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ミノタウロス
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ミノタウロスの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.85pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全34件 1~20 1/2ページ
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問題なし | ||||
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徹底的に神も仏も正義も悪も無い、ただ漠然と生きる事を前提に何もかも失った男が略奪、強姦、虐殺を重ねていく。 必ず二度繰り返して使用される動詞の語彙が広く、辞書片手に読む楽しみがある。他のレビューにもある通り、物語の舞台がロシア南部である必要性は無いのだが、文章が訳本の世界文学全集を思わせる感じなので著者の趣向か。 甘さを排したハードボイルドな世界を昭和的な筆致で描写した力作で、その密度の高さは凄いものがある。 吐き気をもよおす程の残虐非道の小説だが手に取って絶対に損は無い一冊ではないだろうか。 | ||||
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職場の同僚がくれたので休憩時間を使って読んでみた。感想?ええ、面白かったですとも。でもこれ、既出レビューにあるような「悪党大活躍ピカレスク浪漫」というにはちょっと遠い代物だ。 時は20世紀初頭の赤白軍ロシア内戦下、衣食住に困る事のない身の上の主人公が、義理は解るが人情の知らぬ鬼畜よろしく立ち振舞うことを自由と捉えるも、安寧の場を追われ、泥にまみれ、やるかやられるか、獣もいよいよ獣らしく立ち振る回らざるを得ない状況におかれてようやっと心を震わせる美を一時垣間見みるーも後の祭り。当時のウクライナに於ける農奴蜂起や疫病蔓延等の史実を絡めながら描かれた一遍のフィクションが本作だ。 既出レビュワーは触れないが、本作にはひょんなことから土地持ちになる登場人物がいる。博打は避けるがチャンスは可能な限り可能な範囲で活かす堅実な男だ。物語の始めに回想として登場し、不平を漏らさず静かに消え行く男。専ら当作品の暴力描写ばかりが取り沙汰される余りかこのキャラクターが当作品上もっとも異質な存在に思えるのはなんとも面白い。主人公なら百姓根性と唾棄するかもしれないけれど、主人公の甘ったれが可能な程の土壌を創るってのはいつの時代にも偉業なのだ。 さて、芸術至上主義に傾倒して止まない向きはよく「理屈じゃないのよ」と宣うけれど、理屈抜きで一体どうやって文章によって展開されるフィクションノベルを愉しむの?音韻芸術の詩と違って長々と文章を連ねざるを得ない小説の類はどうしたって散文にならざるを得ないんだよ。当著者だってその区別を取り払えるような出鱈目なことを自身の小説論で言っちゃいない(ハズ)。別の文脈に於いて、巧い文章書きの書いた断片的文章を適当に繋げ併せて、あとは読者の脳内で補完して貰いましょう、という試みが多少にも成功するを他の作家の著作で皆見てきたと思うけど、そんなカットアップ小説でさえ読まれ語られるのはひとつの物語としてだ(ディエゲーシスなんて横文字で格好よく響かせたところでとどのつまり「物語」ってことなんだぜ)。もし当著者の小説感に敷衍して当作品を語らないと当作品をきちんと読めたことにはならないとファンは言うかもしれないけれど、その意味の「きちんと」なんて広範な読者にとり不要な押し付けでしかない。 当作品の登場人物のひとりシチェルパートフのとっつあんの末期は本作のクライマックスってくらいに痛快。ここ共感できる人だけウェルカムっす。感想以上。 | ||||
