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沈黙



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沈黙の評価: 4.41/5点 レビュー 388件。 Bランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点4.41pt


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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全337件 201~220 11/17ページ
No.137:
(4pt)

やっと読みました

出版時ベストセラーだったのに読まず最近になって祈念坂を歩いて印象深かったのを期に読みました。弾圧の歴史が胸に響きました
沈黙 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:沈黙 (新潮文庫)より
4101123152
No.136:
(5pt)

「弱き信仰者」の救いの問題を提起した名作

遠藤周作の『沈黙』は、神/キリストへの信仰の「救い」の問題を独自の観点から扱った傑作である。
キリスト者にとって、最高の信仰の姿は「殉教」といえるだろう。
殉教とは神への信仰が、信じるものの命をも捨てさせることである。
キリスト教史において、殉教の歴史を語ることは、キリスト教の栄光を語るに等しい。
聖者であろうが平信徒であろうが、自身を迫害するものに対して、敢然と自分の命を差し出すことが
できることこそ、キリスト者の理想であった。そのような信者を「強き信仰者」と呼ぶこととしよう。
それならば、「弱き信仰者」とは誰なのか? それは、迫害に際して、保身に走り、
自らの命を長らえるために、迫害者に屈する者たちである。生きるためには、
神もキリストも捨てることができる者たちである。弱き信仰者は人をも裏切ることだろう。
たとえその人が、自分を愛してくれた人だったとしても…。
それでは、背教者となった「弱き信仰者」には、もはや救いはないのだろうか? 
神から見捨てられ、廃人のようにこの世で生きるしかないのだろうか?
この作品はその疑問を世に問いかけている。

ロドリゴ神父は、イエズス会の戦士として、日本へのキリスト教布教を
神から授けられた使命としていた。
しかし、日本の極めて特徴的な精神風土や徳川幕府によるキリスト教禁制の現実において、
キリスト教信仰の萌芽は完膚なきまでに摘まれてゆく。
一見すると、純真な信仰者を生み出したように思えても、日本の土壌には信仰上の
根が生えることがなく、彼らはことごとく拷問され、磔刑に処せらてゆく。
そして自身も絵踏によって査問されることとなったロドリゴ神父は、そこにキリストの声を聞く。

《私を踏みなさい。わたしはおまえが私を踏む足の痛みを知っている。私はお前たちに踏まれるためにいるのだ》

この声は、どのような「弱き信仰者」をもキリストは愛しており、神から見捨てられる対象には
ならないという意味となる。たとえ、どのように神の存在を拒絶し、信仰上の裏切りを行ったとしても、
神(キリスト)はその裏切り者でさえ見捨てることはないことを意味する。
この『沈黙』という作品を以上の意味から捉えれば、神(キリスト)は、
どのような罪悪人をも「強き信仰者」と同様に愛してくださる存在となる。
もちろんこれは作者遠藤周作の創作であり、遠藤のとらえるキリスト教観であるのだが、
神の側に立てず、悪魔の誘惑に負けるならば、罰せられ地獄にに落ちるという
短絡的な二元論的思想ではなく、いつでも誰にでも救いの可能性があることが
キリストの存在の真の意味であるという考え方は、なんと素晴らしいことだろうか!

このようなキリスト教思想のあり方は、宗教の本質の問題である。
あたかもそれは、親鸞の「悪人正機説」と同じ意味をもち、ドストエフスキー文学により提示された
極限まで深く描かれたキリスト教の核心、すなはち ---「すべては許される」--- ということと同義である。
「すべては許される」という意味は誤解を招きそうだが、(ここでは詳細に触れられないが、)
「何をやっても許されるなら悪がはびこるだけではないか」という疑問を意味しない。
神と人間との関係性をつきつめてゆき、その答えが「神の沈黙」でしかないのであれば、
もはや絶望しか残らないことだろう。しかし、人間の苦しみが極限状況にあるとき、
「同伴者」(キリストを表現する時に遠藤が用いる言葉)が同時にその極限状況の渦中に存在し、
それを体験し、「同伴者」も共に苦悶の只中にあるとしたら、どうだろうか…?
そこには、救いの光が見えて来はしないだろうか。

