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Tetchy さんのレビュー一覧
Tetchyさんのページへレビュー数1418件
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本書は妻と一人の娘を持つ男の不倫の物語である。
しかしそこは東野圭吾氏、単なる男の道ならぬ恋を描かない。そこにはやはりミステリが織り込まれている。 建設会社に勤める主人公渡部の不倫相手仲西秋葉は高校時代に自宅で殺人事件の第一発見者となっており、その事件の時効が直前に迫っていた。そして彼女は殺人事件の真犯人だと睨まれていた。 しかしこれは世の女性が読めば男に対する嫌悪感が否応なしに増す物語だろう。妻子ある男が自分を正当化して浮気し、不倫まで発展していく様子と、それを上手く隠して家庭を守ろうとする姿に憤りを覚える女性は少なくないだろう。 奥さんに罪悪感あるのなら不倫しなければいいじゃん!と本書を読みながら声高に唱える女性読者の姿が目に浮かぶようだ。 さらに火に油を注ぐかの如く不倫相手の派遣社員仲西秋葉が実に都合のいい女性として描かれている。30代、165センチのすらっとした鼻筋の通った眼鏡美人。しかも渡部の家庭を崩すことは考えておらず、週に一度デートとセックスをしてきちんと家に帰すというまさに世の男が理想とする不倫相手なのだ。しかも渡部の奥さんの有美子は夫の不倫を疑っていない(ように描かれている)。 特に渡部の主観から映る有美子の様子は世の女性ならばそんな嘘はすっかり奥さんにはお見通しなのよ!とばかりにすごい剣幕で読んでいるのではないか。 このまさに男にとって実に都合のいい話はしかし最後でどうにか救われる。 さて渡部のこの不実な言動は解らなくもない。誰だって綺麗な女性を目にすれば何かしら接触を持ちたいと思うのが本音だ。頭では既婚者であることは解っていてもまだ自分の男ぶりを試したいという気持ちがあるのが男だろう。 しかしだからといって同性である男性が共感する話かと云えば決してそうではない。私はこの主人公渡部の身勝手な言動に終始腹を立てていた。 本書はアラフォー既婚男性である渡部の一人称叙述で語られており、この渡部の言葉や思想がいやに断定的でこれが世の中の男性の思いを代弁しているかのように書かれているのが非常に腹立たしかった。 曰く、妻とのセックスはときめきはなく、ただ外的な刺激に反応しているだけ。 世の中の夫婦の大多数はもはや男と女ではない。 結婚式と結婚は違う。 結婚は安心を得るためにし、その安心を得るために払った代償は大きかった。 いい母親はかつてのように恋人の対象ではない、セックスしたい対象でもない、かつて愛した女性とは別物。 こうやって挙げていくだけでも非常に失礼甚だしい渡部語録のオンパレードだ。一緒にすんな!と何度も声に出してしまったことか。 また不倫相手の秋葉が家庭を大事にする自分に気を遣って嘘をついてまで家庭のイベントを優先させることに気を揉んで、とうとう一線を超えた発言を勢いでするなど、非常に考えの浅いところが鼻についた。 責任を取る、後悔はしない、させないとその場で半ば意地になって断言し、その後の秋葉の態度や云ったことの重大さに押しつぶされそうになり、どんどん家庭崩壊へのカウントダウンが始まっていく。特に残酷なのは奥さんである有美子が良妻賢母で夫の不倫を一切疑っていないことだ。どうしてこんなにいい奥さんを持って不倫が出来るのか、それが恋愛だと云われても良識あるアラフォーの男の発言だとは思えないほど浅薄だ。 結婚後数年経っても恋愛感情を持つ夫婦はいる。それが私だ。 私は嫁さんが大好きである。とにかくこれだけ自分の為に尽くしてくれる嫁さんには感謝の気持ちしかないし、本当に逢えてよかったと思っている。 だから女性の読者は渡部の考え方が妻帯者の一般論だと絶対誤解しないで貰いたい。 しかし渡部の言動は離婚をした東野氏の本音なのか?そして理想の不倫相手を描くための妄想の産物なのか? 浮気の隠し方やアリバイ工作などあまりにリアルで実体験が伴っているようにしか思えないのだが。逆に想像でもそんなリアルを感じさせるのが作家なのだと開き直られそうな感じもするが。 また渡部の生活にもリアルさがないのが気になった。建設会社の主任クラスで移動にタクシーを頻繁に使い、銀座や横浜のバーで飲み食いし、さらにはホテルをとって毎週情事に浸るなんて、およそ一介のサラリーマンの懐事情とはかけ離れた生活をしているのが非常に気になった。 こんな生活が出来るほど貰ってないだろう。ましてや家のローンも残っているだろうし、そんなときに真っ先に減らされるのが夫の小遣いなのだから、この辺のリアルさに欠ける描写の数々は東野作品らしくなくて非常に気になった。 そんな不快感を終始覚えた本書は最後の事件の真相が明らかになってどうにかギリギリのところで踏み止まってくれた。 やはりこれはミステリだった。事件の関係者がたった4人でしかも特に不可能趣味がある犯罪ではないのに、意外な真相と人の心の裏面を描き出してくれた本書はクイーンの後期の作品に通ずるエッセンスを感じたというとほめ過ぎだろうか。 しかしとはいえ、やはり不倫を正当化する男の話は読みたくないものだ。同性としてなんとも情けなくなってくる。これ1冊で勘弁してもらいたい。 ▼以下、ネタバレ感想 |
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本書はアメリカとソ連、すなわちCIAとKGBの永い冷戦の歴史を数奇な運命を辿ったアメリカとソ連に別れて育てられた2人の異父兄弟の生き様に擬えて語った一大叙事詩だ。いやもっと端的に云うならば米ソ二大国を巻き込んだ壮大な兄弟ゲンカとなるだろう。
しかし戦争や民族抗争が生む業というのはどうしてこうも深いのだろう。ただユダヤ人に生まれたというだけで狂った政府は粛清を行う。有名なのはナチス・ドイツだが、本書ではスターリン政権下のソ連が舞台で狂えるスターリンもまたユダヤ人が自身の命を狙っているとしてユダヤ人を次々と処刑していった。 そんなユダヤ人の中に詩人トーニャ・ゴルドン=ヴォルフがいた。そして一方ソ連のKGBにはボリス・モロゾフと云う常に哀しみを讃えた眼差しを持つ男がいた。その2人が出逢ったが故に、この数奇な運命を辿る兄弟の物語は始まる。 アレクサンドル・ゴルドンとジミトリー・モロゾフ。2人の兄弟の生い立ちはアメリカとソ連が辿った冷戦の歴史そのままだ。アメリカに渡って伯母の許で育てられ、西洋の文化に触れ、アメリカ側からソ連の有様を知るアレクサンドル。 一方ソ連に留まり、孤児院で荒んだ生活を送りながらKGBに所属するジミトリー。父親の死を知らされることでユダヤ人を憎むようになる彼は深く深く憎悪の闇へと堕ちるような人生を送る。 この対照的な二人の生き様はまさに陰と陽。それはそのままアメリカとソ連の辿る歴史の行き様でもある。 我々はアレックスとジミトリーの生涯を通してアメリカとソ連、そして1960年代から90年代にかけての世界情勢の暗部を知ることになる。 スターリンのヒットラー信望から端を発するソ連国内での大量ユダヤ人虐殺、いつ失脚し、粛清を受けるか解らない極限の緊張下に置かれたソ連政府の高官や軍人たちは秘密裏に西側諸国へ亡命を企て、ソ連政府は情報漏洩を阻止すべくKGBの工作員たちを派遣し、次々と粛清していく。 物語のキーを握るCIA工作員フランコ・グリマルディのソ連での潜入任務を通じて、日々の生活でさえ、絶えず周囲の監視の目を意識して送らねばならない雰囲気は途轍もない重圧を行間から感じる。 そして運命の2人が邂逅した時こそ彼らの人生を流転させる瞬間でもあった。最初は長年適わなかった再会を喜び、それぞれがそれまで辿った道のりを語り、空白を埋めていこうとするのだが、それぞれが育った文化の違いゆえにやがてそれは衝突を迎える。 母を尊敬する兄アレックスに対し、KGB工作員となった弟ジミトリーはKGB将校だった父親が処刑される原因をユダヤ人の母であるとし、憎悪している。そしてお互いの国の政治やシステムについて語るにつれ、その溝は深まっていく。そして決定的なのは2人が同じ女性を愛してしまったことだ。 諜報活動の駒として捕まえたロマノフ家の末裔タチアナにいつの間にかその姿態に絡め取られ、KGBの権力で征服を強調するジミトリーに対し、学問のみならず芸術にも造詣が深く、人間的な魅力でお互いに惹かれ合うアレックス。アメリカとソ連でそれぞれ育った兄弟の戦いはタチアナと云う1人の女性を巡る愛もしくは欲望から始まる。 アレックスは彼女を弟から奪い、それを知ったジミトリーは自身の手でタチアナを暗殺する。しかもそれはフランコ・グリマルディがアレックスをCIAに引き込むためにわざとリークした情報だった。 このタチアナの死こそが2人の永い戦いの始まりのトリガーとなる。この1人の女性を巡る兄弟の復讐と殺戮の連鎖はCIAとKGBという2大スパイ勢力の戦いにまで発展する。 こんな業深き2人の兄弟の生い立ちに深く関係するジミトリーの父親ボリス・モロゾフとはどのような人物だったのか。 ボリス・モロゾフの業は亡き妻の叔父を処刑したことから始まる。ソ連の敵対国であったポーランドは妻の生まれ故郷であり、しかもポーランド軍に彼女の叔父がいたのだった。そしてソ連軍によって捕虜となったポーランド兵を次々と処刑する任務に就いていたボリスの許に捕まった叔父がいたのだ。彼はモロゾフの名を連呼したことが功を奏してモロゾフと処刑寸前に逢う事が適うが、ソ連において上を目指すモロゾフは彼の存在を出世の足枷とみなし、その場で射殺してしまう。 そんな非道な行為の報いか、彼は愛する妻と娘2人を進攻したドイツ軍によって連れられ、処刑されてしまうのだ。傷心の彼の前に現れたのが亡き妻の面影を持つユダヤ人女性トーニャ。その出逢いがまた彼を狂気に駆り立てる。 彼女の夫であるユダヤ人男性を、証拠を捏造して反政府分子の1人に仕立て上げ、無理矢理逮捕して強奪したKGB捜査官ボリス・モロゾフもまたソ連という絶対秘密主義社会の歯車であることを利用して得られた権力を利己的に揮うがゆえに、雁字搦めに追いやられ、次第に破滅の道を辿っていく。 欲望、烈情、支配欲、出世欲、権力。これらのうち誰しもが1つは駆られる感情だ。 但しある特殊な環境で育った兄弟2人にとってはその出自自体が政治的醜聞の要素を色濃く湛えているがために、周囲から苛められ、また疎外される環境に否応なく追いやられてしまった。生まれた時からマイナスの状況であった2人にとって周囲を見返すために成り上がることは必然的な感情の発露だった。 ただアメリカとソ連、それぞれ共産主義と民主主義を看板に掲げる国にそれぞれ育った2人はおいそれとその道程も変わってくる。先にも書いたがまさに陰と陽、カードの表と裏といった環境で育った兄弟にとって陰であり裏であった弟は陽であり表であった兄を当然の如く忌み嫌うようになる。 この兄弟が殺戮の狂宴を国家権力を用いて繰り広げる絶望的な展開のなか、どう転んでも悲劇的な結末でしかあり得ないだろうと思われた読者の予想をバー=ゾウハーは軽々と覆してくれた。 いやはや何と云う物語を紡いだものだ、バー=ゾウハーは!まさに世界の表と裏を知り尽くした彼しか書き得ない叙事詩だ。 例えばジミトリーの生い立ちを通じて仔細に語られるKGB訓練学校の場面などはどうやってここまで書けるのか。 海外で潜入工作員として暮らしていくために行われる語学、文化、習慣についての授業に加え、尾行術、戦闘術に武器の使い方、そして暗殺の方法などについて教えられる場面が詳らかに描写される。作者の取材の賜物か、もしくは想像の産物なのかは解らないが、驚愕を覚えずにいられない。 本書は2人の兄弟の生き様を通じて描かれた米ソの冷戦の遍歴であると同時に世界を緊張下に長らく至らしめたあの冷戦とは一体何だったのかという命題に対し、作者なりに総括するために書かれた作品でもあるのだろう。 最近は寡作であるバー=ゾウハーはこの後に書かれた作品は『ベルリン・コンスピラシー』の1作のみで、しかも15年も経った2010年になっての作品だ。 巷間から忘れ去られるには非常に勿体のない作家だけに、これほど新作を期待する作家もないのではないか。 世界は彼の新作を待っているはずだ。 ▼以下、ネタバレ感想 |
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マクリーン7作目の本書は豪華貨客船上で起こる数々の不審死とミステリ風味溢れる設定で幕が開ける。
