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ドグラ・マグラ
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【この小説が収録されている参考書籍】
ドグラ・マグラの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.96pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全504件 361~380 19/26ページ
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以前浮き雲を読み始め、文語調に挫折した経験がありますが、本書の読みにくさは内容の珍妙奇天烈な部分です。 文章自体の読みにくさは特に感じませんが、本文内に提示される文献・資料・論文がぶっ飛んでいる上に長いので疲れます。 中盤はこれが延々と続くので、読み手の飽きが一番の壁になるでしょう。 初めの引き込み方はインパクトでグイグイ埋没していきます。 読み進めていくうちに、頭が混乱し初めて、後半にいくに従って紐解かれていきます。 が、しかし、核心が近づいたときに、動悸が速まり展開にドキドキしました。 読み終えたときには、どこが事実で真実なのか読み手に問いかけるような夢野久作にやられた感じです。 再読すると発見があるような気がしますので、ときを置いて読んでみたいです。 | ||||
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昔、購入した本です。久々に読んでみたいと思います。名作ですからね。 | ||||
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先に書いておきたい事、「ドグラ・マグラ」の角川文庫版の表紙が、おかしいと思います。 女性の股の間に「角川文庫」と貼ってあるやつです。 まず最初に強調したいのは、この本の内容は、そんなポルノ的な表現は殆ど見当たらなかったことです。 (他の点では、未成年が読むのはちょっと?という表現はあるような気がしなくもないですが。) 普通のサスペンスとして、複雑で注意して読まないと解き辛い難しさもあって、展開は、読み進める興味をそそり続ける緻密さで、普通に面白かったです。 普段は尚、本を読むのが苦手な私ですが、眠い目をこすって仕事帰りの二晩で読み切ってしまいました。 それだけ、ストーリーに、引きづり込まれたんだと思います。 三大奇書?とか言われてますが、TV番組のサスペンスでもある程度の猟奇殺人とかをやっているのだから、なぜこの本が奇書なのかという事は、ちょっと分かりかねました。 胎児についての表現は、確かに不気味なんですが、少なくとも、角川文庫の表紙のエログロナンセンスのイメージとは違い、ちゃんとストーリーに関連しているという意味では、安易に猟奇を連想させるつくりではないと思います。 また、ラストに関しては、ちゃんと一つのラストを迎える、ストーリーとオチのしっかりしたサスペンスと思います。 その意味では、普通に楽しめる本なのでは?と思います。 ここは合えて強調しておきたい点です。 ただし、「なんなのよ?」と思う人はいるかもしれませんが・・・ ここに出てくる精神医学の仮説?みたいなものには興味は持ちえませんでした。(この本は学術書ではないので当然ですが。) あくまでサスペンスストーリーに花を添えるものと感じつつ読み進める事が出来ましたので、この本を読んで頭がおかしくなったり、世界観が変わったりというのは、全くなかったです。 最後に、この本無料なのだし、気楽にトライしてみたら?と思います。 | ||||
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まだ最後まで読んでませんが、ここに書かれていることは細胞の”真”に迫っていると思います。 確かに、物事の判断や行動の基本になるのは脳ですが、一番生命の根源をつかさどっているのは延髄にある細胞だと思います。 すなわち、細胞が遺伝子に情報を記憶させて子孫に伝えていくわけですから、自分の前の世代が経験した事象はすべて細胞が記憶していても不思議はないでしょう。 | ||||