この『沈黙』という作品には、このような意味での重要な問いかけが行われている。
遠藤周作のキリスト教思想の真髄が、この作品にあることはまちがいない。
この『沈黙』の作品内容によって、出版当時のローマ法王庁が気色ばむことになったとも聞く。
しかし重要なのは、この作品の問題提起にこそ、キリスト教の救済の真実性が存在するということなのである。
ペテロは三度イエスを否定し、イエスを裏切った弱き信仰者だった。
パウロは多くのキリスト者を殉教に追いやった極悪人だった。
にもかかわらず、両者は救済されただけではなく、聖人に列せられたのである。
遠藤周作のこの作品により提起された問題性は、実に深くて大きい。
長くなってしまったが、最後に以下の言葉を添えたい。

《おまえは呪われた者たちを愛するのか言っておくれ。おまえは赦されない者を知っているか?》
                          --- シャルル・ボードレール ---
沈黙 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:沈黙 (新潮文庫)より
4101123152
No.135:
(4pt)

オーウェル的世界はかつて日本にあったし、

一瞬だけ本性を隠し再復活しようとしている。これは過去の話ではなく、宗教の話でもない。
沈黙 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:沈黙 (新潮文庫)より
4101123152
No.134:
(4pt)

一人の宣教師が真の信仰、真の愛を得るまでの、一つの過程の物語

舞台はキリスト教徒が迫害されている江戸時代。
そこに訪れる宣教師のお話です。

自身が幕府の役人に捕まって拷問によって棄教を迫られるかもしれない、
棄教を拒んで地獄のような苦しみを味わうかもしれない、
そもそも危険な海路で命を落とすかもしれない…
そんな様々なリスクがあると知っててもなお、
主人公はヨーロッパからはるばる日本を訪れます。
それというのも信仰を広めることを通じて人々を救おうという強固な信念だけではなく、
自分を優しく導いてくれた尊敬する教父が日本で棄教したという、その噂の真相を突き止めたいという思いがあったからです。

彼にとっては、棄教とはすなわち天国へと導くイエスとの約束の裏切りであり、天国を信じない、あるいは捨てることの表明であり、
それを一心に信じていた過去の自分の否定でもあります。
それだけでなく棄教は、弱さの表れであり、敗北であり、キリスト教徒として教会に対する恥ずべき不名誉でした。
だからこそ彼にとって棄教者は軽蔑の対象であり、許しがたいものでした。
信じたいにも関わらず、恐怖や苦痛に屈服して信じるきることの出来ない人を、彼は弱い人間だと考えます。
自分はいかなる拷問を受けても棄教をしない、自分は弱い人間ではなく立派な人間であり、そうした弱い人間とは違うのだ。
そういった自信を彼は持っていました。

ある時、大きな苦難が彼を襲います。
自分を屈服させようとする相手に屈することなく、自分の信じるものを貫くのか。
それとも相手に屈して、自分が頑なに信じていたものに背くのか。
主人公は葛藤に苦しみ、神に救いを乞い、熱心に祈り、奇跡を待つのですが、依然何も起こりません。
最終的には、主人公はある一つの結論へと辿り着きます。

このお話には、明確な憎むべき悪者というのは出てきません。
迫害する日本人たちも、宣教師をちゃんと人間として扱い、思いやりをもっています。
他人を悪者にして自分の弱さから眼を逸らすのは容易ですが、自身の弱さと向き合うことは出来ません。
このお話の中では、自分自身の持つ弱さと向き合うことが要求されています。

自分自身を偽る人間の弱さ、それを乗り越える許しと愛について、ここまで切り込んだものはなかなかないと思います。
本書で描かれているものはあまりにも多く、人間というものを見つめさせてくれます。
沈黙 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:沈黙 (新潮文庫)より
4101123152
No.133:
(5pt)

読んだ感想です

私は何の宗教も信奉していませんが、家には神棚があり、仏壇もあり、クリスマス、ハローウィーンも祝い、初詣にも行きます。自分の都合の良いように”神”のようなものを作り上げても、思い通りにならないときはどうせ神なんかいないし、何もしてくれないと自らを納得させています。しかし、神を信奉する人にとっては、それを”沈黙”というのでしょうか。一方、江戸時代の悲惨な宗教弾圧を知り、本当に信じる者が救われたのかという問いと、それでも信じざるを得なかった貧困と封建社会の実情を悲しく思いました。
沈黙 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:沈黙 (新潮文庫)より
4101123152
No.132:
(5pt)

不朽の名作

中世的人間観に縛られていた主人公の聖職者が、本来のキリスト教信仰に立ち返る物語。
司祭という身分に懐疑を持ち始めながらも、
ロドリゴが聖職者の身分を受け入れることができたラストの感動は忘れられない・・・。
沈黙 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:沈黙 (新潮文庫)より
4101123152
No.131:
(5pt)

