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Tetchy さんのレビュー一覧

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レビュー数1426

全1426件 861~880 44/72ページ

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No.566: 1人の方が下記のレビューは「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(3pt)

探偵が多すぎる!

ギデオン・フェル博士となんと短編集『不可能犯罪捜査課』のマーチ警部の共演作。しかしカーの有する名探偵2人の出演は、結局狂言回しに終わってしまったようだ。

出版社を経営するスタンディッシュ大佐の屋敷、グレーンジ荘はポルターガイストが起こる幽霊屋敷と云われていた。そこで休暇を過ごしているマプラム主教、ヒュー・ドノヴァン・シニアが奇行の数々を行っている、その主教が語るにはある夜、隣家のゲストハウスに住んでいるデッピングという老人の下に有名な犯罪者が逃げ込むのを見た、ぜひとも警察と話したいということだった。警視監よりその役目を仰せつかったハドリーは自分の下に訪れたスタンディッシュ大佐と面会する直前、デッピングが頭を撃たれて殺されたとの知らせを聞く。ハドリーはたまたま自分のオフィスに来ていたフェル博士と当地に向かう。

本作はカーの初期の作品―なんとあの名作『帽子収集狂事件』の次に出版されている!―であるのに、本格推理物ではない。フェル博士は終始、推理が空回り、マーチ警部も容疑者スピネリに翻弄されて東奔西走しているだけの無能振りである。

そして象徴的なのが、いやに探偵役が多い事だ。
フェル博士とマーチ警部という二大巨頭に加え、マプラム主教であるヒュー・ドノヴァン・シニアは元犯罪研究家だし、その息子は大学で犯罪学を専攻している刑事の卵、それに加え、スタンディッシュ大佐の出版社お抱えの推理小説作家ヘンリー・モーガン(イニシャルがH. Mというのがまた面白い)まで登場とてんこ盛りである。
ここにいたって気付くのはカーなりに「船頭多ければ船、山登る」を体現したかったのだろうか。大本命であるフェル博士でさえ、真犯人に気付きはするが、仕掛けは失敗している。ごく初期の作品である本書で、既に本格推理小説を皮肉っていたのか?

しかし、とにかく回り道が多く、バランスの悪い作品だった。


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剣の八 (Hayakawa pocket mystery books (431))
ジョン・ディクスン・カー剣の八 についてのレビュー
No.565:
(9pt)

本物が書く本物の物語

惜しくも亡くなられた稲見一良氏の'93年の作品。よくこの人の作品は“男のメルヘン”と云われるが本作もまさにそう。大学の頃に読んだ『ダック・コール』の煌きが蘇る。

今回収められた作品は5編。
駆け落ちした女との逃亡途中の男と束の間の休息と食事と癒しをもたらす老人との出逢いの一時を描いた「焚き火」。
雑誌のカメラマンが作家のエッセイを飾る写真を撮りに訪れた花見川で遭遇する軍用鉄道の幻を描く「花見川の要塞」。
ミッションで空撃を受け、車輪が出なくなった爆撃機ジーン・ハロー。胴体着陸をすれば機体下部の銃座にいる仲間が死んでしまう中での奇抜な着陸の顛末を語る「麦畑のミッション」。
「終着駅」は37年間、東京駅の赤帽を勤めてきた男が、ふとしたことから大金と遭遇する事で、ある決断をする話。
そして表題作「セント・メリーのリボン」は猟犬の探索を生業とする猟犬探偵竜門卓の話で、狩猟中に消えた愛犬の奪還の話と盲導犬の奪還の話が語られる。

今回目立ったのは物語が途中から始まる作品が多かった事。というよりもウールリッチの短編に特徴的に見られた、1つの大きな物語の断片を切り取って語っている手法で物語自体に決着がついているというものではないこと。特に「終着駅」はやくざの金を盗んだその後が非常に気になるが、稲見氏は赤帽の杉田雷三という男がある決断をする1点のみを語るに過ぎない。そこから先は読者に任せるとでも云っているかのようだった。

冒頭の1編「焚火」も駆け落ちした男の物語としてはエピソードのうちの1つに過ぎない話なのだが、これもそこ1点に集約してそこから拡がる物語を語っているかのようだ。

表題作は主人公竜門卓が明らかにフィリップ・マーロウをモデルにした不屈の騎士(卑しき街を行くではなく一人孤独に山野を駆ける)として描いている。粗にして野だが卑ではないという言葉を具現化した人物像になっており、非常に魅力がある。特に狩猟と犬に関しては作者の確たる知識・経験が色濃く反映されており、自然体であるがゆえに本物が書く本物の物語といった感じがした。
その反面、盲導犬の件は作者自身も詳しくはなかったのだろう、明らかに作者が取材し、対面した人物をそのまま頂いたという感じで素人じみた書き方になっている。しかしここでもリチャードという老人の造形が際立っており、稲見氏の技量が遺憾なく発揮されている。特に盲導犬窃盗の犯人側の事情も心に傷みを伴うものであるのが上手いと感じた。最後の竜門の不器用さも含め、心に残る作品だ。

「麦畑のミッション」はもろ映画『メンフィス・ベル』だ。結末は容易に予想つくものの、ここでは戦争物も飛行機の装備や操縦技術などの専門知識の精緻さも含め、この人の底知れない懐の深さに唸らされる。物語も麦畑同様、豊穣この上ない。

一番好きなのは実は「花見川の要塞」。花見川にそれと気付かないほど朽ち果てた軍用鉄道の線路とトーチカがあるという設定で子供の頃に作った秘密基地を思い出させてくれたし、なんせ戦争中の軍用鉄道が目の前で蘇り、しかも年代物のライカと古いフィルムで撮影が出来たというおまけも含め、これぞ男のメルヘンだ。時間を忘れた読書だった。

稲見作品の特徴として野外の食事の描写が挙げられる。素朴で粗野な食事をなんとも上手そうに描写する筆致はこちらの涎を誘う。そして野鳥がモチーフとして出てくる事。この野鳥に対する愛情が行間から滲み出てきている。いや、野鳥だけでなく食事の件も含め、自然への愛情と敬意がそこはかとなく心に染みゆく。

とにかく全てが色彩鮮やかだ。風景も物語も。
私は今回、稲見氏の作品を読んで日本のマーク・トウェインだと思った。作品数は非常に限られているので一度に読まず、また数年後、出逢う事にしよう。

セント・メリーのリボン 新装版 (光文社文庫)
稲見一良セント・メリーのリボン についてのレビュー

No.564:

廃流 (広済堂文庫―異形招待席)

廃流

斎藤肇

No.564:
(7pt)

最後の花道

佐久諒矢は小学生の頃、雲土の峠を友達同士で雲土の峠を登ろうとしていた際、休憩した付近で遭遇した奇妙な家でこの世のものとは思えない美しい少女と出くわす。しかし少女はうっすらと光に包まれながらも下半身は壁に溶け込んでいるという不思議な風貌をしていた。
10年後、各地で若い女性が体の一部を切り取られ死亡するという奇妙な事件が田山市で続発する。しかしそれは後に繰り広げられる奇妙な生命体が起こす惨劇の幕開けに過ぎなかった。

今回の話を読んで頭に浮かんだのはクーンツの『ファントム』とB級ホラー映画『ブロブ』だ(あとは『千と千尋の神隠し』のカオナシか)。最初は下半身が無くなる女性の事件から耳、腕、頭髪、頭と続く。この一連のエピソードが淡々とあくまで控えめな視点で語られる。今までの斎藤作品とは一線を画す素晴らしさで、非常に面白く読めた。
最初は小さなアメーバだったそれは人体の一部を搾取するだけだったが、次第に人体そのものを取り込んでいき、どんどんでかくなっていく。最終的には街を埋め尽くす光を放つ生命体にまで発達する。さてこういう大風呂敷を広げる話は大好きだが、読中気になるのはその収束方法。特に今回は銃弾はおろか麻酔弾も効かない、爆弾を仕掛けると細かく分裂して被害が拡大する恐れがある、あまりに大きすぎるために焼き払うことも出来ないという無手策ぶり。これを倒せるのは何の変哲も無い学生、佐久諒矢のみ。
どうやって倒すのだろうと思っていたら、危惧したとおり呆気なかった。

しかしこの生命体を軸に色んな立場、職業の人物を描いて群像劇を紡ぎだした手腕は買う。一番心に残ったのは掃除おばさん谷岡福子夫妻の逃亡劇の話。いち早く他人よりも逃げる事が出来たにもかかわらず、夫が預金通帳を取りに帰るなどという詰まらぬ事にこだわったがために申し訳なく思っている表情とそれに対する福子の最後の台詞。このエピソードは怪物が出てこようが人間っていうのは意外にそんなものなんだと感じさせる。

そんな斎藤作品も今回で打ち止め。しかし最後の最後で彼のいい仕事に出逢えた。


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廃流 (広済堂文庫―異形招待席)
斎藤肇廃流 についてのレビュー
No.563:
(7pt)

チャーリー・マフィン再登場!

