■スポンサードリンク
(短編集)
人もいない春
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
人もいない春の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.19pt |
■スポンサードリンク
Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全26件 1~20 1/2ページ
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
文章の構成が素晴らしく、作家の世界に引き込まれる。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
タイムスリップして大正時代の作品を読んでいるような感覚になります。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
作者の作品を読むのは5作目だが、一貫性のあるメッセージがあるように思う。 即ち、悲劇と喜劇は表裏一体であるということだ。どの作品でも内容は作者の過去にあったいざこざであり、主人公の勘違い、思い違いにより、よせば良いのについ暴走してしまう様を滑稽なまでに突き放して描く作風には、その余りの無様さ理不尽さに笑ってしまうと同時に、主人公本人からすれば全くもって切迫した悲劇そのものであり、私生活で起きた何か悲劇的な事も客観的に見れば只の笑話でしかないという事に気が付かせてくれる。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
収録作品は「人もいない春」「二十三夜」「悪夢ー或いは『閉鎖されたレストランの話』」「乞食の糧途」「赤い脳漿」「昼寝る」の6編。 「人もいない春」は、北町貫多18歳、3週間限定の製本所でのアルバイト 「二十三夜」では、北町貫多32歳、なじみの古本屋での場面 「悪夢ー或いは『閉鎖されたレストランの話』」は西村賢太作品で初めて読んだ、私小説でない小説。擬人化されたネズミのお話だが、なかなかユニーク。 「乞食の糧途」「赤い脳漿」「昼寝る」は秋恵もの三品。 いずれも面白いが、特に「赤い脳漿」における麻婆豆腐論争は傑作。 「小銭をかぞえる」(文春文庫)に収録された「焼却炉行き赤ん坊」でのぬいぐるみ論争に匹敵する面白さ。 秋恵と貫多の会話のやり取りは、普段の何気ない会話でも、妙に面白い。 貫多のような男と付き合うだけあって、秋恵の話す言葉にもどこかユニークさを感じさせます。 例えば、貫多から、たまたまみつけた中華料理屋では、ラー油をチオビタドリンクの空き瓶に入れて、キャップに小さな穴をあけている、との話を聞いた秋恵が 「すごいお店だね。ちゃんと自分だけの価値観が確立している人たちのやってるとこなんだろうね」 と話す場面には、思わず「秋恵、面白い」と感心してしまいました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
妻と同棲中の事を思い出した。もちろん寝ている妻の布団を蹴り剥ぐ行為なんてしないが。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
大学四年女です。人間のよく見せたいという欲望を全て取っ払ったような本です。 西村賢太さんの他の作品も読んでみたくなりました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
久しぶりにどっぷりと私小説。誰でも持っている本性をさらけ出しリビドーにつき動かされては後悔することの繰り返し。北町貫多の愛すべき物語に引き込まれること間違いなし。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
「苦役列車」より楽しめました。 その理由は、寛多に彼女が、出来て人間的な優しさが芽生えてからだと思います。 破天荒な男の暴力的な思考と実際の暴力、その後の自己嫌悪と反省、そして 開き直り、これがいつのパターンですが、 今回、秋恵さんの登場で、寛多が一応、優しい心が育つところが良かったなあ〜。 という訳で、「昼寝る」が一番好きです。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
