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死ねばいいのに
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死ねばいいのにの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.68pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全105件 1~20 1/6ページ
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かなり早い段階でこいつが犯人だろうなーと思った通りの犯人だった。私的な経験だが恋愛にとぼけてるとき、加虐的な思考になり、首絞めてもよいか?死んでもいいか?と聞いたことがある。三人とも年上だったが、貴方が良いなら良いよって感じだったが、一人は苦しそうだから途中で止めた。後の二人は、顔が赤くなりながらもとても幸せそうな顔してて、本当に死なれたら困るしこちらが怖くなって止めた。怖くなかったのか?と聞いたら○○君がしたいならそれでもいいかなと思ってと二人とも似たような事を言っていた。その二人は、強○被害経験あったし、覚せい剤の経験もあったからか、普通の人とは感覚が違うのかもしれないが、本当に恋愛が盛り上がってる状況ならなんでもありなのかなと怖くなった。 京極氏ももしかしてそんな経験をしてるのかなと思った。被害者の行動は明らかに加害者に惚れてる女の行動と見えたから尚更。 | ||||
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文庫本になったから購入を決意したが、 やはり京極さんの本は物理的にも殺傷能力が高い、、文庫本で厚み2㎝は中中、、 只、本の帯を大事にするタイプの人間なので、 帯が少々破れて届いたので星4つ。 | ||||
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2010年の出版だが、たまに読み返したくなる傑作。 自宅マンションで何者かによって殺された鹿島亜佐美のことを関係者に必要に聞き回る謎の無礼で無骨な若い男。 作者は、妖怪小説の第一人者。 人の心の中に妖怪(悪)がひそむことをよく知っている。 この物語りのベースは、復讐劇である。 法的な罰も力による暴力も与えず、まったく噛み合わない会話から相手に精神的な苦痛を与えてしまう。 決めゼリフの「死ねばいいのに」は、水戸黄門の印籠のような快感がある。 哲学的なおもむきをもつラストは、時代に色あせない真実を持つ。 浄土真宗の在家の熱心な信者の中に日常の生活で御仏の教えを実践し、大悟する者が出て、妙好人(みょうこうにん)と呼ばれた。 元から精神性の高いものも多かったと思われるが、日常生活での仏の教えの実践が元になっている。 江戸時代以降に『妙好人伝』として各地に伝えられた。 しかし、精神性の高い者は、神や仏の教えがなくても、日常生活の中から真実を見出せるのではないだろうか。 京極夏彦は人の心の中に神や仏があることもよく知っているだ。 この作品がなぜ今だに映画化やドラマ化されないのかわからないが、この作品を理解するには、それなりのレベルの教養が必要になる(クイズの知識ではない)。 | ||||
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殺害された知人女性の人となりを、彼女の元上司、隣人、恋人、母親、刑事と尋ねて歩く青年。数回しか会っいないという被害者の人となりを彼らに問う。ただし、本作品は探偵ものではない。 青年の「頭良くねーから]と、ストレートな語り口で対面したものたちの心のうちを暴いていくだけだ。 子供のようなごく単純な疑問で、真実を露にする過程はスリリングである。大人の取り繕いは、無邪気さには弱いのだ。 「死ねばいいのに」というタイトルは、青年が会話の締めくくりに口にする決めゼリフ。これが吐かれた時、悶々とした気分を必殺仕事人のごとくスカッとさせてくれるだろう。 意外なラストは、哲学とも言える(かな?)。 | ||||
