神の時空 ―嚴島の烈風―
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頑張れ博光 | ||||
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面白い。 | ||||
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丁重に祀られているのは皆怨霊!怨霊は皆被害者!という前提で書いているから仕方ないんだが、有名な神社に祀られている御本尊を全て怨霊に仕立て上げるのに無理が出てくる。 今回脇役ながら登場した平家なんてのは、怨霊を大量生産した方で、落魄した平家一族の霊が誰かを怨むなら清盛を恨めといいたいところ。 まぁ逆恨みも恨みには違いないから、平家の怨霊がいるのはおかしいとは言わないけど、大怨霊に仕立て上げるための理屈に無理が有りすぎ。 率いていたのが舟戦に慣れない東国武士だったため、壇ノ浦の戦いで苦戦した義経が、「非戦闘員」の水手・梶取を射るよう命じたのがさも非道なことであり、それが理由で平氏一門が怨霊になったかのように書いているが、舟戦の際に水手・梶取を標的にしないのは舟戦が主流だった西国における「作法」に過ぎない。これは騎馬戦を主たる戦闘方法とした東国では、馬を射らないという「作法」があったのと同じ程度の意味合いに過ぎない。 これは双方が相手の水手・梶取や馬を攻撃し始めると、騎馬戦も舟戦も成り立たなくなるので、お互いそれはしないことにしようという程度のことであって、近代になって成立した非戦闘員は直接の攻撃対象にしないという人道上のルールとは全く別の話。 そもそもこの時代に「非戦闘員」は攻撃しない、なんて概念はないし、逆に近代的な概念乃至ルールでも、帆走軍艦の掌帆員(帆を扱う水兵)や汽走軍艦の機関員を「非戦闘員」とは言わない。寧ろ騎兵相手の戦いの場合馬を狙うのは当然の戦術で、馬を狙わないという日本(の東国の)作法の方が例外的なもの(だからこそ中世の騎士は馬にも鎧を着せていた)。 壇ノ浦の戦いは、戦争の名人である義経が、「水手・梶取は攻撃されない」という固定観念に囚われず、どうすれば確実に勝てるかを的確に見抜いたというだけのことで、義経率いる源氏も西国のルールで戦うと思い込んでいた平氏が間抜けだったというだけ。当然義経にも源氏の軍勢にも罪悪感なんか更々ないし、負けた平氏が怨霊になるなんて全く考えていないだろ。 | ||||
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この作品のシリーズは、全巻持っています。宮島は行ったことがあります。神聖な場所だとかんじました。 | ||||
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なかなか興味深かったですが、そろそろ結末に進む的な?! ただ、これほどまでの怨霊だとしたら、いち女性の祈りだけでそんな、、簡単ではないにしろ、、、 鎮まるのか?! って疑問も若干残りつつ。 でもこのシリーズはそんな細かいところはもうどうでもいいんです、 カンナシリーズしかり、とにかく結末が気になります。 もし今の日本が間違った道を進んでいるのなら・・・それが高村 某のもくろみなら・・共感できる部分はありますが、、 でもワタクシの感想はどうでもいいですな、 ・・さて結末はいかに?! はてさて 楽しみです! | ||||
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