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悪魔の手毬唄
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【この小説が収録されている参考書籍】
悪魔の手毬唄の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.29pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全58件 41~58 3/3ページ
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色々な出来事が起きるが、最後の30ページくらいで、バラバラだった出来事が一気に一本の線に繋がった。横溝先生、さすがです。 人にはそれぞれコンプレックスがあり、それが色々な事に影響しているんですね。自分で意識していなくても、それが自分の生活や性格に大きな影響を及ぼしている。そんなことを、改めて実感させられる一冊でした。 | ||||
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昭和52年に犬神家の一族を筆頭に横溝正史の大ブームが起こった。この漫画はその当時に発刊され“「恐怖新聞」の”つのだじろうの筆によるものだったからホラー漫画として取り扱われたのではないかと思う。 原作を昭和50年代後半に移して鬼首(おにこうべ)村出身の3人の娘が(何とトップレスの!)オカルトポップスグループとして故郷に凱旋して、あとは原作をご存知の方は察してられる通りの事件が起こるわけである。意外にも横溝正史の描く詩情あふれる日本の原風景はそのまま損なわれることなく描かれている。 星五つとしたが実は重要な欠点がひとつある。恐怖である。 オカルトソングを歌うという設定がある。もちろん横溝作品の恐ろしさを漫画で表現する上で工夫をした結果と思うが、大人からすれば横溝作品のほうが怖い。その理由が難しいのだけれども。殺人が起こる蓋然性に起因するのかなあ。残忍さは原作以上だけれども大人に伝わる怖さがないのは残念。 解説の二階堂黎人氏は1959年東京生まれということで本作が出版されたころは中学生だろうか。きちんとつのだじろうの解説をされています。 | ||||
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『サンショウウオが○○に効く』なんて、作中ではそんな事は書いてない。 あれは市川崑監督の映画の中で言っていることで、作中では『○○がつく』と書いてある。 もちろんどちらも何の根拠もない俗説ですが、映画がヒットしたお蔭でそう信じている人が沢山いるらしい。 | ||||
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市川崑監督で製作された映画のイメージから、犯人の悲劇性が印象深いようですが、実際には、原作はずいぶん説明不足のところがあって(きちんと説明するとすぐに犯人がバレるからだと横溝さん自信が言い訳してます)、映画がそれをカバーしてますね。 本作の売りになってる見立て殺人にしても、獄門島や犬神家の一族に比べると必然性、つまり、何故犯人がそんなことをわざわざしたか、それをすることによって犯人に何らかの利益があったか、には無理があります。それどころか、犯人が無理に見立てにこだわったために致命的なエラーをしてしまい、かなり早い段階で金田一さんに見抜かれてしまってます。だから、この作品の肝は見立て殺人ではなく、20年前の殺人事件の真相の方にあると思います。それがわからなかったからこそ、金田一さんも犯人を見抜いていたにもかかわらず警察にそれを指摘できなかったので(ちょっと苦しいかな?)。 もう一つ、私が本作を評価しているのは、私が初めて読んだ横溝作品というからだけでなく、登場人物のキャラクターについてかなり細かい点まできちんと書いている点に好感が持てるからです。それこそ、絶対この人は犯人ではあり得ないというくらいの脇役まで、どういう人物かということをわざわざ筆をさいて説明してます(本多先生の息子の嫁さんとか)。その割には、磯川警部があの女性を愛していたというのを私は最後までわかりませんでしたけど。 というわけで、この作品はどこに評価点を見出すかで傑作か凡作かが決まります。人により、評価が分かれるとしたらそれが理由でしょうね。 | ||||
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見立て殺人という、「無理」を「合理」にするのにさまざまな推理作家が試みて、多くは失敗している。 その中で、この作品は珍しく成功の部類に入れてよいと思う。 結末まで続く気味の悪さは格別だが、最後はホロッとさせられるような落ちとなる。 まとめかたも良いと思う | ||||
