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慈悲深い死



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【この小説が収録されている参考書籍】
慈悲深い死 (二見文庫―ザ・ミステリ・コレクション)

慈悲深い死の評価: 7.00/10点 レビュー 1件。 Cランク
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No.1:
(7pt)

新たなマット・スカダーシリーズの幕開けか?

『八百万の死にざま』で自らアル中であることを認めたマットのその後の物語が本書によっていよいよ動き出した。
在りし日々を振り返った前作『聖なる酒場の挽歌』でも語られていたように既にマットは酒を断っており、AA(アルコール中毒者自主治療協会)の集会に出ては時々司会を務めるようにもなっていた。そこでまた彼に新たな友人が出来る。

1人目はエディ・ダンフィ。AAの集会に出るようになって知り合った男だ。しかし素性は知れてはいないが妙にマットとは話があった。そんな彼が自分の「人には云えない過去」を打ち明けることを決意した時に、不審死を遂げてしまう。

もう1人はウィラ・ロシター。エディのアパートの大家の女性だ。彼女は若き頃に政治活動のグループに所属していた闘士の一人だった。そんな彼女の特殊な価値観と結局離婚した上、そうした活動に虚しさを感じて今の職に就いた。

今までもジャン・キーンのように捜査の過程で知り合った女性と懇意になるのはあったが、ジャンとの別れの寂しさが一層募り、酒を断ったマットは酒へ逃げることができないためか、前にも増して言葉を交わす女性に対して魅かれることが多くなったと述懐する。
そんな彼の前に現れたのがウィラ。昔警察の敵だった女と元警官。そんな奇妙な関係ゆえか、マットはエディの死を探る最中で逢瀬を重ねるようになる。それはかつての恋人ジャン・キーンの時よりももっと親密に。彼女はしかし酒飲みだった。それがマットに3年以上も続いた断酒の意志を削り始める。

今回マットが関わるのは2つの事件。
1つはインディアナ州で車のディーラーを経営しているウォーレン・ホールトキから失踪した女優志願の娘ポーラの捜索。
もう1つは上にも書いたAAの集会で知り合った友人エディ・ダンフィの死の真相だ。

1つ目の事件は意外な形で真相が判明する。前作『聖なる酒場の挽歌』はかつて酒飲みだったマットの回顧録であったが、その中に出てきていたミッキー・バルーなる巨漢の男がこの女性失踪事件のキーを握っていた。

田舎から出てきた女優志願の若き女性の末路としては言葉にならないほど哀しくも無残な結果。都会の片隅ではこんな死がゴマンとあるのだろうか。

もう1つの事件、エディの死の真相も意外だ。ここにもまた心を病んだ者がいる。

しかしこれは非常に危うい物語だ。断酒をして3年以上のマットだが、いつまたアルコールに手を出すのか終始冷や冷やさせられる。
原題“Out On The Cutting Edge”は作中の台詞でもあるように「刃の切っ先に立っている」状態、即ち断酒をしながらもいつまた酒を飲むか解らない不安定な心理状況を謳ったものだ。そして“Out”とはつまりそこから堕ちることを意味している。

そんな彼の前には飲酒で誘う因子が捜査の過程に付き纏う。
例えばミッキー・バルー。アイルランド系の用心棒から成り上がった通称“ブッチャー・ボーイ”と呼ばれたこの男はニューヨークの闇社会でドンと呼ばれる男の1人だが、かつての溜り場での常連だった縁ゆえか、長い間盃を酌み交わす―マットはコーラだが―ことで親密な関係を築き上げていく。
それは酒飲みだけが分かち合える時間と空間。そんな雰囲気がマットに酒への憧憬を甦らせる。

常に果たしてまたマットは酒を口にするのか?
『八百万の死にざま』で前後不覚になり病院に運ばれたマットに待ち受けるのは死であることを知っている読者は心中穏やかでない。

さらにかつては仕事の依頼を受けるとその報酬の1割を通りがかった協会に寄付していたマットだったが、今ではそれを止め、1ドル札に両替し、街行く先で出逢う物乞い達に渡しているのだ。

そんな以前の生活習慣を捨てたマットの物語はまさに新たなシリーズの幕明け宣言と云えよう。

思えばマット・スカダーシリーズは『八百万の死にざま』以前と以後とで分けられるのではないか。
シリーズ全体を読んだわけではないので、いわゆる“倒錯三部作”を読んだ後ではまたシリーズの転換期が訪れるのかもしれないが、それはそれらを読んだ時に検証することとする。『過去からの弔鐘』から始まり『暗闇にひと突き』までのマット・スカダーは警官時代に誤って少女を撃ち殺した自責の念からアルコールに逃げ場を求めながら、人生に折り合いをつけるために人殺しを仕方ないとする人たちを憎んでは断罪していた。

『八百万の死にざま』で初めて自分がアル中であることを認め、そこから古き良き時代を懐古する『聖なる酒場の挽歌』を経てこの『慈悲深い死』からはアルコールを断ったマットが始まる。

私には『過去からの弔鐘』でマット・スカダーという元警官の無免許探偵を見つけたブロックはその後3作の物語でこの男がどんな男なのかを探り、『八百万の死にざま』で彼がアル中でありながらそれを認めようとしなかった弱い男だったことを解き明かす、それがこのシリーズの流れのように思える。
そして『聖なる酒場の挽歌』でアルコールを介して知り合った仲間のエピソードを語ることでアルコールへの未練を断ち切り、過去を振り返っていた男が未来に向けたマットの物語をブロックが進行形で描き出したのが本作なのだ。

過去の過ちから酒に逃げていた男の物語として始まったマット・スカダーの探偵物語。云わばマットと云う人物の根幹を成す設定を敢えて放棄することで物語を紡ぐことは作家にとってかなり大きな冒険であろう。
その後シリーズは巻を重ねていること自体が今さらながら驚かされ、しかもそれらの作品群がシリーズの評価を高めているのだから畏れ入る。逆に枷を着けることで作者のチャレンジ精神が昂揚したということか。
何はともあれ、シリーズの新たな幕明けとなったいわばマット・スカダーシリーズ第2部が楽しみでならない。


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