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悼む人
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悼む人の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.03pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全114件 101~114 6/6ページ
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しみじみとした良い作品でした。 人に勧めたいと思う本です。 読んでいて、特に暗くなることはなく、一種すっきりとした読後感です。 | ||||
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昨年11月に父を亡くし、忘年会の誘いはお断りして過ごしました。 いただいた新年会の通知にも、欠席にマルをつけて返信しました。 父への「悼み」の気持ちを大事にしたかったからですが、 友人から気遣いや、欠席を残念がる言葉をいただいて、 「不在という出席」に満足している自分に気がつきました。 喪中は、自らの死後のシミュレーションになるようです。 思われれば、そこに存在するのです。 死者も悼まれて、存在できるのです。 思われなければ「透明な存在」なのです。 天童荒太さんの本ははじめて読みました。 幻冬舍から本を出していることや、そのペンネームから、 私とは関係のないベストセラー作家という印象が強かったです。 表紙の木彫の人形の、静かな眼差しと目が合って、手に取りました。 悼みの儀式の場面では、父が悼まれているようでもあり、ありがたく、 そして重苦しく、読み進みました。 登場人物と同じほど、語られて登場する死者たちが心に残ります。 産みの苦しみの中で人は生まれ、痛みと悼みを伴って死する。 死も、光り溢れる「他界」での誕生である。 その事実が愛おしく、切なくもありました。 キリストも仏陀も語らず。語られて存在する。 不在こそが、そこに存在する。 目に見えぬ象、静人も語られて、現れてきます。 いい死者も悪い生者もなく、ただ悼むことで、 「死」が現れる。 死を病院に委ねるのでなく、家庭で看取ることで、 「生」が現れる。紡がれていくのかな。 荒井由美さんの「ノーサイド」という曲を思い出しました。 ラグビーの試合を土手(スタンドかな)の上からで見下ろした視線で、 次のシーズンには、引退した彼に代わり、同じ背番号を付けた別人が グランドを走り廻るだろうと歌っています。 「永久欠番」として、その存在を語り継がれるのもいいですが、 自分の背番号を引き継いでくれる人がいるというのはうれしいですね。 その人が私のことを知らなかったとしても。 ま、私も誰かの背番号を引き継いでいるわけですが。 天童荒太さん、直木賞受賞おめでとうございます。 この本が多くの人に読んでもらえることを願っています。 父の死がこの本、このテーマに向かい合わせてくれたことに感謝してます。 今、私は「包帯クラブ」を読み始めています。読む順番、逆のようですね。 | ||||
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天童荒太はどこへ行くのかというようなことが、確かどこかの書評に書いてあった。彼のファンとして「包帯クラブ」に通じるものが感じられはしたが、もっとずっと重く明るさというか、展望がないところがとてもきつい。 「悼む人」はやっぱり本の最後はこういう終わり方だろうなと思う通りだし、倖世との関係もこうなるしかないだろうし・・・自分は絶対に「悼む人」のようには生きられないし、「悼む人」が世界に広がることは不可能に近いだろうし・・・ 天童荒太の作品は、宗教的な部分があっても最終的に宗教にならないところが好きなのだが、どうやって消化していこうか考えてしまう。「悼む人」の「悼み」が個人的なものであるのだから、「悼み」の仕方はそれぞれ個人で良いとする、自分の「悼み」の仕方を生きる中で思索していくことなのかなと・・・それでは浅いというか何というか・・・天童さんあなたは本当にどこに行くのでしょうか? そんなことを考えさせてしまうという意味でも読んでみるべき本だとは思います。 | ||||