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初めて読む横溝正史の作品。 これまで、(少し前の)日本人作家のミステリを読むことは、敢えて避けてきたが、ヴァン・ダインの『僧正殺人事件』での巻末の解説に名前があったので、試しに読んでみた。表現や、細部でのやや荒っぽい所(つまり、最近の作品のようなある意味での神経質さは感じられない)など、そういった所はどうしてもめにつく所はある。ただ、そういった枝葉について気にしなければ、物語としては、文句無しで面白いと思う。こういった以上とも言える世界を作り、その中で展開していく物語、というパターンは今もよく見られる。その意味で、この作品は、現在でも十分に通じるものを持っていると思う。 個人的な好みをいうならば、作者も力を注いだ童謡、すなわち、手毬唄(巻頭にあるため読者は見ることが出来る)を、物語内でももっと早く登場させた方が面白いように思う。『僧正ー』では、マザーグースを通じて、殺人者の不気味な意志を感じることが出来た。今作でも、同様の効果を得られたと思う。 また、この出版芸術社の選集では、本編に加えて、どういった経緯で本作が書かれたかなどの、解説というか補足的な情報もあるので、そちらも面白いかもしれない。 | ||||
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はっきり言って、もう「古典」であろう。映画を見てそれでおしまい、という人も多いのではないか。それではかなりもったいないと思うので、あえて書く。レビュアーは本格の愛好家が多いようだが、あれこれ突っ込みどころはあっても面白いよ、これ。もうこういう雰囲気を出せる作家は出ないだろう。本読みがいる限り消滅することはないと思うが、あまりにもマニアックなレビューが多いので心配になった。映画は、できたら昔のヤツ(岸恵子さんが出る方ね)を見て、それから原作も読もうね。 | ||||
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本書は昭和32年〜34年にかけて執筆された、作者「最後の傑作」であり、以後の作者の作品には傑作と呼べる作品はない。 作者はヴァン・ダインの『僧正殺人事件』のような童謡殺人を書きたくて、かつて『獄門島』を書いて作品については満足したが、「童謡殺人事件という意味では、わたしはまだまだ物足りない思いをもっていた」とのことで、深沢七郎の『楢山節考』をヒントに、ストーリーに合う手毬唄を創作して組み立てたのが本書であるということが、旧版巻末の解説に記されている。 そうして完成した本書は、文字通り「手毬唄」のとおりに殺人が起きる作品で、いくつも交錯する謎、作品全体に漂う不気味なムード、構成の見事さ、謎解きの論理のいずれにおいても、過去の名作群にひけをとらない出来映えである。 とくに泰子殺しの際、滝つぼに置かれていた枡と漏斗から犯人に見当をつけたという金田一の推理には、非常に感心した。 ただ、それだけに、逆にその後に続く連続殺人を阻止しなかった金田一の行動には納得できない。一言、「念のために、○○に見張りをつけてください」と警察に頼むだけで間に合ったはずである。 それと、本書は細かな部分できめ細かさに欠けている。 泰子殺しの際、泰子と「おりん」は桜の大師の裏側を通る間道を、金田一と磯川警部は表側を通る本道を歩いていたのに、「もう少し足をはやめていたら、泰子と老婆に出会っていたかもしれない」との矛盾する記載が見られる。 他にも、辰蔵が「なぜ六道の辻から、桜の大師のうらへ通ずる間道を利用しなかったのか」と、二回も思わせぶりに書かれているのに、結局その解答はどこにも記されていない。 また、本書の舞台である「鬼首村」は兵庫県と岡山県の県境の村で、『夜歩く』の後半の舞台と同じ名前だが、そこは岡山県と鳥取県の県境にある、八つ墓村の向こうの別の村である。(金田一は『夜歩く』の事件の後、八つ墓村に立ち寄ったと『八つ墓村』に記されている。) だが、別の村であるとはいえ、金田一は『夜歩く』で既に鬼首村という名前を知っているので、なのに「これ、何と読むんですか。珍しい名前ですね」と磯川警部に聞いているのもおかしな話である。 | ||||
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世評の高い作品ですが、パズラーとしては問題がある思います。再読してみると、犯人が童謡殺人を行う必然性が薄いという点が気になります。その辺を差し引いても、犯人の行動に無駄がありすぎて、どうも納得がいかない。都筑道夫氏の言葉ではありませんが、「昨夜の本格」の典型です。パズラーでなく、スリラーとして読むべきでしょう。そう割り切ってみると、中々捨てがたい。かなりの登場人物がでてきますが、巧みに書き分けていて小説家「横溝正史」の最高の仕事というひとがいるのもうなずける。 もっとも、パズラーとしては、問題がありすぎます。『悪魔の手鞠唄』が先行作品として意識したヴァン・ダインの『僧正殺人事件』がパズラーとして問題があるのと同じ結果に陥っています。『悪魔の手鞠唄』『僧正殺人事件』はともに詩や歌の通りに人が死んでいくサスペンスを楽しむべきでしょう。もっとも、『僧正殺人事件』は犯人像の異常性、『悪魔の手鞠唄』は現在進行形の事件と20年前の事件の繋がりを探るところと見どころに違いがあり、その点を読み比べるのも一興かと・・・・・ | ||||
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金田一シリーズのなかでも傑作と言われる一冊。 読んでみて、確かに納得させられた。怪奇趣味、意外な犯人、ミス・ディレクションの巧みさ、あっと驚く真相と、どれをとっても申し分ない。 横溝作品には、いまいち冗長なものも多いのだが、本書は飽きずに読むことが出来た。 しかし、良く言われる金田一の無能さも実感。犯人が分かってるんなら、殺人を防ぐ努力をしてよ。 | ||||
