■スポンサードリンク
死ねばいいのに
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
死ねばいいのにの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.68pt |
■スポンサードリンク
Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全166件 21~40 2/9ページ
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
死んだ女のことを教えてくれないか。三箇月前、自宅マンションで何者かによって殺された鹿島亜佐美。突如現れた無礼な男が、彼女のことを私に尋ねる。私は彼女の何を知っていたというのだろう。交わらない会話の先に浮かび上がるのは、人とは思えぬほどの心の昏(くら)がり。極上のベストセラー。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
この作者も長ったらしいので、京極堂でさよならして以来。 タイトルに惹かれ図書館で借りた。みんな、あっ自分のことかも…と胸に手を当てる内容だし、ダークな部分での共感があると思う。自分を戒めるには良いかも。京極堂のまどろっこしさ、不要な文字数稼ぎも少なかったし。 爽やかな読了感はないけど、もう一度読み直して、心に沁みさせよう、と感じた。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
まだ読破はしていませんが、もしかしたら途中で投げ出すかもしれないのでレビューを まず最初から主人公の喋り方や言葉遣いや態度が酷い、否、酷過ぎる 今3人目の途中まで読んでるのですが、主人公が己を異常に卑下しながらも 実際は全然そんな風に思っていないのではないか、という感じが滲み出ていてムカつきます 相手を叩きのめす為に会いに行ってるんでしょうか(笑うセールスマン的な感じがする) あと話を聞きに行く主人公にも共感できないのですが、 取り敢えずは話してみようとする相手の気持ちにも共感できません 自分なら完全に無視するだろうなとしか考えられないのですが、、、 ルーガルーとかも苦手だったんですが 京極さんって現代を舞台にした作品には向いてないんでしょうかね | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
5年ほど前に書店で見かけ、ぎょっとするタイトルに興味かひかれて単行本で購入しました。 それからしばらくして書棚の整理をしているうちに、いつの間にか手元からなくなり、ふとまた読みたくなったので、kindleで購入しました。 初めに読んだ時には、「俺、頭悪いっすから」と何度も前置きをして持論を話すケンヤ君の一言一句に激しくうなずき、深く共感していたことを覚えています。したり顔で偉そうに説教してくる大人たちがケンヤ君にバッサリと切って捨てられ、「死ねばいいのに」と決め台詞を叩きつけられてしぼんでいく様子を読んで、当時学生だった自分は胸がすく思いをしました。 社会人になった今読み返してみると、ケンヤ君に再び共感するどころか、むしろ反感を覚えている自分に気が付きました。ケンヤ君の対話相手としてそれぞれの章で登場する隣人や母親、警官、弁護士などの方に今度は感情移入してしまい、死ねってそんな言い方あるかよ…ちょっと一方的すぎない?理想はそうだけど、実際はそうもいかないのがなぜ分からないかな、と逆にケンヤ君に苛立ちを覚える場面が多々ありました。そこに、話のくどさが重なって一息に読み切ったというわけではありませんが、オムニバス形式になっているのでとても読み進めやすかったです。 また5年後に読み返すと違った感想になるのでしょうか。とても楽しみです。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
アサミの死が重要ではなく ケンヤのセリフが重要ではなく アサミを取り巻く人達がアサミと共に同じ時間を過ごして来たのに、アサミがどんな気持ちになってどんな思いで一緒に過ごしてきたのか誰も気にもとめず 自分にしか主観が向いてなくて…自分自身も含め今の世の中の人々の生きる姿、相手のキモチはどうでもよくて本当の意味で読み取れない浅はかさとかをとても描いてあるように感じました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