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すっきりしません!あんなに関係ないと思われた内容を乗り越えてきたのに、最後まで煙に巻かれたまんま。途中、何度か心が折れそうになりました。折れそうになって、何とか読み続けていたらようやく確信に近づいてきた。そうして、私はどんどんスピードをあげて、ぐんぐん読み進めました。迷いの森はもうすぐ抜けられると。ただ、出口を抜けられそうだと思ったら、また入り口に戻される。あれ、まだ答えが答えが… 答えが!とぐるぐるぐるぐる迷うことになる。そして、最後まで歩かされる。しばらく本気で考えたり悩んだりしましたが、納得のいく答えは出そうにありません。そして、関係ないと思われたあの論文の数々。あれが実は迷いの森をより深淵にする一つのエッセンスではないのかと思い当たりました。好き嫌い分かれると思いますが、私は傑作だと思いました。 | ||||
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統合失調症(旧名が精神分裂病)の患者には様々な容態があるが、自分が考えた事と他人が考えた事の区別がつかなくなることがある。テレビを見ていて、出演者が喋っている事を「これは私の考えた事で、なぜこの人は私の考えている事が分かるんだろう」といった具合だ。また、自分の考えている事が、何者かに命令される形で聞こえたりし、それに応答し、一人だけで会話をしているという状態にもなったりする。常人の想像を絶するすさまじい世界で彼らは生きている。 この小説では、それらの恐怖や不可思議さを実に巧妙な手口で体験させられる。 記憶を失った主人公は、自分の脳髄とその周りで起こったであろう出来事を探偵していくが、幾度となくそれらに翻弄され、自分が何者であるかを頭がおかしくなりそうな状態で探り続ける。やがて主人公は一つの結論に行き着くのだが、それすら解釈の仕方により嘘か本当か定かでない。話の構造はシンプルに見えるが、肝心要の真実や結論が葬り去られている。しかし、この小説にはそういったものはあくまで不要である。読者はそれを求め、ひたすら脳髄を引っ掻き回される、これは推理ではなく、いわば作者による壮大な実験に我々が放り込まれているのだ。そして、読者は十人十色・多種多様の容態を表す。 この喜悲劇を面白いと感じるかどうかは怖いもの見たさにかかっている。が、これが本当に怖いものかそうでないかすらも我々は断定できないだろう。ただ、主人公は救われない人間であり、誰も彼を救う事はできないはずである。 可笑しくとも悲しくとも、もう笑うしかない。笑わなければ、この本を何度も読み返して、ついには救われない人間になってしまうかもしれない。 | ||||
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とても、気に入って読んでます。電子書籍は便利で、値段もばっちりです。マニアにはたまりません。 | ||||
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簡単に読み進められる生易しい物ではありません。頭の悪い人間には全く意味不明で不愉快です。 | ||||
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トリッキーな展開と錯綜する描写で読者を眩惑する。そして行き着く先は救いようない結末。とはいえ結構冗長で退屈なところもあり、読者の忍耐も試されているのか? まさにすべてが悪夢!! | ||||
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今までになく、引き込まれる内容です。以前より興味があったので購入して後悔していません。 | ||||
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正木博士は現代における精神医学の教授の誰よりも、精神というものを理解していると思います。 精神医学の致命的な間違いは、本著にあるように、意識が脳髄にあるという信仰を誰も疑わなかったという点にあると思います。 この時点で精神医学を諧謔的に、正鵠にコケに出来ている慧眼は驚異としか表現のしようがありません。 今だに脳髄に思考があるとは科学的に証明出来ていないと、果たしてどれだけの人が知っているのでしょうか? この現代と、ひいては未来に対するアンチテーゼをより多くの唯物論「信仰」に囚われた方々に堪能していただきたいです。 | ||||
