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(短編集)
或る「小倉日記」伝
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【この小説が収録されている参考書籍】
或る「小倉日記」伝の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.48pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全48件 1~20 1/3ページ
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『松本清松全集(35)――或る「小倉日記」伝』に収められている『山師』は、金銀山開発に辣腕を振るった大久保長安が主人公の歴史小説です。 ぱっとしない中年の猿楽師・大倉藤十郎は、徳川家康に金山開発の才能を高く評価され、大久保石見守長安となり、遂には、日本中の幕府金銀山の総奉行にまで出世します。 ところが、「ここまでの地位にきて、長安は不安を感じたのであった」。 「長安が、常から漠然と抱いた不安は、家康というただ一人の人間に生涯の浮沈を握られているという意識が潜んでいたからであった。たった一人にという不安である」。長らく企業人として過ごしてきた私には、組織でのポストが上昇すればするほど、このような不安にまとわりつかれることが実感できます。 長安病没後10日もたたぬうちに、家康によって長安の私財は悉く取り上げられ、7人の子は死罪とされます。「長安の処分ことごとく相済ませたと本多正純が報告した時、家康は、『山師めが!』と一語を吐いて横を向いた」。 「あとがき」で、松本清張自身が「私の歴史小説としては最初に気に入ったものである」と述べています。 | ||||
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松本清張ものは結構当たり外れがあるけれど、これは好きです。 | ||||
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古書ですが状態には満足! | ||||
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名を成さんと粉骨砕身する市井の人々の姿を描く短編集。 有能でありなが、学歴や実績がないばかりに、周囲から足を引っ張られ煩悶する様は、辛いものがある。最も、登場人物たちのエゴは相当なものなのだが。 タイトル作は、森鴎外の空白の日々を埋めようと研究を重ねる名もなき青年が主人公。身体にハンディキャップを持ちながらの地道な取材は、喜びと落胆の繰り返し。全編に共通するが、人生を賭けたものが崩れさる時の虚しさに心を抉られる。【芥川賞】 その他、不遇だった父への思い「父系の指」、俳人として世に出んと情熱を燃やす主婦「菊枕」、不貞のために断たれた研究者の道「笛壺」、拾って化石のために人生の歯車が狂った考古学者「石の骨」、論敵を粉砕することに執着する考古学者「断碑」。まるでノンフィクションを読んでいるような迫力がある。それぞれの主人公は、嫉妬とプライドを燃料としているようだ。 実際のモデルがあるとされている「菊枕」の鮮烈なラストは一読の価値があり。 | ||||
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こんな文章がどうして書けるのか知りたくなった ありがとうございました | ||||
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書名以外の作品を再読。ごく若いころに読んだときは、どの主人公も陰鬱で意固地であり、自分からは遥かに遠く、描かれている場も古くさいと思われた。 中年になった今読むと、まったく違う。あまりに人間らしい人物ばかり。少なからず自分にも、主人公たちと同じ性質があることにショックを受けた。 強烈なコンプレックスと他人に認めてもらいたい思いにからめとられ、その果てに人はどうなっていくのか。 これらが書かれた時代に、SNSはなかった。 技術の発達によって、SNSという新たな、なくてはならない場を得た現在。情報を得る、披露する、交流する、いずれも容易くなった。一方で、SNSは、承認欲求を満たす場、マウンティングの場にもなる。 時代が進み、社会が変わっても、人が囚われるのは自分自身の心なのだと思い知らされる。 | ||||
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松本清張の作品はかなり読んでいましたが、初めて短編集を読んでそれぞれの話が深く読んでいく毎にその物語の世界に引き込まれていった。 | ||||
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昭和の余韻を感じさせる短編がある。男女の物語。家族の物語。社会のご怖さ。 | ||||