神の沈黙

日本人の多くは宗教について特別に意識を持って生活してはいないと思います。
しかしこの本はそんな日本人にこそ読んで欲しい作品です。
信仰に対する考え方が変わると思います。
沈黙 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:沈黙 (新潮文庫)より
4101123152
No.130:
(4pt)

たとえ、それでも

解説にも書かれてあるよに、物語は一本道。司祭が日本に行き、仲間の安否を確認する。

だからこそ、登場人物に深みが増し、苦悩する姿に共感してしまうのだろう。

神とは何か? 宗教とは? というよりも、日本人とは? この国の文化は、精神は? と考えてしまう。

自身に問いかけらているように感じた。
沈黙 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:沈黙 (新潮文庫)より
4101123152
No.129:
(4pt)

苦難の中

江戸時代、幕府がキリスト教徒に対して棄教をさせようと、積極的に推進していく中。
布教の為にやってきたポルトガルの宣教師達の話。

自分たちや、先輩達が布教したキリスト教を信じる
罪もない、日本人の信者達が目の前で
とても残酷な手法で処刑される。
それを見せられ、彼らは棄教を迫られる。

信仰とは?神様とは?
いくつか遠藤周作の著書を読んみたが、彼のもっているキリスト像が色濃く表現されいると思った。

主人公は、こんなにひどい事が起こっているのに、なぜ神は沈黙されるのか?と訴えます。
しかし、最後には、神は沈黙されていたのではない。
一人ひとりの苦難と共に寄り添い、一緒に苦しみを受け、共に歩まれていたのだという解釈。

この小説をよみながら、ノーベル平和賞をとった
エリ・ヴィーゼル筆の「夜」にでてくる
かの有名な処刑台の場面を思い出しました。

棄教しなければならない神父の苦悩をも受け入れる神。
苦難の中に神を見出す信仰が印象的でした。
沈黙 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:沈黙 (新潮文庫)より
4101123152
No.128:
(5pt)

現代っ子におススメ ♪ かな(笑

私なりの視点。

この衝撃のストーリーを読み終えて、何をか言わんやである。
いかに現代社会が、個人にとって恵まれているかを痛感する。
悩み事の有無を問わず、現代人は一読したほうが良い。

繰り返される痛々しすぎる悲劇。
悲惨さのあまり、この世には神も仏も無いのかと人は口にする。
許しがたい悲劇、この世に弱者を救う慈悲は無いのか?
人の願いとは裏腹に、救いの光は一向に現れはしない。
フィクションと現実は違うのだ。
そして主人公パードレとともに、読者も悲痛に呻きながら考えさせられる。

読み進めるうちに、
「救いの神は自分の中から生まれてくるのでは?」
パードレと読者がたどり着いた先に、かすかに見えてくるものがある。

人によっては見えてこないかも知れない。
分からなくても、今の時代とは違いすぎて、
少なくとも今のこの現代の恵まれている部分に感謝できることと思います。
平和ボケしている場合ではないと、少しは考えさせられることと思います。

私なりの読後感想でした。
沈黙 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:沈黙 (新潮文庫)より
4101123152
No.127:
(5pt)

この国は沼地だ

酔っているくせに狡そうな眼

自分の運命を信じられぬ者たちにお委せになった

自分が有用だという悦び

圧制者の前では馬鹿を装った

ただ今、お前らの息づかいが荒くなったのを見逃しておらぬぞ

基督より聖母のほうを崇めている

唾……

ものわかり良さそうな温和な人物

日本国に身勝手な夢を押しつけよる

井上様の考えなされた拷問だが

人のために尽すには仏の道も切支丹も変りはあるまいて

この国は沼地だ

私たちには理解できぬ彼等流に屈折された神だった

日本人は今日まで、神の概念はもたなかったし、これからももてないだろう

転ぶとただ一言、言うてくれ

あれは、鼾ではない

神はなにもしなかったからだ

お前は自分の弱さをそんな美しい言葉で誤魔化してはいけない

たしかに基督は、彼等のために、転んだだろう

踏むがいい

日本とはこういう国だ。どうにもならぬ

ーーーーーーーーーー

100点

師を追って、沼地日本に踏み入れた司祭は結局踏んで転びました

踏むことで、彼の感覚が変わって名前も日本人になりました

調査されて書かれている説得力があり、とてもドラマチックに展開されていき、魅了されました

映画化がスコセッシのようですが、井上筑後守役がイッセー尾形、キチジロー役が窪塚洋介
この監督はいつもベストキャスティングです

原作では終盤、筑後守が完全に場をもっていきますので、イッセー尾形の芝居が早く観たいです

穴吊り、この描写がとても非道いです

鼾が聞こえる場面、沼地だと言う場面、映画でどうなるのか見ものです
沈黙 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:沈黙 (新潮文庫)より
4101123152
No.126:
(5pt)

