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虚無への供物
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虚無への供物の評価:
| 書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.92pt | ||||||||
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全77件 61~77 4/4ページ
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| 読み終わった瞬間は、正直なにがすごくてなにが奇書なのか「?」だった。だが、あとからボディブローのようにじわじわ効いてくる。こういう読後感は初めて。たぶん、この先の人生で何度か読み返すことになるであろう本。 | ||||
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| 時折とりだして、適当なページからぱらぱらと流し読みを始める。気がつくと没頭していて結局全部読んでしまう。そんなこんなでもう十回は読んだだろうか。 ミステリ作家/評論家の笠井潔が『虚無への供物』を「起こらなかった殺人事件」をメインテーマに解題してみせたことがあったが、それはおおむね正しい。 『函の中の失楽』のミステリ作家竹本健治が、後に自作を「ミステロイド」(ミステリのようななにか)と定義づけて連作をものしたのは、実作者としていっそう正しい(下品だったけどネ)。 はりぼての日常を、無意味な風景を、陳腐な痴情を、極彩色の万華鏡に変える手法がここには描かれている。 読者は、万華鏡の無意味な色彩の乱舞に意味を見出そうとする。 でも、厚化粧の下の素顔は、どこにでもある、一度見ただけでは忘れてしまうようなありふれた顔。 それを「虚無」と呼ぶ。 小栗虫太郎『黒死館殺人事件』も、夢野久作『ドグラ・マグラ』も、そしてこの『虚無への供物』も、描かれているのは「大いなる嘘」だ。ただ、半ば無意識だった前ニ作に対し『虚無』は醒めきった眼で、冷徹に、スタイリッシュに嘘を配置した。『虚無』は読者を誘う。嘘を完璧に構築するための共犯者になれと。 これはミステリじゃない。アンチ・ミステリだって、最初からいってるじゃないか。 | ||||
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| 「アンチ・ミステリ」という得体の知れないカテゴリの筆頭格で、『ドグラ・マグラ』『黒死館殺人事件』に並んでミステリ界の「三大奇書」にも名を連ねる、ノヴェレット・オリエンテッドな作者が塔晶夫の変名で初版を放った畢生の大著。 カスタマーレヴューの賛否の割れ具合を見ても、案の定そうした禍々しい枕詞とそれに喚起される底深い闇はもはやひとかたも残らず払われてしまった感はある。ミステリとしての読みを許容できるのは、「新本格」系の作家、殊に彼らの無機的なパズル性に悪感情を抱かない向きだけだろう。この作品での「アンチ・ミステリ」の形容に関わるラディカリズムは、後続がより構築性・人工性を高めた作品を放ったことで霞んでしまっている、というのが実情だ。実際に先述の「三大奇書」にも『匣の中の失楽』『生ける屍の死』『夏と冬の奏鳴曲』『姑穫鳥の夏』『奇偶』『暗黒館の殺人』など後発のいずれかを加える声も一部であるらしく(伝聞)、実際にそれらは「三大奇書」に対して意識的であるとはいえ、『虚無』を純粋な技法主義で見れば上回っているかもしれない。 しかし誤解を恐れず言うが、本作は「ミステリ」では断じてない。思えばミステリというジャンルはどういうわけか定期的にエポックメイキングな作品を生み出し、またそれによって自壊を迫られながらぎりぎりで踏みとどまるような、存在自体がアクロバティックな均衡の上で成り立っているもの。たとえば『ブラウン神父』にしても既存のミステリへの批評的な側面はあっただろうし、ミステリ要素を措いても一種のファルスか奇妙な味の系統の作品としても読める。それと同様に本作は既存のミステリへの問題提起を(作為か無意識かは問わず)孕みながら、同時に極上の幻想文学であったと言える。ここではミステリ要素は『物語』の部屋の中で非常に目立つ調度品にすぎず、主眼はあくまでもこの透明な眩暈感を催させる構造や、人によっては空々しくどぎつく感じられるような色彩、時間と空間の限定された具象性を備えながら純観念的ともいえるワールドスケープ、そしてそうした仕掛けを可能にした澄明な文体の妙にあったのではないか。しかも幻想文学が幻想を批評するような側面をも持ち合わせていた、そういう意味では後の「メタミステリ」を先駆けていた気もするが、それも強引な後付けにすぎないだろう。 SF的ですらない殺伐と沈滞する現代のアーティフィシャリティへの返答として、また有機的な人工性をたたえた稀有の幻想文学として再読されるべき名作。 | ||||
