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ハンニバル
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ハンニバルの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.02pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全54件 1~20 1/3ページ
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変態が集まってる作品という感じです。 かなり真剣に読みましたが、ラストが本当に気に食わない。 クラリスの純粋な自由意思を、レクターはセラピーという皮を被った催眠誘導と薬で捻じ曲げたじゃん、やめろよ、と不満しかありません。 レクターってもっと紳士で、クラリスを尊重してくれている人物だと思ってました。 これじゃあ変態のおっさんが無理矢理催眠やら薬やらでクラリスを自分のものにしただけのストーリーです。 これならまだ映画版の方が納得できました。ジョディ・フォスターやジュリアン・ムーアがこの原作のラストに反対したという話もすごく頷けます。あのお二人はパーソナリティや他の出演作品からも、この原作のラストに甘んじるタイプの女性ではないだろうなと思うからです。そこがすごく心強いなあとさえ感じます。ガラスの天井を破るのはこういうタイプの女性たちなのでしょう。 もっと高潔で、地道で、孤高で、強くて。例え社会(FBIという腐敗した組織)から追いやられても、友人を大事にして、庶民的で、車が好きで、平和を愛することを忘れないクラリスでいてほしかったです。 色々調べましたが、本国のファンの間でもかなり賛否が分かれているそうです。 作者は一体どの層の要望を反映したのでしょうか。 | ||||
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娘は読書が寒く好きなので、気に入ってます。 | ||||
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読み物としてはよくできている。しかし羊たちの沈黙とハンニバルはシリアルキラー及びサイコパスに関して現実とはほど遠いイメージを作った張本人だと思う。まずサイコパス=殺人鬼ではない。あとハンニバル・レクターは美的感覚が高すぎる。本物のサイコパスは美醜に関して興味がないと言ってもよい。彼らがチャーミングになるのはターゲット、つまり彼らの欲求を満たしてくれる人々、を魅了するときだけだ。たとえばテッド・バンディは被害者を誘拐する際、とても魅力的になれた。本物の殺人鬼とは怪物には見えないのだ。 | ||||
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新品本が封筒で届く時に、文庫本のカバーが破れたり、雑誌の角が折れたりして、とても新品本とは言えないレベルの状態で届きます。 前回も同じことがありました。 何とかなりませんか。 今回、同時に別便で届いた本は箱入りでラップも巻かれていたので、きれいな状態で届きました。(新品を買いました) | ||||
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賛否両論あって当然の作品、だが、賛否両論を巻き起こせることをまず評価しなければならない。 個人的には、映画は、大衆向け、経費、時間制限などがあるだろう中で、よくまとまっており、ひとつの完結をみていることで、私は好きである。 原作である小説の方であるが、 (以降 ネタバレを含む かなり明確なので知りたくない方は読まないで) 私的には、やはり、二人の関係がああなって終わってしまったことが何か残念に感じた。 まず、クラリスとレクター博士の この世であの二人だけが築いたのではないかとすら思えた特別だった関係が、結局のところ肉欲を含む一般的な恋人関係になってしまったこと、、、、 そして、そこで話が終わってしまっているところに これまでとの違和感が拭えないのである。 多くの読者がよく書いているのは、 クラリスの変貌へのショックや その後を想像した際、二人ラブラブのままでと言う応援や、最終的には、レクター博士がクラリスを食べるのではないか と言う恐れである。 また、小説の最後を読む限り、作者すらも、クラリスとレクター博士のカップルを恐れ、これ以上は近づかないと言う内容で締めくくられている。 