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ギケイキ 千年の流転
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ギケイキ 千年の流転の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.22pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全32件 1~20 1/2ページ
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とにかく面白く、一気に読んでしまった。内容的にはそこまで『義経記』から改変していないようだが、そうは思えないほど町田色が強く、読みながら大爆笑。それと同時に、主人公の圧倒的な孤独とかなしみが伝わってきてふいに胸が締め付けられるような部分もあった。 町田版の義経は、『義経記』で描かれているとおり才覚と美貌に優れた天才(自分でそのことをてらいなく言うのが可笑しい)なのだが、それゆえ普通の人に理解されないし、義経も普通の人を理解できない。そこにこの主人公の悲劇の本質があるように思う。行き過ぎた天才ゆえに地上では人々に理解されなかった義経が、現代もなお亡霊として、自らの物語を誰にというわけでもなく語り続けているのはかなしいし、その孤独の終わりのなさに凄みすら感じる。町田康氏は読み手を本気で爆笑させることができる稀有な才能を持つ作家だと思うが、人並外れた才覚・美貌を持つ人物の孤独を書くのが本当にうまいとつくづく思わされた。 | ||||
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楽しい | ||||
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義経が、早業の使い手で、高貴だが、猜疑心が強く、ためらいなく人も殺せる残虐で、都会人らしくせっかちで、関西弁で語る。というわけで、主人公の人物像はぐじゃぐじゃ。山中の寺で育ったのに都会人の性格をもってることもよくわからない。架空の人物を書くならまだしも,町田さん手法で書いてるだけで、まったく義経を読んでる感じがしない。 | ||||
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義経記の大阪弁現代語訳みたいな感じです とにかく義経がぶっ飛んでいます なかなか面白いと思いますよ | ||||
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一言、面白い。でも、現代風に書きすぎかな? | ||||
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"かってハルク・ホーガンという人気レスラーが居たが私など、その名を聞くたびにハルク判官と瞬間的に頭の中で変換してしまう"2016年発刊の本書は、作者不詳の古典軍記物語『義経紀』を著者が再解釈"らしい文体"でテンポよく描いた娯楽小説シリーズ第1巻。 個人的には、著者の『くせのある流れる様な文体』がとても好きなので手にとりました。 さて、そんな本書は南北朝時代から室町時代初期に成立したと考えられている作者不詳の軍記物語『義経記』(ぎけいき)』で描かれた源義経と弁慶他の主従たちを、著者なりの【義経一人称の現代小説(!)】として"忠実"に描き直しているのですが。 面白い。もはや"その一言につきる"感じで(『文体』はやはり人を選ぶと思いますが)京都在住の自分が歴史の教科書で学び、親しんできた【これまでの義経像】が、著者によってハイテンポで【塗り替えられていく】心地良さにどっぷりと浸らせていただきました。(五条大橋の『牛若丸と弁慶の石像』を眺めると、もはや『本書の方』を思い出してしまう) (私のような)町田康ファンはもちろん、古典『義経紀』に真面目に興味ある人にもオススメです。 | ||||
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義経を語り部として物語が展開しいるが、ストーリーに人格を持たせたことで義経が辿った行動が活き活きと伝わってきた。その後のストーリを読みたい。 | ||||