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鴎外全集の「小倉日記」を読んでいて、ふと松本清張に「或る「小倉日記」伝」があったことを思い出した。 今では自由に読める森鴎外の「小倉日記」だが、原稿が長く行方不明になっていて、懸命の大捜索にもかかわらず、岩波の鴎外全集にも収録できない期間が続いたのである。 それで仕方なく、というか代替手段として、明治32年から足掛け3年間小倉に滞在した鴎外の事績を明らかにすることで、田上耕作という在野の研究者が身体に障害を持ちながら美貌の母親共々その穴を埋めようと、獅子奮迅の働きをしたのだが、遂に果たせず昭和25年の暮に逝去した。 そうしてその翌年の2月に、鴎外の子息が東京で「小倉日記」の原稿を発見したために、田上の努力は水泡に帰した。 これが松本清張の出世作「或る「小倉日記」伝」の主題である。 よって従来本作は実在した人物、田上耕作の伝記小説と受け取られていたのだが、書かれた内容はおおむね事実ではあっても、いくつかの点で清張の創作部分があることを明らかにしたのが、阿刀田高の「小説工房12ヵ月」であった。 阿刀田選手は、短編の名手、松本清張の特質は、該博な知識の裏づけ、取材の執拗さ、弱者へのいたわり、人間性への目配り、風土の描写、筋運びの巧みさにあるとしながら、「日記不在の小倉時代の森鴎外の暮らしぶりをフィールドワーク的な手法で再現しようと思いついたのは、ほかならぬ清張自身ではなかったか」と想像するのである。 その過程で先駆者田上耕作の存在を知った清張は、いったんは落胆したものの、耕作の研究成果が貧しかったと知って気を取りなおし、新聞記者の立場を利用して精力的な調査を開始する。そしてその蓄積が「或る「小倉日記」伝」の中身になっていくのである。 「或る「小倉日記」伝」で最も感動的なのは、鴎外の小説「独身」の中にも出てくる「でんびんや」の鈴の音だが、阿刀田選手は、「それは田上耕作の少年時代の思い出ではなく、清張自身の思い出ではなかったのか」と想像を膨らませているのである。 恐らくそうだろう。清張の「或る「小倉日記」伝」の主人公として描かれている田上耕作は、実在した田上耕作以上に、若き日の松本清張自身なのである。 いっぽう鴎外の「小倉日記」は、例によって漢文脈を生かした、永井荷風の日記よりも端正古雅な文語体で書かれているが、独逸に留学して独逸語をものにした鴎外が毎日のように仏人ベルトランの元に通って仏蘭西語をも体得したこと、当時独身だった鴎外が常に複数の女中を雇い、無用の誤解を免れたことなどが背筋をきちんと伸ばして縷々綴られている。 | ||||
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流行作家になると書かないような地味だが、じっくりと練り込んだ、味のある短編。コツコツと歴史を辿るくだりはどこか当時の清張に重なるところがあるように思える。 | ||||
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収録されたどの短編も読みごたえがあるが 表題作の『或る「小倉日記」伝』がとりわけ印象的で 後年の古代史や昭和史を追求した作家にはない ピュアな感性と文学世界の構築力を感じた。 同編は田上耕作の足跡を中心に描いているが 私はその母、ふじこそが 真の主人公のように思えた。 いずれにしろ松本清張の代表作。 | ||||
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・推理小説ではない短編小説で、世に受け入れらていない人たちの怨念のような感情を描いています。 ・芸術的な文学として読むことができる松本清張氏の初期の作品集です。私はこの頃の清張氏の小説が好きです。 | ||||
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最近は、長い小説を読む気力がないため購入。 さすがに松本清張は何を読んでも、うまくリアルさもありまとまっている。 | ||||
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テーマは同じです。市井の、貧しい、学会から疎まれる考古学の研究者の鬱屈した情念が、これでもかと描かれます。 はじめは感情まるごと引っ張られましたが、同じような短編が続くと、ちょっとごめんなさいになりました。 清張さんの原点なのでしょう、この激しい情念は。 筆力はすごいですが。 鷗外を扱った最初のものが一番心に残りました。 | ||||
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小倉日記とは何ぞやということですね。 | ||||
