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残虐記
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残虐記の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.44pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全25件 1~20 1/2ページ
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結構評価の高い小説であるのだろうか。桐野夏生(敬称略 以下同じ)特有の、 暗くそして異常心理が根底にある妙な「生臭さ」を感じさせる文章。 過去に長く監禁された経験のある小説家へ、誘拐した犯人(出所している)か らの手紙が舞い込む。 「わたしのことはゆるしてくれなくてもいいんです。私も先生をゆるさないとお もいます」。不気味な言葉が手紙の最後に記されている。 文中に幾つか、常識に反することが書かれている。 「十階建ての巨大な建物が三棟ずつ並んで扇形を形作り、…団地の住民の数だけ でも二万人近くはいた」とあるが、3人家族で1棟当たり100世帯(9×12 世帯≒100)あると仮定し、全て満室であったとしても60棟以上の建物があ ることになる。これで集会室も公園も一つらしい。 高島平じゃあるまいし、こんな巨大な団地群はあり得ない。 エアコンが(監禁されている部屋に)必要となり、犯人が自分で設置したとあ る。これも非現実的、大体素人が室外機の設置や、電源のボルト数の変更(大抵 は100Vから200V)ができる訳がない。 ただでさえ吝嗇な大家の工場長が、自宅とも言うべき部屋に勝手にエアコンを 設置させるなど、いい加減で適当な設定になっている。犯人は不器用で教育も満 足に受けていない設定になっているのだから。 解放されたばかりの「小学生」の被害者に対して、きちんとした検査も治療も 行わないままに、男性医師が「何でも言っていいんだよ」と暗に性的被害を遠回 しではあるが、直接女児に聞いている。保護者への確認もないままのこの発言は、 大問題になる。 一人で事件に興奮する検事(その理由は最後に明かされるが)が、性的被害者 かもしれない女児に対してここでも無神経に質問を発している。こんな検事はい ない。家族の同席もなく勝手にくだらぬ質問を連発する検事は辞職ものだろう。 一番大きな問題が、こういう「異常な事件」に「知的障がい」がある犯人を登 場させること。終わり近くに「知的障がいがない」といきなりの診断。 ここまで診断が遅れるのは異様。「障がい」のある人への偏見問題とならぬよう に、とってつけたような説明になっている。 初出は2004年となる。この当時にはこの設定は問題がなかったのか。 桐野にはもう少し人権感覚が必要だろう。 全体として最後にわずかな盛り上がりを見せるが、筋立てがいかにも荒っぽく、 緊張感も続いていない。 残酷な事件で、その事件の底流には被害者とされる人間の心の闇がある。 そういう小説で、それ以上はほとんど内容がない。 半分ほど読み、あとは斜め読みした。 おすすめできない。 理由? 単に面白くないから。 | ||||
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本作品は失踪した女流作家の残された小説を夫が出版社に送り付けるとゆう設定で始まる。その小説名は『残虐記』であって本作品はその『残虐記』そのものとなる。従って本作品は劇中劇のスタイルを取る事となるのだかその劇中劇の『残虐記』は失踪した女流作家の過去の体験(11歳の時に起こった一年間の彼女が拉致監され監禁される事件と彼女の推測、創作によって成り立っている。そこで明かされるのは拉致犯人と一種の恋愛関係にあったいう事実と女流作家か創作した犯人の少年時代に隣室の老人の性愛の対象であったとゆいう二点のみであり劇中劇の作品としても桐野夏生の『残虐記』としても内容の薄い作品になっている。連載作品なので桐野夏生がなにか良いアイデアが出て来ないか模索しながら書いていた姿が想像され痛々しい。出てきた収束点はこの女流作家の夫は監禁事件の担当検事であったということでほかにも犯人はフィリピン人女性を殺害していたなどというどうでもよいことでページを割り増してるのがむごすぎる。横溝正史や江戸川乱歩の乱作時代の駄作をどうしても想起してしまうのです。 | ||||