チャーリー・マフィン再登場!原題は文中にも出てくる『拍手で迎えよう、チャーリーの再登場を』(私なら『拍手喝采、チャーリー様のお出ましだい』と訳すが)で、こちらの方がチャーリーの人を食った性格を表しており、邦題よりも相応しいと思う。

さて今回は前作『消されかけた男』の続きから物語は始まる。英国情報部とCIAをまんまと出し抜いて大金をせしめて逃亡したチャーリーはスイスはチューリッヒにいた。悠々自適な逃亡生活を送るかに思えたチャーリーだが、実際は追っ手からの目に怯える毎日を送っており、妻イーディスも暗鬱な逃亡生活に疲弊していた。
酒に溺れる日々の中、チャーリーは慕っていた前上司アーチボルト・ウィロビーの墓参りをしに英国を訪れることを思い立つ。制止する妻の忠告を聞かずにウィロビーの墓を訪れたチャーリーは大きな声で自分を呼ぶ男と遭遇する。それはウィロビーの息子ルウパートだった。ルウパートはチャーリー同様、父を閑職に追いやった今の英国情報部を嫌悪しており、チャーリーを英雄視していた。ウィロビーが遺言で彼の遺産の一部をチャーリーに残した旨を話し、協力を申し出る。しかし、それら一連の出来事は新任英国情報部長ウィルバーフォースと新任CIA長官スミス、ならびに彼らの前任者カスバートスン、ラトガースの知るところとなり、チャーリー抹殺の罠を仕掛けるきっかけになってしまう。

前作に比べると本作は小粒な印象を受けてしまう。今回は逃亡者としてのチャーリーの緊張感を軸にしてチャーリー抹殺のための英国情報部とCIAの丁々発止のやりとりを描いているのだが、プロットがストーリーに上手く溶け込まず、あざといまでに露見しているきらいがあり、チャーリーが逆転に転じる敵側のミスがあからさま過ぎるのだ。チャーリーを罠にはめるべく敵側が取った方法が銀行強盗であり、その被害届のために英国に戻らざるを得なくなるという設定は素晴らしいと思ったが、そのあとのロシアの美術館からのレプリカの美術品を盗む展開は、保険引受人であるルウパートを巻き込んで破滅させようという動機があるものの、やはり蛇足だと思う。

2作目を読んで、チャーリー・マフィンシリーズは海外の連続ドラマ方式の手法を取っていると感じた。1話1話にヤマ場を用意するために誰かが死んだり、登場人物の血縁が登場したりという手法がぴったり当てはまるかのようだ。
それに対して否定はしない。十分及第点の楽しみは得られるからだ。
チャーリーの今後を一読者として見守っていこう。


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再び消されかけた男 (新潮文庫)
No.562: 1人の方が下記のレビューは「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(1pt)

奇を衒いすぎ

前回の事件の活躍で名探偵として知られるようになった学生大垣洋司の下に依頼人が訪れる。それは政界の黒幕と云われる高槻貞一郎の秘書である新津省吾という男で、高槻氏の下に脅迫状が届いた、それは4人の人間の殺人を示唆する内容だったので未然に防いで欲しいという依頼だった。大垣は先輩で名探偵である陣内とともに大槻邸を訪れる。そこは直径約200メートルの芝生の真ん中にゆっくりと回転する御堂が設えられ、その四方に館が4つ点在する奇妙な場所だった。そこで高槻の依頼を受けた1時間後、高槻が絞殺死体となって発見される。それは奇妙な事に脅迫状の文言と一致していた。早すぎる死。しかしこれは連続殺人の幕開けに過ぎなかった。

う~、ダメだったわ、これ。あまりに素人じみた文体と本格推理小説の定型を破ろうと努力する痛々しさが行間から立ち上ってきて見苦しさを感じた。
依頼人が会って1時間後に殺される、360ページ強の内容において80ページあたりで早々と挿入される読者への挑戦状(文中では宿題)、探偵の事件放棄など目新しさを狙った努力は解るが、それらがあまりにもぎこちなく感じて物語の腰を折っている感じがした。

登場人物それぞれに魅力がないのも痛いし、なによりも小説を読む物語の醍醐味というものが皆無だ。先日読んだ有栖川作品と比べると雲泥の差が歴然と解る。あまりに登場人物を駒として動かしすぎである。だから感情移入さえもできないのだ。
また犯人は思ったとおりの人物だったし、下世話なライトノベル調文体が妙に鼻につくし、苦痛を強いられた読書だった。


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思いがけないアンコール (講談社文庫)
斎藤肇思いがけないアンコール についてのレビュー
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(1pt)

付き合いきれないわ

大脳生理学者須堂の研究室に助手、牧場典子より「恐怖の問題」という巷で話題になっている都市伝説が持ち込まれる。それは男女もしくは隣人があまりの面白さに狂気に駈られる問題を取り合いになって墓地で取っ組み合いの殺人事件になるという話だった。そんな中、静岡で大地震が起き、崩れた墓場の近くから男女のものと見られる白骨死体が発見される。果たして都市伝説「恐怖の問題」は実話なのか?またその頃、詰将棋を勉強していた須堂の元に親しい藍原教授から詰将棋の盗作の話が持ち込まれるのだった。

竹本健治氏の独特の云い回しにははっきりいって疲れた。雰囲気重視の作家なだけに使用する単語にこだわりが強いのも解るが、独り善がりが過ぎる。この手の幻想小説風味が当方に合わないのも一因だが、読み取りにくい上に、モジュラー型の本格推理小説の形式であるから、なおさら理解しにくい。多分二度目に読むと各章が何を指しているのか解るだろうが、あいにくこちらはそんなに暇じゃない。

真相は大脳生理学者の須堂が解き明かすに相応しいテーマであり、発表された当時'81年の作品としては極めて斬新であった事だろう。しかしただその1点のみ評価が出来るだけで、それ以外は付き合いきれないなぁ。


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将棋殺人事件 (講談社文庫)
竹本健治将棋殺人事件 についてのレビュー
No.560: 5人の方が下記のレビューは「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(8pt)

大学時代を思い出すぢゃないか

英都大学推理小説研究会は夏合宿と称して矢吹山のキャンプ場を訪れた。そこで偶然知り合った雄林大学のサークル「ウォーク」の連中、同大学の同じゼミ仲間の1グループ、そして神南学院短期大学の3名と共にキャンプを行う事になった。出遭った者達が親しくなるに連れて別れを惜しむようになり、有栖川たち英都大学の連中も含め、もう1日、延泊する事にした。しかしその夜、矢吹山が200年ぶりに噴火を起こし、下山できなくなってしまう。密室と化したキャンプ場でまず失踪者が現れ、第1の殺人が起こる。しかもその死体の指先には土に書いたYの字が。この事件を皮切りに連続悲劇の幕が上がる。

今まで素人の投稿作品のアンソロジーを読んできたために、このデビュー作における有栖川氏の非凡さが大いに引き立った。このリアリティは何だろう?
また内容も題名に「ゲーム」の名を冠しながらも、単なるパズルゲームに終始していない。総勢17名の登場人物はそれぞれ個性を発揮して単なる駒に終わっていないし、殺人事件が起こることに対する登場人物らが抱く心情も丹念に叙述し、読者の共感を促している。特に理代の次の台詞、「死ぬにしても……誰か以外のみんなは……楽しい人たちやったって……それを、私、知りたい……」はかなり心に響いた。こんな風に小説全体にこの作者特有のペシミズムが流れているのだ。それに加え、大学生という設定による社会人になる前の青臭さが新鮮で、旅先のラヴ・アフェアなどの恋愛も絡ませて一種の青春小説の様相を呈しているのも好印象だった。大学時代を思い出してしまった。

