ジキル博士とハイド氏
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書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点6.50pt |
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サイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
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誰でもおおまかにどんな話かは知っている超有名作の原作を今更読んでみました(正確には小学生時代にも児童書版は読みましたが) | ||||
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海外古典ホラーの有名作。タイトルは二重人格の代名詞。ストーリーとしては「ハイド氏は何者か?」・「何故同じ建物に出入りしているのか?」という謎が提示され、最後の手記で真相が明かされる。読後感はホラーというよりミステリに近かった。 | ||||
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※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
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書斎の書棚から引っ張り出してきた『ジーキル博士とハイド氏』(ロバート・ルイス・スティーヴンソン著、田中西二郎訳、新潮文庫)を数十年ぶりに再読して、以前とは異なる印象を受けました。 医学、法学の博士号を持つ高潔な紳士ジーキルの家に、いつの頃からか、ハイドと名乗る、人をむかむかとさせる顔の小男が出入りするようになりました。そのハイドは遂に殺人事件まで引き起こします。一方、ジーキルは行方が知れなくなってしまいます。はて? 自分の心の奥のどす黒い情念に衝き動かされそうになった時、読むべき作品――これが、私の偽らざる読後感です。 | ||||
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読みやすいのかと思って買ったが、読みやすくなかった。 もっとわかりやすい訳を欲するが、 もしかしたら、もとの本が読みにくい文章なのかもしれない。 有名なだけあって翻訳はさまざまだが、どれを選ぶべきだったのか、わからなかった。 内容的には、結末がわかっているだけに、あまりじらされてもな、と思った。 ジキルよりも、ハイドに興味がわく。 ハイドの気持ちを知りたかった。 実際の二重人格も、単純に善と悪で割り切れるものか? 知らないが、ジキルにこそ、胡散臭さを感じる。 | ||||
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娘に頼まれ購入しました。喜んでいるよかで良かったです。 | ||||
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"なにも透さぬマントにくるまっているのだから、わたしの保身は完璧だった。考えてみてほしい、わたしは存在すらしないのだ!"1886年発表の本書は、誰もが知りつつも、かえって読まれない不朽の名作にして、また【人の持つ多重人格性】をいち早く紹介している作品として読み応えがあります。 個人的には、メアリー・シェリーによる『フランケンシュタイン』を読んだ後に【映画イメージとの差】にびっくりした事から、本書に登場し、映画では悪の権化の代名詞的存在のハイドは【では一体、原作ではどのように描かれているのだろうか?】と興味を持って手にとりました。 さて、本書は約150ページの内、前半約80ページでは高潔な紳士として名高いジーキル博士の家に出入りする謎にして出会った人に強烈な悪の印象を残すハイドが起こした【事件から謎の失踪】を描き、後半の約70ページで関係者やジーキルの【遺した手記】という形で事件の顛末が明らかになる構成になっているわけですが。 刺激的な情報に麻痺した感覚では『小柄で嫌な顔をした』ハイドによる『凶悪な行為』は些か地味かつ迫力不足で、近年のハリウッド映画で【巨大かつ暴力的マッチョ】に描かれてしまうのも、致し方ないのかなあと感じた一方で、ベストセラーとなった本書から数年後の1888年に実際に起きた『切り裂きジャック事件』とハイドを重ね合わせて恐怖におちいっていた当時のロンドンっ子もいたのかな?とも想像したり。 また、SNSの普及により、若い世代においては【用途や相手との関係性に応じて】複数のアカウントでキャラ(人格)自体を『設定として』演じるのが良くも悪くも定着した【全ての人がジーキル博士とハイド氏状態】の現在。もしジーキル博士が今の時代に生きていたとしたら。悲劇的な結末もハイドという『別垢』を設定する事で容易に回避できていたのではないか?と【それを言ってはおしまいな】事を考えてしまったり。 平野啓一郎の提唱する"一つの肉体に複数の人格"【分人主義】に共感したり、自身の多面性から『本当の自分探し』に悩む誰かへ。また、古き良き怪奇小説を探す誰かにオススメ。 | ||||
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「ジキルとハイド」といえば二重人格の代名詞であるが、この小説を読む限り、著者は二重人格を強調したかったのではないと思う。 ジキルは自他ともに認める紳士である。だから、彼の心の中に「悪」の感情があっても、世間体を考えると悪いことはできない。ジキルは半ば好奇心、半ば欲望から、自分の中の「悪」だけを取り出した。 はじめはよかった。ハイドになれば、自由自在に悪いことができた。飽きればジキルに戻ればよい。悪いことはハイドが勝手にやったのだから、ジキルは良心の呵責に悩まされることはない。 ジキルとハイドが性格だけでなく、人相や背格好も大きく違うのは、肉体と精神は一体という当時の考え方だろう。ここは重要である。周りはなぜジキルがハイドをかばうのか訝しがるが、ジキルが言うのだからやむをえないと従う。だから、次々に起こる不思議な現象を解決できない。 しかし、ハイドはジキルが思っていたより凶悪であった。最後にはジキルはハイドに乗っ取られる。この小説は怪奇小説という解釈の方が自然だと思う。 | ||||
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