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ひさしぶりの町田ワールド。やっぱり、ぶっ飛んでいて愉快おもしろいです。それも、カズオ・イシグロの「わたしを離さないで」のつぎに手にしたのがこれですよ。このギャップの心地よさはどういえばいいのかなぁ神田伯山もびっくり、あまりに楽しすぎて狂乱しそうです。しかも、日本の古典文学の王道をあの独特の文体で闊歩(かっぽ)するのだから堪らない。 いわれてみれば確かに、本著「ギケイキ 千年の流転」は《パンクロック調》のコンサートのような現代小説といえる。つまり、《本歌とり》のようでもありスタンダードな代物に即興的にアドリブを交える演奏みたいな手法で、現代感覚をクロスさせながら激烈に描いた滑稽で悲痛な娯楽超大作といえるし、いうなればきわめて知的な小説と換言することもできるのだ。 それ故に、いみじくも古典の絶対音感をもつ「音」の文学とする大塚ひかりの解釈もきわめて説得力のあるロジックとして受けとれる。『本歌とり》とはいうまでもなく「義経記」ということになるけれど、これを「ギケイキ」とする音感と変幻自在のリズム感とアドリブを駆使した描写と筆力はまことに見事というほかない。《判官とホーガン》、確かにぴったりではないか。 「くっすん大黒」「パンク侍、斬られて候」などにもみられるように、どこまでもどこまでも過剰なまでに増幅する思いこみで修飾することばの語感といえばいいのか、その超絶文体は読み手の気持ちを一気にひき込み読ませるパワーがある。 例えば、内田百閒や堀江敏行の小説にもこのように特有の美意識や観念的できわめて個人的な思い込みによる長描写で修飾する書き手もあるけれど、町田スタイルはそれが際限なく増幅するところがある。おそらくは、それも計算づくと思われるのだが、なぜか天才的な感じがあって不思議である。 本文の中から一部を紹介してみよう。 「武蔵坊弁慶、怒ったらあかん。こいつらが笑ったのは別のことで笑ったんですよ。自分が笑われてもいないのに、みんなが俺を笑っているなんて言うと、いかにもメンヘラみたいでカッコ悪いですよ」 と、言って弁慶を諭した。そう言われて、カッコ悪いことを極度に嫌う弁慶は、それもそうだ恥ずっ。と思って、気まずい感じで部屋を出て行った。 弁慶が部屋を出て行き、もしかしたら殺されるかも知れない。とそう思って半泣きになっていた若い僧たちは、ほっと安堵の溜息を漏らした。 しかし、学頭は苦り切った顔で、なんということをしてくれたのだ。という意味のことをぶつぶつと呟いていた。(p291) と、まあこんな具合だから仕方がない。 本編では《源平の戦い》をまえにして、奥州平泉の藤原秀衡のたもとをあとにして義経らが頼朝と合流し源氏総決起のところまでとなっているけれど、あの有名な那須与一宗隆の活躍から壇ノ浦の戦いまでを盛り込んだ続編を期待したいところだ。 それにしてもこの『源平の戦い》というのは数々のエピソードとともに、いろいろな演出やはかりごともありそれぞれがいかにも絵になるしイメージを膨らませればいか様にもアレンジできそうな気がしてくる。 著者の手にかかれば、それこそ変幻自在どこへ連れていかれるか見当もつかないくらい恐ろしくも興味津々なのであ~る。町田康著「ギケイキ」どうぞお読みください。 | ||||
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最後まで一気に読みました。大変面白く、次も早く文庫化してください。 | ||||
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昔流行っていたのに今では誰も読まない知らない古典というものがある 歌舞伎とかそういうのでやってるのは知ってるが古臭いし言葉がよくわからん そうやって打ち捨てられてしまった古典の名作が あっさり復活 語り手さえいればいつの時代でもいつでも蘇るのだ 町田康になんでそういうのが憑りついたかわからんがとにかく彼の頭と手を通じて復活した | ||||
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前に読んだ『宿屋めぐり』の中盤から後半にかけてのダレ具合で読むのを躊躇していましたが、書き出し1行目から持っていかれました。「義経記」というベースがあるため、全力で巫山戯にかかっています。会話文は上方落語、というか桂枝雀さんの口調で書かれているため、笑うなというのが無理な出来となっています。それでいて内容は「義経記」に忠実。間違いなく傑作です。 | ||||