更に評価すべきはいわゆる「雪の山荘物」のヴァリエーションとして山の噴火を単純に設定しただけでなく、事件の真相に大いに寄与させているのが技巧の冴えを感じた。奇抜さだけで終わっていないのだ。
幕間に挟まれたマーダー・ゲームのエピソードなどもこの作者の推理小説(ミステリ)への愛情を窺わせる。

さて本書は読者への挑戦状が織り込まれている。チャレンジした結果、犯人は外れたが真相は十分納得いくものだった。今なお本格ミステリシーンの第一線で活躍するこの作家の才能の片鱗が窺えるデビュー作だった。


月光ゲーム―Yの悲劇’88 (創元推理文庫)
有栖川有栖月光ゲーム Yの悲劇'88 についてのレビュー
No.559: 1人の方が下記のレビューは「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(7pt)

田中氏が書けば中国風味が加わる

通常、映画のノヴェライズは手に取らない私。しかしその作者が田中芳樹氏だと聞くと気になり、思わず買ってしまった。このあまりに知られた物語をどういう風に料理するかに興味を覚えたからだ。

いやあ、実に田中芳樹氏らしい作品だというのが正直な感想。登場人物の台詞が田中特有のアイロニックな云い回しとハリウッド・テイストとぴったりマッチングしており、全然違和感ない。逆に映画という時間制限で極限に絞られた条件の中でこの部分の台詞はどのように表現されているのかと気になるくらいだ。つまり田中氏の台詞こそが映画に相応しく思えるのだ。
また映画の舞台となる1933年当時の歴史背景・風俗背景も丹念に書かれており、これが非常に臨場感を増している。この辺は正に彼の得意とするところで、面目躍如といった感じ。田中氏の悪い癖の1つに歴史的なエピソードに懲りすぎてストーリーの進行がおろそかになることが挙げられるが、今回はほどよい匙加減で、抜群に雰囲気を引き立てている(特に当時の大統領のエピソードやアル・カポネが逮捕された時はまだ32だったなんていうエピソードなどの薀蓄は楽しかった)。

そして今回最もこの作品を手に取るにあたり、ぐいっと興味を惹きつけられたのは「King Kong」という名前の由来が中国語から来ているというエピソードだ。これはどうやら田中氏の創作ではないかと思うのだが、このエピソードこそを得た事で中国好きの田中氏との強固たる絆が出来たことを確信した。(本書を読んだ時点では)映画を観ていないので憶測になるが、キング・コングの棲む島がダイヤモンドの原石の山だという設定は恐らくこのエピソードから膨らませた田中氏のアイデアだと思う。

ともあれこれを読んだがために非常に映画を観たくなった。忘れていた細部が補完されたため、そのスケールの大きさを痛感させられたので、是非とも映画館の大スクリーンで体験したい。
状況が許せばの話だが(その後DVD借りて観ました)。

キング・コング
田中芳樹キング・コング についてのレビュー
No.558:
(4pt)

人を殺す部屋という魅力的な謎の割には…

実業家マントリング卿の屋敷では「後家の部屋」と呼ばれる開かずの間があった。その部屋で1人で過ごすと必ず亡くなってしまうという呪われた部屋で150年間で4人が犠牲になっていた。アラン・マントリング卿はゆかりの者達にくじ引きで当たった者が2時間過ごしてみるというゲームを行う事にした。
客人として訪れていたベンダーが当選者となり、その部屋で2時間過ごす。15分おきにドア越しから返事が聞こえていたのだが、2時間後部屋を開けるとベンダーは絶命していた。しかも死亡推定時刻は1時間以上も前だという。死体は毒殺の体を成しており、毒もクラーレというアフリカの原住民が吹矢に使用するもので、服用しても何ら危険は無く、皮下注射などで直接血液に混ざらないと効果が出ないものであった。事件に立ち会ったH・M卿も困惑する中、第2の殺人が起きる。

人を殺す部屋とか昔の毒針仕掛け箱の話などガジェットは非常に面白いのだが、いかんせん冗長すぎた。シンプルなのに、犯人が意外なために犯行方法が複雑すぎて、犯人を犯人にするがためにこじつけが過ぎるような印象を受けた。




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赤後家の殺人 (創元推理文庫 119-1)
カーター・ディクスン赤後家の殺人 についてのレビュー
No.557:
(8pt)

シリーズ化されているのが不思議な結末

原書が刊行されたのが'77年、訳出されたのが'79年。40年近くも前の作品である。確かに携帯電話とかインターネットとか無い時代で、ローテクであるのは致し方ないが、この頃の小説はひたすらキャラクターとプロットの妙味で読ませている。つまり作家としての物語を作る技量が高く、本書が放つ輝きはいささかも衰えているとは思えない。

本書の主人公チャーリー・マフィンはかつてロシアのスパイ網の大元であるベレンコフの逮捕という快挙を成しえたベテランの切れ者スパイ。15年も第一線で働き、無事にいるというプロ中のプロだ。しかしそのうだつの上がらない風采と、異動で新しく来た軍人出身の上司カスバートンとの反りが合わなく、ベルリンでのミッションでは暗殺されそうになる。無事に帰還したマフィンを待ち受けていたのは降格と減棒と事務員への異動だった。
そんな中、英国情報部ではベレンコフの次の大物カレーニンの亡命の情報を入手していた。カスバートンは自分の子飼いの部下ハリスンとスネアをカレーニンの下へ送り、接触をさせるが、ハリスンは処刑、スネアは逮捕され、獄中で発狂してしまうという失敗を重ねていた。そこで苦々しくもカスバートンはマフィンにカレーニン亡命を助ける事を任命する。

これはチャーリー・マフィンシリーズの第1作である。この第1作を読んで、これがシリーズ物になるのかと正直驚いた。それほどびっくりする結末である。
この結末を読むとチャーリーが色んな人と交わす会話、地の文に現れる独白が別の意味を持ってくるから面白い。この結末を前提にもう一度読み返すのも一興だろう。

そして興味深いのはニュースで報じられる政治ニュースの裏側を垣間見せてくれる事。特に各国首脳の訪問にはかなりパワー・バランスが作用しているのだという事を教えてくれた。本書ではCIAがカレーニン亡命劇に一役買うことが出来なくなりそうになると大統領の各国訪問から英国を外すように働きかけ、情報部へ圧力をかける件はなるほど、こういう駆け引きが裏に隠されているのかと感心した。

私がこの本に手を出すまでに想像していたシリーズの展開は本書の結末によって、もろくも崩れ去り、次回からどのような展開になるのかが全く想像つかなくなった。非常に次作が楽しみだ。

消されかけた男 (新潮文庫)
No.556:
(7pt)

青木知己氏の才能に感服

今回のアンソロジーで際立っていたのは投稿者の文章力の向上。ほとんどがプロと比肩して遜色がない。いや、名前を伏せて読めばプロ作家のアンソロジーだと勘違いしてしまうだろう。
これは神経質なまでに原稿の字組から指導した編者二階堂黎人氏の執念の賜物だろう。ただプロとアマとの大きな隔たりがあるのは否めない。それは過剰なまでの本格どっぷりに浸かったパズル志向である。その最たるものは「水島のりかの冒険」と「無人島の絞首台」と「何処かで気笛を聞きながら」である。

まず「水島のりかの冒険」は留学先のボストンで知り合ったカップルが新婚旅行先のホテルで殺人事件に出くわす物語。(感想はネタバレにて)

次の「無人島の絞首台」はインドネシアに旅行で訪れたカップルが事故により無人島に漂着し、サバイバルの日々を送るうちに、あたかもつい最近処刑が行われたかのような痕跡があった絞首台を見つけ、他人の存在に恐々とする話。これは無人島に漂流したという内容だけで50ページ以上も読ませる筆力は素晴らしいと思う。

そして「何処かで気笛を聞きながら」は幼い頃、誘拐された話を聴いていた夜ノ森静が、そのわずかな手掛かりからどこで起きた事件であるかを探り、命の恩人を探し出すというもの。これはもはや鉄道マニアのためのミステリで、常人にはこの謎は解けません。

この3作品に共通するのは100ページの短編の中にアイデアを詰め込みすぎていること。上にも上げたようにモチーフとなった作品はいずれも長編である。ワンアイデアを借りているだけという意見もあろうが、読んでいる身にしてみれば作者の言葉遊びに無理矢理付き合わされている感じは拭えなかった。

