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悼む人
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悼む人の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.03pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全114件 61~80 4/6ページ
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残虐な殺人事件がある度にいつも思う。あぁ、この犯人は人に愛されたり感謝されたりしたことがなかったのだなと。自分の命が周囲にとっていかに重要な意味を持っているか知っていれば、他人の生命を奪うなど、自分の命を引き替えにする覚悟がある場合以外にはそうそうできるものではない。生命というのは一般的には思考や感情や心臓の鼓動などの集合体であるわけだが、それらは肉体の死と同時に消滅してしまう特性を持つ。しかし、実は生命というのはこのような自己から発せられる要素だけではなく、周囲の記憶によって支えられている部分が非常に大きい。早世した私の友人たちはいまも私の心の中で生き続けている。それは彼らが生きていた頃よりもかえって鮮明ですらある。愛したり感謝したりした記憶は対象の生命とは独立して生き続ける。命とは記憶であり、悼む人は自分の母の命を顧みることすら諦めて無縁の死者に命を与え続けた人として無限の価値を持つ。 | ||||
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天童荒太さんの作品は初めて読みました。 読むきっかけは作品の直木賞受賞です。 何も情報を持たずに読み始めたので、 最初に本の最後の参考文献を見ると 「がん」に関するものばかりで、 重いテーマの作品だったのかと 驚きました。 ストーリーは読者をひきつけるように ドラマのように、飽きないように できています。 でも、テーマはとても重いです。 そこが優れている点なのでしょう。 途中、性的描写や暴力の描写があり、 読んだことを後悔しかけたときもありました。 しかし、物語の最後の章は 私はずっと泣きながら読みました。 もし、大切な人を病気で亡くした経験のある方なら 天童さんの取材力はすばらしいとすぐわかるでしょう。 当事者や家族の心の中もよく理解してあるのもわかるでしょう。 きっと天童さんもそのような経験があるのだろうとわかるでしょう。 さらに私は大切な人を亡くした時を思い返し、 今更に教えられたこともありました。そしてとても救われました。 人の死(生・愛)について、色々な考えを持った人たちが この世の中で生きています。 でも、作品の中である登場人物が 別人のように変わった (変わったのでなく誰でも元々持っている部分があらわれただけでしょうが)ように、 この作品を読んだ人もきっと何かの影響を受けるでしょう。 このようなテーマの作品が多くの人に読まれることは よいことだと思います。 人の生死のまわりにあるものとして、 人の死を読み物にする週刊誌や、 弱い立場にある被害者や、 警察の問題や、 医療の問題(医師の過労働や…)なども出てきます。 あと愛についてもよく説いている気がしました。 執着や依存を愛だと思ってしまうことは、 私も過去に経験しました。 ある登場人物の 「自分が少しくらい損をしても 相手のために何かをしたいのなら それは愛」 というようなセリフが とてもわかりやすかったです。 | ||||
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ある評論家が生涯読んできた本で1番良かったと言っていたので、 読みました。だって1番良いって凄くないですか? で、とても感動しました。 全編を通して、色々な死に方をした人が出てくるのですが、 主人公のように、只家族がそこにそろって、食卓を囲んでいられることが どんなに幸せなことなんだろうと、つくづく感じることの出来る 作品でした。(人の死って、事故って、本当にあらゆるところに転がっている物だから) ここまで、ボリュームのある作品を読んだのは、何年ぶりという感じでしたが、 ほんとにあっという間に読ませるのは、凄いと思う。 一生のうちで、必ず読んで欲しい本です。 | ||||
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一気に読みました。 『悼む人』静人が主人公のなのだが、雑誌記者、母親、出所した倖世の三人の物語として語られる構成。が、物語は複雑ではなくリアルで読みやすかった。 『悼む人』とは何か? に興味を引かれたて読んだが、読了後もいまいち悼むことの意味が理解できないでいる。人の死が軽く扱われる、人間関係が希薄な現代社会への警鐘として読めばいいのか。ちょっと分からなかった。 『悼む』旅を続ける静人が倖世と関係を持った後、それが現実社会へ戻るきっかけになるのかとも思ったが……、そうならなかったし、人の死を忘れることはそれはそれで生きて行く上では必要なことにも思えるのだが……。考えさせられる物語だった。 | ||||