まず私はホラー以外はジャンルを考慮せずに購入するので、本書がミステリーに分類されている事をしりませんでした。 前情報も京極夏彦著の現代が舞台のもの、という程度。その状態で読んだ分には十分楽しめる内容でした。 他の方の言うように、馬鹿だ馬鹿だと卑下するケンヤが賢すぎるという印象は受けましたが、私は常々学力と賢さにはあまり関係が無いと感じていたのであまり深く考えませんでした。学力的には馬鹿に分類されても会話すると賢い人だと思わされることも多かったので。 ここのレビューを読んで初めてミステリーだと知り、ミステリーだと思って読んだら違和感があるかもしれないな、と思いました。 先の展開が読めてつまらない、先が読めるのは作者の腕が悪いから。と仰っている方も、「ミステリーだ」という先入観があっての事なのではないかなと。 まあ確かに冗長に感じる部分もあるとは思いますが、各章に関して「同じような話」、というのは違う気がします(私が京極作品に慣れているから、というのもあるかもしれませんが)。 登場人物それぞれが持つ背景は違いますし、全員違う人生を生きてきた人々なので、ミステリーだと思うと「こんな掘り下げは必要ない。無駄だ」と感じるかもしれませんが、私自身は全てこの作品に必要な話だったと思っています。 この作品は「ミステリー」と思うとイマイチ。という事で星4をつけさせていただきました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
訊きたいと言っては否定、否定、否定、そして会話がケンヤ寄りに運び、相手にとって不都合なネタを持ち出す(出てくる) 「俺は馬鹿っすから」を盾にするが、最終的にはズバりと言い負かす。 筆者はケンヤと言う主人公をどんな人間像にしたかったのかが全く伝わらない。 「純粋」などと評しているレビューも見受けられるが、全てにおいて否定する姿は純粋なのか?ただの変わり者?それとも議論好き? かなりチグハグな作品である事は間違いない。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
最低な作家である。 残念、盗作して、作家を続ける。 講談社が悪いのか。 ニートいじめやって楽しかったのでしょうか? 実際に嫌がらせをして、ネタにして、最低としかか言いようがない | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
京極夏彦の作品は好きなのですが、この作品は不愉快な人間が不愉快な人々を巡って行く話だと感じてしまいました。 主人公は常に無意識に自身を卑下しているのですが、その言葉詭弁でしか無く、京極夏彦の思い描く馬鹿は賢すぎると タイトルでも記載させて頂いたままの印象が残ります。 また、周りを囲む人間も嘘をつき、他人を否定して、最終的に自分を否定されるという、非常にワンパターンな連載だったの ではなと思ってしまいます。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
「死ねばいいのに」という言葉の使い方が間違っているように思います。 みなさんは、この言葉を、こういうシチュエーションで使いますか? ふつう、自分にとって明々白々な害を及ぼす人間を思い浮かべながらぼそっと呟く言葉じゃないですか。 不自然ですよ。 そこが気になったんで、あまりぴんとこない話でした。 あとがきの方も的外れだと思います。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
読みにくい本。思い入れできない主人公。京極ファンとしては残念な作品だ。今どきのワカモノの物言いはうまくとらえているが、やはりそれは、ウザイ。そしてそれを上回るほどのウザイ登場人物たち。作者の書きたかったことは、現代人の恵まれすぎとそれに原因する他責思考と不幸自慢の見苦しさ、という問題だろう。それについては良く書けているだけに残念。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
インパクトの強いタイトルのこの書は、構成もよく工夫されたミステリーでもあり、また人間の幸せや不幸とは何かという人生論の要素も持った作品である。アサミとい う女性が死ぬ。 彼女のことをもっと知りたいという理由だけで、ケンヤという若者がアサミが生前関係のあった人間たちに接触する。ケンヤは教育もなく、言葉遣いも悪く、仕事も 長続きしない態度の悪い男。自分でもそれを認めていて、馬鹿で屑と言って憚らない。彼が探しだしてアサミの話を聞こうとする相手は、アサミの派遣先の上 司、アパーチの隣の部屋の女、アサミを買い取ったやくざ、そしてアサミの母親など計6名。そういった人間たちの一人称で話は進む。彼女はとてつもなく不幸だっ たのか、何故死んだのか、ページを進めて行くと意外な事実が分かって来る。軽薄で教養もないケンヤだが、自分の不遇を嘆くばかりのその6人に言う言葉は 「死ねばいいのに」。この言葉がキーワードにもなって事件の真相も少しずつ分かってくる。だが、人間の幸福論という観点から言うと、決して結論が出るような ストーリーにはなっていない。考えさせられる。ケンヤは、この本の狂言回しであり、また大きな存在感を読者に残して作品は終わる。ミステリーという分野に簡単に 入れるわけにはいかない作品である。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