そんな中、傑作といえる作品が「コスモスの鉢」、「モーニング・グローリィを君に」、「九人病」の三作品。

「コスモスの鉢」は半身麻痺の資産家が自宅の2階から落ちて死亡する事件が起き、その事件の容疑者となった妻を検事不二子が調査するといった話。
平凡な事件に少ない登場人物。はっきり云ってこの作品は地味なのだが、地味な分、足元がしっかり地に着いており、読み物として濃い味わいがある。もちろん本格推理を募集したアンソロジーだからトリックはある。それが地に足が着いた検事を主人公にした話と違和感無く融合する程度だから、さほどすごいものではないのだが、場面展開といい、話の合間に挟まれる人物描写や検事の仕事の解説といい、全てが読ませる。

「モーニング・グローリィを君に」は今までも「窮鼠の悲しみ」、「金木犀の香り」と全て私がベストに推している鷹将純一郎氏の作品。
介護のバイトをしていた女子大生が介護先の老人の家で強姦の末、殺されるという事件を長きに渡って捜査する刑事と介護されていた老人たちの物語。
今回の事件の真相は実はほとんど推理できた。にもかかわらず優秀作に推すのはこの人の文章のためである。濃密でドラマ性があり、人間ドラマが際立っており、非常に読ませる。ただ本格に拘泥するあまり、最後に出てくる車のトランクの中での機械トリックが非常に浮いた感じがする。この人の本質はこんなトリックにないと思うので活躍の場を移せばいいのにと強く思った。

そして今回のベストは「九人病」。この作者青木知己氏も過去に名作「Y駅発深夜バス」と佳作「迷宮の観覧車」を送り出している優れた資質を持った人だ。
雑誌社に勤めている和久井が特集記事の取材のため訪ねた北海道の辺境の温泉で相部屋となった男から聴いた四肢が抜け落ちるという奇病「九人病」のお話。
この作品、純粋な意味で本格ミステリではなくホラーだろう。しかしそんな事がどうでも良くなるほど面白い!まず「九人病」というネーミングが秀逸で、なんとも読書意欲をそそられる。そして土俗ホラーの陰鬱な文章とこの九人病のアイデアが素晴らしく、読んでいて非常に楽しかった。これぞ物語の醍醐味である。

そして今回、今まで二階堂黎人氏が望んでいた「空前絶後の推理小説求む!」の声に応える作品が来た。その作品、高橋城太郎氏の「蛙男島の蜥蜴女」と「紅い虚空の下で」はそれぞれ蛙の面を被った男たちの住む島で起きた蜥蜴女の殺人事件とスカイフィッシュ(作中ではメタルフィッシュ)が人間界で起きた殺人事件を解くといういずれも幻想小説テイストの作品。漫画『ジョジョの奇妙な冒険』を思わせるアクの強い文章(きっとこの作者は荒木飛呂彦のファンですな)とピーター・ディキンソンを思わせる悪夢のような作品世界は非常に読者を選ぶ。つまり二階堂氏が望んだ小説がこういうのだということが解り、がっかりした次第だ。

このシリーズは決別の意味を込めて今まで読んできたのだが、この高橋氏の作品に対する編者の喜びを読んで、その意を強くした。
しかしこのアンソロジーを読むことは決して無駄ではなかった。特に二階堂氏に編者が代わってからのこのシリーズの充実振りは目を見張るものがあった。このアンソロジーからデビューした作家が私の今後の読書体験の線上に上る事を願いつつ、このアンソロジーから本書を以って別れを告げたい。


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新・本格推理〈05〉九つの署名 (光文社文庫)
二階堂黎人新・本格推理05 九つの署名 についてのレビュー
No.555:
(10pt)

夜の切なさに包まれるかのよう

妻アルバータを「天使の顔(エンジェル・フェイス)」と呼んで愛でる夫カークはいつの頃か、妻をそう呼ばなくなった。妻は気付いていた。夫が浮気している事を。しかしいつか夫は戻ってきてくれるものだと信じていた。
だが夫が荷造りをしたスーツケースを隠しているのを知ったアルバータは浮気相手である女優ミアのところへ怒鳴り込んでいく。しかし既にミアは死体となっていた。そして挙げられた容疑者は夫カーク!アルバータはミアのノートに記されていた4人の男と接触し、夫の無実を証明する証拠を摑もうとするのだった。

泣けた。静かに泣けた。夜の切なさに包まれたかのようだ。やはりウールリッチはすごい。

『喪服のランデヴー』に代表される連作短編集のように物語を紡ぎだすウールリッチのスタイルは健在。今回は夫の冤罪を晴らすべく浮気相手の4人の男と妻アルバータの物語として描かれる。
1人目はミアに魂を抜かれた元夫で人生のどん底の貧民街で暮らす男の話。次はミアを麻薬の運び屋に使っていた違法医師の話でスリラータッチのこの話がもっともぞくぞくした。3人目の男は資産家の遊び人だがとても魅力的な男との話。そして最後の男はナイトクラブを経営する裏稼業に足を突っ込んだ男の話。

最初の2人目まではおろおろしながらも勇気を振り絞って犯人かどうかを探る初々しさと危うさが出ていたアルバータだが、3人目からは百戦練磨の女詐欺師の如く、恋は売っても愛は売らず、冷えた頭で犯人かどうかを洞察する女性に成長しているのが面白い。そして一人称で語られるがゆえにその人と成りが実は男を狂わすほどの美貌を持っている事を徐々に悟らせる事となる。
アルバータという主人公の魅力はこの美貌を備えているのにも関わらず、天使の如く純粋な心を捨てきれないところにある。浮気をした夫を刑務所から出すために犯罪まで犯す彼女の不器用なまでの純粋さは、夫の愛を超えた女の意地というものも感じられ、興味深い。

特に白眉なのは3人目の男、ラッド・メイソンの章である。この男は心底アルバータを愛し、またアルバータも心を許した存在となる。しかし彼女は彼が犯人でない事を知ると去っていくのだ。犯人でない事を願いつつ、それが証明されると去らなければならないジレンマ。お互いが魂で通じ合っているのに女だけが始まった時から別れがあるのを知っているという事実は胸を苦しませる。
しかし自分が窮地に陥ったときに助けを求めたのが彼だったことから、深く愛していた事を知る。そして衝撃の事実と結末。切ない。切なすぎる。
メイソンの喪失感は特にふられた事のある者―特に男(もちろん私もそう)―なら痛切に判るだけに胸に鉛のように沈み込んでいく。

そして今回は今まで以上に特に名文が多かったと感じた。ところどころではっとさせられた。
そんな数ある名文の中から最も印象が残ったのはこの文章。

「(前略)ただ上を見るだけ―」(中略)憶い出が行く場所は下ではなく、上なのだ。

私はこの文章にこう続けたい。

だから私は上を向く。でないと涙がこぼれてしまうのだ。

誰もがロマンティストになる小説だと思った。本当にウールリッチは素晴らしい。

黒い天使 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
コーネル・ウールリッチ黒い天使 についてのレビュー
No.554:
(7pt)

なんだかんだで泣かされます

正直云って、島田荘司氏は迷走してます。皆が云うように島田信望者に祭り上げられて浮かれていたんではないだろうか?そう思わざるを得ない今回の作品集。
なんせ御手洗潔が幼稚園児のときと小学2年生に既に刑事事件を解決していたというお話である。特に御手洗潔が幼稚園児のときの話「鈴蘭事件」では、幼稚園児にして明察な頭脳と観察力を持っていたという設定で、もはや小説中の人物でしかありえないスーパーマンぶりにがっかりした(なんせ幼稚園児の時点でモーツァルトを弾き、因数分解をしていたというから驚きだ)。もう何でもいいや、何が来ても驚かないぞという感じがした。

里美の大学に幼少時代の御手洗の写真と彼を語った文章が記された資料があるとの知らせから始まる「鈴蘭事件」は当時御手洗を好いていた女の子、鈴木えり子の父親が事故死した寸前、彼女の家のお店であるバーの透明グラスのみがことごとく割られているという事件を扱っている。

御手洗潔小学2年生の時の事件は表題作「Pの密室」。横浜市長賞という小・中学生を対象に毎年開かれる絵のコンクールの審査員をしている画家、土田富太郎が自宅で殺されるという事件が起きた。しかも現場は密室で愛人と噂されていた弟子の天城恭子とともにめった刺しにされ、絶命していたという。しかも奇妙な事に室内にはびっしりとコンクールの応募作が敷き詰められ、それら全てが真っ赤に染められていたというのだった。
小学2年生の時点で御手洗潔が事件の全容を最初から掴んで、刑事達を煙に巻いている、しかも刑事の中には協力的なものもいる、この現実性の無さというか、ご都合主義に呆れた。もしこれが「鈴蘭事件」同様のただの本格推理小説ならば、今回は5ツ星だったろう。
しかし、またしても島田氏のストーリー・テラーの才能にやられた。これがあるから島田氏は見捨てられないのだ。

