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Tetchy さんのレビュー一覧

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レビュー数1426

全1426件 701~720 36/72ページ

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(7pt)
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貴方は占い師を信じますか?

渋谷の道玄坂の老朽ビルの一角に「霊感占い所」なる事務所を掲げてはいるものの、生来の怠け者の性分から一向に商売っ気のない辰寅叔父。そこに大学入学とともに上京し、社会勉強も兼ねて助手のバイトとしてお邪魔した美衣子のコンビが織成す安楽椅子探偵型連作短編集。

まず「三度狐」は挨拶代わりの一編といった作品で、実に内容はストレート。
続く「水溶霊」では2作目であるがテイストはちょっと陰鬱な感じで異色な作品である。
次の「写りたがりの幽霊」は依頼人の話、辰寅叔父による霊鑑定、その後の真相解明とストレートな流れで小粒な印象だ。
往々にしてこういった連作短編集にはクリスマスを扱った作品が挟まれるが、それが本作「ゆきだるまロンド」。
5作目の「占い師は外出中」ではなんと助手役の美衣子が叔父に代わって霊鑑定を行うというスピンオフ的な作品。
最後を飾る「壁抜け大入道」は占い所を辰寅叔父が出て、実地検証に乗り出す事に。

本作は北村薫を起源とする日常の謎系ミステリで、殺人事件は一つも起きない。
また表紙ならびに挿画が若竹七海氏の『ぼくのミステリな日常』と同じ朝倉めぐみ氏であることからどうしてもイメージがダブってしまう。倉知氏の筆致も軽妙且つコミカルなところで、それを助長しているようだ。

さて出来映えだが、これは!と目を見張るものは正直云って、ない。謎の難易度も比較的軽めで、作品によっては霊鑑定に入る前に真相が解ったものもあった。

まず「三度狐」だが新居、小学生の子供、転校と自然に連想される環境の変化でかわいい犯行が自然に見えてきた。紛失物のありかに関する論理はちょっと危ういが、確かに子供の頃、床下によく潜っていたなぁと思い出した。

次の「水溶霊」も犯人はすぐ解るものの、この作品の主眼はやはりその動機。
確かにドロドロした内容ではあるが、美衣子が云うようには魂が冷えるような話ではないと思う。こういう陰湿な話は同趣向の話では若竹七海の方が上か。

なぜかクリスマスをテーマにした短編には名作が多く、そして「ゆきだるまのロンド」も例外ではない。冬の寒さを心温まる話で温める傾向にあるのか、ほっこりとなる優しい話だ。
不器用な旦那の秘密のプレゼントだと気付くと全てがするするするっと解けていく。特に美衣子の目を通して語られる依頼人の主婦の描写に対する視線が暖かで、ドッペルゲンガー現象というホラーなモチーフを扱いながら、終始物語はその主婦の近所で語られ、日常のよくある風景が目に浮かぶように打ち解けた雰囲気で語られるのもいい。

以上三篇が真相もしくは犯人が解った作品。それ以外の3編はどちらも解らなかった。

「写りたがりの幽霊」は普通に流れる物語にそのまま流された感じ。
心霊写真のトリックがこっちとしてはすごく興味があったのだが、それが意外にも大したことなく、子供の悪戯の域を出ていないのがガッカリ。

「占い師は外出中」も全く逆を想定していた。
最後の「壁抜け入道」は子供の視点という事を考慮に入れれば大入道の謎はギリギリフェアか。昨今の怪奇・幻想的な謎は話半分に読んで頭に入れるに限るというのが最近解ってきた。

全般を通じて共通するテーマというのは辰寅叔父の人間観察力によって暴かれる人間心理そのものだろう。魑魅魍魎の仕業としか思えない怪奇現象を解き明かす手掛かりは依頼人を取り巻く人間達の思惑によって起こる不自然さにある。これらの人間が彼らの不都合を取り繕うがために結果的に起きてしまった一見不可解な事象を人間の行動心理を以って解き明かすのが本作の主眼である。
それは大学生の美衣子がバイトがてら助手を続けているのが母親の頼みというきっかけはあるものの、自身の人間観察に役立つからだという動機に重きを置いているところからも明らかだ。

また本作の特徴として面白いのは従来の本格ミステリの依頼人が持ち込んだ事件を探偵が解き明かすというフォーマットは踏襲しているものの、依頼人にはそれらの謎が怪奇現象などではなく、人間によって為された事である事を直接依頼人には説明しないところにある。
霊鑑定士の辰寅叔父の依頼人に対してはあくまで彼らが持ち込んだ怪奇現象に対する対策を告げる―時にはお札を発行する―段階で留まり、それらが人為による物だとは決して教えない。しかし、その真意はほとんどその依頼人周囲の人間に―時には依頼人本人に―彼のアドヴァイスによって成される行為によって仄めかされ、悟らせられる(ようにしている)。
したがって霊鑑定の後、辰寅叔父と美衣子の間で成される謎解きはあくまで彼の推論であり、証拠も何もないので、実は単なる1つの解釈に過ぎないのだ。この辺が倉知氏の本格ミステリに対するしたたかな視座だと見た。つまり推理で解ける事が必ずしも真理では無いと既に自覚的であるように取れるのだ。だからこの占い師という設定は作者にとってミステリを書くには最適だろうと感じた。
またこの2人の問答を読むに当たり、もしかしたら実際、占い師なぞは仕事が終わった後、お客さんの背景についてこんな風にあれこれ想像を巡らせているのかもしれないなどとも思ったりもした。

倉知氏を取り巻くミステリ作家仲間から伝え聞く彼の人と成りから想像すれば、辰寅叔父は色濃く作者の性格が反映されているものと思える。書けば年末のランキングに入るほど、才能があるのにもかかわらず決して多作とは云えない作者の創作姿勢は、人を見抜く能力が卓越しているにも関わらず出来れば楽に暮らしたいと、金儲けに頓着せず宣伝なども行わない辰寅叔父とかなりダブる。
なかなか特徴がありつつ、面白い作風なのでこの寡作ぶりは勿体無いが、クオリティを下げない事ためなら、やはりこの作家はこのペースでいいのかも。残りの未読作品を読むのが楽しみだ。


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占い師はお昼寝中 (創元推理文庫)
倉知淳占い師はお昼寝中 についてのレビュー
No.725:
(4pt)

ホリウッドに十ガロン帽子(笑)

国名シリーズ第6作目(作中の“読者への挑戦状”では7イニングと謳っているがこれは作者の数え間違いだろう)。
他の国名シリーズと違い、いささか巷間の口に上がらない本書。特に名作と名高い『エジプト十字架の謎』の次作であり、それに比して・・・ということもその原因の1つだろう。

開巻してまず驚いたのが、登場人物表に記載された人数の少なさである。挑戦状が織り込まれているこのシリーズでこの少なさというのはちょっと冒険に過ぎるのではないかと思った。
更に事件が起きるとその範囲はかなり狭められ、物語に終始関係する人物でもこの表に記載されていない人物―トニー・マースや《巻き毛》のグラント、ゴシップ新聞記者のテッド・ライオンズ、かつて軍人で今は映像技師であるカービー少佐、etc―もいるので更に戸惑いを隠せなかった。

今回は何か掴みようのないままに物語が進行していく。2万人の観衆と41人のカウボーイ・カウガール達というシリーズの中でも最大の容疑者数であることが捜査の方向付けを曇らせているのかもしれない。
なんだか作者クイーン自身が暗中模索しながら書いている、そんな印象を受けた。事実、最後の真相解明を読んでも、ところどころ歯切れが悪い。

今回のテーマは映像、弾道学による犯罪の検証になるだろうか。二度発生する衆人環視の中での射殺、しかも殺された場所、撃たれた箇所など全て同じ状況下でカメラが何を捕らえていたのか?これが物語の解決における要だといえる。これらについては当時作者クイーンが取材か何かで警察捜査の当時の最新情報を知った事からそれを活かして自作を著そうとしたのかもしれない。
とはいえ、映像の検証を自家薬籠中の物のように事件の最大の手掛かりとなるであろうショーの模様を映した映像の実見をなかなかしないところが実に不思議だった。物語も半ばになってようやく着手する。
それまで延々と関係者と観衆の持ち物検査、コロシアム内に隠されていると思われる凶器となった25口径の銃の捜索について語られるのだ。これは全く以って捜査手順としてはおかしいだろう。

率直に云えば、本作の出来はあまり良くない。やはり色々と無理が生じている。

まず物語の主眼となる消えた銃の謎。これについてはかなり意外であった。
しかし肝心の真犯人、これが全く納得できない(以下ネタバレにて)。

また輪を掛けて納得行かないのが犯行の実現性。この殺人方法はほとんどマンガの世界での出来事のようだ。
そして第2の殺人。これが果たして必要だったのかどうか、悩ましいところだ。

とまあ、本作は実にバランスが悪い。
そして片や映像検証、弾道学という科学捜査に言及しながらも従来から成立している指紋の検証、歯形の検証といった捜査技術に関しては何の関心も向けず、捜査が進められる、およそ世界中には存在しないだろう愚かな警察がここには歴然としてまかり通っているのが非常に痛い。

しかし1961年初版とはいえ、その後重版が繰り返され、私が手にしたのは1999年の第47版である。いい加減、訳を見直した方がいいのではないか。
ホリウッドは今ではハリウッドだし、特に十ガロン帽子には参った。これはそのままテンガロンハットでいいだろう。こういう細かい仕事を出版社には期待したいのだが。


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アメリカ銃の謎【新訳版】 (創元推理文庫)
エラリー・クイーンアメリカ銃の謎 についてのレビュー
No.724: 1人の方が下記のレビューは「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(5pt)

職人技に徹した短編集

政財界のVIPのみを会員とする調査機関「探偵倶楽部」。眉目秀麗な男女のコンビが事件の謎を解く連作短編集。
まずは各短編について寸評を。

まず本書の先鋒「偽装の夜」は探偵倶楽部の導入の意味もあるのか、収録作中最長の88ページの分量がある。
実に東野らしいツイストの効いた短編だ。密室殺人事件の解明ではなく、自殺死体の隠蔽工作という導入も捻りがあり、探偵倶楽部が乗り込んで彼らの工作が暴かれた後でも、実は死体は消失していたと新たな謎が発覚する。
短編でありながらアイデアを重層的に織り込んでいるのがこの作者のサービス精神旺盛なところ。そして今回は今までの会話に犯人を推理するヒントも隠されており、フェアプレイに徹している。それらが実にさりげなく無理なく会話に溶け込んでいるので、なかなか看破できないのだが。
爆発的な驚きはないが、丁寧に作られた佳作である。

続く「罠の中」は匿名の3人による殺害計画の談話から始まるいささか物騒な幕開けだ。
計画が成功したと見せといて実は、被害者は計画者の1人だったという、これもなかなかに捻りが加えられている。あたかもマジックを見せられているような錯覚を受ける。
ただ冒頭に出てくる匿名の共犯者3人は簡単に見当がつきやすいのが弱点か。

本短編集の旧題として使われたのが「依頼人の娘」だ。
容疑者をおびき寄せる電話のトリックは看破でき、家庭内の悲劇を扱った作品かなと思ったが、やはり真相はオーソドックス。ただ明かされる真相はちょっと作りすぎの感が否めない。それぞれの登場人物の動きがあまりに計画的に進みすぎで最近こういうカチッとしすぎる工作に嘘くささをどうしても感じてしまう。

「探偵の使い方」では更にオーソドックスさが増し、探偵倶楽部は浮気調査を依頼される。
事件が発生した途端に事件の成行きが透けて見えるくらい、すごく普通の展開を見せるが、やはりそれが東野の仕掛けたミスリードだった。
とはいえ、この真相はけっこう解りやすい話になるのではないか。さすがに4編目まで来ると、こんな具合にすんなりいくはずがないと警戒心も生まれるし、事実そんな感じで読めた。