鹿島亜佐美さん(25歳・・・だったかな)が自宅マンションで絞殺されます。彼女の知り合いだった渡来健也さん(24歳)が、彼女の派遣先の上司、マンションの隣人、情夫だったというヤクザほか5人を訪ねて、生前の彼女のことを何でもいいから教えてくれと話しかけます。 物語の構成がユニークですし、健也が喋る大量の現代若者語が翻訳なしに書かれていますが、このレベルのものは初めてです。ですから、読み始めてすぐにスバラシイと感激し、以降をじっくり味わって読みました。健也が訪ねる5人の内、事件を担当している刑事の話以外はとても面白かったと思います。 ミステリを読み進む時、犯人は誰なのか、それとも手の込んだ自殺なのかというようなことは、読んでる間中とは言わないまでも結構意識することだと思いますが、今回は物語の半ばを過ぎるまで考えませんでした。話が面白いこともありますが、展開がそうなっていて、気がまわりません。よくできていると思います。 それは物語後半で明かされますが、その前に何となく予想できてしまいますし、最後のひっくり返しもありませんから、それを期待される方には向いていません。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
「そんなんアリすか?」 主人公の言葉が思いのほかずっしりと胸に響く。 読後、この作者にしては珍しく、ストレートに読者に問いかけている作品だと感じました。 同時期に、吉田修一さんの「悪人」を読んでいたからかもしれませんが、 二つの作品からは、同じ『現代において 善とは何か、悪とは何か』の問いかけを受けるのです。 あまり詳しく説明すると、ネタばれになってしまうのですが、 今風に調子よく世の中を渡っている人間と、不器用ながらも正直に生きている人間がいて、 今風に 法律に触れなければ悪ではない と考える人間と、 昔ながらに 人に迷惑をかけるのは悪いことだ と考える人間がいる。 少し前までは、前者より後者のほうが圧倒的に多く、 『お天道様に顔向け出来ない』という言葉も、世間では通用していた。 しかし今は、前者のほうが優勢になっている。『法律に触れなければ、悪ではない』と考える人間。 大人、子ども、民間人、公人、法曹界の中にさえいる。 前者は自らの言動を『合理的』と考え、他人に迷惑をかけても、相手の立場から振り返ることをせず、 逆に、自分の非を 相手のせいにして、『こうするしかなかった』と 正当化しさえする。 後者の正直者は、相手に非があろうとも、自分の非を客観的、冷静に見つめ、潔く認める。 こうなれば、前者の天下、正直者はいつもバカをみる。生きにくい世の中。 ーさて、これでいいのだろうか。ー と、語り手の男の口を借り、作者自身が問いかけてくる。 関係者自身も気づかない心理をあばき、絡み合った難事件を 快刀乱麻を断つ ごとく 解決する 京極堂シリーズとは また違う魅力。 読者をぐいぐい引き込む手法には毎回舌を巻きますが、読み進むうちに、 何度も『ここでどうにかできなかったのか』と考えさせられる作品でした。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
京極夏彦氏は、人間の弱さや醜さを描くのがとても上手い。京極氏の著書にはやや難解なものもあるが(例 京極堂シリーズ)、本書はほとんど一対一の会話だけで進んでいく。物語の構造も複雑ではないため、とても読みやすい(これらの点は、人によっては物足りないと感じると思う)。 「常識と非常識」、「幸せと不幸」、「立派な人とダメ人間」。 これらの言葉を、私たちはあまり深く考えずに使っている。こうした事柄に関して私たちはある種の固定観念を共有している。共有しているからこそ、効率的に社会生活ができるのだとも思う。 本書の魅力(?)は、私たちのそうした固定観念を粉々に砕いてしまう点にある。「魅力」と書いた後で「?」をつけたのは、そういう物語は必ずしもすべての読者にとって心地良いものではないと私は思うからだ。怖い、と感じる人もいるかもしれない。しかし本当に怖いのは、私たちの固定観念が(知らないうちに)アンフェアな形で誰かを傷つけ追い込んでしまうことの方ではないだろうか。そして、その「誰か」とは他ならぬ私たち自身なのかもしれない。私は本書を読んで、そんなことを考えた。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
最近、文庫化したみたいで再読。鹿島亜佐美の死を親族は心中喜んでいたようだが、さすがに死んだら家がなんとなく寂しくなるものだね、実際。あとコマーシャルペーパーの宮部みゆき先生コミケ常連のゲーマーに驚愕した。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
初めて京極夏彦の作品を読了した。タイトルにインパクトがありすぎて、いつか読もうと思っていた作品だった。 アサミという女性が殺され、その女性の知り合いだと名乗るケンヤがアサミの関係者である人々にアサミについて尋ねるという形で物語は進む。 一人目は派遣先の上司。 二人目はマンションの隣人。 三人目は情夫のヤクザ。 四人目は実の母親。 五人目は殺人事件の捜査をしている刑事。 六人目はアサミ殺人犯の弁護士。 ケンヤはあくまでもアサミ殺人の犯人を捜査しているわけではなくて、アサミがどういう人物だったのかを聞いて回る。 正直犯人については四人目のあたりで『もしかして……?』と思った人物だった。その前にも多少違和感はあったので、五人目の章の最後の一文を読んだ時はその違和感がなんだったのかわかって、はっ、とされられた。 