題名の「Pの密室」の意味はパズラー純度100%だが、犯人の事情はまたしても私の心に残るだろう。よって+2ツ星の7ツ星としよう。


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Pの密室 (講談社文庫)
島田荘司Pの密室 についてのレビュー
No.553:
(5pt)

ちょっと低空飛行気味

う~ん、前作品集で小貫風樹氏という才能が出てきたことで俄然このアンソロジーのシリーズのレベルが上がったと思ったのだが、今回は退化した印象は否めない。全体的に小粒というか二番煎じのような印象を受けた。
というのも今まで採用された作者の作品が載っているのだが、それらの作品の傾向が前作と似ており、アレンジが違うだけとどうしても思ってしまった。どの作品も諸手を挙げて絶賛できるものでもなく、何らかのしこりが残るので、カタルシスまで届かないのだ。

本作品集で秀逸だったと思うのは、「迷宮の観覧車」、「殺人の陽光」、「ありえざる村の奇跡」、「金木犀の香り」の4編。しかしそのどれもがしこりが残る。

まず「迷宮の観覧車」。観覧車に乗った釣り人が降りてくる時には背中を刺され、血まみれになって横たわり絶命していた。しかも両手の指全てが切り取られた形で。11年後、ある学校の転校生が転校二日目から登校拒否をしていた。担任である若い女性教師家庭訪問に訪れるとその生徒が住むマンションは事件の起きた観覧車が見渡せた。過去の事件と何か関係があるのか?
この作者は前巻で「Y駅発深夜バス」が掲載され、『世にも奇妙な物語』を思わせる冒頭から一転して意外な真相へと繋がるという秀逸な作品を残していたのだが、今回はあまりにも人間関係の偶然が重なっていると思った。出来すぎたドラマのようだといわざるを得ない。そのせいで衝撃をもたらすと用意していた結末が逆に陳腐に感じたし、やりすぎだなと辟易もした。

次に「殺人の陽光」。青年実業家が全身に画鋲を打たれた上に出刃包丁で心臓を一突きにされるという殺人事件が起きた。非常勤のソーシャル・ワーカー綿貫の元に3ヶ月ぶりにカウンセリングに来た鶴岡愛美は自分の父親がその犯人だと云う。しかし父、栄司にはアリバイがあった。
この作者も過去に作品が掲載されており、そのどれもが高水準で、印象に残っている。特に文体が非常に引き締まっており、今回もその例に洩れず、全体を通して大人の小説だという香りが漂っている。それがためにちょっとおおげさな機械トリックがアンバランスで失望を禁じえなかった。全てを語らず、態度や描写で示す筆致はもはやプロ級なのに、惜しい。

そして「ありえざる村の奇跡」。岩手県の寒村で高さ100mの風車の上で生首が見つかるという事件が起きた。死体の正体はその村にUMAが現れるという知らせを受け、取材しに来たTVディレクターだった。そのUMAは高さ7mの窓を乗越え、100mを5秒台で走り、50mを15秒で泳ぐという。
この作者、島田氏の『眩暈』がよほど気に入っているのか、前作「東京不思議DAY」という作品で不思議な手記を用いた作品を書いていたが、今回もその趣向で、さらにグレードアップして臨んでいる。この目くるめくおかしな手記の連続は悪夢を見ているようだったが、最後に解き明かされる真相はなかなか面白かった。

最後に「金木犀の香り」。医者である異母兄の葬式で実家を数年ぶりに訪れた私は中学時代にほのかに恋心を抱いた女子中学生に思いを馳せる。しかしその女子中学生は当時公園で他殺死体として発見された。あの事件の犯人は一体誰だったのかと私は思い出とともに推理を巡らす。
ノスタルジーというかペシミズム溢れる筆致は読ませるが、あまりに内省的な内容は作者自身のセラピーを付き合っているようでちょっと疲れる。この家庭内の悲劇を語る感傷的な筆致といい、二転三転する過去の殺人事件の真相といい、もろ作者はロスマクを意識しており、文体の与えるノスタルジーとは裏腹に語っている内容は結構ドロドロだった。しかし目立った瑕はなかったし、これが本作でのベスト。

この4編を特に評価するのは制限枚数100枚を十分に活用して、事件のみならず、周辺のドラマを語り、単なる「推理」小説になっていないこと。テクニックはほとんどプロの作家と変わらないと思うし、物語としても非常に面白い。
その他の作品では人工知能AIが組み込まれた部屋(密室)を語り部に設定した異色の作品「吾輩は密室である」が敢闘賞といった感じで、それ以外は自分の趣味に走りすぎて、自己満足の域を脱していないと思う。選者の琴線には触れたかもしれないが。

選者二階堂黎人氏がちょっと趣味に走ってきた感じが今回はした。前作で面白くなるだろうと思っていただけに残念だった。次回はどうだろう?


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新・本格推理〈04〉赤い館の怪人物 (光文社文庫)
No.552:
(8pt)

作品の収録順が絶妙

アイリッシュの短編は同じ趣向の作品が多く、テクニックは目立つものの、印象に残る作品は少なかった。しかし最後の最後でかなり印象深い作品が揃った。

最初の2作、「三時」と「自由の女神殺人事件」は都会が生み出す人間心理の歪み、タイムリミットサスペンス、皮肉な結末と典型的な作品だったので今まで同様、水準作ではあるが突出したものはないなと思っていた。
しかし、3作目の「命あるかぎり」からガラリと印象が変わった。まずこの作品、題名から連想する悲哀がこもった感動作では全然ない。夫の暴力に怯える女性の逃亡譚だが、結末はあまりに救いがなく、ゾクッとする。文体はアイリッシュの美文が連続する詩でも読んでいるかのような流れる文章であるがゆえ、最後のインパクトは強烈に印象に残った。

この作品で心動かされたためにもはや作者の術中にはまったも同然で、続く「死の接吻」の、打って変わって軽妙な文章は小気味良く感じられ、内容もコン・ゲーム風クライムノベルと読ませる。去年物(ラスト・イヤー)と呼ばれる主人公の女性がたくましく、じわじわっと来る読後感がたまらなかった。
次の表題作ははっきりいって文体に癖がありすぎて内容を十分に把握できなく、全くストーリーが頭に入ってこなかったが、その次の「特別配達」は貧乏人の善行を語る昔話的なお話で、非常に私好みだった。最後の台詞もよく、非常に微笑ましい。

その他にも娘の恩人が数年後、殺人犯人となって助けを乞いに来る「借り」は長編にしてもおかしくないほどの濃密な内容だった。設定から語り口まで全てが一級品だと思ったし、主人公が刑事として最後に取った決断は予想と違い、結末も最後の台詞も良かった(特に冒頭の車が湖へ落ちていくシーンの描写は短く簡潔なのにすごく写実的。贅言を尽くすクーンツに読ませたいくらい)。
「目覚めずして死なば」は少年の視点で誘拐事件の顚末を語る話。少年少女の世界を書いてもアイリッシュは上手く、普通ではちょっとおかしいだろうと思わせる状況を巧みに説得させる筆致もすごい。少年の視点で語っているがために主人公の無力感が伝わり、久々にドキドキした。なぜ刑事の父親が子供達の居場所を知ったのかが不明だが、愛嬌という事で。
「となりの死人」と「ガムは知っていた」は典型的なアイリッシュ節で、中休み作品といった感じ。しかし最後の3編がまた素晴らしかった。