最後は「薔薇とナイフ」。
真犯人は実は途中で解ってしまった。
しかしそれでも由里子の妊娠という導入が読者に謎解きへの呪縛をかけており、真相を全て見抜くには至らないだろう。書かれていること全てが手がかりであるというミステリの定石を逆手に取った実に上手いミスリードだと云える。

政財界や富裕な家庭専門の探偵という事で、政略や欲望や愛憎の渦巻く泥沼劇の、ロスマクのような家庭内の悲劇を扱った作品なのかと想像したが、全くそんなものではなく、探偵倶楽部の2人も現実から浮いた戯画的なキャラクターとして創造されている。そして各編に共通してあくまで東野の筆致はライトであり、内容は基本的にオーソドックスで2時間サスペンスドラマ用のストーリーとも云える。私は特に『家政婦は見た!』シリーズのようなテイストを感じた。

通常のシリーズ物と異なる本作独特の特徴はと云えば、シリーズキャラクターである探偵倶楽部の2人は実は物語においてサブキャラクターであり、あくまで主役は依頼人だということだろうか。だから探偵倶楽部の2人はその外的特徴が語られるのみで名前さえも判らない(最後の「薔薇とナイフ」で助手の女性が手掛かりを手に入れるために立倉と名乗るが恐らく偽名だろう)。
つまりシリーズキャラとしては異常に影の薄い存在だ。そして物語は常に依頼人側の視点で語られるため、探偵倶楽部の調査方法は全く謎のままである。

更に「偽装の夜」を除く各編では、事件が起こり、警察が介入して合理的な推理が一旦事件は解決する。そこから探偵倶楽部による新たな真相というのが物語に共通するパターンであり、単純な謎解きに終始していないのがこの作者としてのプライドなのだろう。

各5編に共通するのは動機が全て恋愛沙汰や財産問題というベタな設定であること。
「偽装の夜」では社長の財産が動機であり、更に秘書と内縁の妻江里子が実は愛し合っているという関係。
「罠の中」でも金貸しの叔父に纏わる人間たちの金銭問題、そして物語の終盤では叔母と利彦の秘密の関係が明かされる。
「依頼人の娘」は事件が妻の浮気の末の駆け落ちの阻止。
「探偵の使い方」でも浮気と保険金殺人が主題。
「薔薇とナイフ」はネタバレを参照していただくとして、先にも述べたように2時間サスペンスドラマによく見られるテーマばかりである。

この頃の東野圭吾作品は『鳥人計画』以降、『殺人現場は雲の上』、『ブルータスの心臓』そして本作とノベルスで上梓されたミステリが連続して刊行されており、逆に東野氏はキオスクミステリに徹して軽めの作品を書くことを意識していたようだ。
つまり普段、本を読まない人が旅行や出張といった旅先で軽く読むために駅のキオスクで気軽に買って気軽に読め、車中で読み終えてしまうことのできるミステリである。その事について是非は私個人としてはない。

島田氏がエッセイでも云っていたが新進作家の生活は苦しく、作家活動だけで食べていけるのはほんのわずかの人間である。生活の糧を得るために広く読者を獲得する必要があり、こういうライトミステリに手を出さざるを得ないのが当時の状況であった。
したがってこの手のミステリに読書を趣味とする人間やミステリ愛好者があれこれいちゃもんを付けるというのは全く筋違いという物だろう。

が、あえてその愚を犯すならば、やはりそれでも島田氏の短編にはミステリとしての熱があり、クオリティも高かった。
それに比べると東野氏は各編にツイストを効かせているものの、登場人物の内面描写、風景描写、気の利いたセリフなどを極力排しているがために、小手先のテクニックを弄しているという感が拭えず、職人に徹しているなあと感じてしまう。それも創作作法の1つだが、もう少しミステリとしての熱が欲しかったと思う短編集だ。


▼以下、ネタバレ感想
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探偵倶楽部 (角川文庫)
東野圭吾探偵倶楽部(依頼人の娘) についてのレビュー
No.723:
(7pt)

長いのが玉にキズ

モスクワでの事件の発端、ロシア側の事なかれ主義による内部工作の策定、他国への協力要請に、それぞれの思惑を秘めたディベートゲーム・・・。
毎度お決まりのパターンなのだが、全く飽きない。それはこれらのやり取りが非常に高度な知的ゲーム、インテリジェンスを扱った駆け引きであるからだろう。

さらに今回チャーリーは前作『流出』で再会したナターリヤとの共同生活に踏み切っており、これが上層部に知られるとロシア永久追放され、さらには失職のうち、断罪される恐れがあるという実に微妙な立場にいる。
それはそうだろう。なんせ片やイギリスの諜報部員で外国の情報を探る身、片やロシアの内務省内部保安連絡局長という国内の問題を内密に処理する身なのだから。改めて考えるとものすごい設定だ。

さらに今回はナターリヤの妹イレーナが加わり、これが姉の持つものであれば略奪したくなる性分で、当然ながらチャーリーが彼女の標的となる。しかもイレーナはチャーリーを貶めるべく画策している英国情報部の財政監督官ジェラルド・ウィリアムズがモスクワのイギリス大使館に送ったスパイ、リチャード・カートライトの情事の相手でもあり、さらにFBIモスクワ支局長ソール・フリーマンとも寝てる尻軽女なのだ。イレーナはチャーリーに興味を抱き、色々探ってくる。
つまり今回は、シリーズで何度となく繰り返された、他国との共同戦線の中での駆け引き、国内ではチャーリー、ナターリヤをそれぞれ貶めようと画策している者達との丁々発止の駆け引きに加え、彼らの家庭でも他者に素性を知られまいとするための駆け引きが加わり、さらにスリリングになっているのだ。

特に面白いと思うのは実の妹であるイレーナが姉の仕事を知らない事だ。
映画“トータル・リコール”だったと思うが、確かアメリカでも夫の諜報員という仕事を知らない妻という設定があった。つまり国交や国務の機密を扱う部署に従事する者は身内にも隠さなければいけないという特殊な状況にあるのだろう。特にナターリヤは国内の治安を守る部局の要職にあり、社会主義国家ではその身元も親戚には隠しておかなくてはならないのだろう。

今回の目玉はチャーリーが記者会見の場に駆り出されるという不測の事態に陥るところだろう。かつてソ連の地だった場所からイギリスとアメリカの軍人と思われる遺体が発見されたという、過去のスパイ事実を証明するような事態である。それをむざむざとメディアの目に晒すというのは国際間の緊張を煽るもので、出来る限り内密に処理したい事件だろう。
こんな非常識と思われる展開をフリーマントルは、解体したソ連の国の1つ、ヤクート共和国というロシアを目の敵にするかつて領国で死体が発見されたという設定を持ち込む事でクリアしている。この辺が実に上手いではないか。
そしてこのメディアへの露出はもともと諜報員として活躍していたチャーリーにとって、あってはならないことである。しかも彼は今までのシリーズの事件で恨みを買った数は数知れず。それらの天敵どもに隠していた彼の生存、居場所まで知らされる事になる。さらにようやく手に入れたナターリヤとの甘い生活ともおさらばせざるを得なくなるのだ。

しかし我らがチャーリーはその逆境をさらに武器にすることで自らの使命遂行に有利に働きかける。
まず三国の中で一番最初に遺体の身元を突き止めるのは、やはりチャーリーである。しかしその時点でさらに謎は深まる。なぜなら、その遺体はベルリンの地にある墓に埋葬されているはずだからだ。死体のすり替えだけでなく、イギリス人の死体が異国のベルリンに埋葬されているという困難がさらに生じ、その経緯を探るには他の2名の身元を探る必要が生じる。
そこでチャーリーは身元不明の遺体の顔写真の開示をするよう働きかけ、広くマスコミから情報を集めさせるよう提案する。自らを安全圏に置きつつ、他者を出し抜くのがいつもながら上手い。結局、アメリカは特有のしたたかさを発揮し、それはロシア側のみしか適用されなかったわけではあるが。

さらに傑作なのはもう1つの出し抜き方だ。
今回の身元不明死体はアメリカならびにイギリス上層部のある2人―英国外務省事務次官ジェイムズ・ボイスと米国々務次官ケントン・ピーターズ―にとって歴史の陰に隠されるべき事態である事が、物語の早い段階で語られ、チャーリーらの捜査と同時進行で2人のやり取りが語られる―まあ、これはフリーマントル特有のいつもの創作作法であるが―。
したがって、今回チャーリーの捜査が進み、真相を明らかにされるのは彼らにとって好ましくない状況であり、チャーリーにはCIAの殺し屋が派遣される。それを独自の判断で察知するチャーリー。その身の危険を回避するため、チャーリーはなんとマスコミを利用する。ホテルで朝食を取っているヘンリー・パッカーという殺し屋の許にマスコミが大量に押し寄せるのは痛快極まりなかった。

こういう高度な駆け引きが毎度繰り広げられるのは、登場人物全てが上昇志向が高いからだろう。誰もがトップに立つことを望み、他者を出し抜こうと虎視眈々と権力者の椅子を狙っている。そのため、利害の一致する者とは手を組むが、自らが窮地に落ちようとするとスパッと切る事も辞さない。今日の友は明日の敵を地で行く連中ばかりだ。
だからこそ、一般的な駆け引きとは超えた次元で行われる彼ら・彼女らのゲームは読者の想像の遥か上の領域で進み、予想も付かない方向へ導かれていく。これこそフリーマントルの描くエスピオナージュの醍醐味である。

そして先ほど述べたように事件はイギリスとアメリカ双方が関わった歴史の暗部であり、明らかにすることもまた禁じられており、チャーリーは先に進むも地獄、失敗するのも地獄というのっぴきならない状況に陥る。なんともこのフリーマントルという作家の、思慮の深さを読めば読むほど思い知らされる物語だ。

しかし今回の話は長すぎたように感じる。謎また謎の展開は読書の興趣をそそるものの、なんせ情報量が多すぎて物語の先行きを理解するのに他の作家の小説よりも時間がかかるのでなおさらである。
更には登場人物の多さと関わる部署の多彩さ。今回は自国民の身元不明死体を探る話だっただけにイギリス、アメリカ、ロシアの国内外に渡って捜査が進むにつれ登場人物が続々と登場してくる。登場人物一覧に記載されていない人物で物語で重要な役割を果たす人物も結構おり、それも読書にいささかの難儀さを感じた。もっとコンパクトにすれば、爽快感を得られただろう。

とはいえ、永久凍土から50年ぶりに現れた死体の正体を探るだけでも十分ミステリ要素が高いのに、これが旧ソ連の地で、しかも眠っていた死体はイギリス、アメリカの軍人とロシア人女性という三国民とし、これに政治的思惑を絡めてエンタテインメントに仕立てるフリーマントルの着想の冴え。
全く以って衰えを知らない作家だ。


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待たれていた男〈上〉 (新潮文庫)
No.722:
(7pt)

インディ・ジョーンズみたいだった

古代エジプトの遺跡の中で起こる連続殺人事件。
そう聞くと誰もが殺人事件の謎解きを連想するだろう。私もそうだったが、さにあらず、これは“ミステリ”というよりも“ミステリー”の方が正解と云える作品。
つまり本作で主眼となっているのは遺跡に仕掛けられた殺人装置の謎解きなのだ。

本作では情報文化大学の遺跡発掘チームの面々に、同行する漫画家梓美紀ら一行、道中で大学チームの元同級生に出逢い、同行する事になった雑誌記者の新郷の合わせて11名が主たる登場人物なのだが、このうち8名もの死者が出る陰惨な物語となっている。しかし彼ら・彼女らはあくまで誰かの手によって殺されるのではなく、ネクエンラー王が王墓内に仕掛けた数々の殺人装置によって殺され、生き残りと閉じ込められた王墓からの脱出を図る、インディ・ジョーンズ風な冒険謎解き物になっているのだ。
こういう趣向であれば、本作の題名は明らかに不適切であろう。“密室”を冠していながら、実は王墓に残されたパピルスの暗号解読が主眼であるから、ここは『ネヌウェンラー王の墓の謎』という風にすべきではないだろうか?
確かに結論から云えば、王墓という大きな密室から脱出する謎なので密室の謎解きと云えるのだが、どうも歯切れが悪く、読後の今としてはどうも期待外れのような感が否めない。
加えて云えば、作中どうしても気になった梓美紀の不可解な行動。これに関する言及がなく、本当に霊感の強い人で終わってしまっているのも消化不良な感じだ。