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女郎蜘蛛の理までの京極堂シリーズ、巷説百物語、妖怪シリーズを読んできたファンですが、この作品は手をつけるまでに数年が空きました。散見される否定的なレビューや書評からの先入観と躊躇はありました。結果、一気に読んでしまいました。どうやら世間の批評の4割方は、ロクに本書に目を通していないか、あるいは木を見て森を見ずというか…。 まあ、それが作者の意図なのか気取りのようなものかは知れませんが、読者に必要以上に身構えさせる展開だったかと。 (読者は)冒頭から森に迷い込んでしまい、結局、足元しか見ずに抜けてきた、といった読後感を抱くかも知れません。面白いから、もっと素直に読めばいいのに。 | ||||
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一人の人物の人生をそれを取り巻く人々の語りによって浮かび上がらせていく手法は面白い。質のいいオムニバス映画をみているよう。 読んでるうちにそれぞれの章の主人公の言い分にイライラしてくるのだが、表題の一言が放たれた瞬間、矢は主人公を通り越して読者の胸に突き刺さってることに気づかされる。思いがけず教訓めいた読後感を残してくれ、面白い読書体験だった。 | ||||
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ほかのレビュー読んで先が想像できたのが残念 | ||||
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みんな何かを我慢しては愚痴って人のせいにする気持ちは共感できるところがある。でも、アサミを知るために関係者に聞き回るケンヤの言っている事が普通なんだと思った。 | ||||
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決め台詞「死ねばいいのに。」 ふと笑うセールスマンの「どぉーん!」を思い出した。 6人の人間に聞いて回る。何故?謎を残したまま五人目に衝撃が。ミステリーとしても楽しめる作品。妖怪チックな京極作品の中でも異質な作品だが、個人的には好きな作品であった。 | ||||
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読み終えたのは数年前 最近ふと満たされている慾の無い自分に気づいた ほんとだ 死ねばいいのに | ||||
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この小説における狂言回し的な存在であるケンヤという名の青年が放つセリフ。ケンヤはある事情で死んだ女性の関係者を訪ね歩いており、各章ごとに別の相手と会話している。関係者達が語るのはもっぱら彼ら自身の身の上についてで、さんざん嘆いたあと不意にケンヤから死という選択肢を提示される、という流れ。不遇な人生から脱出するのに一番てっとりばやい解決方法を考慮に入れることで、今まで他者の所為にしていた全てのことが急に自らの意思の産物になる。そのドンデン返しをオチにしているわけだ。 最終章では、彼らのようなズルさがまったく無かった場合の顛末も描かれている。 | ||||
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面白いかと聞かれれば面白いですね。鹿島あさみが死に、その女性に関わった数名の人に鹿島あさみがどういう人だったのかを渡来健也という最後に会った青年が聞きにまわる。っという流れですが、その一人ひとりとの話しにストーリーがあります。当然殺人事件なので犯人はいますが、犯人当てがメインではありません。それより人間ドラマ・・・ある意味で怪談です。ただ4人目までが同じ水戸黄門的展開になるため、多少飽きました。現代怪談として読むと、いいですよ。再読はどうかわかりませんが一読の価値がある本です。正直言えば京極さんなので最後の最後にもう少し欲しかった。 | ||||
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5年ほど前に書店で見かけ、ぎょっとするタイトルに興味かひかれて単行本で購入しました。 それからしばらくして書棚の整理をしているうちに、いつの間にか手元からなくなり、ふとまた読みたくなったので、kindleで購入しました。 初めに読んだ時には、「俺、頭悪いっすから」と何度も前置きをして持論を話すケンヤ君の一言一句に激しくうなずき、深く共感していたことを覚えています。したり顔で偉そうに説教してくる大人たちがケンヤ君にバッサリと切って捨てられ、「死ねばいいのに」と決め台詞を叩きつけられてしぼんでいく様子を読んで、当時学生だった自分は胸がすく思いをしました。 社会人になった今読み返してみると、ケンヤ君に再び共感するどころか、むしろ反感を覚えている自分に気が付きました。ケンヤ君の対話相手としてそれぞれの章で登場する隣人や母親、警官、弁護士などの方に今度は感情移入してしまい、死ねってそんな言い方あるかよ…ちょっと一方的すぎない?理想はそうだけど、実際はそうもいかないのがなぜ分からないかな、と逆にケンヤ君に苛立ちを覚える場面が多々ありました。そこに、話のくどさが重なって一息に読み切ったというわけではありませんが、オムニバス形式になっているのでとても読み進めやすかったです。 また5年後に読み返すと違った感想になるのでしょうか。とても楽しみです。 | ||||