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「悼む」という言葉に、何かハッとさせられた気がしました。読み初めるとやはり「悼む人」の存在に、今の私たちが無意識に心の中で抑え殺してごまかしていたものを突き付けられているのを感しました。私は彼の「悼む」という行為ほど、死の根本の部分を見つめた、死に対して正直な向き合い方は無いと思います。「悼む」という行為を目の当たりにしては、人類が文化を作り、神仏を作り、文明を作ってきた中での、特には私の生きてきた今の日本を見ても、その死に対する向き合い方には不自然さというか、何か取り繕ったような気持ち悪さを感じずにはいられないです。社会の中で人は何か適当な理屈を集団で信じ込むことで安心感を得てきたのでしょうが、科学の進歩が著しい現在においても、未だ人類が乗り越えられない死というテーマに、周りに流されずこれほど正直に向かい合って、答えを求めて必死にもがいている姿には、本当に何かを気付かされる思いがしました。そして、彼のその姿を映した奇異の目こそが、常識や外聞にがんじがらめにされている私たちの姿なのだとハッとしました。そういった意味で、この作品では「悼む人」という存在そのものが一種の問い掛けであって、それを表現しようとしたことにこの作品の意義があったと私は感じました。一方で、このように感じながらこの作品を読んだ私としては彼の家族や奈義倖世などのエピソードには蛇足と感じる部分が多かったです。登場人物の彼らの思考や台詞に、「悼む人」に対する解釈をある程度強制されているように感じてしまうところがありました。「悼む人」ほど鋭い問い掛けを生み出しておきながら、著者の方からその答えを主張するというのは、気持ちはわかりますがあまり美しいとは思えないですし、ありきたりになってしまってもったいないと感じたので、その分で星は4つです。 | ||||
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最近、○○第一位といったキャッチコピーにつられて何冊かの本を読んできましたが、それなりに楽しめたものの、何か満たされず読後も時間を無駄にしたような気持ちで本を置くことが続いていました。本の選択方法が誤っているのではと考え、このアマゾンのレビューをもとに今回この本を選びました。久しぶりに感動しました、本を読むことの素晴らしさを改めて実感した次第です。読んでいて素直な気持ちで涙しました。このような本を世に送り出した作者に感謝の気持ちで一杯です。 | ||||
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この本のレビューには相当悩みました。 人は必ず死にます。でも、どんな形でどの様に最後を迎えるかは誰もわかりません。 人は一人では生きていません。 必ず周りにはその人を知る人、その人を愛した人がいます。 悼む:人の死を嘆き悲しむ。 何か特に結論じみた事を書いている本ではありません。 自分の事を思ってくれる人がいて、相手の事を思う人がいる。 この本を読んだ人には、この温かい気持ちを思い起こさせてくれる本です。 | ||||
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今なら本屋に平積みされているでしょう。直木賞を取りましたし。 僕は今までこういう賞を取った作品を単行本で買うということはまずしませんでした。なぜって・・・時間がもったいないからです。 年月も経ずに評価も定まっていない本をわざわざ高いお金を出して買った挙句に、駄作だと目も当てられませんし。そんなことになるくらいなら同じ古典を3回読んだほうがマシです。 もともと天童荒太は知っていましたし、「永遠の仔」も読んでましたので、興味はありました。ただ、単行本で早い時期に読みたいと思ったのは、この作者が7年の歳月をこの作品にかけたと知ったからです。それほどの時間をかけた作品とはどんなものだろうという好奇心で思い切って買ってみました。 ・・・・・魂がふるえました。深く心に刻まれるという点では名作といっていいのではないでしょうか。死という重いテーマをここまで真正面から扱うというのがどれほど大変か、到底僕には計り知れませんが、作者の込めたメッセージは受け止めることができたように思います。本当にこの本に出会ってよかった。ただし、読んでいる時は正直先に進むのがつらいところもありました。こんな読書体験はほとんど記憶がありません。 今の悩みは、自分の子供がいくつになった時にこの本を読ませればいいかということですね。中学生でもちょっと無理かな・・・。親や家内にはすぐにでも読むように薦めるつもりです。 こういう出会いがあるから読書はやめられない。昨今の芥川賞、直木賞受賞作はどうせ駄作、という偏見も改めた方がいいのかもしれませんね。 | ||||
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天童荒太の作品は初めて読んだ。 ところどころ、現実離れした感が否めない設定と感じたものの、 作者が何を伝えたいか、何を想っているのかは感じ取れた気がする。 力強い表現とテンポの良さに疲れも知らず一気に読めた。 自身は、まだ身近な人の「死」を経験していない。だが、 毎日毎日、どこかで誰かが、色々な形で「死」を迎えている。 そのほとんどを、我々はメディアを通して知る。 「年齢」や「職業」、「数」に分類された現実味のない情報として。 生きとし生けるもの、いつか必ず訪れる「死」に鈍化した我々に警鐘をならし、 「死」を身近なものとして感じさせる、衝撃的な作品と感じた。 親の「死」を身近に感じ、人の親となった今、この本に出会えたことに 縁を感じる。この本に出会えたことに感謝する。 他の天童作品も読んでみたくなった。 | ||||
