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銀河鉄道の父
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銀河鉄道の父の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.51pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全116件 41~60 3/6ページ
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宮澤賢治の父である政次郎が、息子である賢治をどう見ていたかという話ですが、子への愛情と、父親として威厳を保つことの葛藤が見事に描写されています。 以下、印象に残った文です。 ・子供のやることは、叱るより、不問に付すほうが心の燃料が要る。 ・父親であるというのは、要するに、左右に割れつつある大地にそれぞれ足を突き刺して立つことにほかならないのだ。いずれ股が裂けると知りながら、それでもなお子供への感情の矛盾をありのまま耐える。 ・父親になることがこんなに弱い人間になることとは、若いころには夢にも思わなかった。 ・父親の業というものは、この期におよんでも、どんなに悪人になろうとも、なお息子を成長させたいのだ。 | ||||
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「愛しい」という字はふたつの読み方がある。 多くは「いとしい」と読む。この物語は父が子を愛しむ光景が散りばめられている。 もうひとつは「かなしい」。 いとしいもの、大切なものが儚くなった時に生ずる、温もりと痛みが交互におしよせる「かなしい」。 この物語をいっぱいに満たすのは、父親と見守られる子らの、いとしいと、かなしい。 ふたつの「愛しい」がいっぱいに満ちている。 そして「愛しい物語」は、読了後も胸のうちにたぷたぷと満たされている。 | ||||
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どこまでか実話でどこまでが創作なのかと思いながら読みましたが、どちらにしても子を持つ父親の気持ち、子供達に先立たれる親の悲哀を見事に表現した、心に残る小説でした。親もまた子供ともに成長する生き物なんだな、と改めて感じました。賢治の死後とはいえ、息子の残した文学が世の中に認められたことは、読んでる自分も嬉しくなりました。 | ||||
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既に自身は、読了済みですが、とても良かったので、宮沢賢治が好きな父へ、父の日の贈り物として購入。きっと、気に入って貰えたはず。 | ||||
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昨年、筆者は仕事で花巻市に行く機会があり、合間に市内を散策した。古いデパートの一つもあるような街のそこら中が「宮沢賢治」のアイコンや意匠であふれていた。一個人が街一つを覆い尽くすようで圧巻だった。これに匹敵するのは境港市の水木しげるロードぐらいではないか。石巻市の石ノ森章太郎アイテムはここまで行かない気がする。 筆者はどちらかというと宮沢賢治は得意ではないのだが、それでも子供の頃から国語の教科書だけではなく図工の時間の「物語の絵」の課題や、ますむらひろしによる漫画化とそのアニメ化、高畑勲によるアニメ化や作中での引用など、あるいは精神病跡学の本など、様々な機会と場所でその存在感を刷り込まれてきた。最近はどうか知らないがある一定の年代の日本人は皆そうだろう。そういうわけで、魚之目三太氏による「宮沢賢治の食卓」 (思い出食堂コミックス)などを買って、そこからちくま文庫の宮澤賢治全集の書簡集の巻を読んだりして、前述の花巻行も大いに堪能したのである。「藪や」に行って賢治セットまで注文してしまった。まさに「巨人」だ。 それでいて本書の単行本が刊行された際に読まずにいたのは、実は著者の門井慶喜氏を門田隆将氏と勘違いするという大ボケのためだ。はっきりと「右寄り」の門田氏が「巨人」の父ちゃんの何を書くのか?と訝しんでいたのである。それでも気にはなっていたので文庫化されたのを機会に購入。とんでもない間違いに気づいた。こちらは「家康、江戸を建てる」の人だった。歴史小説寄りの時代小説という感じか。 それで読み始めたらすごく面白い。面白いのでまだ半分も読んでいないのにレビューを書きたくなってしまった。本作品の主人公は宮沢賢治の父親の政次郎だ。その視点を通して生後直後からの賢治の姿が描かれる。確かに父親の目から見れば後の「巨人」は甘っちょろい金持ちの倅だ。さらに浪費家でもある。そういうエピソードは魚之目三太氏の漫画にも登場していたし、彼のそういうところは様々な研究書によって明らかにされている。本作品の登場人物でもある弟・宮沢清六氏もそういう本を出版した人の一人だ。もちろん後の「巨人」は自分が「甘っちょろい金持ちの倅」であることと深く葛藤したのだと思うが、やはり現象として生前の「巨人」は「甘っちょろい金持ちの倅」以外の何物でもないない。 