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対岸の彼女
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対岸の彼女の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.24pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全290件 141~160 8/15ページ
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第132回直木賞受賞作。 八日目の蝉以来、ちょっと角田光代にハマって今作を読んでみた。 タイトルの対岸の彼女って何だろうと思ったが、読んですぐに分かった。 私にとってもこの主人公は、まるで対岸にいるようだったからだ。 主人公は学生時代の葵とナナコ、現在の葵と小夜子。という二部構成。 行ったり来たりするこの現在⇔過去という手法が、彼女は得意なのか。 学生時代の葵と現在の小夜子の性格描写が驚くほどよく似ている。 こちらが同一人物なんじゃないかと思えるほど、しかし現在の葵は 学生時代にいたナナコ、そのもののように振舞っているように思える。 なりたくてなれなかった存在。どう憧れても近づけなかったその性格。 一緒にいるうちについ、似てきてしまったという経験ってないだろうか。 夫婦なんかでもそうだ。 相手を好きになればなるほど、行動や仕草を真似てしまうものである。 自分にないものを持っている存在、足りないものを魅せてくれる存在、 これはたとえ葵であろうとなかろうと、誰もが経験する存在感だと思う。 小夜子が見ている現在の葵は、葵や読者からすればナナコそのものだ。 しかし女友達とは(男友達もそうだと思うが)長く続くも続かないも様々。 その人生の途中でパタリと逢わなくなり音信不通が続いて、それから 何十年という日々を経て、突然復活!そこからまた大の仲良しvなんて パターンもあれば、この葵とナナコのように、あれだけ一緒にいたのに、 あんな事件まで起こしたのに、プツリと逢えなくなることだってあるのだ。 時の命運というか、それぞれの縁かもしれない。でも、おそらく一時でも 心が通い合った友人というのは、自分とウマが合うはずなのだ。だから 出逢えば(気恥ずかしくても)それなりにまた付き合える可能性は高い。 だけど私達大人は、その出逢いを待ってばかりもいられないものだから (心のどこかで何かを求めつつ)また前へ歩み出そうとする。 小夜子というこの女性を、初め私は胃がムカつくほど好きになれなかった。 どうしてかというと(爆) いま職場にいる、とある同僚にソックリなのだ。 常に周囲を警戒し、慎重で用意周到、出しゃばりもせず控えめでもなく、 正しいことはハッキリ言わせてもらいますタイプで、クソがつくほど真面目。 陰では容赦なく他人を罵倒するが、表では一切それを出さない。 常に大勢に傾き敵を作らぬよう努める姿勢が却って敵を作っている現実。 なんかもうシミュレーションドラマみたいで、苦笑い必至で読み続けた。 葵がナナコに惹かれた理由と、今の葵に小夜子が惹かれる理由が合致する。 だけど蓋を開ければ、何処にも何の悩みもない人生なんてないってことだ。 現実を見ること。 逃避すればするほど夢は羽ばたくものだが、客観性は失われる。 個性的なナナコがとても素敵に見えるのは、すでに立場を放棄しているからだ。 お嬢さまの葵には理解できない「事情」を見続けてきた結果がナナコを作った。 だとすれば本来救わなければいけなかったのは、ナナコの心だったのである。 過去の葵がそうであったように、今の小夜子が葵の救世主になろうとしている。 小夜子自身は気付いてないだろうが(彼女は彼女で仕事に救われたと思ってる) 彼女のクソがつく(ゴメンね)生真面目さが、葵の現実逃避を正す道標なのだ。 無神経がつくほど大雑把、中途半端な仕事ぶり、自分の姿勢を見直す切欠を 与えてくれたのが、過去の自分にソックリな、クソがつくほど真面目な主婦で、 どんなに酷い結果を見せ、屈辱を与えても、また自分の元へ戻ってきてくれた。 これが信頼以外のナニモノだろうかとさえ思える。 対岸にいる彼女こそ、大切にしなければいけないのだろうか。 先の話に戻ると、私はその同僚が大嫌いなのだった。 ところが気付けば早10年以上、もうそんな付き合いになる。自分に苦笑いした。 | ||||
