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銀河鉄道の父
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銀河鉄道の父の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.51pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全116件 21~40 2/6ページ
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宮沢賢治の父を主人公にしてみました、どうですか面白そうでしょ、の企画力だけ勝負の凡作。宮沢賢治やその家族への愛もレスペクトもなく、だらだらと続いていくだけ。万人向けを狙った娯楽小説なので、読みやすいのは唯一の取り柄か。文学作品とはとても言えないレベルの構成力と筆力。直木賞のレベルは、浅田次郎が選考委員になってからの凋落が激しい。とるべき人や作品がとらず、一般受けするものばかり選ぶのなら、本屋大賞と変わりが無く存在意義がない。 500ページほどなるが、何しろ中身が薄いので、あっという間に読めてしまう。記憶から抜けていくのも残念ながら早いことだろう。有意義な時間を過ごしたいなら避けるべき書物。 | ||||
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もし私がこの夏アルプスへ出かけるなら、私は「銀河鉄道の夜」を忘れても「銀河鉄道の父」を携えることを必ず忘れはしないだろう。 | ||||
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コメディーとしては面白くはあったかなと思う。しかし作品前提としての目新しさはない。少しでも賢治の文学に触れた人ならば、彼が大甘のボンボンで理想ばかり追い求めて挫折を繰り返していたことぐらい知っているはずである。そしてもちろん、そんな賢治を少なくとも金銭面で支えていた父政次郎の存在も同様である。 この作品の大部分は賢治全集にある「年譜宮沢賢治伝(堀尾青史)」を読めば書いていることであり、父と子の葛藤も困った息子に苦労する父親視点も既出である。賢治生誕100周年記念の伝記映画が有るが、その一つである『わが心の銀河鉄道』でも、賢治の変人振りに対して、渡哲也が演じる政次郎は厳父として不肖の息子を叱咤しながら愛情を注ぎ続ける慈父でありほぼ準主役として描かれている。 この小説が直木賞を受賞したのは、作者も編集者も賞の選考委員も宮沢賢治を知らなかったため、新鮮な題材に感じたという事だと思う。小説を職業とする人々にも賢治はきちんと読まれなくなってきたという事であり寂しく思う。賢治研究家でもあった故井上ひさし氏のような選考委員がいればまた違ったのではないだろうか。 とはいえ繰り返すがコメディーとしては面白かった。賢治のおバカぶりに爆笑するところもあったのも確かだ。但し、作品にある以下の二か所は確実に気にいらない。一つは、病気のトシを頻繁に見舞う賢治の近親相姦を伺わせる場面。賢治に関して、お約束のようにこういう事実無根のスキャンダルを織り込むのは作者と編集のあざとさを感じさせて不快である。 さらに不快なのは、トシ臨終の「永訣の朝」の場面がまったくの創作であり名作レイプになっている。これではいくらなんでも賢治がおバカすぎるだろう。しかも妹の死を作品題材に利用した利己的な詩人として描かれている。 事実を書いておくと、妹シゲの証言から、トシが亡くなったのが夜20時半であるのに対して、「永訣の朝」の”あめゆじゅ”や”松の枝”を採りにいったのはトシ臨終の半日前の午前中のことである(妹シゲも賢治に同行して雪を採りにいっている)。午前の場面と心象を直後の手帳にスケッチしただろうが、トシの死後直後に作品に仕上げることはあり得ない。賢治はトシの死後、半年にわたり何の創作もしていない。臨終間際の”耳ごうど鳴って”のトシの台詞は、半年後に回想として別作品に書いている。そして、”こんど生まれてくるときは”のトシの遺言は実際に父政次郎との会話の中でなされている。さらに、政次郎はトシの臨終に際して妹シゲたちに”題目”を唱えてやるように命じている。浄土真宗の政次郎が、あえて娘の為に日蓮宗の題目を唱えさせる感動的な場面である。 そういう事実を無視したうえで、賢治を知らなくても『永訣の朝』は知っているであろう大部分の読者に対して、荒唐無稽な作り話で自分の小説を盛り上げようとする作者や編集者こそかなり悪意のある利己的な創作者に思えた。 、 | ||||
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宮沢賢治がどうかと言うことを忘れた方がいいです。素材宮沢家の人々。主役お父さん。 | ||||
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宮沢賢治の父親を主人公にした小説です。賢治の誕生から死までの、父子の距離の伸び縮みが描かれています。それには、いろいろな側面があり、読者の対人関係に重なるものもいくつかあるでしょう。 「賢さんは、きかねぇ」「議論に勝つのは弁の立つ人間ではない。話を聞かない人間なのである」(p.73)。 ぼくは子どもたちと議論をすることはありませんが、子どもたちはこちらの言うことなどろくに聞いていない、と思うことはよくあります。だから、子どもたちの方が最初からぼくに勝っているのではないでしょうか。 「子どものやることは、叱るより、不問に付すほうが心の燃料が要る」(p.83)。 子どもたちが大学生になってからは、叱ることがなくなりました。疑問に思うことも、不問に付し、何も言わないようになりました。ぼくの心の燃料はかなり消費されているのでしょうか。 