しかしこの小説の主題はあくまでもアサミという人物自身であって、犯人は誰かは問題ではなかった、と読了後は思った。 つまり、『アサミって本当はどんなことを考えていたのか?』ということだ。 聞き取りをされた全ての人たちは、本当に『人間』だった。 「本当はこんなはずじゃなかった」 「自分はもっと認められるはずだ」 「自分はなすべきことをしているのに、周りは理解していない」 「自分の立場では仕方ないことなんだ」 誰だって生きていれば思うような、そんな事をケンヤに吐き出している。 人生や自分の信念、理想が現状にそぐわない、躓いている人達の、何の虚飾もない心の底からの訴えだ。 それに対するケンヤはそれまで相手の話を「自分は馬鹿だから」とか「礼儀とかもよくわからないから」と言いつつも、何を言いたいのかきちんと汲み取ろうとしていた。 所々まるで子供のように、大人になると『暗黙の了解』という名の不文律が邪魔をして聞けない、もしくは聞こうとも思わないような質問を交えつつ、相手の訴えを聞く。 しかしそれはほとんどすべて、彼が聞きたかったアサミについてではない。 どの人物にも最終的には「それはあんたのことでしょ、俺はアサミについて聞きたいんだけど」という一言から、まるで反撃するような勢いで、正論を語って行く。 ケンヤは決して馬鹿ではないと思う。相手の話を聞き、矛盾があるようなら指摘し、責任は誰にあったのかを、拙いながらも理路整然とまくし立てて行くからだ。 そして六人目の弁護士が言うようにまさしく『愚直』なのだろう。 真っ直ぐ受け止め過ぎるのだ。だからこそ六人達への矛盾も誤魔化されずに指摘できたのだと思う。 ケンヤは常にニュートラルだ。 誰が一方的に悪いとも、良いとも言わない。相手の心情を慮り、理解を示す。しかしそれゆえに残酷でもあると思う。 『確かにあなたの立場や職業では、そうするしかなかっただろうし、理解できる。でもそれとこれとは関係ないよね?』 『じゃあ、そう言うならどうしてこうしなかったの?』 そしてどうにもならなかったんだ、という相手の訴えをそのまま受け止めて、 『なら、死ねばいいのに』 と言うのだ。 どうにもならないなら死ぬしかない、というとても分かりやすい理屈だが、誰だって死にたくはないし、一瞬ぽかんとなる。 そしてまるで憑き物が落ちたかのように、真にアサミの『死』について受け止めるのだ。 最初私はアサミとケンヤは似たもの同士なのかと思っていた。 あるがままを愚直に受け入れ、どうにもならないことに悲観しない。嬉しいことや幸せだと感じたことも全てそのまま受け止めて、感情のままにあらわす。 だから彼女が『死にたい』と言ったこともきっと本当にそのままの意味だったんだと思う。 でも、こんな人間って本当にいるだろうか? 全てを受け入れるということは、欲がない、願望がない、と言い換えられないだろうか? だから私はアサミはもちろん、ケンヤもニュートラルすぎて人間だと思えない。 しかしケンヤは最後の最後にアサミに対して恐怖を抱いているし、『自分は一度も死にたいと思ったことはない』と発言しているので、まだ『ああ、こんな奇妙な奴でも人間なんだな』と、変な風に安心してしまった。 しかしアサミは違う。自身の境遇に悲観的でもないし、むしろ幸せをも見出していた。 もしかしたら彼女も生きていればもっと人間らしい何かがあったかもしれないが、彼女視点の話はないし、そもそも登場人物全てがアサミを、正しく理解していたとも思えない。謎のままである。 ただなんとなく、口絵の『菩薩』を読了後見て、本当にアサミは菩薩だったのかもしれないと思った。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
この本に辿り着いた方々は、僕のレビューを読まなくても購読されることでしょう。 京極道シリーズや妖怪シリーズにはない魅力が溢れています。 やっぱこの人天才だわ。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
京極先生の本はたくさん持っていて、どれも素晴らしい!と思っているのですが…。 初めて値段が高いと感じた本でした。 一話目から見えていた、展開通りの終わりでした。 謎解きがメインでは無いのでそれでも良いのですが、最後まで主人公の気持に共感出来なかったので、読後はもやもや感が…。 テーマは良いし、何が書きたかったのかはわかるのですが、タイトル負けの気がします。 また、先生の書く若者言葉が若者に見えなくて、読んでて少し辛かったです。 どんでん返しを期待しましたがそれもなく、三話目あたりから、タイトルがこじつけに見えてきて…。 でも流石は直木賞作家です。 構成はしっかりしているし、文体も綺麗で読みやすいです。 タイトルがこれでなければ、もっと素直に読めたのかもしれません。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
お気に入りの作家なので毎回欠かさず読んでいます。今回策も期待を裏切らないものでした。 | ||||
| ||||
|
■スポンサードリンク
|
|
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!