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以前から読みたかった作品のひとつ。期待が大きかっただけに、正直、ラストに近づくまでこんなもんかなと思いながら読んでいた。しかし、やはりなかなかの傑作だった。 小夜子と葵。働きに出ようと意を決して応募した子持ちの主婦と、面接する独身女社長。同じ大学の同級生だったという接点が、違う人生を歩んできた2人の女性の唯一の共通項。過去の葵とナナコ。現在の小夜子の家庭。時間を隔てた2つの軸が平行して物語は展開する。 正直、ちょっと重い話だ。すごいどんでん返しが仕掛けてあるわけでもない。にもかかわらず、終盤に入ってこの小説は少し意外な表情を見せるようになる。物語の中でたくさん傷ついてしまった小さな光が、最後に2人の女性の間で、また輝き始める。 これは単なる友情の話ではないのではないだろうか。人が生きる上で他人を必要とする意味、その価値や本然はどこにあるのかを、読者に問いかけているように思えた。 第132回直木賞受賞作。それだけのことはある | ||||
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出版社による作品紹介=「30代、既婚、子持ちの「勝ち犬」小夜子と、独身、子なしの「負け犬」葵。性格も生活環境も全く違う二人の女性の友情は成立するのか!?」=から、大衆ウケで軽薄な印象を受けましたが、どうして、重厚な本格的な小説です。 この作品のテーマは、「負け犬」でも「友情」でもなく、私は「喪失と再生」と受け止めました。 絶望の中で出会う希望。その希望がグングン増大するも、あっけなく喪失。しかしその後も、生きていかなければならない現実。 そうした一切が、ヒリヒリと、イタイタしく、しかし瑞々しく描かれています。 わたしたちは何のために年を重ねるのか?主人公の自問に涙が止まりません。 傑作。 | ||||
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主人公とそっくりな同級生がいて、思わず、自分の学生時代をおもいだしました。 誰でも、女子特有の、村八分をされたり、したりの経験があったとおもいますが 今 私は 母になりましたが、それでも 人間関係に悩むことも多く いろんな感慨をもち 読みました。 美しく生きることのむずかしさを感じました。 | ||||
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直木賞受賞の本作を、今更ながら読みました。 人間関係に思い悩んでいる人には、さらなる苦悩と、、最後に小さな突破口をくれる本。 登場する女性は3人。 物語は、”過去”と”現代”の2つのパートに分かれていますが、 その物語は交互に描かれ、小説の中では同時進行していきます。 ”過去”は、いじめられた経験を持つ女子高校生の葵と、同級生ナナコの物語。 そして、”現在”は、過去から20年程経っており、 専業主婦に馴染めない小夜子と、会社経営者となった葵の物語。 視点者は、女子高生時代は葵、現代は小夜子。共通して登場する葵は同一人物です。 とても面白いのが、葵の存在。 女子高生時代は、視点者として立ち振る舞い、その心を明かしてくれますが、 現代では、視点者は小夜子に移ります。 小夜子から見た、葵は、女子高生の頃の面影が全く見えません。特に序盤。 読者にとっても、経営者葵は遠い対岸の存在に見えます。 そのもどかしさが、読者をぐっと引き込みます。 彼女らは、それぞれの立場でお互いに近づき合い、親しくなります。 所謂、友情が芽生えることになりますが、様々な要因から、関係維持が難しくなります。 最初は心地良いが、痛みを伴うようになってくる、そんな感じでしょうか。 誰にもそんな友人関係があるのでは。 そんな痛みの気持ちに、とことん向き合う物語でした。 身近に寄り添ってくれている、そう思っていた友人は、 本当の所、一本川を隔てた、対岸の存在なのかもしれません。 そのジレンマと悲しい痛みに、彼女らは向き合い、思い悩み続けます。 女子高生時代はその気持ちが暴発する、切ないラストを迎え、 対して現代は、その過去があったからこその、少し希望が持てる終わり方をします。 友人というのは本当に難しい。 その関係性は、時間経過の要素も大きく影響するんだと、最近感じます。 これから、さらに複雑になっていくいう予想に、少しウンザりしますが、 やはり自分が痛みに向き合う強さを持たいないと、と思った一冊。 | ||||