神は沈黙していない。この国の混乱が神の声に耳を塞ぐくらい、日本人のプライドが高かったんだよ。

私が日常で感じている日本人というものの違和感や性質をよく書いていました。

教えたことを過剰に有難がって自分の努力で褒められようとするうちに、協力的で死すら厭わないのに、
実際は教理自体を捻じ曲げていること、
激しい怒りや暴力より屈辱や恥で人を屈服する陰湿なやり方、
形式だけ踏むだけだ、それがみんなのためだ、とまるで同情するように唆して貶め、
いざ踏めば民衆に嘲嗤わせる、あのやり方。

人の内面に気付きながらも気がつかないふりをして、あるいは自分が上に立てなくなると察知して気づくことを自分で拒み、重箱の隅をつつく如く糾弾しそこに理論破綻があっても何かしら馬鹿にできるところを見つけて嘲笑うことで支配しようとする人々。(私はここを見てネトウヨと呼ばれる人を思い出します。プライドが高くて、子供じみた理屈や冷やかしで勝利できると思っていて。)
目の見えないモグラを殴ったところで科はないと囃子歌を歌う子供。(これは諦めて皮肉を歌う若者のようで)
純粋ながらも非常に臆病で裏切るかわいそうな馬鹿で惨めで醜い百姓。(この種類の人は同じ日本人にすら馬鹿にされがちで今は数は少ないですが、しかし熱心な信者が死んだあと、罪悪感を消せずに惨めながらもついてくるのは彼です。)
真剣に努力するが自分の努力しか見えず教理自体は理解していない者。(努力主義の会社員のよう)

例えば現代で、
洋書の自己啓発本を捻じ曲げて理解して虎の威を借りた努力神話を生み出して身体を壊す会社員や
現代でなぜそこまで執拗に攻撃するのか理解に苦しむくらいにテレビで干されていた様々な有名人が脳裏に浮かびました。

史実を基にした創作とはいえ、描かれた姿はまるで今日の日本人のような性質をしています。

この小説は、単純に武士階級のイノウエがイジワルな悪役、という話ではありません。映画は見てませんが、ロドリゴがラストで拷問されたとあったので改変されたのだと思います。実際はもっと残酷で尿で汚れた拷問部屋で拷問中の百姓の声を聞かせたり信仰の侮辱を含んだ惨めにさせる説得が描かれています。
殴られた方がマシ、というものが世の中にあるのだなと思わされるので是非小説版をお読みください。

しかしこの本の重要な部分は、「日本人はキリシタンに酷いことしましたね!」という単純な自己嫌悪話ではないのです。

小説の前半は信者の姿が書かれるのです。
大きく字数を割いているのは裏切り者の愚かで臆病なキチジローの姿ではあるのですが、
殉教する熱心な信者ですら、
キリストよりもマリア信仰をしていたり、神社でお守りをもらう如くロザリオを欲しがる姿が書かれていて、
主人公のロドリゴ司祭は不安を覚えるのです。

以下は打ちのめされた先輩の司祭の言葉です。
「この国は沼地だ 。やがてお前にもわかるだろうな 。この国は考えていたより 、もっと怖ろしい沼地だった 。どんな苗もその沼地に植えられれば 、根が腐りはじめる 。葉が黄ばみ枯れていく 。我々はこの沼地に基督教という苗を植えてしまった 」

キリスト教に限らず、既に中国で改変された儒教の混じった仏教を、日本人はさらに改変しました。
人も中国の神獣も何でもかんでも神社にまつります。

日本人はそれを柔軟で素晴らしいと自画自賛します。

すべての宗教を、信じればご利益のある神道のようにしてしまう。

それで与えられたのは自由だったでしょうか?