いつも通りに行われるだろう出港は小型核兵器を盗んで失踪した科学者の捜索のため、アメリカ海軍の調査で足止めされ、さらには突然の乗客の要請で棺桶をニューヨークまで運ぶ羽目になった豪華貨客船。そんなトラブルでも航海は上々と思われたが、スチュワード長の失踪を皮切りに首席通信士、四等航海士が遺体となって発見される。 そんな展開はまさに船上の密室状態で繰り広げられる本格ミステリなのだが、物語の半ば170ページ前後で犯人は判明し、一味を取り押さえる事に成功して物語は一件落着の様相を呈するのだが、そこはマクリーン、単なるミステリでは終わらない。 そこからはまさに怒涛の展開。船内に忍び込んだテロリスト一味の仲間によって船は制圧され、主人公のジョニー・カーターも機関銃によって太腿を撃ち抜かれ、重傷を負う。 テロリストの狙いは金塊を載せたタイコンデロガ号と接触し、金塊とその報酬を交換すると見せかけて小型核兵器を積み込ませ、爆破して金塊をせしめようという計画だった。その金額なんと1億5千万ドル。 その企みを知ったジョニー・カーター一等航海士は満身創痍の中、単独で核兵器の軌道阻止と乗客の命を救うため、奮闘する。 題名『黄金のランデブー』とはこの金塊のやり取りが成されるカンパーリ号とタイコンデロガ号のランデブーを示しているが、読後の今ならばその「黄金」の意味が全く違ったものに変わってくる。 極寒の海、難攻不落の要塞、周囲を敵に囲まれた戦線の只中と人の極限状態を引き出すシチュエーションで不屈の闘志で苦境を切り抜ける人々の姿を描いてきたマクリーンだが、この頃になると自然との闘いというシチュエーションから孤島の中の基地、豪華貨客船という限られた場所で起こる事件に変化してきている。それでも1作から一貫しているのは戦艦や石油採掘基地、ミサイルといった特殊な乗り物や設備の詳細な描写だ。それらが素人がちょっとした取材で付け焼刃的な似非専門家になった程度の浅薄なものではなく、物事の本筋を知り尽くした玄人はだしであるのが毎度感嘆させられてしまう。 それは逆に極限状態の環境でなくてもスリラーは成立することをマクリーンは証明したことを意味する。本書では豪華貨客船での優雅な航海が一転してテロリストたちによるシージャックによって制圧され、また彼らの計画によって通常迎える予定ではなかったハリケーンに出くわすことになるのだ。 そしてそんな荒波の中、太腿に三発もの銃弾を負った主人公ジョニー・カーターはテロリストたちに立ち向かうべく、ヒロインの富豪の娘スーザン・ベレスフォードと共に奮闘する。 よくよく考えるとこれは今現在採用されているハリウッドの一大アクション映画のシチュエーションではないか。 平穏な時間が流れ、誰もが歓談に興じるような優雅な時間が流れる中に突如として起こる非常事態。静から動への突然の反転。 そして特筆なのは映画を意識したかのようなハッピーエンドまで用意されていることだ。 この明るいまでのエンディング、特にスーザン・ベレスフォードというコメディエンヌ役までしつらえた本書を読んで、当時出版すれば映画化が定番となったマクリーンも映像化を意識した創作に移行していったことを気付かされたのは何だかさびしい思いがした。 これが後期の作品の質を低からしめる要因になったのではないかと思うのだが、それは今後の作品を読むことで判断したい。 ▼以下、ネタバレ感想 |
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文庫版の本書の帯には「地球を温暖化から救う『秘策』がこの小説にある!」と謳われているが、これは決して誇張ではない。
陸海空に渡って環境破壊が叫ばれて久しい閉塞感と危機感で将来不安を抱えている人類に輝かしい未来の姿が本書には描かれている。 今回服部真澄氏がその切っ先鋭いペンのメスを入れるのは地球温暖化と農林水産省、国土交通省などの利権によって侵食された海洋汚染。このテーマはいつかは取り上げるだろうと思っていたので、とうとうやってくれたという感が強い。 そして数多ある国の愚かな政策によって壊滅的な打撃を受けたかつては豊穣だった海のうち、作者が注目したのはテレビでもセンセーショナルな閉門劇が繰り広げられた諫早の水門。この禍々しい水門をこじ開けてやろうではないかと云うのが物語のメインターゲットだ。 国の主導で閉ざされた水門をどうやってこじ開けるのか?それは世論を変えることだ。 服部氏が選んだ手法は国民的タレントの久保倉恭吾をホストにした環境番組を作ることで世間の目を温暖化が着々と進む現状とその根源を詳らかに明らかにし、その解決策を提示することだった。 国土の73%が山地でありながら、もはやCO2を削減できるほどの森林を増やせず、かといってバイオ燃料にするための穀物も耕せない国土の狭さがネックであった日本においてCO2削減と進んでいく海水汚染を一気に解決する手立てとして注目したのが菱。 海辺に自生する菱は海外ではウォーターチェスナット、すなわち「海の栗」と云われ、その実を食糧のみならずバイオ燃料も作ることが出来、しかも伐採しても焼酎も作ることが出来る事から確実に採算が取れ、しかも育成するのにほとんど手間がかからないまさに魔法の植物。 そしてそれをクローズアップさせ、国民や各自治体、さらには省庁をも目を向かせた上で、諫早湾を含む有明海で菱が自生していることを気付かせ、海水と淡水が混じり合う汽水域を作ればさらに菱の生育が活発になることから世論を水門開門へと傾けさせていく。しかも諫早湾で確認された菱こそは極秘裏に久保倉たちが種を蒔いた物であった。 愚かな政策で自然を破壊し、自身たちの利益のために無駄な開発を推し進める行政を懲らしめる展開のなんと痛快なことか! 菱のみならず、アオサ、ホンダワラと海藻類がもたらす恵みの恩恵はバイオ燃料や地球温暖化の緩和、死にゆく海の再生に留まらず、それらが一大産業として資源のない日本に新たな資源をもたらすこと、更にはそれらがバイオエタノールのみならず重油、ガソリン化も可能で、石油業界もまたその恩恵に与り、OPECで牛耳られ、価格を乱高下させている原油に頼らずとも自国でその原料が採れること、魚介類の産卵場となって漁業も活発化する事、などなどまさに夢のような未来が書かれているのだ。 久々に胸のすく気持ちのいい話を読んだ気がした。 ただいいこと尽くしで終わっていないのが本書の素晴らしい所だ。 新たなビジネスはまた新たなを生み出し、さらに予想外の生態系への弊害をも生み出すかもしれないと説く。すなわち人工的に増やした物はあくまで自然のセオリーに則ったものではないため、それによって害を被る生物や産業もあり得ることを警鐘として鳴らしている。 また海洋汚染問題に取り組んだ人々もその大きな流れによって人生をも変えられようとしている。 一タレントから始まった久保倉はそのカリスマ性と政治と地球温暖化問題への取り組みから都知事候補に推薦され、アドバイザーだった住之江は副知事の佐分利の講師役から恋人になり、一躍時の人となる。 佐分利も住之江の講義で海洋問題に詳しくなり、一副知事から海洋政策担当大臣へと昇格し、新しい日本の未来の舵取り役を担う。 時代の転換期は関わった人の人生をも変えていくのだ。 今までの服部作品では巨大企業や勢力によって牛耳られようとしている世界の構図をまざまざと見せつけられ、巨象、いや巨大な鯨のような存在にミジンコほどの個人が対抗するといった構成が多く、それらは痛快ではある物の、やはりどこか無力感が漂い、些細な抵抗といった感が否めなかった。 しかし本書はそのタイトルが示すように、希望の持てる再生の物語であるのが特徴だ。 高度経済成長期以来行われてきた海洋開発によってもはや死の海となりつつある日本の海。それは温暖化を助長させ、もはやどうにもならない所まで行きつつある。 しかし海はゆっくりながらも着実に再生していることが示され、干潟や浅瀬を取り戻すことで日本の海、とりわけ東京湾を昔の豊穣な海に戻そうという動き、そして暴力的なまでに生命線を遮断するが如く次々と閉ざされた諫早湾の水門をこじ開け、かつての有明海を取り戻そうとする物語展開が絶望から再生へと向かう希望の物語になり、読んでいてものすごく気持ちがいいのだ。 時代の大きな変換点を創り出した人々とそれを目の当たりにしている人々のなんと清々しくも眩しい事か。 複雑化したシステムと利権の絡み合いで雁字搦めになっている日本の政治と世界各国とのバランス、そんなしがらみばかりの現代の中で子供たちに安心な未来を授けるための秘策が本書には詳細につづられている。あらゆるケーススタディを行い、トラブルシューティングを重ねることで、夢物語ではない、地球温暖化とそれに伴う各産業界の弊害をも解決する方策がここにはあるのだ。 今までその綿密で緻密な取材力とそれを材料にこれから起こるであろう時代の出来事、産業界の動きなどを悲観的に描き、我々を心胆寒からしめた服部氏が、その作者の強みを存分に発揮し、「こういう風にすれば未来はもっと良くなる」と示す本書はこれまでの作風とは全くもって真逆のものであり、実に爽快な読後感を残してくれる。 題名の通り、未来は明るいのだと思わせる本書を、政治家、官僚の全てに読んでもらいたい。 我々は本書に描かれている日本を待っている。 |
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エラリイ・クイーンの中短編集。
まずはダイイング・メッセージ物の中編「菊花殺人事件」はしかも舞台はライツヴィル。 相も変わらずクイーン印の1編。ダイイング・メッセージ“MUM”の意味、菊(マム)収集家び殺人事件はMUMにそれぞれが何らかの関係を持っている。そしてあらゆる所に散りばめられたダブルの符合(ただしこれは強引)。 このようなガジェットに彩られた犯罪はライツヴィルが舞台になると色合いを増す。それは何か見えない手に導かれるかのように人々が犯罪に巻き込まれているかのようだ。そしてまたエラリイも訪れると必ず事件が起きるということで災厄の使徒のような存在になっている。 次は「推論における現代的問題」というカテゴリーで4編が収録されている。題名からは解りにくいが、それぞれ教育問題、交通問題、住宅問題、がテーマに盛り込まれている。 まず「実地教育」はエラリイが知り合いの女性教師に請われて講演を頼まれたところ、教室内で起きた盗難事件に出くわすという物。 エラリイの論理的思考はあるものの、なんといっても生徒相手に推理を手間取るエラリイの焦燥感が本書のキモといって云いだろう。 「駐車難」は知り合いの女優の前に突如現れた3人の求婚者。そんな矢先、彼女はアパートで何者かによって撃たれてしまう。 しかしこれは果たして推理はいるのだろうか?求婚者の状況を考えればおのずと真相も見えてくるとは思うが。 「住宅難」はクイーン警視が追っている密告者の居所を突き止め、駆けつけてみるとそこには悪名高い詐欺師が撃たれて倒れており、そこには銃を持った金髪の女性が佇んでいたという現場の背景から犯人を突き止める話。 これはかなりアクロバティックな作品だ。それぞれの登場人物をもっと掘り下げて長編ネタとしても十分よかったのではないか。 この項最後の短編「奇跡は起こる」では昨今日本でも問題となっている介護問題がテーマか。 これは犯人は解ってしまった。誰もがみな金に困っているのが華やかなりしアメリカの実状であり、それは今なお日本も彼方も変わっていない。 次は変わって「新クイーン検察局」。そう、短編集『クイーン検察局』で警察のそれぞれの課が担当する事件にエラリイが挑むという趣向の短編がまたもや登場。 まずは<賭博課>が担当の「さびしい花嫁」。 クイーンお得意のダイイング・メッセージ物(メッセンジャーは亡くなっていないが)。 続く2編は<スパイ課>の事件。まず「国会図書館の秘密」は麻薬の取引現場を抑えるためにエラリイが狩り出される。国会図書館の本を暗号に取引の内容を連絡しており、書物に造詣の深いエラリイに白羽の矢が立つという趣向。 これはまさに作者クイーンが趣味で作った作品だろう。 書物が暗号になる。それは題名だったり、内容だったりとその時々でさまざまに変わるという作者が嬉々として取り組んだのが解る作品だ。 しかしエラリイが挑む謎の解答がそれまでの謎に比べてしょぼく感じたのが実に勿体ない。こういう作品は世の書物愛好家には堪らないものがあるのだろうな。 もう1編「替え玉」は死んだ潜入捜査官が遺したスパイの名をダイイングメッセージから探るという物。 これはなかなか秀逸。しかしこんなことばかり考えているのだろうなぁ、ミステリ作家とは。 次は<誘拐課>の「こわれたT」も文字が手掛かりになる短編だ。 言葉遊びが好きなクイーンの小編とも云うべき作品か。アンジェラと云う魅力的な女性と誘拐劇で彩って物語にする着想を褒めるべきか。 さてミステリでお馴染みの<殺人課>が扱う事件「半分の手懸り」では薬屋の主人の命を実の娘と息子、そして義理の息子までもが襲うという穏やかではない家庭が登場する。 これはやはり作者を褒めるべきだろう。 こんな課があるのか甚だ疑問の<匿名手紙課>が扱う事件は「結婚式の前夜」。ライツヴィルの出演者総出の感がある、コンクリン・ファーナムとモリー・マッケンジーの結婚式前夜に起きた事件にエラリイが挑む。 この真相を日本人が見破るのはほとんど不可能だろう。よほど英米の文化に造詣が深くないとこの違いは分からないし、そこからまた犯人を特定するのも至難の業だ。 続く<相続課>が担当する「最後に死ぬ者」ではもはや絶滅状況にあるとされている執事が極秘裏に設立した執事だけが会員になれるクラブで数十年の歴史があるが、既に会員の執事も2人を残すのみになり、最後の会員がクラブの資金の全てを手に入れることが出来る。 アナログ時代であるが故の推理、といいたいところだが、これは現代でも通じる論証だ。でもこれは案外解ってしまったが。 増補版クイーン検察局最後の1編は<犯罪組織課>が担当する「ペイオフ」はクイーンお得意のダイイング・メッセージ物。 これは単純にクイズのような作品だ。しかしこんなワンアイデアさえも短編に仕上げるクイーンの創作意欲には頭が下がるというか…。 続くはパズル・クラブ物2編が収められている。 まずはエラリイがパズル・クラブに入会するための試験が行われる「小男のスパイ」は第2次大戦のあるスパイがどこに秘密文書の内容を隠し持ったのかが謎。これもクイーンが好んで使った消去法物の1編だが、いささか現実味が乏しいのではないかと思われる。奇を衒い過ぎた解答だろう。 パズル・クラブ物もう1編はなんと大統領さえもクラブ会員に勧誘してしまうパズル・クラブの懐の深さを感じさせる「大統領は遺憾ながら」。 これは日本人には辛い解答だろう。しかしクイーンは古今東西のような知識を競う言葉遊びが好きに違いない。 最後は歴史ミステリ「エイブラハム・リンカンの鍵」はリンカーンとエドガー・アラン・ポーが署名したとされる『盗まれた手紙』の書物を巡るミステリだ。 たった3文字の手懸りから推理を巡らし、隠し場所を推理する。メッセージ物としては極限まで切り詰められた作品だ。 しかし本編の冒頭ではこの隠し場所の暗号は実際にリンカンが考案した物なのか。どこまでが史実なのだろうか。 題名こそ『クイーンの犯罪実験室』だが、中身はミステリとしては作品を支えるには乏しいワンアイデアを基に作られた短編を集めた物。