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ハンニバル
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ハンニバルの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.02pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全8件 1~8 1/1ページ
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読み物としてはよくできている。しかし羊たちの沈黙とハンニバルはシリアルキラー及びサイコパスに関して現実とはほど遠いイメージを作った張本人だと思う。まずサイコパス=殺人鬼ではない。あとハンニバル・レクターは美的感覚が高すぎる。本物のサイコパスは美醜に関して興味がないと言ってもよい。彼らがチャーミングになるのはターゲット、つまり彼らの欲求を満たしてくれる人々、を魅了するときだけだ。たとえばテッド・バンディは被害者を誘拐する際、とても魅力的になれた。本物の殺人鬼とは怪物には見えないのだ。 | ||||
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賛否両論あって当然の作品、だが、賛否両論を巻き起こせることをまず評価しなければならない。 個人的には、映画は、大衆向け、経費、時間制限などがあるだろう中で、よくまとまっており、ひとつの完結をみていることで、私は好きである。 原作である小説の方であるが、 (以降 ネタバレを含む かなり明確なので知りたくない方は読まないで) 私的には、やはり、二人の関係がああなって終わってしまったことが何か残念に感じた。 まず、クラリスとレクター博士の この世であの二人だけが築いたのではないかとすら思えた特別だった関係が、結局のところ肉欲を含む一般的な恋人関係になってしまったこと、、、、 そして、そこで話が終わってしまっているところに これまでとの違和感が拭えないのである。 多くの読者がよく書いているのは、 クラリスの変貌へのショックや その後を想像した際、二人ラブラブのままでと言う応援や、最終的には、レクター博士がクラリスを食べるのではないか と言う恐れである。 また、小説の最後を読む限り、作者すらも、クラリスとレクター博士のカップルを恐れ、これ以上は近づかないと言う内容で締めくくられている。 また、読者の中には、何故クラリスとレクター博士が惹かれあったのかを分析し、互いのコンプレックスを埋め合い、癒し合ったと説いている方もいるが、私はそれには賛同したい。 以上を踏まえて、自分なりにクラリスとレクター博士のその後を考えてみる。 読者も驚いたように、クラリスは自分の肉体をレクター博士のマザーコンプレックスを満たすために与えました。つまり性的行為を自ら許可したのです。彼女から誘ったとさえ、言えるかもしれません。そして多分、自らの心を満たすためにもレクター博士を彼女も欲し、やはり、愛したのだと思います。レクター博士もまた、彼女を愛している。だが、二人はまともじゃ無い。 その二人がいきつくところまでいく究極の愛は、おそらく、レクター博士のシスターコンプレックスを癒すために、クラリスは自らを食べさせる のだと思います。そして多分、彼はそれを受け入れる。 彼女が自分を愛しているから、そうしてくれていると分かっているから。そして、彼が彼女を愛しているから。 それをもって、彼が妹を食べてしまったことが 妹を愛しているからだと いい訳が成り立つから。 レクター博士は、かつて自分の妹を殺し食べた人の皮を被った外道を憎み、そして、妹を食べさせられた自分をも自ら化け物にしている。 なぜなら、自分を許すことができないから。 妹も、自分を許さないだろうと恐れているから。 反面、おそらく彼は、食べて生き延びたことで 失った妹と共に生きている と 考えたいとも思っているのだろう。 だから彼は憎むべき外道を食し、好意を抱いたものを食べたいと思う。 いつか愛するクラリスが自ら 愛しているからあなたに食べてほしい 食べていいのよ と 言われたら レクター博士にとってそれは 妹ミューシャが お兄ちゃん私を食べて良かったのよ 愛してるから という許しなのだ。 その時こそ彼は救われる。 そしてあの二人はとても頭がいいから、そして互いを理解し合っているから、どうすれば互いが真に救われるか見つけてしまうだろう。 彼は彼女を食べたい。 彼女は羊の鳴き声を止めたいのだ。 いつかクラリスは食べられてしまうでしょうが、襲われるわけではない。私がいきついた結末は、 そういうことです。 かなり老いたレクター博士が とても幸せそうに心から美味しそうに 一人で 食事をしている晩餐シーン 全くもって異常な世界です。 でも、トマスハリスはそこまでちゃんと書くべきだったのです。中途半端な肉欲恋人状態で筆をおかず。あれでは本当に中途半端に性交で互いを満たし、中途半端に自らをいつわり、そして相手にも欺瞞を抱いている、まさに中途半端な愛と関係でした。あの二人 の関係に愛を含んだのなら、そこもやはり、突き抜けて、飛び抜けて、我々を置き去りにしてほしかったのに。 全くの自己満足ですが、上記の方が、 あの二人 の結末 として、納得できませんか? | ||||