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一度読んでも理解できず、二度読んだら理解した気になる。 三度読んだらやっぱり理解できていなくて、そこからずっと同じことを繰り返す。 友人と私の共通の評価です。 作者の摩訶不思議な世界観と、何かに取り憑かれたような文章にとても魅力を感じました。 なんとも如何わしい表紙に誘われ手に取りましたが、内容におきましても興味をそそる内容でした。 他の方がお書きになっておりますが、この本に関してはオススメするものではありません。 「珍味」とはうまいことを言ったと思います。 この不思議な世界観を好きな人間にしてみたら、これ以上はない傑作でしょうし、そうではない人にとってみては難解で全く魅力を感じないどころか、読むだけで体力を使うとまで言われてしまいました。 ここまで読む人を選ぶ本も珍しいと思います。 | ||||
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作者渾身の作だけあり、受ける印象のとても強い作。 精神異常、医学、脳、思考、遺伝、呪い・・・医学的であり思想的でありオカルティックでもある。 本作を簡潔に要約し得るかと言えばそうでもない。奇書と言われるのも頷ける。 文体自体は比較的読みやすい。 書簡スタイルで構成されているのだがちょっとクドく感じる部分もあり、全体の長さもあるため 中弛みしてしまって途中で何度か中断してしまいました。記憶喪失の主人公が全ての書簡を 読み終え、事件や物事の真相や自分自身が誰かを推理しだす当たりからはグングン引き込ま れていくのですが、到達するまでが大変。 途中で戻って読んだり、再読したりするのが本書の味わい方であろうと思います。 結局のところ主人公は「知った」以外に何も前進なく、推定でしか自己を定められない。 そしてまた忘れ、繰り返すであろうことを連想させるラストはまるで再読を見据えて構成されて いるとすら感じられる。 それに嵌り楽しめるかは読者次第といったところ。 好き嫌いがハッキリ分かれる書。 | ||||
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作風の幻想的・猟奇的な趣で知られる小説家夢野久作(1889-1936)の作品集、「瓶詰の地獄」(1928年)「氷の涯」(1933年)「ドグラ・マグラ」(1935年)を所収。彼は人間存在そのものに地獄を視る、ぽっかり空いた穴として。なお「ドグラ・マグラ」は、小栗虫太郎『黒死館殺人事件』、中井英夫『虚無への供物』と並び、探偵小説三大奇書と称される。 「氷の涯」 疾走というのは、いつも desperate であって、行く宛先の無いものだ。男女二人の終末の後ろ姿には、そうした何処か乾いた美しさがある。 「ドグラ・マグラ」 暗い闇でしか在り得ない人間の生命の在りようをみごとに抉り出して、背筋を冷たくさせる「巻頭歌」。「脳髄は物を考える処に非ず」と主張して、脳髄を思考の主体と見做す唯物的科学を繰返し批判し、全ての細胞に平等に存する意識・欲望・記憶の媒介であるとする「脳髄論」。そこから導出される本作品中最重要の概念である「心理遺伝」。それを更に敷衍してヘッケルの反復説(所謂「個体発生は系統発生を繰り返す」)を下敷きにした作中論文「胎児の夢」曰く、胎児は胎内に於いて、原始生物から天変地異や自然淘汰を経て人類に進化するまで、そして胎児の先祖が両親に到り着くまで生存競争を生き延びる為に犯してきた無数の罪業を夢として反復するという。こうした、明らかに冗長過剰と云っていいほどの疑似科学的・超心理学的な(殆ど神秘学的な)学説の閑文字の奔流に長時間付き合わされ眩惑させられる。これも本作の仕掛けの一つと云えるだろう。 人間存在とは、自己同一性(I=X or I≠X、理性/狂気、現/夢・・・)すら決定不可能な、無間=夢幻地獄そのものであるところの縁の無い空虚であることを、長大なこの作品の機制自体が【示して(≠語って)】いる。物語は、つまり人間の自己意識とは、無限階層の一部でしか在り得ないことを【示して】、宙吊りのまま断ち切られる。 "・・・・・何もかもが胎児の夢なんだ・・・・・・。・・・・・・俺はまだ母親の胎内にいるのだ。こんな恐ろしい「胎児の夢」を見てもがき苦しんでいるのだ・・・・・・。" 作品内で展開されている「脳髄論」は、自然主義的な「脳による自己知」の論理的矛盾を繰り返し指摘しているのだが、自己知という機制そのものに孕まれている不可能性にまで議論が及んでいないのは何とも残念だ。