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塞王の楯
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塞王の楯の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.10pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全11件 1~11 1/1ページ
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面白かったけど、結構読めない漢字が多くて読むのに時間かかった。 | ||||
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年配者には、本文の文字が小さ過ぎて、大変読みづらい。 | ||||
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話が徹頭徹尾ご都合主義なのを差し引いたとしても、やや甘ったるすぎやしないか。 もうちょっとビターテイストが好みの方には、このぬるさは肌に合わないだろう。 今どきのエンタメとしてはこのくらいでいいのだろうが。 | ||||
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力作ですが,少々長い。直木賞作だそうですが,文章はもう少し緊張感をもって読み進められるともっと良かったと思いました。 | ||||
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分厚いですが、中身も熱く飽きさせずに読ませます。 歴史物のハラハラエンタテイメントという感じ。 登場人物が少なく、人物描写もわかりやすい。 戦いの描写は巧みでページを繰る手が止まりません。 読後には爽快感があります。 が、生き方や思想を揺さぶるような深みを求めると肩透かしに合うかもしれません。 娯楽作品ということで、直木賞にふさわしいのでしょう。 | ||||
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城造りや戦のシーン、登場人物など、読み応えがあって面白いのですが、どうしても残念なのが外堀の水。 ポンプも使わずに永久に水を汲み上げる装置が、他の面白い部分を見事に興醒めさせてくれます。かなり高度な技術のようなので、作者の方に作り方を教えていただきたい。 それがちょっとくらいのエピソードとしてならまだよかったのですが、前半の見せ場として書かれているのでかなり気になります。 せめて、山に蓄えた水を地中を通して外堀に下から送り込むとかあったろうに。あ、それだとそのまま流し込んだらいいだけか。 | ||||
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後半は一気に読めました。 | ||||
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はっきりと、のことを「はきと」と表現するのがお気に入りのようで、1ページに2回出てくることもあります。あとは「下唇を噛む」「口内を噛む」も頻発します。それらの表現が出てきたページにポストイットをつけていったら、本がポストイットだらけになりました(w 直木賞取るくらいなので、もう少し語彙や表現が多様だと読みやすいのに…と感じました。 源斎の死が、あっさり描かれていたのは戦国時代は死が身近だったからなのでしょうか。 ネタバレになりますが、戦の最後、要石が割れるのと、雷破が壊れるのが同時だったというのはドラマチックで映画にしたら面白そうだなと感じました。 今まで石垣のことを何も知らなかったのでこれからお城を見るときは斎王の事が頭をよぎると思います。 | ||||
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最強の武器と最強の防御というテーマから薄々感じていたが、寓話的というか歴史小説では無い。まあその分割りきればエンターテイメントとして読めるが、そこら辺は時代物に依存した甘さがある。娯楽小説における高い賞を受賞しているが、面白さだけならもっと別な作品でもよいと思う。賞の位置づけ同様に中途半端な作品という印象になった。 | ||||
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どちらが勝つのかハラハラして一気に読めました。 | ||||
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今村翔吾の新作のレビューである。550頁に及ぶ力作である。 本作品の主人公である匡介は、織田軍が朝倉家の拠点である一乗谷を攻撃した際に、両親と妹を失うが、石垣造りを得意とする穴太衆(あのうしゅう)の棟梁にして、その天才的な才能から「塞王」と呼ばれる飛田源斎に拾われる。やがて、匡介は、石積みに関する天賦の才能を発揮して、飛田源斎の後継者となる。そして、誰もが決して破れない城(石垣)を作ることを夢見る。そのような城ができれば、やがて人は戦うことの意味を見出せなくなり、世の中は平和になるだろう。 同じような思考をしているのが、鉄砲作りを生業とする国友衆の若き棟梁、国友彦九郎である。彦九郎は、どんな城でもあっという間に落とす究極の砲があれば、敵同士が互いに牽制しあい、やがて泰平の世の中が導かれるとする。ただし、その砲の破壊力を知らしめるために、一回は使用されなければならない、と考えている(この彦九郎の考え方は、核兵器の抑止力の議論や、日本に投下された原爆のことを想起させよう)。 絶対破られない城が「盾」だとしたら、どんな城をも破る砲は「矛」であり、両者は「矛盾」をきたす。そして、ついに関ヶ原の戦いの前哨戦ともいうべき、伏見城の攻防、そして本作品のクライマックスである大津城の攻防において、東軍に力を貸した穴太衆の石垣作りの技術と、西軍に力を貸した国友衆の鉄砲・大砲作りの技術は激突する。果たして、矛が勝つのか、盾が勝つのか。 物語のあらすじは、ざっくり書くと、このようなことになるだろうか。私は、この本を読み始めるまで、エンターテイメント系の歴史小説を想像していた。というのも、以前、民放で、「どんなに硬い金属でも孔を開けられる切削工具」と「どんな切削工具でも孔を開けられない金属」とを対決させるバラエティ番組があり、それを楽しみに見ていたのである。しかし、この本にはバラエティ的な要素は少ない。守る方も攻める方も、生死がかかっていて生真面目であり、面白みが感じられるのは、京極高次という人物の描き方ばかりである。 次に、先に書いたように、核兵器の抑止力というテーマを想起させたから、穴太衆による「武器のない平和な世界」という理想が敗退し、国友衆の「武器の存在を前提とした、パワーバランスによる平和な世界」が、結局は勝ってしまう、そのような現代世界を示唆するような作品なのかと想像して、最後まで読み進めた。しかし、作者は、穴太衆も、国友衆も、どちらも勝てなかった世界を描いている。それでも、私たちは、関ヶ原の戦いの後、徳川政権が、圧倒的な武力で天下統一を成し遂げ、長い泰平の世を作り出し、そして、その泰平の徳川時代が終焉を迎えるのは、欧米列強が圧倒的な軍事力で迫ってきたためだ、という事実を知っている。 それでは、この長い物語を読み終えて、「いったい、この物語の現代的意義とは何なのか」という問いと向き合いだすと、私は答えを見つけられなかった。つまり、読み終えて、釈然としていないのである。また、人間の描き方も真面目一辺倒の好人物が多く、「じんかん」(講談社、2020年)の松永久秀の描き方でも感じたことだが、登場人物に奥行きが感じられなかった。それから、穴太衆や国友衆が軍議にまでに参加して、大きな発言権を持っていることにも、そして戦場の前線で働く職人が全く死なないことにも、ややリアリティが感じられなかったのである(かつてのNHK大河ドラマの「江〜姫たちの戦国〜」のリアリティのなさを思い出した)。 今村翔吾には、石田三成を再評価した「八本目の槍」(新潮社、2019年)という、機知に溢れた優れた作品がある。どうしても、その作品と比較してしまい、この作品は「標準点」としての☆3つと評価した。これは、私の書いた32番目のレビューである。2021年11月6日読了。 | ||||
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