自由と言っていいのかもしれません。彼らはなんの戒めもなく自由に振る舞った結果、ずる賢い為政者の百姓への弾圧、肉さえ食わされず、生かさず殺さずと公言し、武士階級ならば好きな時に切っていいという「自由に作った」ルールと、愚かで臆病な下の階級の苦しみと身に染み付いた依存的な性質、上層部の痴情のもつれから生じる戦争や混乱や飢饉、プライドが高くて子供じみた論拠と冷やかしで勝とうとする、またそれを勝利だと思い込む醜い風習。

素晴らしい自由の結果ですね。

地図を与えられない子供のように、日本人はすべてに迷って育ちました。
その結果がこの沼なのです。傲慢と臆病の沼地。この土地にはキリスト教はおろか新しい哲学も知恵も科学も育たなかった。(蘭学経由、中国経由で数学や木彫のカラクリやエレキテルくらいはあったかもしれませんが。)

なんだかんだ言って自分らは賢いし今まで正しかったから、
他の人の意見などご利益でもなければ聞きもしない、という沼。

イノウエがキリスト教に敵意を持った理由が、自分が頭がいいと認めてくれなかった司祭への恨みです。
日本人は謙虚に見せながら、それは根本的には、謙虚に振舞うと良いと書いている中国の兵法(孫氏など)を読んだことに対する教養のアピールでしかなく、ようは謙虚であることを「誇って」いるのです。それができる自分は教養があって偉い、人の話を聞かないほどに。そう考えているのです。

私の戦争経験者の祖父は、戦争に負けてどうなるか、と思ったが、かえってよくなったなと言っていました。

西洋人が与えた憲法、人権、法律、道徳観念的なものは、聖書を根拠に作られています。
彼らはまともな地図をくれたのです。人権という地図です。この苗木です。

多くの日本人は、
踏み絵を踏まないクリスチャンのこと、理解できないでしょう。

形式で踏んで済むなら踏めよ、私もかつてそう思ってました。

この国は、人権も腐らせる気でしょうか。
私は案外、低い身分の人が愚かにも騙されて自分から腐らせて行くのではないかと思われるのです。

それを止めるのが、キリスト教の教理であったとしたら、並びに、(こういうことを言うから真っ先に疑われて話を聞いてはもらえないのはわかっていますが)その教理の地図を人間に与えたキリストとその神であったとしたら、

私は死んでも踏みませんね。

誰があんな腐れた沼地の国に戻すか、絶対、絶対嫌だわ。
幼稚な理屈で人の尊厳を屈服して自分のプライドを守るような奴が平気で生きてる国なんて。
この人権の苗木を枯らせてたまるかボケ。

神は沈黙していない。この国の混乱が神の声に耳を塞ぐくらい、日本人のプライドが高かったんだよ。

この国は戦後の西洋文明による法の整備に恩恵を受けている。
それなのにあえて神の声を無視しているのは、これが当たり前だと思ってるだけ。
沈黙 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:沈黙 (新潮文庫)より
4101123152
No.125:
(5pt)

日本一カトリック文学

描写といい、ストーリの展開といい、本当日本一カトリック文学と称されるに値する作品と存じ上げます。
沈黙 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:沈黙 (新潮文庫)より
4101123152
No.124:
(4pt)

初の遠藤作品に接して

私はそんなにしびれませんでした。
イノウエさんの言っているところは当たっているのかもしれませんが、
その当時の日本人すべてが、キリストの教えのを曲げてはいなかったのではないでしょうか?
「沈黙」の意味をもっと考えたいと思いました。
沈黙 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:沈黙 (新潮文庫)より
4101123152
No.123:
(4pt)

何のための信仰か

知人に勧められて読みました。
渡日した牧師が反キリシタン政策にあい、苦しむ姿が描かれます。
これを読む前に、作者の著作のキリストについて書かれた作品を読むと、理解が深まると思います。
祈っても祈っても、熱心な信者の命が犠牲になっても、助けがない。
牧師は悩みます。信仰することに意味があるのか?何のための信仰なのか?自分のための信仰なのか?
とても深い、正解の出ない問いかけがテーマです。
キリスト教がどうのこうのという前に、宗教というものをとらえるために、読んでおきたい名作です。
沈黙 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:沈黙 (新潮文庫)より
4101123152
No.122:
(5pt)

キリシタン迫害の歴史

内容は衝撃的だった。宗教についても色々と考えさせられた。信じるとは?
沈黙 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:沈黙 (新潮文庫)より
4101123152
No.121:
(5pt)