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| 登場人物の会話で成り立っているので、読まずにはいられないし、真剣に読んでいると振り回されてしまう。この手法にはやられました。後書きを読むと、三島由紀夫をモデルにした人物も登場していることがわかります(名前を発音すると母音が一緒)。また美輪明宏を参考にしたのではないかと思われる人物もいます。ゲイバー、シャンソン、ファッション等日本の戦後復興の時代を彷彿をさせるものであふれています。それが作者の色彩描写とマッチして、目の前にありありと想像できます。しかも今読んでも一向に色あせない。また、単なる推理小説というよりも、社会批判もしています。個人の殺人は罪になるのに、政府推奨の毒入り流通米はなぜ罰せられないのかという疑問や、目の前で死んでいるひとを写真にとってマスコミに流すという人間の無神経さなどは、現代の食の偽装問題や秋葉原通り魔事件にも通じています。しかもそれらは特定の人の問題ではなく、私たち一人一人がどこかで関わり、同じことをやりかねないとも作者は言っています。「いまの時代では、とにかく、ぼくたちは何かに変わりつつあるのかも知れないね。人間じゃない何者かに。一部分ずつ犯罪者の要素を持った生物というか・・・。」というセリフはそういう意味でとてもリアルです。人間は過去から学ばねばならないのにいつまでも同じ過ちを繰り返している愚かさを感じました。そしてこの小説のどこか妖しい美しさに惑わされてがんじがらめになっている自分も・・・。 | ||||
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| 最初は推理小説として読み始めるが、最後に残る読後感は何とも言えない徒労感と結局はこの話を何も理解できなかった虚無感だ。読後の強烈な虚無感を読者に提供するための小説だとすれば、まさに「虚無への供物」である。 | ||||
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| 私が持っているのは前の版のですけどね。頭が青い薔薇の人がギターかなにかを弾いているという妖しいヤツ。 あの表紙好きだったんだけどなぁ。。 読んだのは大学一年のときですから今から10年ちょっと前くらいですけど。 最初のゲイバーのところから、すごい引き込まれて、徹夜で一気読みしたのも懐かしい思い出です。 何回読んでも色々な解釈ができるのがこの作品の良いトコロだと思います。時代の空気も楽しいし。 ただこの作品、読む人によって相当反応が違うのもたしか、私も当時「この本凄いよ!」って言って本好きの親友に貸して「どこが良いのか全然わかんない」って言われて大論争したものです。 最後のカーテン描写が冒頭のシーンと繋がってきて、幕がおりた劇場のような気分にさせられるところとか、私はなんか泣きそうだったんですけどね。(あああ、すごく練り上げられた作品だったんだなぁ…って思って) 作者は、いつか「虚無への供物」以上の作品を書く、書く、といって、結局果たせず亡くなられた、と何かで読んだ記憶があります。(私はこの本を一冊残すだけでも、作家としてすごい功績だと思います。) 書いた本人からして重荷にすら感じる作品…それが本作なのでしょうね。 「虚無への供物」は様々な分野に該博な知識を持つ作者が、構想、執筆に10何年もかけ、練りに練った大作です。 ようするに、読む方も覚悟がいるのでしょうね。私もたまに読み返してみて、いつも新しい発見がありますし、未だに良くわからない部分もあります。 そういう意味ではパッと読んで、わかったり、楽しいという本ではないですけど、読んでみて欲しいな〜と思います。 …で、前述の親友が最近の理不尽な某事件について話していた時に、ぽつりと「…まさに虚無への供物だね。」っと呟き、さらに「そうか、そういうことか。。」と言い。「あの本、今度また貸して」と言いました。 …そういう本です。。 | ||||
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| 本作が日本を代表するアンチ・ミステリである事は論を待たない。作者は何故、本書を書いたのか、そして通常のミステリではなく何故"アンチ"の形式にしたのか。 本書が洞爺丸の海難事故を契機に書かれたことは有名である。死者、1155名。未曾有の海難事故である。この事故で生き残った人々の一部の人を題材にして水上勉氏の「飢餓海峡」が書かれている。この事故(私の生まれる2年前)が当時の人々に大きな衝撃を与えたことが分かる。しかし、その衝撃と「虚無への供物」がどう関係するのか ? 函館から出航した洞爺丸の対岸、青森では実は羊諦丸という船が"危険を察知して"出航を見合わせていた。「洞爺丸」と「羊諦丸」。本作に頻繁に現れる2面性を象徴するのが、この2つの船ではないかと思っている。 本作では色に関する数々の趣向、幾多の推理合戦等、盛り沢山の要素が積み込まれている。しかし、それもやがては"水泡"に帰してしまうのである。また、冒頭からでも途中からでも、通常の本格物として書ける筈の内容も水泡に帰してしまうのである。最後まで読んで、真犯人(途中で明らかになっている)に辿りついても徒労感を感じるだけである。全ては「虚無への供物」という訳だ。 | ||||
