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壬生義士伝
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壬生義士伝の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.65pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全285件 121~140 7/15ページ
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数ある新撰組に関する小説の中でも、最高の一冊。 吉村貫一郎を第三者の視点から語る手法は独特ながら、入り込みやすい内容です。 男たる者、どう生きるべきかを再考させられる。 | ||||
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春になったら岩を割って咲く桜と岩手山を見に、そして、主人公とその家族が生きた盛岡の街を訪ねてみたくなった。 しかし、何もそこまで頑なな生き方をしなくとも。それも親子そろって。 | ||||
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とにかく泣けます。この小説から新撰組にはまり、有名どこの小説を読みあさり、あらかた制覇したところで、またこの壬生義士伝を読み直したら、最初に読んだ時の何倍も泣けました。 吉村貫一郎の遺伝子が今なお何処かに存在していて欲しい。 | ||||
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先ほど読了いたしました。 渾身の大作、つくづく堪能できました。 単純な感想としては、美しい士道と郷土愛への共感と涙。 それに技巧の限りを尽くした作家の胆力膂力でしょうか。 なかでも芥川の「藪の中」に範を垂れた多次元的な語り口でしょう。 これがなかなかに功を奏しごく普通の叙述にしてしまえば おそらくこの小説の半分以下の頁数になったと思うのです。 そしてこじんまりとした武士のよくある美談で終わったかもしれません。 様々な証言を経るうちに読者は巧みに吉村貫一という武士、 その風貌、服装や挙措、佇まい、さらにはその懊悩、葛藤、喜怒哀楽に 労せずして触れることができる、 かの如き快感に浸れることが可能となりました。 本人吉村貫一の朴訥とした談、その妙はさておき、 主人公の大方の事情を、池田七三郎の軽妙な江戸弁で読者は知り得ます。 が、さらに奥まった微妙な命のやり取り、修羅場の事情は、 怪しく揺らめく蝋燭のように奥暗く邪悪な斉藤一の語りで察します。 これが不気味ながらも最後はなりふり構わず熱い血を沸騰させてしまう、 う〜ん、なんとも渋い・・・ この辺がこの作品の最大の魅力でしょう。 泣かせる部分は多々、それこそくみ尽くせぬ井戸の如くあります。 主人公が南部藩の誇り高き武士であるとともに、妻子を支えねばならない、 飢餓の中でも生き延びさせねばならない。 いわば、義という理想に対して現実の生活を守らねばならないという葛藤。 これは古今東西、今日の日本でも、世界中どこでも普遍的、倫理哲学的主題なのですが、 これを吉村貫一は止揚する道として新撰組での今日でいえば傭兵生活、 人斬り、血塗れの修羅の道を選択していったことです。 理想を貫きながらも、日常的殺人、斬ることを躊躇すれば自分が切られる、 という切迫した狂気が日常化する場に身を置き続ける。 この辺が平成の爛熟した世に埋没する私を痺れさせます。 しかしこの人切り、という行為そのものが主人公のみならず、 様々な形、思念というよりもいわく言い難い情念そのものへと変形し、 もはや言及不可、メタファーともいえない刻印、 さらには人を突き動かす巨大で邪悪なマグマとして 周囲の人々、戦友だけでなく友人、家族をもどんどん飲み込み 中には運悪くも破滅していく者も。 その経緯が最も不気味である、そう感じました。 最終、大野次郎衛門の遺書が、なかなか感慨深い。 というか慎み深い表現から、 徐々に言葉そのものが渾身の呪詛、告発の悪霊と化し、 旧支配階級に襲いかかっていくところ。 生活世界にひたすら埋没する私の背筋が寒々としてきました。 作家の黒光りする激しい情念、いや窺い知れないものの積年の怨念、 というものを感じさせられ、複雑な感情というか慄然とさせられる、 いわく言い難い、底知れぬ深みを覗きこんだような、そんな読後感でした。 | ||||
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何度も泣けますたー 本当に感動しました本当に最高の一冊ですね。 | ||||
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読書中( ちょうど真ん中あたり )ですが、読んでいくにつれて感動が深まっていっております。 | ||||
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映画を観てから本を読みました。 映画では、中井貴一さんやその他の役者さんの熱演でとてもよかったのですが、さすがに2時間強で上下巻ある原作を表現することは難しいようで、ストーリー的には物足りないものが有り、原作を読んでみました。 複数の人の回想が交錯するため場面展開が少し混乱しますが、映画の情景と重ね合わせると非常によく理解できますし感情移入することができました。また、映画の方には含まれなかったお話もありますので、映画で物足りなかった部分も補完できて納得です。 わかりにくいと感じられる方には映画も併せて観ることをお勧めします。 小説も映画もとてもすばらしい作品だと思います。 | ||||
