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ジキル博士とハイド氏
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ジキル博士とハイド氏の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.02pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全40件 21~40 2/2ページ
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善と悪という人間の二面性について、鋭く切り込んだ一冊。 悪も善も、元々どちらも人の一部であり、その人を構成するものであり、人を人たらしめる大切な要素である。ジキル博士のように悪のみを(あるいは善のみを)切り離すことの、片方を下げずむことの、敵視することの危険性が、というか非実現性について考えさせられる1冊だった。結局のところ、善が悪を受け入れ(あるいは悪が善を受け入れ)、うまく折り合って生きていく必要がある。適度に中庸に、そして適当に。多くの人々は、それを当然のごとく受け入れているし、過去の人々も当然のごとくそれを受け入れてきた。 一方で、善か悪どちらかに真っ当に生きる人々がいる。ある意味で潔く、ジキル博士のように善のみで生きるのであれば、それこそ人間の模範ともいうべきものである。けれども同時にそうしたものの影では何か欲望というものが、それに対する憧れというのが、着々と育っていくと思うと、何かやり切れない気持ちになる。 ジキル博士に足りなかったものは、ハイドをジキル博士の中で生きさせる、彼を受け入れさせる余裕だろう。それを指摘するのは普通のことなのかも知れない、けれどもそれを普通のことと言わざるを得ない人間の「性質」について、悲しさを感じるのは私だけだろうか。 | ||||
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表紙にわざわざネタばれを記す理由が分からない。 有名作品だったら安易にネタばれして良い、という理屈はあるまい。 という訳で、未読の方でこれから本書を読もうとしている方は表紙を読み飛ばすこと。 内容は申し分ない。 最後のジーキルの告白を読むに及んでは感嘆した。 | ||||
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ジキルとハイドと言えば二重人格の代名詞。 この本は内面から異形の怪人を解き放ってしまう怪奇小説だが、ジキル博士に悪を解き放ったことに関する後悔は感じられない。 ハイドに乗っ取られ自身が消えてしまうことにだけジキル博士は恐れを抱いているように強く感じられる。 完全に善と悪に別れる話より、徐々に自分が失われていく恐怖を書いたスティーブンはうまいなぁと思う。 二重人格ものの古典として読んでおいて損はない。短いし。 | ||||
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題名は聞いたことはあった。 しかし実際には読んだことはなかった。 2重人格の話かなという程度の知識だった。 読んでみるとなるほど傑作である。 2重人格だけでなく、ストーリーの展開にも引き込まれるものがある。 なかなかの一冊であった。 | ||||
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この本を読み終わってから僕の、僕たち人間の底にある 悪意 というものに恐怖を感じました。 僕もいつHYDEになるかわかりません。 | ||||
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謎の小男が、夜の往来で老紳士をなぐり殺し逃走した。 見る人の心を捕らえてぎょっとさせ反感を起させ畸形の印象をあたえるその男ハイドは、ジーキル博士が遺言で相続人として指定している人物である。 ジーキル博士の友人であり、顧問弁護士のアタスンは、ハイドと言う人物によってジーキル博士が危うい立場に置かれているのではないかと心配するが……。 裏と表がある人物を「ジキルとハイド」と使うくらい有名なお話。 今回初めてこの有名な小説を読みました。 120年も前に書かれたお話なのですが、すじに古臭いところが無く、あっというまに小説の中にひき込まれました。 霧のロンドンを舞台に アタスン弁護士が友人ジーキルを心配し、彼に迫っていると思われる暗い影の謎解きをおっていくうちに次々と場面が展開し畳み掛けるように物語が進行していきます。 2通の手紙で物語がしめくくられるまでページをめくるのを止められませんでした。 とても面白かったです。 | ||||