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人の死に視点をあて、世の中が他人に対して無関心になってきたことへの一面を書き上げた作品。読んでいく中で悼む人の心情・所作に不思議さを感じ入り込んでいく。雑誌記者の死の直前の人の死の描写は目の前で自分が体験しているかのように鮮明に映っていく。自分自身、死の直前には自分を忘れることのない人を求めるのだろうかと考えてしまう。 但し、終盤に書かれた一緒に旅をする女性との容易に想像できる交わりと、母の旅立ちとなる死の描写は現実に引き戻されて少し物足りなさを感じた。 自殺、孤独死。人への無関心も関係があるのだろうか。 | ||||
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悼む人・・・彼のやっていることが死者にとって喜びになるかどうかは今の私にはわかりません。 この世の生を終え、自分が「悼まれる人」になった時にしかその答えはでないでしょうね。 自分が死んでも誰かに自分の存在を覚えておいてほしい。 でも、それが見ず知らずの人となると・・・・・ちょっと違うような。 かたくなに物事の一面だけをみて悼んでいる静人には違和感を覚えます。 自分の知らない誰かにまでも無償の悼むなんて一人間にできることではない。 唯一、これが許されるのは神だけではないでしょうか。 私には静人のようなことはできない。 でも、せめて自分のまわりの人の死は心から悼める人になろう。 生きてる者にとっても、死んだ者にとっても、それだけで十分なんじゃないのかなぁ。 静人の旅にはたして終わりはあるのでしょうか・・・。 むしろ私は静人の生き方よりも、巡子の旅立ちのほうに心を動かされました。 | ||||
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主人公の行う悼みの儀式については賛否両論あるかとおもいますが、亡くなつた人を忘れない でいてあげる事はとても大事なのではないかと感じました。 | ||||
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親族以外の死を体験していない人には難しい内容だと思う。 人とは、自分とはを問われている気がした。 主人公の静人が、悼む行為を自分なりに受け入れていく過程は、生きていく上で誰もが感じていることのように思えた。 1度読んだだけでは、自分の中に取り込めないのが実感。しまたしばらくしてまた読んでみたい。 | ||||
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本に出会うのも「縁」だと思う。 ふと手にした本がこの「悼む人」だった。 天童作品は初めて読んだ。 読み始めて心にわき起こるさざ波をいかんともしがたく動揺した。 死を悼む青年とその家族、そして縁した2人の人物も青年の「死を悼む」行為に心を揺らした。 青年は「死を悼む」旅の中で、その人がどんな状況で亡くなったかと言うことではなく「誰を愛し、誰に愛され、どんなことで感謝されたか」が人の生きた証であると思い至る。 全ての虚飾を、見栄を取り払い、唯一残されたその人の生きた証。 その人はその人に縁する人にとって「特別」な唯一無二の存在であり、そのことに触れることで「生きていた一人の人」として心に刻まれてゆく。 青年の家族(主に母)の生き様、青年に出会い、心をかき乱されながら自らの心に素直になっていく人たち。 読後感は複雑で、すっきりとはしません。 なんで・・と思える場面も多々あります。 けれども、読んでよかった。 きっと今この本に出会ったことはとても大切なことだと思える1冊です。 | ||||
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天童さんの作品を読むのは「永遠の仔」以来である。その作品を凄かった。 人間のもつ多様で多元な性質とでも呼ぶのであろう人間性をこれでもかというほどに綴っていた様に記憶している。 本作品は生老病死の物語であるのだけれど、文末に置かれている参考文献でふと僕は気がついた。文献、映像とあり、最後に展示とある。その展示の項目に置かれているのが「生命のメッセージ展in 早稲田大学」2004年である。これは現在も続けられていて、僕も拝見させていただいた。交通事故や事件と言った不条理とでも言ってよいであろう文脈の中で亡くなって言った人々の記録であり、想い出であり、記憶なのである。 悼む人のゴールは何処なのか分からない、しかし、「亡くなった人は誰に愛され、誰を愛して、そしてどんなことで人に感謝されたのでしょうか」その本質こそが人が人である理由なのでしょう。 生老病死が循環する時間の中で回り続ける、そして人の心の中で人はまた生き続けるのだろう。自然となぜか涙が落ちる、そんな愛のものがたりである。 | ||||