独特の世界観

島原の乱後の日本、ポルトガル出身の若き司祭が訪れ布教を志すが、
信者の裏切りにあって捕えられ、ついには棄教する、という物語。

ストーリーは単純だが、テーマは重い。
日本人の著者が、外国人を主人公にした宗教物語を描くのは
大変だと思うが、難なくどころか非常に巧みな心理描写をもって
作品世界に引き込んでくれる。読んでいて飽きない。
前半と後半とで文体を変えている効果もあるからだろうか。
個人的には、深く暗い夜と海の描写と、長崎の夏の色彩鮮やかな描写との
コントラストがとても印象的だった。

日本の信者がキリスト教本来の教えを良く介さずに
独自の解釈をしてしまう、という話は
キリスト教のことがよく分からない自分にとっては興味深かった。

それにしても、なぜ当時日本はキリスト教を厳しく弾圧したのか。
その理由を調べてみようと思った。
沈黙 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:沈黙 (新潮文庫)より
4101123152
No.120:
(5pt)

宗教とは何かを考えさせるドラマティックな歴史小説

江戸時代初期に日本に潜入したポルトガル人宣教師の辿った運命を題材にした、ドラマティックな歴史小説。
島原の乱の鎮圧後、キリシタン禁制が極めて厳しかった日本に潜入したポルトガル人宣教師ロドリゴは、間もなく捕われて過酷な拷問を受ける。しかも、多数の日本人信徒が想像を絶する迫害、拷問を受けながらも、信仰を捨てず、犠牲となっていく。そうした中、ロドリゴは遂に背教の已む無きに至る。
ストーリーは当初から不可避と思われる最悪の結末に向かって一直線に進み、そこに予想外の展開はなく、ある意味極めてシンプルであるにも拘らず、その緊迫感にぐいぐいと引き込まれていく。
「神は存在するのか」という根源的な問いに答が与えられたわけではなく、最後のロドリゴの背教が、実は神への裏切りではなく、キリストは棄教者の足で踏まれつつ、これを赦していたという逆説的な発想に至っては、信じる宗教を持たない私としては、解釈の手掛かりすら持たない。
しかし、今日の世界における最大の問題のひとつである宗教間(民族間)の対立を考えるにつけても、宗教とは何なのかを考えてしまう。
また、宗教に限らずとも、自分のプリンシプルに基づいて行動することの意味をも改めて考えさせる。
強烈な印象を残す作品である。
(2007年10月了)
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4101123152
No.119:
(5pt)

挫折を経験した方に

宗教の話というよりも、一人の外国人宣教師が異国の地で自分の理想を実現しようとするが、実際はそれほど甘くはなく、迫害と裏切りを受け、深く悩み、結果傷心の中で現実を受け入れてしまうという話です。ここまで壮絶ではないけれど、仕事で似たような立場にたたされたことのある自分の姿と重なりました。理想と現実、絶望、無力感、様々な思いが錯綜する状況の中で、結果的に自分の今置かれている現実を受け入れざるを得なかったパードレの気持ちが痛いほどわかります。世の中そんなに格好いいことばかりじゃないんですよ。
大きな挫折を経験した方にお薦めします。
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4101123152
No.118:
(5pt)

結論ではなく、過程としての沈黙

日本のキリシタンたちには、実に敬服する。あんなに長年あんなに徹底した迫害に耐え続けた類のクリスチャン人口は、世界でも有数だろう。脅迫の際、無実の人々を人質にとられることは、最もつらいだろう。自分は拷問されたり殉死できても、他の人々の命が自分の犠牲になるのは・・・。選択は非常に厳しい。でも主なる神は、うわべではなく、心と物事の真実をご覧になる。「沈黙」の主人公もそれを確信し経験したのだ。そして、生ける神の沈黙は、沈黙ではなかった。神はご覧になられ共に苦しまれ、人間の理解力を超えたところで、常に御業をなさっていた。信じ難い苦しみを経て、神の主権に安心できる作品である。日本には知られていないが、全世界22億人のクリスチャン人口には、「殉教者の血は、そのまま教会の種となる」という真理が常識だ。天では別の現実が存在するし、地の歴史も悲しいことばかりじゃない。現に、日本の地の教会は存続した。これはまさしく、神の沈黙ではなく神の奇跡だ。たとえ現時点では地上で苦しくてたまらなくても。薄幸・儚い美への嗜好のあるアジアかも知れないが、キリスト教信仰がテーマである以上、「沈黙」とはそういう観点で読むべき本である。個人的には、遠藤周作は単に、「俺の母国は、国を挙げて少数のクリスチャン人口にこんな酷いことをしてきた。しかし悔い改めと神の赦しが人間に希望を与える」と訴えているように聞こえる。彼のような作家と作品こそ、世界中が必要とする。
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