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銀河鉄道の父
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銀河鉄道の父の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.51pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全6件 1~6 1/1ページ
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宮沢賢治の父を主人公にしてみました、どうですか面白そうでしょ、の企画力だけ勝負の凡作。宮沢賢治やその家族への愛もレスペクトもなく、だらだらと続いていくだけ。万人向けを狙った娯楽小説なので、読みやすいのは唯一の取り柄か。文学作品とはとても言えないレベルの構成力と筆力。直木賞のレベルは、浅田次郎が選考委員になってからの凋落が激しい。とるべき人や作品がとらず、一般受けするものばかり選ぶのなら、本屋大賞と変わりが無く存在意義がない。 500ページほどなるが、何しろ中身が薄いので、あっという間に読めてしまう。記憶から抜けていくのも残念ながら早いことだろう。有意義な時間を過ごしたいなら避けるべき書物。 | ||||
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コメディーとしては面白くはあったかなと思う。しかし作品前提としての目新しさはない。少しでも賢治の文学に触れた人ならば、彼が大甘のボンボンで理想ばかり追い求めて挫折を繰り返していたことぐらい知っているはずである。そしてもちろん、そんな賢治を少なくとも金銭面で支えていた父政次郎の存在も同様である。 この作品の大部分は賢治全集にある「年譜宮沢賢治伝(堀尾青史)」を読めば書いていることであり、父と子の葛藤も困った息子に苦労する父親視点も既出である。賢治生誕100周年記念の伝記映画が有るが、その一つである『わが心の銀河鉄道』でも、賢治の変人振りに対して、渡哲也が演じる政次郎は厳父として不肖の息子を叱咤しながら愛情を注ぎ続ける慈父でありほぼ準主役として描かれている。 この小説が直木賞を受賞したのは、作者も編集者も賞の選考委員も宮沢賢治を知らなかったため、新鮮な題材に感じたという事だと思う。小説を職業とする人々にも賢治はきちんと読まれなくなってきたという事であり寂しく思う。賢治研究家でもあった故井上ひさし氏のような選考委員がいればまた違ったのではないだろうか。 とはいえ繰り返すがコメディーとしては面白かった。賢治のおバカぶりに爆笑するところもあったのも確かだ。但し、作品にある以下の二か所は確実に気にいらない。一つは、病気のトシを頻繁に見舞う賢治の近親相姦を伺わせる場面。賢治に関して、お約束のようにこういう事実無根のスキャンダルを織り込むのは作者と編集のあざとさを感じさせて不快である。 さらに不快なのは、トシ臨終の「永訣の朝」の場面がまったくの創作であり名作レイプになっている。これではいくらなんでも賢治がおバカすぎるだろう。しかも妹の死を作品題材に利用した利己的な詩人として描かれている。 事実を書いておくと、妹シゲの証言から、トシが亡くなったのが夜20時半であるのに対して、「永訣の朝」の”あめゆじゅ”や”松の枝”を採りにいったのはトシ臨終の半日前の午前中のことである(妹シゲも賢治に同行して雪を採りにいっている)。午前の場面と心象を直後の手帳にスケッチしただろうが、トシの死後直後に作品に仕上げることはあり得ない。賢治はトシの死後、半年にわたり何の創作もしていない。臨終間際の”耳ごうど鳴って”のトシの台詞は、半年後に回想として別作品に書いている。そして、”こんど生まれてくるときは”のトシの遺言は実際に父政次郎との会話の中でなされている。さらに、政次郎はトシの臨終に際して妹シゲたちに”題目”を唱えてやるように命じている。浄土真宗の政次郎が、あえて娘の為に日蓮宗の題目を唱えさせる感動的な場面である。 そういう事実を無視したうえで、賢治を知らなくても『永訣の朝』は知っているであろう大部分の読者に対して、荒唐無稽な作り話で自分の小説を盛り上げようとする作者や編集者こそかなり悪意のある利己的な創作者に思えた。 、 | ||||
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ちょっとこれは無理だと思って、最初の数ページで読むのを止めてしまいました。賢治の外形をなぞっているだけのような、空疎な作品としか思えませんでした。時流に乗りさえすれば、こんな作品でも「賞」を取れるのですね。 | ||||
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実際は「宮沢賢治の父」の話なのだけど、それを「銀河鉄道の父」と言われると、妙に気になって、ついつい手に取ってしまう。そおゆう意味では、近来稀なる名タイトルかも知れんて。 さて、どこまで本当なのか分からないけど、ここに出てくる賢治の父、宮沢政次郎は、息子に厳しそうにみえながら実際は甘アマで、夢見る文学青年の生き身と夢に終生寄り添ってやる優しい優しい父親で、井上ひさしの芝居なんかとは一風変わった印象である。 恐らくあまり資料がない中、それでも周辺記録を丹念拾い集め、それらをジグソウハズルのように貼り付けていく描き方であるために、記述はいちおう客観的に見えるが、宮沢家の人々の面影に対する著者の主体的な踏み込みが欠けるのは、致し方ないことかもしれない。 しかし、父、政次郎がいままさに賢治の妹トシの遺言を書きとろうとしたとき、賢治が無理やり2人の間に割って入り、トシの耳元に口を寄せて「南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経」と唱えるなどという「暴挙」をほんとうにしたのだろうか? 識者の教えを仰ぎたいところである。 | ||||
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少なくとも標準レベルの文章を書ける作家が受賞して欲しいものだと思いました。 表現は稚拙で、明らかな単語の誤用も散見されます。 また、 自分に将来の展望は (ない) と言った、文の末尾に括弧をつけるという不思議な文体が延々と続き、意味不明です。 内容的には、政次郎の視点になったり賢治の視点になったり、統一感に欠けています。 前回の受賞作に続き、直木賞とは何かを考えさせられる作品でした。 他の候補作品を読んで見ようと思います。 | ||||
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宮沢賢治の父の伝記小説かと思ったら、単なる父視点での賢治伝記小説だったから、単に趣向を変えた賢治伝記を読んでいるようで意外性はなかった。 池波正太郎の影響か、 (不問に付す) というお墨付きを… みたいな一行出し文章を多用しているが、これはこっけい味を出すために使われるが、特にこの作では効果をあげていない。あと賢治の生前の不遇を強調するためか、『春と修羅』を出したあと、草野心平や高村光太郎と手紙のやりとりをしていたことや、「永訣の朝」が草野の雑誌に乗載ったことなどが省かれており、まあ父の視点だからということもあるが、どういうものか。 | ||||
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