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クドリャフカの順番
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クドリャフカの順番の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.19pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全60件 21~40 2/3ページ
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この人のこのシリーズを、氷菓、愚者、と読んできて、このクドリャフカは、本当に面白かったです! 自分に能力がない、と思い知ったときのつらさ、寂しさ、悲しさ、ということなのですが、 私は、あはは、あまり自分が能力があると思わなくて久しく・・・思っていたこともあるのだと思うのですが、 全然自分は自分でしかない、と思っている日々が長いので、そのくやしさは、みんな感じることさ、と感じ、あまりつらくはありません、もはや。 大体、どんなにうらやましい能力を持っていても、やる気がなければ、それは、できない、ということと同じなのです。 一生を長い目で見れば、そんなものですよ。 それより、この4人のキャラクターが、それぞれユニークで、とくにえるという、この不器用そうなまっすぐな子が、 今のこの大変複雑な世の中に、これでも、生きていくし、周りも何とか受け入れたり支えたりしながら、生きていけるんだ、と思うと、自信になって、勇気づけられます!それに、里志の価値観からいくと、意外性のあるユニークな人の方が、面白いのです。意外なことをするからって、おこられない、否定されない・・・これって、勇気づけられる観点です、変人から見れば! 文集売るのに、みんな必死に頑張って、工夫して、いい高校生活じゃないですか!いいメンバーの古典部だ。 料理、うまかったですねー、みんな!高校生でこのくらいできるって、ものすごいことでは?それに第2作目のあの女帝入須の、人を利用するときの心得!そして、えるには、向かない、という、彼女なりのヒューマニティ・・・ほんとうに楽しいキャラのいっぱいいる高校だ! | ||||
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古典部シリーズの中で一番好きな作品! 「やらなくてもいいことなら、やらない。やらなければいけないことは手短に」をモットーとする主人公折木奉太郎が、神山高校文化祭のさなかに起きる不可解な事件、およそ関係者でなければ分からない犯人のメッセージを、些細な事柄を繋ぎあわせて紐解いていくのは秀逸‼︎ ストーリーは古典部員のそれぞれの視点からリレー形式で語られ、部員の性格や考えが反映されているので読んでいてもリズムがあって面白い。 部員のそれぞれが別々に文化祭を歩きまわることで文化祭の秩序のないイベント感を出すことにも成功している。また、部員の目線で書かれたことで各人の内面やこころの動きがよく分かり、シリーズの他の作品より感情移入し易くなっていると思う。特にヒロインである千反田えるの内面が思った以上に天然で笑えて面白い。 作中で主人公が行う『わらしべプロトコル』は、主人公らしい暇つぶしで地味に面白いのだが、物語が進行する中で以外なところで役立ったり、事件の真相にたどり着く重要なものを手に入れることになったりする。この辺の構成の巧みさには思わず唸ってしまう。 | ||||
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「古典部シリーズ」第三作である本書の舞台は、主人公たちのかよう高校の学園祭。謎の連続盗難事件を縦糸に、古典部内のトラブルを横糸にして、古典部メンバーたちの奔走が描かれます。 語りの形式としては、これまでの折木奉太郎の一人称という単一視点ではなく、奉太郎、千反田える、福部里志、伊原摩耶花の四人の視点が交代しながら進みます。 本シリーズではこれまで主人公である奉太郎の目線でしか描かれてこなかったので、残りの三人のキャラたちはあくまで彼の視点からのみ提示されてきました。 しかし本書では、ほかの三人の一人称による語りも読むことができ、彼ら全員の感情の機微を追うことができるため、まさしく “青春群像劇” といった印象でした。とくに主人公の友人であり良き理解者である里志の描写からは、同性の友人に対する屈折した心情がよく伝わりました。千反田も意外に奉太郎のことをよく観ていることがわかります。反対に、三者三様の視点から観た奉太郎のイメージも語られるので、彼のイメージもより立体的に理解できました。 視点交代を取り入れたメリットはそれだけではありません。奉太郎をほとんど一箇所に固定したまま、残りのメンバーを縦横無尽に動き回らせることで、物語をふくらませることに成功しています。 本シリーズの設定上もともと奉太郎は “安楽椅子探偵” の役所ですが、本書ではシリーズのなかで彼が物理的にもっとも動きません。そのため、現場に足を運ばず、千反田、里志、摩耶花の三人が目にし耳にした出来事を聞き、間接的に得た情報をパズルのように組み立てていく彼の思考過程がダイレクトに提示されるので、シリーズのなかで一番 “安楽椅子探偵” を活かしていたように思います。 本作では第一作『氷菓』、第二作『愚者のエンドロール』と同じく、ホウタローの姉が “全知” の上位存在として裏で物語を動かしています。ほかのレビュアーも指摘しているとおり、その程度が前二作よりもかなりおおきく、そこは賛否が分かれそうなところでした。 | ||||