ほとんど推理クイズの域を出ない物ばかりだが、逆に云えばそんなアイデアでもミステリが書けるのかという命題にチャレンジした実験短編小説集と云えよう。 まずはダイイング・メッセージ中編ということで「菊花殺人事件」から本書は幕を開ける。 クイーンと云えばダイイング・メッセージと云われるくらい、そのヴァリエーションは豊富だが、この作品は通常犯人特定の手がかりとなるべきダイイング・メッセージを逆手に取っている。 通常死者が死の間際で遺すメッセージとは自分の事よりも家族のことではないだろうか。そういう意味では最も真実に近いダイイング・メッセージだと云えよう。 テーマ「推論における現代的問題」の各編で特徴的なのは真相が容疑者の背景に関わっていることだ。 「実地教育」では貧しい家の子供がやっているアルバイトの内容であり、「駐車難」では求婚者の家庭状況、「住宅難」も居住者それぞれの事情から絡み合う関係によって事件が入り組み、「奇跡は起こる」は格差社会と介護問題が介在する。 続く「新クイーン検察局」は別の短編集『クイーン検察局』でもテーマに挙げられた色んな犯罪を題材にしたミステリが綴られている。それら犯罪を担当する課はそれぞれ賭博課、スパイ課、誘拐課、殺人課、匿名手紙課、相続課、犯罪組織課ととてもありそうでないものばかり。 この辺についてはもはや突っ込むのは止すが、続編が作られたということはよほどこの趣向が気に入っていたのか。 そして『間違いの悲劇』に収録されていたパズル・クラブシリーズが本書で初お目見えだったのを知ったのは思わぬ収穫だった。しかしたった2編とはあまりに少ない。 しかしパズル・クラブ物は物語風味のクイズで構成された、クイーンコンビの知的遊戯でまさに趣味の世界であることが解った次第。 最後は歴史ミステリで占められる。これは恐らく歴史上のエピソードにクイーンが挑んだ作品だと信じよう。 先にも書いたが長編ミステリを著すにはネタとして弱いが、短い話ならば書けるワンアイデアを活かした短編が並ぶ。その中には英米、米仏など異国の文化の違いから生まれる違和感からエラリイが推理する短編もあり、日本人が十分楽しめる知的ゲームとなっていないものもある。しかしそれらは恐らくダネイとリーはいつも2人でこんなアイデアを話して、ミステリの種を探していたのだろうなと云うのがよく解る、知的パズルのような趣を感じる。 逆に云えばどんなアイデアでもミステリ短編に仕立てる雑誌編集者の魂というか、商業根性を感じてしまったが。 特に多いのがダイイング・メッセージ物で、特に短い単語や名前から隠されたメッセージを推理する趣向の作品が非常に多い。実に16編中7編と半分近くがそれに類する。 そしてそれらが単純な犯人特定の手懸りになるわけではなく、そこからまた謎が深まる、もしくはミスリードとして使われているというヴァリエーションも見せつける。 なるほど確かに本書は犯罪実験室だ。恐らくは言葉遊びや知識を競う遊びをして思いついたアイデアの数々。それらを犯罪に応用することが出来るのかがクイーン2人の試みを示したのが本書。 ちょっとした頭の体操をするにはちょうどいい作品が、そして少しだけ感心してしまうアイデアの妙が詰まった作品が揃っている。 そんなアプローチで復刊しませんか?早川書房さん! ▼以下、ネタバレ感想 |
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今なお珠玉の短編集として名高い本書。その評価は読んでみるとだてではなかったことが解る。
第1編目「食いついた魚」は湖で釣りをする男が出逢った見知らぬ男を描く。 背筋が寒くなってくる1編。鍛えられた体格の大男。釣った魚を食糧にして旅して暮らしている男が唐突に話したある時の殺人の話。それは実は大男にとって人の道を踏み外す禁断の扉を開ける行為だった。 「成功報酬」は短編のみ登場するシリーズキャラクター、悪徳弁護士エイレングラフ物の1編。 この男、どこまで本当なのか?と読者の興味をそそる非常に魅力的な悪徳弁護士エイレングラフ。 一気にこの1編でエイレングラフという弁護士が頭に刻み込まれてしまった。 その題名はある有名な作品をモチーフにしている。「ハンドボール・コートの他人」は原題を“Strangers On A Handball Court”という。そう“Strangers On The Train”、パトリシア・ハイスミスの作品であり、ヒッチコック映画の傑作でもある『見知らぬ乗客』だ。 上に書いたように本編はパトリシア・ハイスミスの作品をモチーフにした交換殺人物。ただしそこはブロック、一捻りした皮肉な結末が用意されている。 「道端の野良犬のように」は国際テロリストを扱った話。 ただこのオチは正直なんでもよかったのではないか? ブロック作品での泥棒と云えばバーニイ・ローデンバーが殊の外有名だが、この短編に登場する泥棒は彼ではない。「泥棒の不運な夜」では忍び込んだ家で主に見つかり、逆に命を狙われてしまう。 なおこの作品はブロックの前書きによれば本編は『泥棒は選べない』より前に書かれた物でバーニイの原型かもしれないとのこと。泥棒の最中に他の犯行に巻き込まれるシチュエーションからすれば確かにそうかもしれない。 「我々は強盗である」はアメリカ映画でよく見る砂漠の中にポツンとあるガソリンスタンドとドライヴインを舞台にした1編だ。 これは前書きによればブロック自身が実際に出くわした悪質なガソリン・スタンドでのぼったくりに着想を得た作品とのこと。つまり作者はこの作品を著すことで溜飲を下げたわけだが、本作には色々な教訓が込められている。 まずはぼったくるのもほどほどにすべきであり、度が過ぎると痛い目に遭ってしまうという教訓。もう1つは人間腹が据わればどんなことでも出来るという教訓だ。 しかしブロック、ただでは起きない。 「一語一千ドル」は作家の多くが思っていることだろう。 窮鼠猫を噛む。どんなに気の弱い人も追い詰められれば何をするか解らない。 「動物収容所にて」はある意味、共感を覚えると云ったら驚かれるだろうか? 目には目を、歯には歯を。この思い。完全に否定できない自分がいる。 再び悪徳弁護士エイレングラフ登場。「詩人と弁護士」では無一文の詩人を救うために一肌脱ぐ。 「成功報酬」では高額の報酬の為には犯罪も厭わないとばかりの悪徳弁護士ぶりを見せつけたエイレングラフだが、なんと本編では無報酬で無名の詩人の釈放に一役買う。 何か裏があるのだろうと思っていると、実に意外なことに気付かされる。 いやはやこのエイレングラフと云う男、実に奥深いではないか。この男のシリーズ物が読みたくなった。 「あいつが死んだら」は奇妙な味の短編だ。 神が降りてきたかのような1編。 突然見知らぬ者から送られてくる手紙。そこに書かれているのは見知らぬ男の名前で彼が死ねば金をくれるという物。しかし主人公が手を下さずとも標的の男たちは病死し、金が転がり込む。しかも男にとってその報酬は自分の年収の数分の一もの金額。さらに手紙が来るたびに報酬が上がっていく。そんな手紙が来れば人間はどうなるのか? よくもこんなことが思いつくものだ。 本格ミステリのおける連続殺人事件をブロックが書くとこうも素晴らしいものになる見本のような作品が次の「アッカーマン狩り」だ。 ニューヨークでアッカーマンと云う名の人物が次々と殺される。犯人の動機は皆目見当がつかない。 物語は犯人の独白で終わるわけだが、ゲームの内容が公表された犯人は次の新たなゲームを考え出す。その時のさりげない台詞のなんと恐ろしいことよ! 実に上手い! 語り手が珍妙な兄弟2人の顛末を語る異色の1編、「保険殺人の相談」はスラップスティックコメディの傑作だ。 作者と思しき語り手が実に軽妙な語り口でこの間抜けで愛らしき兄弟たちの顛末を語るストーリー運びはチャップリンの喜劇を観ているような錯覚を覚えて実に面白い。 歯車がちぐはぐに絡み合うかの如く、常に兄弟のやることは裏目に裏目に出て、とにかく上手く行かない。しかしなぜか2人には高額な保険金が掛けられている。終わり方は実にこの間抜けな兄弟らしい玉砕で、作者が云うように収まるところに収まり、一件落着! 表題作はたった10ページの物語ながら無駄を削ぎ落としたような切れ味を持つ。 う~ん、まさに都市伝説。世の中には色々疑問に思っていることがあるが、恐らくアメリカでは誰もが一度は思っているのだろう、古着のジーンズはどうやって仕入れるのか?という疑問をモチーフにブロックが紡いだのは実にブラックな解答だった。 しかし物語でははっきりとその答えが書かれていない。しかしもう雰囲気と行間、そしてある決定的なある単語で読者に恐ろしい想像を掻き立てるのだ。 これは秀逸かつ切れ味抜群の上手さを誇る1編だ。 そしてとうとうバーニイ登場。「夜の泥棒のように」は三人称で語られる泥棒探偵バーニイの短編だ。 ロマンティックな男と女の奇妙な出逢いを描きながら、最後に意外な真相を持ってくる実に贅沢な逸品。再登場してほしいものだ、このアンドレアという女性は。 「無意味なことでも」は友人の子供が誘拐されるお話。 かつて一人の女性を取合った男達。今では友人同士で何でも相談し合える仲。そんな相棒の娘が誘拐される。 ディーヴァー作品のようなどんでん返しがある作品なのだが犯人の一人称で物語が展開されるゆえにアンフェアなところがあるのが気になる。 ちょっと技巧に走り過ぎたか。 「クレイジー・ビジネス」とは殺し屋稼業の事。新進気鋭の殺し屋が伝説の殺し屋に彼の逸話を聴きに行くというお話。 これは先が読めてしまった。 「死への帰還」はハートウォーミングな話。 子供は大きくなり、実業家として会社を運営し、一応の成功を収めた男。しかし実情は妻との関係は冷え切り、愛人がおり、しかも会社の資産は減りつつあった。そんな矢先に訪れた災難。その犯人捜しをするため、男は妻、共同経営者、愛人、子供たちと逢っていく。 正直この物語の犯人が誰であろうが、そこに主眼はないだろう。 最後はマット・スカダーが登場する「窓から外へ」はお馴染みアームストロングの店のウェイトレスに纏わる話だ。 ポーラと云うウェイトレスは本編で出てきたのか、記憶は定かではないが、マットにとって彼の人生に関わった知り合いが死に、そしてその死の真相を突き止めたい依頼者が現れたならば彼の腰も挙げざるを得ない。 50ページほどの分量だが、その内容はシリーズ1編の読み応えがある。 死に携わる人間に対する眼差しは相変わらず厳しい。 今や短編集ではジェフリー・ディーヴァーが挙げられるが、それまではブロックのこの短編集が非常に完成度の高い短編集として挙げられており、今なお本書を読むべき作品として挙げる作家もいるほどだ。 ジェフリー・ディーヴァーの短編集がどんでん返しに重きを置いているものとすれば、ローレンス・ブロックのそれはどんでん返しにホラーにサイコ、クライム、悪徳弁護士、対話物、連続殺人鬼、ファンタジー、ネオ・ハードボイルドと実にヴァラエティに富んでいるのが特徴的だ。特に「食いついた魚」や「成功報酬」、表題作などは想像を掻き立て、その何とも云えない余韻が印象的。 またどんでん返しを加えながらも心温まる、思わず微笑みを浮かべてしまう余韻を残す「夜の泥棒のように」や「死への帰還」もこの作家ならではだろう。 個人的ベストは「あいつが死んだら」、「アッカーマン狩り」、「保険殺人の相談」、表題作、「夜の泥棒のように」。 「あいつは死んだら」はその着想の妙を買う。 「アッカーマン狩り」は最後3行目の台詞に、そして表題作は古着のジーンズ卸し会社の本当の社名が秀逸。それらが暗示する恐ろしさといったら…。 「夜の泥棒のように」はバーニイが登場する作品だが、他人の目から見たバーニイが新鮮で、しかもストーリーもきちんとオチが付いているという絶妙な作品。 とにかく精選された単語、言葉遣いを短いセンテンスで入れるため、一言に凝縮されたその意味が実に濃厚。表題作の会社名、「アッカーマン狩り」の犯人がふと漏らす一言など実に効果的。しばらくこれらは私の脳裏から離れられないだろう。 短編と云うのはこういうことを云うのだと云わんばかりの名品揃い。ブロックと云う作家の全ての要素を出し切った作品集と云えよう。 特に作家たちはこの本をお手本にすべきだろう。ストーリーの語り口に運び方、言葉選びなど多く学ぶべきエッセンスに満ちている。 しかしどうして本書も絶版なのだろう。本書こそプロ、アマチュア全てに読まれるべき作品であるのに。実に勿体ない。 ▼以下、ネタバレ感想 |
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前作『赤い指』が作者自身60作目の作品で、これだけ数々の作品を著した東野圭吾氏だが、意外にも医療ミステリというのは本書が初めて。