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| 面白いです。冒頭からいきなりゲイバーで始まるし、「五色不動」、「聖不動教」、「アイヌ」に「不思議の国のアリス」にポーの「赤き死の仮面」、薔薇などの植物の色、誕生石、シャンソンの歌詞。色に彩どられた登場人物と事象が見事に絡み合っている。よくもここまで色々な事を絡め合わせた物だと思うが、色を中心に考えれば難しくはない。作者はこの作品をアンチミステリーと公言している。後半途中の「黄司」の件で作品を純粋な娯楽ミステリーにしてしまう事も可能だったし、作中で語られる、素人探偵たちの様々な憶測のどれかをメインにして完成させる事も出来たのだが、あえて作者はアンチミステリーにした。当時の戦後の混迷期の様々な不安、頻発する異常な事故、事件、それらの作者の生きた当時の体験と不安から、作者はミステリー小説など今の時代には存在してはいけない。と結論した様だ。よってこれは非常にタイムリーな小説である。当時の作者の判断は正しかった、もしくは正しくなかったかもしれないが、いつの世でもこの作者が到達した考えの終着点が通用する物でもない。時代は移り変わる。この書が書かれた時代に読んでこそ意味がある。時間が経過した現在これを理解して読むには、当時の社会状況と人々の精神を勉強、想像して読むしかない。この書が推理小説のバイブルみたいに扱われ、何度も読み返す気持ちは分かる。当時の事を計り知れない読者はその時々の常識の感覚で読むため、常に新しい発見があり凄い書だと思い、陶酔するのだろう。なにもこの本に限らず、全ての過去に書かれた書は書かれた時代背景と社会構造、人々の精神、それらを含めて勉強して読む必要がある。タイムリーに読めた人にはそんな事は必要ではない。文学という物は未来の住人にはまさにパラレルワールドに迷いかねない危険性に満ちている。(下巻に続く) | ||||
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| 摩訶不思議な殺人事件の連続と“探偵たち”の広範な推理が、最後の最後まで耽々と楽しめる二冊。 また個人的には推理小説というよりも題名にある“虚無”の意味を頭に置きながら作品を読んでいくことで世界観や作品の味わいが深まり一層面白くなった。 俗に探偵小説の<三大奇書>の一つに数えられる本書は、その他の『ドグラマグラ』(夢野久作・角川文庫)『黒死館殺人事件』(小栗虫太郎・ハヤカワポケットミステリー)を読んだ後でも、読み応え十分なものであったと思う。 | ||||
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| 私はこれを読んで、「中井英夫」にハマりました。探偵小説であって、探偵小説にあらず。推理小説であって、推理小説にあらず。上下巻の分厚さは、まるで感じません。文章も平易だし、登場人物もそれぞれ性格がしっかり描かれているので、この類の読み物にありがちな、「この人、誰だっけ?」と読み返すこともありません。「虚無への供物」…大仰なタイトルに躊躇していたあなた!騙されたと思って、是非読んでみて下さい。 | ||||
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| アンチミステリーと評される本作は、いかなる意味で「アンチ」なのだろうか?それは「探偵」という存在の「不可能性」と「不可避性」を暴ききったという意味で「アンチ」なのだと私は考える。最後に明かされる真犯人の動機が、純文学的すぎる、リアリティがなさすぎると感じる人は、もう一度最初から本書を読み直してみるといい。ザ・ヒヌマ・マーダー・ケースの前後に起きた、現実の悲劇的な事件に対する、陰鬱で執拗な列挙は、作者の超越者の視点からの描写ではなく、犯人の心象風景であったことを再確認できるはずである。この犯人は「意味という病に囚われた」人間ではない、なぜなら「意味という病に囚われた」存在こそが「人間」なのだから。アームチェアーズ・ディテクティブが殺人事件の推理を楽しげに戦わせる時、彼らは人命をおもちゃにする腐ったディレッタントなのかもしれないが、同時に現実に生起する残忍な事件を理解可能なものへと変換するために、認識の枠組みを酷使する、存在の不安におびえる存在なのである。本書で明らかにされるのは、犯人と探偵、犯行と謎解きが実は同じ「意味という病に囚われている」ことをはじめて明らかにした記念碑的な作品である。「そりゃ昔の小説の名探偵ならね、犯人が好きなだけ殺人をしてしまってから、やおら神のごとき名推理を働かすのが常道でしょうけれど、それはもう二十年も前のモードよ。あたしぐらいに良心的な探偵は、とても殺人まで待ってられないの。事件の起こる前に関係者の状況と心理とをききあつめて、放っておけばこれこれの殺人が行われるはずだったという、未来の犯人と被害者と、その方法と動機まで詳しく指摘しちゃおうという試み・・・」奈々村久生PS:どうでもいいことだが奈々村久生のキャラ、エヴァのアスカ・ラングレーそっくりで驚いた。似てるだけだと思うけど、頭に浮かんでしょうがなかったw | ||||