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第29回吉川英治文学新人賞受賞作。帝政ロシア崩壊直後が舞台のピカレスク小説。 帝政ロシア崩壊直後の混乱の中で、人間が単純な生と単純な快楽を貪り食う存在となってうごめく様を描いている。語り手である主人公はそれを美しいと語っている。確かにそれはまぎれもない「自然」で、この世界の見事な景色や動物たちの営みがもつ美しさと共通するものがある。弱肉強食、それはこの世界のシンプルな真理であり、余計なものを取り去ったシンプルなあり方こそ自然で美しい。 が、現代日本の「真っ当な」道徳観では、そんなものを見ても美しさに陶酔する前にどうしても吐き気を催してしまう(苦笑)。よって面白くて一気に読んだが胸が悪くなってしまった。 主人公含め登場人物全員が屑と悪人。作中で主人公がやたらと屑呼ばわりされているが、まあ屑なのだけれども特別腐っているわけでないような気がする。皆が皆殺しも強姦も略奪も平気でやるので。それでもそんな「のらくらども」にも主人公が屑呼ばわりされるのは「人の心が最初から備わっていない」のと「相手を選ばない」かららしいのだが、私にはよく理解できない。皆惨たらしく人を殺す屑だと思うのだが……。ごろつきにしかわからない線引きがあるのだろうか。 村が崩壊したのも兄が死んだのも主人公に原因がある。が、確かに主人公は女を孕ませたり強姦したりして女の兄や恋人をキレさせたが、この作品世界では何も特別なことではない。主人公の母親にしたって強姦されているわけで、そのおかげで主人公の本当の父親はわからないのだし。兄の死だってギャンブルで全財産擦った自業自得ともいえるし。 まあ、皆五十歩百歩のろくでなしだ。主人公が百歩の方だったとしても。 ただまあこの主人公(と他の悪人も)、本当に人の心がないとも断言できない。終盤の「トリスタンとイゾルデ」の映画上映のシーン、あそこで本人たちにとっても不思議なことだが皆静かに涙を流すのだ。「どうしようもない代物」と評していた映画なのに。 それからつるんでいたウルリヒの女を殺されて主人公も何か思ったようだし、ウルリヒが描く最新型の飛行機を見てこれを作ろうと考えたり。他にも時たま人の心が垣間見える。 余計なものを剥ぎ取って生そのものになった「悪人」の中にも、人として生まれた以上は人の心がこびりつくように残ってしまうものなのだろうか。人間のふりをして立たざるをえないのだろうか。 | ||||
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小説を読むことが快楽であるということを純粋に教えてくれる一作。 第一次世界大戦前後のウクライナの地主の息子であるヴァシリ・ペトローヴィチ・オトレーシコフはフランス語とドイツ語とロシア語を操る天才児でありながら、その本質は獣そのものである。「僕はけだものだったし、けだもの以上のものになろうとしたことは一度もない」という本人のセリフが、その単純極まる性質を見事に言い表している。 二十世紀初頭のウクライナを舞台とした綿密な取材と描写、そしてところどころに挟まれる切れ味溢れる一節は、読む度に読者に快い思いを味あわせてくれる。「学の無い奴は皆シェイクスピアが好きだ」「首を吊るロープに石鹸を塗ることを思いつくのに大学を出る必要はない」など。 ただ、個人的にはこの小説は根本の部分で少女漫画の構造を持っていると思う。ところどころで、『けだもの』であるところのヴァシリはロマンを解し、激情に身を委ねる。虚栄心に突き動かされる美女マリーナのために眠れぬ夜を過ごし、僚友ウルリヒのの復讐に共鳴し放擲の人生へと身を投じる。『けだもの』の一言では表わせきれない人間性の理不尽さを随所に併せ持つヴァシリは、どこかしらロマンを内に秘めた憎めない人間像を覗かせる。途中、サイレント映画の脚本作成に加わる場面においてはその人間の理不尽さは極地に達する。 . 彼のもう一人の保護者とも言えるアナトーリ・ティモフェイヴィチ・シチェルパートフ、恋人のテチヤーナ、シェイクスピアを愛好する革命志向の小男グラバク、魅力的なキャラクター達が織り成す物語は一切を否定しながら突き進み、終着を迎える。女性作家の鋭い感性が描き出す批判的人間像を愉しみながら、何度と無く読み返したくなる小説である。 | ||||
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一般的なキャラクターの立ちかたとか、ストーリやオチや テンポを期待する方にはあまり勧められません。 出来事はいつも唐突、人々はこすい。 | ||||