大学病院を舞台に脅迫犯による大動脈瘤切除手術の妨害工作と医師たちの必死の救命劇、そして刑事と犯人との息詰まる攻防を描いたサスペンス作品となっている。 刑事と医師と脅迫犯の三つ巴の攻防を描いた本書はミスによる死が生んだ奇妙な復讐劇である。 万引きをしたところを警察に見つかった少年は追いかけられたパトカーから逃げようとして交通事故に遭い、亡くなった。 大動脈瘤を患った父親は簡単な手術だと聞かされ、名医と云われている執刀医を迎えたが、手術に失敗して亡くなってしまった。 仕事中に瀕死の重傷を負った彼女は搬送中の救急車が欠陥車による渋滞で病院に運ばれるのが遅れ、治療が間に合わず、亡くなった。 それらは間接的に命を奪う行為であり、その過程に問題はなかったか、なぜそんなことが起きたのかという原因などが焦点になる。しかし命を奪われた被害者に関わる人々は亡くなった人を思い、問題が解決されても心にしこりを残し、一生消えない傷を負う。 加害者側は論理的に問題を分析し、正当性を見出そうとするが、人を亡くした人には論理よりも感情が先に立つ。そこがこういった外的要因による人の死の加害者と被害者に横たわる深い溝なのだろう。 そしてそれら情念の炎が消えないままで、自分の大切な人の命を間接的に奪った人が目の前に、手の届くところに現れたら、その人はどうするだろうか? 息子の命を喪うことになった事故の当事者が目の前に患者として、現れる。 重傷を負った彼女が病院に搬送するのが遅れた原因を作った欠陥車を作った会社の社長が手術を受けようとしている。 そんな時、その人はどうするだろうか? 本書はそんな心のしこりを抱えた人々が奇妙な縁で絡み合う物語だ。 その心のしこりを霧消させるのもまた人の誠意ある言動だろう。物語の最後で判明する西園医師による氷室健介の執刀ミスの真相は、手術前に西園から氷室に息子の件の事を告げ、お互い話し合うことで心のしこりを溶かした。 翻って直井穣治によるアリマ自動車社長島原総一郎への復讐は島原が到底実現できそうにないノルマを従業員に課して品質管理を省略化させ、商品の安全を不十分な状態にしたまま市場に流通したがために再燃した。つまり誠意のない言動を取ったがための事件だった。 『殺人の門』、『さまよう刃』、『容疑者xの献身』と東野圭吾氏はやむにやまれず殺人を犯さずにいられなかった人々の姿を描く。そのいずれも大事な物を奪われた者に対する復讐だったり、自らの安心を得るために思わず犯してしまった殺人だったりと、よんどころない事情で犯さざるを得なかった犯罪だ。 そのため、その物語を読む読者は犯罪者側が捕まらずに本願成就することを望むかのように応援するような心理に陥ってしまう。 本書の直井穣治もそんな復讐者の一人だ。 但し一方で復讐が成就されることを望みながら、彼の行う犯罪で犠牲になろうとする患者がいることで読者に迷いを生じさせる。つまり犯罪はどんな動機であれ、許されるべきではないことをきちんと東野氏は描く。この辺の微妙な匙加減が非常に上手い。 ところで本書ではいくつか疑問点がある。 まずは脅迫者直井穣治が病院に2度目の脅迫状を受付の診療申込書に紛れて来客に見つけさせるシーンだが、なぜ警察は監視カメラをチェックしないだろうか?監視カメラがないわけではなく、実際に脅迫犯が小火騒ぎを起こした時は監視カメラを増やして強化するという記述があるくらいだ。しかも小火騒ぎの時でさえ、監視カメラを見ようとしない。これは警察の捜査としては明らかに手抜かりだろう。 次の疑問点はネタバレになるのでそちらに書く。 とまあ、少々の疑問は残るものの、しかし東野圭吾氏の作劇術には頭が下がる。 動脈瘤手術で命を喪った氷室夕紀の父親健介。その医者は自分の母親となぜか親しげだった。そんな疑惑から当時の執刀医である西園を疑い、自ら医師となって西園医師の執刀がミスではなかったのかを調べるのが夕紀の目的だった。 そして脅迫騒ぎが起きて捜査に携わることになった七尾という刑事は健介が刑事だった頃の部下でもあった男で、夕紀は初めて父親が警察を辞めるきっかけとなった事件を聞かされる。それは万引きをした少年たちがバイクで逃げた際にパトカーで追いかけ、バイクの少年が交通事故に遭って亡くなったというものだった。 そしてさらに西園には昔亡くなった息子がおり、その息子が実はバイクで逃走中にパトカーで追いかけられている最中に亡くなってしまったという事実。 つまりここで西園が息子の敵とばかりに健介を故意のミスで死なせたのではないかという疑惑が沸々と起こってくる。このあたりの物語の展開が非常に上手く、特に西園の息子が亡くなったエピソードを読んだところで思わずアッと声に出してしまった。 果たして医師は故意に父親を殺したのかという疑惑が夕紀の中でさらに強まってくるが、その答えをクライマックスの手術シーンに持ってくるあたりが実に上手いのだ。 いくら口で云っても理解されないことはある。ましてや心に残るしこりというのは頭で解っても心の底から納得できないことが多い。 心に残るしこりは行動で態度で示し、目の当たりにするのが一番の回答になる。百の説得よりも一の行動こそが真の和解を生む。 だからこそ本書では普段我々が意識する事のない「使命」という言葉が頻繁に出てくる。 人は何かの使命を持って生まれ、それを信じて全うする事こそが人生なのだと夕紀の父健介は娘や部下に説き、また夕紀の上司西園も医師と云う職業に患者の命を救う使命という旗印の下で懸命に全力を尽くす。 私達の日常で使命と云う二文字を頭に描くことがあるだろうか?しかし目的や目標を持ってそこに向かう人こそ、強く、また人から尊敬されるのだ。 私はどんな使命を持って日々生きているのか。改めてこの重い二文字に考えさせられてしまった。 ▼以下、ネタバレ感想 |
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第一次大戦中、パレスチナで活躍したユダヤ人諜報組織NILIの中にトルコ軍の情報をイギリス軍に流し続けた1人の女性スパイがいた。バー=ゾウハーがこの隠れた史実を元に構成したのが本書である。
モデルとなった女性スパイ、サラ・アーロンソンとなるのは考古学者の娘ルース・メンデルソン。彼女はイギリス軍のスパイである元ロシアのレジスタンスという経歴を持つサウル・ドンスキーのために自身もまたイギリス軍へトルコ軍の情報を送っていた。 しかし彼女はスパイであることをトルコ軍に知られ、父親の命と引き換えにイギリス軍の進攻を阻止するために逆にスパイとなってカイロに派遣される。 そして一方のサウルはルースらメンデルソン一家がトルコ軍の司令官ムラドによって惨殺されたことを知らされる。そしてトルコ軍がカイロに女性スパイを送ったことを知り、報復とばかりにその女性スパイの正体を暴いて捕らえる事に執念を燃やす。 本書が史実に基づいていることもあってか、第一次大戦中に名を馳せた実在の人物たちが登場し、登場人物たちと絡み合う。 例えば映画にもなって今なお伝説視されている“アラビアのロレンス”ことロレンス少佐はサウル・ドンスキーとイギリス軍のパレスチナ進攻作戦で論を交わす。 また図らずも女スパイに仕立て上げられたルースの連絡係エンマ・アルトシラーはかつて稀代の女性スパイ、マタ・ハリと共にコンビを組んでいたスパイであり、新任のルースを事あるごとにマタ・ハリと比較して毒づく。 特にロレンスについてはかなり筆が割かれ、また物語のサブキャラクターとしても重要な位置を占めている。 その中で驚いたのはルースによってロレンスがガザへ攻め入ることを知らされ、それを聞いたムラドが彼を捕らえ、カマを掘られるという映画『アラビアのロレンス』でも描かれたシーンがきちんと描かれていることだ。 これは今ではロレンスによるデマだと云われているが、それでもかなりセンセーショナルなシーンであり、やはり作者も避けては通れなかったのだろうか。 この国を跨る巨大な宗教、民族が複雑に絡み合う状況こそ、パレスチナ問題やアラブ諸国が抱える紛争の数々の火種なのだ。 大学時代にこの複雑なイスラム諸国の状況については講座を取ったが、やはりいまだに十分に理解できない。それは信仰に対してさほど意識が薄い日本人には次元の違う問題なのだろう。なんせ第二次大戦では大量にユダヤ人を虐殺するドイツがユダヤ人保護を訴えているくらいなのだ。 そんな複雑な中東諸国の抗争の巻き添えとなったのがルースらメンデルソン家だ。単なる考古学者を家長としているこのユダヤ人の一家がロシア人の諜報員と懇意になった娘がイギリス軍のスパイ活動の手伝いをしたことで、数奇な運命に翻弄される。 そのために弟は目の前でトルコ軍によって銃殺され、父親は囚われの身となり、獄中死する。そしてまだ男を知らない娘はスパイに仕立て上げられ、望まぬまま男に体を与え、処女を喪う。家族を救う、それだけのために。 大義という大きなことをなすために多少の犠牲は必要だというが、その大義のために人生を狂わされた家族がある。ルースたちもまた歴史の犠牲者なのだ。 ところで本編で登場するオーストラリア軍のジェフリー・ソーンダース中佐だが、作者の初期2作で主役を務めていたCIA工作員ジェフ・ソーンダースとは無縁なのだろうか?各登場人物のその後を語るエピローグにそのことについては触れられていないものの、冷戦時に活躍したスパイの父親が実は歴史的な出来事に関わっていたというのは作者のファンサービスだと捉えているがどうだろうか? 主にナチスにまつわる歴史の暗部を描いてきたバー=ゾウハーだが、本書では第一次大戦を舞台にし、自身が政治にも携わった中東諸国について描き、もはや歴史上の出来事とされているイギリス軍のエルサレム侵攻の裏側に隠されたある女スパイの物語を描いた。敵同士に別れた男と女というハーレクインロマンスを髣髴とさせる設定には面喰いつつも、それでもやはりそれぞれの国々が抱える複雑な情勢を的確にとらえる筆致は見事だ。 しかしこの作家の良さはスピード感とスパイという職業が抱える業のようなものを陰影深く描くところに定評があると思うので、次作は恋愛は別にしてもっと魂震える作品を期待したい。 ▼以下、ネタバレ感想 |
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稀代の目利きと名高い、通称“佛々堂先生”に纏わる古美術をテーマにした連作短編集。
まず「八百比丘尼」は椿画で一躍名の売れた関屋次郎という画家のエピソード。 彼の代表作“八十八椿図屏風”は彼の代表作であり、まだ在野の素人画家であった関屋次郎の許に訪れた画商によって頼まれて製作した作品だった。一躍その大作で世に知られるようになった関屋は今や京阪神の女将連中が訪れては作品をたくさん頼まれるほどの人気画家となっていたが、関屋はある絶望を抱えていた。 元々“八十八椿図屏風”は百椿図として頼まれたが依頼人からの知り合いの米寿のお祝いに送りたいという突然の変更により、八十八になった経緯があった。そのことに不満を覚えた関屋は当時内縁の妻であり、送られてきた椿を生けて絵のモデルに仕立て上げていた可津子と別れてしまった。そしてそれ以来彼は同じ椿を構図を変えて書いているだけなのだと告白する。そして最後に書かれた白寿という椿は依頼人だった佛々堂先生への当て付けの意味を込めて書いたのだと、品評会に来た美術雑誌の記者、木島直子に話すのだった。 その話をそのまま佛々堂先生に伝えると先生はある一計を案じる。 続く「雛辻占」はある離島の小さな和菓子屋で幕が開く。 とある神社の門前町で和菓子屋を営んでいた「もろたや」は数年前の火事で店を焼失し、漁師町のある離島で小さな店舗を開いては細々と商いを続けていた。 そんなある日古いワンボックス・カーで訪れた客が店の看板商品である蛤辻占3/1~4にかけて一日200袋収めてほしいと奇妙な依頼があった。既に老境に入った父が焼く蛤の最中は以前の店でも好評だったが、島に移ってからは火事のショックで気力も萎え、一日売れる分だけを焼くのみだったが、その父の後押しで引き受けることにした。 一方新進気鋭の陶芸家小布施千紗子は父親であり高名な陶芸家でもある康介の2世だと云われることに嫌気が差していた。その満ち溢れるエネルギーは創作意欲を沸々と滾らせるほどに十分なのにその作品はどこか父親の作風に似てしまうのだった。 そんな矢先友人で彫金をしている小松啓子から3/1に大阪のとある某所へ一緒に行かないかと誘われる。しかもきちんとした和装で来るようにと念を押されてしまった。 当日駅で待ち合わせをしていると、続々と和装の女性の姿が行き交っているのに千紗子は気付く。駅にいた一人の男に何があるのかと尋ねると佛々堂先生という風流人の家が3/1~4の間、一般開放され、がらくたフェアが開かれているのだという。これらはみなそこに向かう人波だった。 飛騨高山で料亭を営む「かみむら」は店を切り盛りしていた兄の死で急遽東京の会社を辞め、店を引き継ぐようになった上村寛之。3編目の「遠あかり」では佛々堂先生によってこの料亭が盛り返す。 店を引き継いだものの、右も左も解らぬ独身者である寛之は父と兄が遺した数々の工芸品や着物をどのように活用したらよいか解らない。そんな折、店を訪れた上客が寛之に着物の着付の指南を買って出る。 客の云われるままに和装をしたため、蔵に眠る飾り物の印籠を身につけられるうちに寛之は垢抜けた粋な料理人に早変わりする。その後も手紙や電話で客のアドバイスを訊いては店の調度品や自身の着こなしが洗練されるにつれ、口コミで客が増え、「かみむら」は危難を脱出することが出来た。 寛之は客にお礼をしたいと申し出るが、決してその客は受け取らず、強引に品物を送っても、それ以上の高価な物で還ってくるのだった。 そんなある日、客から着付けをした時の印籠を貸してほしいと依頼される。寛之はすぐさま送るが、それはまたすぐに送り返されるのだった。年に一回、そんなことが幾年か続いた後、今度は寛之に印籠をつけてこちらに来てほしいと云われるのだった。 最後を飾る「寝釈迦」は実に気持ちのいい作品だ。 和田家は信州の旧家角筈家が所有する山の手入れを任されている山守りで民宿も経営している。和田克明は脱サラをして親の手伝いをするうちにこの山守りという仕事にのめり込んでいった。 そんなある時、角筈家の当主が土地の一部を手放して家を美術館に改装するという噂が立っており、その中にどうやら謂れのある山が入っているというのだった。その山は克明の父が1人で手入れをしている山だったが、昔松茸が取れると云われて買わされた不毛の土地だった。しかしその噂が立ってから克明の父は腰が悪いと云って急に母親と湯治に出たまま、なかなか帰ってこなかった。 そしてなぜか佛々堂先生がこの土地に乗り込んできた。どうやら角筈家が美術館に改装するのに一肌脱ぎに来たらしいのだが…。 服部真澄氏と云えば国際謀略小説やコン・ゲーム小説、そしてビジネスの世界に焦点を当てたエンタテインメント小説のジャンヌ・ダルク的存在だが、古美術や骨董品の目利きとして名高い通称“佛々堂先生”が登場する連作短編集はそれまでの彼女の作風を180°覆す、日本情緒溢れる古式ゆかしい物語だ。 