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運命の倒置法



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【この小説が収録されている参考書籍】
運命の倒置法 (角川文庫)

運命の倒置法の評価: 7.00/10点 レビュー 1件。 Cランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点7.00pt

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全1件 1~1 1/1ページ
No.1:
(7pt)

邦題は誤訳でしょう。勿体ない

相変わらず重い作品だ。見開き2ページにびっしりと文字が詰まり、しかも事件当時の回想と現代の生活が入り混じった時制が混同する複雑な文章で久々に読むのに時間がかかってしまった。

止まっていた時間が動き出す。
10年半前、若い彼らが過ごしたウィーヴィス・ホールで起きた出来事。それは関係者だけの胸に秘め、隠蔽して墓場まで持っていこうと誓った忌まわしい記憶だったが、現在の家主が亡くなったペットを埋葬しようとしたことから文字通り秘密が掘り出される。
そして事件は再び動き出す。

その事件そのものが何なのか、なかなか作者は詳らかにしようとしない。解っているのは若い女性と赤ん坊の物と思われる白骨体が掘り出されたことだ。
まあこの手の話には常套手段であるから仕方は無いのだが、無論の事ながらそれは決して表に出すべき事柄ではなく、人の生き死にが関わった件であろうことは容易に推察できる。

最初は若き家主となったアダムが友人の兄ルーファスを誘って当の館を訪れ、アダムとルーファス、彼の恋人メアリーの3人で共同生活が始まり、資金繰りに困ってウィーヴィス・ホールを若者向けのコミューンとすることで次第に共同生活者が増えていく。そこには精神病院から抜け出したと自称する年齢不詳、しかし明らかに20歳未満の若い女性ゾシーが加わり、薬剤師志望のインド人学生シヴァとその恋人ヴィヴィアンが加わった共同生活が始まる。

10年半前はまだ学生だった彼らは今ではそれぞれ社会人として職を持ち、地位もあり、そして家庭を持っている。
アダムはコンピュータ販売会社の共同経営者として名を連ね、まだ幼い娘がいる。ルーファスは産婦人科医として信望も厚い。インド人のシヴァは薬局店員として働いている。

安定ある生活を得た今、今さらながら掘り出された人骨は忌まわしい記憶を掘り起こすだけでなく、日々の安心を脅かす災厄の種にしか過ぎないのだ。

そんな災厄の種に怯えながらしかし、彼らは過去を覗き見る。自分たちが10年前にウィーヴィス・ホールに居た事実を知る、当時出逢った、出くわした人物たちに思いを馳せながら、敢えて彼らが覚えているか訪ねたりもするのだ。
それは怖いもの見たさという心境なのだろうか?
いやそうではない。若かった彼らが貧しいなりに一つの屋敷で過ごした時間が今や家庭を持ち、夢よりも現実を知らされる日常に辟易している現状をぶち壊してほしいと心の奥底で願っているからではないだろうか?

過去の汚点である人骨の発生から物語はアダムとルーファスの当時の回想を中心にゼロ時間に向かっての経緯をじっくり語っていく。

通常古式ゆかしい屋敷から身元不明の白骨体が現れるというショッキングな導入部から警察の捜査と当時の関係者たちの動向が描かれるのが定石なのだが、本書では全く警察側からの捜査の状況が描かれない。当事者たちの現代の生活と事件発生当時の状況が事細かに書かれ、捜査の進捗に戦々恐々とする登場人物の姿のみが描かれるだけなのだ。
これは本書のテーマが誰もが犯す若いときの過ちにあるからだろうか。誰もが一生悔いの残る行動や思いをした経験があるだろう。それらはしかし大人になり、日々の雑事に忙殺され、結婚、出産といった人生のステージに上がるうちに忘れられていくが、それがある事件で思い出されたのが本書の登場人物たちだ。
アダムたちが金のない中で若者たちが一堂に集い、共同生活を始めたことで巻き起こった2人の死。ほろ苦いというにはあまりに過酷な過ちに対し、護る者の出来た彼らの行動はしかし若いときの行動力には程遠く、そっと静かにしてもらうよう息を潜めて様子を窺うのみだ。
若い頃の彼らと現代の彼らの対比がかつての日々を眩しく思わせ、なんだか寂しくなってしまった。

そして最初の悲劇が起こった時、ぞわっとした。
それまでアダムが愛娘に対して文字通り溺愛し、ちょっとしたことで何か起こったのではないかと心惑わすのは娘に対してこの上ない愛情を注ぐ父親の姿がちょっと極端な方向に針が触れただけで特段おかしなこととは思ってはいなかったが、381ページで明らかになる赤ん坊の死体の真相を知ったことでアダムの取り乱しようの原因が解ったからだ。
この、実に何気ない普通の人の振る舞いと思わされたことにこんなトラウマが潜んでいたことを実にさりげなく知らされるレンデル=ヴァインの物語の上手さ。この陰湿さはこの作家ならではだ(誉めてるんです)。

本書で描かれる過去の悲劇の中心はやはりゾシーだろう。
精神病院を抜け出したと自称する17歳で子持ちとなったシングルマザー。しかし生活能力のない彼女は自分の子を他人へ預けざるを得なかった。

作中一つ心に止まった一節があった。
アダムは赤ん坊の娘を溺愛しており、少しでもおかしいと感じると大騒ぎするのだが、あどけない娘の姿を見てふいに悟るのだ。それまで娘以外の誰かを本当に愛したことがなかったことに。
今まで誰かを好きになることが単に欲望であり、「恋」であったことを悟り、愛とは何かを悟る瞬間。それは私にもあった経験だっただけに不思議と心に響いた。
そして娘に愛を感じるということはやはり自分のDNAを受け継いだ存在だからだろう。配偶者は好きであっても所詮は他人である。その愛情には自分のDNAを共有する存在に抱くそれとは比べものにならない。

さて題名にある倒置法とは国語の時間で習ったとおり、通常「主語+述語」として構成される文章を、語調を強めたり整えたりするのに「述語+主語」と逆さまに表現する手法だ。つまり「あれは何だ?」とするところを「何だ、あれは!」とする文章表現。しかし本作では主人公アダムが言語学に長けた学生だったことから何事にも独特な名称を付けるのが得意だったことに起因し、物語の舞台となる邸宅ウィーヴィス・ホールを若者たちが集う場所として“どこか(Some Place)”の反転語“エカルペモス(Ecalpemos)”と名付けている。本書ではこの反転語を倒置語と誤訳している所から来ている。
本書の構成やもしくは登場人物たちの織り成す人間ドラマが倒置法のような様相を呈していればこれはまた実に含蓄のある邦題になったのだろうが、原題の“Inversion”を単純に「倒置法」として訳していることがそもそも間違いなのだ。正しくは『運命の反転』とするのが正確なのだろう。
それは最後の結末でその意味が明らかになる。なぜなら作者は見つかった若い女性の死体の正体をはっきりと書かないのだから。

これこそ運命の反転。実に上手い題名をつけたものだ、ヴァインは。

さてヴァイン=レンデルの諸作が訳出されなくなって久しい。このような重厚な物語は現在の読者にはなかなか受け入れ難い作風なのだろう。しかし魂が冷える思いをするのはこの作家の作品の最たる特徴であり、この感覚は実に捨てがたい体験だ。いつか再評価の気運が高まり、訳出の再開と絶版作品の復刊と文庫化の推進がなされることを望みたい。


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