これまで西村さんの小説を何編も読んで来たけれど、「秋恵」さんが悪い印象に書かれていたことが一度もなかったことを、今更ながらハッと気付かされた気分。 完全なノンフィクションだろうと創作的な私小説だろうと、人物をどう描写するかは書き手に100%委ねられています。 「秋恵」さんを容姿の面や頭の足りなさで悪辣に書き立てることはあっても、最終的に読者は「秋恵」さんを完全な被害者として、憐れな純朴な女性として眺めていることと思います。 権威ある文学賞を取るほど実力のある作家ならば、表面的に潔白に描きながら「でも秋恵さんにも非があったんじゃないの?」と読者に思わせる書き方をするのは至極容易な仕事でしょう。 自身を最低低俗かつコミカルに描きながら「秋恵」さんだけは一点の非もない可愛らしい女性として描いているのは、下劣な主人公との対比や表現上の必要性だけでなく、やっぱり彼女に対する西村さんなりの誠意なのではないかと個人的には解釈してます。 そのことがさんざ暴力をふるい暴言を浴びせ実家にまで少額ならぬ借金を強行した「秋恵」さんへの、一種の贖罪となるのかどうかはわからないけれど。 思わず背筋がすくむような描写の少なくない西村さんの私小説がここまで大衆に受け入れられているのは、その筆力のみならず人道外れてもどこか真っ直ぐな姿勢を少なからず見い出されるからではないでしょうか。 西村作品にしては珍しく読後感の良い併録短編「昼寝る」を読みながら、ぼんやりとそんなことを考えました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
6編からなる短編集。その中で西村氏の作品では珍しく涙腺に来たのが「昼寝る」。 同棲中の秋恵は風邪による体調不良をおして毎日パートに出掛ける。その帰宅後の秋恵を6日間に渡り西村氏が甲斐甲斐しく看病する話。 秋恵のために買出しに出掛け、うどんや雑炊を作る事で、自らが暖かい気持ちに包まれ、同居する素人の女性が居る事への満足感と感謝まで感じてしまう西村氏。 自分も似た感覚を覚えたことがある故、この件はほっこりした。しかし、西村私小説にしてはスパイスの足りなさを感じていた所、やはり出た激情型劇場。西村賢太の真骨頂。 まだ病の癒えない秋恵を怒鳴りつけ暴言三昧。 その理由も、たんに奉仕に飽きたから。 どこまでも暴君で始末の悪いエゴの塊。 しかし、その暫く後に自らが高熱で寝込み反対に看病される側になり、初めて、病人への親切の押売りは如何に煩わしいかと気付く。秋恵に対してその押売りを継続し、またそれに病人でありながら健気に応えていた秋恵。そして秋恵への申し訳なさに感極まり土下座までして詫びを入れる西村氏。 産まれて始めてに等しいであろう彼女の看病に、無垢な喜びを見出す西村氏の純粋さにまず泣けた。そして最後は土下座でいつもの非礼を詫びるのだが、それを寛容に受け入れて赦す秋恵の健気さにじ〜んときた。珍しく最後は温かい結末だったけど、やはり切ない。 いつもとは違った味のある作品集でした。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
私小説だから当たり前かもしれないが、著者の匂いがプンプンして、とてもグー。好き嫌いあると思うが、そこが万人受け外し狙いでさらに良いです。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
秋恵との暴力的同棲生活シリーズだけでなく、その前後の話や貫太を主人公とした私小説でない創作まであり、とても楽しめた。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
興に乗って本書も読み進めたところ、これもいずれ劣らぬ名作揃いであった。 後三作品は、「秋恵」ものであるが、金太郎じみた三十過ぎのろくでなしに「ぼく」称で怒鳴られる秋恵さんには憐憫の情を禁じえない。名コンビともいえるが、観音様のような秋恵さんの幸せのためには一刻も早く貫多のもとを去って欲しいとも願ってしまう。私はたまたまこの第六作品集の「秋恵」ものから読むことになったのだが、第五作品集以前の「秋恵(及び女)」ものを読んでいってみると、当然といえば当然すぎるその後の悲惨な成り行きが書かれており(面白がっていられないものもある)、この偶然は少なからずラッキーであったように思う。 「二十三夜」の貫多も、毎度のはた迷惑ぶりに、非もて男の切なさを存分に楽しませてくれる。 「悪夢」は異色作だが、カレーの鍋に身を投じて人間に対して一族の復讐を試みる、瀕死のクマネズミの特攻玉砕魂には度肝を抜かれた。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