しかし、本作の主眼となっているエジプト王に関する薀蓄、そこから派生している謎はなかなかに興味深い。
恐らく作者の創作だと思われるが、連綿と続いていたファラオの歴史に第十七王朝と第十八王朝に王不在の<大空位時代の謎>と、それの解釈については一種の叙述トリックであり、なかなか面白いものがあった。以前読んだ『バビロン空中庭園の殺人』にも同様の趣向があったが、完成度で云えばこちらの方が上である。

また、マイナーな作家のためか、あまり広く知られていないが、小森氏の諸作も伊坂幸太郎氏や初期の島田作品に特徴としてあった、各々独立した作品が実は地続きで繋がっている、登場人物らが一つの作中世界を共有しているという趣向が凝らされている。
本作ではまず『バビロン~』に登場した葦沢教授、『ローウェル城の密室』で名のみ登場した漫画家の梓美紀が登場してくる。しかも後者は本作で語り手を務める新郷の元恋人という意外な事実が明かされる。
で、本作では梓美紀が死に、葦沢教授は存命であるから、時系列的には『バビロン~』よりも前の事件ということになるだろう。

作者の古代エジプトに関する知識が十分に横溢し、ヒエログリフでしか成しえない謎の設定とこの作者ならではの意欲的な特徴が込められた本書だが、作品の方向性に違和感を覚えてしまった事が残念だ。
特にこの作者の自分の身の回りの事しか題材にしない作風だったという今まで私が抱いていた不満を解消するように、エジプトのルクソールでの風景や街の喧騒、日本人から観たエジプト人の奇妙な行動などなど活き活きとした描写があった。自ら取材のために旅行したと思われ、その成果が十分に発揮されて物語の皮の部分にも興味深い内容が盛り込まれているだけにその思いはひとしおなのだが。
次作に期待しよう。

ネヌウェンラーの密室(セルダブ) (講談社文庫)
小森健太朗ネヌウェンラーの密室 についてのレビュー
No.721: 2人の方が下記のレビューは「ナイスレビュー!!」と投票しています。
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女探偵物興盛時代の受賞作

桐野夏生の江戸川乱歩賞受賞作である。
意外だったのは村野ミロが女探偵ではなく、単に元探偵だった父親の事務所に住んでいただけの人物だったことだ。当時サラ・パレツキー、スー・グラフトンらのいわゆる4F探偵物が流行っていたことを反映して颯爽と登場し、乱歩賞を受賞した桐野夏生によるこの作品はその先入観から女探偵物だと思っていたが、実は事件に巻き込まれた一女性に過ぎなかった。
だからミロは通常の探偵ならばしないであろう、自分の持っている情報について何の躊躇もなく敵役とも云える協力者成瀬に明かす。例えば、寝ている成瀬の隙をついて耀子の部屋に単独で行った際に掴んだ情報なども、成瀬にその旨問い質されると簡単に白状するといった具合だ。

ただストーリーは世に数多ある私立探偵小説の定型とも云える失踪人捜しであり、特に新味がない。ストーリーの流れもオーソドックスで、文体や筋運びには素人の域を既に脱している感があるにせよ、これぞと思うダイヤの原石のような煌めきは特に感じなかった。
受賞当時、世の書評子らが噂していたように、やはり日本に初めて登場した3F探偵物という珍しさを話題性も含め、乱歩賞の審査員が買ったのではないだろうか。

しかし、桐野氏は後に『OUT』で直木賞を受賞し、さらに海外のエドガー賞までノミネートされる存在にまで成長する。そして今や押しも押されぬ女流作家としてその名を馳せているのだから、当時の審査員の選択眼は間違いではなかったわけだ。

つぶさに作品を読んでいくと、この作者の作家としての資質、そして野心を感じさせるものがある。
特に巧いと感じるのは単調になりがちな失踪人捜しのストーリーに起伏を持たせていることだ。例えば川添桂なるアーティストによるネクロフィリア及び性倒錯の世界をモチーフにしたアングラパフォーマンスの件など、そのグロテスクさに読者は吐き気を伴う嫌悪感を抱く事だろう。
こういう風に人の感情を揺さぶる出来事は作用反作用の法則からも読者に物語に対する次への展開への欲求をもたらせ、読書の牽引力となるのは間違いのない事実である。元々ジュニア系小説を書いていた作者だけにこのような計算高い構成も出来たのだろうが、なかなかの手練だと感じた。

また耀子の草稿として挿入されるルポルタージュの内容はドイツ、ベルリンの当時の雰囲気をよく醸し出しており、この応募作を著すのに自費で現地に飛んで取材したのではないかと思われる。それが本作に賭ける熱意としてひしひしとして伝わってきた。

ただ惜しむらくは登場人物1人1人の魅力に乏しさを感じる事だ。
主人公のミロはまだしも、行動を共にする成瀬の造型もステレオタイプのように感じるし、しかもミロが成瀬に惚れて危うく愛を交わそうとする辺りなどは苦笑してしまった。
そして本作ではある意味肝とも云える失踪人耀子の造型が、意外にもなかなか立ち昇ってこなかった事だ。友人だからという理由で巻き込まれるミロが捜査の過程で遭遇する耀子の知られざる貌の数々。しかしそれは単に奇を衒っただけで、1つの肖像として浮かび上がってこなかった。ここら辺にまだまだ力量不足さを感じた。

しかしその後の活躍を見るにつけ、この作家は追いかけるに値する。本作はブレイクするまでの少しばかり長い助走期間の第一歩であるから、ここで見限るのは時期尚早だろう。
今後も読み続けていくことにしよう。


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新装版 顔に降りかかる雨 (講談社文庫)
桐野夏生顔に降りかかる雨 についてのレビュー
No.720: 2人の方が下記のレビューは「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(7pt)

題名の意味が解りそうで解り難い

今回は犯罪者側から物語を描いた、いわゆる倒叙物である。
こういう倒叙物であれば、作品の主眼というのは完全犯罪を目論む側に不測の事態が起きて、果たして犯罪が成功するか否かに終始する。つまりこの作品で云えば死体移動中に事故が起きたり、共犯者がいなかったりと殺人リレーが成立か否かに焦点を当てて、スリルを描く事も出来るのだが、それを東野氏はそこをさらりと流す。
実に魅力ある設定を惜しげもなく使い捨てるとまで云ってもいいくらいだ。

で、東野氏が選んだストーリーとはなんと拓也が受取った死体が計画立案者である仁科直樹その人だったという仰天の展開。
そして物語は犯行を行った側と捜査する警察陣の両側面から推理する形で描かれる。
すなわち、「誰が仁科直樹を殺したのか?」

なんとも実に物語としてツイストが効いているではないか。
ここに東野圭吾という作家の非凡さが現れている。

さらにこのような展開をもたらす事で、物語は仁科直樹殺害犯人の捜索に加え、末永拓也の当初のターゲットである雨宮康子の殺害計画の再考も語られ、物語が重奏的に進行する。
こういった類いの趣向は以前にも『鳥人計画』でも見られたが、あの作品では犯人役である峰岸の犯行自体も謎であり、動機なども最後の方で判るのだが、今回は極めてシンプルに動機も犯行方法も第1章で全て詳らかにされるのが特徴だ。これだけ冒頭で手札を晒しつつ、先を読ませない展開で読者を引っ張っていくのだから、本当にこの作者はミステリ・マインドに溢れている。

そして本作の主人公となる末永拓也は完全なる左脳型思考の人間で、生まれ育ちの悪さをバネにして、一生懸命勉強し、独力で成り上がろうとする野心家だ。
人生の敗北者のような父親に育てられた彼は人間としての情よりも、理論を愛するようになり、とりわけミスをしないロボットにのめり込んでいる。だから彼は装飾品や絵画など芸術には一切の関心を抱かない。また自分の出世の道に邪魔になる者は、自ら排除するのも厭わない冷血漢である。
今までの東野作品では、どこか感情面で欠落した人間がいたが、本作もその型の人間である。ただ今までと違うのはこの人間が罪を暴く探偵側の人間でなく、犯行に加担する悪側の人間だというところで、共感は持てないにしろ、物語の主人公としては違和感なく受け入れる事が出来た。

また第2の、橋本が密室で殺される事件など作者はすぐそのトリックを明かしてしまう潔さには驚いた。まるでそこに主眼がないかのようだ。私でもトリックがすぐに解っただけに、謎を持続するには弱いだろうと作者自身も思ったのだろう。
逆に云えば物語に更なる謎を付け加える要素として使ったことで逆に謎が深まった事は確かだ。

今回はなんとしても東野マジックに引っかからないようにプロローグについて常に注意を払ってきたのだが、それでも無駄に終わってしまった。しかしこの展開はさすがに読めない。
やはり東野作品とは犯人探しや動機探しを行う物ではなくて、作者が周到に隠したバックストーリーを作者が1枚1枚、ヴェールを剥がすように読者に知らされる経過を楽しむものなのだろう。

さて本作のタイトルとなっている「ブルータス」とは末永が開発した産業用ロボットの名前である。人間でも難しい精密な動きをするこのロボットは末永の技術の粋を尽くして作った最高のロボットである。しかしだから本作のタイトルとして相応しいかというとそうでもない。
特になぜ「心臓」なのか?やはり今回も東野は題名に無頓着だったのかなと苦笑してしまった。


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ブルータスの心臓 新装版 (光文社文庫)
No.719:
(8pt)

レナード最盛期はさすがに面白い!

クーンツが得意とする“巻き込まれ型サスペンス”小説だが、レナードが書くと斯くの如き面白い読み物になるのかと感嘆した。
クーンツが、いきなりジェットコースターのように主人公もしくはその仲間を危機、また危機の只中に放り込み、ただただ逃げ惑う設定が多いのに対し、レナードは全く関係のないところから、偶然的に出逢う事になった敵同士を絡ませ、軽妙な会話と挿話を間に挟み、追う者と追われる者が運命の悪戯にて導かれるかのように必然性を伴いながら引き合わされるのが面白い。時間の流れ方が両者では全く違うのだ。

そして今回面白いのは成行きで組む事になった2人の敵役がお互いを心の底から信用していなく、一触即発の中で手を組み合っているところだろう。だから今までのレナード作品に出てきた悪漢達よりも増して、二人の間の関係に緊張感が走り、どんな展開になるか、さらに解らなくなってきている。

ベテランの殺し屋でインディアンのオジブウェイ族とフランス系カナダ人との合いの子であるブラックバードことアーマンド・デガスはその血筋から、インディアンのシャーマニズム・スピリチュアリズムを信じて疑わない男。そして彼は現場に指紋を一切残さず、万全を期した計画を立てないと行動に移らない。
片や悪行で名を馳せたい男リッチー・ニックスは34歳ながらもギラギラした目を持ち、人から指図される事、諭される事を何よりも嫌う、自らの本能と直感を信じ、衝動的に人を殺す、いわゆるアブナイ男である。

この2人の関係は、出会った当初は一日の長があるアーマンドがボス的立場でリッチーを飼い馴らすような上下関係であるのだが、リッチーが狂気にも似た感情を沸々と滾らせるようになってからは、御しれなくなり、次第に逆転していく。
通常ならばこういう2人の場合、私はアーマンドのような老成した男の方に肩入れするのだが、本作ではチンピラのリッチーの方に魅力を感じた。というのも短絡的思考型のこの男が、女の性格を読むことに関しては非常に長けているからだ。