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言わずと知れた有名なストーリーですが、ちゃんと本を読んだことがなかったので読んでみることに。 以外と新しい発見があって新鮮ささえ感じました。 自分を偽って、いい人を演じ、友達ですら気が付かない。非常に悲しいことですね。自分をさらけ出しても受け止めてくれる人は、とても大切な存在だと改めて気付かされ、なんとなく太宰治の「人間失格」を思い出しました。 | ||||
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偶然本屋で見、懐かしく思い、購入し再読しました。学生の頃読んだ記憶よりも、再読し作者が改めてこの時代に人間性の善悪の問題について、触れていることに驚きました。この作者は、「宝島」でも有名です。単なる二重人格の問題だけでなく、人間がなしえる善悪の問題、惹いては人間の本能の問題など心理学にも通じる問題が随所に散りばめられている内容だと気がつきました。年齢に応じた読みができると思います。古典としては、歴史に残る本だと思います。 | ||||
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いくら有名な話とはいえ、表紙の紹介文で話の筋をほとんどネタバレしてしまうのはいかがなものかと思いました。本編では、変身のことは最後まで隠されてますので。 ジーキルを「医師」と呼ぶのも、間違ってはいませんが「博士」のほうが適切だと思います。 内容については、ハイドが純粋な「悪」なのに対して、ジーキルは善と悪の混合体だというところが興味深いです。 己の欲求にしたがい奔放に生きるハイドに対して、その悪行に苦悩するジーキル。 善がある種の足かせとして描かれていて、はたして「悪」が本当に悪いものなのか考えさせられるところがありました。 | ||||
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いわずと知れた名作ですね。 高名な医師、ジキル博士と「悪」の塊、ハイド氏。 最後は禁じられた実験によって体は破滅してしまいます。 ラストのほうにでてくる手記のところはなかなか読みがいがありました。 ページ数も多くなく、読みやすかったです。 | ||||
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昭和42年の訳なので、 こんなものなのかもしれませんが、 訳が不自然です。 しかし、内容が優れているために、 読んでいるうちに、下手な訳は気にならなくなります。 有名な話でストーリーもほぼ知っているにもかかわらず、 のめりこむように読んでしまいました。 それにしても、みんなよく知っている話だとはいうものの、 表紙裏の紹介文に、ストーリーの核心部分を、書くなっちゅうの。 まったくはじめて読む人もいるだろうに!! | ||||
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「ジーキル博士とハイド氏」という言葉が、二重人格を表す言葉として辞書に載っていることだけを挙げても、この作品が後世に与えた影響の大きさがわかるのだが、どうも作品を語る上で、この二重人格という言葉が一人歩きしているような気がしてならない。 内面に邪悪な心を抱える人格者のジーキル博士は「自らの意志で」あるクスリを飲みハイド氏に変身するのである。単なる二重人格者とはいえないだろう。 もっとも、この作品が発表された当時の医学には多重人格という定義もなく、「自らの意志」でハイド氏に変身するというのは、やむを得ない設定だったのかもしれないが、結果的に、この設定があるから「善」と「悪」という一人の人間の持つ二面性が鋭く抉り出されることになったのではなかろうか。 物語自体は単純で約100ページと短いが内容は非常に濃い。そして「二重人格」という言葉だけで語られる作品ではない。 しかし、「二重人格」という言葉があまりにも有名すぎるため、いわゆる「怪奇小説」としてのインパクトはあまりない。有名すぎるが故の不幸か… | ||||
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何十年ぶりかに読んでも、面白い作品。 善と悪。 ジキルから生まれたハイドに、悩まされ苦しめられるジキル。 完全なる悪として存在しているハイドがどうなっていくのか。 人間には多面性があるものですが、根本的には善と悪に分けられるのかもしれません。 | ||||