まず「さらばニューヨーク」。前短編集収録の「リンゴひとつ」から派生したような話。あの話の登場人物の1つに同じ都会で貧困に喘ぐ夫婦が出てきたが、あれの別ヴァージョンのように貧困に喘ぐ夫婦がお金のために(それもたった500ドル!)殺人を犯してニューヨークを脱出しようとする話。
「ハミングバード帰る」も読後がすごかった。盲目のママ・アダムスには何年か前に出て行った息子がいた。ラジオから息子が出て行った先で銀行強盗があったことが報じられていた。その矢先、鼻歌を歌いながら息子が突然帰ってくる。相棒と共に。どうも銀行強盗の犯人は息子らしい。怯えるママ・アダムスは息子を警察の手に引き渡す事を決意する。
たった15ページで語られる話は濃密な物語だった。主人公が盲目であるための感覚的な筆致も素晴らしいし、なによりも最後に息子を信じたママ・アダムスを裏切る結末はどこか物哀しかった。
そして最後の「送って行くよ、キャスリーン」。刑務所から出所した男が昔の恋人と最後の別れをするために逢いに行ったがために起こる悲劇を描いている。
主人公の男を助ける刑事が調査をする辺り、冤罪を着せられた男をある男が救うために奔走する『幻の女』を思わせるが、こちらは正統派。バークという主役の男の人生を彩る哀しさ、彼を助ける刑事ベイリーの行動力に深く感動した。読後にこの題名が痛切に心に響き、アイリッシュの詩人ぶりを再認識させられた。

本作が今までの作品集に比べ、好印象を持ったのは前述したように意外な結末だけでなく、主人公の心理に同調できるような作品が多かったこと。
特に不安を掻き立てられる作品が2つも載ったことは短編を連続して読む身には心を大きく振幅させられた。本短編の作品順は出版元である東京創元社が決めたのだろうが、この並べ方はかなり良かった。短編集は作品の並べ方で傑作集と凡作集との評価が大きく分かれるのだろうと強く思った次第。


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ニューヨーク・ブルース―アイリッシュ短編集 (6) (創元推理文庫 (120-8))
No.551:
(4pt)

石岡氏のダメっぷり

本短編集は島田作品の中では御手洗シリーズに位置づけられるのだろうが、『龍臥亭事件』同様、御手洗は電話のみの登場で実際は石岡と『龍臥亭事件』で知り合った犬坊里美二人の顚末を描いた連作短編集となっている。

まず冒頭を飾るのは犬坊里美が広島の大学から横浜のセリトス女子大に転入して、上京してきて石岡と共に一日横浜見物をする顚末を語る「里美上京」から始まる。これは非ミステリ作品だが、石岡の『異邦の騎士』事件の良子の思い出が里美との横浜散策中にフラッシュバックするあたり、こちらも胸に去来する熱い思いがあった。特に横浜は何度も訪れているので以前『異邦の騎士』で読んだ時よりも鮮明にイメージが蘇り、あたかも里美とデートしているようだった。
その後、幕末に起こった薩摩の大飢饉に遭遇した酒匂帯刀と寂光法師がなぜ生き延びることができたのかという謎を解明する「大根奇聞」と続き、クリスマスに起きた悲劇を語る表題作「最後のディナー」で幕を閉じる。

「大根奇聞」はこちらが考えていた解答の上を行く解決だったが、いささか印象としては弱いか。しかし挿入される「大根奇聞」という読み物の部分は今までの島田作品同様、読ませる。やはり島田氏は物語を書かせると本当に巧い。

「最後のディナー」は今思えば『御手洗潔の挨拶』に所収された「数字錠」を思わせるペシミスティックな作品。
石岡が里美に誘われ、英会話教室に通うくだりはギャグ以外何物でもなく、石岡がこれまで以上に惨めに描かれているのがなんとも情けない。大田原智恵蔵という老人の隠された過去とかその息子の話とか色々な哀しい要素はあったが、今一つパンチが弱かったか。モチーフは良かったのに十分に活かしきれなかった感が強い。これはやはり石岡では力量不足だという事なのかもしれない。

気になったのは「大根奇聞」と「最後のディナー」で石岡がちょこっと話しただけで真相が解る御手洗の超人ぶり。正直やりすぎだろうと思う。これは逆に御手洗というキャラクターの魅力にならなく、あまりに現実離れした架空の人物というにしかとれない。
本作品で見せる石岡の極端なまでの鬱状態はそのまま当時の島田氏の精神状態を表しているのではないだろうかという推測は下衆の勘ぐりだろうか。


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最後のディナー (文春文庫)
島田荘司最後のディナー についてのレビュー
No.550:
(9pt)

天才の登場にひれ伏す

『新・本格推理』シリーズも3冊目になって、今回は一種の転機のようなアンソロジーになったようだ。
というのもなんと前シリーズ『本格推理』でも成しえなかった一人の作者による複数掲載、しかも3作というからすごい。その作者の名は小貫風樹。その3作に共通するのはダークなロジックともいうべきチェスタトンの逆説や泡坂のロジックを髣髴とさせる悪魔のロジックだ(実際アンケートでこの作者は尊敬する作家の中にこの2者を含めている)。彼の書いた3作からまず感想を述べていきたい。

まずこのアンソロジーでも冒頭を飾る「とむらい鉄道」から。最近「全国赤字路線安楽死推進委員会会長」と名乗るテロリストの手による廃線寸前の鉄道の鉄橋爆破事件が頻発していた。その事件に巻き込まれて死んだ叔父の葬式に出た帰りに駅でまどろんでいた春日華凜は久世弥勒なる妖しい雰囲気を纏った人物に出逢い、宿泊先へ案内される。宿屋で寝ていた華凜が目覚めた時に弥勒が持っていたのはなんと爆弾だった。弥勒はテロリストその人なのだろうかというストーリー。
弥勒の、男性とも女性ともつかぬキャラクターや犯罪を止めるのならば殺人も厭わない冷酷さは今までの応募作品にはないダークな感じがして良い。最後の結末は詰め将棋のような精緻さと冷酷さで衝撃的だった。「解決」と「解明」の違いについて論じるところは、なるほどと得心が行くところがあり、面白かった。

次に「稷下公案」。これは古代中国を舞台にした作品で「とむらい鉄道」とはガラリと舞台設定、雰囲気を変える。稷下という今で云う学園都市で起きた事件。学士の楽園とされる稷下では孟嘗君に代表される食客とが入り乱れていた。そんな中、学士の青張と食客の青牛が街中で喧嘩をしていた。実の兄弟であるため、ただの兄弟喧嘩であろうと思ったが刀の名手である青牛は激昂のあまり、刀を抜きだす。そこへ現れた学士淳于髠が見事にその場を収めてしまう。騒動の一部始終を一緒に見ていた知叟と愚公はその後行動をともにするが、そこでものすごい音響と共に自分の家の厩で淳于髠が圧死した現場を目の当たりにする。
要約するのが難しいほど情報量が詰まった作品。古代中国の世界ならびに当時の思想家の思想を詳細に描くこの作者の懐は十分に深く、そのあまりに見事な筆致にプロの覆面作家ではないかと邪推してしまうほどだ。「とむらい鉄道」にも見られた「悪は悪を以って制する」、「人を殺めた者は処刑を以って罰する」という精神はここでも健在。特に前半、善人と思われていた孟嘗君のどす黒い嫉妬が明らかになる辺りは読んでて戦慄を覚えた。

そして最後は「夢の国の悪夢」。これも現代を舞台にしながら「とむらい鉄道」とはガラリと趣きを変えた作品。ディズニーランドを思わせるウイルスシティーというテーマパークで起きたマスコット、ウイルスラットの首切断事件。それは一瞬にして起きた突然の事件だった。犯人はどのようにして首を切断したのか?
ここでは「とむらい鉄道」で探偵役を務めた久世弥勒が再登場する。3作の中では出来は最も劣るものの、ディキンスンを髣髴とさせる異様な世界で繰り広げられる闇の論理がまたしても読後不気味に立ち上がってくる。
2017年のミステリ界ではまだ見ぬこの名前。もしかして既に別名義でデビューしているのか気になるが、もし作品が上梓されれば買ってみたいと思う。

その他5作でよかったのは「Y駅発深夜バス」が文句なしだ。接待で終電に乗り遅れた坂本は、妻が教えてくれた深夜バスに乗る事にした。陰気な雰囲気のバスは果たして予定通り家の近くに着いた。0:10の便に乗り遅れ、1:10の便に乗った坂本は翌朝妻から、その便は日曜は運休だと告げられる。
冒頭の深夜バスに乗り込む件は『世にも奇妙な物語』テイストでかなりいい。一部、二部構成も必然性があるのだが、最後のオチは、まあ、歴然たる証拠の1つではあるのだが、私の好みではない。