同棲している年上の女性ドナの操り方から始まり、なんと敵のカーメンの母親まで手玉に取る。特に初めて逢って「この女は一番良かれと思ってそいつの人生をメチャメチャにしてしまう女だ」と毒づくシーンは、読書中もやもやしていた事を雲散霧消するほど的確な一言だった。
そして特筆すべきはウェインとカーメンのコールスン夫妻の描写だ。年下のカーメンはウェインに一目惚れして結婚し、結婚生活20年になってもまだウェインにぞっこんなのだが、これが事件に巻き込まれ、非日常生活に苛まれるにつれ、彼女の心理が徐々に変わっていく。
タフで優しく、仕事一筋ながらも妻への愛を忘れないと見えた夫が実は自制心が弱く、何にでも文句をいい、自分のことを語るのが大好きで、妻のことは好きなのだが、女心が一切わからない肉体バカだと気づいていく。この辺の心理描写がものすごく上手く、女性が男を観る視点でカーメンの内的描写がされているのに舌を巻く。特に結婚生活20年も経った夫婦の不満を表す、的確な台詞を云うのだから、レナードの耳は実に明敏だ。
さらにバイキャラクターとしてカーメンの母親レノーアが都度登場するのだが、これが実にウザい、更年期障害持ちのおばさんで、こういう人いるわと笑いながら読んだ。

そしてやはりレナードの筆は冴え渡る。ここでこれしかないという台詞をバシバシ決めてくれるのだから心地よい。
証人安全プログラムの説明を受けた後、憤懣やる方ないウェインがその思いをたった一言で云い表すところなんか、快哉を挙げてしまうほどだった。「帰りも車で送ってもらえるのかな」なんて、私の引き出しにはないし、もうこれ以上最高な台詞もないだろう。

またウェインが高層ビルの鉄骨の上であれこれと思案するシーンなんか最高である。ここでもレナードの台詞が効いている。延々11ページに渡って繰り広げられるウェインの、2人組に対する仕返しの方法で行き着いた彼の決め台詞「待っていたぜ」が、ダブルミーニングをきちんと備えているところが傑作だ。
現場監督や主任らが心配する中で、人を食ったようにするすると鉄骨を降りていくところは笑いが止まらなかった。こういうアクセントが非常に上手い。
鉄骨工ウェインのキャラクターが単なる紙上の設定ではなく、一人の血が通う人間のように錯覚するほどストーリーに溶け込み、物語世界の中で一流の鉄骨工として生活している匂いまで感じるようだ。これがレナードの特筆すべきところで単に特異なキャラクター設定のために取材した知識を披瀝するだけに留まらず、実際の鉄骨工がどう振る舞い、どう仕事をするのかがリアルに伝わってくる。彼らがすべき行動、使うべき言葉を生のままぶつけてくるのだ。

本作の最たる特徴として挙げられるのは主人公2人の夫婦が「証人安全プログラム」の保護を受けること。レナードはこのシステムがいかに杜撰かを容赦なく作中でこき下ろす。
証人を守るためのシステムなのに、監察官がポロッと無駄話のネタとして本名を教えたり、裁判の場所に直行便で訪れ、保護されている証人の居場所がそれにより解ってしまったり、また末端の監察官には情報保護のため、詳しい情報を与えられていないために、保護者が犯罪者であると見なし、蔑みの念を持っていること、等々、どこまでが実話でどこからが創作か解らないほど、説得力のある欠陥を書き連ねていく。これは取材しないと解らない実態だと思うのだが、証人安全プログラムの庇護下にいる人たちをどうやって取材するんだろう?

とまあ、本作にはレナードの筆致がページをはみ出さんばかりに躍動しているのだが、クライマックスがやや冗長すぎた。
折角ここまで引っ張った緊張感をすっきりさせるにはちょっと物足りなかったかなとも感じた。
しかし本作発表の89年頃はレナードの筆がノリにノッている時期であろうことは間違いない。なにしろこんなに面白いんだから!



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キルショット (小学館文庫)
エルモア・レナードキルショット についてのレビュー
No.718: 4人の方が下記のレビューは「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(8pt)

ドルリー・レーンという男

その題名が指し示すように、ドルリイ・レーン最後の事件である本作は今までとは趣向が違い、ウィリアム・シェイクスピアの稀覯本の行方及びその本に隠された謎と、それに絡んで失踪した人物の行方を追う物語で、これはシェイクスピア劇俳優の第一人者であったレーンの掉尾を飾るためにクイーンが用意した謎なのだろう。
とにかく本作では謎の覆面の男と青い帽子を被った顎鬚を生やした男という、変装した正体不明の人物が物語に入替り立ち替わり介入してき、また本の行方や最重要容疑者であるハムネット・セドラーとエイルズ博士が同一人物か否かという謎がなかなか判明せず、ずるずると物語を引っ張っていくうちに、エイルズ博士の館が爆破されたりと、本格ミステリというよりもサスペンスに近いテイストで、しばしば謎の焦点がぼやけてくるのに苦労した。

本作では前3作で登場していたブルーノ地方検事が退場し、一切出てこなくなり、代わって前作『Zの悲劇』でお目見えしたサム元警視の娘で明敏なる推理力を発揮するペイシェンスがサムの相棒を務めている。とはいえ、前作のように語り手としての役柄ではなく、レーンも探偵として積極的に介入し、叙述も一人称から三人称に戻っており、前作のような違和感は全くない。そして結末に至って、やはりこのペイシェンスという人物が必要だった事が解るのである。
そのことは後に語るとして、で、本作で散りばめられた様々な謎については、事件の展開が目まぐるしく変わる作風のため、私自身の推理もその都度焼き直しを強いられ、試行錯誤の繰り返しだった。

例えば冒頭に出てくる博物館から盗まれたジャガード本が送り返された意図に関する推理は私の中で確立するものの、その謎は次の章で早々に解明されてしまったし、バスの乗客の人数の謎も17人だったのが18人だったことを発端にしており、これを現地で調査すると実は19人だったと謎が謎として深まっていく。つまり小さな謎がどんどん提出されては、解き明かされ、また次の謎が展開するという構成であり、今までの悲劇3作ではレーン氏は自らの推理に確証がないと自身の推理に自信があっても決して開陳しなかった、云わばクイーンの国名シリーズと同様の最後の最後で犯人と犯行方法・動機を解き明かす趣向とは明らかに違うものだ。そう、本作は失踪人捜しと稀覯本探しという、ロスマクなどの私立探偵小説に似たテイストなのだ。
で、これらの謎については私自身解き明かすことが出来た。上にも述べた返却された稀覯本の謎しかり、セドラー氏の正体もしかり。特にサムに預けられた封筒の手紙に書かれていた「3HS wM」の謎は的中し、これには快哉を挙げてしまった。そして最後の犯人もまた当ってしまった。しかしこれはこの作品の最大の特徴が巷間に流布しているので、それが頭の片隅にあったことに因るところが大きかったのだろう。

さて前作ではどちらかといえば、目障りな存在だと思われたペイシェンスだが、この悲劇四部作の最後においてどうしてももう1人の探偵の存在が必要だった事が解る。
クイーン愛好家の中では、やはり『Zの悲劇』を異端視し、このペイシェンスの存在を軽視している方々もおられるようだが、私としてはやはりこのシリーズの幕の降り方はクイーンがシリーズ当初から考えていたものであると認識する。

この悲劇四部作、全て読み終わった今、全体と通してみるとやはり巷の評判どおり『Yの悲劇』が抜きん出てその次に『Xの悲劇』、そして本作、最後に『Zの悲劇』という評価になる。
しかし、愛好家の中で云われている『Yの悲劇』が明らかに異色でこれはクイーンが国名シリーズで元々使おうとした話だった、『Zの悲劇』は不要だった云々などという話は単なる書好家の興味の対象として読むにとどめ、やはり悲劇四部作は悲劇三部作ではなく、悲劇四部作であったと思う。

また振り返ってみるとたった4作のシリーズなのにそのヴァリエーションのなんと豊かなことだったか。衆人環視の連続殺人、館での連続殺人、女性探偵物という趣向に、最後は失踪人探しとビブリオミステリを絡めた探偵自身の犯罪。たった2年で書かれた正に流星の如く駆け抜けたシリーズだった。
最後の本作でレーンという男の謎がいっそう深まったような気がする。たった4作のみの探偵レーン。しかしその名は今なおさんざんと煌めき、そして今後もずっと残っていくに違いない。


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レーン最後の事件 (角川文庫)
エラリー・クイーンレーン最後の事件 についてのレビュー
No.717: 1人の方が下記のレビューは「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(7pt)

コミケに行ったことなくても楽しめます

その名の通り、オタク風味満載のミステリ。というよりも恐らく作者自身がオタクなのであろう、またもや彼の精通する身の周りのことを題材にしたミステリである。
とはいえ、前に読んだ『ローウェル城の密室』よりは特異ではなく、『バビロン空中庭園の殺人』よりもオーソドックスさからは一歩抜きん出た作品となっており、楽しく読めた。
『ローウェル城~』よりも特異でないというのは、刊行当時1994年の時点、私はまだ大学生で、オタクはまだキワモノであったが、現在ではオタクも一般的に認知され、さほど珍妙な存在として捉えられてはいない時代背景がコミケを舞台にしたミステリを受け入れるのに緩和剤となっているのは確実だ(そういう意味ではやはりあの『電車男』はブレイクスルー的な作品だった)。もしかしたら今のミステリ好き、少女マンガ好きの高校生が『ローウェル城~』を読めば、逆に面白いと思うかもしれない。

『バビロン~』よりもオーソドックスさから一歩抜きん出たというのは、物語の中心となるコミケ出店サークル「大きなお茶屋さん」の同人誌「月に願いを」が丸々1冊作中作として盛り込まれており、それがきちんと全て読めること、さらにこれが謎解きに絡んでいることが挙げられる。
作品の冒頭に挿入された『ルナティック・ドリーム』の密室殺人の推理が七者七様に、しかも論文体、ホラー小説、ペダンチック溢れる小栗虫太郎風ミステリ、やおい風味小説と、作者の器用さが横溢している。それがそれなりに読ませるのだから畏れ入る。特に傑作だったのはやはり小栗虫太郎の『黒死館殺人事件』を模した『黒石棺の殺人』だ。博覧強記とギャグは紙一重だということを実に上手く表現した好編だ。またメンバーの1人が原稿を落とし、アンケートを代わりに挿入させるなどの凝りようも作者ならでは。

で、ミステリとしての本作だが、なかなか読ませる。コミケという特殊な状況下での殺人をコミケに精通している作者が書いているので、非常に抵抗無く読むことが出来た。
例えば本作で起こる4つの殺人のうち、3つはコミケ会場で起こっており、しかも2つは衆人環視の中なのだが、通常のミステリと違い、衆人環視の殺人であるにもかかわらず、Howdunitに全く拘りが見られないところが面白い。これこそコミケ会場という特異な雰囲気を忠実に再現していることに他ならない。
つまり参加のほとんどがオタクであり、彼らは他人には興味がなく、自分の興味対象、そして同好の士以外、全く眼中に入らないのだ。だから隣りにいる人がいきなり毒殺されようが、刺殺されようが、それに至る被害者の接触者に全く注意を払っておらず、自身の同人誌の販売・購入にしか集中していない。それがこのコミケ会場での連続殺人を可能にしていると云えるだろう。そしてそれはオタクの実体が周知となった現在では無理なく了承できるから面白い。

さて私自身、かつてはオタクであったわけだが、コミケには一度も参加したことがない。だから本作で書かれるコミケの内容、会場の雰囲気は非常に愉しく読めた。
まず上手いと思ったのはこういうコミケに全く縁のなかった人物を通してコミケに出店する人物の有り様を客観的描写している事だ。オタクの一大イベント、コミケが正に今から始まらんとす、パンパンに膨らみ、はち切れんばかりになった風船のような期待感を秘めた参加者及び会場の雰囲気が素人でも解るように描かれている。その後、物語はコミケの常連であるサークル「大きなお茶屋さん」の登場人物の動きに進行が変わるわけだが、これも出店側から書かれていることでコミケの内容が密に語られ、愉しい読み物になっている。学園祭と物産展の中間のようなその稚気と打算が入り混じった出店者の思惑はコミケならではの物だろう。