また、読者の中には、何故クラリスとレクター博士が惹かれあったのかを分析し、互いのコンプレックスを埋め合い、癒し合ったと説いている方もいるが、私はそれには賛同したい。 以上を踏まえて、自分なりにクラリスとレクター博士のその後を考えてみる。 読者も驚いたように、クラリスは自分の肉体をレクター博士のマザーコンプレックスを満たすために与えました。つまり性的行為を自ら許可したのです。彼女から誘ったとさえ、言えるかもしれません。そして多分、自らの心を満たすためにもレクター博士を彼女も欲し、やはり、愛したのだと思います。レクター博士もまた、彼女を愛している。だが、二人はまともじゃ無い。 その二人がいきつくところまでいく究極の愛は、おそらく、レクター博士のシスターコンプレックスを癒すために、クラリスは自らを食べさせる のだと思います。そして多分、彼はそれを受け入れる。 彼女が自分を愛しているから、そうしてくれていると分かっているから。そして、彼が彼女を愛しているから。 それをもって、彼が妹を食べてしまったことが 妹を愛しているからだと いい訳が成り立つから。 レクター博士は、かつて自分の妹を殺し食べた人の皮を被った外道を憎み、そして、妹を食べさせられた自分をも自ら化け物にしている。 なぜなら、自分を許すことができないから。 妹も、自分を許さないだろうと恐れているから。 反面、おそらく彼は、食べて生き延びたことで 失った妹と共に生きている と 考えたいとも思っているのだろう。 だから彼は憎むべき外道を食し、好意を抱いたものを食べたいと思う。 いつか愛するクラリスが自ら 愛しているからあなたに食べてほしい 食べていいのよ と 言われたら レクター博士にとってそれは 妹ミューシャが お兄ちゃん私を食べて良かったのよ 愛してるから という許しなのだ。 その時こそ彼は救われる。 そしてあの二人はとても頭がいいから、そして互いを理解し合っているから、どうすれば互いが真に救われるか見つけてしまうだろう。 彼は彼女を食べたい。 彼女は羊の鳴き声を止めたいのだ。 いつかクラリスは食べられてしまうでしょうが、襲われるわけではない。私がいきついた結末は、 そういうことです。 かなり老いたレクター博士が とても幸せそうに心から美味しそうに 一人で 食事をしている晩餐シーン 全くもって異常な世界です。 でも、トマスハリスはそこまでちゃんと書くべきだったのです。中途半端な肉欲恋人状態で筆をおかず。あれでは本当に中途半端に性交で互いを満たし、中途半端に自らをいつわり、そして相手にも欺瞞を抱いている、まさに中途半端な愛と関係でした。あの二人 の関係に愛を含んだのなら、そこもやはり、突き抜けて、飛び抜けて、我々を置き去りにしてほしかったのに。 全くの自己満足ですが、上記の方が、 あの二人 の結末 として、納得できませんか? | ||||
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金銭的なものや地位や名誉にしがみつき悪事を働く人々。 高い壁に抵抗するクラリス・スターリング。 本当に悪い人だけを懲らしめる、ある人々にはとても優しいハンニバル・レクター博士。 読み応えのある後半でした。 | ||||
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ここのところイタリアに関する本を読んでいたので、フィレンツェが出てきた時にはびっくりしました。 まだ上巻なのでまとまった感想は下巻で。 この頃からハンニバル・ライジングも構想に入っていたようです。 ハンニバル・ライジングを先に読んでください。 | ||||
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満足です。 | ||||
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満足です。 | ||||
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この映画は、かなりショッキングな映像が幾つかあるのを知っていたので、なかなか鑑賞できないでいました。大まかなあらすじは知っていたのですが、最近になって、映画版と小説版の終わり方が全く違うということを知り、どうしても読みたくなって購入しました。 最後がどう違っているのか知りたいだけだったので、安い中古のものを購入。上下セットで、かなりお安く購入できました。 最初の前置きは退屈でしたが、物語が進むにつれ、やはり入り込んでいきます。 本来であれば、映画を先に観た後に読むと、より詳細が分かって、細かな違いも堪能できて、2倍楽しめると思います。グロが大丈夫であれば・・・。 | ||||