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静かに、淡々と物語りは進みます。真摯に深く心に残ります。 丁寧に書かれてあります。サクッといけます! 《でも、むずかしいぃ。…かった。》 読み進めるのが、怖いくらいのエピソードも、あります。 「もう、いいよ。」聞きたくない。と、思ったモノ。 悼む人 = 坂築静人 のお話。 〜その人は、誰を愛したのでしょうか。 誰に愛されていたのでしょうか。 どんなことをして、人に感謝されたことがあったのでしょうか。〜 静人自身が報道等で知り得た亡くなられた方のいる場所での【悼み】 【悼み】の際、付近の方々に故人の生前を尋ねる時の台詞。 時には、厄介がられ。また、あり難がれ。警察に保護されながらも。 続ける【悼み】全国各地、近くを通れば同じ場所をも【悼む】 毎日【悼む】記録する→覚えておく【悼み】 悼み続けて、やめることができないでいる感、でした。 ココを考えると、静人への理解がいろいろ分かれるんじゃないかと。 感じております。 【悼み】続ける強い理由や、目的は、みあたらない。 身近な【死】【無】の積み重ね。なのか…。 でもね、続けるコトが静人の【生】なんだ…。 ○末期がんの母 = 坂築巡子 の章は、安心して、浸っていられる場所でした。 ○共に歩く女 = 奈義倖世 情があるというコトはすなわち【愛】なんだと、しみじみ想い。 そして、いろいろな【表現】を確認し。 人は【愛】を求めている。と、感じました。 【生】【死】についてはフト立ち止まる時があります。 想う、想い続けるきっかけになる本ではないのかと思います。 折々に、【悼む人】を、想いだしていくコトになるのでしょうね。 と、感じております。 《静人だったら…。と…。》 | ||||
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テーマが壮大すぎてまだ頭がごちゃごちゃしてますが、 ひょっとしたら人生観を変える本になるかもしれない と思ってます。 人は絶対死ぬし、大切な人の死、自分の死も決して 避けて通れるものではないけど、静人のお母さんの様に 最後まで人を気遣う事を忘れずに明るく生きていけたら 素敵だなと思いました。 静人の様に、自分と無関係な人の生死に関心を持って悼み続ける 何て事は普通の人には無理だと思うけど、とにかく他人も自分と同じ たった1人しかいない人間なんだって事を忘れずに、尊重して生きて 行くことが大事だって事を教えられた気がします。 | ||||
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全編に貫かれているのは、人間の生と死に対する作者の想い。人間の尊厳の存在を確かめているように、時に創造しているように、さまざまな角度から、ひとつの深遠なテーマに切り込む。 ライター蒔野は、死や暴力、愛憎などばかり求めるような、浅はかな読者の心を掴むよう、時に人権を軽視したような演出や、捏造とも思える記事を書き、書かれた人間を傷つけ、また自分自身にも、世の中も憤る日々の中、主人公静人と出会う。その静人の母、巡子は、末期の癌を得、残された日々の中、静人の真意に思いを巡らし、また、自分の死、周りに残される人達にとっての自分の死、静人が放つ波紋に向き合う。夫を殺した倖世は、殺した夫の亡霊に取り付かれたまま、絶望の中、夫を殺した現場で「悼み」を行う静人と出会う。 特別では無い死は無い。誰しも多かれ少なかれ愛し愛された経験があり、誰からも忘れ去られてしまっても良い存在では無い。また、誰しも自分が忘れられてしまうことを望んでいない。平凡な日常では忘れ去られているか、経験したものにとっては深く心の傷となったり、押し殺してきたような現実を、はっきりとしたテーマで書いているが、深遠なテーマゆえか、答えははっきりとは導かれるわけではない。それでも、8年もの長期間を掛け、実際に作者本人が「悼み」を行い続け書かれた、とてもよい、と思える作品でした。 | ||||
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全国各地の事件や事故死の現場を訪れ、死者を悼む放浪の旅を 続ける男性を中心に、彼の家族、彼に接することで変わっていく雑誌記者や、 彼とともに歩き続ける夫殺しの過去を持つ女性の姿などを描いた小説。 読み終えた時に「本当にこんな人がいたらなあ」と思わずにはいられなかった。 不慮の死の瞬間、人はとても怖く寂しくどうしようもない孤独感に襲われるだろう。 このまま消えてしまうのか、と。でも、こうしてこのまま消えても きっと誰かが、自分の存在を、 自分がこの世に存在し、何事かを為したという事実を覚えてくれているという 安心感があったとしたら… 人の死に軽重をつける、時が経つほどに人は他人の死を何事もなかったかのように 忘れていってしまう… 人はだいたいいつか死ぬ生き物だし、 そもそも一人一人の他人の死について考えてなんていたら自分が生きていけないし… そう考えるのが当たり前なんだろうけど、 はたして本当にそう片付けるだけでいいのだろうかとつい考えてしまった。 「人の死に少し思いを馳せることで、命の重さのバランスが 変わっていくはずだ。」作者が言っていた言葉が、印象に残る。 重いテーマではあるし、そういうのは好きじゃないという人もいると思いますが 個人的にはやはり人に読むことを薦めたくなる本です。 | ||||