そのような将来の「巨人」の父親としてベタベタな愛情と超自我的な社会化の役割との間で主人公は葛藤する。その内容は天保生まれの父親(「巨人」の祖父)と明治生まれの主人公の間の葛藤であったり、強固なジェンダーロールとの葛藤もあったりする。そのような葛藤の在り様は現実を生きる我々の誰にでも当てはまる=普遍的なものだろう。人間が生きて何者かを愛するということは、このような相反する感情のせめぎ合いの層理を現すのかと感心してしまう。本書をここまで読んで、筆者は後世から「巨人」を振り返る形式のどのような書籍でも観たことのない、同時代から一人の人間の将来を懸念する視点からの「宮沢賢治」を発見した。これはコペルニクス的転回である。しかも父ちゃんは自らの息子への愛情に溺れそうだ。「巨人」の高等農林卒業時点での主人公の心情には実に身につまされてしまう。これから起こることに主人公はどのように対するのか。 6/16追記 通勤の車中と昼休みに一気に読了。久しぶりに気合が入った。主人公の長女の死から「巨人」が死ぬ場面まで一気に駆け抜けた印象。そのためにいろいろ省略されているのだろうが、作品の緩急として適切に感じられるし、「巨人」の父親である主人公の視点に立てばより一層整合的だ。加齢により時間は早く過ぎるのだから。 本作品に描かれた情緒は通俗的であるが、それ故に普遍的でもある。多くの評者が共感したり反発したりするポイントもその辺なのではないか。それにしても本作品では主人公の視点から「巨人」の作品への解釈がなされる。その解釈の中身も物語の流れに沿ってスムーズに納得できて面白かった。「巨人」そのものの解釈という点では以下の一文が最も印象的で傍線を引いてしまった。主人公から見た「羅須地人会」時代の「巨人」の様子。 どこかの雑誌やポスターから抜け出してきたように健康な、定型どおりの農夫像だった。文庫版428頁 シュミラクールとか言いだしたくなるような「巨人」の虚構っぽさ。本作品においてはそれが揶揄にならずに却って主人公の目を通して「巨人」が生きる切実さを表現している。これはそのまま20世紀の終わりから21世紀の前半にかけての父子関係になぞらえる。そのあたりが本作品が通俗でありながら普遍である要諦だろう。巻末の解説で作者の言を引用しつつ内藤真理子氏も述べている通りである。 | ||||
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コロナ禍でしたので、Kindleで購入。紙の本だと素敵な表紙のイラストがよく分かるのですが、Kindle版だとそうもいかず、そこが残念。宮沢賢治って東北の方で、残っている写真の雰囲気から言ってもあまり冗談とかを言わなさそうと思っていたのですが、ふと人の気持ちを軽くするような冗談を言うシーンがあり見方が変わりました。弟の清六さんも最初は存在感がなかったのですが、宮沢家にはなくてはならない方ですね。妹のトシさんもなかなか味のある魅力的な方でした。若い時に読んでいたら、清六さんやトシさんの良さに気が付かなかったかもしれません。再読したい良書でした。 | ||||
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父・正次郎は息子が愛しくてたまらまいのに、その気持ちをストレートには伝えられない。一方息子・賢治は父親の期待に押しつぶされそうになりながら、立派な父を超えられない自分が歯がゆくてたまらない。父と息子のすれ違う思いと愛情、賢治のダメっぷりがなんともおかしくもあり、切なくもあり。病の床に伏し、小説家としとも目が出ないことをなげく賢治に「諦めるな!」と正次郎が帳面と鉛筆をわたすシーンには胸が締め付けられた。天才・宮沢賢治の人間としての一面を知り、ますます好きになった。 | ||||
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宮沢賢治の父〝政次郎〟の視点からの物語。 父であり家長の政次郎は威厳を保ちながら、つい賢治を甘やかしてしまう。 揺れ動く心情に共感する。 全ての父親に感謝!賢治の〝ダメ息子〟っぷりが、些か痛快!? | ||||
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数年前に岩手県を一人旅したことから、現地の景色、北上川、羅須地人協会の建物などを思い出しながら本書に読み耽った。文体は読みやすく一気に読了できた。父が、雨にもマケズ・・を孫たちに読み上げるシーンは自然と涙が出てしまった。自分自身も父親であることから、父とは何か考えさせられる上でも読んでよかったと感じた。宮沢賢治さんは物質的には死んだが、今もなお童話作家として生き続けている。本当にすごい人だと素直に感激する。また岩手を訪れたいと感じさせてくれる良い本だった。 | ||||
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宮沢賢治の父、政次郎の「父でありすぎる」父親像がほほえましく描かれている。とにかく息子のために一生懸命な父。厳格でありながら温かい商人の家族。最終章「銀河鉄道の父」は、賢治の死から2年後の宮沢家。賢治の死を受けとめ、明るく日常を生きている家族たちの姿から、悲しみを乗り越えた後の希望が見える。平易な言葉で見事に宮沢家を描く。妹トシが祖父の喜助に宛てた手紙は、ほぼ実在のまま。宮沢賢治好きの人には特におすすめの一冊。 | ||||