本作品がそれを主題にしたものとなっていれば、論理学の根本問題を文学的虚構で以て再構成させた傑作となったであろう。メタ・フィクションとは、そうしたロゴス(論理・言語・理性・自己意識)に典型的に現れる自己関係的機制に本質的に胚胎している不可能性を剔抉することにこそ、その表現方法としての存在意義があると私は考える。 "・・・・・・「物を考える脳髄」はにんげんの最大の敵である。・・・・・・天地開闢の始め、イーブの知恵の果を喰わせたサタンの蛇が、さらに、そのアダム、イーブの子孫を呪うべく、人間の頭蓋骨の空洞に忍び込んで、トグロを巻いて潜み隠れた・・・・・・それが「物を考える脳髄」の前身である・・・・・・" ここで「物を考える脳髄」という箇所を、「自己知に於ける自己関係的機制」と置き換えれば、私の原罪に対する解釈と近いものになる。 | ||||
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作風の幻想的・猟奇的な趣で知られる小説家夢野久作(1889-1936)の作品集、「瓶詰の地獄」(1928年)「氷の涯」(1933年)「ドグラ・マグラ」(1935年)を所収。彼は人間存在そのものに地獄を視る、ぽっかり空いた穴として。なお「ドグラ・マグラ」は、小栗虫太郎『黒死館殺人事件』、中井英夫『虚無への供物』と並び、探偵小説三大奇書と称される。 「氷の涯」 疾走というのは、いつも desperate であって、行く宛先の無いものだ。男女二人の終末の後ろ姿には、そうした何処か乾いた美しさがある。 「ドグラ・マグラ」 暗い闇でしか在り得ない人間の生命の在りようをみごとに抉り出して、背筋を冷たくさせる「巻頭歌」。「脳髄は物を考える処に非ず」と主張して、脳髄を思考の主体と見做す唯物的科学を繰返し批判し、全ての細胞に平等に存する意識・欲望・記憶の媒介であるとする「脳髄論」。そこから導出される本作品中最重要の概念である「心理遺伝」。それを更に敷衍してヘッケルの反復説(所謂「個体発生は系統発生を繰り返す」)を下敷きにした作中論文「胎児の夢」曰く、胎児は胎内に於いて、原始生物から天変地異や自然淘汰を経て人類に進化するまで、そして胎児の先祖が両親に到り着くまで生存競争を生き延びる為に犯してきた無数の罪業を夢として反復するという。こうした、明らかに冗長過剰と云っていいほどの疑似科学的・超心理学的な(殆ど神秘学的な)学説の閑文字の奔流に長時間付き合わされ眩惑させられる。これも本作の仕掛けの一つと云えるだろう。 人間存在とは、自己同一性(I=X or I≠X、理性/狂気、現/夢・・・)すら決定不可能な、無間=夢幻地獄そのものであるところの縁の無い空虚であることを、長大なこの作品の機制自体が【示して(≠語って)】いる。物語は、つまり人間の自己意識とは、無限階層の一部でしか在り得ないことを【示して】、宙吊りのまま断ち切られる。 "・・・・・何もかもが胎児の夢なんだ・・・・・・。・・・・・・俺はまだ母親の胎内にいるのだ。こんな恐ろしい「胎児の夢」を見てもがき苦しんでいるのだ・・・・・・。" 作品内で展開されている「脳髄論」は、自然主義的な「脳による自己知」の論理的矛盾を繰り返し指摘しているのだが、自己知という機制そのものに孕まれている不可能性にまで議論が及んでいないのは何とも残念だ。本作品がそれを主題にしたものとなっていれば、論理学の根本問題を文学的虚構で以て再構成させた傑作となったであろう。メタ・フィクションとは、そうしたロゴス(論理・言語・理性・自己意識)に典型的に現れる自己関係的機制に本質的に胚胎している不可能性を剔抉することにこそ、その表現方法としての存在意義があると私は考える。 "・・・・・・「物を考える脳髄」はにんげんの最大の敵である。・・・・・・天地開闢の始め、イーブの知恵の果を喰わせたサタンの蛇が、さらに、そのアダム、イーブの子孫を呪うべく、人間の頭蓋骨の空洞に忍び込んで、トグロを巻いて潜み隠れた・・・・・・それが「物を考える脳髄」の前身である・・・・・・" ここで「物を考える脳髄」という箇所を、「自己知に於ける自己関係的機制」と置き換えれば、私の原罪に対する解釈と近いものになる。 | ||||