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ギケイキ買ってずっとほっぽいておいたのですが、最近司馬遼太郎の義経を読んで、義経ってこういうやつやったんやとなんともどうしようもない悲しいようなおろかなような気持ちになっていたところだった、そしてギケイキを思い出して読んでみた。こちらはなんというか町田康が義経やってるって感じある。文章は相変わらず笑わされる。最後に感動したりするのかはまだ分からない。 | ||||
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待ってました、町田康×源義経!って別に待ってなかったけど。この組み合わせありか、ありだよね!というキモチ。あ、すみません。勝手に一人で盛り上がって。そんな町田康の大ファンで全部読んでますぅ!って感じでもないんですけどね。『パンク侍、斬られて候』の映画も見てないし。 町田康さんの小説の主人公って大体中2病ですよね。あ、ごめんなさい、大体とか言って、全部読んでいるわけじゃないんですけどね。『パンク侍』『告白』『猫にかまけて』『どつぼ超然』『実録外道の条件』などなど、あといくつか読んだけどけっこう前のことで思い出せない。とにかく、そんな中途半端な一読者の個人の感想なんですけど、町田さんの小説の主人公は自意識過剰でずっと独り言を垂れ流しているような人が多いと思うんです。というかその独り言を書きとめたものが彼の小説といってもいいくらい。それできっとずっと探していたと思うんです。脳内オーディションしてたと思うんです。日本史上、町田文学の永遠の中2病を演じるのに最もふさわしい人物はだれかって。それで「この子しかいない!」ってなったのが源九郎判官義経だったんじゃないかな、想像するに。 そしてそのキャスティングは大当たり!あ、個人の感想ですけどね。父や兄たちが平家と戦って非業の死をとげ、物心ついたときから「隙を見せたら瞬間的に殺される」と言われ続けて人目をはばかるように山奥で育てられたのにくわえ、母親は超絶美人、そして自分はその母に似て誰もが二度見するほどの美形。しかも滅茶苦茶運動神経いい。しかも馬鹿じゃないっていうかむしろ頭はいい方。そんな子をまわりが放っておくはずもなく、実際放っておかなかった。この子を利用して一儲けしようとか、一旗あげようとか、一矢報いようとか自己実現シタイ!とかいう輩がわんさかあらわれるわけです。人気子役が両親やその知人、事務所やその出入りの人たちによってたかってむちゃくちゃにされしまう、っていうあれですよ。まともな大人に育つわけありません。実際、牛若丸→遮那王→九郎判官と成長していくなかで、義経はどんどん内面をこじらせていくわけです。あくまでも小説のなかでの話ですけどね。 たとえば、奥州藤原氏を訪ねる旅の途上で義経は盗賊を「誅殺」するわけだが、わざわざ「私がやりました」と立て看板を出す。しかも匿名希望で。見つかると六波羅から追手がきてしまうので。じゃあ出すなよ、という話だが、「自己顕示欲」でわけのわからない行動に及んでしまう。その旅の途中で、急に藤原秀衡のところまでいくのがイヤになってしまい、同行者の吉次を騙してこっそり行先を変えようとする。嘘をつくことに葛藤しながらも最後は「人の世というところはそういうことをしないと生きていけない」「戦争には謀略はつきもの」と正当化し、「『日常』なんてなかった」んだよ俺の時代は、と毒づき、なぜか「いまも変わらない。っていうか、擬装されてわかんない分、いまの方がやばいかもしれない」と読者に矛先を向けてくる始末。まあでも、けっこう当たっていたりしてね。ハハハ。 そんなふうに気まぐれで嘘つきなだけでなく、わがままで疑い深いんだわ、義経って子は。奥州藤原氏のもとで何不自由なく高級ニートみたいな生活を送らせてもらい、なおかつ8万人の軍勢まで与えてもらって、何の文句があるのかと普通は思うよね。それが文句たらたら。おまいら、俺の名前で「九郎義経ホールディングス」設立しておきながら株主の俺を無視していろいろ決めやがって、ていうか、それがおまいらの魂胆だったのだな、騙されるとでも思ってんのかコラ!九郎判官なめとったらあかんど!このノロマな田舎者めが!と心の中では思いながらもしばらく我慢し、とうとう耐えられなくなって京都に戻る。奥州藤原氏のほうもどうなんでしょう。いなくなってくれてほっとした部分もあったんじゃないでしょうかねえ。「いやあ、扱いにくい子だったね…」「そうねー、朗らかさがね、足りないっていうかね。まあ、育ちも育ちだから…」みたいな会話が藤原親子の間でかわされたかどうかは知らないが。 