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薬剤によって現れた劣等で邪険で醜悪な要素の集合であるハイドと、努力と徳行と節制の生活を送るジーキル博士。この二人についての葛藤と懊悩が、後にジーキル博士の手記として述べられるのだが、この手記を読んだアタスン弁護士は一体何を感じただろうか。人間誰もが持っている「善」「悪」とどう付き合っていくか。「ペルソナ」を被った人間が「シャドウ」とどう接していくか。心の底で眠っている二面性について触れ、その深奥について考えさせてくれる一冊である。 | ||||
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二重人格の比喩的表現によく用いられるこのタイトルですが、読み終わった感想は「おもしろいけど、SFっぽいなコレ」でした。姿形までかえてしまってるので物語の深刻さが希薄になってしまった気がします。もちろん心の葛藤が描かれてるシーンもあるんですが。漱石の「こころ」を直前に読んでいたので・・・ねえ?まあ娯楽作品としては素晴らしいですから読んで損はないです。 | ||||
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学校の読書感想文の課題として読みました。この本には人間の表の人格と裏の人格が描かれています。この本をきっかけとして、人間の二重性を考えることができました。騙されたと思って一度読んでみてください。リーズナブルな価格ですし。 | ||||
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私は中学生の時にストーリーも知らずに読んだのでとても新鮮に読めた記憶があります。というのは二重人格の話だと知っているか知らないかで面白さが違うと思います。ページも薄く内容も軽い方だと思いますので、内容を教えず中学くらいのお子さんに読ませるのが一番良いのではないかと思います。もちろん大人が読んでも名作には変わりありません。 | ||||
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ジキルとハイド、とは二重人格的な、という形容詞のようにも使われる言葉ですが、この小説は、多重人格が解離性同一性障害などの名前で一般にも知られるようになるかなり前の、1886年の作品です。いわゆる多重人格の小説ではなく、ロンドンを舞台とした一流の19世紀末怪奇小説と思ったほうが良いでしょう。何より、臨場感あふれる構成のため、物語に入り込み主人公と共にこの事件の顛末を見届けるような気持ちで読むことが出来ます。 誰の心にもある二面性、信頼される優しさや利己的な残酷さなど、表裏一体のそれを、無理に切り離さざるを得なかった愚かしさとそれに続く悲劇が、謎を読み解いた後には心に残ります。もしかするとスティーヴンソンは、総ての人の心に棲む邪悪なハイド氏を認めず自分から切り捨し自由にさせるのでなく、彼を馴致しつつどうにか彼と共に歩まねばならないのだと、それがほんとうに必要な人間性というものであるのだと、この衝撃的な物語を通じて訴えたかったのかもしれません。 | ||||
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『ジーキル博士とハイド氏』は、同一人物が、ジーキル博士に代表される温和さとハイド氏に見受けられる冷血さといった二面性を持つという、複雑な人間心理を描いた小説である。そう記すと、一見現実離れした小説のように思われるかもしれないが、この本の主題は誰にでも当てはまると私は信じて止まぬ。何故ならば、人間の心理は、ただ一つの感情のみに支配されているわけではなく、常に様々な感情が混沌たる状態で存在しているものだからだ。さすれば、この物語を身近に感じ取ることができる者、それすなわち或る心情の裏に潜む別の心情を捉えることのできる者と言えよう。 | ||||
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ジキル博士とハイド氏といえば、もう二重人格の代名詞にまでなっているが、数々の小説や映画などにパロディとして取り上げられたり、各国のクリエーター達に多大な影響を与えたりした筋金入りの名作でもある。 優秀な弁護士アタスンの親友である医学博士兼、教会法博士兼、法学博士兼、王立協会会員のヘンリー・ジキルと、そのジキルに擁護されている醜怪で誰もが嫌悪感を覚えるような容貌のエドーワード・ハイド。弁護士アタスンは友人ジキルから自分が死亡および三ヶ月以上に及ぶ失踪の場合に、その遺産を全てハイドに委譲するという奇妙な遺言書を受け取って、不審に思う。ハイドとは何者か? また友人ジキルとはどういう関係なのか? そのような疑問のなか物語は展開していく。訳もGOOD。しかも表紙もカッコイイ! これは是非買って読むべきでしょう。 | ||||
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