で、逆にこのコミケの話とコスプレに興じる「大きなお茶屋さん」ら面々の雰囲気が良くて、題名にあるように殺人など起きなく、このまま物語が進んでくれればいいのにと思わせてくれるが、やはり殺人は容赦なく起きる。しかも彼ら彼女らのうち4人も殺され、そのうち3人はコスプレに興じていた女の子3人なのだ。
これはコミケに行った事がある人ならば結構強烈な展開ではないだろうか?思いがけなく感情移入してしまった私も、作者の非情さにちょっと戸惑いを覚えてしまった。

さてこの3人+1人の殺人の真相だが、当初考えて、捨ててしまった選択肢が正解だったのが驚きだった。これについては作者の周到な罠に嵌められたというのが妥当で、反論はない。
本作において3つの真相解明が成されている。で、個人的にその真相の面白さを述べると、第1の真相>第2の真相>第3の真相となってしまう。
第1、第2の真相はコミケ、同人誌という一般的でない情報・知識を知っている者でしか看破できなく、第3の真相は一般のミステリ読者でも解けることが特徴である。だから実は作品としてはフェアであるのだが、逆にそのシンプルさが作品としての魅力を半減させてしまったのは皮肉な物である。私も特殊な知識を要しないと真相に辿り着けない本格ミステリは通常は好きではないのだが、この作品に限ってはコミケという特長を活かした真相の方が面白く読め、こういうミステリではそういうケレン味を尊重すべきだなと考えさせられてしまった。


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コミケ殺人事件 (ハルキ文庫)
小森健太朗コミケ殺人事件 についてのレビュー
No.716:
(3pt)

若気の至りミステリ

さて乱歩賞史上最年少である16歳で最終選考に残ったという本作。結末まで読んだ今となっては、よく当時の選考員たちが最終選考まで残したなぁと、その暴挙にも似た英断に感嘆というよりも戸惑いを感じずにはいられない。
特に当時最終審査員だった多岐川恭氏が本作をして、「その発想の若さに羨望を感じる」めいた感想を述べていたとの記事を読み、その度量というか、懐の広さにただ感心する次第だ。

なぜならば、これは一種の壁本だからだ。最後の結末を読むにあたり、この真相の是非を問うて、是と答える人はそうはいないだろう。
私の見解では本作を乱歩賞として刊行した場合、絶賛をするのは一部の物好き―普通のミステリに飽いた人々―であり、大方の読者ならば非難を浴びせ、もし当時、現在のようにインターネットが普及していれば例えば2ちゃんなどで喧々諤々とした論議が繰り広げられていただろう。それは乱歩賞が普段ミステリを読まない方々も手に取るほどのネームヴァリューを備えた賞の性質上、当然起こるべくして起こる現象だろう。

本作の内容に触れると、本作の特異な点は主人公の二人が少女漫画の世界に入り込んで、そのストーリーの登場人物となり、そこで起きる殺人事件に巻き込まれるというメタミステリである。
しかし本作で語られる少女漫画の内容というのが中世ヨーロッパを思わせる古城での宮廷生活、王子を巡る2人の花嫁の戦い、さらにもう1人の花嫁の因縁めいた血筋によって起こる騒動が延々と語られ、それはミステリを読んでいるというよりも、『ベルサイユのバラ』のような漫画、厳密に云えば作中で漫画とは云え、表現は文字のみでされているから、『ベルサイユのバラ』のノヴェライズ版を読んでいるような錯覚を覚える。実際本作でメインとなる密室殺人が起きるのは400ページ中260ページ辺りと実にストーリーの5/8を費やした辺りである。ミステリを期待する者にしては冗漫さを感じるだろう。
私にしてみれば、実はこの辺は苦痛でもなく、例えるならば、カーの歴史ミステリに見られるような舞台装飾の面白さを感じた。もしこれを16歳の人物が書いたままならば、驚くほど成熟した筆致・文体なのだが、恐らくこれはその後齢を経た作者の手による改稿版であろうから、そういう外側の部分にはあまり目が行かなかった。

で、本作の目玉、ミステリ界史上の問題作と云われるほどのこの真相、私は少女漫画の中の世界という特異な設定を前提にした驚愕の真相という前情報を得ていた事もあり、実は看破してしまった。というよりも「これだ!」という天啓にも似た閃きといったものではなく、「まさか、こういう真相ではないだろうな」と軽く思っていたのがそのものズバリだったという、なんとも拍子抜けした感慨だった。

こういうメタミステリは非常に読者の理解を得られにくいだろう。それを逆手にとって誰もが発想しない作品を紡ぐ作家も世界中にいるだろうが、本作がそれらと比肩するに値しないのは、真相のアイデアが誰もが思いつくだろうけど、敢えてしないだろうというレベルでしかないこと、これに尽きる。そのアイデアを得意満面に史上初の試みで自家薬籠中の物として長編本格推理小説として世に問うてしまったところにこの作者の若さがあったのだ。実際16歳だから本当に若い。
読後の今となっては、本作は作家小森健太朗氏の若気の至りとして末代まで記録される作品としか思えない。作者が今後どのような活躍を展開するか解らないが、もし大家になった場合、本作はその経歴に傷をつけかねない汚点になると思うので、早々に絶版にする方がいいんではないかというのが私の個人的な心配である。


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ローウェル城の密室 (ハルキ文庫)
小森健太朗ローウェル城の密室 についてのレビュー
No.715:
(3pt)

なんか理不尽を感じるが

さて最近ミステリ作家というよりもミステリ評論家としての活動の方が忙しい小森健太朗氏の作品を初めて読んだ。
曰くつきの作品『ローウェル城の密室』で史上最年少16歳での乱歩賞ノミネートのこの作家がどんな作品を書くのか、非常に興味があったわけだが、本作は私が呼ぶところのキヨスクミステリであり、出張中の車内で読み終わるような軽い内容である。

主人公は作者と同姓の小森で女性名を使った覆面ミステリ作家(?)である。その彼が出版社のパーティーでミステリアスな雰囲気を持った探偵星野君江と出逢い、溝畑という編集者に原稿の督促を受け、それがもとで殺人事件に巻き込まれるという物。
本作で扱われているバビロンの空中庭園から消失した王女の謎だが、これはこれで歴史上のミステリの真相を探る面白みがあるわけで、これに現代で起きた同様の事件を絡ませた着想は買えるが、やはり最後に明かされる作者の推理は読者の期待を裏切るほど小粒な内容だったと正直云わざるを得ない。

舞台を出版業界、大学(当時東大教育学部博士課程に在籍中とある)と、作者の周辺の環境を扱った内容であり、また本作のテーマとなっているバビロンの空中庭園及びセミラミス王女の消失事件も作者自身の趣味で調べている内容であろうことから、なんともやっつけ仕事のような気がせんでもない。作中、主人公の言葉を借りて書下ろしと雑誌連載では原稿料も違い、連載の方がはるかに実入りがいいとの記述があるが、これなぞ本作が書下ろし作品である事からも作者が自分が元々知っている内容とトリックのストックを1つ使って1本仕上げました、そんなお手軽感が拭えないのだ。

御大島田荘司氏も云っていたが、やはり作家という物は押並べて文筆業一本で生計を立てられているわけではなく、裕福な暮らしをしているのはほんの一握りの作家に過ぎなく、売れるためには量産を強いられるのは止むを得ない。島田氏も路線を変更して吉敷シリーズといった日頃ミステリを読まない人が手に取りやすいトラベルミステリにも手を出したわけだが、それでも彼の作品には単なる謎解きパズル小説に終わらないケレン味があり、登場人物たちには血肉が通っていたように思う。だからこそ吉敷竹史という主人公は御手洗潔と双璧を成すキャラクターになったのだと思う。

まあ、ともあれこれ1作で小森氏の作家としての本質を判断するのは早計であると私も認める。これから彼の諸作を読むことで見極めていこう。


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バビロン 空中庭園の殺人―古代文明ミステリーファイル (ノン・ポシェット)
小森健太朗バビロン空中庭園の殺人 についてのレビュー
No.714:
(1pt)

壁本決定!

人生における闘いをテーマにした、肉体派作家鈴木氏の精神基盤そのものともいえる作品である。
闘い。それは各々の人生に直面した苦難との闘いである。

まず文字通り、格闘技という世界に身を置き、肉体と肉体がぶつかり合う闘いを生業とすることで己を見出す者、それが主人公の1人、真島一馬だ。
そしてもう1人の主人公、社会的地位のある親元で育ち、その後一流大学を卒業して、一流出版社に入社し、そこの編集者という、絵に描いた順風満帆な人生を歩む梅村靖子。彼女の闘いは後で述べるとしよう。

ノンフィクション作家山極恵子は正に生まれた時からが人生との闘いの始まりだった。出産直後、父親に誘拐され、全国を転々とする暮らしを余儀なくされ、終いには父親は仕事上のトラブルで逆上し、取引先の子供を誘拐したかどで地元ヤクザにリンチに遭い、殺されてしまう。
その後母親の許で成長するが、不倫をして子供を宿し、しかも不倫相手は癌で余命幾許もなく、人生を悲観し、自殺。頼る者もないまま、出産を決意し、仕事と家庭の両立で孤軍奮闘。しかも更に数年後同じ過ちを犯し、不倫の子を産み落としてしまう。更には癌にも侵され、仕事と家庭に加え、闘病生活という三重苦に苛まれるという、書こうと思えばこの人物を主人公にするだけで1冊の長編になるのではないかと思われるほど濃密な闘いの人生だ。

これら三人が物語の主軸となるのだが、実は前述で棚上げした靖子のみが闘いに直面していない。
まず彼女にとっての初めの闘いとなったのは、恵子が癌の再発により、入院生活を強いられる段に至り、担当編集者として恵子の息子の世話をする、具体的には高校のお弁当を作ることになったことがそれに当るだろう。
キャリアウーマンである恵子は息子らを溺愛するあまり、子供に家庭の手伝いをさせず、何でも自分でやってしまい、その結果、挨拶といった基本的な礼儀すらも出来ない息子に育ててしまう。靖子はその息子、亮をどうにか自立させようと、お弁当を作りにいくのではなく、自分で作らせる習慣を付けさせようと奮闘する。結果的にはそれは思ったよりも早い段階で成就する。それは亮が真島一馬の熱烈なファンである事を察し、彼の連載記事を担当することでその後、何度となく個人的にも付き合うことになった靖子はそれを糸口に、亮が尊敬する一馬というカリスマを利用して、亮に物事の動機付けを植え付ける。

読んだ時はちょっと安直な流れだなぁとは思ったが、これはこれでまあ、いいだろう。というよりも、子供との会話がない、子供とどう接したらいいか悩んでいる親御さん達には1つのモデルとして参考になる事例でもある。
しかし、その後の靖子はいただけない。

夫と疎遠になり、もはや何の魅力も感じなくなった理由として、夫が彼の人生において常に勝負を避けて言い訳することで逃れてきたことを挙げる。しかし私にしてみれば一流広告会社のエリートサラリーマンとして、高給を取る彼は、社会的にはむしろそれだけの地位を獲得してきたように思えるのだが。靖子はその夫にそういう危難を乗越え、打ち克ってきたことがないから、経験に裏打ちされた言葉というのを持っていない、それが欠点であると指摘する。
しかし、その反面、靖子は離婚を決意しても、夫と直接話し合い、説得することなく、スペインへの出張に旅立つ際、自分の名前を署名し、捺印した離婚届をテーブルに置くだけで、夫が自分の欄を埋めることを期待するのである。
闘いをテーマにしている小説なのに、主人公が闘いを避けていることが、読書中、どうにも腑に落ちなかった。

しかし次第に読み進めると靖子は自分に足りない闘いに向かう覚悟を一馬から得ようとしているのが解る。あまりに他力本願なのだが、まあそれはよしとしよう。
しかし、一度一馬は難敵であるブラジルの柔術家に打ち克っているのだ。そして靖子はそれを聞いて力を得ているのだけれど、結局何も変えようとしない。
終いにはあの結末。
あれを読んだとき、何じゃこりゃ?と思った。
働く女性の立場、格闘家という闘争に身を置く者の話を8年もの歳月を語り、築き上げてきた物語をフイにする結末である。
一瞬壁に打ちつけようかとも思った。

鈴木光司はやはり作家として終わったのだろうか?