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本を読み進めるに従って、散りばめられていた謎が一つに収縮していくような感覚を味わいました。人の死なない日常系のミステリーながら、ドキドキして興奮します。また登場人物たちのそれぞれの視点に立って描かれる、作者言うところの、苦い青春も、謎と見事にマッチしていました。星5です。 | ||||
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状態のよい商品を、早く確実に届けていただきました。商品状態の注記も参考になりました。 | ||||
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今回は文化祭の話です。 一人一人のキャラ視点で書かれていて、面白かった。 最後のトリックの話は何度も読み返してなんとなく理解できました。 | ||||
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この作者の文章は抑制が効いた筆致で地の文が効果的に背景を描き出していて没入しやすい。 ただ、今回はそれぞれのキャラクターのモノローグから始まり、それぞれの視点でストーリーが語られる。 視点の変化が伴うので結構、むつかしい手法だが、群像劇としての本質を反映している。 楽しい文化祭だが、古典部は大きな問題を抱えていた。それは解決できそうもない。四人四様で悩んでいる。 トリック自体は古典的だが、見せ方が面白い。 犯人はABC殺人事件を本歌どりして、10のサークルからその名前と同じ音のつくものを失敬していく。 その犯人はだれか。謎解きの合間に展開するキャラクターそれぞれのエピソード。 それらが一点に集約された先に、折木奉太郎が見出したのは何か。そして古典部の大問題はどう解決するのか。 ただ、厳密には推理小説のルールから逸脱したプロットなのでここら辺は少し気になる。 重要な解決のカギはある人物がもたらすのだが、なぜその人物はそれを持ち歩いていたのか。 去年、カンヤ祭を訪れ、それを手に入れて、そして今年はそれをバックに入れて再び訪問する。 ちょっと、話が出来すぎているんじゃなかろうか。 何か一つ足りないような気がする。それを語るエピソードがほしいところだ。 | ||||
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電子書籍有料版としては3冊目であるが、シリーズとしても3冊目であり、だんだん慣れてきた。 | ||||
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前巻よりも面白かったです。 キャラクターたちも魅力的なので次も読んでみたいと思いますが、二人の関係に変化は訪れるのでしょうか。 それだけが心配です。 | ||||
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今回は文化祭真っ只中の神山高校が舞台。 よって、ミステリよりも娯楽として読んで楽しめる、所謂ライトノベルとしての色彩が強いです。ただし、文章表現としては大衆小説のような感じです。ライトノベルをよく読む人は注意すべきか。 一応「十文字事件」という怪盗事件はありますが、これすらも祭の一興のように感じます(もちろん、犯人側の苦い思いが込められている事件です)。 一番にオススメできる人は間違いなくアニメ版「氷菓」を見た方でしょう。この文化祭編をアニメで楽しめた人は、この時このキャラは何を思い考えていたかが分かり、より感情移入しやすくなります。不肖、私自身がそうです。興味のある方は是非、本書を手に取ってみてください。 ・・・というように十文字事件に次ぐ事件(というよりもこちらがメイン?)の、予定部数よりも倍以上刷ってしまった文集を如何にして売るかを、古典部の面々が奮起するのが軸となっています。シリーズで一番楽しめて読める小説ですが、ミステリ要素はあまり期待して読まない方が良いかもしれません。 | ||||
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前二作は折木奉太郎の視点で描かれていましたが、今作は文化祭を舞台にし、 ストーリーの都合上、奉太郎が『安楽椅子探偵』になってしまったため、 奉太郎(スペード)、える(ハート)、里志(クラブ)、摩耶花(ダイヤモンド) それぞれの視点で描かれており、視点移動の際は読者を混乱させないよう、 最大限の配慮がなされています。 作りすぎてしまった文集『氷菓』を売ることと、ストーリー中盤から 湧き上がってきた『十文字事件』の謎が違和感なく同時進行し、 思わぬ形で融合する展開は見事としか言いようがありません。 前作『愚者のエンドロール』から少しずつ変化してきている奉太郎の心境と、 何かを暗喩しているものと思われる、いつも、表向きは飄々とした里志が 時折見せる影の部分の描き方の巧さは、次作、次々作を読みたいという 気持ちを喚起させられます。 千反田家が豪農たる所以についてや、なぜ『料理研究会』ではなく 『お料理研究会』なのかといった、アニメーションではフォロー できていなかった部分がこの話で分かるようになっていますので、 アニメーションでオチを知っている方でも楽しめるかと。 | ||||