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桐野夏生さんの作品を読むのは5作目です。 『東京島』『グロテスク』『OUT』を記した 桐野さんいわく、『残虐記』。 どんな酷い環境で、ぐちゃぐちゃの人間関係が 描かれるのだろうと期待して読みましたが、 少女が約1年にわたり監禁されるという内容でした。 1年中閉じ込められた少女の身からしたら、 残虐という刹那的な表現(=時間が短い)ではなく、 語感や見た目はちょっと違うと思いますが、 まるで行きつく場のない『漂流記』が意味合いとしては 近いのではと思いました。 あと、この小説は「新潟少女監禁事件」を題材に しているらしく、本作の存在自体が、実在の少女に とって苦しみを与えるものだと思いますので、 作品化するのはあまりに酷いと思いました。 自分が受けた仕打ちが、作品になって世の中の人に読まれる。 場合によっては娯楽、嗜好、楽しみにされる。 こんなむごたらしいことは、あってはならないと思いました。 | ||||
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この人は 創作力の欠如か?よく既成の猟奇的事件をネタに書くけれどまあそれだけで、何回読んでも面白くない これならルポルタージュのほうが幾倍も面白い 今回こそはと思ったがやはり同じ スキャンダラス性をネタにしているだけ 自分で一から創作しなよ | ||||
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残虐じゃありません。読んでいて 何も感じません。レポートを読んでいるようです。何の解決もないのが作品の謎的な部分なんでしょうが 中途半端で読んで損した気分になりました。 | ||||
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実際の事件を元に・・・と公言した事を踏まえて読むと、ため息がでます。(そうでなくても、ため息) 監禁された主人公が誘拐犯に恋していた、といっても、どんなところに惹かれたのか触れられていないし。ずかずかと人の心に土足で踏み入るルポライターと最後結ばれるくだりも、意味わかんない。 事件にたいする好奇心だけで、加害者、被害者の心境には無頓着。読んでいて気分が悪くなりました。 目に見えている部分にしか興味を示さない、こんな人が小説家になれるの? | ||||
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事件を下敷きにする小説は良し悪しが有ると思うが、少なくとも本作の出来具合は「悪し」しか出てきていない。 実際の新潟の事件においては、被害者の親族のみならず被害者自身が無事救出されて新しい人生を送っている。もし自分が親族だったら訴訟を起こしかねないと思うぐらい、後味の悪い小説だった。 よくもまぁこんなに被害者を愚弄するような人物設定をして世に出版したものだと思う。 | ||||
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なぜこの本を読もうと思ったのかは忘れました。自分の読書リストに書いてあったので図書館で借りて読みました。 概要は、幼い頃に誘拐されその誘拐犯と1年あまりを過ごした少女が作家になり事件について書いた小説というか手記という設定です。 結論から言えば、退屈せずに一気に読めました。これは怖い物見たさの興味をひきつけるという意味で、ホラー小説に似たような性格ですね。 でももちろんホラー小説ではありません。気持ち悪い男と少女が一緒に暮らすと何が起こるのだろう?ということです。でもそれは手段で、この小説が言いたいことはまだ別だと思います。 それは単に「私ってすごい小説家でしょう!」という想像力自慢です。小説家のパワーを一番分かり易く表現するのは想像力だと思います。この小説では、小説家を主人公にし、語らせ、しかもその内容が真実でない部分があるかもという、つまり「小説内で小説家の想像を分析」みたいなことが行われているわけです。プロがその世界についてあれこれ語り、自分がその分野でいかに優れているかを示している、そんな印象を受けました。 でも、そんな想像力自慢をしているだけあって、この作家の想像力には素晴らしいものがあると思います。そういう試みとして珍しい小説だと思います。でももちろん、小説の内容自体は結局何も残らないです。小説の中で事実が語られるわけではないですからね。 | ||||
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モチーフに、と公言している割に、なーんか、主人公に共感できなくって。 なぜ誘拐犯を愛した、と言えるのか、 最後になんであの人とくっつくのか、 その過程の描写があいまいすぎて、ぱっとしないまま終わりました。 事件に対する好奇心と裏腹に、当事者の心境には無関心。ある意味、暴力だと思います。 キリノさんの作品って、人間愛が感じられないんですよね。 | ||||
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芥川賞作家の、保坂和志の著書にも記載してあるのだが、「小説家だからといって小説を自分に都合良く使ってはならない」(記憶で書いているので語句は違うと思う)ということを、やっているのが、この桐野夏生だと思う。 著者の「東京島」もそうだが、同じシチュエーションで描いた小説ならば、石原慎太郎の「秘祭」が際だって良くできている。 小説家は、小説を「都合良く」使ってはならないと思う。 これは、制作する人間に共通の暗黙の了解であると思う。画家も作曲家も。 このような書き方をしている限り、もうこの著者の進む「小説」は開かれたものにはならないはずだ。 | ||||
