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(短編集)
人もいない春
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人もいない春の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.19pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全32件 21~32 2/2ページ
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主人公:北町寛多は、著者:西村賢太の単純変換だそうです。ということで 、著者の私事をデフォルメ脚色したまさしく私小説。本書は、著者一連の寛多シリーズ?で、行く先合う人全員暴言暴行ちゃぶ台返しの明日無き青春遍二遍と、いつもの哀愁の秋恵編同梱。秋恵編は仕事やめたいってそうはいかんぜDVじゃなくて説得編、いつまでも熱だしてんなDV編、苦手な麻婆食わせてやるDV編。他、異色分野へチャレンジの悪夢は読者も悪夢にうなされそうなグログロゲロゲロなファンタジー小説?。食わされた気になって、吐き気がするが、著者は成功なのか?。"兄"への鬼畜行為の加害者は若いときの賢太らしい。どれも主人公寛多がうれしい喜んだ頭にきたむかついたしょぼん殴る蹴る暴言土下座でまたDVってあくまで自己中心、やりたいほうだいの心情がネチネチネチネチ昭和初期風文体で描かれる。著者のすさまじい描写力に脱帽。寛多の身勝手さというのが他の作品よりわかりやすく、笑いやすいかも。 相変わらずストーリーではなく、著者独自の世界観を堪能するというか、これマジっすか?サイテーっスッゲーなどといいつつ、夢を求めましょうなどと言う文部省推薦の薄っぺらさでない、生きてる人間の生臭ささに圧倒される。驚愕と苦笑という複雑な感情を惹起させる作品なので、この本だけでは、はあ?でよくわからないかもしれない。他の著作も併せて読む必要あり。 一連の作品のどの辺がフィクションかは著者のみぞ知るですが、著者曰く相当ノンとのこと。現実著者は性犯罪者の親、自身も暴力沙汰で前科持ち、学歴中卒、容貌醜悪、風呂も入らず衛生観念なし、女性は単に性のはけ口で、風俗通いは日常の重要関心事、肝心の人間性もネガティブかつ、自意識過剰という、社会的にも人間的にも破綻者。最近TVでよく見るが、暴言の数々は伝説的ともいえ、芥川賞授賞式における風俗発言を始まりとし、中でも「笑っていいとも」で、お昼時間にもかかわらず、風俗通いや女性蔑視の言行は、放送事故スレスレ、現場の女性客、日本中の良識ある人々を激怒させ、良識のない人々、下品な中高年男性を驚喜させた。著者によると、やっと得た異性のパートナーに些細なことでDVのあげく逃げられた。酒ぐせも悪く、暴言暴行も茶飯事だが、たいていは自分で起こしたトラブルの返り討ちにあうという情けない結末。また、関係した人々に小金を土下座で借金し、それを風俗で使い踏み倒す。風俗通いで、たまに相手に惚れたりすると、金をだまし取られたりする。著者は、まさしく社会的破綻者で、そのうちカッとして殺人などおこして、殺意はなかったんですなどと主張しつつ刑務所に入る確率120%であろう人物だななどと周りから思われ、常識ある人々から関わらんとこなどと見られていたのだろうと想像する。 しかし、そうはならず、この破綻者の著作が数々の賞をとり、現実受けて判を重ねているのは、自業自得のくだらぬトラブルと同列に、幸運の出会いや運も相当にあるという奇跡。さらにの注目は、人を楽しませるのが好きであったという、かの太宰治と同質のサービス精神が根底にある点。自身のだめ人間ぶりが、実は他人を喜ばせ楽しませるネタとしての価値に気づき、それを提供したいというサービス精神。そこにそれをうまく提供できる文才に恵まれるという希有なコラボ。そこにそんなものが世に出るなどけしからんと、常識ある人々が押さえつけたが、それがまさしくたまったマグマの大爆発ということになった奇跡。我々は、新たなる何者かの登場を見ているのかもしれません。ただ著者の成功を複雑な思いで見ているであろう、関わってひどい目にあった被害者?の方々、特に逃げた同棲相手の心情を思うと、今後、猛獣注意の看板、檻に入れての厳重管理は必要(笑。 著者にぞっこんで別作品で解説もしている石原慎太郎は、今後の活躍を期待しつつ、金も名誉も得た彼を逆に心配もしている。それを知ってか知らずか、著者は、私小説しか書けないので、今後は題だけ変えたようなモノを書くなどと、ファンをも愚弄するかの、さらなる暴言を重ねている(笑。きおつけろっ! | ||||