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アサミの死が重要ではなく ケンヤのセリフが重要ではなく アサミを取り巻く人達がアサミと共に同じ時間を過ごして来たのに、アサミがどんな気持ちになってどんな思いで一緒に過ごしてきたのか誰も気にもとめず 自分にしか主観が向いてなくて…自分自身も含め今の世の中の人々の生きる姿、相手のキモチはどうでもよくて本当の意味で読み取れない浅はかさとかをとても描いてあるように感じました。 | ||||
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まず私はホラー以外はジャンルを考慮せずに購入するので、本書がミステリーに分類されている事をしりませんでした。 前情報も京極夏彦著の現代が舞台のもの、という程度。その状態で読んだ分には十分楽しめる内容でした。 他の方の言うように、馬鹿だ馬鹿だと卑下するケンヤが賢すぎるという印象は受けましたが、私は常々学力と賢さにはあまり関係が無いと感じていたのであまり深く考えませんでした。学力的には馬鹿に分類されても会話すると賢い人だと思わされることも多かったので。 ここのレビューを読んで初めてミステリーだと知り、ミステリーだと思って読んだら違和感があるかもしれないな、と思いました。 先の展開が読めてつまらない、先が読めるのは作者の腕が悪いから。と仰っている方も、「ミステリーだ」という先入観があっての事なのではないかなと。 まあ確かに冗長に感じる部分もあるとは思いますが、各章に関して「同じような話」、というのは違う気がします(私が京極作品に慣れているから、というのもあるかもしれませんが)。 登場人物それぞれが持つ背景は違いますし、全員違う人生を生きてきた人々なので、ミステリーだと思うと「こんな掘り下げは必要ない。無駄だ」と感じるかもしれませんが、私自身は全てこの作品に必要な話だったと思っています。 この作品は「ミステリー」と思うとイマイチ。という事で星4をつけさせていただきました。 | ||||
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読みにくい本。思い入れできない主人公。京極ファンとしては残念な作品だ。今どきのワカモノの物言いはうまくとらえているが、やはりそれは、ウザイ。そしてそれを上回るほどのウザイ登場人物たち。作者の書きたかったことは、現代人の恵まれすぎとそれに原因する他責思考と不幸自慢の見苦しさ、という問題だろう。それについては良く書けているだけに残念。 | ||||
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インパクトの強いタイトルのこの書は、構成もよく工夫されたミステリーでもあり、また人間の幸せや不幸とは何かという人生論の要素も持った作品である。アサミとい う女性が死ぬ。 彼女のことをもっと知りたいという理由だけで、ケンヤという若者がアサミが生前関係のあった人間たちに接触する。ケンヤは教育もなく、言葉遣いも悪く、仕事も 長続きしない態度の悪い男。自分でもそれを認めていて、馬鹿で屑と言って憚らない。彼が探しだしてアサミの話を聞こうとする相手は、アサミの派遣先の上 司、アパーチの隣の部屋の女、アサミを買い取ったやくざ、そしてアサミの母親など計6名。そういった人間たちの一人称で話は進む。彼女はとてつもなく不幸だっ たのか、何故死んだのか、ページを進めて行くと意外な事実が分かって来る。軽薄で教養もないケンヤだが、自分の不遇を嘆くばかりのその6人に言う言葉は 「死ねばいいのに」。この言葉がキーワードにもなって事件の真相も少しずつ分かってくる。だが、人間の幸福論という観点から言うと、決して結論が出るような ストーリーにはなっていない。考えさせられる。ケンヤは、この本の狂言回しであり、また大きな存在感を読者に残して作品は終わる。ミステリーという分野に簡単に 入れるわけにはいかない作品である。 | ||||