佛々堂の由来は仏のような人だから佛の字をあてたとも、いつもぶつぶつと文句を云っているからと2つの説があり、どちらが正しいかは先生と関わった人によって違うだろう。 扱われる題材は日本画、和菓子、焼き物、和食に山守りと日本に昔から伝わる伝統の物や仕事。そしてそれらが抱える問題は先細りする産業であることだ。 いい腕やセンスを持っているのにそれに気付かない製作者がいる、才能はあるのに一皮剥け切れない芸術家がいる、止むを得ない事情で店をたたまざるを得ない名店がある、 佛々堂先生はその本質を見極める目を持って、彼ら自身ではどうしようもできない見えない壁を突き抜けるお手伝いをする。 ある意味再生の物語であると云えるだろう。 そして話中に挟まれる名品の数々に目が奪われる。殊更に贅を尽くしているわけでもないのに、手に入れるのさえ難しいとされる名品が実にさりげなく佛々堂の広大な自宅には配置されており、その筋の目を持った人でないと気付かないほどの自然さだ。 しかもきちんとそれらが使われていることがこの佛々堂先生が粋人である証拠だ。元々使われることを目的に生み出された工芸品や陶芸品が、いつの間にか目の保養とばかりに飾られ、触るのさえ憚れるようになり、それを鼻高々で己の権力の具現化した物のようにしたり顔で来客に見せびらかすような厭味ったらしいことは一切しない。道具は使われることが本望であり、素晴らしいものは使われてこそ活きることを知っている物事の本質を見極めた人物なのだ。 そして各話に挟まれる薀蓄がこれまた面白い。椿が品種改良しやすく、1万を超える品種があるとは初めて知ったし、木の実を指で潰して残った香りと共に盃の日本酒を飲むという飲み方のなんと粋なことか。 しかしこれほどまで作風がガラリと変わるものだろうか? 作者名を知らずに読むと、例えば泡坂妻夫氏あたりの作品だと思う読者がいることだろう。 元々作者には海外を舞台にした作品が多いため、作品にはカタカナが多用されているが、本書ではそれらを封印するかの如く、漢字とひらがなで表記することで情緒やわびさびと云った粋な世界を感じさせる。 泡坂作品を例に挙げたのは2編目の三角籤に関するトリックが披露されたマジシャンでもあった泡坂氏の作風そのものに感じたからだ。 ただ違う点があるとすれば、泡坂氏が江戸の粋を描いたならば、服部氏は上方の粋を描いたところだ。 この違いは例えば泡坂氏の描く登場人物はどこか衰退しつつある職人の道を愚直なまでに突き通し、それが女性に対する思いを正直に伝えらない不器用さに繋がっているような、いわば熱き思いを胸に秘めた人物が特徴的に語られるように思えるが、本書の佛々堂先生は古びれたワンボックス・カーに道具や資材を積み込んで、とにかく「これは!」と思った物を手に入れ、または廃れさせぬよう自ら動いて後押しする、能動的で行動的なところが特徴的だ。最後の1編では自分が守ろうとしている場所に立ち入ろうとする悪徳鑑定人を一喝するほどの気負いをみせるほどだ。 そして作者が本書のような作品を綴ったのには恐らく佛々堂先生が溢す言葉にもあるように、昔なら常識とされたことが世代間の伝達が途切れてしまったために、物事を知らない人が多すぎることに危機感を抱いたからだろう。私も実は年配の方が常識と思っていることを知らないことに気付かされ、失笑を買うことがある。日本人が古来、その知恵によって生み出した機能美を21世紀に残すため、伝えるためにこの作品を著したと私は思ってしまうのである。 服部作品では約260ページと最も分量が少ないのに、実に濃厚で深みを感じさせる短編集。そして今まで服部作品で弱みとされていたキャラクターの薄さが本書の佛々堂先生で一気に払拭されてしまった。 これはまさに掘り出し物の逸品だ。 作家服部真澄氏が扱う主題からストーリー、プロットを丹精込めて練り込んだそれこそ一級の工芸品のような物語の数々である。 正直に告白しよう。 私は本書が服部作品の中で一番好きな作品である。既に手元にある続編を読むのが非常に愉しみだ。 ▼以下、ネタバレ感想 |
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泥棒探偵バーニイ・ローデンバーシリーズ2作目の本書でまたまたバーニイは泥棒に入った家で殺人事件に出くわしてしまう。
行きつけの歯科医クレイグ・シェルブレイクから突然頼まれた元妻クリスタルの所持する宝石類を盗み出してほしいという依頼を受けたバーニイはクリスタルが男漁りに外出している安心感からか、思わず長居をしたために(なんと1時間17分もの盗みに没頭していた)、当人が帰ってきたためにタイトルが示す通り、クロゼットに隠れて情事の最中に出くわし、更には殺人事件にも居合わせてしまうという何ともおかしな巻き込まれ方だ。 そして事件はバーニイが想定する悪い方向に動いていく。クレイグは自身の釈放の為にバーニイを警察に売ったのだ。 そしてバーニイは今回の事件が贋札事件に関わってくることを突き止める。 いやはや実に読ませる作品だ。 典型的と云えば典型的、マンネリと云えばマンネリだが、それでも安心印で面白く読めるのがこのシリーズのいい所。 しかしそれでも本格ミステリの妙味がこの作品には溢れている。 スラップスティックな調子なのに、そんな状況でさえ本格ミステリの妙味に変えてしまうシェフ、ローレンス・ブロックの腕前。なんて素晴らしいんだ。 そして今さらながらだが、泥棒探偵バーニイは自身が犯罪者である故に、いつも警察に睨まれているマイナス面がある。そのため、自身の身に降りかかった災難を自ら潔白を証明する必要があるところに従来の名探偵と一線を画する面白味があることに気付いた。 正直この着想はなかなか生まれるものではない。 さて数あるブロックの諸作の中でも、泥棒探偵バーニイ・ローデンバーシリーズはその全てが絶版状態であり、今では新刊では手に入れることは不可能でブックオフなどで古本で買うしかなかったのだが、シリーズ2作目の本書は手に入れることが適わず、渋々飛ばして3作目以降を読んでいたが、電子書籍で読めることを突き止め、このたび楽天koboのアプリでiPhoneにて読んでみた。私自身初めての電子書籍が本書となったわけだ。 基本的に私は感想を纏めるためにところどころ付箋を貼っていくのだが、電子書籍ではこれが出来ない。 Kindleではそういった場所に付箋を貼る機能があるようだが、楽天koboではそれがなく、指でなぞったところをハイライト機能を使ってメモするという方法で代用した。これがなかなか馴れず、初日はもういつ投げ出そうかとイライラすること終始だった。 しかし絶版のスピードが加速する昨今、特に海外小説の絶版スピードの速さは凄まじい物があるので、これら貴重な資産を電子書籍と云う形で買えるようにするというのは一つの策であろう。 しかし電子書籍の開発者たちはもっと読書を趣味とする人々の嗜好や読書方法を研究する必要があるのではないか。正直本書を読む限りではよほどのことがない限り、電子書籍での読書は控えたいというのが本音だ。電子書籍が想定したよりもはるかに普及していないことが体感したことで解ったのはある意味意義のある読書だったと思う。 ただやはり電子書籍でしか読めない絶版作品があれば今後も読んでいきたいと思う。 でもやっぱり紙の本の方が読みやすいなぁ。 ▼以下、ネタバレ感想 |
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人にとって家族とは何なのだろうか?
そして人にとって死に際に何が胸に去来し、そして残された者たちはその人にしてやれる最良の事とは一体何なのだろうか? 『容疑者xの献身』で直木賞を受賞し、ミステリ界のみならず出版界全体の話題になった後の第1作目。それはもう1つのシリーズ、加賀刑事物の本書だった。 そんな期待値の高い中で発表された作品はそれに十分応えた力作だ。 まず驚くのは最初に出てくるのは加賀恭一郎ではなく、父親の隆正であり、しかも病床にいて明日をも知れぬ命だという状況。しかも彼の世話をしているの甥の松宮という警察官。 そして場面は変わり、いきなり登場人物は照明器具メーカーに勤めるサラリーマンの前原昭夫のある1日について語られ始める。 家族を省みず、なんとなく結婚した夫婦で一人息子と実家をリフォームした家に帰る日々。中学生の息子とは会話もなく、しかも痴呆症を患った母親の世話で妻はストレスを溜めている。 そんなどこにでもある、会話や家庭の温かみのない冷え切った家庭で、もはや父親は給料を運んでくるだけの役割でしかない一家に訪れる突然の災厄。 それは息子が幼い児を家で殺害したという事件だった。 そしてその後の夫婦の会話、息子の実に自分勝手な言い分が繰り広げれ、読み進めば進むだけ、この一家に腹を立て、あまりの自分勝手さ、特に妻の八重子の言動の独善さに、救いようのなさに情けなくなってくる。 読む最中、様々な思いが頭を駆け巡る。 まず本書が中学生による幼女殺害事件、即ち未成年による犯行だということだ。東野圭吾氏は未成年によって我が娘を蹂躙された上、殺害された父親の側からの復讐を描いた『さまよう刃』という何とも遣る瀬無い作品があるが、本書では逆に殺人を犯した未成年の息子をどうにか捜査の手から守ろうと奮闘する普通の家庭を描いている。 但し東野氏は今回を同情の余地のある犯行とせず、犯罪者の直巳をあくまでどうしようもない身勝手な社会不適合者とし、さらにその愚息を守ろうとする母八重子も実に身勝手で自己中心的な人物として描き、読者に感情移入をさせない。 更に犯行隠蔽のために父昭夫が思いついたあるトリックは先の『容疑者xの献身』のそれの変奏曲と云える。 もしかしたら本書は『容疑者xの献身』の批判的な意見に対しての作者なりのアンサーノヴェルなのかもしれない。 慎ましいながらもひとかどの幸せな家庭を築き、息子を立派に就職させ、家庭も持たせ、孫も生まれ、もう一人の娘も無事結婚し、奮闘しながら立派に生活している。 そんなごくごく普通の人生を歩んできた老婆が認知症の夫を介護し、痩せ衰えながらもその最期まで看取ることが出来、その後は息子の家庭に引き取られることになったが、そこで直面した息子夫婦の家庭は何とも冷え切り、温かみのないことか。 そんな環境で人生の最期まで過ごさざるを得なくなった老婆がよすがとしたのは幸せだったころの想い出とその品。 そしてもはや人として大事な物さえ失いつつある息子夫婦のまさかの行為。 老婆の想いはいかほどのことだったのだろう。 しかし善悪や好き嫌いで単純に割り切れない、長年連れ添った家族の絆という人生の蓄積が人の心にもたらす、当人しか解りえない深い愛情に似た感情を、東野氏は加賀の父親との関係を絡ませて見事に描き切った。 今までのシリーズで断片的に加賀と父親隆正の不和は加賀の若い頃にあった父の母親に対する仕打ちが原因だということは語られていたが、本書では松宮という正隆の甥でしかも同じ警察官の目を通じてその根が思いの外、深いように知らされる。しかし最後の最後で上に書いた当人同士しか解りえない絆や理解を披露してくれたことで、この陰鬱な物語が実に心が晴れ渡るような読後感をもたらしてくれた。 こんなたった300ページの分量で、しかもどこにでもありそうな事件からどうしてこんなに深くて清々しい物語が紡ぎ出せるのか。 東野圭吾氏はまだまだ止まらない。 ▼以下、ネタバレ感想 |
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今度のアリステア・マクリーン作品はイギリス情報部員ジョン・ベンタルが挑む潜入捜査だ。オーストラリアで起こっている技術者たちの謎の失踪事件をベンタル自身が燃料工学の専門家に扮して一連の事件の謎を探るという話だ。
舞台は南国の島国フィジー。オーストラリア渡航の乗換のため、宿泊したフィジーのホテルで拉致されるが、機転を利かせて脱出したベンタルとマリーの男女の情報部員が流れ着いたのは考古学者が研究のため逗留する小さな島ヴァルドゥ島。 ヤシの実に白い砂浜、肌を撫でる貿易風に揺られながらハンモックで昼寝をする。およそ諜報活動とは無縁の世界で繰り広げられるのは楽園に隠されたイギリスの秘密基地。しかも今回は男女の情報部員による任務ということでどこか007を思わせる設定だ。 作者マクリーンも意識的なのか、偽装した夫婦として任務を課せられたマリーとベンタルが当初は反目し合いながらも次第にお互いを想いあうようになる。下手をすればハーレクインロマンスと見紛うかのような内容だ。 それもそのはずであとがきによれば本書はイアン・スチュアート名義で書かれた作品とのこと。つまり従来のマクリーン作品とは一線を画した舞台設定と登場人物を想定した作品なのだ。 そんな中で深手を負った科学者を装いながら島の周囲を探るベンタルが察知した真の任務とはイギリスがフィジーの小島で隠密裏に “黒い十字軍(ダーク・クルーセイダー)”という最新式のロケット開発を進めている科学者たちが連れて行った妻たちの行方を探るという物。 真相を読むに至って私はますますこれはマクリーンがスパイアクション小説を想定して書いた作品だという思いを強くした。 それを裏付けるかの如く、今まで硬質な文体で、読む者にさえ苦難を強いることを感じさせられたマクリーンの文体が本書では実に軽みを帯びている。特にベンタルの独白は凄腕の情報部員ながらもグチと減らず口を叩き、特にパートナーのマリーに対する感情をところどころ吐露する辺りは今までのマクリーン作品の主人公とは思えない優男ぶりが垣間見える。 そんなマクリーンの手によるスパイアクション小説はしかし突飛な小道具や秘密兵器といった物は一切出ず、ベンタルが次第に傷を負い、ボロボロの身体で満身創痍になりながらもどうにか新型兵器ダーク・クルーセイダーの持ち出しを阻止しようと奮闘する。 主人公が何でも一流の腕でこなすスーパーマンのような男ではなく、敵と味方の反感を買いながら、自分が死ぬことなど厭わない不屈の心を持っているところがマクリーンらしい。 珍しく軽さを感じる文章でクイクイ読ませる作品だったが、結末はかなり苦いものだった。 しかしこの読みやすさは今後もあってほしい。 ▼以下、ネタバレ感想 |