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「悼む人」=静人のキャラクターは、次第に掘り下げられていって良かった。非常にうさんくさい人物が、読むにつれどんどん純化されていくような気がした。周囲の者達が静人を胡乱な目で見、挑発し、遠ざけようとする。 ただ、作者自身の祈りに似たような気持ちが強すぎて、不純な私は少し鼻白む思いだった。ストーリーも登場人物も、どんどん純化されていきすぎる。これでは私のように取り残される読者もいるだろう。 登場人物達の名前が、あまり周囲にいそうにないのは、作者の誰をも傷つけたくないという気持ちが反映されたものだろう。だが、原罪という言葉を持ち出すまでもなく、他者を踏みつけにして生きている自分と折り合いをつけなければ、世の中のすべての人が静人みたいな廃人になってしまう。「包帯クラブ」から一歩進んだこの路線は、いったん見直してほしい。このままだと天童さん、あっち側へ行っちゃいそう。 | ||||
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その人は誰を愛しましたか。 その人は誰に愛されましたか。 その人は誰に何をして感謝されましたか。 この物語は、 家族の物語であり、 愛の物語である。 作者が一貫して書き続けてきた、 人間そのものの愛が描かれている。 構想、執筆開始から8年の歳月をかけて、 書かれたこの作品は、 登場人物すべてに愛情が注がれ、 表面的で、一面的なつくられた人間は出てこない。 裏も、表も、 人間の描きたくない負の恥部までが描かれ、 立体的な人間たちの姿が浮かび上がってくる。 人は誰も、 人に嫌われたいとか、 よこしまなもばかりではない。 できることなら好かれたいだろうし、 自分だって、愛したい。 けれど、 そんなに簡単に、 器用にできるわけでもない。 そんなとき、 ただ、悲しい。 その悲しみを深く追求し、 あえてなお、 生きることを勇気や、強さでくくらない、 作者の優しさと、厳しさを感じる。 “悼む人”とは、 すべての死んだ人を悼もうと、 日本を旅する一人の男のこと。 冥福を祈るのでも、 故人をしのぶのでもない、 ただ、悼むだけ。 物語は、 彼のことを語る3人の人物によって進められる。 母と、 彼とであったフリーライターの男と、 夫を殺した罪で出所した女。 彼自身の心の内は、 語られない。 どれも、彼が交わした会話の中からしかわからない。 それだけに、 彼を負の存在と捉える面もあれば、 聖なるものだと見える部分もある。 読後感として、 人の死というものへの意識が、 少しは変わったかもしれない。 それは当然、 人の生への意識の変化でもあるだろうと、 思う。 | ||||
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読み進むうちに1人のミュージシャンの楽曲と一本の映画の台詞、そして1人の人物を想起した。『永久欠番』(中島みゆき)、“多勢を殺すことが英雄で1人を殺すことは何故罪なのか”(C.チャプリン−殺人狂時代)、そして筑紫哲也さん。 主人公は自らとは直接に関係のない“他人(この場合はヒトと読むべきである)”の死の場面に自らの足を向け、その姿は周囲から奇行として映り反発を呼ぶ。新聞に例えるなら小さなベタ記事、或いは扱われないかもしれない小さな事実。けれども主人公が向き合うのは物語としての“生と死”であり、死者とその人に関係のある人との間の物語である。“命に軽重はない”とはいうものの、大きな事故や著名な人物の死は大きく扱われる。けれど一方で日常どこかで起き続けているはずの、語弊があるかもしれないが、普通の死との扱いには大きな隔たりがある。それほどに命の重さには違いがあるのか、著者の問いかけに応える術があると私には自信をもってはいえない。少なくとも当事者にとっては“かけがえのない人物”が目の前から姿を消してしまっても、世間は普通に時を刻んでいく。自らの中では時が止まったままで周囲の時は動いていく。こんな理不尽で残酷な物語も他にはない。最初に掲げた2つの作品と1人の人物は、最後までこの『小さな物語』の累積から眼を離していない。むしろ小さな物語の累積=人間の物語としてとらえることで『生』があることを語っている。スピリチュアルが時代の雰囲気として耳目を集める中、何もそうした流れは精神世界論の専売特許でもない。キリスト教や仏教、西洋哲学史の中に脈々として受け継がれてきたDNAでもある。『死』という事実に向き合うことの意味、そして言葉では言い尽くすことの困難な状況に向けられる著者の眼差しからは『物語としての命』を素直に感じ取ることができた。 | ||||