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気になっていた桐野夏生の最初のチョイス本としては、快心作じゃないものを手に取ってしまったのかもしれない. "残虐"とのタイトルから想像したままに、 一種甘美なエロスで物語を進める筆致、、というか、 ・・主人公を苦しめた世間の想像力が読む側と同質というニヤリも楽しめたが、 総じて後に何も残らなかったのが予想外だった. 聴いている間はとめどなく再生される密度の濃い想像に圧倒されるが、 終わると消えて何も残らぬようにできた音楽のようだ. その過程をダイレクトに楽しむことがこの作の本質なのかもしれないけど、 ならさらに「単なるヨミモノ」の域の中にあると感じた. そのように楽しむべき作なのかもしれないけれど. なお筆致と書いたのですが、 年齢的には"子ども"の少女の言葉づかいや語彙のセレクトに馴染めなくて、 そのリアル感のなさが手応えのなさというか、それでいまひとつ没頭できなかったのかもしれない. けれど、それがこの人らしい強い創造の世界を生みだす独特のテクスチャーかも、と予想する. | ||||
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これが全くの創作であったのなら、星5つどころか7つでも8つでもつけたいところ。 しかし、どれほど作者が「偶然の類似性」を強調しようとも、あきらかに特定の事件をモチーフとしているのは確かであり、読んでいて不快さがこみ上げるのを抑えようがない。「読ませる」作家なのだが、この作品は「読まされたくない」。 ノンフィクションやドキュメンタリーなら、それはそれでいい。その場合は不十分ながらも事実があり、関係者との間には信頼や、あるいは契約がかわされる。しかし題材だけいただいて、作者の勝手な「想像」で書いた内容としては安易に過ぎる。作者の緻密な文章力や表現力でもって、それをやられるのだから当時の被害者やその家族にとってはたまったものじゃないだろう。「グロテスク」に続き、これもある種の「セカンドレイプ」ともいえる。作家として以前に、人間性が問われる作品。「枯渇してしまった」のは作者自身なのだろうか?「Out」の鮮烈さと力強さはどこへいってしまったのだろうか。 本当は星ゼロにしたいけれどゼロ評価ができないのと、(万にひとつもないとは思うが)「想像する悪意の他者」を作者本人が現実世界で演じている可能性もあるとして、星ひとつ。作者には「言霊」というものを、もう一度真摯に考えてもらいたい。 | ||||
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この本は、実際の事件に触発されて書かれた小説だといわれていますが、 登場人物の心理描写や振る舞いは、吐き気がするほどおぞましく、 何箇所か読み飛ばしたところがありました。 そのおぞましさが「作家の想像(創造性)だ」といわれれば、 そうかもしれませんが、悪意ある想像をこんな形で世に出す必要はあったのか? という疑問が生じます。登場人物たちに深みはないし、ただただ作者の おぞましい想像を読ませられた感じ。 さすがにこれは、読み終わったあと、「下敷きにした事件の被害者は まだ生きているのに…」としみじみ思ってしまいました。 同じ作者の「グロテスク」は、下敷きになった事件があったとはいえ “架空の物語”になっていたのでまだマシでしたが、これはさらに 読後感が不快ですし、作作者のおどろおどろしい想像力だけを 押し付けられた気がして、読むに耐えませんでした。 | ||||
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期待感が大き過ぎたのでしょうか?残念ながら、人物描写が、あまりにも浅かったです。物語の展開はさすがだと思いますが、主人公の心情の推移、事実の残酷さは描写は表面的にしかなされておらず、引き込まれるパワーがありません。新潟での事件を想像で小説にした程度のドキュメンタリーさしか感じられませんでした。もっと追究して欲しかったなぁ・・・ | ||||
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私は、自分の過去のことがあって、どんな風にこういった被害にあった人のことが描かれているか気になり、この本を手にしました。 私にとってはこの本は読むべき本ではなかったと思っています。 読んでいるうちに、精神の不調をきたし救急で病院に運ばれました。 私自身の体験では、この本に書かれているようなことはありませんでした。 毎日、生き残ることだけが精一杯でした。当然、加害者にこのような感情も持ち合わせていません。 こういったトラウマは、この本に記述されているようにすんなりと通り越せるものではありません。(怒)長年の治療を要し、人生全てを奪われます。 感性は人の個性でしょうけど、この本が面白いという人には憤りを隠せません。 ☆ゼロでもいいぐらいです。 | ||||