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何より静人の母、巡子の末期がんの闘病の様子に非常に心打たれました。 ラスト近くでの巡子の言葉1つ1つの重さや、壮絶な闘病の描写は著者の筆力の賜物ですが、そこに子を宿した娘:美汐の出産への道のりが交差することで、「生命」の存在がより鮮烈なものとなり、読者により深く考えさせる結果となったと思います。 また、巡子の夫:慶彦の最後の方での言葉、行動は、涙を誘います。 この小説の主要人物である静人に関しては、正直な所、いまだにどう解釈すればいいのかわかりません。そのため前半は特に、ページをめくる手が進みませんでした(決して著者の筆力がないわけではありません。むしろ無駄のない文章を書いている印象があります)。 しかし巡子のくだりがラストに来ていたことと、巡子の静人への思いが伝わってきたのもあり、「生」と「死」、そして人と人の繋がりについて、自分なりに考えるきっかけとなりました。読了した今、心にいい重みが残っています。 | ||||
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「人はいつ死ぬと思う?、人に忘れられた時さ」(大意) あるマンガのキャラクターが、そう言って死んだのを覚えている。人間誰しも、生物学的には いつか死ぬ、絶対的に。しかし、ただ死といっても、誰かに悼まれる死と、誰にも悼まれない 死というものがある。それは、死後も墓石やどこかの書類に名前が記録されるとか、そういう 問題ではない。そうではなく、真の意味で他人の心の内にその人がこの世を生きていたという 証、刻印がされるかどうかということだ。もしかして、誰にも生きていたことを覚えてもらえない 人もいるのではないか。静人はそんな不安に駆られ、強迫的に日本を旅し続つづける・・・。 登場人物の中には、そんな彼の営みを否定する者も出てくる。それはまるで読者の代弁をし ているようだ。読んでいて、悼む人に薪野のように反感を持ったり、心揺さぶられるのは、僕 ら読者それぞれがこの作品を通して、それぞれの死生観と向き合わざるを得ないからだろう。 そもそも人生の意味なんて、某氏が愛を「執着」と喝破したように、「無」に等しいのかもし れない。でもそれを、あえて意味づけること。「誰を愛し、誰に愛され、どんなことをして誰 に感謝されたか」を知ることを通して、その人の人生を物語化するという死生観を示したこと は、この小説のなした大切な仕事なのかもしれない。 「悼む意味」を問われた時、静人はいつも自嘲気味に「自己満足」と口にする。誰に強要する でもないその生き方は、未だ完結しない彼だけの「答え」だ。それは、考え方が多様化した現 代の海に投げ込まれたところで、すぐに飲み込まれるものなのかもしれない。でもその未完成 の答えによって、今まさに死に瀕している人、死におびえてる人たちが、暗闇で見つけた灯台 の明かりのように癒されるというのも、また事実なのだ。 | ||||
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私は、殺人や汚職などの事件報道をテレビで流すことに従事しています。この本の主人公は、私や私の同僚らがつくったニュースを情報源にして、「悼む」行為をしています。 実は私はまだ2章までしか読んでいません。1行、1ページが頭をしびれさせます。とても疲労します。日々悩みながらもそこから逃げている、さまざまな問題を明瞭にするよう迫られます。日々行っている仕事の意味を考えなおさざるを得ません。 「現実はこんな風ではないのに」という違和感は多少あります。メディアの取材手法とか、記者の心象風景とか。しかし、それを超えてあまりある迫真性と意外性が、創作されたエピソードに盛り込まれています。 著者は数年かけて、この本を書いたということです。スニーカーをはく主人公の歩みも極めて遅いです。私は本を読むのが早い方ですが、この本に限っては、数ヶ月、数週間はかけて読みたいです。 | ||||
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著者の「永遠の仔」はこれまで読んだ本の中でも最上位に入る読み応えのある本だった。寡作で知られる作家の久しぶりの新刊であり、直木賞受賞作品であるということで手に取った。 前もって死を扱う暗くて重い小説だろうと覚悟はしていたが、想像以上に心が揺さぶられ、ページをめくる手が重くなるようなストーリーだった。 死んだ人の亡くなった場所を訪れ「悼み」を続ける主人公「静人」の周りには、それを否定する人、共感する人、見守る父母など多くの人がおり、主人公の行動を理解しようと苦しむ。 著者は読者にも「悼む人」をどう思うかと問うているように思えた。最初は「気持ちが悪い、重い」という否定的な感情、「それも一つの生き方で大切なこと」という肯定的な感情、本を読みながら様々な感情が生まれ、読者もまた小説世界の登場人物として「悼む人」に接しているような感覚になる本であった。 | ||||
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自殺する代わりに他人の死を悼む。 自分にはとうてい出来ないことだ。 そのために行脚に似た行動も出来そうにない。 自己犠牲の究極なのかもしれないけれども、どう考えても信じられないし、現実味がない。 でも、そう信じさせる文章力は恐ろしいものだ。 | ||||
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