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非常によく書けているにもかかわらず、読後感の悪さ、達成感のなさに、作者が書こうとしたものが不明になる残念な作品でありました。 書評家の豊崎さんは、何巻にもなるはずの内容をここまで凝縮していると誉めていましたが、わたしは、この小説は書きすぎてしまったのだと思います。 筆を置くべき位置は、主人公がシチェルパートフを殺し、グラバクたちの宿舎に火を放って逃げるところではなかったでしょうか。 主人公の死で終わる古典的な物語形式にこだわらず、最も効果的な位置にピリオドを打ってもらいたかったです。 | ||||
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「圧倒的筆力」などと大仰な帯だったので読んでみたが、いまいち乗り切れない作品だった。 前半部分はダラダラと退屈、主人公が自立した後半部分はある程度勢いがでてくるが、スケール感は小さいままだし、描写が全体的にどこかそっけなく各キャラクターにも魅力がない。コーマック・マッカーシーのブラッドメリディアンを三段階くらい劣化させたような内容。 結局、不良少年が不良青年になってチンピラ人生を過ごしたましたよというだけの話。 日本人がロシアを舞台にしてそれなりのもん書いたからそれなりに評価されているのだけなのではないだろうか。 読後つまらかったとは思わなかったが、面白かったとも思わなかった。そんな一冊。 | ||||
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「圧倒的筆力」などと大仰な帯だったので読んでみたが、いまいち乗り切れない作品だった。 前半部分はダラダラと退屈、主人公が自立した後半部分はある程度勢いがでてくるが、スケール感は小さいままだし、描写が全体的にどこかそっけなく各キャラクターにも魅力がない。コーマック・マッカーシーのブラッドメリディアンを三段階くらい劣化させたような内容。 結局、不良少年が不良青年になってチンピラ人生を過ごしたましたよというだけの話。 日本人がロシアを舞台にしてそれなりのもん書いたからそれなりに評価されているのだけなのではないだろうか。 読後つまらかったとは思わなかったが、面白かったとも思わなかった。そんな一冊。 | ||||
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主人公もたしかに暴君だが、まわりの人間も劣らぬ暴君が多い。 みんなやくざものである。 そもそも第一次大戦からソ連が成立するまでの状況というものが、凶暴な人間を跋扈させるのに良い環境、温床となっている。 バイオレンスが炸裂する状況を描く筆は実に堅牢にして端正。暴力をかように整ったエクリチュールとして差し出すのはさすがだ。 ただ、もう少し歴史小説としての蘊蓄とかを混ぜ込んでくれればもっと良かったかも。 終盤の主人公の独白が心に残る。 「人間を人間の格好にさせておくものが何か、ぼくは時々考えることがあった。それがなくなれば定かな形もなくなり、器に流し込まれるままに流し込まれた形になり、さらにそこから流れ出して別の形になるのを・・・ごろつきどもからさえ唾を吐き掛けられ、最低の奴だと罵られてもへらへら笑って後を付いて行き、殺せと言われれば老人でも子供でも殺し、やれと言われれば衆人環視の前でも平気でやり、重宝がられせせら笑われ忌み嫌われる存在になるのを辛うじて食い止めているのは何か。サヴァが死んだ時、ぼくはその一線を跨ぎ越しながら、それでもまだ辛うじて二本の脚で立っていた。」 | ||||
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残忍.気分が悪くなりました、というコメントもあると思いますが戦争を直視する、という意味では良い教科書になりうると思っています.天才マルクスがいくら立派な理想をとなえても、現場ではしょせんこんなもの.それは過去だからではなく、第二次世界大戦も日本のみならず、どこでもそうだったろうしいまだって、中国によるミャンマー、アフリカ諸国の紛争も同じでしょう.願わくはここから私たちが、何を学ぶか.どんな世界を作りたいのかということにつながれば・・・殺人を法律で犯罪とする国は多いですが戦争を犯罪と法で定めたところはありません. | ||||