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| この作品は、“四大奇書”のひとつに数えられる、中井英夫唯一の長編推理小説です。発表時は搭晶夫という名義で出されました。やたらと文学的な表現で紹介されているので、難解な本なのかと思っていたのですが、覚悟していたほど読みにくくはなく、大いに楽しめました。文学的な推理小説の味わいと、ユーモアミステリの味わいと、怪奇幻想小説の味わいを強引にミックスしたような作風で、そこがこの本に分類を許さない独自の輝きを与えています。一連の変死事件に対して複数の登場人物が推理合戦を試みるという趣向はバークリーの『毒入りチョコレート事件』を思わせます。しかし、本作では更に、変死事件が終わった後ではなく起きる前から推理合戦が始まっている点や、ある人の推理に他の人が反論する根拠が「そのトリックはノックスの十戒に違反しているからダメ」というようなとんでもないものである点など、とても風変わりな推理合戦となっています。いわゆる新本格派が盛んに試みているメタ本格的な視点を1964年に早くも提示していたという恐ろしい作品です。 | ||||
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| 若い人にこそ読んで欲しい、と思ったら文庫で新たに上下巻でましたね。これが、作者「中井英夫」が生きていた間にもっと売れていたらとおもうと胸が痛みます。人間の空しさを書いた本で、前にNHKのBSで、深津絵理、中村トオルなどが出演して映像化もされたのを思い出します。(再放送されないかしら)これを読んで、シャンソンを探したりと、懐かしく新しい発見も出来るとおもいます。推理小説でありながら、人間の心理を本当に書いた希有な名作だと思います。 | ||||
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| 故中井英夫氏は生涯で唯一のミステリでミステリの全てをやってのけてしまった。話の主軸となるのは、一応4つも出てくる密室と意表をつくアリバイ・トリックである。これだけでも十分凄いが更に圧倒されるのはその間に展開される眩暈を起こしそうな絢爛たるペダントリーの世界である。この作品に影響され、模倣した作品も数多いがあまり話には関係のない、作者が自分の知識をひけらかしているだけのものが殆どである。しかしこの作品は次元が違う。一見荒唐無稽なペダントリーが事実に基づいたものであり、実にわかり易く描かれその断片が見事結末に集約する。文章も練り練られてうまい。ミステリであることを忘れてしまうような思わず笑ってしまう描写も数あり、作品の長さを感じさせない。どこかに妙な親近感を抱かさせれ、青春小説ともとれそうな雰囲気さえある。また生き生きとした登場人物達もこの作品の大きな魅力である。殺人事件がありながら登場人物のキャラクターと卓越した文章力でもって話の残虐性はあまり感じられずこの大作は一気に読めてしまうだろう。多分ミステリビギナーでもすんなり受け入れられそうなところがこれまた脅威である。中井氏の作品は他にも読んだが物凄い筆力を持った本当に凄い人だったと思う。とにかく読むしかない。私はこの作品を読破したした後、暫くは他のミステリはつまらくてしかたなかった。 | ||||
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| 真にオリジナルな作品は、不可思議な、誰の意表をも突くような稀有な偶然の組み合わせから生まれるのだろう。例えば、樋口一葉が生きた台東区竜泉や、日暮里、浅草といった東京の下町に、コルクの密室に閉じこもって生涯を一つの作品の完成だけに捧げた同性愛者プルーストの感性を持ち、おのれの「天才」を自覚した者が、時代の虚無をより深い自身の虚無と重ね合わせながら、長い雌伏の年月を生きたとしたら---。「虚無への供物」は、そんな創造の道を辿った稀有な作品であり、本物のオリジナルである。 | ||||
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| 「黒死館殺人事件」「ドグラ・マグラ」「匣の中の失楽」と並ぶ。四大アンチミステリの一つ。凄いなあ、凄いなあ。めくるめく。色彩。反転。溶暗。探偵小説という枠組みに対して、付かず離れず、弄び、愛しつつ。四十年くらい前の作品なのに全然古くない。やっぱミステリはいい。 | ||||
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| 日本の長編推理は数多くあるが、この作品は間違い無くベスト10に入ると思う。この本には推理,探偵小説の楽しさが、いっぱい詰まっている。読み返したくなる数少ない推理小説の一つ。 | ||||
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