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前作、「愚者のエンドロール」の中で出てきた、 「能力のある人間の無自覚は、能力のない人間には辛辣だ」という言葉が そのままテーマとなっていると言ってよい作品です。 レビューのタイトル通り、シリーズ中、最も苦味が強い作品だと思いました。 舞台は学園祭で、祭りの楽しい雰囲気も充分描かれており、 読み進めるのが楽しいだけに、結末付近の「苦さ」が非常に際立っています。 嫉妬・羨望・屈辱・敗北感、そして「期待」・・・打ちのめされた登場人物たちの 心中を忖度するに、胸が締め付けられる思いでした。思春期の青少年にありがちな、 「自分が何者かを知らないが故に持ちうる全能感」と、それが打ち砕かれたときの、 なんとも言えない「苦い」気持ち。おそらく誰でも身に覚えがあることでしょう。 それを、まるで当時に帰ったかのように思い出させてくれました。 文章は、奉太郎・える・摩耶花・里志、の、4人の視点をザッピングしながら書かれており、 面白いギミックだと思う一方、なぜ、いわゆる「神の視座」で書かなかったのかと 不思議に思っていたのですが、結末の一文、(ここは奉太郎の視点で書かれてるのですが) これを読んで納得しました。・・・いや、実に「辛辣」な一文です。 | ||||
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古典部シリーズのエンターテイメント性では、一番の作品だと思います。 実際「氷菓」「愚者のエンドロール」は本作の文化祭(カンヤ祭)へのプロローグ的要素でもあったわけで、「ハレ」の舞台で読者もそれぞれの文化祭体験を重ねながら、作中の高校生の疑似体験が味わえるような楽しい一編です。 まず気づくのが最近はあまり言われなくなった「グランド・ホテル形式」ということ。今まで主人公折木奉太郎の一人称語りだったのが、他の古典部員3人の視点が次々に入れ替わります。文集「氷菓」を30冊刷るところを200冊刷ってしまい、その販売消化に4人が奔走します。それぞれの活躍が同時進行で描かれ、思わずストーリーに引き込まれます。 しかし、そんな中にも物を創る人間の悲喜こもごもの心根や、自分らしさを求める焦燥といった青春らしい悩みも描かれ、今回部員たちに一層の思い入れを助長されました。 | ||||
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古典部シリーズのある程度読んでいることが、この作品ではちょっと条件になるかなぁ…古典部メンバーの説明を知っているのを前提に、台詞でどんどんと場面が多重に変化していきますからね。 学園祭や文化祭は、学校内のいろんなところでいろんなことがごった返すように起こりますからねぇ。小説などだけではなく、実際の学校でも。でも、ここまで込み入ったやっかいごとはたぶん普通は起こらないような…でも、古典部だから当然(毎年のごとく)起こっちゃうんだろうな、と変な納得をしてしまう。そんな気がします。 それにしても「十文字」事件と大量に作ってしまった氷菓が完売するのがリンクするなんて、それだけでも「気になります」。 | ||||
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はじめの数ページを捲って、嫌な予感がした。 なぜなら語り手が、千反田だったからだ。 そして、冒頭に記されたハートのマーク。 その嫌な予感は核心に変わる。 そう、今回は前回までと違い、視点人物である話者が古典部四人のあいだでコロコロ変わる形式なのだ。 小説作法や小説創作のハウツー本にたいてい示される「やってはいけない」事項、それがこの視点変更だ。 なぜ駄目かって言うと、単純に読みづらいから。 たとえばAという登場人物に取り憑いて読んでいたのに、いきなりBという登場人物に変わられたら、読み手はその都度頭の中を修正せにゃならん。それは面倒だし、煩雑だからだ。 しかし、このような面倒な手続きを読み手に強いるにもかかわらず、なぜこのような形式を作家は取りたがるのだろう? パッと思いつくのは、 1 作者自身が一人の話者で小説を書き進めるのに飽きた 2 読者にこれまでの形式が飽きられたんじゃないかという疑念、または引き出しの多さを見せる顕示欲 3 この形式って斬新じゃね? という天才的閃きに裏打ちされた勘違い という感じか。 「3」は論外だけど、「1」も作者のエゴには違いなく、「2」はだいたい勘違い。 要するにどれもヒドい。 で、この小説はどれかと言うと、どれでもないと思う。 なんじゃそりゃ、という結論で申し訳ないが、そう思うのだから仕方無い。 この小説において、視点を分けた事は上手く機能しているのだ。 たとえば、個人的に一番そう感じたのは、「ワイルド・ファイア」のお料理対決のシーン。 話者を分けた事によるバトンタッチの妙が、形式と物語内容が上手くマッチしていて、スゴく良いシーンになっている。 逆に想像して欲しい。