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一種のエディプスコンプレックス(息子の性愛対象は母ではなく妹)の教科書的な役割も果たしている、いいまとめ方をしています。ラストはみなさんがご存知の通りになるように用意されていますが、そこにたどりつくまでの葛藤、商売人であるために持ってはいけないもの等、大正時代以前の日本人、東北、岩手人のあり方を勉強できる教科書的な役割も持っています。感想がさまざまになるのも筆者の筆力と幅広い人への対応を考えながらも、余計なものはばっさり切り捨ている潔さによるものでしょう。一読をおすすめします。 | ||||
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中々良い観点、素晴らしい本だと思う。 | ||||
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お父さんの子どもたちへのツンデレに爆笑でした。そのお父さんにどっぷり感情移入してしまって、後半は、賢治の成功にも病気にも、涙なしには読めませんでした。面白かった~。 | ||||
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主人公は、宮沢政次郎。 「銀河鉄道の夜」を書いた 宮沢賢治の父。 政次郎から見た賢治の成長と活動、 そして死を描く。 当初、賢治は学問を志し、 その後は信仰に目覚める。 政次郎は、長男である賢治に 実家の質屋を継がせようと思うが、 思うようにならない。 それでも、息子を愛し必死に支え続けた 父の姿に涙腺が緩んだ。 政次郎が居なければ、 賢治は真っすぐに育たなかっただろうし、 彼の作品が世に広まることはなかっただろう。 父の姿を描く作品として、 非常に秀逸だった。 | ||||
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あの時代の父親が、我が子らを思う心模様が素晴らしく表現されている。 | ||||
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父と賢治、そして家族。生死の時間の流れを越えて、愛し合っているのですね。 | ||||
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私は20代の大学生です。 周りの人がみんな文学を嗜むような環境には生まれてこなかった。 テクノロジーが発展し、読書を知らぬまま一時的な刺激を求め、生活の中のスマホではなく、スマホの中に生活がある若者たち。 そんな人たちが明治文学やその他有名な作品を読むきっかけが得られないなら、少なくともこうして史実を元にドラマティックに編成された本やテレビ番組やユーチューブ番組がどんどん流行ればいいと思う。 そこをきっかけに本に触れる機会が増えるなら、現代のマスメディアを存分に活かせる分野 | ||||
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なるほど... 銀河鉄道はこうして生まれたのか???と 一気に読めました。 子供虐待の多い寂しい時代に 読んで欲しいものです。 | ||||
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タイトルとその対象 | ||||
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実際は「宮沢賢治の父」の話なのだけど、それを「銀河鉄道の父」と言われると、妙に気になって、ついつい手に取ってしまう。そおゆう意味では、近来稀なる名タイトルかも知れんて。 さて、どこまで本当なのか分からないけど、ここに出てくる賢治の父、宮沢政次郎は、息子に厳しそうにみえながら実際は甘アマで、夢見る文学青年の生き身と夢に終生寄り添ってやる優しい優しい父親で、井上ひさしの芝居なんかとは一風変わった印象である。 恐らくあまり資料がない中、それでも周辺記録を丹念拾い集め、それらをジグソウハズルのように貼り付けていく描き方であるために、記述はいちおう客観的に見えるが、宮沢家の人々の面影に対する著者の主体的な踏み込みが欠けるのは、致し方ないことかもしれない。 しかし、父、政次郎がいままさに賢治の妹トシの遺言を書きとろうとしたとき、賢治が無理やり2人の間に割って入り、トシの耳元に口を寄せて「南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経」と唱えるなどという「暴挙」をほんとうにしたのだろうか? 識者の教えを仰ぎたいところである。 | ||||
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