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博士の愛した数式
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博士の愛した数式の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.32pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全704件 61~80 4/36ページ
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80分しか記憶が持たない老博士、シングルマザーの家政婦、そして彼女の子の小学生、この3人からなる疑似家族の営みがこの小説には描かれている。 それぞれに弱さを持つこの3人の疑似家族は、温かみのある優しい関係性に満ちていて、互いを受け入れ弱さを気遣い仲睦まじく暮らしている。 もしもこれが現実の家族であるなら、ごろごろしないで掃除くらいしてよとかそういう感じになるだろうか。パパおならした臭いよーとか。 そうすると、この3人の疑似家族は、この世のものというよりは、あの世のものなのかもしれない。この小説にはあの世が描かれているというのは言い過ぎだろうか。 | ||||
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小川洋子さんの作品は初めてでしたが、文学部出の作家があのような難しい公式、数値を駆使してのユニークな小説に仕上げていることに驚きました。巻末の「解説」で、私がかねて尊敬する藤原正彦先生に事前にご指導を受けておられたことを知りましたが、それにしても難解な数値・数式を駆使して、それを分かりやすく、 筋立ての中に織り込んでおられるのは見事だと思いました。 | ||||
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「小説」というものに何を求めるかによって評価が別れる作品だと思います。 まず何と言っても、事件ものや物語のオチに期待する体質の方はあまり合わないと思います。本作はそういう類いの物語ではありません。本作は、文章の美しさや滑らかさ、それからリズムや文体などを気にする方、もしくは人と人の交流を描いた日常(ただしちょっと風変わりな)ものを好む方が合うと思います。 | ||||
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あまり、読書などしないのですが、とてもいい素敵な一冊でした。 誰かに 是非と勧めたくなります。 | ||||
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映画は観たことありましたが、小説は思いついたように読みました。小説ならではの時代感、捲るたびに暖かく、でも涙が出るそんな作品。本屋さんが売りたくなる作品だなと思いました。 | ||||
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今就活している息子がある企業さんから感情が伝わって来ないって言われたそうですが、親ながら確かに..と感じていた部分もありましたので、検索して良いものをと思い、そして息子は数学が好きですので入り易いかな?とも思い、本商品ともう1点、購入させて頂きました。息子に少しでも刺されば..と思います。期待を込めて★5です。 | ||||
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ドラマチックな展開で、映画化されたのも納得がいく。 ヒューマンドラマ。 | ||||
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小川洋子(1962年~)氏は、岡山市生まれ、早大第一文学部卒の小説家。『妊娠カレンダー』で芥川賞(1991年)。 本書は、初出は「新潮」2003年7月号で、同年出版、2005年文庫化された。2004年に読売文学賞、(第1回)本屋大賞を受賞。文庫版は発売2ヶ月で100万部を突破し、新潮文庫では史上最速を記録。2006年に映画化(博士:寺尾聰、私:深津絵里、ルート:齋藤隆成)された。 私は、本書を読む前に、著者のエッセイ集『とにかく散歩いたしましょう』と科学対談集『科学の扉をノックする』を読んでいたのだが、本書を読み終えて、まず、本作品は小川洋子氏でなければ絶対に書けなかった作品であることを強く感じた(小説というのは、そもそもそういうものなのかも知れないが。。。)。 というのは、本作品の最大のカギは、言うまでもなく、(80分しか記憶が持続しない老数学者である)博士と(家政婦の)私と(私の10歳の息子の)ルートの最大のコミュニケーション・ツールとなる数学であるが、これに対するこだわりと愛着は、小説家でありながら自然科学に対して驚くほどの好奇心を持ち、上記のような様々な分野の科学者・スペシャリストとの対談集(テーマは宇宙、鉱物、生命科学、電子、粘菌、遺体科学、スポーツ科学である。。。)を出してしまう著者ならではのものである。 また、もうひとつの3人のコミュニケーション・ツールとなる阪神タイガースの話題は、甲子園球場にも足を運ぶ阪神ファンである著者にこそ書けるもので、舞台となった1992年に阪神が展開した優勝争い(各試合の内容も)の経緯が物語の展開に複雑に絡み合ってくるのだ。 博士と私とルートという3点が、数学と阪神タイガースという2本の紐で結ばれ三角形をなすという独創的な構図の上に、悲しくも温かさを感じさせる傑作といえるだろう。 (2021年11月了) | ||||
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単純な美しき数式ほど魅了されるものはないと信じている記憶障害の数学者が人との絆を確かなものにした物語 | ||||
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著者の作ではまず最初に読んだ作品で、これ以外の作もそれぞれの趣向に魅せられます。 | ||||
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読書。 | ||||
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愛の物語である。愛は愛でも、著者小川洋子氏の数学愛に魅かれる。諸々の「数の相貌」をわかりやすく教えてくれる。撫でるように読みすすめていい。ゆったりと楽しむのがいい。数学が得意ではなかったが故に魅かれる一冊。多分何度も読み返し楽しむことになるだろう。 | ||||