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人間関係の難しさ、女性の友情って?、考えさせられる1冊です。 同じ学校や職場で毎日顔を合わせて 同じことを考えたり学んだりしていた友人たちと 当たり前だけど、それぞれ違うライフスタイルを歩んでいく中で どうしても疎遠になってしまう人、おつき合いが続いていく人って出てくるわけで。 友情ってふるいにかけられる時があるなって思う。 作者の帯メッセージがすごく印象的。 『大人になったら、友達をつくるのはとたんにむずかしくなる。 働いている女が、子供を育てている女となかよくなったり、 家事に追われている女が、いまだ恋愛をしている 女の悩みを聞いたりするのはむずかしい。 高校生の頃は簡単だった。一緒に学校を出て、甘いものを食べて、 いつかわからない将来の話をしているだけで満たされた。 けれど私は思うのだ。 あの頃のような、全身で信じられる女友達を必要なのは、大人になった今なのに、と。』 そうだと思う。納得。 ふるいにかけてかけられて、寂しくなったり不安になったりするけれど、 自分にとって大切なものは何かってことを頭に入れて 考えていれば、選んでいれば、ちゃんと大切な人はいてくれるはず。 生活環境がどうとか、そういうこととかも全部飛び越えて。 個人的にはそんなことを思った。 読むといろいろ考えさせられるけど、なんとなく背中を押してくれる1冊です。 | ||||
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「八日目の蝉」を読んで大変良かったので、今度は同じ作者の「対岸の彼女」を読んでみました。 この作品は直木賞を受賞した作品です。 主人公は二人の女性です。 しかも、同い年で大学も同じでした。 物語の進み方としては、大人になって家庭を持ちつつも働くことにした女性の目線で描いた話と、高校生時代のどこにでもいそうで、でもどこか特殊な環境で育ち、特殊な性格を持つ女の子の目線で描いた話が交互に語られていました。 高校生時代に特殊な経験をした女子校生が、大人になって起業したところ、同じ大学を卒業した女性と共に働くことになった話です。 全体を通して描いているのは、人と人の関わり合いの表向きの面と裏向きの面を微妙な心理描写と共に表現しているところです。 ある時は仲良くしていた友達同士だったのが、些細なきっかけで仲間外れやいじめが始まったり、裏で悪口を言い合ったりしています。 主人公の女子校生は特殊な経験をしてしまいますが、このような人間関係はごく普通に存在するもので、身近に感じられます。 伊坂幸太郎や東野圭吾のようなサスペンスものや事件ものを好む人には物足りない小説でしょうが、微妙な人間模様を巧みに表現しているこの小説は、私の心に響くものがあり、そんな表と裏のある人間関係の中で生きてゆかねばならない私たちは、それでも強く生きてゆかなくては、と思わせてくれました。 「八日目の蝉」は、主人公の女性は犯罪者ではあるものの、同情を引くものがあり、心にズンとくるものがありました。 この作品は、そこまで引き込まれるものではなかったものの、自分の今までの人生、これからの人生を考えてゆく上で、あるいは他人の人生を考えてゆく上で、大変参考になり、何とも言えない読後感を得ることができました。 地味ではありますが、私はこの作品が好きです。 | ||||
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題意通りです。それ以上も以下もありません。友達のいい話です。ただ、それだけ。心臓を抉られることも、感涙もありません。私が男性だからいけないのでしょうか。共感しきれませんでした。恐らく女性向けですね。作品自体は星3ですが、角田さんのファンなので星4。 | ||||
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誰でも多かれ少なかれ、 自分はいじめられっこだったと 思ってはいないだろうか。 そんな思いを引きずって、社会に出る。 結婚をして、子供を産む。 待っているのは公園デビュー。 これをうまく乗り越えられるのか。 この辺の微妙な心理を 実にうまく書くのがこの作家の 真骨頂ですねえ。 そして、お決まりの 子供を抱えながらの 職探し。 たまたま見つけた会社は 中身はまったく違う。 姑は意地悪で、 夫は理解を示さない。 こんな中で主人公は ひたすら新しい仕事に 頑張る。 身につまされて 辛いな〜という 感じは否めないが、 この作家には珍しく 明るい結末で ほっとする。 現実はだいたいこんなもの。 でも、辛い思い出は 後で考えてみれば きらきら光る宝石に なってはいないだろうか。 幸せばかりの のっぺらな人生より、 ざらざらしてても 味のある達成感の ほうがいいねと 思わせる作品です。 | ||||