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歴史小説に一切の興味無く、ただ単に過日読んだ「永遠の0」が本書(の流れ)をパクったと言うレビューを読んで手に取った次第。 浅田氏の本は何冊か読んだ事が有るが、どれも軽妙で楽しく読めた記憶が有る。しかし本書は方言で書かれている部分が多く、非常に読み辛く、また全く興味の無い新撰組など、歴史が舞台なので途中で飽きるかと思ったが、上下巻を1頁も飛ばす事無く読む事が出来た。 確かに、主人公と関わった人を訪ね歩いて、その人となりをヒアリングしていくので、重複する口述も多く、クドいと言えばクドい。また、時代背景などを知らせるためか、語り人に余計な話しを色々させている。 これだけ自分にとってマイナスの要素が有るにも関わらず、最後まで楽しく読む事が出来た作者の筆力に驚嘆する。 それにしても、ここまで楽しく読めたにも関わらず、主人公に一切の共感や憧れも湧かなかったのは残念だった。 | ||||
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歴史小説に一切の興味無く、ただ単に過日読んだ「永遠の0」が本書(の流れ)をパクったと言うレビューを読んで手に取った次第。 浅田氏の本は何冊か読んだ事が有るが、どれも軽妙で楽しく読めた記憶が有る。しかし本書は方言で書かれている部分が多く、非常に読み辛く、また全く興味の無い新撰組など、歴史が舞台なので途中で飽きるかと思ったが、上下巻を1頁も飛ばす事無く読む事が出来た。 確かに、主人公と関わった人を訪ね歩いて、その人となりをヒアリングしていくので、重複する口述も多く、クドいと言えばクドい。また、時代背景などを知らせるためか、語り人に余計な話しを色々させている。 これだけ自分にとってマイナスの要素が有るにも関わらず、最後まで楽しく読む事が出来た作者の筆力に驚嘆する。 それにしても、ここまで楽しく読めたにも関わらず、主人公に一切の共感や憧れも湧かなかったのは残念だった。 | ||||
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新撰組の隊士・吉村貫一郎は、文武共に能力がありながらその出自が足軽だったことから取り立てられず、その貧しさゆえに南部藩を脱藩、諸国を放浪して新撰組に入り、守銭奴と呼ばれながらも妻子に送金を続けていた。その最期は鳥羽伏見の戦いで力尽き、大阪の南部藩邸に転がり込み、往時の親友に切腹を命じられて果てるというものだった。なぜ脱藩してまで送金を欠かさなかったのか、なぜ切腹しなければならなかったのか。その真相は当時の関係者から話を聞くことで浮かび上がってくるのであった。 新撰組は長い江戸時代が終りを迎えるにあたり、パッと咲かせた武士道の華である。局中法度などにみられるように、新撰組が必要以上に隊規に厳しかったのは武士ではない連中がより武士らしくあるためだったと言われている。この辺の要素に、行く末は敗北という判官贔屓も加わって新撰組の魅力、ひいては新撰組がいろいろな人に取り上げられて一ジャンルが成り立っている。作者はここにさらに武士の貧しさという要素も加え、改めて武士の世を見直し、武士とは、人とは、という点を追求している点がえらい。 | ||||
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「南部の桜は岩を割って咲く」 作中に何度も出てきた言葉です。 決して華麗ではない吉村の生き様が、その死後にようやくひとつずつ花開いていく様に涙しました。 出来すぎた話でもあります。 吉村と大野の結末は、密かに違う結末を願う気持がありました。 しかし淡い期待は叶わず・・。 命をかけた武士道という価値観が急速に廃れていく中で、父の後姿を追い武士道を全うした長男、美しかったです。 岩手の方に頭が上がらない気分です。。。 | ||||
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歴史物はあまり読まないので、新撰組については初心者です。 ラジオで坂上忍さんが泣いたと勧めていたので読んでみました。 歴史的な説明はけっこう丁寧にされていたと思います。 初心者でもストーリーを追うのに支障はありませんでした。 家庭を持っていない私としては、 吉村と大野の友情、そして息子同士の友情はどうなるのか、そこにいちばん引き込まれています。 その観点から言うと上巻の後半はすこし中だるみ感がありましたが、下巻の展開が緊張しつつも楽しみです。 本当に吉村は切腹させられてしまうのでしょうか・・ 読ませ方がうまい。 浅田さんはすごい作風の幅ですね。 | ||||
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上下巻となっているが、冗長とはならない。何とも純粋な人生で頭が下がる。 | ||||
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自分は東北には住んだことも無いが、筋の通った我慢強さっていうのは東北地方の方の特色なのかなあと考えさせられた。なかなかこういう生き方は出来ない。 | ||||