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エール―愛を闘え、女と男 (徳間文庫)
鈴木光司エール についてのレビュー
No.713: 4人の方が下記のレビューは「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(8pt)

ほんのりエロいバラバラ殺人短編集

なぜ死体はバラバラにされたかという様々な謎をロジックで解き明かす書解体事件を扱った短編集で、現在、奇抜な設定下の中でのロジックを得意とする異彩の本格ミステリ作家、西澤保彦のデビュー作である。

まず「解体迅速」は後の西澤作品で探偵役を務める匠千暁が早くもお目見えする。
この作品、状況説明の段階で早や犯人は解ったものの、バラバラにした動機が不明だった。その説明は、まあ納得の行くといった程度だったが、真犯人が第1被害者を殺す理由に思わず唸ってしまった。話の前後から交通事故が絡むと思ったが、いやなかなかに鋭い。
こういうさりげない伏線が西澤作品の特徴のようで、それは今後の作品でも同種の趣向が見られる。

続く「解体信条」は後にフルネームと匠千暁の学生時代の先輩である事が判明する高校教師の辺見祐輔が主人公を務める。
これも真相解明前に犯人とどういう風に被害者が毒を飲んだのかまで解ったが、やはりバラバラにした理由までは解らなかった。死体をバラバラにする理由となると、どうも持ち運びの利便性に囚われがちである。まあこれこそ作者が期待するミスリードなのだけれども。

収録作品中、最も魅力的な謎であるのがこの「解体昇降」だろう。
マンションの8階から1階に降りるわずか16秒の間に乗った女性が全裸のバラバラ死体で発見されるという魔術的な殺人事件が起こったエレベーターはどの階にも停止することなく、まっすぐ1階に降り、しかも8階では住民が入れ違いに被害者がエレベーターに乗り込む様子を見ている。死体は首と左手足が切断されていた。あまりにも不可解な事件に捜査陣は値を上げた。堪らず平塚刑事は入院中の上司中越警部に救いを求めるのだった。
次の「解体譲渡」では再び辺見祐輔が登場する。
辺見祐輔はその日お見合いの席にいた。相手の藤岡佳子は垢抜けた美女であったが、どこかであった記憶がある。しかしそれがどこなのか思いつかなかった。傍らでは付添いの中年男性が先週の土曜日に起きたバラバラ死体遺棄事件について語っている。藤岡佳子はおもむろに口を開くと意外なことを行った。彼女は祐輔が毎週土曜日にエロ本を立ち読みしに通っている本屋でいつも見かけていた名も知らぬ美人だったのだ。愕然とし、自己嫌悪に陥る祐輔だったが、彼女の口から意外な話を聞かされる。それは先週土曜日にある妙齢の婦人がそこの本屋で101冊ものエロ本を買い占めていったというのだった。その婦人の目的が何なのか気になってしょうがないという。祐輔と佳子は見合いそっちのけでこの奇妙な出来事について推理を巡らす。
奇しくも(?)2作とも男の煩悩、エロ関係が関与する話となった。前者はこの短編集中、随一の不可能状況で読者の知的好奇心を誘う謎でありながら、最も下らない解決が示される、駄作だかなんだか判らない奇妙な1編。
後者は101冊ものエロ本を買う婦人の謎とこれまた『五十円玉二十枚の謎』を髣髴とさせる面白い謎だが、これもかなり無理がある推理である。この2作は奇抜な謎のために辻褄を合わせるような回答を持ってきたという不自然さが目立ち、好きではない。

「解体守護」では匠千暁のパートナーであるタカチが登場する。
この作品が本短編中ではベスト。事件の真相の約6割くらいは見えていたが、あのおこわが絶妙なアクセントになっている。
今までの短編から作者の手法という物を解っていただけに、この小道具の意味が解らなかったことが悔しいが、清々しい悔しさだ。もう一方の挿話に関しては念頭に置いていたのだが、私の予想を上回る使い方で、これも気持ちのいい敗北感。泡坂氏独特の論理に通じる真相でもある。なんとも云い様の無い奇妙な事件の発端から最後に心温まる家族の話に落ち着くのが私の好み。

「解体出途」では匠千暁は叔母の沢田直子に呼び出されて、娘の結婚を妨害してくれと頼まれる。
今までの短編でそれぞれ探偵役をしていた匠千暁と中越警部が邂逅する作品。だが本作での探偵役は事件に巻き込まれた匠千暁が務め、中越は最初の現場捜査のみの登場で、専ら匠の相手は部下の平塚刑事となっている。
さて物語はなんとも苦笑したくなる性的欲求不満熟女の話で昼のメロドラマのような展開にちょっと引けたが、事件は今までの中で一番難しかった。犯人までは特定できた物の、これにも二重の犯行が成されており、なかなか簡単にはいかない内容だ。こういう三文ポルノ風な話が作者の趣味なのかも。

「解体肖像」では「解体信条」で祐輔に謎を提示した小菅亜紀子・麻紀子の双子の姉妹が今度は匠千暁に謎を提供する。
収録作品中、この短編の謎が最も簡単だろう。私もこの作品の謎はすぐに解った。シンプルな謎で、恐らくおおよその読者も真相は見破れるだろう。
しかし本作で訴えたかったのは傍観者も共犯者であるという重いテーマだ。ある事がきっかけで死者が出てしまったことを知りつつも何もアクションを起こさない貴方達も同罪なんだという作者の熱いメッセージが込められている。

本書の約4割を占める中編「解体照応」は推理劇のシナリオという形式を取っており、180ページという中編ながらも読者にブレイクタイムを促すような軽い読み物になっている。
「解体昇降」で出てきた中越警部と平塚刑事と思われる二人にベテランで狂言回し的な存在のチョウさんという仇名の部長刑事が全般を通しての登場人物。
“読者への挑戦状”が挟まれた唯一の作品。しかしこれは解らなかった。首が切られている上に、髪が全て短く切られているというのは、それぞれの名前についてアナグラム的なパズル趣向があるのかと別の方面での推理をしていたが、全然違った。
明かされる犯人とその動機は、突拍子もないものと思われるが、推理劇という趣向がこの突拍子のなさを逆にフィクションであるが故の、ミステリゲームという意味合いを持たせており、個人的には許容できる内容だ。

以上、7編の短編と1編の戯曲の体裁をした中編だが、
さてこの感想の冒頭で述べたように各短編は「解体」という二文字をキーワードにして、何かを切り取られた事件を扱っているが、非常にヴァラエティに富んだ内容で緩急を持たせ、同類事件の話の繰り返しにならないよう、作者が入念に配慮しているのが解る。
文字通りバラバラ殺人事件から、ぬいぐるみの腕切断や街頭ポスターの首切抜きといった小事まで扱っており、殺人事件から日常の謎までと作者の器用さが十分に出ている短編集だ。

そしてそれらは昔TVで放映されていた「私だけが知っている」という推理ドラマ趣向のクイズ番組のように、「解体照応」以外は“読者への挑戦状”が付されていないものの、作品に提示された情報で読者が真相を解き明かす事が出来る、非常にフェアな作りになっている。かくいう私も、1つ1つの短編について作者が提示する謎に挑戦し、全ては解き明かせないにしろ、犯人やトリックを断片的に解き明かす事が出来、ミステリを読む愉悦に浸る事ができた。
さて本作で登場したタックこと匠千暁、中越警部に辺見祐輔らの探偵役のイントロダクションとしては格好の作品だと思う。彼らが今後どのような活躍をするのか、非常に楽しみになった。

しかし匠千暁の初登場シーンは笑ってしまった。彼の部屋には膨大な書籍で占められているとのこと。これは明智小五郎を筆頭とする日本の推理小説の探偵役の系譜である。乱歩没後数十年経っても、名探偵の特徴は変わらないのだなぁと苦笑した次第である。


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解体諸因 (講談社文庫)
西澤保彦解体諸因 についてのレビュー
No.712:
(7pt)

ピラニア食べてみたい!

毎回このギデオン・オリヴァーシリーズは異国の地を舞台に骨が関わる事件が描かれるが今回はアマゾン河。しかし有名なブラジルからではなく、お隣のペルーからの進入だ。
そして本作は個人的に非常に面白い物となった。読書中、自分がチリへ出張した時のことを思い出したからだ。

本書でも述べられているが、南米への旅行には不便が強いられ、私がチリに行った時も行きは24時間、帰りは28時間かかり、ギデオンたちも例に洩れず、行きは乗り継ぎの空港リマに来るだけで24時間が経過していた。しかも乗り継ぎの空港がリマであるというのも一緒だった。ただ私の場合はチリ行きの便が途中に立ち寄る空港がリマで、乗り降りの必要は無かったのだが。
他にもペルーの主流タクシーである屋根付三輪オートバイ<モトカー>はこちらフィリピンで横行している<トライシクル>そのままだし、国は違えど、南の国々の乗り物はさほど変わらないことを認識させられた。

またクルーザーの船長が乗客に振舞うピスコサワーに激しく反応してしまった。作中で書かれているとおり、この飲み物はペルー特産の蒸留酒ピスコをベースにした飲み物なのだが、これはチリでもよく飲まれており、かくゆう私も出張中、食前酒として何度も飲み、またお土産として持って帰ったくらい、実に美味しい飲み物なのだ。35度という比較的高いアルコール度数とは裏腹に飲みやすい味わいがあり、女性も気軽に飲める、一種の爆弾みたいな飲み物だ。本作を読んで、またこのピスコサワーが飲みたくなった。
更にはマラリアの予防注射が存在せず、錠剤を飲むだけだということも正にこちらで自身がやっていること。つまり本作でギデオンらが体験した事は全て私自身も経験しているようなことで、いつもにも増して親近感を覚えてしまった。

他にも作者が実際に取材したペルーでの旅、アマゾン河クルーズの体験がふんだんに盛り込まれており、我々文明社会に生きる者たちの想像を超える気候、思想、文化が余すところなく作品に活かされて、興味が尽きない。特にアマゾン河に住む部族のシャーマンに逢いに行く際、この体験記を書くために訪れたフリーライターのメルがメモしようとするが、ものすごい湿気のためにゲルインクのペンは凝固せずにそのまま流れ、代わりに鉛筆を使うが、今度は紙が湿気を帯びて破れて書けず、しまいにはノートを綴じている糊が湿気で溶け、バラバラになってしまう。更に代わりに取り出したハンディレコーダーもテープが湿気で膨張し、使い物にならないと、想像を絶する環境なのだ。つまりかくして秘境は謎に包まれるということか。TVや映画でアマゾンを取材した映像を観たりすることがあるが、あれが途轍もない苦労の末の成果だということを気付かされる。

そしていつも思わせられることだが、エルキンズはキャラクターを作る力が本当に抜きん出ている。内容の軽さゆえに、読み飛ばしそうなシリーズだが、毎回ギデオンが旅先で出くわす人物たちは、普通の人とはちょっと違ったエキゾチックな特徴を持っており、それをストーリーに上手く絡ませて、上質のウィットを生み出している。
特に今回は昆虫学者のオースターハウトが個人的には一番面白いキャラクターだった。ゴキブリの権威である彼とジョン・ロウとのやり取りは思わず大きな声を発してしまうほど笑ってしまった。