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鹿島亜佐美さん(25歳・・・だったかな)が自宅マンションで絞殺されます。彼女の知り合いだった渡来健也さん(24歳)が、彼女の派遣先の上司、マンションの隣人、情夫だったというヤクザほか5人を訪ねて、生前の彼女のことを何でもいいから教えてくれと話しかけます。 物語の構成がユニークですし、健也が喋る大量の現代若者語が翻訳なしに書かれていますが、このレベルのものは初めてです。ですから、読み始めてすぐにスバラシイと感激し、以降をじっくり味わって読みました。健也が訪ねる5人の内、事件を担当している刑事の話以外はとても面白かったと思います。 ミステリを読み進む時、犯人は誰なのか、それとも手の込んだ自殺なのかというようなことは、読んでる間中とは言わないまでも結構意識することだと思いますが、今回は物語の半ばを過ぎるまで考えませんでした。話が面白いこともありますが、展開がそうなっていて、気がまわりません。よくできていると思います。 それは物語後半で明かされますが、その前に何となく予想できてしまいますし、最後のひっくり返しもありませんから、それを期待される方には向いていません。 | ||||
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「そんなんアリすか?」 主人公の言葉が思いのほかずっしりと胸に響く。 読後、この作者にしては珍しく、ストレートに読者に問いかけている作品だと感じました。 同時期に、吉田修一さんの「悪人」を読んでいたからかもしれませんが、 二つの作品からは、同じ『現代において 善とは何か、悪とは何か』の問いかけを受けるのです。 あまり詳しく説明すると、ネタばれになってしまうのですが、 今風に調子よく世の中を渡っている人間と、不器用ながらも正直に生きている人間がいて、 今風に 法律に触れなければ悪ではない と考える人間と、 昔ながらに 人に迷惑をかけるのは悪いことだ と考える人間がいる。 少し前までは、前者より後者のほうが圧倒的に多く、 『お天道様に顔向け出来ない』という言葉も、世間では通用していた。 しかし今は、前者のほうが優勢になっている。『法律に触れなければ、悪ではない』と考える人間。 大人、子ども、民間人、公人、法曹界の中にさえいる。 前者は自らの言動を『合理的』と考え、他人に迷惑をかけても、相手の立場から振り返ることをせず、 逆に、自分の非を 相手のせいにして、『こうするしかなかった』と 正当化しさえする。 後者の正直者は、相手に非があろうとも、自分の非を客観的、冷静に見つめ、潔く認める。 こうなれば、前者の天下、正直者はいつもバカをみる。生きにくい世の中。 ーさて、これでいいのだろうか。ー と、語り手の男の口を借り、作者自身が問いかけてくる。 関係者自身も気づかない心理をあばき、絡み合った難事件を 快刀乱麻を断つ ごとく 解決する 京極堂シリーズとは また違う魅力。 読者をぐいぐい引き込む手法には毎回舌を巻きますが、読み進むうちに、 何度も『ここでどうにかできなかったのか』と考えさせられる作品でした。 | ||||
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京極夏彦氏は、人間の弱さや醜さを描くのがとても上手い。京極氏の著書にはやや難解なものもあるが(例 京極堂シリーズ)、本書はほとんど一対一の会話だけで進んでいく。物語の構造も複雑ではないため、とても読みやすい(これらの点は、人によっては物足りないと感じると思う)。 「常識と非常識」、「幸せと不幸」、「立派な人とダメ人間」。 これらの言葉を、私たちはあまり深く考えずに使っている。こうした事柄に関して私たちはある種の固定観念を共有している。共有しているからこそ、効率的に社会生活ができるのだとも思う。 本書の魅力(?)は、私たちのそうした固定観念を粉々に砕いてしまう点にある。「魅力」と書いた後で「?」をつけたのは、そういう物語は必ずしもすべての読者にとって心地良いものではないと私は思うからだ。怖い、と感じる人もいるかもしれない。しかし本当に怖いのは、私たちの固定観念が(知らないうちに)アンフェアな形で誰かを傷つけ追い込んでしまうことの方ではないだろうか。そして、その「誰か」とは他ならぬ私たち自身なのかもしれない。私は本書を読んで、そんなことを考えた。 | ||||
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