短期アルバイト先の製本所で叱りとばしてきた職工を「工場から一歩外に出りゃ、ただの能なし」と憎しむものの、逆に無能視される。「ひとりきりではロクに反抗もできない田舎者」と評するバイト仲間の大学生たちからは最終的に排斥される。 「もう火を落としたので」といっぱしの料理人ぶった物言いの弁当屋に苛立ちを覚える。球場の売り子男を半殺しに合わせたく、売り子女は犯したいなどと空想。将来を思い悩み、中学のクラス一番の女子を妄想し、汚す。 まるで面白くもなく飲食慾を満たし、吐いていると、乞食にまで見下される。立ちんぼに毒を吐き、タクシー運転手に毒を吐き、また別の短期アルバイトをやろうと決意する。 結局は底辺の若者が短期アルバイトを辞めて別の短期アルバイトをやろうと決意するというだけの話であるが、その過程の中では執念深さと歪み根性を兼ね揃えた主人公であるからおかしさと虚しさが随時生み出されている。人間のいじましさを端的に表現することが魅力の作風が存分に発揮されている作品。 尚、文庫の解説は女優であり大学生である南沢奈央が評しており、二十一歳の若い女性がゾクゾクと現れるあられもない描写を読み進めているのかと思うと酷く興奮を覚え、違った意味で参考になる解説である。 また、終わりに「私は同世代に、女性に、とにかく一人でも多くの人に、西村さんの小説を勧めていきます」と評されている。若い女優にこうして小説を勧めてもらえるとは、作者の人生とは何とウィットに富んでいるのかと思わされる。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
主人公:北町寛多は、著者:西村賢太の単純変換だそうです。ということで 、著者の私事をデフォルメ脚色したまさしく私小説。本書は、著者一連の寛多シリーズ?で、行く先合う人全員暴言暴行ちゃぶ台返しの明日無き青春遍二遍と、いつもの哀愁の秋恵編同梱。秋恵編は仕事やめたいってそうはいかんぜDVじゃなくて説得編、いつまでも熱だしてんなDV編、苦手な麻婆食わせてやるDV編。他、異色分野へチャレンジの悪夢は読者も悪夢にうなされそうなグログロゲロゲロなファンタジー小説?。食わされた気になって、吐き気がするが、著者は成功なのか?。"兄"への鬼畜行為の加害者は若いときの賢太らしい。どれも主人公寛多がうれしい喜んだ頭にきたむかついたしょぼん殴る蹴る暴言土下座でまたDVってあくまで自己中心、やりたいほうだいの心情がネチネチネチネチ昭和初期風文体で描かれる。著者のすさまじい描写力に脱帽。寛多の身勝手さというのが他の作品よりわかりやすく、笑いやすいかも。 相変わらずストーリーではなく、著者独自の世界観を堪能するというか、これマジっすか?サイテーっスッゲーなどといいつつ、夢を求めましょうなどと言う文部省推薦の薄っぺらさでない、生きてる人間の生臭ささに圧倒される。驚愕と苦笑という複雑な感情を惹起させる作品なので、この本だけでは、はあ?でよくわからないかもしれない。他の著作も併せて読む必要あり。 一連の作品のどの辺がフィクションかは著者のみぞ知るですが、著者曰く相当ノンとのこと。現実著者は性犯罪者の親、自身も暴力沙汰で前科持ち、学歴中卒、容貌醜悪、風呂も入らず衛生観念なし、女性は単に性のはけ口で、風俗通いは日常の重要関心事、肝心の人間性もネガティブかつ、自意識過剰という、社会的にも人間的にも破綻者。最近TVでよく見るが、暴言の数々は伝説的ともいえ、芥川賞授賞式における風俗発言を始まりとし、中でも「笑っていいとも」で、お昼時間にもかかわらず、風俗通いや女性蔑視の言行は、放送事故スレスレ、現場の女性客、日本中の良識ある人々を激怒させ、良識のない人々、下品な中高年男性を驚喜させた。著者によると、やっと得た異性のパートナーに些細なことでDVのあげく逃げられた。酒ぐせも悪く、暴言暴行も茶飯事だが、たいていは自分で起こしたトラブルの返り討ちにあうという情けない結末。また、関係した人々に小金を土下座で借金し、それを風俗で使い踏み倒す。風俗通いで、たまに相手に惚れたりすると、金をだまし取られたりする。著者は、まさしく社会的破綻者で、そのうちカッとして殺人などおこして、殺意はなかったんですなどと主張しつつ刑務所に入る確率120%であろう人物だななどと周りから思われ、常識ある人々から関わらんとこなどと見られていたのだろうと想像する。 しかし、そうはならず、この破綻者の著作が数々の賞をとり、現実受けて判を重ねているのは、自業自得のくだらぬトラブルと同列に、幸運の出会いや運も相当にあるという奇跡。