。 ジーヴスの犠牲となったモノたち: 「ネクタイ」(8頁、268頁) 「カマーバンド」(37頁、56頁) 「靴下」(106頁) 「スパッツ」(254頁、261頁、266頁) 《備考》 〈正誤表〉 箇所: 238頁 誤: ベルを鳴らして頂けば 正: ベルを鳴らして頂ければ 箇所: 285頁 誤: 太陽神経叢を強打された 正: みぞおちの辺り(太陽神経叢近辺)を強打された | ||||
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この訳者はイギリスのウッドハウス・ファンクラブの方たちに問い合わせているので、解説が多いところが気に入っています。実際の英語を見ても、ややこしいなぁ・・という文章で、この独特の日本語がしっくりきます。私は大好きです。本の内容は昔の作品を練り直した感じで、ちょっとガタガタした感じがありますが、でもダウントン・アビーと同じ時代です。あんなに格式あるお屋敷があったと同時に、こんなドタバタした世界もあったとは。毎度毎度のパターンが、読んでいて安心感と、悪い人が居ないユートピアを感じます。 実際にこんな世界はありえないのだから、読者はこの完璧な世界を楽しめるのだと思います。 | ||||
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. 皇后である美智子様の読書歴は辻邦生さん、まど・みちお さんなど、素晴らしい 作家・作品が多く、そして、本書もそのひとつとされます。 そのほかに、美智子様の和歌も素晴らしく、以下紹介させていただきます。 . たまきはる いのちの旅に 吾を待たす 君にまみえむ あすの喜び ・ ・ ・ 美智子さま ( 昭和三十四年 ご成婚前日の御歌 ) . ( 参 考 ) あかあかと 一本の道 とほりたり たまきはる 我が命なりけり ・ ・ ・ 齋藤茂吉 ( 歌集 『 あらたま 』 所収 ) . * * * * * * . 美智子様の歌集 「 瀬音 」 は、我が国の皇后である 美智子さま の御歌の集録です。 折にふれ みずみずしい感性で 率直に詠まれた本歌集には、 私のこころを久しく捉えて離さぬ御歌が、数多く掲載されています。 . ・昭和五十三年 歌会始御題 「 母 」 子に告げぬ 哀しみもあらむを 柞葉(ははそは)の 母 清やかに 老い給ひけり . ・昭和六十三年 御歌 「 四照花 」 四照花(やまぼうし)の 一木 覆ひて 白き花 咲き満ちしとき 母逝き給ふ . ・平成三年 御歌 「 母 」 この年も 母逝きし月 めぐり来て 四照花(やまぼうし)咲く 母まさぬ世に . 以上三首は、いずれも お母様 ( 故・正田富美子様 ) を詠まれた御歌。 . 第一首は、現代短歌の白眉とも言うべき御歌であり、母と娘の 愛情と信頼の 深さと共に、互いを思う心情が回互する美しさが、鑑賞する者の胸を打ちます。 母の枕詞である「柞葉(ははそは)」が 実に自然に「清やか」と照応しており、 美智子さまの 歌人としてのたぐいまれなる資質が示された御歌です。 . 第二首は、茂吉 『 赤光 』 所収の短歌、 のど赤き玄鳥ふたつ屋梁にゐて足乳根の母は死にたまふなり と共に、生と死の対比の中に 静謐で 敬虔な 哀しみを詠まれた、 現代歌壇における 挽歌を代表する 絶唱です。 . 第三首は、上掲の御歌「 四照花 」を念頭に鑑賞すべき作品で、 四照花(やまぼうし)の清楚な白い花をご覧になるたびに、改めて お母様を心の中で偲んでおられるご様子が 静かに詠まれています。 . ・ ・ ・ 知るよしもないことですが、初夏に咲く四照花の美しい白い花には、 お母様と美智子さまお二人の 「共通の想い出」 がおありになるのではないか ・ ・ ・ と拝察申し上げています。 . 美智子さまのお母様が、日頃から 凛とした 清(すが)やかなお方で いらっしゃったことは、我々国民が広く存じ上げるところだすが、 娘である美智子さまの御歌には お母様を敬慕しておられる心情が、 常に みずみずしく溢れています。 . * * * * * * . 本歌集を拝読するたびに、ご訪問先や ご一家などについて詠まれた 一首々々の御歌に 深くこころ惹かれる と同時に、 美智子さまが ひとりの女性として歩んでこられた 「 いのちの旅 」 の、 道程( みちのり )の 遥けさを そして その足跡の 尊さを、 思わずにはいられません。 | ||||