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6つの短編、表題作「人もいない春」含め主人公貫多は筆者そのものと言える。 プライドが高い、神経質、嫉妬深い、短気、暴言癖、同棲相手秋恵とのやりとり 私小説であるがゆえに面白さが伝わってくる。 | ||||
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もう本当に、毎回、毎回、毎回…同じ内容を予定調和に繰り返す著者の作品。 それなのに、どうしても読んでしまう。 著者の作品が好きであれば、期待通りでしょう。 唯、今作に関しては、暴力や捻じ曲がった感情等の痛々しさよりも、その中に潜む「愛情」が強く印象に残る読みやすい作だと感じました。 (良い意味で) | ||||
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自分は内面的にも外見的にも醜いと言う著者と、そしてそんな自分に寄り添っていてくれる秋恵という 女性の日常の描写を読んでいて感じたのですが、著者は繊細な方なのでしょうか。 秋恵のアルバムを見ていて、幼少時の写真を見た翌日と翌々日は「できなかった」著者。 もともと性欲が強い方であると、ところどころに書かれているため、写真を見て受けたショック に欲望が打ち勝って、そのまま突っ走るんじゃないかな〜と思っていたのですが・・・。 もしかしたら、港湾人足で生計を立てながら買淫のためにちびちびと貯めていた頃から、 女性に求めていたものは性欲の処理をさせてもらうことではなく、もうちょっとロマンチックなもの だったのかもしれませんね。 | ||||
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秋恵もの3作を含む短編集。 相変わらずの、他者との軋轢がもたらす悪罵の見本市的様相を呈する作品が並ぶが、この短編集には攻撃一辺倒では無く、若干甘い悔恨のトーンが加わっているように感じられる。なかでも、『悪夢』は、レストランの屋根裏に棲むネズミの一族の波乱の運命を綴った一編で、私小説作家西村賢太の新境地と言えよう。 6編中の白眉はやはり冒頭のタイトル作だろう。著者若年時、バイト先での悶着の後、野球場で見かけた仲のいいカップルに怨念の籠もった嫉妬の目線を送り、夜のネオン街で醜い街娼を罵倒し、乗り合わせたタクシー運転手に横柄な態度で指図し最後は悪態を吐いてやり過ごす様は、著者のやりきれないほどの自らの悲運に対する心底からの身悶えを示し、悲哀を誘う。 これを読んでいて、私は何故かオールビーの『動物園物語』を思い出してしまった。公園のベンチで休む中年男に執拗に絡む、行きずりの若者。ささやかな家庭の幸福を守る男に、因縁をつけてその勇気の在り処を糺そうとする動物園帰りの男。著者がタクシー運転手に絡む姿が、あのオールビーの登場人物とイメージが重なる。 どちらもいわゆるアンチ・ヒーローながら、読者の共感を誘うのだ。行き場のない心の鬱屈が、身もだえするように発するこころの叫び(H23.11.3)。 | ||||
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マーボ=脳漿、の例えはけっこう笑えました。 どのタイトルを読んでも印象は同じ。ある意味、「定番」ですね。 | ||||
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収録されている作品の水準にばらつきが少なく、どれも楽しめる。なかでも「赤い脳漿」は笑いという点において絶品である。作中の主人公と同棲する秋恵とのリズムのある会話も楽しく、ある予感をはらんだ緊張感のある終わり方も良い。主人公の狂気に笑いを求める方には必読の一篇。 | ||||