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残忍.気分が悪くなりました、というコメントもあると思いますが 戦争を直視する、という意味では良い教科書になりうると思っています. 天才マルクスがいくら立派な理想をとなえても、現場ではしょせんこんなもの. それは過去だからではなく、第二次世界大戦も日本のみならず、どこでもそうだったろうし いまだって、中国によるミャンマー、アフリカ諸国の紛争も同じでしょう. 願わくはここから私たちが、何を学ぶか.どんな世界を作りたいのかということにつながれば・・・ 殺人を法律で犯罪とする国は多いですが 戦争を犯罪と法で定めたところはありません. | ||||
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残忍さがあるということは前提にしながらも、文学的価値がありそうで、しかも、書評家の評判も高かったため、購入した次第。題材が合いませんでした。いやな気分が残る感じだけでした。 | ||||
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ピカレスクの語源は悪漢小説。この小説の主人公、自由奔放に生きる地主の息子ヴァシリも見事な悪漢です。とにかく密度が濃いです。時代設定も二十世紀初頭ロシアという知る人ぞ知る非常にマニアックな選択。裕福な地主の次男として生を受けたヴァシリは、成り上がりの父を継ぐことを夢見て農業を学ぶも生来女好きな放蕩癖あり、下宿先の叔父の家の女中や故郷の娘とたびたび関係を持っていた。しかしそんなヴァシリの運命はロシアに迫り来る戦火に煽られ風雲急を告げる。強盗・強姦なんでもあり。人倫を踏み外す行為全般に一切ためらいない主人公の破滅的生き様は凄い。殺人や悪事に手を染めても一切心を痛めず自分を貫き生きるさまはいっそ清清しい。良心の所在が人間を定義する必須条件ならヴァシリの生き様はけだものさながら自由で獰猛で野蛮。常識に束縛されず倫理に唾し欲望に正直に生きるヴァシリはやがて脱走兵のイタリア人少年・ウルリヒと出会い意気投合する。このウルリヒがすっごいいいキャラしてるんですよ!ニヒルでいながらユーモアセンスに冴えて、飢えと寒さに苛まれたみじめな逆境でも軽口を忘れない。これにフェディコというびびりの少年をくわえ、やがて三人で盗んだ馬車を駆り、略奪と殺戮とどんちゃん騒ぎをくりひろげつつロシアを縦横無尽に奔走する帰るあてなき旅が始まる。そんなヴァシリたちのやりたい放題の暴走ぶりを「おいおいそのうち因果応報天罰がくだるぞ…」と眉をひそめ読んでいくと案の定後半で…ラストは言わぬが華ですがああ無情なかんじです。天罰というか人誅のほうでしたが。ヴァシリは自業自得だけどなあ…ウルリヒ…。文章の密度もかなり濃い。主人公が初めて人を射殺するシーンは比喩の秀逸さに感動しました。嗚呼美しい、官能的…ため息。 佐藤賢一さんの「傭兵ピエール」や森博嗣さんの「スカイクロラ」なんかが好きな方にもおすすめです。 | ||||
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心地よく物語世界に身を委ねることができた。一息で読み切れたといっていい。だが、読後感は《ただ物語を消費しただけ》といった印象である。類似の印象は、たとえばサバチニ『スカラムーシュ』などがそうだった。ただ、サバチニが痛快なる大団円の冒険ロマンであるのに比べ、こちらの物語はどこか露悪的で、ときに不快でしかないような展開をする。嫌いではない。質も、翻訳で読むサバチニなどよりはずっと上等だろう。だが、作品の売りがみえない。何を徹底的に研ぎ澄ました作品なのか、よく伝わらない。少なくとも、突き抜けて訴えかけてくる強烈な要素はなかった。ある種の読書家にとっては手堅い作品なのだろうか。しかし、まず万人向けの浅く親切なエンターテイメントといったようなものではないし、また、作品の先に一言では語りきれない「何か」を求めるような読者にも、得られるものは少ないかもしれない。追記:鴻巣友季子さんが朝日新聞に書いた書評が興味深かった。 | ||||