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発表からすでに二十年以上経過した時間の流れにしみじみさせられてしまう、 稀代の悪漢ハニバル・レクター博士とアメリカのリスベット・サランデルでもあるクラリス・スターリングのプラトニック・ラブを描いた長編娯楽スリラー、 映画版では続編を期待させるエンディングだったが、小説版ではきっちりと二人の行く末が暗示されて終了する、 それでよかったのか?と疑問を投げかけるもよし、それでよしと相槌を打つもよし、 大陸をまたぎ、豊富なキャラクタの登場で純文学的なエピソードも繰り返し語られ、長く読み継がれるべき傑作になっていると思う、 作者には同じモチーフを繰り返す趣味がある、 前作では複数の被害者が猫を飼っている、 また前作被害者の父が愛鳩家だったことを引き継ぐように本作ではバーニーと車に引かれた土鳩のエピソードが描かれる、 前作ではヴェルヴェデアという地名が意図的に二か所で使われていた、 そして作者の言葉遊びを兼ねた趣味だろうと思うのが”ターン”が繰り返されることだ、 アルファベットで書けばturnとternであるが、発音は似たようなものである、 後者は前作で登場したアジサシという海鳥、もう一つはクラリスの性分として本作で印象的に回顧される”旋回/反復”、 アジサシは最も飛行能力に優れた鳥であり、バードウォッチャー垂涎の野鳥だ(だから足が退化しており、地上を歩く姿がじつにたよりないのだが)、 極アジサシと呼ばれる種類は北極と南極を往復することを生態としている、 いったい極間を報復するような長距離移動を行う必要がどこにあるのだろうかと思うが、文学的に結論付けておけば、飛びたいから飛んでいるのだと思う、 ハニバルはクラリスが大きくターンしすぎる血筋だろうかと懸念している、 そのターンにアジサシを意味するターンが掛けられているのだと思う、 それが意図的なのか無意識に選択されているのかは研究者の判断に任せたい、 映画版の良さの一つが本書で語られているヴァージャー家の贅沢さがどれほどハイ・レベルであるかを映像化している点だろう、 本書に興味津々だった読者ならヴァージャー家とはけた違いの財閥であり、現在も実在するデュポン家を舞台にした映画「フォックスキャッチャー」は必見作として推薦したい、 いくら大金持ちといっても、ヴァージャー家にはごく最近成り上がったばかりの安っぽい成り上がり根性があることがわかるでしょう、 以下蛇足、 アジサシは東京湾沿いに生息地がある、 コアジサシという最も小型の種類だが、 昨年の年末、羽田に向かうモノレールから運河沿いを眺めていたら大井競馬場付近の運河で二羽のコアジサシが盛んにえさを探して水中と空中を往復していた、 人生初のアジサシ目撃で感激した、 本来なら浜辺付近よりも内陸に向かわない種類の野鳥も、慣れが生じてくるとどんどんと水沿いに内陸に侵入することは観察されている、 モノレール沿いの運河までコアジサシが進出してきたということは、将来、神田川沿いに進み、日本橋付近で観察され、遂には皇居の堀までたどり着くこともあり得るかもしれない、 海岸から直線で50キロ以上離れたうちの近所の川でさえ、群れからはぐれたカモメ類が迷い込むのも日常なのだった、 | ||||
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最高だった。ハンニバルの活躍をずっと待ってました。終わり方も素晴らしい | ||||
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以前、ギャンブルで負けた腹いせに、二匹の猫を蹴り殺した男が逮捕された。 ギャンブルで負けることと、猫を蹴り殺すことに関係はない。 メイスン・ヴァージャーという人物が登場するが、まさにそのような人物である。 究極のサディストであるのだ。 レクター博士にその本質を見抜かれてしまい・・・。 皆さまもぜひ読んでください。 損はしません。 | ||||
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前作とはやや趣が異なる内容ですが、同じく傑作であることは否定しません。 ストーリーの最後には一体誰得なのか目を疑う衝撃展開が炸裂します。 ハリス翁のジョディ・フォスターに対するキモイ妄想爆発に敬意を表して★5。 | ||||