この料理対決のシーンを三人称、または奉太郎の視点のみで書かれたと仮定したものを。それはたぶんもう少し静的なものになっただろうと想像出来ないだろうか? 対して、本書の形式による話者の忙しい入れ替わりや、あの疾走するような一人称の内面描写によって、よりドタバタ感が表されている気がしないだろうか。 少なくとも私がそう思って止まない程度にこの小説の話者変更という形式は上手くいっている。 それ以外のところもストレス無く読めるのは、「あとがき」にもある通り、「文化祭」が主人公だからではないだろうか。つまり、「文化祭」の時間軸に沿って、話者が変わって行き、流れを引き戻したり加速したりしない。だから視点がコロコロ変わるのにも関わらず、読みやすいという感じ。もちろん、これまでに二作読んでキャラ理解があるのと、今回より「キャラ」立ちした書き方になっているのもその読みやすさを助けていると思う(たとえば伊原の腹パンなどの「アニメ・まんが」的表現)。 無論、古典部四人で力を合わせて『氷菓』を売り切った、という感じもこの形式によってより色濃く出ている。 前々作の『氷菓』の稚拙さに比べ、または前作『愚者のエンドロール』も良い出来たったけれど、今作はスゴく小説が上手くなっている気がする。この間に何があったんだ、と思わせるくらい。 しかし、だ。 「味でしょう」の解答にはがっかりしたし、「寿司屋」は心底どうでもよかったのは、正直ガッカリ。 だけれど、次回作は本書の言う意味で「期待」出来る。 疑う事なく。 | ||||
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1,2巻となんとなく読んでしまったけれど、この3巻は面白かったです。これ以降どうなるかわからないので今のところは3巻が一番。 話の視点が章ごとに違うので、このキャラはこういうことを考えていたんだな、とかよくある人間関係の悩みだったりが見えてきてより入り込めました。 終盤で福部里志がある単語について「広辞苑に載っているかは知らないけど……」と自分の見解というか単語の真の意味というかを述べて、その後もその単語が何度も出てきます。その単語をさまざまなキャラが言うたび、その言葉の裏にはああいうことが込められているんだなと思い、ちょっと人間っぽさというかリアルな感じがしました。 4巻も読んできます。 | ||||
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ショッキングな事件で読者を引っ張る小説が多い中、事件とも言えないような事件を解決していく本シリーズは貴重。 推理のネタとしては驚くようなものではないが、それなりに楽しめる。読後感がよい | ||||
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古典部シリーズ第3弾。遂に文化祭を迎えることになった古典部だが手違いにより文集が大量に刷られてしまい、何とかこれを売りぬこうとする。そんな中校内で十文字を名乗る人物による窃盗事件が起きる…。 シリーズ中今作品が最も折木が「推理」をしていると感じた。1、2作目は折木本人が言っているように「思いつき」の範囲をでないが今作品で披露される神高生千人の中から一人の人物を炙りだす論理は粗こそあるものの見事である。大多数の人物の中から犯人を見つける推理のアクロバットを味わっていただきたい。 | ||||
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古典部シリーズ三作目「クドリャフカの順番」です。 クドリャフカとは、半世紀前に初めて地球の軌道を周回した犬の名です(実際はライカとか言うらしいが)。この犬の乗った宇宙船は大気圏への再突入機能もなく、最初から死んでしまう運命だったとか。 さて内容としては、一作目から言われ続けていた文化祭のお話です。 これを読んで初めて思いましたが、奉太郎の推理は行き当たりばったりなモノだったのかもしれません。まあ本人が自身を一般的な学生と言っているように、探偵ではないので仕方ありませんが。洞察力と推理力が異常なふつうの高校生みたいな感じなんですかね。 今までは奉太郎が物語の語り手となっていましたが、今回は古典部の4人全員が入れ替わりつつ一人称視点で語っていきます。他の三人がどういう思いで奉太郎を見ていたのか分かる面白いシステムでした。 個人的に今までの三作品の中では一番好きな話でした。が、ミステリーは何か急ごしらえの粗悪品のような印象があるかもしれません。あってもなくても良かった気がしますね。 | ||||
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アニメ化もされた「古典部シリーズ」第三弾。えるのギャップ萌え。本当に罪な子。 なので、前作まで読んでいるといっそう感情移入できると思います。 愚者のエンドロールと比べ、キャラクターの内面に深く切り込んでいて、物語に引き込まれる。 ランダムに入れ替わる語り部たち。それぞれの魅力で読ませます。うまいなあ。 無理なく読み進めることができ、すんなりキャラクターの考え方が頭に入ってきました。 「結果としてどうなったか。それで良かったのか。」考えさせられました。 | ||||
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