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ユーモア作家 と聞くと「ぜったい面白くないんだろうな」と条件反射で思うように なぜか鍛えられてるわけだが、 PGウッドハウス、この人は ほんとに面白い笑えるユーモア作家である。もっと若いころ、十代にウッドハウスを知っていたら、もっと楽しく人生を過ごせたろうな と思えるほど、世界のとらえかたが素晴らしい。 笑える部分を引用して その面白さを紹介したいのだが、ちょっと長くなるんで割愛。 イギリス人だが、若いころはアメリカでジェロームカーンの曲に作詞したり、中年になってから1941年くらいにヨーロッパでナチスに捕まり、イギリス向けラジオ放送で ユーモアたっぷりにしゃべりまくって イギリスの知識人らを激怒させ、ジョージオーウェルが「ウッドハウス擁護」という文章で、「ウッドハウスは悪いんじゃなくて思慮が足りないんで赦したげて」と書いたり、 まあ、なかなか面白い人生を送った人でもあったそうだ。 笑いの才能は幼児性を前提とする ってやつかも。 森村さんの翻訳にかんしては賛否両論でてるが、ぼくは断固支持。そもそも、「賛否両論うずまくとき、その作品はいちばん生命力を持ってる」byオスカーワイルド って話。 だから、みんながみんな絶賛してるブライアンウィルソンのno pear pressureは、ファンだけが喜ぶジャンル吸収作品なんじゃないかなあ。←何の話? ま、とにかく、イギリスの国民的ユーモア作家である。ほんとうに、腹をかかえて笑える。 最近まで僕のレーダーにひっかからなかったのが不思議なくらい。 | ||||
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文春のジーヴズと読み比べました。 どちらもそれなりに面白くて、でもかもしだす雰囲気が違う。 それで、何が違うから雰囲気が違うのだろうと、 同じ話を一行ずつ、訳のとり方を確認してみました。 すると、事実関係が違っているところが結構あることに気がつきました。 表現の問題とか、訳し方ではなく、ジーヴズの返答の「イエス」「ノー」が異なっている。 とか、明らかに主語のとり方が異なっている。みたいなことです。 それによって物語の面白さが変るということはないのですが、 なんだか気になりました。 | ||||
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主人公の家の執事ジーヴスの"比類なき有能ぶり"を、英国流のユーモアと機知とで描いた極上のエンターテインメント。全体が18章で構成される長編小説ではあるが、奇数章が問題勃発編、偶数章がその解決編という形式で、連作短編集とも言える体裁。問題と言っても、殺人等の深刻な事件が起こる訳ではないが、それが全編に上品なユーモア感が漂っている要因だと思う。 主人公はオックスフォード大出身のロンドンに住む独身高等遊民で、英国紳士らしくスポーツ(この場合は"賭け事")には目がない。ジーヴスには絶対の信頼を寄せている。主な厄介事は、この賭けに纏わる話や社交界の女帝である伯母の"アガサ"が持ち込む結婚話、そして旧友で万年恋愛症のビンゴの苦悩話等で、まあ他愛のない物ではある。これを溢れる機略で解決するジーヴスの手腕の鮮やかさとその控えめ目だが食わせ者の性格が巧みな構成で活写される。思わず微笑がこぼれる。主人公とジーヴスだけでなく、物語の進行に連れ関係が次第に拡がって行く人物配置の妙も光り、その登場人物間の機微の切り取り方も皮肉と諧謔に満ちている。また、各章間の繋がりも良く計算されており、長編小説としての筋が通っている辺りも見事と言える。作者やジーヴスが持っている該博な知識はさりげなく示されるだけで、高踏的ではあっても衒学趣味は感じられない。作者も恐らく上流社会に属するのであろうが、その浮世離れした感覚に対する自嘲能力がキチンと備わっている様に映った。 英国の上流社会を舞台にしたユーモア・ウイット譚に徹している分、読後感が非常に爽やかで、心の底から楽しめた。優雅な「比類なきエンターテインメント」と言っても良いのではないか。 | ||||
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以前、テレビ番組のブックコーナーで紹介されていて、興味を持ちました。 何かと話題の執事ものですが、かなり楽しく読めました。 ちょっと読みにくいような言い回しも、古い時代な感じで、結構好きです。 頼りない主人と、完璧な執事(厳密には執事ではないそうですが…)の話と紹介されていることもありますが、 私的には、主人のバーティーが好きです。 断りたいのに断れず、厄介ごとに巻き込まれたり、自分を通そうとしても、結局ジーヴスの通りになったり、 なんだか親近感がもてます。 まだこの一冊しか読んでませんが、シリーズをもっと読みたいと思いました。 | ||||