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友人に「ものすごい名著だから」と勧められて読んだ。 読み進むうちに、百田尚樹氏の『永遠の0』とえらく似ているなぁと感じてきた。 主人公の周囲から、主人公にまつわる話を聞くなかで、次第に主人公の人物像が浮き彫りになっていくという手法。 しかも、本書の吉村貫一郎と、『永遠の0』の宮部久蔵がそっくりで、ともに最高に魅力的な人物なのである。 後に、ネットで調べてみると、『永遠の0』は、本書のオマージュだという。 オマージュの意味を調べてみると、次のように書いてあった。 「芸術や文学においては、尊敬する作家や作品に影響を受けて、似たような作品を創作する事。 また、作品のモチーフを過去作品に求めることも指す。しばしば『リスペクト』(尊敬、敬意)と同義に用いられる」 なるほど、あの今をときめく超人気作家の百田氏は、浅田次郎氏を尊敬していたのか。 私は、いずれの作品もからも、非常に深い、圧倒的ともいえる感動を受けた。 それにしても、浅田氏の文章力、構成力、発想力には、とてつもない実力を感じる。 作家としても、人間としても、底知れぬ生命力と頭脳を持ち合わせているのだろう。 特に本書は、格調も非常に高く、「うちのめされる」ほどの素晴らしい出来栄えである。 『永遠の0』に感動の涙を流した方には、必読の書。 何度も泣ける本であることは、まず間違いありません。 | ||||
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永遠のゼロがこの作品を参照にしていると聞いて、こちらも読んでみました。確かに話の組み立てかたは似ていますね。でもやはりこちらのほうが小説としては圧倒的にうまい感じがしました。比較することで、さすがは浅田次郎、と思わせる作品でした。 | ||||
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戰にはそれなりの大義があるかもしれないが、その背景には必ず飢えと貧しさがある。 見た目は道化だが、文武両道で秘めた武士の魂を持つ男吉村貫一郎。 自分の教え子のためなら目下の隊士に対しても 「おもさげなござんす。お許しえって下んせ」 と頭を下げる。そのためどんなに剣の腕が達者でも馬鹿にされる道化の中の道化。 しかし、道化は誰よりも芸が達者だから道化が勤まるのだ。 そんな彼の人柄を知る新撰組の仲間からは、吉村だけは死なせるな、との思いが自然と湧いてくる。 もちろん吉村自身死ぬつもりはない。 「戰は死ぬためにするのではねのす。殺さねば殺されるから戰ばするのす。死にたぐはねえから、人を斬るのす」 「生きることこそが武士じゃ、生きて生き抜いて民草のために尽くすことこそが、あっぱれ南部武士の誉れじゃぞ」 「尊皇攘夷の志ば果たすために脱藩したのではねのす。ただ生きんがために、国を捨て申した」 しかし、そんな高い志をもつ生き残るべき人間が長生きできないという現実。 その息子嘉一郎も父の性質を引き継いだ好人物で、これからの日本をしょって立つ期待の若者であるにもかかわらず、若くして父の後を追うように戦へと向かう。 本書は、子を愛する父と、父を愛する子が織り成す心揺さぶる物語なのです。 | ||||
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幕末の時代小説と初めて接したのは、NHK大河ドラマの「花神」がきっかけでした。司馬遼太郎原作にも読み、「燃えよ剣」「竜馬が行く」とむさぼるように読み進んだ記憶がある。また、新選組については、テレビドラマの「燃えよ剣」の栗塚旭さんや島田順二さんなどのイメージがある。在籍した大学の近くに東京都日野市や調布市など新選組のふるさとがあり、親近感を覚えるとともに、両親の出身地の福島県会津なども出てきており、一般によく知られたヒーロー中心の幕末のイメージであった。 南部藩については、一昨年盛岡市へ旅行して以来その風土をよく知るようになった。車で30分ほどにある雫石町の小岩井牧場にある「一本桜」(NHK朝ドラ「どんど晴れ」で有名)を見たり、盛岡市内の城下町としての凛としたたたずまいが思い出される。 この作品を読み進めると、東北人の頑固さが会津藩や盛岡藩の悲劇、そして吉村貫一郎の悲惨な運命につながったことが、お国言葉によってリアルに伝わってくる。同じ時代小説でも司馬作品が鳥瞰的な視点としたら、浅田作品は等身大の人間描写が貫かれている。 吉村貫一郎を中心とした物語の中で、土方歳三や近藤勇、斎藤一などの登場人物が、今まで読んだ他の時代小説とは違う人間のように思えてくる。 この作品には、幕末の過酷な運命の中で、最後まで人間性失わず周りにいた人間の心の中に生き続けた吉村貫一郎という英雄ではない一人の人物の魅力が凝縮され、最後まで一気に読ませてしまう力があると思う | ||||
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「俺も沖田総司も斎藤一も、他の奴等だって大学生のお年頃だった。そう思や昔の人間は、ずいぶんとシッカリ生きてたもんさ。てめぇの年なんてのは、あんまり考えていなかったんだ。年の順で決まることなんざ何も無かったから。だからみんな、てめぇの年なぞ勘定せずに働いた。」 大学生活をダラダラと過ごす私達も、江戸末期命を懸けて戦った新撰組も同じ20代なのだ。たった150年でこんなにも違う..こんなにも。 | ||||
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「それは、儂が後にも先にもこの世で初めて見た、まことの侍の姿じゃった。たった一人の、いや、一人ぼっちの義士の姿じゃった。」 凛々しい姿ばかり想像してしまうけど、格好良くもあり儚い存在、きっと侍ってそんなものだよね。 | ||||
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