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デビュー作からずっと読んできたが、初めて「私ってちゃんとわかっているのだろーか」という不安を抱かずに読了できた作品だ。ファンとしてこれほど幸せなことはない。読んだ後のそういう屁理屈を一切寄せ付けない。最初に2〜3ページ立ち読みしてみて(幸か不幸か、賞を受けたので書店に平積みされている)、文章の勢いにのれない方はさっさとおりた方がいい。行けると思った方は、そのまま勢いにまかせて最後まで読めば、それでいい。感情移入まではいかなくても、魅力に富んだ強情っ張りが山ほど出てきて、そのあたりが実に美味しい。 | ||||
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ロシアの田舎地主の馬鹿息子を主人公にしたノワールぽい文学。 会話文に「」を使わず、メリハリのある描写というよりは、 淡々とした説明がダラダラと続き、 ストーリー展開は早いんだが、 主人公が糞なこともあり、 感情移入してのめりこめないツマラン文学。 第一次大戦やロシア革命の時代が好きな人にしか受けないだろう。 広大なロシアを舞台にしてるのに、 偶然の出会いが多すぎないか? これよりはドイツものの、 皆川博子 の『死の泉』 の方がまだまし。 | ||||
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ロシア革命期,革命の奔流とは全く無関係なところで,アナーキーな暴力に明け暮れた「ぼく」たち。やりたいだけの暴力を振るい,敵対グループなどに捕まったら強姦などの暴力を振るわれながら生きていく姿は,なんともつらく,戦争や革命の持つ「恐ろしい」側面をうまく描き出していたように思う。 「ぼく」は,次のように思う。 《人間を人間の格好にさせておくものが何か,ぼくは時々考えることがあった。(中略)ぼくはまだ人間であるかのように扱われ,だから人間であるかのように振舞った。それをひとつずつ剥ぎ取られ,最後のひとつを自分で引き剥がした後も,ぼくは人間のふりをして立っていた。数え切れないくらいの略奪と数を数えることさえしなくなった人殺しの後も,人を殺して身ぐるみを剥ぎ,機銃と手榴弾で襲って報酬を得ることを覚えても,ぼくはまだ人間のような顔をしていることができた。》(269〜270頁) しかし,仲間から離れ,独りっきりになった「ぼく」は,「人間の格好をしていない」(270頁)何者かになってしまった。 重苦しくて,嫌な話だけど,佐藤亜紀の作った壮大な(虚構の)叙事詩に浸ってみるのも,悪くないのではなかろうか。 | ||||
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モチーフ自体はは興味深いものではあった。 が、一見深く人間を抉っているように見えてその実は表層をスプーンですくった程度で終わってしまっている。ありきたりであり、特筆すべき点もない。 さらに文体の読みにくさは酷いの一言である。これは文章が上手いとか下手とかのレベルではない。作者は本当に読者の目を意識しているのであろうか。もしも難解な語を使うのが良いとでも考えているのであれば、小説家としての作者の資質を疑わざるを得ない。 | ||||
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ロシア革命の混沌を、架空の農村を舞台に描いた。ヴァーシャは、出会うものすべてを殺してしまう。友人も、気にくわない知り合いも、悪人も、ずっと行動を共にしてきた仲間も…。修羅であり、ミノタウロスだ。損得ではない。論理でもない。スイッチが入り、泣きながら殺してしまう。 人が生きるというのはどういうことなのか。人が集まって社会ができる。国ができる。それは立派なことでもなんでもなく、カエルが交尾を求めてひしめき合うように、ただそんな風にスイッチがはいってしまうだけなのだ。 | ||||
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