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表紙からするとエロティックな内容かと思いきや、 大学教授達の激しく長い真面目なドンチャン騒ぎです。 表紙の女性は内容とは無関係、こんなあべこべな本は初めてです(笑) 昭和初期に書かれた内容にも関わらず、 現代の科学にも通じるところがあり、 著者には未来が見えたのかと驚きました。 個人的にはすごく理解・共感できる内容だし、面白いし、 一生に一度は読んでおいて良かったと思える作品でした。 精神病者の脳内、世界を垣間見ることができ、 キチガイと呼ばれる人々の研究が続き、 どこまで行っても幻想、キチガイ、幻想、キチガイのオンパレード。 でもドグラマグラという題名にしてはまだまだ物足りなさを感じました。 もっとぐるぐるして欲しかった。 | ||||
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昭和初期の探偵小説の枠を逸脱した作品であることはたしかである。たとえば単なる主人公(仮にポカン君としておこう)の一人称小説と思って読んでいくと、その主人公の読む作中作である正木博士のインタビュー記事内に、ポカン君はこう言ってたというポカン君の一人称記述が再び現れ、さらにその中にポカン君の、正木はこう言ってたという記述が出てくる、といったような複雑な入れ子構造は、読者の立ち位置を見失わせ、油断しているとめまいを引き起こすように作られている。作中作である正木博士の遺言が、いつのまにか銀幕に映し出される映画になっていくところなども視点が分からなくなり幻惑させられる。このようなメタフィクション的なあるいはラストにみられる円環小説的な、おそらく周到に用意されたであろう奇怪な構造を持つ小説が、昭和初期のいわゆる探偵小説家の作品として存在するという事実、それはたしかにマニアの心をくすぐるであろう。 だがしかし、奇書として一部のミステリマニアや幻想小説ファンが高評化するのならまだしも、アマゾンでこれほどの数の高評化が並ぶ小説だとはとうてい思えないのである。実際、某匿名掲示板などで本書の話題になると、おもしろくなくて挫折、わけがわからない、チャカポコ、苦痛で最後まで読めない、といったコメントが多く並ぶ。一般的な評価としてはこちらの方が正しいと思う。本作は"昭和初期の奇書"として、その奇書たる所以があまりにもクローズアップされ過ぎ、あの人が良いと言ってるから良い、これを良いと思う自分はなんとなくかっこいい、わからなかったがわからないところがきっと面白い、果ては面白くなかったが面白くないところがきっと面白い、というような悪循環を産み、そして過大評価されるようになっていったのであろう。 興味のある方は購入する前にぜひ一度、青空文庫や立ち読みで内容を確認し、それでも所有する価値があると判断された場合にのみ購入されるとよかろう。みんなが必読書のように崇めているから一度読んでみようと盲目的に購入すると、お金の無駄だったと後悔する可能性のほうが高い。 | ||||
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初めて見た時ですら古色蒼然としたこの本が、キンドルに入っているなんて。文庫で持っていたけれど、 色が変わっていたので捨てました。いつ読むかわかりませんが、持っていたいです。 | ||||
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読んでいて精神がおかしく、、、とかはないのですが、 失礼ながら特に感動したとかそういうこともなかったのです。 途中があまりにも長く飛ばしぎみに読んでしまいました。 いわゆる推理部分はとても面白かったのですが、、、 最も気になっていたラストシーンですが、全く想像していた通りで、正直 なあんだ(-_-;) と、思ってしまいました。 読むのに結構時間を費やしたのでちょっとショックです。 勝手なことばかり言っていますが所詮文学等全くわからない人間の感想なので、戯言程度にお聞きながし下さい。 タイトルの響きがとても好きです(^ー^) | ||||
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正直、内容を理解することは不可能です。ただ、読んでいくうちにこの世界観に引き込まれていくのを感じました。 精神に異常をきたす方もいると聞きましたが、純粋な方や病んでいる時などは、気が狂う感覚を味わえるかもしれませんね。 ただこの作品が映画化され、映像にできることには驚きです。ぜひ映画も見てみたいものです。 | ||||
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