そして本シリーズの恒例の目玉であるギデオンによる骨の鑑定だが、本作ではなんと全400ページ弱の分量に於いて280ページのあたりと物語も7割を過ぎた辺りでようやく出てくる。しかもメインの事件ではなく、云わば物語の装飾の部分に該当する麻薬取引を取り潰すマフィアの画策に関する事件に関連してくる。しかしこの被害者の正体がメインの事件を絞り込むのに大いに関わってくるから、決して副次的な物ではない。
ただ、この骨の絡んだ事件の真相はすぐに解ってしまった。こう申しては失礼だが、謎としては小学生のなぞなぞのレベルである。

思うにこのギデオン・オリヴァーシリーズはミステリとしての謎の醍醐味よりも、先に書いた登場するキャラクターの面白さと売りとなっているギデオンの骨の鑑定から判明する意外な事実、つまり知的好奇心を満たす新情報といった小説としての旨みにある。前作ではそろそろジュリーとギデオンとの間に何か変化が起きてもいいのでは?などと書いたが、やはりこのいつものメンバーがいつものように旅先で出会う事件を、ギデオンが骨を鑑定しながら解決する、こういう定型を愉しんでいるのだと再認識させられた。

さて最後に本作の原題“Little Tiny Teeth”とは直訳すれば「小さな小さな歯」となるが、これはピラニアの歯を指している。このピラニアの歯がギデオンの骨の鑑定に少しばかりお手伝いをしている。恐らくこれは作者エルキンズが目の当たりにした自然界の力強さを象徴するものだったのだろう。

不思議の世界アマゾン。エルキンズの筆によるアマゾン行は面白かったが行きたいとは思わなかった。ただこのピラニアは一度食べてみたいなぁ。


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密林の骨 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
アーロン・エルキンズ密林の骨 についてのレビュー
No.711: 1人の方が下記のレビューは「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(7pt)

異色のZ

まず本作は悲劇四部作において、変奏曲ともいうべき作品になるだろう。それは前2作から打って変わって物語はサム警視の娘ペイシェンスの一人称叙述で語られることから明らかだろう。
そしてレーンは冒頭に出てきてからは成りを潜め、終始ペイシェンスとサムが物語の中心となって事件の捜査に当る模様が語られ、読みながらしばし「これはドルリー・レーンシリーズなのか?」と首を傾げる事があった。物語もちょうど中間に差し掛かってようやくレーンが事件に乗り出す。
しかし今回のレーンは前作『Yの悲劇』から10年経った設定であり、70を超える老境に入っており、そのため身体的にも衰えが著しく、前2作に比べると精彩を欠き、快刀乱麻の如き、もしくは全知全能の神の如き活躍を見せない。

そんな人物配置であるから物語は自然ペイシェンス・サム中心となって語られる。それが故に、この作品では1930年代での女性に対する男性社会の偏見がそこここに見られる。
この時代では女性の社会進出はまだ珍しく、女だてらに殺人現場や容疑者を尋問の場に立会い、自分の意見を開陳するペイシェンスを蔑視する描写がところどころに現れる。事件捜査の中心人物である地方検事ヒュームはペイシェンスには見向きもせず、意見を述べると鼻で笑ったりもし、洞察鋭い意見であっても見直すこともなく、女如きが、と蔑む。
私が並行して読んでいる現代の海外ミステリ、例えばフリーマントルの諸作やエルキンズの諸作で活躍する女性に対する主人公含め男性諸氏の眼差しとは隔世の感がある。

またクイーンは到底レーンが活躍するものだと思っていた読者に対し、このペイシェンスがレーンに匹敵する叡智の持ち主であることを納得させるためにホームズ紛いの推理のお披露目をレーンとの邂逅シーンで設けている。それは初対面でいきなりレーンが回顧録をタイプライターで打っていることを云い当てるのだが、この推理に疑問を感じる。
レーンがペイシェンスの推理を補完するために、老境に達した男が今頃になってタイピングを習得し始めたとなると、自らの功績を書き残しておくためしか考えられぬと述べているが、これはどうだろう?
隆慶一郎氏のように老境に入って作家活動を始めるという人間もいるのではないだろうか?これを以て唯一無二の真実とするには論理としては弱すぎるだろう。それともこの時代はそういう作家はいなかったのだろうか?

で、本作『Zの悲劇』だが、やはり前2作に比べるといささか迫力に欠けるのは巷間の評価とは一致するものの、結末まで読んだ今では、最後怒濤の如くレーンが開陳する弁証法による消去法で瞬く間に容疑者が絞られ、1人の犯人が告発されるあたりはロジックの冴えと霧が晴れていくカタルシスが得られ、個人的には凡百のミステリよりも優れており、楽しめた。

巷間の評価が本作についてかなり低いのは、やはりこのペイシェンスというキャラクターが妙に浮いている感じを受けるのと、前2作に比べ、タイトルに掲げた「Z」の意味がインパクトに欠けるからだろう。

さて次の作品でこの悲劇四部作は終焉を迎える。本作で登場したペイシェンスは更にレーンに関わりを持つのか?そしてどんな結末が待っているのか、楽しみして臨みたい。


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Zの悲劇【新訳版】 (創元推理文庫)
エラリー・クイーンZの悲劇 についてのレビュー
No.710:
(7pt)

神の配剤が多すぎる!

数年前、本作を執筆するために自身が所有するヨットで航海している作者の姿をTVで見たことがある。確かその時の番組は『情熱大陸』だったように思うが、その番組内でのナレーションで、この作家は自分の作品のテーマにすることを自らの身体で体験しないと書けないというようなことを云っていたことを思い出した。
17年前の太平洋横断航海で沈んだ船の謎を軸に、親子の絆の回復と自然教育を絡めた本作はその時の経験がいかんなく作品に反映されている。

特にガッチリとした体型の主人公船越はそのまま作者の姿を投影したものと思われる。その他、人生の先輩とも云える岡崎や、かつてのクルージング仲間牛島などは作者を取り巻く同好の士がモデルだろう。
そして特に女性陣の特徴が際立っている。岡崎の愛人の娘、稲森裕子に、中絶して、この世にはいないと思われていた船越の娘陽子。そして17年前の航海で立ち寄ったパラオで出会った運命の女性水上朝代。彼女らは全て男に癒しを施す、聖母のような包容力と強さを持つ。16歳の陽子でさえ、それを感じる。

しかしそんな女性陣の中で特に異彩を放つのが船越のかつての恋人、升野月子だろう。どこまでも自己中心で、躁鬱が激しく、常に人の注目を集めていないと気がすまない女性である。しかも自分のカタルシスを得るためならば、人の心に一生残る傷を与えるような話も平気でする女性だ。こういう人間は確かにおり、しかもなぜか男どもは危険だと思いつつ、関係を持つ欲望に抗えない。人生を達観している岡崎でさえ、手を出し、火傷を負ってしまう。
この月子こそ船越の人生を狂わせ、ある時には周囲の人間の運をブラックホールのように吸い込み、命まで奪うほどの悪女であるのだが、勧善懲悪物のように、この話では彼女には天罰は下らない。そんなことなど些末な物だと思える天啓を船越は得るのだ。

谷甲州氏もそうだが、自然を相手にした趣味を持つ者は神々の恩恵、畏敬そして神の配剤という物を肌で感じるのだろうか。自身、船を所有する作者もまたクルージングを趣味にしており、山と海と対象は違えど、その内容に人間の理解を超えた恩恵をあるがままに受け入れ、作品に取り入れる特徴が両者には見られる。
本作で実に魅力的に描かれるサブキャラクター岡崎の、奇妙な人生が2章で書かれているが、それはまさに神の祝福を受け、岡崎が成功した人生を歩んできたことをそのまま肯定するかのような内容だ。

小学校5,6年のときに毎日校門を潜ると、空から光が降り注ぎ、髪のみならず各国の人々からの喝采を浴びるような経験、イタリア留学中、地中海でヨットの処女航海に出た際に感じた海の真っ只中で聞こえた音楽、それを基に作曲した映画音楽で一世を風靡した人生に、土地を転がし、バブル崩壊前に売却し、巨万の富を築くという夢のような成功譚。
そして主人公船越が太平洋への航海に踏み切るのも、岡崎の娘稲森裕子から聞いたスキューバダイビング中にフィジーの沖で発見した沈没した船がかつて自身が沈没した船であったこと、そして彼は正にその時、航海できる船を得たこと、そして15年ぶりに沈没した船に同乗していたかつての恋人から電話を受けた事、そういう偶然が動機となっている。あまりにも出来過ぎた設定だが、これを作者は主人公を導くために作った神の道筋だと述べる。

しかしそれがこの作品をどこかで読んだ話のように思わせているのは確か。海を越えて巡り合う血の絆。これは正にこの作者のデビュー作『楽園』のテーマそのものではないか!
『リング』シリーズで一躍時代の寵児として躍り出た作者が宣言したホラー断筆宣言。その先に見た作者の道筋とは親と子の物語であり、家族の抗えない血の絆をテーマにした物語。そしてその物語を紡ぐために原点回帰とも云えるヨット航海を選んだのだが、いささかそれが偶然に次ぐ偶然に寄りかかった話のようになってしまったのは非常に残念である。

本作ではこの見えざる力による主人公の行動を逐一納得させるために作者が自身の考えを執拗に開陳しており、これが押し付けがましさを感じさせ、逆効果となっているように思えた。下世話な云い方をすれば、俺はこういう風に思う、そうだろ?そうだろ?と何度も同じような話を聞かされているようで、しかも自分で紡いだ話を証拠として、ほらなとしたり顔をしているように感じた。
上にも書いたように、今回この作品でちらついたのがデビュー作『楽園』だったように、この作者の書くテーマ、モチーフに同一の物が多く、意外に引き出しがないように思われる。『情熱大陸』で語られていた「自分で体験しないと書けない」という言葉は裏返せば「自分で体験した事しか書けない」ということだ。『リング』シリーズ以降、大きなヒットに恵まれない理由がここにあると思うのだが、辛辣すぎるだろうか?


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シーズ・ザ・デイ
鈴木光司シーズ ザ デイ についてのレビュー
No.709: 1人の方が下記のレビューは「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(7pt)
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登場人物たちに“熱”が感じられない

後に『黒い家』で日本ホラー小説大賞を受賞する貴志祐介氏のデビュー作。
これはその前年に書かれ、同賞の佳作を受賞したホラー作品だ。

単純な多重人格者によるサイコホラーと思ったら、予想に反して意外なアイデアが含まれており、この着想の妙を手放しで褒めたい。1995年に起きた阪神大震災を上手くストーリーに絡めて、このようなモダンホラーを作り出す貴志氏の着想の素晴らしさ。
これがデビュー作だというのだから、畏れ入る。

こういった奇抜なアイデアを一見本当のように読者に信じさせるには、それなりの裏付けが必要なのだが、本作ではそれが十分になされている。物語の主軸となる臨床心理学、認知心理学、精神薬理学からの学術的理論から雨月物語に出てくる古典からの引用、はたまた千尋の中のそれぞれの人格に名づけられた名前に使われた漢字の意味による性格付けなど、理系・文系の双方から物語を肉付けして、尤もらしく読者に信じ込ませ、頭に浸透させようとしている。
そしてそれは個人的な見解だが、見事に成功していると思う。つまりこの作家は自分で考え付いた壮大な嘘を読者に信じ込ませるという、作家としての十分な資質があることがこの第1作で窺えるのだ。特に各人格に与えられた名前が性格に起因しているなど、言霊が宿るような土俗的な要素も含まれており、これが最後になって非常に有効に働くその手腕は素晴らしい。