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1984年5月28日、アーリントン国立墓地にヴェトナム戦争無名戦士の葬儀が当時のレーガン大統領の弔辞を伴って行われた。
マイケル・バー=ゾウハーが選んだ本書の題材はこの史実に基づく無名戦士の身元を探る物語である。 しかしそこはバー=ゾウハー、単に身元不明の遺体の正体を探るだけの話にはしない。その遺体に残された弾丸と手榴弾がアメリカ製であるという仕掛けを施す。つまりこの兵士が味方に殺されたのではないかというスキャンダラスな謎を放り込むのだ。 その調査に挑むのが国防総省の行方不明兵士(MIA)事務局の局長ウォルト・メレディスだ。 彼は自身の息子をもヴェトナム戦争で亡くし、その遺体が行方不明になったままだという過去を持つ。息子の死を知った矢先、当時勤めていたCIAを辞め、国防総省に移り、自ら行方不明兵士の調査に携わることにしたのだった。 しかし妄執的なまでに調査に没頭する彼を恋人であるバーバラは息子の影を追っているだけだと糾弾する。しかし彼は国の為に命を投げ出した戦士たちが名も無き死体として葬り去られることの虚しさと、息子もしくは夫の帰りを待つ家族にきちんと区切りをつけ、ヴェトナム戦争を終わらせるために必要なことだと説く。つまり無名戦士の葬儀とはまだ同地に残るアメリカ兵士を歴史の翳に葬り去る行為なのだ。 そして物語の渦中にある無名戦士の正体は物語中盤で判明する。 海兵隊第37連隊の隠された8番目の兵士アンディ・カニンガム一等兵だった。彼の父親は第2次大戦のノルマンディ上陸作戦で活躍した英雄だった。 そんな彼がなぜ無残に殺されなければならなかったのか?物語の後半はその謎の解明に費やされる。 謎の解明に当たるウォルト・メレディスの前に立ち塞がるのが元第37連隊々員だったスティーヴ・レイニー。ある時は先回りして同士に連絡して協力しないように手を回し、中には既に自らの手でその命を奪った同胞もいる。それほどまでにして隠すアンディ・カニンガムの死とは一体どんなスキャンダルなのかと俄然興味が増してくる。 しかしアンディ・カニンガムの死を巡る捜査は屍の山を累々と築いていく。第37連隊の生き残り、リンドン・ヒューズは自殺に見せかけて殺害され、と今回の事件の張本人スティーヴ・レイニーもまたウォルト殺害に失敗し、自ら死を選ぶ。そしてウォルトの捜索の良き理解者であり協力者であったMIA家族の会もまたウォルトから袂を分かつようになる。 それほどまでアメリカが守りたかったアンディの死とは一体何なのか?最後の最後でようやく明かされる。 しかし今なおヴェトナム戦争については語られることが多い。特にデミルはライフワークとしているようにも感じられる。 そのどれもが異口同音に語るのが初めてアメリカが正義ではなくなった戦争だということだ。そんな無益な戦争で犠牲になった兵士たちが人間性を喪い、狂気に駆られてもはや普通の生活さえも送れなくなった戦争の惨たらしさが本書でも書かれているが、それは本当に人間のやることなのかと背筋に寒気が起きるようなことばかりだ。 そんな戦争だったからこそ無名で死ぬようなことはあってはならない。無名戦士の名を明らかにすることはすなわち兵士を一人の人間として尊厳を取り戻すことに繋がるのだ。 しかし、だ。 本書を読んだ後では事はそう簡単ではないことに気付かされた。 そういった意味では最後にカバーストーリーを仕立て上げたブリグズ大佐の行為は欺瞞ではあるものの、誰もがあるべきところに落ち着く結末ではある。 正義と悪、敵と味方、そんな単純に割り切れない物を孕んでいるがゆえに真実は明かされない方がいいときもある。 本書は戦争が決して英雄的行為ではなく、人間が生んだこの世で一番愚かな行為であることを示してくれた。従って英雄などいないのだ。そこにあるのは戦争を美化するための神話や伝説があるだけだ。真実は常にそんな美談とは対極の位置にある、バー=ゾウハーは静かに我々に教えてくれた。 ミステリ以上の味わいをまたもやもたらしてくれた。しかし今回は殊の外、考えさせられ、苦かった。 ▼以下、ネタバレ感想 |
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【ネタバレかも!?】
(1件の連絡あり)[?]
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常に我々の想像を超える世界を見せてくれるジョー・ヒルが今回描いた世界は特殊能力者たちの世界。
主人公ヴィクは自転車に乗って近道橋を渡り、失った物を取り戻す能力を持つ。 彼女の宿敵となるのは「NOS4A2」、ノスフェラトゥ、つまり吸血鬼の名をナンバープレートに冠するロールスロイス・レイスを駆り、子供たちを自分の世界<クリスマスランド>へさらう連続誘拐魔チャールズ・タレント・マンクスⅢ世。 そしてヴィクの良き理解者で相棒として力を貸すのはシンディ・ローパーを想起させるエキセントリックな風貌の図書館司書マーガレット・リー。彼女はスクラブルの文字で未来を予知する能力を持つ。 しかし本書は単純な対決の物語に作者はしなかった。ヴィクとチャールズ・マンクスとの戦いはなんと数十年にも及ぶのだ。 1986年に能力が発現したヴィクが初めてチャールズと対峙したのは1990年。そこから現代に至る約四半世紀もの間、2人の戦いは続く。そしてその戦いはヴィクの息子ブルース・ウェインをも巻き込み、ヴィクは母親としてチャールズ・マンクスと対峙するのだ。 いつもそうだが、ジョー・ヒルの描く物語の主人公は決して聖人君子のような素晴らしい人間でもなく、また愛すべき人柄を備えた人物ではない。 例えば本作の主人公ヴィクは暴力を振るう父親とヒステリックに自分の正当性を主張する、精神障害を抱えた母親の下に生まれ、二人の諍いを聞くのがこの上なく嫌いな女の子として登場するが、その後成長するに当たり、酒に溺れた精神障害を持つ母親となって、内縁の夫と別れてしまう。ただヴィクの狂気は高校生の時に出遭った殺人鬼チャールズ・マンクスから逃れられぬ悪夢によるものであり、必ずしもヴィク自身に責めがあるわけではない。 翻ってヴィクの内縁の夫ルーはお人好しなのだが、その性格が災いしてい事業には失敗し、人に騙されて借金を背負わされ、返済に四苦八苦している、何とも頼りない男だ。 しかし彼の包容力こそヴィクには必要で、ルーはヴィクにとって良い夫なのだ。 そんな2人の間に生まれたブルース・ウェイン・カーモディはそんなダメな両親を愛したい、喜ばせたいと思っている、なんとも健気な男の子だ。 つまり読者の求む主人公像に近いのはこのブルースだと云える。 ただそんな破綻した家族でありながら、それぞれが危難に陥れば協力し合う。つまり家族愛は不変なのだということをヒルはこの物語で示してくれる。 絶体絶命のピンチに陥った時に耳元で囁かれるのはどこか遠くにいる父親のアドバイスであり、また孫が絶望的な不安に陥れば、祖母は死の世界からでも舞い戻って傍に座って元気づけてくれる。 それは勿論ヴィクもそうだ。 息子も含め、他者から見れば全身にタトゥーを施した未婚の母で、誰も聞くことのできない電話の呼び出し音に怯え、常軌を逸脱した行動で家を全焼させ、精神病院に入れられた、どうしようもない母親なのだが、息子と内縁の夫をこの上なく愛し、特殊な能力を持つ自分と関わらさせないようにした上の結果であり、息子がマンクスにさらわれればどんな目に遭おうが諦めずに敵に立ち向かう。それは一途なまでの家族に対する愛ゆえに。 どんなに破綻しているように見えながらも、それぞれの家族も子供を愛する気持ちは強く持っていることをこの物語は強く訴える。 子供を平気で虐待し、または自分の好きなことをするために育児放棄する親の許にいるよりは、毎日がクリスマスである、自分の夢想が創り上げた<クリスマスランド>にいて、楽しく過ごす方が子供たちにとってはいいではないかと子供たちをさらうチャールズ・マンクスは腐った現代社会において闇の救世主のように映る。 しかしダメな親であっても子を愛する気持ちはかけがえのない物だと必死にマンクスの魔手から我が子ブルースを救おうと奮闘するヴィクとルーの姿は喪われつつある親子の絆の深さの象徴だ。他者から見れば不幸としか映らない家庭環境が実は当人たちにとってはそれもまた幸せの1つの形なのであることを投げかける。だからこそヴィクとルーはわが子を救うためならば不法侵入に逃亡、爆弾製作といった犯罪行為を厭わないのだ。 瀕死の重傷を負いつつも、鋼鉄の馬トライアンフを駈るヴィクの姿は物語の前半に出てくる昔のアメリカドラマ、「ナイトライダー」の主人公マイケル・ナイトのようなヒーローのようだ。まさに女だてらの「Knight Rider」ではないか!手負いの母親ほど手強いものはない。母の愛こそ最強の武器なのだ。 さて毎回ユニークなアイデアを物語に持ち込んでくるジョー・ヒルだが、本書の最たる特徴はハイテクとファンタジーホラーの見事な融合にある。 チャールズ・マンクスによってロールスロイス・レイスでさらわれた息子ウェインを探るのにiPhoneの探索機能を使って地図上でウェインの居場所を探るシーンが出てくるが、そこに出てくる地図はアメリカでありながらアメリカではない地。「アメリカ内界国」という名の奇妙な場所が現れ、ウェインの居場所が示される。現代技術の最先端が異界を見せるというこの怖さ。このアイデアは実に素晴らしい。 さて今までとにかく戯言のように主人公のとめどない思考を全て文字にしたかの如き回りくどい文章だったのが、本書では実にシンプルに整理されて読みやすくなっているのが特徴的だった。とはいえ、ヒル特有のユーモア、特に音楽に関するサブカル要素も盛り込まれているのだから、文章がさらに洗練されたと考えるべきだろう。 しかしそれでも上下巻合わせて1,120ページもの分量が必要だったのかは甚だ疑問だ。300ページくらいは余裕で削れるのではないだろうか。 抜群の奇想とそれを物にする技量はあるものの、長編小説となると妙に饒舌になるヒルは率直に云って短編向きのような気がする。作品を重ねるにつれ、長大化が進むヒルだが、向こうのエージェントならびに出版社はヒルにもっと文章を削ぎ落とすようアドバイスすべきではないだろうか? この長さがなければ手放しで傑作と太鼓判を押そう。それほどまでに爽快な読後感を抱かせてくれる物語なのだから。 ▼以下、ネタバレ感想 |
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服部真澄は常に時代を先行する。
数々の時代を先取りしたセンセーショナルな題材を扱ってきた彼女が本書でテーマに挙げたのはもはや世界的に巨大な産業へと発展したアグリビジネスの実態だ。 物語は3本の柱で構成される。 1つは蓮尾の親友であった少年アダムが焼死したシングルトン一家放火殺人事件の謎。 もう1つは時代の寵児と呼ばれる科学ジャーナリスト、レックス・ウォルシュが一大センセーションを巻き起こすであろうと思われる次作を巡っての謎。 最後の1つは世界のワイン事情を左右すると云われているワイン・ジャーナリスト、シリル・ドランの新作の訳出を巡る物語。 これら3つの物語は1つの大きな軸に収束していく。 それは世界の農業事業を牛耳る巨大コングロマリット「ジェネアグリ」の存在だ。そしてそのジェネアグリが率先して開発しているのが遺伝子組み換え作物、GMOと呼ばれるキメラ作物だ。 害虫に強い品種を開発するために魚のある遺伝子を交配して新種を作り出す、農薬に強い品種を作るために特殊なバクテリアと配合する、旱魃に強い品種を作って農家に提供するが、種が出来ない品種のため、その農家は永久に会社から翌年の収穫の為に種を買い続けなければならなくなる、といったように世界中の作物を牛耳るための手段としてGMOは開発される。 さらに物語の舞台は南米へと移る。しかもその地はボリヴィアだ。 サッカー先進国である南米諸国の中でも本戦進出したことがないと思われるほど、マイナーな国を舞台に話題の中心はやがて新種ワインの開発からコカノキ、つまりコカ茶とコカインの原料となる木へと繋がっていく。 ただこの真相は今までの服部作品を読んでいれば想像するに難くはない。 服部氏にとってアメリカという巨大な鷲は恐るべき存在なのだろう。 デビュー作『龍の契り』からアメリカが香港返還に絡むところから始まり、その後の『鷲の驕り』、『ディール・メイカー』とアメリカが世界を牛耳ろうと画策しようと企む構造を一貫して描いてきている。圧倒的な取材力で世界の最先端技術をテーマに作品を綴ってきた服部氏が取材過程で目の当たりにした光景なのか、それは定かではないが、アメリカという国が持つ底知れぬ恐ろしさを知るがゆえに同国が与える世界への脅威は氏にとって決して離れる事の出来ないテーマなのかもしれない。 翻って服部氏が日本政府に対する筆は容赦がない。作中で2000年に日本政府がいともあっさりとGM稲の輸入と栽培を認めた事実が紹介されるが、アメリカの深謀に比べて日本の浅はかさを知らしめる実に滑稽なエピソードだ。恐らく世間ではまだよく知られていないGMOの脅威―私も本書でその実態を知った―ゆえに政府もその後展開されるであろう恐ろしい陰謀には思い至らなかったのかもしれない。そう考えると本書は服部氏による迂闊な日本政府へのGMOの脅威の啓発の書であると取れる。 さて先の読めない展開が売りの服部作品だが、本書に関しては案外明瞭過ぎて、逆にかつて有能な科学ジャーナリストであった蓮尾の鈍感さにイライラさせられた。 この人物造形の浅さこそが服部作品の弱点だと私は考える。 真相が明らかになるにつれ、さらにその奥に隠された真相が一枚一枚、ヴェールを剥がされるように明らかになり、やがて与えられていた真相はひっくり返り、正義が悪に、悪は道化師に、囮に、と価値観が覆される物語構成は一級のスパイ小説、エスピオナージュを髣髴とさせるのだが、そんな重層的なストーリーを引っ張る強烈なキャラクターが氏の作品にいないのも事実。 それについては今後の服部作品に期待しよう。 物語の最後は服部氏が抱く未来の夢か、願望なのか。それとも麻薬ビジネスに頼らざるを得ない南米諸国に対する新たな道を辿れという叱咤激励なのか? アジアへの利権、特許、IT産業にアニメ産業、さらにアグリビジネスへと様々な分野で世界市場を乗っ取ろうと知恵を絞るアメリカ。これら服部作品に書かれている事象はそう遠くない未来に起こりうるであろうアメリカによる世界経済侵略なのかもしれない。 次は我々に服部氏はどのような衝撃を与えてくれるのか。グローバリゼーションという明るい価値観の影に咲く仇花をまたその筆で描いてくれることを楽しみにしていよう。 ▼以下、ネタバレ感想 |