「父親であるというのは、要するに、左右に割れつつある大地にそれぞれ足を突き刺して立つことにほかならないのだ。いずれ股が裂けると知りながら、それでもなお子供への感情の矛盾をありのまま耐える」(p.95)。 ぼくは、子どもにこうしてほしい、ああなってほしいという欲望と、子どものすること、今の姿をそのまま受け容れよう、という自己抑制の両方を持ち合わせていますが、それによって股が裂けるというよりも、後者があきらめに変わっていくように感じています。 「この子はこの家に生まれて幸せだとつくづく思った。自分ほど理解ある父親がどこにあるか。子どもの意を汲み、正しい選択をし、その選択のために金も環境もおしみなく与えてやれる父親がどこにあるか」(p.111)。 ぼくもそれなりに子どもたちを理解しようとしているつもりです。子どもたちの意を汲み、時にはお金も出しているつもりです。 「自分の命の恩人であり、保護者であり、教師であり、金主であり、上司であり、抑圧者であり、好敵手であり、貢献者であり」「尊敬とか、感謝とか、好きとか嫌いとか、忠とか孝とか、愛とか、怒りとか、そんな語ではとても言いあらわすことのできない巨大で複雑な感情の対象」(p.337)。 これは、ぼくの父に対する関係にはあてはまるように思いますが、ぼくの子どもたちは、こんなふうに思うほどに、ぼくと近いところにいるでしょうか。ほとんど無関心なのではないでしょうか。ただし、「抑圧者」「嫌い」「怒り」を感じているようにも思いますが。 「妹の死すら、賢治にはおのが詩作の、(材料に、すぎんか)(p.412)。 これは相当に厳しい批判ですね。父は子どもたちのそういうところを見抜いてしまうのでしょうか。それとも、父は子どもたちをそのように決めつけてしまうのでしょうか。 父と子どもたちの関係は、複合体、コンプレックスである場合が少なくないのでしょう。 | ||||
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宮沢賢治。教科書で取り上げられるからこそ、それ以上の作品はあまり読もうとしない作家のひとりだと思う。この本は、賢治が主人公ではなく、その父に光が当てられている。とはいうものの、賢治についても、父政二郎を鏡として、しっかりと描かれている。宮沢賢治に興味を持ってこなかった人も興味をもち、宮沢賢治を読んでみようと思わせる作品。 | ||||
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デクノボーを主人公にした『虔十公園林』と合わせて読みたい。虔十の父親も登場している。 | ||||
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宮沢賢治の詩や童話を読んで、想像する宮沢賢治と大違い。この作品では、宮沢の家族の視点から見た生身の人物が良く描かれていてたいそう面白い。「出来の悪い子ほどかわいい」という親の視点がうまく描かれていて、想像していた宮沢賢治とのギャップがすごい。 「フィクション」と後付けに記してあるが、限りなく、宮沢賢治の実像に近い「ノンフィクション」かもしれませんね。 | ||||
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先日、家康江戸を建てるを読んで、門井さんの作品をもう少し読んでみたいと この作品を手に取りました。 舞台は花巻。岩手県。質屋を営む家族、四人兄弟の長男として生まれた賢治。 お父さんは政次郎。お母さんはイチさん。妹はトシさん、その妹のシゲさん。 弟は清六さん。 お父さんは質屋で財をなし、花巻の市会議員。四人の子供の成長を見守ります。 賢治が赤痢になっても、賢治が盛岡に旅立っても、トシさんが生意気になっても、 清六さんがちょっと成長が遅くとも。 とても優秀なトシさんが病気になっても、看病の末トシさんがこの世を去っても、 見守ります。 賢治が不遇に囲われても、賢治が文章を書き出しても、賢治が他宗の信者と なっても見守ります。 そして賢治がトシさんの後を追うように、咳をして、痩せていっても見守って、 やがて賢治とわかりあう。 100点。 私、妹のトシさんに作った詩は、子供の頃のお話だと思ってました。その 壮絶な経過と、たぐるような賢治の生涯を父親の視点から描き切った。 他のレビューアーさんが、面白かったけど、とか母親の視点とか書いて いらっしゃったけど、ちょっとねえ。全部最後まで読んだのかしら。 死後評価が高まる賢治の作品、賢治の名声。政次郎さんと清六さん、ご家族の 集いの様子があったかく伝わってくるようです。 お勧めします。 | ||||
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賢治の近親者の苦しみが身に沁みる。そう思っていたが、かなり勝手な人生。でも、大好きな賢治の作品。親の大変さに涙ぐみそうになる。 | ||||
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本作の内容が全て正しいのなら、世間でもてはやされるのべき人間は宮沢賢治ではなく、その父や母です。親の愛の深さに脱帽です。 | ||||
