■スポンサードリンク
(短編集)
花の下にて春死なむ
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
【この小説が収録されている参考書籍】
花の下にて春死なむの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.86pt |
■スポンサードリンク
Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全5件 1~5 1/1ページ
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
年老いた俳人・片岡草魚が、自分の部屋でひっそりと死んだ。その窓辺に咲いた季節はずれの桜が、さらなる事件の真相を語る表題作をはじめ、気の利いたビアバー「香菜里屋」のマスター・工藤が、謎と人生の悲哀を解き明かす全六編の連作ミステリー。第52回日本推理作家協会賞短編および連作短編集部門受賞作。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
この作品は連作ミステリーになっている。「香菜里屋」という店を訪れる客。 その客たちにまつわる話や、客たちが話題にするできごとから、店主の工藤が 独特の感性で謎を解いていく。印象に残ったのは表題作の「花の下にて春死なむ」だ。 一人の男の人生の悲哀さを感じさせる。また、その男に思いを寄せていた一人の 女性の心情にもほろりとさせられるものがあった。ただ、全体的にストーリーに もう少し工夫がほしかった。謎が分かっても「なるほど!」とは思えなかった。 工藤が作る料理の描写がすばらしくて、食べてみたいとは思ったのだが・・・。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
この作品は連作ミステリーになっている。「香菜里屋」という店を訪れる客。 その客たちにまつわる話や、客たちが話題にするできごとから、店主の工藤が 独特の感性で謎を解いていく。印象に残ったのは表題作の「花の下にて春死なむ」だ。 一人の男の人生の悲哀さを感じさせる。また、その男に思いを寄せていた一人の 女性の心情にもほろりとさせられるものがあった。ただ、全体的にストーリーに もう少し工夫がほしかった。謎が分かっても「なるほど!」とは思えなかった。 工藤が作る料理の描写がすばらしくて、食べてみたいとは思ったのだが・・・。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
本作のレビュアーの方達は優しい方ばかりなので、たまにはヤボな辛口の批評も良いだろう。工藤のスーパーマンぶりには目を瞑ってである。 タイトル作「花の下にて春死なむ」は老俳人の孤独死と隣のアパートの女性の殺人事件の結びつけが強引過ぎる。しかも、その理由が題名に西行の短歌の一部を使いたいだけとは情けない。「家族写真」はこんな偶然性の高い人間関係がある訳ないだろう。「終の棲み家」は設定を見ると、作者が老人問題を理解していないのは明らか。死を覚悟した老人はもっと別の行動を取る。作者は年老いた肉親を看取った事がないのではないか。それと短編ミステリの基本である冒頭の奇妙な謎(この場合ポスターが剥がされる)が結末で解かれるという様式美を逸脱している。「殺人者の赤い手」は乱歩の少年探偵物の下手な模倣。「七皿は多すぎる」は、題名はH.ケメルマンの「九マイルは遠すぎる」のもじりで、内容はI.アシモフの「黒後家蜘蛛の会」の風味という作者のオリジナリティが全く感じられない作品。「魚の交わり」の中で唯一のトリックらしきものは、古くはF.ブラウン「笑う肉屋」で使われ、その後様々なバリエーションで使用されているのに、本作で敢えて用いる理由が不可解。本作にミステリ味を持ち込む必要があったのか。 本作はミステリと考えず、目くじら立てずに、それこそ作者の"味"を楽しむべき作品なのだろう。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
本作のレビュアーの方達は優しい方ばかりなので、たまにはヤボな辛口の批評も良いだろう。工藤のスーパーマンぶりには目を瞑ってである。 タイトル作「花の下にて春死なむ」は老俳人の孤独死と隣のアパートの女性の殺人事件の結びつけが強引過ぎる。しかも、その理由が題名に西行の短歌の一部を使いたいだけとは情けない。「家族写真」はこんな偶然性の高い人間関係がある訳ないだろう。「終の棲み家」は設定を見ると、作者が老人問題を理解していないのは明らか。死を覚悟した老人はもっと別の行動を取る。作者は年老いた肉親を看取った事がないのではないか。それと短編ミステリの基本である冒頭の奇妙な謎(この場合ポスターが剥がされる)が結末で解かれるという様式美を逸脱している。「殺人者の赤い手」は乱歩の少年探偵物の下手な模倣。「七皿は多すぎる」は、題名はH.ケメルマンの「九マイルは遠すぎる」のもじりで、内容はI.アシモフの「黒後家蜘蛛の会」の風味という作者のオリジナリティが全く感じられない作品。「魚の交わり」の中で唯一のトリックらしきものは、古くはF.ブラウン「笑う肉屋」で使われ、その後様々なバリエーションで使用されているのに、本作で敢えて用いる理由が不可解。本作にミステリ味を持ち込む必要があったのか。 本作はミステリと考えず、目くじら立てずに、それこそ作者の"味"を楽しむべき作品なのだろう。 | ||||
| ||||
|
■スポンサードリンク
|
|
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!