江戸一新
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江戸一新の総合評価:
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作者が何を伝えたいのか情熱が伝わってこない | ||||
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読んでいて引き込まれてしまう。 | ||||
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直木賞作家の門井氏の作品では、宮沢賢治を題材にした直木賞受賞作と数年前NHKの正月ドラマになった江戸の都市計画の功労者の物語を読んで感銘を受けた。 これまでの、映画や芝居に登場した信綱とは異なり、本作品は老中首座として、明暦大火後の江戸城と江戸の街の復興を成し遂げる彼の大政治家としての挑戦の過程が丹念に描かれている。 フィクションと思われるが千姫や実の姉という手習い師匠を登場させて、女性の目線で男たちや時代を語っている点も新鮮だ。 出足の江戸城での大火の際の信綱の大奥の女たちの避難誘導の工夫の機転が頼もしいし、シナリオの勉強をしたことのある私には、作品中の会話が実に生き生きとしているように思えた。 焼け落ちた江戸城天守閣を再建するかどうかの議論は興味深い。莫大な費用を掛けて再建する必要があるのか、平和な時代に防御の目的の天守閣がいるのかという議論は現代にも通じる合理性が試される議論だ。信綱は結局天守閣は作らなかった。 幕府が市内で展開した炊き出しに粋な着物を着た商人親子が並び施しを受けようとすると、職人と言い争いになる。仲裁に入った幡随院長衛兵は、救援米の受益者は万人であると言い切る。少子化対策のために支給される子供手当支給において、政権与党は、一定以上の高額所得者の家庭には支給しないという政策だが、公明党や野党は反対している。正に古くて新しい問題を作者は提起している。 現代でも徳川時代でも、為政者は、世論を意識せずにはいられないことも本作品を通じて理解できた。幕政や都市改造という大きなテーマを、登場人物の細やかの性格描写によって読者を飽きさせない門井文学の秀作である。寒い冬の夜,久しぶりに読書に熱中できた。 | ||||
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私は、門井慶喜の新作の登場をいつも楽しみにしていて、このAmazonのレビューには、①「銀閣の人」(KADOKAWA、2020年)、②「なぜ秀吉は」(毎日新聞出版、2021年)、③「地中の星」(新潮社、2021年)、④「信長、鉄砲で君臨する」(祥伝社、2022年)についての私の感想を書いてきて、この「江戸一新」が5番目のレビューになる。 因みに、全ての門井作品を読んでいるわけではないが、私の門井作品のベスト3は、江戸の成り立ちを描いた「家康、江戸を建てる」(祥伝社、2016年)、直木賞を受賞した「銀河鉄道の父」(講談社、2017年)、辰野金吾を描いた「東京、はじまる」(文藝春秋、2020年)である。この3作品は☆5つを上回る価値があると思っている。 さて、このように一連の作品を並べてみると、門井作品が江戸と東京がどのように成立したか、その物語を描くことをライフワークにしてきていることが浮かび上がってくる。「家康、江戸を建てる」から始まり、今回の「江戸一新」が挟まって、近代に入り、日本銀行や東京駅を建築した辰野金吾を描いた「東京、はじまる」と、東京の地下鉄建設の物語を描いた「地中の星」がある。この作品群は、将来的にどのように広がり、現代を生きている私たちにどのような色彩をもたらすのだろうか、同時代を生きている私はワクワクしているのである。 長い前置きを書いたが、この「江戸一新」は、明暦の大火後、松平信綱、阿部忠秋、酒井忠清の幕閣にある老中が、江戸城天守閣の再建を断念し、再びの火災を避けるため、建物が稠密している江戸を改造し、御三家の屋敷を江戸城から追い出し、また旗本や御家人の屋敷を府内から府外へ移し、いまの向島・本所・深川・築地が開かれ、新吉原が成立し、商家の庇を短くする、と言った改革を行ったことが取り上げられる。こうした一連の改革の結果、「明暦の大火をきっかけにして、江戸は大江戸になったのである」(361頁)。そして「江戸はまた、火事のおそれも減った」(362頁)。 この改革を縦糸に、松平信綱の生涯の事跡をたどりながら、幕閣の会話、信綱の姉のおあんと弟子のおときの行動、町奴と旗本奴の対立、信綱と町奴の頭である花川戸の長兵衛との交流などを横糸にして、物語は軽妙に進んでいく。特に、信綱と長兵衛が交流し、信綱が市井に出て行って、世情を知り、政策を練るさまは、「暴れん坊将軍」や「遠山の金さん」を彷彿とさせるであろう。史実そのままではないだろうが、こうした物語の飛躍は読み手にとって楽しいものである。ただ、物語が「発散」し、求心力を失った箇所がある気もした(「討ち入り」の描写は冗長な気がした)。 こうした物語のなかに、作者の史眼が挟まれる。それは、松平信綱が極めて近代精神の持ち主であり、観念ではなく、具体に即して行動した人物だったことを強調しているように思う(特に261頁あたり)。そして、そのような具体の人である信綱にこう語らせる。 「わかっておる。街には焼け出されたままの者もある。以前の暮らしを取り戻せぬ者もある。われら仕事はまだつづく。が」 信綱はつづけた。それはそれとして、心の区別はつけねばならない。 復興に終わりはないとしても、ときに「終わった」ことにはしなければならない。死者への哀悼は哀悼として、うしなったものへの追慕は追慕として、人はこの世にあるかぎり前を向いて生きるほかないのである。 「だからわしは、 来月の上様のお成りをもって復興の仕事を終戦(しまい)としたい。 わかるな、 忠秋」(366-7頁) ただ、私はこの文章を、そのまま素直に受け取れなかった。それは、この小説を読み終えた日が阪神淡路大震災からちょうど28年目であり、そして、東日本大震災から10年以上経ったとは言え、それらの記憶は生々しくある。そんな短い間に「終戦(しまい)」と言い切ることに、いかなる意味があるのだろうか。何度も、この文章を反芻して考えたが、共感できなかったのである。この文章を読者に共感させるには、もっと複雑な物語の展開、違った文体のスタイル、人間の心の機微を描く必要があるように思う。門井慶喜の文体は軽やかで、このような重いことを書くことには向いていない気がする。あまりにも唐突で、冷淡さを感じるのである。 以上のような共感できない箇所もあり、読後感は揺らいでしまった。そのようなことから、評価は標準点としての☆3つとした。これは私の書いた54番目のレビューである。2023年1月17日読了。 | ||||
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