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凶悪事件の報道を見るたびに、心が千々に乱れていた。 自分の中で処理しきれずに、泣き崩れ、寝込んでしまうこともあった。 だから、この本は、他人事のようには読めないのです。 私も、『悼む人』として生きたい。 それが偽善であるか、どうかは別として。 また、主人公の静人のような徹底した『悼み』を行えるわけではなく、 巡礼の旅にでるわけにもいかないけれど。 人の死を悼む心を持ち続けたい。 毎日、祈りたい。 私にとっては「小説」というより、「生き方」の本でした。 一人でも多くの方に読んでいただいて、何かを感じ、何かを考えてほしい本です。 | ||||
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天童荒太氏の8年ぶりの長編だ。本書の主人公静人は、ある出来事から心理的な葛藤を起こし、全国津々浦々をまわりあらゆる死を悼む旅をするようになる。そしていつしか悼む人と呼ばれる。本書の中には数十の死を悼む主人公の行いが描かれる。とにかく死が連続する。 その悼みの中で、賛同者として新聞記者、心を痛めた女性が共感をする。静人の家族も辛い思いの中で静人を思い出す。400ページを悠に超える大長編の死と生、そして愛についての物語を読み進める中で、いつしか自分の家族、仲間などを思い浮かべていた。 物語は死の連続が、いつしか凝縮した愛に変わっていく。 当たり前ですが、天童さんが8年間想いを込めてつくった作品、笑ったり、ホロリとする中で一気に読み終えます。 | ||||
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あまりに大きく重いいテーマである「死」、著者は7年という歳月を掛け向き合った渾身の作品だ。読み終わった後には、虚無感ともいえる思いが沸き起こったのは、決して私だけではあるまい。恵まれた人間ほど、己がどれほどに幸福かを知らない。「死」という誰もがいつかは直面することを、私たちは向き合うことなく、いや向き合いたくないがために目をそむけ生活している。著者は、「死」という決して避けて通ることのできないテーマを眼前に壁の如く建立させているかのようだ。猟奇殺人、事故、自殺身近で起こるさまざまな「死」を、あたかも遠い世界で起きた事のように歯牙にもかけない己たちの愚かさを痛感せずにはいられない。著者は、改めて「人の命の尊さ」「死後」を作品を通じて問うているのではと考える。読後に虚無感と同時に胸にこみ上げてきた何か。改めて、「人の命の重さとは」を問う日々はしばらく続きそうである。 | ||||
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事件、事故、病気、亡くなった人を訪ねて故人を知る人に「その人は、誰に愛 されたのでしょうか。誰を愛していたのでしょう。どんなことをして、人に感謝 されたことがあったでしょうか」と聞いて回っては、故人を忘れないよう胸に刻 み込み、死者を「悼む人」の旅路を縦糸に、彼の帰りを待つ母親のがん闘病を 横糸に物語は彼と関わる人の視点で淡々と進んでいきます。死者を悼みながら旅 を続ける主人公の奇妙な言動は人々を戸惑わせ、いらだたせ、また癒します。 なぜ彼は死者を悼む旅を続けるのか?その原因は読み進むうちに徐々に明らかに なっていきます。しかし、その行為は何を意味するのかは明確に語られません。 彼の対極として描かれる雑誌記者、愛する人を殺した女性を通して語られるその 意味もひとつの解釈であり、解答ではない気がします。 本作品は生と死といった非常に難解なテーマをシンプルに語っているので、 読者がどの段階にあってもよく分かるようにやさしく書かれています。それゆえ 誰でも、彼をどうとらえるか、死とは何か、生きる意味、死者を悼む意味について 考えることができます。誰でも読めて、読む人によって、読む時期によっても 解釈が異なる。これは漫画というやさしいメディアを使って難解なテーマを表現 した手塚治虫に通ずるものがあるように感じました。 読者の数だけ「悼む人」はいるのだと思います。 | ||||
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