完全なる白銀
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| 登山をテーマにした小説である。昇るのはデナリ山。標高は6190m、北米最高峰である。冬のデナリは過酷である。最低気温は零下50度、体感温度は零下100度以下だ。風速70mの暴風が吹くため、冬季に登頂した者は少ししかいない。 そこに登ろうとしているのが、藤谷緑里(ふじたにみどり)という写真家と、シーラというデナリ国立公園のレンジャーである。2人とも女性だ。シーラはリタという幼なじみが失敗し、行方不明になったデナリに登ろうとしている。 35歳の緑里は、この仕事を続けられるのは、43歳ぐらいまでだと考えている。植村直己も、星野道夫も43歳で亡くなったからである。 2人に友人、リタ・ウルラクは数々の山に登り、「冬の女王」と呼ばれたが、実際は大半の山に登っていない、という疑惑があった。シーラはその疑惑を晴らすためにデナリに登ろうとしているのだ。 リタはデナリの頂上で「パーフェクト・シルバー(完全なる白銀)」が見えたと言った。緑里の目的はリタが言った「完全なる白銀」を撮影し、彼女が登頂したのを証明することだ。 しかし、パートナーとなるシーラと緑里の間には心の溝があった。リタの登頂を緑里は少し疑っており、シーラもそれに気づいていたのだ。 緑里が疑うのにはそれなりの根拠があった。そんなちぐはぐの2人は、無事にデナリの頂上まで行けるのだろうか。 過去と現在が交互に描かれて話は進んでいく。商業カメラマンでも仕方がない、と思っていた緑里もリタから本当の夢を問われ、一流の写真家を目指すようになる。 登山という行為は、どうしたって人生を思わせる。登山家ではない私たちも、一歩一歩夢に向かって進んでいくべきかもしれない。そこには必ず足跡が残る。 | ||||
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| まず、構成としてメイン軸の間に過去の話を章立てで都度都度入れてくるのが、結果的にはうまくいっていないと感じた。というのは、メイン軸の方である程度「過去でこうなったんだろうな」と思わせる状態で、過去の話が始まるので、読む方としては最終結論が分かっており、知っている話を再度聞くような印象となるため退屈。しかも特に新しい事実などもなく、「でしょうね」という範疇を超えない。ストレートに時間軸に即した構成の方が良かった。 次に、「ミステリ」とされる「登頂事実の有無」についても、最終的には納得いく客観的な回答は読者に提示されなかった。これであれば、むしろ「登頂していなかった」という明確な事実を発見し、なぜそんなことをしたのかという方向の話の方が良かった。最初から最後まで「山岳×青春」の範疇を出ず、それも読者置き去りな感じであった。 また、山岳物としても新田次郎等の名手と比べると力量不足は否めず、結果的には「青春」しか要素しか残らず、非常に薄い内容を長尺で見せられたという最終的な印象だった。 | ||||
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| 天才の意志の強さと孤独と苦悩。 自分の立場を理解しながら戦う、その意思の強さは時には周りのフォローさえも突き放してしまう。それを本当は自分の中では理解しながらも、突き進む。謝りたいけど謝れない。 友人の行動にフォーカスをしながらも、そんな天才の葛藤を感じ、引き込まれる作品だった。 | ||||
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| 山をやらない人が書いた本と思われる。 首を傾げる記述がいくつかあり、開始24pで断念しました。 | ||||
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