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クラリス・スターリングのマスタングは、轟音と共にマサチューセッツ・アヴェニューに面したATF(アルコール・タバコ・火器取締局)本部への進入路を駆けあがった。そこは経費節減のために、文鮮明師から賃借りしている建物だった。 P9 トマス・ハリス テネシー州生まれ。ベイラー大学卒業。「ニューズ・トリビューン」紙記者、AP通信社デスクを経て1975年、「ブラック サンデー」で作家デビュー。その後、所謂“レクター四部作”を著す。 | ||||
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前作、前々作と比べると一段落ちる作品です。 反道徳的な結末については否定しません。誰も道徳のお勉強のためにこの本を選ばないでしょう。 私も、悪の化身のようなハンニバルというキャラクターに魅力を感じている一人ですが、本作ではかなりがっかりさせられました。 まず、ハンニバルの狂気の原因が、えらく月並みなエピソードで説明されていること。 彼の神秘性が失われ、キャラクターが小さくなってしまいました。 また、ストーリーも、ハンニバルをヒーロー扱いすることで、かえって彼の魅力が損なわれています。 翻訳はよかったと思います。というか、これが標準で、前作がひどすぎたんですがw ちなみに映画もかなりがっかりする仕上がりでした。 | ||||
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「週刊文春20世紀オールタイムベスト1」に輝いた『羊たちの沈黙』の続編。 ’00年、「週刊文春ミステリーベスト10」海外部門第1位、「このミステリーがすごい!」海外編第3位にランクインしている。 あのレクター博士が帰ってきた。前作の不気味な拘束服姿とは打って変わって、黒い瀟洒なスーツに身を包んで。一方、本書のもうひとりのメインキャラクター、かつてレクターの犠牲となり、障害者としての生活を余儀なくされている異形の大富豪メイスン・ヴァージャーは、金にあかせてレクター狩りに狂奔する。そしてイタリア・フィレンツェ警察の思惑なども入り乱れるなか、事態は再び動きはじめ、レクターが冷血な連続殺人鬼として復活する。彼は、復讐に燃えるヴァージャーの触手をかわしつつ、返り討ちを図る。FBIの特別捜査官となったクラリスも健在だ。レクターを追う過程で、彼女もまた、レクターとヴァージャー両者の対決にいやおうなく巻き込まれていかざるを得ない・・・。 殺人場面の異常性とむごたらしさ、レクター博士の異常趣味と異常心理、ヴァージャーの悲劇的な最期とその妹の狂気、と昨今のサイコロジカル・スリラー界にあって、やはり本書には真打登場のインパクトがある。さまざまな模倣者やフォロワーを生んできたレクター博士とクラリス捜査官だが、やはり本家は迫力が違う。短い章立てで繰り出されるこれでもかというパンチの数々に、読者はあらためて本書こそ最強のサイコ・スリラーだということを思い知るだろう。 | ||||
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‘無礼者’の蔓延る世界から真に純粋な魂を解放する救世主が‘怪物’とは、著者の意図は確かに辛辣ではある。博士と対比される‘彼等’の醜悪、その日常性・現実性には、健全な魂の持ち主なら誰でも厭世の感を禁じ得まい。著者は我々に日常の次元の愚か者(無礼者)と彼等の集団を思い出させ、安易な「善・悪」の要約化、即ち思考停止を皮肉り「脆弱な意識のじめついた贅肉」に鞭を打つ。日本人に対する見解や描写の部分がその象徴であろう。 一方で、本書は‘無礼者’と‘明晰な光’という二元論に結局帰結してしまい、結果として後者の正義が‘単純に’是認されるという矛盾を孕む。光の象徴たる‘彼女’の変化には違和感が残るし、‘明晰’どころか‘愚鈍’を印象付け後味が悪い。他にも散見されるこうした著者の隠微な部分は皮肉というより地なのではないか。 本書の核を垣間見るようであり、J・フォスターが映画出演を蹴った動機が分かる気もする。 | ||||
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読者向けというよりも、ハリウッド向けに書かれた本だろう。正直、前評判でわくわくして読んだのに、満足できなかった。うんざりはしたが。カネには勝てないのかなあ。ただし、いい部分がいくつかある。メイスンのキャラクターとイタリアでのレクター博士である。このあたりは実に上手い。ただし1編に盛ったのはどうかと思うが。 | ||||
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「羊たちの沈黙」では原作も映画も繊細で緻密な描写で、サイコホラーというジャンルでありながら、それを上回るものを感じていました。 「レッドドラゴン」も原作・映画とも触れましたが「羊・・・」からは「ラブロマンス」(下手な表現です)の要素が根底にあって危ういバランスを保っていた所が、また魅力であり、続編は難しそうだなと思っていました。・・・いずれにしても魅力的で上品な「大人のロマンス」を描いているシリーズと思って読んでいました。 しかし今度は「高尚なラブロマンス」に変わりました。「高尚な」は勿論皮肉です。これだけサイコホラーもの、犯罪・猟奇ものが氾濫しうんざりする中で、一般に広く支持され一気に読ませるパワーは凄いと思いますが、シリーズとしては魅力の無いものになってしまった様に思います。一人歩きし出したレクター博士に振り回され、トマス・ハリス自身も苦悩したのではないでしょうか。・・・これからシリーズとしてどうなるのか楽しみでもありますが。 | ||||
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