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TVドラマ「ハンニバル」シーズン3が始まる直前になって読み返しました。シーズン3は舞台がイタリアということなので。 TVドラマと原作(映画)は多少リンクするものの、オマージュ的というか、いやまったく別物というか。それはそれ、これはこれで 観るのがよろしいかと思います。 で、本題に入りますが、私は「ハンニバル上・下」を読み、ラストでハンニバル・レクターとクラリス・スターリングに失望しました。 シンデレラ物語というか、過去にはやったシドニィ・ジェルダンの小説のようなアメリカ的おとぎ話になってしまっています。 「羊たちの沈黙」で醸し出された崇高なふたりの絆が台無しです。 あのラストじゃあ、ハンニバルは犯罪で貯めた金で贅沢暮らしする享楽的なオッサンで、 亡父への想いと野心で満ち溢れたFBI捜査官のクラリスは薬のせいだかなんだかで、レクターの情婦になり下がってしまった・・・。 評価が高いレビューが多かったので、参考にして今一度、ラスト付近を読みなおしましたが私はダメでした。 ふたりのラブ・ストーリーを素直に受け入れられません。 映画「ハンニバル」のラスト、自分の手をぶった切ってクラリスのもとから去っていくレクター博士のほうが高潔で美しかった。 そして、残されたクラリスり胸の内を想像するほうがよかったです。 | ||||
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レッド・ドラゴンや羊たちの沈黙に比べると格落ち感は否めないけど、充分に良作です。 前の2作よりスケールが大きくなっているので その分ちょっと大味かなとは思います。が、やはりどこか影のある抑圧的なクラリスと博士の妖しくも気品ある怪物性は健在で、全編に渡ってこの2人が惜しみなく登場し、楽しませてくれます。 ラストに関しては特に抵抗はありませんでした。クラリスと博士が、互いに欠落していたものを相手の中に見出すという結末はそう不自然なものではありませんし、クラリスを完全無欠の正義の側に置いていなかった自分としては、この結末によってクラリスというキャラクターに感じていた不安定さや危うさに説明がついて、むしろ納得がいきました。今作を読んだあとにもう一度沈黙を読み直したりするとまた面白そうですね。 ボリュームとしてはレッド・ドラゴンと大差ないけど、博士が自由の身になったことで舞台が多くの国を跨いだ壮大なものになっています。自然登場人物も増えます。結果以前のような濃密さはなく、個人的にハリスに惚れた緻密な人物描写も今作ではイマイチ物足りません。前2作の出来があまりにも良すぎたのかとも思うけど。。 それでも最後まで面白く読めるのはさすがです。一読の価値は充分にあり!! | ||||
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レクター博士を捕まえたのはウィル・グレアムです。 「レッド・ドラゴン」では、大けがを負いましたが死んではいなかったはずです。 スターリングはレクター博士の捜索に、まずウィル・グレアムにコンタクトを取るべきなのでは? ウィル・グレアムの存在が無かったことになっているのが、少し残念です。 | ||||
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がどのように描かれているかだけを知りたくて読んでみた。例のシーンは小説の方が遥かにグロテスクで精緻であった。知り合いの 脳神経外科医にこのシーンのことを話したところ、極めてリアルに描写していると思うと答えてくれた。このシーンは、しかしながら、「2001年宇宙の旅」でハルのコンピュータユニットが一個ずつ抜かれてハルが崩壊していくシーンの完全なパクリであると私は断定しておく。 | ||||
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クラリス・スターリングのマスタングは、轟音と共にマサチューセッツ・アヴェニューに面したATF(アルコール・タバコ・火器取締局)本部への進入路を駆けあがった。そこは経費節減のために、文鮮明師から賃借りしている建物だった。 P9 トマス・ハリス テネシー州生まれ。ベイラー大学卒業。「ニューズ・トリビューン」紙記者、AP通信社デスクを経て1975年、「ブラック サンデー」で作家デビュー。その後、所謂“レクター四部作”を著す。 | ||||
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日焼けし黄ばみが強く、楽しみにしていたのに残念な商品でした。 | ||||
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