この中2病の義経のバディ役がご存じ、武蔵坊弁慶なわけですが、これもまたすごい役者つれてきましたね~。この弁慶、幼名鬼若は牛若と正反対で、ブサイクゆえに実父に殺されかけ、義父に山に捨てられ、山では嫌われ者になった。高貴な血筋にもかかわらず、勉強でがんばってそれなりに成績もよかったにもかかわらず、自分の顔がブサイクなだけでいつまでたっても注目されないどころか厄介者扱いされ……。思いつめた鬼若はグレるだけグレてひきこもる。自傷に他傷、暴力全開で暴れまわる。バイオレンスでメンヘラというこの難しい役の弁慶の存在感、素晴らしい。鬼若が抑うつ状態に陥り、闇の底から這いあがってきて、自分の決意を杉の木に語りかえるシーンなど、ほとんど主役義経を食ってしまっていますね。 義経と弁慶が清水寺で二人で読経をするシーン。ここも町田先生の演出、よかったです。なんか微妙にBL入っている感じとか。まあ、義経記全般的にBLの味付け濃い目ですけど。声を絡み付かせての経ギグのあと、めでたく二人はバディの仲となったところでシーズン1終了。シーズン2で義経はいよいよ因縁の兄、頼朝と会いまみえることに! そして静ちゃんは出てくるのか? めっちゃ楽しみです。 | ||||
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著者の小説の中では一番好きになりました。 | ||||
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スピード感があふれて、史実もしっかり押さえた「義経記」だ。いつものように発想が大胆であり、表現は細やかだ。町田ファンにはお勧めです。 | ||||
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義経本人が(おそらく)現代から自分が生きた時代を振り返り「義経記」に記載されているらしいことを語るという内容です。(「義経記)そのものを未読ですのでらしいですとしか書けません。)「現代から」というところがミソで今どきの言葉を多用し、最新の出来事をたとえに使い、よく言えば軽快に悪く言えば軽薄に物語が進行していきます。あまりに軽い語り口に当初違和感を感じましたが、慣れると面白く、歴史小説としては破格に読みやすいです。歴史小説は敷居が高いと感じているけど読んではみたい、という方にお勧めです。 | ||||
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軽快なのりでつづく文章や関西弁がおもしろくて、読みながら吹きだしてしまいました。 なんだか古典を馬鹿にしきったような書き方をしつつ、弁慶の出生の事情など他の「平家物語」では書かれなかった細かいことまで綿密に書かれてあり、意外な発見でした。勿論、小説なのでどこまでが真実かわからないですが。 他にもきわどい話がさらりとあっけなく書いてあり、なんだか本当にこんなことあったかも、と思わせられます。 | ||||
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義経のエキセントリックさと町田康の文体が融合している面白さを勝手にイメージしていたので、「あれっ?」という感じが否めませんでした。 始めの方は「町田康‼」という感じのリズムを感じられるのですが、後半は若干説明的になっている印象です。頼朝挙兵以降の義経の活躍は、ここではまだ描かれず、続編に出てくるのでしょうが、中古で買うか図書館で借りるかで十分かなと思いました。 中学生に向けた、「平家物語」の関連図書としは、町田康の面白さが十分に発揮されているか疑問な点もあり、大人びた生徒に紹介するのも迷うところです。 | ||||
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口語調なのでスルスルと読めてしまいます。歴史小説が苦手な自分にも面白かったです。 | ||||
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現代に存在する霊?の義経が過去を回想するような形で自分の半生を町田節で展開する。 その描写は適度に幻想的で、ウルトラリアリズムを彷彿とさせる。 膨大な時間軸のなかで、この後史実通りに物語が展開するのか、バガボンドのように独自の 解釈をくわえながら別の世界に飛んでゆくのか、続編に期待が膨らむ内容だった。 | ||||
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