われは熊楠
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型破りな知の巨人、 南方熊楠の生涯を描いた衝撃作です。 どんなに実力があっても、 人はひとりでは大成できないのだと 思い知りました。 若い頃に進むべき道を示唆してくれた 教師もそうですが、何より莫大な 資金援助をした弟の存在がなければ、 熊楠でさえ何者にもなれなかった ことがよく解ります。 彼の極端すぎる脳の特性がもたらした 光と影も活写されていて、 ときには当惑してしまう場面もありました。 ただ、変に神格化するより、 こういう人間味のある姿が描かれている ほうが、はるかに共感できるとも 感じましたよ。 「己を知りたいなら、己以外を見よ」は 至言ですね。 私には非凡な才も 脳のノイズもありませんが、 できるだけ人の心の声に耳を傾け、 同じような過ちを犯さないよう 心に刻もうと思いました。 (対象年齢は13歳半以上かな?) | ||||
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てんかんを起こしたり、癇癪がひどかったりするので、何か脳機能に異常があることは間違いないのだろう。しかし、それを差し引いても、この主人公にまったく感情移入できない。 弟に家督を任せ、仕事もせず50才頃まで生活費を送らせていた事実は、ちょっと引く。一円も稼いでないニート研究者なのに結婚してしまうのも、ちょっとなあ・・。弟に仕送りの打ち切りと宣言されると、切れて殴りそうになる熊楠。以後、弟とは絶縁状態になるのだが、コレが史実なら、やっぱり引くわ。 この小説においては「己とは何者か?」ということを原点として博物学を研究し続けている。子供の頃の動機はそれでもいいと思うのだが、大人になった熊楠が仏教思想の「無我」や「空」といった概念を知らないはずがない。晩年になってまで、自分探しのために博物学の研究をしているのは、説得力に欠ける。 そうではなく、私は純粋な知的興奮によって研究し続けたのだと思う。きっと知ることによってエクスタシーを感じるくらいの、鬼気迫る変態研究者だったと思うのだが、どうだろうか? どうせ好意を持たれるタイプの主人公でないのなら、もっと突き抜けた方が面白かった。 | ||||
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探求心を爆発させ自由奔放に生きる一方で、金の工面や親子関係に起因した介護疲れなど、奇人と呼ばれた熊楠も、大日如来に救いを求める凡夫であった側面が垣間見える。 途中、西洋と東洋の学を比較し、東洋の優位性を意気揚々と語る部分は、熊楠の意気をダイナミックに感じて良かった。自然と真言密教の関係について、熊楠曼荼羅に関する描写や考察があれば、より精神性と密度の高い作品になったのではと思う。彼を支えた妻、弟の物語でもある。 | ||||
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南方熊楠の一生を描いた小説。熊楠は粘菌の研究で有名だが、実はその事実くらいしか知らない。熊楠は己を知るために研究に没頭した。己を知るために何が必要なのか、観察なのか知識なのか意欲なのか。熊楠を支える兄弟や妻や友人たち、熊楠は分かっていながらも周りを不幸にするかのように己の研究を続ける。特に子どもの熊弥には取り返しのつかない事態にもなった。最後に熊楠が達した境地はいかがなものだったのだろうか。熊楠の人間性を知りつつ生命の役割というか自分が存在する理由も伝わってくる。 | ||||
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第171回直木賞候補作品。残念ながら受賞はならなかった。 「知の巨人」として知られる博物学者、南方熊楠の生涯を描いた作品。 この学者の名前、子供の頃から字面は知ってしたが読み方をしらなかった。なんぽうぐま・くすのき? 違います。南方(みなかた)熊楠(くまぐす)です。 1867年(慶応3年)5月18日の生まれで1941年(昭和16年)12月29日 74歳で没す。 小説だから全部事実ではないだろうが、本書によれば慶応3年、南方熊楠は和歌山に生まれた。 人並外れた好奇心で少年は山野を駆け巡り、動植物や昆虫を採集。百科事典を抜き書きしては、その内容を諳んじる。洋の東西を問わずあらゆる学問に手を伸ばし、広大無辺の自然と万巻の書物を教師とした。 希みは学問で身をたてること、そしてこの世の全てを知り尽くすこと。しかし、商人の父にその想いはなかなか届かない。父の反対をおしきってアメリカ、イギリスなど、海を渡り学問を続けるも、在野を貫く熊楠の研究はなかなか陽の目を見ることがないのだった。 世に認められぬ苦悩と困窮、家族との軋轢、学者としての栄光と最愛の息子との別離……。 父の反対を押し切ってイギリスに渡った熊楠を資金的に援助したのは、家を継いだ弟の常楠(つねぐす)だ。弟は商売が傾いても資金援助を続け、熊楠はそれを当然のこととして受け入れていた。 熊楠には少年時代から癲癇様の発作があり、脳の中から常に命令される様な声が聞こえて、そのため熊楠は数々の奇行を繰り返すことになる。 人の薦めもあり1906年に神社の娘、松枝と結婚、長男熊弥を授かるが、中学受験日に精神病を発病、 その回復のために色々努力したが、1960年50代半ばで精神病院にて死去。ほかに娘の文江を授かり 晩年の熊楠の研究を手伝ってくれた。 弟の資金も稼業が傾くと続かなくなり、弟と大げんかの末に資金を打ち切られる。 そんななか、昭和4年に昭和天皇に御進講申し上げるという栄誉に恵まれる。 ここでも、天皇に進講時間の延長を認められると、予定になかったことを延々と語り始め、おつきの人々を慌てさせたが、天皇は柔和にこれを受け入れたという。この辺り、生物学者としての昭和天皇の人柄にも触れている。 昭和16年、高齢になった熊楠は日米開戦を知ることになる。 当時は74才と言うとかなりの老人で、体力も衰え病苦を押して研究に励む熊楠の描写は真に迫るものがあり、著者は誰か身内の高齢者を看取ったことがあるのではないかと思わせる。 最初から最後まで、熊楠という天才の奇行、経済観念の無さなど、その人格を疑わせる場面も多いが、 その描写に引き付けられ一気呵成に読んでしまった。 | ||||
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