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彼の長編推理の中でも一、二を争う怖さです。 岡山と兵庫の県境、鬼首(おにこべ)村で起こった むごたらしい殺人事件。 そして20年後に再び起こる連続した惨劇。 さらに殺人の背景に潜むおどろおどろしい男女の関係。 殺人のトリックも鮮やかで最後までに読者に犯人を 悟られないようなつくりになっています。 普通の人だと20年前のある事象しかわからないでしょう。 でも、最後はなぜか悲しいのです。 男女の関係のもつれの憎しみはこんなに悲しいものを生み出すのかと… とにかく、最後は切なくもあるのです。 | ||||
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実際、昭和30年の事件と昭和6年の事件の二つの事件が描かれるんですが、ミステリーの構成上も両者には違いがあって面白いですね。昭和6年の事件の方は、いわゆる顔のない死体です。大きなトリックが使われているので、その謎を解くおもしろさを満喫できます。一方、昭和30年の事件の方は、エラリー・クイーン的というか、ロジック(=論理)の面白さを追求しています。つまり、ある事象からAだからB、BだからCというように論理的に推理を進めていく面白さを満喫できるのです。「なぜ〜は○○したのか」とか「○○が○○したから〜ということがわかり、犯人は△△だ」とかね。横溝正史は、その辺を意識して本作を書いたように思いますね。 | ||||
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横溝の作品でも一、二を争う傑作だ。 横溝の作品は迷宮に似ている。大体 20〜30年前に事件が起こっており それから20〜30年経った時代に その昔の事件を発端とした新しい事件が起こる。まず読んでいて その時間軸に幻惑される。 次には舞台仕立てだ。大体 山間の村であり そこにある旧家をめぐるおどろしい事件が筋である。読んでいて地理的にも幻惑される。 そのように読者を上手に混乱させながら 一方 金田一耕助のような 不思議な探偵を配する。ますます 話は迷宮に入っていく。 横溝の真の資質は 谷崎潤一郎や泉鏡花に連なる「耽美派」だ。設定として探偵小説を選んだだけだと強弁できることも可能だと思う。彼の作品の迷宮の美しさを見れば それははっきりしていると思う。ある種の純文学だ。だからこそ 僕は再読を厭わない。 | ||||
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山奥の閉ざされた村。覇権を分かつ2件の旧家。出生の秘密。見立て殺人。探偵。 これだけのエッセンスが1冊の作品にてんこ盛り! 本格ファンなら、よだれモノですよね! さらにオドロオドロシイ話運び!う-ん!たまらない! 金田一探偵と、磯川警部の友情物語もあり、作者3本指に入る名作! トリックなんかは”獄門島”に譲るが、ト−タルではベストな作品だと思います | ||||
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犯人がなぜ手毬唄殺人を結構したのか一応納得できる理由にはなっているが……趣の薄い私ならこんな手間暇の掛かる殺人は行わないだろう。実際にはありえない殺人事件が横溝作品の魅力か。まあマニアにはたまらないだろうな。見立て殺人ものとしては「犬神家の一族」といい勝負。 | ||||
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横溝正史の推理小説で、初めて読んだのが本作です。 完全に犯人を読み誤りました。 金田一の推理には多少不満が残りましたが、あとで読み返して、犯人にしかできないことを犯行前に金田一の前でして見せていることがあるのに気づき、納得。しかしこのことは金田一も推理の中で触れていなかったので、横溝氏自身、気づいていなかったのかな、とも思っています。 手毬唄も不気味ですし、殺人方法も凄惨ですが、悲しい結末です。 | ||||
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昭和の始めに岡山県と兵庫県の境にある四方を山に囲まれた鬼首村で殺人事件が起こった。それから二十数年後、村に古くから伝わる手毬歌に乗せて連続殺人事件が起こる・・・。 村人のキャアクターが面白い、みんな一癖ふた癖あって、全員が怪しい、むしろ金田一が地味に感じるくらい。殺人現場に起こされる小物も印象的。 人間関係の複雑さと登場人物の多さで頭が軽いパニック。ゆっくり腰をすえて読むのがいいかも。 | ||||
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個性的な探偵が登場し、不可解な事件をズバッと解決するという、推理小説と言うより、探偵小説と言った方がしっくりする小説であると思います。作者が昔の人なので、舞台も戦後になっており、描写にとてもリアリティーがあってどっぷりはまれます。内容は、不気味で怪しげなので、ホラー好きの人にもお勧めです。 | ||||
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