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三島のプライバシー裁判が記憶に新しいですが、現実をモチーフにする行為は安易になされるべきではないでしょう。こういう小説が許される日本は言論の自由がある程度保障されているのでしょうか。ぶっちゃければセカンドレイプ小説といえます。 | ||||
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『グロテスク』が某事件を題材にしたように、本書を手に取れば多くの人間があの痛ましい事件を想起する。桐野作品が評価されたのは、『OUT』にしても『柔らかな頬』にしても圧倒的な構想力と想像力を目の前にしたからではないのか。 実際の事件を下敷きに、あるいはあからさまに想起させるような(逆パターンはありうるとしても)こうした小説。事件の関係者が手にとることはないと考えるのか、だとしても実際の事件で多くの傷を負った人々に追い打ちをかけるような傲慢極まりない小説。 エンターテイメントとしての小説の域を超えているのではないでしょうか。知らずに手にしてしまった桐野ファンとして、残念の一言につきます。 | ||||
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「グロテスク」を読んだとき、この作家はなんというグロテスクな神経の持ち主か、と驚いた。 しかし一方で、人間が持ちうるあらゆる矮小な悪意を書き連ねて一編とする姿勢には、それなりの覚悟が見えた。 それはモチーフとなった事件の被害者が実際に持っていたかもしれない、自己確認への悲愴な欲求を描き出す筆力につながっていたと思う。 なによりも、「グロテスク」の登場人物たちは、あらゆる悪意や差別を発し、かつ受けながら、極言すればそれぞれが精一杯に生き抜いていた。 そしてこの作品。 著者がなんと言おうと、この作品が読者に具体的な事件を思い起こさせることは避けられない。 にもかかわらず、これについて書くことへの何の覚悟も背負うことなく、しかも、あの事件は作品とは関係ないと「わざわざ」発言しつつ、 「著者の想像」だけを頼りにこのような浅はかな作品を発表するとは。 事件当時の被害者がまだ小さな子供であり、その無力な存在に対して社会が救いの手を差し伸べることができずに 長い時間が経過してしまったというその一点からだけでも、あなたはこの作品を発表するべきではなかった。 そのような作品を手に取った自分も同類と恥じつつ。 もう桐野さんの作品は読みません。 | ||||
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桐野作品はあたりハズレがあるが、これは駄作。実際の事件をヒントに得て書かれた作品だけに被害者感情を逆撫でするような平凡極まりない結末にガッカリ。読んだことを後悔した。いつもテーマが斬新だが、これは明らかに失敗。 | ||||
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『週刊文春』2004ミステリーベスト10国内部門第6位。 どうしてこれが6位なんだろう? と思った。 『残虐記』とは、小説内小説のタイトルだ。その作者名は、『小海鳴海』という。 小海鳴海は、25年前、10歳のとき、25歳の男に拉致され、1年余りの間、監禁された。 小海鳴海の書いた『残虐記』は、その事件の一部始終を、虚実まじえながら書き綴ったものだ。もちろん、桐野夏生が書いた小説『残虐記』の中での虚実であり、虚も実もフィクションである。 フィクションではあるが、男が少女を拉致・監禁するという事件は、現実の世界で実際に起こっている。その実際の事件に接した桐野夏生が、事件に触発されて想像したことをただつらつらと書いた、という感じがしてならない。 盛り上がりも感動もなく、答えのない謎に付き合う気持ちも起こらないまま、淡淡と読み終わってしまった。 作者の伝えたいメッセージが、見えなかった。単なるエンターテイメントとして、書いたようだ。 が、単なるエンターテイメントとするには、題材が生生しく、重過ぎるように思う。 拉致・監禁した犯罪よりも、興味本位や好奇心、ずれた同情などで被害者を傷付けてしまうことよりも、エンターテイメント小説の題材にしてしまうことが、最も『残虐』であるとさえ感じてしまった。(もちろん、拉致・監禁した犯罪者が最も残虐であり、その犯罪者を生かし、保護し、社会に戻してしまう日本の司法システムもまた同じぐらい残虐であると思う) | ||||
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