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本書こそローレンス・ブロックという作家の名を世に知らしめ、そしてマット・スカダーシリーズを一躍人気シリーズにした作品だ。私立探偵小説大賞受賞作。
ブロック作品では常に印象的な登場人物が出てくるが、本書ではコールガールのヒモ、チャンスの造形が実に素晴らしい。 娼婦のヒモから想像するのは口から先に生まれてきたようなチンピラ風情だったり、暴力で女を支配するような男や自分は稼がず、女にヤクをさせて廃人になるまで働かせるような人非人、または酒に溺れた自堕落な男を想像するのが相場だが、ブロックはチャンスを黒人実業家のような洗練された男として登場させる。そして感情を波立たせることを滅多にせず、常に冷静に物事を考える男として描く―この性格を自動車の運転の描写だけで読者の頭に浸透させるブロックの筆の素晴らしさ!―。 またマットはAA(アルコール中毒者自主治療協会)の会合に出席するようになっていた。 前作まではアル中であることを認めなかった彼は事件を通じて知り合ったジャン・キーンと苦い思いで別れたことが堪えたのかもしれない。ただマットは皆の話を聞くだけで自分のことは何も語ろうとはしない。キムが死んだその夜も集会に出て、色々な思いが去来し、誰かに話したい衝動に駆られるが、出てきた言葉はいつもの通り、「今日は聞くだけにします」だった。 しかしマットの禁酒はキムの死を知ることで途絶える。そこからはアル中独特の“都合のいい解釈”で歯止めが効かなくなり、ついには意識不明の状態で病院に運ばれてしまう。 これまでの作品でマットは酒を浴びるように飲みこそすれ、入院するまで酷い事態には陥らなかった。記憶を失くすことはあっても、翌日二日酔いで頭痛と酩酊感に苛まれながらも、生活は出来ていた。 しかし本書では前後不覚の状態に陥り、しかも全身痙攣しながら病院に運ばれ、ドクターストップまでかけられるという所までになる。エレインの友人キムの死がマットに与えたショックの重さゆえか。たった数日間の付き合いだったマットは前述のジャンとの別れの辛さを引き摺り、人恋しかったのかもしれない。そこに現れたキムが、やり直しの相手と映ったのかもしれない。 そして自分を取り巻く人から記憶喪失の際の自分の言動を知らされ、マットは戦慄する。今までアル中ではなく、単なる酒好きの酒飲みだと思っていたマットは初めて自分が重度のアル中であると自覚せざるを得なくなる。 そう、チャンスの依頼を受けることは自身の再生へのきっかけ、決意表明なのだ。この隙のない物語構成の妙。こういう所に唸らされる。なんて上手いんだ、ブロックは! 作中、市井の事件がマットが毎朝読む新聞の記事から挙げられる。それはどれもが奇妙な諍いの記事。どこかで誰かが誰かを傷つけ、また争っており、そこに死が刻まれている。 キムの事件を担当する刑事ジョー・ダーキンと酒場でお互いが見聞きしたそれらの事件を挙げ合う。そして最後にジョーは昔あったTV番組を挙げる。“裸の町には八百万の物語があります。これはそのひとつにすぎないのです”それは警官たちにとっては八百万の死にざまがあるだけなのだという言葉で締め括られる。 その後マットはその言葉を意識し出す。新聞を読むたびに出くわす不条理とも云える死にざま。単なる比喩としか思えない八百万もの死にざまは、マットの中で本当にそれだけの死にざまがあるのではないかと思えてくる。 そんな八百万の死にざまのうち、マットが扱うのはキムの死は1つにしか過ぎない。八百万のうちの1つにしか過ぎないのだが、その1つは自分にとって途轍もなく大きな意味を持っているのだ。 また本書では今までのシリーズと違うことが2つある。 1つは今までの事件は過去に起きた事件を掘り起こすことがマットの依頼だったのに対し、今回の事件は進行形で起きることだ。依頼人だったキムの死から始まり、彼女のヒモ、チャンスが抱える街娼の1人サニー・ヘンドリックスの死、そしてクッキーと云う名のオカマの街娼の死と続く。 連続殺人鬼を扱いながら過去の事件を題材にしたのが前作『暗闇にひと突き』なら、本書では連続殺人事件そのものをマットが扱う。前作が静ならば本作は動の物語であると云えよう。 もう1つは上にも書いたが本書では前作『暗闇にひと突き』で登場したジャン・キーンが登場することだ。今までのシリーズでは警官のエディ・コーラーを除く全ての登場人物がスカダーにとって行きずりの人々だったが、このジャンは初めてスカダーの心に巣食う忘れえぬ人物として刻まれている。 そしてスカダーは本書で初めて禁酒を行うが、ある時暴漢に襲われ、過剰な暴力で撃退し、酒にまた救いを求めようとする。しかし以前酒に飲まれた彼はそれを心の底から怖れるのだ。そして彼が見出した唯一の救いの光がジャンになる。 このシリーズに広がりが生まれた瞬間だ。 最後の一行に至り、これは実はマットの自分との闘いの物語だというのが解る。 上に書いたようにマットは今回毎日の如くAAの集会に参加する。しかしそこでマットは参加者の話を聴きこそすれ、自分の話は決してしない。いつもパスしてばかりだ。酒を飲んで入院し、一命を取り留めた後では自分がいつまた酒に手を出して、今度こそ助からなくなるのではないかと恐れている。事件の捜査はマットが酒に手を出す時間をなくすための手段にすぎないのだ。 つまり本書はニューヨークという大都会に溢れる八百万の死にざまと1人の男の無様な生き様を描いた作品だったのだ。 今までこのシリーズ1冊に費やされたページ数は270ページほどだったが、本書は480ページ以上にもなる。つまりマットが自分の弱さに向き合うのにそれだけの物語が必要だったのだ。 正直私はこの最後の一行がなければ評価は他の作品同様7ツ星のままだった。 しかしこの最後の一行で物語の真の姿とマットが抱えた苦悩の深さが全て腑に落ちてきたことで2つ上のランクに上がってしまった。 幾度となく物語に挟まれるAAの集会のエピソードが最後これほど胸を打つ小道具になろうとは思わなかったが、そんな小説技法云々よりもやはりここはマットが今までのシリーズよりもさらに人間臭いキャラクターへと昇華したことが本書をより高みへ挙げたことになるだろう。 さて本書で鮮烈な印象を残したヒモのチャンスは子飼いのコールガールを次々と失う。ある者は自殺し、ある者は仕事から足を洗うために旅発ち、ある者は夢を実現するためにチャンスから離れる。チャンスは廃業し、美術鑑定家として新たな道を歩き始めようとする。恐らく彼は今後のシリーズでマットの前に再び姿を現すのではないだろうか。 自分の弱さを認めたマットは無関心都市ニューヨークの片隅で起きる事件に今後どのように関わっていくのか。今まで人生の諦観で自分を頼る人たちに便宜を図っていた彼が自分の弱さと向き合いながら事件とどのように向き合うのか。 さらに評価が高まっていくこのシリーズを読むのが楽しみで仕方がない。 ▼以下、ネタバレ感想 |
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マクリーン5作目の作品はなんとある犯罪者が巻き込まれる数奇な運命を語った話だ。
主人公のジョン・タルボはサルベージ会社を転々とし、そこで引き上げた財宝を盗んだり、または宝石泥棒と組んでダイヤモンドを盗んだりと悪行の限りを尽くした男が警察の追跡から逃げまくる逃亡劇が始まるかと思いきや、それは100ページほどで終わりをつげ、次は海底油田の採掘ステーションへの侵入劇、そしてヴァイランドと云う悪党によって潜水艦の技師として雇われ、ある仕事を頼まれる。 とまあ、このように実に先が読めない事極まりない物語が読者の眼前で繰り広げられる。 しかもその行動の真意が明らかにされないまま物語が進行するため、読者はタルボが何をしようとしているのかが解らない。とにかく読んでいて実に気持ちが悪い物語展開なのだ。 例えばタルボがいきなり警察に捕まるのも突然食事をしていた彼の許に警察が現れ、有無を云わさずに連れていくところから始まり、そこから機転と隙を見て、その場にいた女性を人質に逃亡し、モーテルに隠遁するが、そこに突如殺し屋が現れ、女性の親である石油富豪のラスヴェン将軍邸に連れられる。 更に将軍がタルボに自分の石油採掘ステーションに忍び込むよう依頼する。が、その後タルボは隠密裏に屋敷を抜け出して単独でステーションに忍び込む。何らかの目的があるのかは判るものの、それが何のためなのか明らかにされないまま、行動に移るのである。 とにかく登場人物それぞれが秘密を抱いていることを仄めかしながらも、それが明確にされずに物語は進行する。これほど靄の掛かったままで進む小説も珍しい。 本格ミステリならば殺人の犯人や殺害方法、動機など不明なままで物語は進行するが、それはそれを突き止めるための物語であるから、逆に云えば目的がはっきりしているのだが、本書においては主人公のタルボを筆頭に、彼に依頼をするラスヴェン将軍の仕事の内容も不明で、ヴァイランド一味の目的も不明で何が目的なのかがはっきりせず、焦点が絞れずに進行するため、実にもどかしい思いをしながらページを繰らなければならなかった。 そしてそれら物語の靄は最終章、タルボの口から明かされる。 専門家と見紛うような石油採掘ステーションの技術的な説明と描写はマクリーンの専売特許とも云うべき精緻かつ精密で作家が付け焼刃的に浅く薄く専門書を読んで物語に挟み込んだような代物ではない。 そこは認めるものの、本書における作者の企みは決して効果的なサプライズを生んでいるとは云えない。プロローグで起きた事件が物語の布石であることは容易に知れるものの、そこから展開する物語は焦点が掴みにくく、さらに殺人犯として知らされる主人公タルボの不可解な行動の数々には上で書いたようにとにかくどこへ進むのかがはっきりとせず、終始やきもきさせられた。 私はある明確な目的に向けて登場人物が生死の境で苦しみながらも前に進もうとする極限状態での苦闘を描き、その中で挟まれる意外な人間関係や本性がサプライズとして有機的に働くことで生まれる心震わせる人間ドラマこそがマクリーンの真骨頂だと思うが、物語全体を仕掛けにするという器用な創作は似つかわしいと本書を読んで思ってしまった。 しかし上にも書いたようにマクリーンはどの分野を書いても専門はだしの詳細な内容を技術者が読んでも眉を潜めないほどの正確さをもって書けることが今回も解った。 次はどのような舞台で専門知識と人間ドラマが絶妙に絡み合った作品を提供してくれるのかを期待したい。 ▼以下、ネタバレ感想 |
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東京中野駅は白戸修にとってまさに鬼門だった。平凡な大学生白戸修の日常を脅かす事件は決まって中野駅から起こる。そんな彼が巻き込まれる事件5編。