では物語としてはどうかというと、これはさすがにまだ物足りないと云わざるを得ない。
確かに開巻以降、主人公由香里のボランティア活動の顛末、物語のメインキャラクターとなる森谷千尋との出逢い、森谷千尋の隠された秘密、彼女に潜む未知の存在の表出、千尋の治療への光明から、新たなる脅威の出現、サブキャラクターへのアプローチ、と物語は淀みなく進む。筆致もしっかりしているのだが、物語に必要な読者の感情を振幅させる“熱”という物が見えない。行間から迸る作者の読者に訴える熱意が感じられないのだ。
恐らく貴志氏は理系型思考の人間だと思われる。本作に登場する由香里と後半に出てくる真部との化学反応がなんとも云えず、淡白だ。望むと望まざるとに関わらずエンパスという相手の心を読み取る能力を持ったが故に家族との断絶を余儀なくされた天涯孤独の身の由香里の恋愛の対象として真部を設定したことは多重人格者への治療と、未知なる不穏な存在磯良の登場に終始した無機質な物語に潤いを与えるエピソードであるはずなのに、なんともまああっさりとしたものである。
中学生や高校生、大学生といった学園ドラマでももう少しマシな恋愛が描かれるぞと云いたくなるほど、拙い男女関係である。特に偶然乗り合わせたバスで出逢った男性が、由香里の逢うべき対象であった真部その人だったという件は、苦笑を禁じえないほどベタな展開である。
最後のクライマックスの雷雨の中での磯良との対決シーンでさえ、ステレオタイプな感じがしてしまい、いささか迫力不足。

そして本作で怪物の権化として登場する十三番目の人格、磯良。これは哀しいかな、当時一世を風靡していたモダンホラー、『リング』の貞子の亜流として見られたのではないだろうか。確かに両者を比べた時に、貞子のインパクトの方が断然強い。
それは作者鈴木氏がこの作者にはない物語としての“熱”を確かに備えており、貞子が作者の手を離れて一人歩きしているがの如く、キャラクターとして確立しているからだ。

しかし今の段階で読むと、これは全くの別物として捉えるのが筋だろう。個人的にはこの磯良というキャラクターの設定はクーンツの諸作に現れるこの類いの敵よりもよほどしっかりしていると感心している。
そしてアイソレーション・タンクなる代物。これは確か有栖川有栖の火村シリーズ『ダリの繭』にも出てきたフロートカプセルと同じだろう。これを使って片や本格ミステリを、そして片やサイコホラーを創作する。

当時学生だった私は寡聞にしてこの装置を知らないが、それほど流行ったものなのだろうか?そしてなぜ寝不足社会の今の世にこの装置の存在が忘却の彼方にあるのだろうか?短時間で深い睡眠と安息が得られるこの機械、前にも増して今の世にニーズはあるはずなのだが、やはり一過性の話題で終わったのだろうか?
しかしこれほどの作品であっても日本ホラー小説大賞佳作である。この後の『黒い家』を読んでみないと解らないが、なんともまあハードルの高い賞だ。

十三番目の人格(ペルソナ)―ISOLA (角川ホラー文庫)
貴志祐介十三番目の人格 についてのレビュー
No.708:
(8pt)

いい男ぢゃないか!

古くは『ストーカー』、『邪教集団トワイライトの襲撃』、『ウィスパーズ』、『ウォッチャーズ』、そして最近では『ハズバンド』、『チックタック』といった一連の逃亡物、クーンツ独特のノンストップアクションだ。
そして上にも挙げたように、これらの作品においてクーンツは傑作が多く、逆に最近の同じ系譜の作品が最後に悪い意味で裏切られる傾向にあったのだが、本作でとうとうそれらの忸怩たる思いが一気に解消された。
とにかく本作ではクーンツの悪い特徴である勿体ぶったところが全くなく、いきなり物語の核心から始まるところが非常によい。往年のノンストップアクションスリラーが帰ってきたかのように、物語はどんどん加速度をつけて進んでいく。

主人公のティム・キャリアーは朝起きては仕事場でレンガ工として働き、仕事が終わると行きつけのバーで旧友と他愛もない会話を楽しみ、家に帰って寝ては、また翌日から仕事に向かうという単調で安定した生活を送る独身男性だ。
最初は殺し屋と間違われたことで、それら安定した生活が終わりを告げる。赤の他人の命をそのまま殺し屋に委ねて、自らの安寧を固持してもよかったのだが、自らの心に問うてみるとやはりそれは出来なかった。そして彼には彼女を守る“力”があった。

このティムの秘密は、物語の進行で折に触れ、小出しに触れられるが、最後の最後でようやく全貌が明らかになる。それは色々なアクション映画や同種の小説を読んできた者にしてみれば、特段意外な正体という物でもなく、十分予想が付く物だが、今回はそれで語られる周辺のエピソードが非常に心地よい。これについては後で話そう。

翻って不幸にも標的となった女性リンダ・パケット。TVも持たず、キッチンと車庫の間の壁を取っ払い、台所に自身お気に入りの39年式のフォードを停めている作家だ。彼女はペンネームで何冊かの小説を上梓しているが、それはいずれも己の内なる憤怒をぶちまけた物である。何ゆえ彼女がそれほどまでに世間に対し、人間に対し怒りを持っているのか、それは後半で明らかになる。
このリンダが幼い頃に味わった不幸、家族が経営している保育園が、モンスターペアレントの心無い悪評で、幼児虐待施設となり、両親ともども幼児嗜好の高い性的倒錯者だと周囲に刷り込まれ、実刑判決が下り、共に刑務所で服役中に死亡するという救いのない話は、『ドラゴン・ティアーズ』から続くクーンツの裏テーマ“狂気の90年代”に他ならない。

そして彼らを執拗に追うクライト。クーンツ諸作に出てくる絶望的なまでに狂気を湛えた殺人鬼同様、彼もまた異常な価値観と自己陶酔の気を持った自信家であり、また狂気に満ち溢れた人物として描かれている。
自らを世界の皇帝と称し、世界は全て自身の都合のいいように便宜を図り、失敗する事など微塵も信じない男。その精神の安定性は一種独特の狂気がなせる業なのだが、とにかく変わった人物だ。常にR・Kのイニシャルを持った偽名を使い、自分の家を持たず、他人の家を自分の家として留守の間に勝手にシャワーを使い、料理を食べ、ベッドで寝る、普通の神経では考えられない男だ。よくもまあ、クーンツはこんな特異な人物を次から次へと考え付くものである。

物語の主題はこの2人と1人の逃亡・追跡にあるのだが、もう1つ“何故リンダは命を狙われるようになったのか?”という謎がある。昨今のクーンツ作品と本作が違うのはこれについてもきちんと答えを用意していることだ。しかもクライトとの決着がついた後に30ページ弱を費やしてこの辺について語り、更に決着までつけている。しかもそれが読書の余韻を静かに誘う。
真相は陳腐といえば陳腐。
こういう風に書いていくと、本作がなぜこれほどまでに私の中で評価が高いのかが一向に理解できないと思われるだろうが、この作品にはクーンツ一連の単なるジェットコースター型ノンストップアクション小説とは一線を画す味付けが最後に施されていたからだ。

最近になって再び刊行が顕著になってきたクーンツ。
とはいえ『ハズバンド』、『対決の刻』、『チックタック』と続いた一連の作品は消化不足感が拭えず、フラストレーションが溜るばかりだったが、ここに来てようやく快作が出た。傑作とまでは云わないまでも、クーンツ作品の中でも私の中では上位に入る作品となったことを付記しておこう。


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善良な男 (ハヤカワ文庫NV)
ディーン・R・クーンツ善良な男 についてのレビュー
No.707:
(5pt)

事件は雲の上で起きているんじゃない!

新日本航空のスチュワーデス、早瀬英子こと、眉目秀麗かつ聡明なエー子と藤真美子こと、小太りで豪放磊落なビー子の、通称ABコンビが出くわす事件を綴った連作短編集。
まず「ステイの夜は殺人の夜」で幕を開ける。
「忘れ物にご注意下さい」は旅行会社が企画した、赤ちゃん同伴の夫婦もしくは奥さんを対象にしたベビー・ツアーで起こったある忘れ物の話。
道化役のビー子に一目惚れする男性が現れるというのが「見合いシートのシンデレラ」。
「旅は道連れミステリアス」は福岡発東京便の機内でエー子が福岡の和菓子屋『富屋』の主人富田敬三と出くわすところから始まる。
「とても大事な落し物」は機内でトイレで封筒の落し物が見つかるという物。それにはなんと「遺書」の文字。中身を確認するが署名がない。果たして誰が自殺を図ろうとしているのか?
いきなり客室乗務員室の電話が鳴り、エー子が取ると「乗客の1人を殺害した。金を出さないと今後お前のところの乗客を同じように殺していく」と脅迫されるショッキングな幕開けの「マボロシの乗客」。
「狙われたエー子」はシリーズの掉尾を飾る1編。

パズルあり、日常の謎系あり、殺人事件ありと色んなヴァージョンが楽しめる短編集。
しかしスチュワーデス(今ならキャビン・アテンダントだから、この辺は次回重版時に改訂しないのだろうか)の凸凹コンビという主人公と内容の軽さゆえに数日経ったら忘れてしまいそうなキオスクミステリだ。実際旅先、出張先の売店で購入し、片道の車内や機内で読み終わってしまう。

まず「ステイの夜は殺人の夜」はよくあるアリバイトリック物で、これは真相が解った。まずは挨拶代わりに軽いミステリを、といったところか。

「忘れ物にご注意下さい」はこれは自分でもロジックを組み立ててみたが、敢え無く撃沈。作者の解明の方がすっきりしている。作者お得意のパズル物。

「見合いシートのシンデレラ」が個人的にはベスト。最後の真相が面白い。
今の世になって、こういうカップルは珍しくなくなってきてはいるけど、ミステリネタとしてはまだ新鮮。よく考えるとビー子はちょっとかわいそうだ。

「旅は道連れミステリアス」は偶然が架空の心中事件を産み出すという面白い趣向だ。
こんな奇妙な成行きは読者の推理では解けないでしょう。最後に事件をこのまま押し通す富田の妻の毅然たる決意が物語を引き締める。ミステリとしては弱いが、物語としてはなかなか読ませる一編。

「とても大事な落し物」は「自殺志願者は誰?」とある作品へオマージュを捧げる副題を付けたくなる1編。限られた乗客がそれぞれ自殺志願者らしい振る舞いをするが、悉く外れる。しかしこれは肝心要の遺書の持ち主を限定するロジックが弱いような気がする。奇抜さを狙いすぎた感が否めない。

「マボロシの乗客」は事件の展開ほど緊張感がない。逆に作者はコミカルさをずっと出している。まあ、恋すると見境が無くなってしまいますからね。

最後の「狙われたエー子」は東野氏の上手さが光る。何気ない冒頭のシーンに事件の最大の手掛かりが実にさりげなく書かれているのに驚く。軽すぎてすっと流しそうだが、こういうの書こうとすると実に難しい。心憎いほど上手いです、東野圭吾氏。

とまあ、ライトミステリながらもそつの無さを発揮している短編集だが、しかしやはり今までの東野氏の同傾向の作品に比べるといささか軽い感じがする。『ウィンクで乾杯』とか『白馬山荘殺人事件』とかでも密室殺人とか暗号解読とか本格趣味に溢れていたし、『浪花少年探偵団』も同趣向の短編集ながら、1編に1つの事件だけでなく、2つの事件が絡み合うとか、ケーキからナイフが飛び出るといった不可能趣味が加味されており、それに加えて主人公以外のキャラクターが更に物語を盛り立てて相乗効果を上げていた。
しかし本作ではスチュワーデスという職業柄、空港や機内と場所が限定されるせいか、場面のヴァリエーションに乏しく、それがためが総体的に小手先ミステリのような感じが否めない。

そして間の悪い事に『Yの悲劇』を読んだ後だと、非常に物足りなく感じてしまった。物語の熱量が違いすぎた。
まあ、これだけあれば色んな作品もあるわけで、さすがに全てが水準以上とは行かないだろう。次回作に期待。


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殺人現場は雲の上 新装版 (光文社文庫)
東野圭吾殺人現場は雲の上 についてのレビュー