その他、前回「湾岸道路のイリュージョン」の続きである「悪夢まがいのイリュージョン」、チェスタトンの「見えない人」に挑んだ「作者よ欺むかるるなかれ」、共に孤島物である「ポポロ島変死事件」、「聖ディオニシウスのパズル」も水準作であるのだが、今回は小貫風樹という1人の天才の前に霞んでしまった感が強い。
ロジックに精緻さを感じるものの、心情に訴える魅力を感じなかったのだ。
今回はこの天才の才能に素直にひれ伏して9ツ星を捧げよう。


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新・本格推理〈03〉 りら荘の相続人 (光文社文庫)
No.549:
(5pt)

物語が面白いのにプロットが弱いのが残念

実に久々のエルキンズ作品、スケルトン探偵ギデオン・オリヴァー教授シリーズである。ほとんど翻訳打切りだと思っていた。
このシリーズ、各国の観光案内も含まれており、単にミステリだけに終始していないところとやはりジュリーとギデオン夫婦のウィットに富んだ会話、また彼らを取り巻く人々の特徴あるキャラクターが気に入っており、正直非常に期待していた。

今回の舞台はイタリア。プロローグは1960年9月のイタリアで最後の貴族と評されたデ・グラツィア家当主ドメニコが相続する嫡男に恵まれず、姪に自らの精子で人工授精を依頼する話から始まる。この作戦は成功したが、姪のエンマは子供を渡すものの目覚めた母性本能から鬱状態に陥る。そこでドメニコは妊娠した使用人からその息子を買い取り、エンマの子供として渡すのだった。
舞台は転じて現在。デ・グラツィア家の当主はこのとき生まれたヴィンチェンツォになっていた。息子のアキッレが学校に行く途中、運転手が殺され、誘拐されるという事件が起きる。憲兵隊大佐カラヴァーレは警察署長の依頼の元、事件の捜査に乗り出す。折りしもギデオン・オリヴァー教授は友人のフィルとともにこの地を訪れており、バカンスを楽しんでいた。フィルが家族に会いに行くので一緒に来ないかと誘われ、気が乗らないながらも同行すると、そこはデ・グラツィア家の城がある島だった。フィルはエンマの息子だったのだ。
事件の捜査が進む中、ヴィンチェンツォの会社アウローラ建設の工事現場で掘削中に骨が見つかる。その骨の正体はなんと前当主ドメニコの骨だった。

エルキンズの登場人物をコミカルに描く筆致は健在。どの登場人物に血が通っており、本音を見せるエピソードを盛り込ませる事で登場人物に親しみを持たせる手法はもはや云う事がない。
個人的にはカラヴァーレが自宅で着替えをしている時に妻に洩らす「制服を着ていない俺はサラミソーセージを売っている方がお似合いだなぁ」という台詞、そしてギデオンがキャンプで出逢うやけに人類学に詳しく、さらにギデオンの知らない地球外生命体について議論を吹っかけるポーラ・アードリー-アーボガストが気に入った。ポーラは今後も定番脇役として出演してほしい。

とはいえ、プロットは今回なんだかちぐはぐな印象を受けた。誘拐事件と骨を絡めるのがやや強引、こじつけのような気がしたのだ。(その理由はネタバレにて)

久々のスケルトン探偵シリーズ、ちょっとネタ切れの感がしたのは否めない。


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骨の島 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
アーロン・エルキンズ骨の島 についてのレビュー
No.548:
(7pt)

都会小説として満喫

今回収められた9編を読むとアイリッシュの作風は単なるサスペンス・スリラー作家という安直なフレーズでは収まらずに、サスペンス・スリラーの手法を用いた都会小説という思いを強くした。

まず最初の「高架殺人」は高層ビルひしめく都市の間を縫うように走る高架列車で起きた殺人であり、これは都会でなければ起き得ない事件。
「わたしが死んだ夜」は都会にしか存在しない浮浪者が殺人に関与しているし、「リンゴひとつ」は1つのリンゴが人から人へ渡る物語。その人たちは都会で生きていくのに明日の食事さえも摂れるかわからない人たちが大勢出る。1つのリンゴは隣り合う人々の手に渡るが彼らには全く関係性がないのも都会の人の繋がりの希薄さを示して非常に印象的。
「コカイン」も都会の膿が生んだ麻薬が引き起こす事件。「葬式」は冒頭の買い物から逃亡劇へと移るシーンで路地裏の複雑さを描いているし、「妻が消えた日」もひょんなことで怒った妻の行方が判らなくなる物語で、妻がいなくなることはその夫のみの事件であり、周辺に住んでいる人物は誰も事件には関わっていない。正に群衆の中の孤独である。

9編中、最も良かったのは「リンゴひとつ」と「日暮れに処刑の太鼓が鳴る」の2編。
「リンゴひとつ」は以前『晩餐後の物語』に収録されていた「金髪ごろし」という作品があったが手法的にはあれと似ている。「金髪ごろし」は金髪美女が殺されるという見出しのついた新聞を買う人々それぞれのドラマを描いた物語で、新聞売り場一点を定点観測していたが、今回は対象をリンゴに移して、その1つのリンゴが渡る様々な人々の物語を描いた作品。そのリンゴというのが宝石泥棒が宝石を盗むのに細工をしたリンゴで薄皮一枚の中に5万ドル相当の宝石が眠っている。これが盗みの手違いで傲慢な夫人や会社の金を横領し、その埋め合わせが出来なくて苦悶している夫婦、浮浪者などに渡っていく。
こういった作品の場合、アイリッシュは貧しき者に救済の手を差し伸べるのがパターンなのだが、今回はそうではなく、あくまで洒落た結末に着地している(この結末がいいかは別の話)。この作品でアイリッシュは「貧しい者たちにもチャンスは平等に訪れてはいる。ただそれに気付くのが難しい」と云うメッセージをこめているように思った。
「日暮れに処刑の太鼓が鳴る」は非常に贅沢な一品。中南米を思わせるサカモラスという架空の国を舞台に物語は語られる。
その国ではたった今政権交代が起き、新しい政府の頭には双子のエスコバル兄弟が鎮座する事となる。元市長を人質に大金をせしめようとするが、元市長の娘と息子がその将軍の下へ訪れた翌日、双子の片割れがナイフで刺されて死んでいるのが発見される。そのナイフは元市長の娘がかどわかされようとして抵抗した際に将軍に取られたナイフだった。激情したもう1人のエスコバルはその兄妹を処刑しようとするが、その場に居合わせたアメリカの刑事が犯行時間にずれがあることを示し、真犯人を捕らえようと乗り出す。
これは『暁の死線』や『幻の女』を思わせるデッドリミットサスペンスの手法を取っているが、それだけではなく、わずか60ページ足らずの中にクーデター物、ウェスタン小説、そして最後のアメリカから来ている刑事が容疑者の有罪を証明するための捜査行も洞窟を舞台にして、宝探しのテイストを持ち込んでおり、冒険小説の要素も入っている。
しかし、それら以上に興味深かったのが、アイリッシュが想定した架空の国サカモラスである。この警察とか裁判とかいうものがない国での殺人事件の捜査という趣向が非常に面白かった。サカモラスでは将軍が疑う者が犯人だと決まる。つまり「疑わしき者を罰する」という考え方。そこに居合わせたアメリカから来た刑事オルークは当然、容疑者は証拠を出して有罪を証明しなければならないという刑事捜査の原理に基づいて行動する。この概念自体から彼らに教えなければならないというのが非常に面白く、野蛮な国に近代の考えを持ち込むミスマッチの妙を半ばコミカルに描いている。アイリッシュでは異色の部類に入る作品だ。