白戸修初登場の「ツール&ストール」では就職先が決まり、卒業を控えた最後の破産法の試験を3日後に控えた時に突然事件に巻き込まれる。 第20回小説推理新人賞を受賞したのが本作。受賞作に相応しいなかなか趣向の凝った作品だ。 まずは真犯人捜しの元スリ専門の捜査官と共に行動して色々なスリの手口を目の当たりにするのが非常に面白い。電車内での典型的なスリの手口から、駅構内のトイレで2人一組で行われる巧妙な手口、更には混んだ店内で予約ミスと見せかけて集団で行うスリと、実にヴァラエティに富んでいる。 さらに最後に明らかになるタイトルの意味。 そして平凡な男に過ぎなかった白戸修がいつの間にかお人よしの頼りない好青年として刷り込まれていることに気付く。白戸修の紹介状として申し分ない好編だ。 続く「サインペインター」では白戸修は犯罪の片棒を担ぐことになる。 巻き込まれ好青年白戸修が、友人の為に何やら怪しげなバイトに巻き込まれ、強引かつ無神経な男に振り繰り回される顛末を描きながらも、実はその中に謎が隠されていたという構成の上手さが光る1編。 物語も半ばが過ぎないと何が謎なのか解らないという、実は技巧としては高度な物語なのだ。それを2作目で行うあたり、大倉氏が既に本格ミステリ作家としてのサムシング・エルスを持っていることが解る。 「セイフティゾーン」でまたもや事件に巻き込まれる。 事件の最中で意外な事実が判明していくという、ジェフリー・ディーヴァ―の『静寂の叫び』を思わせるような物語。 さて昨今では殺人事件にまで発展するストーカー被害。間違い電話に出た白戸修はこの被害の捜査に巻き込まれるのが「トラブルシューター」。 ストーカー事件が世に知られるようになった現在では、そうと解らない読者の為に門外漢の白戸の目を通して語られる被害者杉本恵の奇妙な日常風景の描写は逆にまどろこっしく感じた。 とにかく世にあるストーカーの卑劣な仕打ちが被害者の日常を通じて一部始終が語られる辺りは特に陰鬱。短編集の中でも最もダークでシリアスな展開。 「ショップリフター」とは万引き犯と云う意味。最後の短編で白戸修が出くわす犯罪は身近でありながら深刻な被害となっている万引きだ。 第1編「ツール&ストール」を髣髴とさせる仕掛けとサプライズに満ちた1編だ。 身に覚えのない万引きの濡れ衣を着せられた白戸はマイペースな保安員深田によって万引き犯捜索の手伝いをさせられて、デパートの上から下まで引き摺り回されてしまう。と思いきやそれが白戸を犯罪者に仕立てる一連の計画だったことが明らかにされる。万引き犯を追いながら店を出た途端に逆に万引きの現行犯に仕立て上げられてしまうというこのサプライズはなかなか強烈。久々に「えっ!?」となってしまった。 また作品で開陳される様々な万引きの手口は実に興味深く、これも「ツール&ストール」で披露された様々なスリの手口と同じような薀蓄に満ちている。 刑事コロンボを髣髴とさせる福家警部補シリーズがドラマ化された大倉氏の数あるシリーズのうち、最も平凡なキャラクターである白戸修作品初登場の短編集。 平凡な学生白戸修が巻き込まれるのはスリにステ看貼りに銀行強盗、そしてストーカー被害に最後は万引き。軽犯罪だけでなく命に係わる事件にも巻き込まれる受難男。 しかもここに収められた5つの事件は就職先も決まり、大学卒業を目前に控えた最後の単位取得の試験の時期、その1月後、そして卒業式も終わって入社式を迎える猶予期間、入社式前日までの大学生活最後の年の後半に起こっており、白戸修はこの短期間でドミノ倒しの如く次々と事件に巻き込まれていくという濃密な数ヶ月を送っている。 しかもそのいずれも中野駅界隈であるのが面白い。作者は中野駅にどんな恨み(?)があるのだろうか。 物語の最初はいつも頼みごとを断りきれない気の弱いお人よしの青年という、いささか頼りない男と映る白戸修が、物語の最後ではそのお人よしぶりがこの上ない善人になり、稀に見る好青年となって読者の心に印象づけられていき、どの作品も読後は爽やかな涼風が心に吹く思いを抱かせる。 特に巻き込まれながらも目の当たりにする犯罪の有様に白戸自身の考えもやる気の無いものから、どうにか犯人を捕まえたい、事件を解決したいという前向きな物に変わっていくのもこの頼りない主人公に好感を持つ大きな要素になっている。 白戸修が出くわす犯罪では必ずしも犯罪者が悪人ということではないのが面白い。 また身を隠す犯罪者が必ずしも悪人ではないことも語られている。 個人的ベストは「ツール&ストール」、「サインペインター」、「ショップリフター」の3編。 「ツール&ストール」と「ショップリフター」は姉妹編とも云うべき好編でそれぞれスリと万引きと云う軽犯罪を扱っており、その手口のヴァリエーションも紹介され、その奥の深さに唸らされるが、最後に明らかになる事件全体に仕掛けられたトリックが判明するところは久々に不意打ちを食らった感があった。 「サインペインター」は単なる巻き込まれ騒動の1編と思わせつつ、実は意外な謎が隠されていたという読者がその真相を探るのがほとんど不可能な構成の妙を買う。ホント、何が謎なのか全く解らなかった。 とはいえ、まだまだ特色のあるシリーズとはこの段階では云い難い。逆に最後の短編でシリーズキャラクターとなりそうな人物が再登場した事でこれからシリーズとしての奥行きと幅が出てきそうな予感がする。 次回からは出版社に就職した社会人として白戸修がまたもや事件に巻き込まれていくことになるのだろうが、どんな形で事件に関わるのか暖かい眼で見守ってやりたい。白戸修にはそんな魅力がある。 ▼以下、ネタバレ感想 |
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シリーズ4作目の本書ではスカダーは彼が警官時代に担当した連続殺人事件の被害者の真犯人を捜そうとする。それは彼の過去との対峙でもあった。
アイスピックを使って女性ばかりを襲う連続殺人魔。8人もの犠牲者が出た後、ぱったりと事件は沈静化する。それは当の犯人が長期強制入院させられていたからだった。 そして9年後の今、その犯人が捕まり、解った事実が8人の犠牲者のうち、その1人バーバラ・エッティンガーは自分が殺したのではないということ。その父親は彼女を殺した真犯人捜しを当時警官で事件を担当していたマットに依頼するというのが今回の話だ。 しかし9年もの歳月の変化はマットの捜査を困難にする。しかし時の流れで消え去った証拠をマットは捜すのではなく、当時事件に関係していた人たちを訪ね、その人となりに触れることで事件の真相を掴もうとする。 これは警察の捜査ではできないことだ。私立探偵の免許もなく、依頼された者たちに少々の報酬を頂いて便宜を図る男マットだからこそ、自分の直感とやり方に従って人と人の間を逍遥する。 それは警官の誰かが云った、炭鉱の中で黒猫を探すようなことだ。 それがまた否が応にも自分の警官時代の事を思い出させることになる。マットは事件を捜査することでかつて警官だった自分についても思いを巡らせるのだ。 しかし連続殺人犯をテーマに扱いながら、ブロックはなんとも地味に物語を展開させるのだろう。通常ならば連続殺人犯による犯行がリアルタイムで起きている状況下で物語を紡ぐことだろう。その方がサスペンスも盛り上がるし、また何より物語に起伏も出る。 しかし敢えてブロックはそれをある女性の過去の殺人の真相を探るモチーフとして扱うだけに留めるのだ。しかも連続殺人事件は9年も前の事件にして。 従って物語は数少ない当時を知る人を探り当てるところから始まり、また当時を知る者も既に記憶が曖昧になって実に心許ない。つまり読者は過去を探るスカダーと共に何とも手ごたえの感じない捜査の一部始終を体験するのだ。 なにゆえこのような展開をブロックは選んだのか。 やはりそれがスカダーの向き合う仕事に相応しいからだということだろう。連続殺人犯と云う敵と戦うマットはどうしても武闘派にならざるを得ないが、マットにはそんなポジティブな行為は似合わず、過去の疵を抱いて時々自分に仕事を頼む人から少しばかりの報酬を貰ってその日暮らしの生活をする、人生の落伍者には過去を辿る行為こそがお似合いなのだろう。 それを裏付けるかのようにスカダーは過去と向き合う。 当時もう1人ブルックリンで殺人鬼ルイス・ピネルの毒牙にかかった女性の捜査に携わった巡査に逢った時、自分を重ねる。その巡査バートン・ハヴァーメイヤーもまた警官を辞めた男だった。彼はまだ経験浅い頃に出くわした陰惨な事件の犠牲者と彼女の死に様を発見した彼女の子らの泣き叫ぶ声が耳に焼き付いて離れないがために。それは誤って少女を撃ち殺したことで職を辞した自分のもう1つの姿だった。 そして物語も半ば、依頼人であるチャールズ・ロンドンから事件の捜査の打ち切りを申し出られるが、スカダーはそれを拒否する。9年もの前の事件を調べるのに四苦八苦しながらもスカダーは何かが動き出していることを感じていた。しかしロンドンは過去をほじくり返すことで知らなくてもよかった娘の過去が白日の下に曝されるのを怖れていた。 前作でも抱いたのはなぜスカダーは敢えて寝た子を起こすような行為をするのかということだ。しかしその疑問について私はある一つの答えを得たような気がした。 それは自身が抱える過去の闇を忘れずに酒に溺れ、半ば死んでいるような日々を送っているからこそ、過去を忘れ去ろうとする人々が許せないのだろう。 しかし過去を抱えて今を生きるマットの生き方は決して誉められたものではない。『一ドル銀貨の遺言』では過去の過ちを消し去ろうと努力し、それぞれが成功を収めている人々がいる。過去を抱え、定職にすらつこうとしない男と過去を消し、いまを生きようとする人々。この二律背反な構図は決してスカダーが真っ当な人間ではないことを指す。 しかしこれこそが正義を貫くことの代償なのだろう。正しいことをすることは何かを捨てる事なのだとブロックはスカダーを通して我々に示しているようだ。 このマット・スカダーの物語は上昇志向の人々にはそぐわないものだろう。誰でも失敗はするし、それを糧にして今をもっと頑張ろうと生きる。マットの生き様はそんな前向きの生き方とは真逆なものだ。 しかしなぜか彼の持つペシミズムは誰もが持つ過去の疵にしみいるように響くのだ。もしかしたら一つ間違えれば自分もまた彼のような境遇に落ちていたのかもしれないと思うからだろうか。そしてその時の自分はマットのように自らの正しいと思う事の為にこれほど一途になれないだろうとまた思うのだ。だからこそマットのやり方を全否定できない自分がいるのだ。 事件の真相は実に意外なものだった。 原題は“A Stab In The Dark”。Stabという単語には「突き刺すこと」という意味以外に「人の心を傷つける事」という意味も持つ。 暗闇にひと突き。暗闇は9年前の事件のことを指す。すなわち忘れ去られようとする過去でもある。 その暗闇を突き、人の心を傷つけたのはマットその人であった。すなわちこの題名は過去を掘り起こすマットのことを指しているのだ。 読後に立ち上るもう1つの意味。実に上手い題名だ。 そして今回マットは事件で知り合った保健所の元経営者ジャニス・キーンといい仲になるが、アル中を治そうとAAの集会に出るといってそのままジャニスはマットに別れを告げる。 かつて結婚して保健所を経営しながら、好きになった女性の許へ走って子供と夫を残して失踪した過去を持つジャニスはその後9年もの間1人だった。そんな彼女に訪れたマットという安らぎは逆に心地よすぎてまた失う時が来るのを怖れたのかもしれない。アル中を断ち切る行為はすなわちマットと過ごす楽しいひと時との別れだ。まだ関係が浅いうちにいずれ訪れるであろう辛い別れを迎えないための別れだったのかもしれない。 そしてマットはまた夜の街に、アームストロングの店に向かって、酒を飲む。彼に訪れる安寧はまだまだ先のようだ。 ▼以下、ネタバレ感想 |
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人生を変えた1冊とは通常読み手が出逢った本の事を指すが、東野圭吾氏は本書を著すことで長年逃していた直木賞に輝き、一躍ベストセラー作家に躍り出て人生を変えた。
そしてまたそれまで東野作品の読者ではなかった私が彼の作品を読むことを決めたのもこの作品だった。 その作品が探偵ガリレオこと湯川学が主人公を務めるシリーズ初の長編作品だったのはその後のこのシリーズの在り方を変えたのかもしれない。 短編集で始まった探偵ガリレオシリーズは人智を超える超自然現象としか思えない事件を現代科学の知識と理論で湯川学が解き明かすというのがそれまでの作品の趣向だったが、初の長編では湯川に匹敵する天才をぶつけ、一騎打ちの構図を見せる。 天才科学者と天才数学者の戦い。論理的思考を駆使する男とこの世の理を知る男。最強の矛と最強の盾の戦いはどちらに軍配が上がるのか。 しかしこの戦いは非常に哀しい。 それは湯川が唯一天才と認めた石神と再会した時の語らいが実に濃密であるからだ。このシーンがあるからこそ2人の先にある運命の悲劇を一層引き立てる。 天才数学者の石神は事件の捜査過程を予測し、警察の捜査の常に先を行く。それはさながら高度な詰将棋を見ているかのようだ。 しかしそんな鉄壁の論理の牙城を崩すのは意外にも当事者の情。計算式では表せない感情の縺れだった。この件については後に述べよう。 しかしなんという、なんという献身だ。 正直今まで愛する人のために自らを捧げる献身の物語は東野作品にはあった。『パラレルワールド・ラブストーリー』に『白夜行』、これらを読んだ時もなんという献身なのかと思った。 そしてそんな献身の物語を紡ぎながらも敢えて「献身」の名をタイトルに冠したこの作品の献身とはいかなるものかと思ったが、そのすさまじさに絶句してしまった。 論理を至上のものとした2人が行き着くのはなんと論理を超越した感情だったというのは何とも皮肉だ。 いやだからこそこの物語はそれまでの東野作品が適えられなかった直木賞受賞と大ブレイクをもたらしたのか。 『名探偵の掟』で本格ミステリを揶揄した後に発表された探偵ガリレオシリーズは最先端の現代科学の知識で犯罪を論理的に解き明かすという紛れもない本格ミステリだった。 つまり自身で本格ミステリに対する高いハードルを設定したのが『名探偵の掟』であり、そのハードルを超える敢えて挑んだ本格ミステリが探偵ガリレオシリーズだった。 そして東野ミステリのもう1つの軸が『人の心こそが最大のミステリ』とする流れを汲む諸作品だ。トリックやロジックではなく、心を持つ人だからこそ起こり得る運命の悪戯や人生の機微を物語のスパイスとして紡ぐ『宿命』から連なる一連の作品群。 これら東野ミステリの2つの軸が融合した結晶が本書になるのだろう。つまり本書はそれまでの東野ミステリのある意味集大成というべき作品と云えよう。 ただ東野氏が凄いのはブレイクを果たした本書が作家人生の頂点ではなく、それ以降も続々と面白い作品を放っていることだ。本書で初の『このミス』1位を獲得し、そのたった4年後にもう1つのシリーズ加賀恭一郎作品『新参者』で1位を再び獲っているのだから畏れ入る。 そもそもは素行の悪い元夫から逃れるために起こした殺人事件が端を発した哀しい事件。事件そのものは靖子が富樫と云う男と結婚したことから始まったのかもしれない。 東野氏は一度誤った人生は容易に取り戻せないと諸作品で語るが、本書もその1つである。 しかしこれほど哀しい物語に対して本書が本格ミステリか否かという一大論争が起きたことが実に馬鹿馬鹿しい。 本書は推理小説なのだ。それ以下でも以上でもないではないか。 暇人だけがジャンル分けに勤しんでいる。もっとこの作品を超えるような作品を切磋琢磨して世のミステリ作家は生み出してほしいものだ。それが作家としての本分だろう。 ▼以下、ネタバレ感想 |
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