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もっとどろどろした人間関係が書かれているのかと心配していたが、 リアルで自分のまわりでも、ありそうな日常が描かれて いて、楽しく読めた。 零細企業で働くと長所短所含めて、こんな感じです。 いい意味で家族的で自由、悪い意味で破天荒に・・・ 大規模な職場では感じることのできない雰囲気が面白い。 そのまま、映画に出来そうな構成です。こんな映画だったら、 映画館に足を運んでもよいかなあ? | ||||
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いっつも女どうしひっついたり離れたり・・・めんどくさいと思いながらも、これは女である限り一生にげられないめんどくささなのかと私も思ってました。だからこの本のエンディングももしかしたら出口がないのかも・・・と思いながら読み進めていたら。 思いもかけず出た答えがすっきりとしていて、最後、読んでよかったなあと思いました。変われるとしたら自分だけですよね。そう思わされた一冊です。 | ||||
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いじめられっ娘高校生の主人公(葵)の親友との交流と、もう一人の主人公(元いじめられっ娘の小夜子)を中心に、葵が成人した後に起業した会社での物語がパラレルで描かれている。 「友達」「いじめ等日本人の持つ醜悪な習性」がテーマ。「友達とは?」「日本人の習性の下劣な部分」について考えさせられる。高校生の葵の自分の両親も含めた周りの人間への観察眼とその描写、小夜子の娘への細やかな心の描写が秀逸。 ここで描かれる「日本人の持つ醜悪な習性」は、「他人に気を使いすぎる」「世間体を気にしすぎる」「仲良しグループをつくって異物を排除する」「他人への同調圧力」「世間的な常識への盲従」「横並び志向」「みんな一緒志向」「弱きを挫き、強きに媚びる」など。日本人の醜悪な習性は一朝一夕には変えられないが、日本社会で生きるひとりひとりがその醜悪さを直視すること、そしてそれを自分がどう感じるのかをもっと敏感に自覚することが醜悪さ脱出の第一歩だとおもう。 | ||||
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ずいぶん前の作品ですが、最近になってやっと読みました。男性と女性とでは、読んだ印象がかなり変わるかもしれませんが、本当に、この作者の「現実を切り取る力」はすごいです!日常によくある会話を文章にするだけで、こんだけ心に響くものになるのだから。うーん、スゴイ作家だ!! | ||||
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私は角田光代さんのエッセイが好きですが、これまでは小説はそれほど好きではありませんでした。しかし、本作は前から気になっていたので、読んでみたところ、考え方が変わりました。 私は、2組の女性の再会の場面が、一番印象に残っています。私も、学生時代は一緒に過ごしていたのに、その後歩んできた道があまりにも違いすぎて、時には戸惑うこともありますが、この本を読んでまた会いたいなと素直に思いました。 文庫版の森絵都さんの解説もおススメです。単なる友情物語で片付けられずに、人との出会いをうまく表現されていて、勇気づけられました。 | ||||
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後ろのあらすじを最初見たときは、結婚適齢期のお姉さま方がやっかみ合うお話なのかな、と思ってさほど期待せずに手に取りました。結果、すごく良かったです。語彙力が足りないので上手く説明できないのですが、女同士の面倒臭さをこれでもかと描き出していて、とても引き込まれました。「女として、女とどう付き合っていくか」という、誰もが直面しながらも、黙殺してやり過ごしていた問題をえぐり出しているので、読むのが辛い作品でしたが、ラストで救われました。余韻がすごく心地よいです。人間関係に少しでも悩んでいる方は、ぜひ。 | ||||