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宮沢賢治の父親・政(まさ)次郎は、かなり「母親」的ですね。 賢治が病に倒れたときは、付きっきりで看病する。わが子がおカネを必要としているらしいと見てとるや、ためらうことなく融通する。この濃厚なかかわりは、きわめて「母親」的ではないでしょうか。 祖父・喜助は彼に「おまえは、父でありすぎる」と苦言を呈します。親として子どもにかかわりすぎる、という意味でしょう。 この父親像にふれて、わたしは河合隼雄『母性社会日本の病理』( 講談社+α文庫)という本を思い出しました。日本は母性社会である。父性がいたって希薄とか。 母性の原理とは「包含する」機能を意味します。包みこんで、とことん守る。そのため子は、なかなかひとり立ちができない。母親は、子ばなれができない。 いっぽう、父性の原理とは「切断する」機能を意味します。切りはなし、厳しく鍛えて、子の自立をうながす。 どんな親にも、母性的なところと父性的なところがあると思います。母性60%+父性40%とか、父性90%+母性10%とか。人それぞれでしょう。 賢治の父親は母性が濃厚なのです。結果、賢治も、ひとり立ちすることに困難を覚えていたように思われます。家業の質屋を手伝うため番台に座っても、客とうまく応対できない。向こうの言いなりになりやすい。きちんとした一対一の交渉が苦手。つまり「大人」になりきれない。かたや童話の創作は「子ども」の世界に没頭できるから苦にはならない。 賢治も、河合隼雄さんいうところの「永遠の少年」だったのかもしれません。 | ||||
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子ども達に翻弄されつつも、体当たりで対応するオヤジの苦労をしみじみ感じながら読ませていただきました。有名作家の父親に焦点が当たった小説はなかなかないと思いますが、一気に読み切ってしまいました。とても面白かったです。 | ||||
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宮澤賢治が好きで、ふと購入しただけだったが、宮澤賢治の父、政次郎の愛情を繊細かつ丁寧に描いた良作。家業を継がせたいという気持ちと、息子の意思を尊重したいという相反する気持ちで揺れ動く父親が、とても誠実で子煩悩で好感を持った。父親の視点から、見た宮澤賢治は、不器用でシャイで無邪気。宮澤賢治を聖人の様にしていないトコロも良い。父性をテーマにした作品は珍しいと思う。読者は、宮澤賢治が短命で有る事を知っている。父親は、娘トシと息子賢治を失う。子どもに先立たれた親の悲痛と共に、何処か、高い次元に突き抜けた様な、ラストも素晴らしい。 | ||||
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直木賞受賞作で、たしかに面白いが、これまで陽の目をみなかった「賢治の父」を取り上げたアイディア一発勝負とも読める。 この作品の最大の問題は、女性の観点が全く出てこないことである。 確かに、政次郎は当時にしては献身的な父だったかもしれない。 しかし政次郎が賢治を見舞うためのこまごまとした品は、誰が用意したのか。 結局は妻や女中なのではないか。 政次郎不在の実家を回していたのは誰か。 妻にどれだけ負担をかけているのか。 それを描かずに「こんなに献身的な父親でした」というのは、それこそ父権主義的ではないのか。 政次郎は家庭を顧みず、家には金を入れずに子どもにだけはいくらでも金を出す、田舎の中小企業の二世社長のようだ。 上手く美談にまとめられていて、その突っ込みが足りない。 小説としては面白いのだが、審査員たちが賢治という権威に抗えなかったからではないからこその直木賞受賞ともいえるのではないか。 | ||||
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ちょっとこれは無理だと思って、最初の数ページで読むのを止めてしまいました。賢治の外形をなぞっているだけのような、空疎な作品としか思えませんでした。時流に乗りさえすれば、こんな作品でも「賞」を取れるのですね。 | ||||
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読む価値あり | ||||
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門井慶喜さんの本です。 この本は、直木賞受賞作だそうです。 宮沢賢治の父親政次郎から、宮沢賢治の一生を語る、という作品です。 祖父から厳しくしつけられて、質屋をやっている政次郎は、その後継ぎとして賢治を、と考えるのですが、 この賢治が、自分の思い通りにはいかない、という葛藤なのですが、 一方では、賢治の才能を認めつつ、それをどう支えるか、ということを考えたりして、 「父親」のありようを考えさせてくれる本です。 僕も一児の父親ですから、「父親入門」といいますか、父親のあるべき姿というものを学んだように思えました。 賢治の死ぬ間際に、父親の政次郎は、次のように言います。 お前がほんとうの詩人なら、後悔のなかに、宿痾のなかに、あらたな詩のたねを見いだすものだべじゃ。何度でも何度でもペンを取るものだべじゃ。人間は、寝ながらでも前が向ける(377㌻) これ、震えました。 父親の業といいますか、そういうものがよく描かれています。 | ||||
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宮沢賢治の父、宮沢政次郎から見た、宮沢賢治の生涯、という感じでしょうか。 父子共に苦難の連続です。 何処までが正しいかは不明ですが、大筋はこんな感じだったようです。 宮沢賢治が生きている間に受け取った原稿料は数円だったとか。 良い作品は後になって評価されるということでしょうか。 ゴッホ、ゴーギャン、カフカしかり。 面白く読みました。 | ||||
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父親の話です。 そこを読み間違えると中途半端な宮沢賢治本になってしまいます。 親ではなく父親の話です。 そこを読み間違えると盛り上がりに欠ける物語の本になってしまいます。 | ||||
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