また今回も前回の『シルエット』で感心した、物語を途中から始める手法は健在で、特に今回は極力情報を排して物語のスピードに留意した作品があった。
それは「葬式」と「死ぬには惜しい日」の2編。他の作品が50~60ページであるのにこの2編はそれぞれ30ページ、20ページと非常に少ない。しかしそれがゆえに物語のスピード・テンポは非常に特徴的だった。
「葬式」はチャンピオン・レインという全米指名手配犯のFBIからの逃走を描いた短編でいきなりチャンプの妻が買い物の最中にFBIに勘付かれた事に気付き、逃げ出すシーンから始まる。最初の2ページではハメットを思わせる状況のみを語った三人称で街角によく見られる買い物風景を描写しているが、女性が周囲の男性の正体に気付くや否やスピード感溢れる逃亡劇に変わり、物語が一気にアップテンポへシフトチェンジする。そこから怒涛の銃撃戦と息つく暇もないほどだ。この辺の手際が見事。
そしてこの物語ではチャンプが何を犯したのか、そういった説明を一切省いている。そういう意味では大きな物語の起承転結の「起」「承」自体が省かれていると云える。
そして「死ぬには惜しい日」。こっちは自殺を決意した女性ローレルが主人公。
ローレルが自殺を決意したその日、いざ実行しようとすると間違い電話が掛かってきたので気が散ってしまい、気分転換に外を散歩する事にした。公園のベンチで休んでいるとカバンを置き引きに取られてしまったが若い男性が捕まえてくれた。ドウェインというその男と何となく話すようになり、道々話しているとお互い気が合うのが解った。恋めいた感情が生まれ、やがて家の前に着いた時、ローレルは死ぬのを辞めようと決意するのだが。
最初の自殺を行おうとするローレルの自殺を行う事自体億劫な感じを与える倦怠さから気晴らしに散歩に出て男性を知り合い、部屋の前で交わす会話までの物語は非常のスロー・テンポだが、最後1ページで突きつけられる皮肉な結末はそれまでのスロー・テンポを完膚なきまでに破壊するほどの衝撃。長い「静」のシーンからいきなり落雷の如く訪れる激しい「動」のシーン。読者は無情なまでに物語の只中に置き去りにされるような感じがした。
この作品ではローレルの自殺を決意した直接の原因は語られない。そういう意味では「葬式」同様、大きな物語の「起」、「承」の部分を排除している。
同じ構成を用いて、2種類の物語のテンポチェンジを見せる、アイリッシュの手腕に感心する。

その他については簡単に寸評を。
「高架殺人」はスリムな体型でニックネームが「はずむ足どり(ステップ・ライヴリー)」なのに動きは鈍重、階段の上り下りさえも嫌うというライヴリーはユニークな設定なのだが、ちょっとした面白みがあるだけでストーリーに寄与していないのが勿体無い。
「わたしが死んだ夜」、「コカイン」、「夜があばく」と「妻が消えた日」は正にアイリッシュサスペンスならではといった作品。妻との保険金詐欺を働いた男に訪れる皮肉な結末、コカインを吸った記憶が曖昧な男が犯した殺人事件が本当にあったのかを捜査する話、夜中にいなくなる妻が放火魔なのかどうかと疑惑が募る話、実家に帰った妻が行方不明になる話とバリエーションは豊かだ。

どれもこれも内容は濃い。ただこの辺はアイリッシュ作品を読みなれているがゆえに新鮮さを感じなかった。こういう贅沢な感想が云えるのもアイリッシュのレベルが高い故なのだが・・・。


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わたしが死んだ夜―アイリッシュ短編集 (5) (創元推理文庫 (120-7))
No.547:
(7pt)

素人らしさが薄まった分、期待感が高まったせいもあるのか。

今回は光文社から本格ミステリ作家としてデビューした東川篤哉氏、加賀美雅之氏両氏の作品も掲載され、初期の『本格推理』シリーズに芦辺作品と二階堂作品が掲載していた事を思い出させた。
さて今回収録された8編、これらが全て良作かといえばそうではなかった。前回は50ページから100ページへ制約枚数が増大した分、作品それぞれの物語性が上がった事を喜んだが、2巻目の今回はそれは既に必要十分条件となっている。つまり今までに比べてさらにプロの出来映えに近いくらいの完成度を読み手が要求する事になっているだろうし、実際、私がそうだった。

そんな期待値が高い中、8編中、傑作と思ったのは2編。「窮鼠の哀しみ」と「『樽の木荘』の惨劇」の2編だった。

「窮鼠の哀しみ」は松本清張氏など社会派作家を想起させる誘拐事件を扱った作品。ある鉄工会社の社長の息子が誘拐され、脅迫状の文面から当初は狂言誘拐だと思われたが、犯人からの電話からどうやら本物らしい。二億円の身代金に対し、社長は一億しか都合がつかなかったが、残りの一億は偽装して誘拐犯の要求に臨むことにする。誘拐犯は携帯電話にて色々場所を移動するよう指示した後、あるトラックにカバンを置くように指示する。警察が見張っているとピザの宅配が来て、その車に乗り込み、エンジンを掛けたところを取り押さえるが、犯人ではなかった。心配になってカバンを開けてみると身代金は本物だけが空っぽだった。トラックの側面とその隣の店のシャッターが空いており、そこから金を持ち出したらしい。その後犯人から再度身代金の要求はあるものの、接触は無く、息子は死骸となって発見される。
正にこの2時間サスペンスドラマを読んでいるような感じを与える作品は、最初どこが本格なのか終始首を傾げていたが、最後に哀しいトリックの真相が待ち受けていた。文体といい、警察の捜査の模様といい、この作者は「書ける」人であることは間違いない。警察が真相を暴けない結末は『絢爛たる殺人』で読んだ昔の本格探偵小説を思い出した。

「『樽の木荘』の惨劇」はあの加賀美雅之氏の手になるもので、なんとまたもや「わが友アンリ」の物語に繋がる作品。作者曰く、これと「わが友アンリ」と「暗号名『マトリョーシュカ』」と並んで三部作となるという。これは3作全てが採用されないと成されない偉業。そしてその偉業は単に選者である二階堂黎人氏の贔屓目によるものでなく、確かに確固たる実力に裏付けたされたことであることがこの作品を読むと解る。
物語の舞台は1942年、満鉄の大連駅から始まる。大連駅に降り立った仮面の男。樽の木荘と呼ばれるフェイドルフ老人邸では殺人事件が起こった。雪の降った後、足跡が一組しかないその屋敷の中で老人は殺害され、現場となった書斎の窓の外の向こうには仮面と外套が中身のないまま、放置されていた。しかもそこに至る足跡もないままに。
本作が書かれたときは加賀美氏はまだ素人作家。そして名前も本名らしい素朴な名前。その事を考えると、もはやこの時から素人の域を超えている。そして今回登場人物として出てくるのはなんと若き日の鮎川氏!存命の時の作品だから、ご本人はどのように思ったのだろう。もう、文句のつけようが無いくらい素晴らしい。あまり気にも留めなかった加賀美氏の名前は、しっかりと私の胸に刻まれた。

その他6編中、佳作だと思われるのは「湖岸道路のイリュージョン」ぐらいか。この轢き逃げ犯人を追う夜の追走劇に仕掛けられた車消失トリックは単純であるがゆえに驚かされる。こういうロジックは結構好きだし、書き方もフェアでミスディレクションが非常に巧いと素直に感心。小粒なのでどちらかといえば頭脳パズルの領域を出ないのだが、あまり大仰しい作品ばかりだと疲れるので、こういう作品も入っているのがいい。

その他は専門知識に難があり、作風が肌に合わなかったり、内容が浅かったりとところどころ瑕疵があった。
今や本格ミステリ作家として活動する東川篤哉氏の手からなる「十年の密室・十分の消失」は前回の「竹と死体と」で登場した素人探偵コンビが出ているが、やはりこの軽い作風は好みに合わないし、丸太小屋消失事件については作者の建築知識の無さが露呈しており、これもマイナス要因となった。
「恐怖時代の一事件」はフランス革命直後のフランスを舞台にした作品。やっぱり前回の「ガリアの地を遠く離れて」といい、一連のルパンシリーズといい、どうもフランスの耽美な世界が合わない。二階堂氏が評しているように登場人物それぞれの書き分けが甘いのも気になった。
「月の兎」はトリックと犯人が解った。バニーガールが登場し、色々奇妙な話をする御伽噺めいたつくりはまだ許せるが、全体的にレベルは他の作品よりも下と感じた。
「ジグソー失踪パズル」は全体的に叙述内容とかに仕掛けがあり、ミスディレクションもなかなか。でも全体的に印象が薄い。
「時計台の恐怖」は女子高を舞台にした消失トリックもの。事件の目的とかトリックとかは及第点だったのに橘高が探偵事務所の一員になる最後の終わり方があまりにもベタすぎる。もうこれはライトノベルの世界。

前述のように確かに読み手の要求するハードルの高さは高くなった。だからこそ次はどんな作品、トリック、世界を読ませてくれるのかが非常に気になる。
プロの作品の出来を求めないよう、こちらも気をつけなければならないのか。それとも商業として成り立つべき最低ラインをクリアしていなければならないと厳しい目で見るのか。難しいところだ。

新・本格推理〈02〉黄色い部屋の殺人者 (光文社文庫―文庫の雑誌)