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最初、主人公である陰気な専業主婦の小夜子や職場や学校で繰り広げられる女同士の悪口の攻防に「私は違う」と共感できず、遠目で見ていた。私は三十代の共働き主婦で子ども一人、結婚で地元から離れた。 確かに高校時代は女同士の付き合いが一番で楽しくて楽しくて、ずっと続くと信じていた。 けれど、その関係も音信不通とはいかないまでも疎遠になったことは確か。今、周りには親友と呼べる気安い友人はいない。 本が後半に入っていくと、主人公や若き葵たちのもがく姿を見つめながら、人間関係を煩わしいと思いつつも、心のどこかで、信じ合える身近な友人が欲しいと願っている自分にはた、と気付いてしまった。 読み終えると、友人を欲すること、失望を恐れずに人を信じようとすることは自然なことだし、自分に必要なことだと知らず知らず共感していた。 こういうことは、周りにいる大人たちの誰もが口にはしないことだから、尚更、心に深く響いた。 大人になった女同士のかなりリアルな友情感を描き出している名作。 | ||||
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たまたま手に取ったこの本が、自分と同じ30代女性を主人公にしていることと、葵の故郷が自分と共通していることに驚きつつ読んだ。女子ってなぜか、仲良しグループを作りたがる。小学校のころ、特定のグループの子とべったり一緒にいて、トイレに行くことでさえ連れ立ってた。それが、「友達」ということなのだと勘違いしていた。でも、ちょっとした諍いで仲間はずれができ、そのターゲットは次々と代わる。つい昨日まで仲良くしてた子を仲間はずれにしてしまう罪悪感。次のターゲットに、自分がなるのではないかという恐怖感。私も小夜子のように恐れていた。だけど、ナナコは違う。つるむ友達を多く作る事に、自分の大切なものはないと言い切れる強さを持っている。起こっていることを、ポジティブな言葉で表現するナナコ。いまでも憧れるな〜、こういう言動が出来る人。連絡を取りたいけれども、逆に連絡することに怖さがあって縁遠くなってしまった、葵とナナコ。もしも30代になって、偶然出会うとしたら。二人はどんな言葉を交わすのだろう。30代になっても、ナナコの核は変わらず、あの頃の大切なものを大人になっても大切にしている強い女性であってほしい。 | ||||
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娘が前に買って妻も呼んで本棚に。数年後上京時の車中で読むために、私がたまたま手にとりました。上質な余韻がありますね。良いワインのようなかすかな芳香を思い出しては、胸がキュンとなります。離れ離れの友人のその後を思わずにはいられません。いきものがかりのあの歌とつながりますね〜。 | ||||
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初めて角田光代さんの作品を読みました。私と同世代の作者。物語に出てくる音楽に懐かしさを感じたり出てくる背景に一体感を感じました。現在、過去と話が繰り返され未来へと繋がるものです。読んで思ったのが過去があるから現在があるという事。過去がどんなに辛くても未来は必ずある。正反対の性格、生き方をしている同級生の女性2人が主人公になっている。お互い全く違うようであるのに根本は同じで求める方向は同じなんだと気付いていく物語。友情ってなんだろう?純粋な友情が描かれてる作品でした。 | ||||
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『八日目の蝉』に続き、角田作品はこれを選んで読んでみました。マイクロバスに女たちが乗せられてある所へ向かうシーン、子供のいる女・いない女の両方の人生を真面目に冷静にえがく筆致は『八日目の蝉』に生かされるモチーフとなっている。10代に出会い、もう二度と会うことはないだろうけれど、一生忘れない何人かの女友達のことを思い出しながら読んだ。私にもこういう行き場のない思いを分かち合い、そこから一緒に脱出しようと、毎日毎日学校の帰り道や、電話や、手紙で語り合った友達がいた。しかし、結局はお互いを頼ることなく、それぞれが男性に恋をし、その行き場のなさを突破していったように思う。私もそうだ。その時点で、急に疎遠になり、高校時代のようには付き合えなくなった。女の人はどうしても自分と同じ境遇の人としか仲良くなれず、ひとたび属性が異なると関係は簡単に切れるというところを角田さんはとてもうまく描けていると思う。でも、関係は切れても一生忘れない。その関係を胸に、人生に行き詰ったときに、その友達との記憶が道を照らす灯台となる。その光に導かれて、また新しい光となる人と出会っていってね、というのが角田さんのメッセージだろう。 | ||||
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