さらにの注目は、人を楽しませるのが好きであったという、かの太宰治と同質のサービス精神が根底にある点。自身のだめ人間ぶりが、実は他人を喜ばせ楽しませるネタとしての価値に気づき、それを提供したいというサービス精神。そこにそれをうまく提供できる文才に恵まれるという希有なコラボ。そこにそんなものが世に出るなどけしからんと、常識ある人々が押さえつけたが、それがまさしくたまったマグマの大爆発ということになった奇跡。我々は、新たなる何者かの登場を見ているのかもしれません。ただ著者の成功を複雑な思いで見ているであろう、関わってひどい目にあった被害者?の方々、特に逃げた同棲相手の心情を思うと、今後、猛獣注意の看板、檻に入れての厳重管理は必要(笑。 著者にぞっこんで別作品で解説もしている石原慎太郎は、今後の活躍を期待しつつ、金も名誉も得た彼を逆に心配もしている。それを知ってか知らずか、著者は、私小説しか書けないので、今後は題だけ変えたようなモノを書くなどと、ファンをも愚弄するかの、さらなる暴言を重ねている(笑。きおつけろっ! | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
6つの短編、表題作「人もいない春」含め主人公貫多は筆者そのものと言える。 プライドが高い、神経質、嫉妬深い、短気、暴言癖、同棲相手秋恵とのやりとり 私小説であるがゆえに面白さが伝わってくる。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
もう本当に、毎回、毎回、毎回…同じ内容を予定調和に繰り返す著者の作品。 それなのに、どうしても読んでしまう。 著者の作品が好きであれば、期待通りでしょう。 唯、今作に関しては、暴力や捻じ曲がった感情等の痛々しさよりも、その中に潜む「愛情」が強く印象に残る読みやすい作だと感じました。 (良い意味で) | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
自分は内面的にも外見的にも醜いと言う著者と、そしてそんな自分に寄り添っていてくれる秋恵という 女性の日常の描写を読んでいて感じたのですが、著者は繊細な方なのでしょうか。 秋恵のアルバムを見ていて、幼少時の写真を見た翌日と翌々日は「できなかった」著者。 もともと性欲が強い方であると、ところどころに書かれているため、写真を見て受けたショック に欲望が打ち勝って、そのまま突っ走るんじゃないかな〜と思っていたのですが・・・。 もしかしたら、港湾人足で生計を立てながら買淫のためにちびちびと貯めていた頃から、 女性に求めていたものは性欲の処理をさせてもらうことではなく、もうちょっとロマンチックなもの だったのかもしれませんね。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
秋恵もの3作を含む短編集。 相変わらずの、他者との軋轢がもたらす悪罵の見本市的様相を呈する作品が並ぶが、この短編集には攻撃一辺倒では無く、若干甘い悔恨のトーンが加わっているように感じられる。なかでも、『悪夢』は、レストランの屋根裏に棲むネズミの一族の波乱の運命を綴った一編で、私小説作家西村賢太の新境地と言えよう。 6編中の白眉はやはり冒頭のタイトル作だろう。著者若年時、バイト先での悶着の後、野球場で見かけた仲のいいカップルに怨念の籠もった嫉妬の目線を送り、夜のネオン街で醜い街娼を罵倒し、乗り合わせたタクシー運転手に横柄な態度で指図し最後は悪態を吐いてやり過ごす様は、著者のやりきれないほどの自らの悲運に対する心底からの身悶えを示し、悲哀を誘う。 これを読んでいて、私は何故かオールビーの『動物園物語』を思い出してしまった。公園のベンチで休む中年男に執拗に絡む、行きずりの若者。ささやかな家庭の幸福を守る男に、因縁をつけてその勇気の在り処を糺そうとする動物園帰りの男。著者がタクシー運転手に絡む姿が、あのオールビーの登場人物とイメージが重なる。 どちらもいわゆるアンチ・ヒーローながら、読者の共感を誘うのだ。行き場のない心の鬱屈が、身もだえするように発するこころの叫び(H23.11.3)。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
マーボ=脳漿、の例えはけっこう笑えました。 どのタイトルを読んでも印象は同じ。ある意味、「定番」ですね。 | ||||
| ||||
|
■スポンサードリンク
|
|
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!