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西村賢太を車谷長吉と比較して貶める人がいるが、とんでもないことである。車谷長吉は、タブーというと殺人しか思いつかない平凡な人である。反時代的毒虫などと悪ぶっているが、所詮は単なる秀才である。だから一般大衆に受けるのである。発想がすべて平均的社会人の良識の範囲内なので、巧みなストーリーを安心して読めるからである。しかし私は、車谷が「生き恥を晒している」と言いながら、自分の恥よりもむしろ他人の恥を晒しているところに疑問を感じる。一方で西村賢太は、徹底的に自分の生き恥を晒し、平均的日本人の良識の限界を軽く乗り越えてしまう。だから純文学なのだ。 『人もいない春』の中では、『悪夢―或いは「閉鎖されたレストランの話」』が傑作である。『一私小説作家の弁』(212ページ)には、この短編が「収録に値せぬ」とある雑誌に断られたことが書かれているが、収録を断った人の見る目のなさに驚いてしまう。これは天才の書いた小説である。 「その婦人がスプーンを放り投げ、怪鳥じみた絶叫をあげたのは、そこだけ煮崩れることなく原型をとどめていた、あの特有の規則的な線の走る尾っぽの一部が、ライスの上にどろりととぐろを巻いた為であった。混入したクマネズミをまるまる煮込んだ上で客に出したとあっては、もう救われない。このレストランはたちまち閉業に追い込まれた。」(72ページ) 怪物が書いたと思われるこんなにグロテスクな美しい文章を見たのは、佐川一政の『霧の中』以来である。 『赤い脳漿』では、悲惨な交通事故の話が出てきたのでどんな展開になるかと思ってその後を読んだら、食っていた飯を吹きだしてしまったではないか。 この作家が小説中に用いる「はな」「あきたりない」「〜なあ」「どうで」などの特殊な語法は、すべて彼が尊敬する藤澤清造の小説中に見られるものである。「いやったらしい」という表現は、岡本太郎以外では見たことがない。藤澤清造の『根津権現裏』は、一人の友人の自殺をテーマとした地味な小説である。そこから誕生した西村賢太という小説家は、人間から怪物が生まれた感じがする。 | ||||
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激情に駆られて「てめぇ!」と怒鳴れば、一人称は「おれ」だろう。しかしこの西村君は徹底して「ぼく」。そのコントラストがクレイジーだ。 身辺の些末な事柄を題材に出来るのは偉大な小説家。感情の起伏を見事な文章に乗せて我々の前に露呈してくれる。やみつきになる。毒のない小説には何の価値もない。西村、頼むぜ、激情を放出せよ。 | ||||
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私小説で成功した者の常かもしないが、どんどん角が取れて丸くなっていくのは、果たしていいのか悪いのか。 それでも不思議と個人的には著者の作品中、これが最も味わい深かった。 大きなネタはもはや底を尽きたのか、どの編も事件らしい出来事は起きず、奥の細道的な些末な日常の事象の取り上げに終始している。結果、主人公の短気さと神経質さがより明確に浮き上がることとなり、そこにますます自分に近いモノを感じるからであろうか。 これは小説の優劣といった話ではなく、単に好みの問題であるかと思う。 | ||||
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おおむね収録されているのは貫多を主人公に取る私小説に属するものですが、その中で異彩を放つのが『悪夢――或いは閉鎖されたレストランの話』です。 あるレストランに棲み着いたねずみの一族と、レストランで働く人間の暗闘をねずみの視点から書き綴ったものですが、簡潔な表現の中に妙な生臭さが横溢してます。 その生臭さは、おそらくは作者が物するところの私小説の作品群の中に立ちのぼる臭いと同じものに思えます。いつもの西村賢太と片付けてしまうにはちょっと惜しい佳品です。 | ||||
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僕はもう、同じ設定で毎回同じ失敗をやらかす、この人の話が好きでたまらない。 嫌な人は一冊読んだらもうウンザリなのかもしれないが、僕は新刊が出ると読まずにいられない。 おまけに今回は、くるぞくるぞとわくわくしてるところを、肩透かしするなんて話も。いやそんなつもりかは知らないけど。 暗渠の宿、過去作に比べれば迫力不足ですが楽しめました。 | ||||
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