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全体的にやりきれない話が多い。 特に市井の人、芸術や学問の分野で十分な教育を受けていない人物が、学会や大家の芸術家に挑戦し、志半ばに消えていくテーマが多く、遅咲きだった作家の自己投影のようなものを感じた。 人間としての松本清張の生い立ちや人間感、女性感、そして何より学問や芸術に関する矜持が感じられる。 読後に『ETV特集 「反骨の考古学者 ROKUJI」森本六爾』を見た。「断碑」のモデルとされた人物のドキュメンタリだ。 かなり美化されてはいたが、実績は正当な評価を与えられていた。しかも後日談として彼の持論を裏付ける遺跡、遺物の発掘や、弟子による論文の完成もなども紹介されており、本人の不遇さをより印象づける内容だった。 | ||||
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森鴎外の失われた小倉日記を再現する ー と云う価値ある(だがいささかマニアックな)仕事に生涯を捧げた田上耕作。障害を持つ身体で小倉、門司、福岡、久留米、柳川と北九州を歩き、まるで「砂の器」の今西刑事を思わせる執念で、鴎外の実相に迫っていく。しかし、彼の小倉日記が完成に近づいたとき・・・ 悲しくも耕作の努力は報われなかった。しかしです・・・ 耕作の死後◯年、松本清張が「或る小倉日記伝」を世に問い、芥川賞を受賞。その結果、「鴎外なんて知らんがな」と言う者(私)まで、多くの人が田上耕作の奮闘に声援を送ることになった。例え鴎外の本物の日記が発見されても、耕作の小倉日記は、少なくとも芥川賞分くらいの価値はあるのだ。 松本清張によって、 耕作の人生は最後に大逆転した 。(と言えないだろうか。)耕作自身はその果実を味合うべくもないけど、耕作をささえた美しい母と、彼の真価を正しく理解した友人のために、そう言えたらいいな。 | ||||
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僕はどうやら、松本清張という作家を正しくとらえていなかったようだ。『点と線』『ゼロの焦点』『砂の器』といった長編を読んで、だいたいのイメージをつかんでいる気になっていた。が、清張の本当のすごさ(国民的に支持される理由)は、短編を読まなければ分からない。ということが、本書を読んでつくづく理解できた。 難しいことは言いたくない。ただただ、圧倒的に面白い短編集だった、ということだけを言っておきたい。収められている9編に、まったくハズレがなかった。同工異曲の話が多い、ということはもちろん言えるだろう。が、それでも面白い。同じパターンを繰り返しているのに面白いのである。 もっと言えば、本書はミステリではない。人間というものの業や愚かさが描かれてはいるが、謎とその解明を主眼にした作品群ではない。それなのに、僕は巻頭に置かれた『或る「小倉日記」伝』の圧倒的な面白さに、いきなり打ちのめされてしまった。さほど乗り気でもなく読み始めて、気がつけば夢中になってページを繰っていた。 どの短編も、ちょっと取っ掛かりは難しそうな雰囲気である。しかしひとたび読み始めると、どれも「巻を措くあたわず」になるから不思議だ。間違いなく高いエンターテインメント性を持っている。ちなみに表題作は芥川賞を受賞しているが、そもそもこの賞が芥川龍之介を顕彰するものであるならば、これほどふさわしい作品はないと思う。 | ||||
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高校時代から何回何十回も読み返してきた。清張の作品もほぼすべて読んでいるが、わたしはこの作品以上に哀しく切なくそして母と本人だけの閉ざされた空間で営まれるに日常にある種の抑えたエロスさえ感じさせる作品を知らない。持たざるものが懸命に生き、それでもついに報われることにないまま生涯を終える姿は数々の評論家が言うように清張自身を投影したものだろうが、多くの人にとっての人生とはそういうものだろう。歴史にも記憶にも残ることがないまま消えていく一人の人間をこういう形で書き残してくれた清張の優しさにも心を打たれる。勿論清張を見出した菊池寛の慧眼について、また清張の死後その再評価に貢献した阿刀田高の献身についても忘れてはならない。 | ||||
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表題作の、或る「小倉日記」伝は、松本清張の芥川賞受賞作です。 この書籍は、短編集になっていて、一番最初に、或る「小倉日記」伝が掲載されていて、短編だけれども読み応えは十分にあります。 主人公の田上耕作は、実在した人物のようです。身体に障害があったようですが、森鴎外が小倉に住んでいた時代に書かれた日記が、紛失してしまったこともあり、この田上耕作は鴎外に縁のある場所を、不自由な身体でも取材してまわり、紛失した鴎外の「小倉日記」にかえて、耕作自身が作成した小倉時代の鴎外の生活内容を文章にまとめて完成させようとしました。 印象に残っているところは、耕作が自分自身のしていることに、本当に意味があるのかと、暗い気持ちに陥る場面が何回かあるところであります。とても切ない気持ちになりました。 | ||||
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