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近年、日本では何かと「執事」が取りざたされていますが、本書はいわばその本家本元。 英国では、本書に登場するジーヴスとバーティーのコンビが、ホームズに匹敵する人気を 博しているだけでなく、クリスティやセイヤーズ、カーといった、ミステリ界の大御所の鍾愛 も得ていたとのこと。本書で、20世紀前半のロンドンを舞台にした、清明で大らかなコメディ を味わうことができます。 本書は連作短篇の構成となっており、基本的には毎章、同じようなドタバタ劇が繰り返される だけなのですが、そうしたややマンネリ気味な話の展開に、絶妙なさじ加減でスパイスを加え、 適度な緊張感を生み出しているのが、キレ者執事・ジーヴスのキャラクター。 表向きは、主人であるバーティーに絶対服従するジーヴスですが、 盲目的に忠誠を捧げているのではなく、巧みにバーティーを操縦し、 ちゃっかり自分の目的を遂げたりもします。彼はあくまで執事という 自らの職業に、高い矜持を抱いているのであり、バーティー個人に 心服し、付き従っているわけではないのです。 しかしかといって、バーティーに対し、なんの思い入れもないということ もないわけで、そのあたりの微妙な距離感や関係性がおもしろいです。 勝田文さんによるコミカライズ版も出ましたので、 とりあえず雰囲気を知りたい方はそちらをどうぞ。 | ||||
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友人ビンゴの恋愛劇に巻き込まれ、スポーツ(=ギャンブル)に手を出しては火傷して、アガサ伯母さんに手斧を振りかざして詰め寄られるたびにジーヴスに頼るぐうたら貴族バーティーと、主人の紫色の靴下や空色のスパッツに腹を立て、事件解決のついでに(損をするバーティーを尻目に)ちゃっかり稼ぎ、なんでもそつなくこなす完璧執事ジーヴスが繰り広げる傑作喜劇。 ザ・コメディーといって良いくらい面白い。バーティーは会話や地の文にいくつもの詩を引用するなど十分知的である。であるのに、やることなすこと全部裏目裏目。さらには脅迫的お節介なアガサ伯母さんにおびえる日々。彼にとって会話する伯母たちは「原始時代の沼地で咆哮を交わすマストドンみたい」だそうだ。あと教会の牧師の説教の長さをギャンブルの対象にするという馬鹿さ加減もすばらしい(説教大ハンデ)。 まずい。これは非常にまずい。ウッドハウスコレクションは一冊約2,000円。刊行済みで少なくとも14、5冊はでている。値段だけじゃなく、単行本のシリーズものは置き場所に困る。まずいな。 | ||||
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ウッドハウスは以前からずっと気になっていたのに日本語版がなく、古い作品だからもう映画化でもない限りチャンスはないかなと諦めていたところに嬉しい刊行ラッシュ!出してくれただけで星5つ、って感じですが(笑)個人的には翻訳にも満足しています。 ユーモア文学を「英文学者センセイ」が訳してしまうと妙に真面目くさった古色蒼然とした日本語になることが多いのですが、この訳者は「あとがき」にあるように専門の翻訳者というよりは、ヒュー・グラント映画やモンティ・パイソンといった今の英国サブカルチャーに通じた方がファンとして取り組まれたみたいなので、作品に対するリスペクトや愛着が随所に感じられるし、遊び心とか軽妙なことば使いに長けていて、むしろハマリ役ではないかと思いました。 こういう作品の面白さって、なんて言ったらいいんでしょうね。英国独特のちょっとシニカルで、すっとぼけてて余裕のあるユーモアっていうか。あまり他の国では見かけませんね。これを退屈と思うか、面白いと思うかはほとんどその人のシュミの世界でしょう。原文と付け合せて正しい訳かどうかチェックしたわけではありませんが、いわゆる「ブンガク作品」ではないので、私は作品の持つ特性と魅力を十分に生かせているこの翻訳で楽しんで読んでいます。 ウッドハウスを知らない人って多いと思いますが、たとえばブリジット・ジョーンズやジェーン・オースティン、またミスター・ビーンとかリチャード・カーティスの映画なんかが好きな人なら、文学アレルギーの人でも試してみてもらいたいです。もしかしたら生涯の友となるかも…。 | ||||
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古き良きイギリス、主人に忠実な万能執事。ところが主人は間抜けで、いつも騒動に巻き込まれ… 無駄のない文章と独特のユーモアが小気味いい!イギリス人と日本人はセンスが似てるな。笑いって理屈じゃないから面白い。 そもそも翻訳の小説には背景や文化の違いなどはじめから限界はあるけど、そこは自分の想像力で補える範囲。訳注だらけの小説なんて面白いとは思わないでしょ。「ここはOOだな」と自分なりの解釈で楽しもう☆ 似たような話が多いのは、原作者の編集で出来たもの。「あ、これ読んだかな?」なんて分ったら、あなたも立派なジーヴリアン! | ||||