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〇 題材の勝利だ。神様の手帳に書いてあるという数学の美しさ、博士の造形、私の出自、ルート(子供)の良さ、それから未亡人の過去とその存在意義、リアリティを付加する紹介組合と阪神タイガース…絶妙の配合だ。 〇 メルヘンのなかで、ハッとさせられるところがいくつかある。未亡人と博士は一緒に事故にあっていたこと、博士は毎朝自身の病気を知って泣いていたこと。 〇 数学者の生涯を語るのに本人ではなく第三者(家政婦)の眼を通じて語る面白さ、便利さ。「私」は過去形で物語を紡ぐ。しかし語っているときの視点は常にその語られている時と一致している。しかしながら、一か所だけ(p202)この文章を書いている今の視点で語る3行がある。これがハッとする効果上げる。 〇 30歳の私(語っている時は40歳)にふさわしい平易な語り口。難しい言葉は使わない。意表を突く比喩もなり。それが物語の内容にふさわしい。 | ||||
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この本を読んで、解ったかと問われれば、正直否と応えざるを得ません。主人公「私」の博士に対する情からして、また博士の示す数式への関心の向け方や、家政婦と云う仕事への取組み様まで、それらの悉くが、腑に落ちずに、終わってしまいました。 にも拘わらず読後は、自分でも驚くほど、爽やかな思いにあります。それは実に、この腑に落ちないだらけの「私」に、導かれたものでした。 人は博士にあるように、夫々固有の事情を抱えて、生きています。またその博士を含め、他人との関わりなしには、生きて行けません。だとしたら、どうしたら『うまく』、そう当て嵌まる漢字全てを外さない意味で、『うまく』生きて行けるのか、その解を、博士に対する「私」の関わり様から、気付かされました。先ず関わりの前提として、自身に対しては『正直』を置き、相手に対しては『敬愛』、そして相互には『信頼』を置く。次にそれらを生み出し、育むルーティーンを見出し、繰り返しを恐れずに、根気強く新たな発見を付け加えて行く。この積み重ねの中に「私」が抱いた幸せ感から、たわいない、これらの大切さを、改めて教えられました。 経験からしても余りないが、読んだ小説から以上のような学びを得る、それは作者の「私」の描き様が、実に素直に読み手の胸に沁み入る、優しさに満たされているから、であろう。 | ||||
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多くを語らず、にもかかわらず幸せで暖かい景色が浮かぶような一冊でした。 | ||||
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数学と文学が合わさった斬新な設定。しかし奇抜な内容ではなく、読み終わると心温まる。読んでよかったなあと思える作品。 | ||||
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記憶が80分しか持たない老数学者と家政婦とその息子の物語。素数とゼロとルートとオイラーの公式が阪神タイガースと一緒に物語を紡いでいく。理系だったボクは自然対数の底「e」の解説をいくつも調べてしまった。「決して3に満たないe」に「円周の率」と「想像でしかない-1の平方根」の積をべき乗しても、そこに「1」を足すと存在は「0」になってしまうという博士のメッセージが沁みてくる。最後は一見関係なさそうな「e」と「π」と「i」が「0」と「1」と美しくつながるこのオイラーの公式物語。文系作家ってすごいと思わせてくれた。 | ||||
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日常ではなかなか体験することのない、心が動かされる感じがしました。 また忘れた頃に読み返したいです。 | ||||
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小学生の息子と母子二人で暮らす私が、家政婦紹介組合から新たに派遣された先は、過去の交通事故による後遺症で前向性健忘となり80分しか記憶がもたない、数学専門の元大学教師である64歳の博士の住む家でした。新たな派遣先をこれまでに九人の家政婦たちが辞めていた事実を知ったうえ、博士の保護者である義姉からは母屋である義姉宅との行き来を禁じられます。普段の派遣先との違いから戸惑う私が、衣服のいたるところにメモを貼り付けた異様な風体の博士から初対面で問われたのは、名前ではなく靴のサイズでした。 博士によって「ルート」と名づけられた私の息子が、子どもの存在を慈しむ博士の勧めによって学校帰りに博士宅を訪れるようになり、物語は三人の交流を主軸としつつ展開します。そして本作を彩る重要な素材として、博士によって母子に伝えられ次第に私を惹きつけるに至る「数学の世界の不思議な魅力」と、熱心な阪神ファンであるルートが作品内において進行形で応援する、亀山・新庄フィーバーの熱気にも押されて優勝争いを演じた「1992年の阪神タイガースの1シーズン」の二つが挙げられます。小説作品でありながらも巻末には数学と、博士にとっては事故前の記憶として常に現役である江夏豊に関する参考文献が並んでいます。作品内に流れる時間についても、基本的には1992年の野球シーズンの開幕から終了までを区切りとしています。 読書の動機として、一度は試してみたかった著者の作品のなかから、代表作のひとつでベストセラー作品でもあり、SNS上でも常に多くの読了コメントを目にした本作を選びました。読後感としては事前の情報にたがわぬ優しい味付けであり、作中に散りばめられたいくつかの謎についても抑制的に語られています。過度に感動を煽るような描写は控えられた作風は静謐な印象を残すとともに、いくつかの要素を無理なく織り上げた均整の取れた佳作です。読書に穏やかなひとときを求める読み手に訴求する本作は、未読の方であれば、ミニシアター系映画館で定期的に上映される波乱の少ない静かな感動作と同軸上にあるとイメージして頂いて差し支えないかと思います。 読書中、久々に球場へ足を運びたくなりました。 | ||||
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好きとかよりはかない好意 | ||||
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