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紳士のお世話をする紳士のジーブス。決して執事ではありません。その仕事ぶりはプロ中のプロと頭が下がります。若主人とのやりとりはまさに「大英帝国は輝いております」の世界。 | ||||
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「生協の白石さん」の応援ブログを読んでいたら、ジーヴスを思い出しました。白石さんが、分厚い真綿ごしに学生たちを言いくるめるように、番頭ジーヴスは、八っつあん・熊さんのごとき若旦那衆を操っていく手際は鮮やかです。ただし、ジーヴスを白石さんと混同してはいけません。もしそんな錯覚を感じたら、そこには必ず裏があります。多分それがジーヴスとウッドハウスの罠です。ちょっと心地よいです。 | ||||
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鬱陶しい歴史メロドラマを苦しみながら読み終えた後、手にとったのがこれだったので、その落差に唖然とした。 今まで読んでいた話は、確かにつまらなくはない。長い目で見たら面白いのかも知れないが、それにいたる一章、否一行ずつ読むのが苦痛だった。 それがこのジーヴスは一行一行が最高に面白い。こんな本を読んだのは久しぶりだ。 ピーター卿とバンターの主従が大好きな私だったが、あっと言う間にバーティ、ジーヴス主従のファンになってしまった。彼らと一緒だったら、スープに漬かったって構わない(何て言ってやっぱりいやかも)。 賛否両論あるようですが、私はこのスープうんぬんの表現好きです。 なかなか上手いこと言うと思いますね。 | ||||
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下の方に出ていたスープうんぬんのレヴューには賛成できない。 だいたい「スープの中にいる」と訳してある箇所なんて一体どこにあるんだ。 バーティーは「僕はスープに浸かってるんだ」って言っているじゃないか。訳者は意識的に直訳しているのだ。 わざと「スープ」としてあるからこそ、「うん、足の上までなんだ」のニュアンスが伝わって笑えるんだろうが。 ユーモア小説翻訳の成否は、ひとえに笑えるかどうかだ。 絶対にこれしかないと思える人物造型。リズミカルでビビッドな訳文。笑えるのはこちらだ、才気が違う。 | ||||
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後から文藝春秋「ジーヴズの事件簿」も読みましたが、日本語で読んだリズム感、面白さなどではこちらの国書刊行会版の方がおすすめです。“in the soup”の件についてはそのまま使っても(まあ)いいんじゃないでしょうか?『訳が拙すぎる』というレビューが悪い影響だけ及ぼしてしまうのでは…と心配になり、思わず書き込んでしまいました。何はともあれ、日本に紹介されてきた大半の“ユーモア小説”とは一線を画すP・G・ウッドハウス、お笑い好きな私としては今後とも良質の邦訳で刊行が相次ぐことを期待しています。 | ||||
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非常に面白い本です。是非とも、きちんと全部邦訳して欲しい。 イギリスでは知らない人がいないほどの名コンビ(ホームズとワトソンに並ぶほどだとか)が、次から次へと笑わせてくれます。とてもおしゃれなユーモアに満ちていて、全ての鍵を握っているのはわれらがジーヴスなんですが、その彼が実にさらっと自分の主人である語り手バーティを出し抜いて澄ましている。と思ったらやっぱり頼りになるのはジーヴスで、バーティも歓心せざるを得ない… 訳者も触れているように、バーティの語り口は知的な魅力に溢れています。彼のファッションセンスがまた楽しい。 | ||||
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ダメ男の若旦那と、優秀なる執事ジーヴスの繰り広げるユーモア小説です。構成は連作短編で、一気に読み終えるともったいないので、すこしづつ読もうと思っても、ついつい次の話を読んでしまいます。 いわゆる中毒性のある本です。この手の物語の例にもれず、若旦那が自分で考えて行動すると大抵失敗します。そしてジーヴスの出番となるわけですが、若旦那がジーヴスの手を借りずに何かしようとする理由がまた・・・。この「ジーヴス」シリーズは今後も出る予定らしいので、今後に期待大です。 | ||||
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