■スポンサードリンク
ファイアスターター
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
ファイアスターターの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.53pt |
■スポンサードリンク
Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全2件 1~2 1/1ページ
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
古い本で絶版でもあるだろうし、もとより美品を求めていたわけではなかったので少々の事は気にしないのですが… 表紙デザインが全く違うイメージだったのには面食らいました。 まぁ、確かに映画の印象ありきで興味を持ったわけですが上下巻で違うデザインを持つのはちょっと気持ち悪いですね。 自分としては大甘評価で★3つとしておきます。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
キング長編6作目はまたもや超能力者の話だ。その題名が示すように念力放火の能力を備えた少女チャーリー・マッギーが主人公である。彼女は生まれながらの能力者であるのだが、今まで登場してきた『シャイニング』のダニー、『デッド・ゾーン』のジョンと異なるのは両親が共に超能力者であり、しかもその両親も秘密組織≪店≫によって特赦な薬物を投与されて能力が開花した人たちであることだ。 そして人工的に作られた超能力者であるアンディとヴィッキー。前者の持つ力は“押す”力、即ち相手を自己催眠に掛けて思い通りに操ることが出来る能力で後者は物を離れた場所から動かすことの出来る念動力である。この2人が結ばれて念力放火の能力を持つチャーリーを生んだときのエピソードがまた壮絶だ。 組織によって作り出された超能力者が組織の魔の手から逃げ出し、逃亡の日々を続ける。そして追いつめられた時に超能力者はその能力を発動して抵抗する。しかし組織は新たな刺客をまたもや送り込む。ふと考えるとこれは日本のヒーロー物やアメコミヒーローに通ずる題材だ。つまりキングは既に昔から世に流布している子供の読み物であった題材をもとにそこに逃亡者の苦難と生活感を投入することで大人の小説として昇華しているのだ。これは従来のキング作品が吸血鬼や幽霊屋敷と云った実にありふれた題材を現代のサブカルチャーや読者のすぐそばにいそうな人物を配して事象を事細かに書くことによって新たなホラー小説を紡ぎ出した手法と全く同じである。つまりこれがキングの小説作法ということになるだろう。 そんなアンディとチャーリーのマッギー親子の前に立ち塞がるのは≪店≫が差し向けたインディアンの大男ジョン・レインバード。生きた妖怪、魔神、人食い鬼と評され、上司のキャップさえも恐れるこの大男はベトナム戦争で地雷によって抉られた一つ目の顔を持つ異形の殺し屋だ。彼はどこか超然とした雰囲気を備えており、チャーリーに異様な関心を示す。そして凄腕の評判通り、彼は見事にマッギー親子を手中に収めることに成功する。 しかしその後の彼は圧倒的な支配力を発揮するわけではない。雑役夫としてチャーリーが監禁されている部屋の掃除を毎日行って彼女の閉ざされた心を開かせようとする。それはまるで一流の心理学者が行うアプローチのようで、チャーリーの信頼を得るために同調と共感を時間を掛けて構築して徐々に彼女の頑なな精神の壁を開かせようとする。作中ではそれは金庫破りで例えられている。一流の錠前・金庫破りの名人からレクチャーを受け、師を超えるほどの技量を持つようになったレインバードは師が彼に与えた言葉、「金庫は女に似ている。道具と時間さえあれば絶対に開けられない金庫はない」を忠実に守り、実に粘り強くチャーリーという金庫に鑿をこじ入れていく。それもあくまで慎重に。 そして彼は≪店≫が望むようにチャーリーに念力放火の実験に協力させた後、事態が収拾付かなくなる前に親しい友人、雑役夫のジョンとしていつものように接し、彼女を和ませた瞬間に死に至らすことを至上の目的として任務に就いている生粋の歪んだサディストだ。このレインバードのような、心細い時に親身になってくれたと見せかけて実はいつでも命を落としてやろうと虎視眈々と狙っている相手が一番恐ろしい。 しかし一方でこのレインバードのような殺し屋が実は≪店≫にとっても一縷の望みであるのだ。それは実験するごとに増してくるチャーリーの念力放火の能力である。どのような耐火施設を建て、また零下15℃まで冷やすことの出来る工業用の大型空調施設を備えてもチャーリーの能力が発動すればたちまちそこは灼熱の地となり、全てを燃やし、もしくは蒸発させ、気化させ、雲散霧消させてしまうのだから。チェーリーの発する温度は既に3万度にも達しており、ほとんど一つの太陽と変わらなくなってきており、このまま能力が発達すれば地球をも溶かしてしまう危険な存在だからだ。日増しに能力が肥大していく彼女を抹殺することは実は世界にとって正しい選択肢であるとさえ云えるだろう。 しかしこのマッギー親子が望まずに超能力者になった者であるがために、チャーリーやアンディが危険な存在だと解っていてもどうしても肩を持ってしまう。常に監視され、実験道具にされたこの不幸な親子に普通の生活を与えてやりたいと思うのだ。 しかし終始どこかしら哀しい物語であった。上にも書いたように通常ならば人の心を操るアンディと無限の火力を発し、核爆発までをも容易に起こすことの出来る少女チャーリーはまさに人類にとって脅威である。しかしそんな脅威の存在を敢えて社会に遇されないマイノリティとして描くことで同情を禁じ得ない報われないキャラクターとして描いているのだ。特に今回は望まずにマッド・サイエンティストが開発した脳内分泌エキスを人工的に複製した怪しい薬品にて開花した超能力ゆえに安楽の日々を送ることを許されなかった家族の物語として描いていることに本書の特徴があると云えるだろう。 アンディの生計は自らの能力を生かした減量講座教室の講師である。減量できずに悩む生徒を少し“押す”ことで食欲を減退させ、ダイエットに成功させることを商売にしている。何とも超能力者にしては慎ましい生活ではないか。 思えばデビュー作の『キャリー』以来、『呪われた町』とリチャード・バックマン名義の作品を除いてキングは終始超能力者を物語に登場させていた。キャリーは凄まじい念動力を持ちながらもスクールカーストの最下層に位置するいじめられっ子だった。『シャイニング』のダニーは自らの“かがやき”を悟られないように生きてきた。ジョン・スミスは読心術ゆえに気味悪がれ、厭われた。キングは超能力者の“特別”を負の方向で“特別”にし、語っているのだ。一方でそれらの特殊能力を“かがやき”と称し、礼賛をもしている。 このどこか歪んだ構造がキングの描く物語に膨らみをもたらしているのかもしれない。しかしチャーリーに関しては念力放火よりも彼女が最後に大人たちを魅了するとびきりの笑顔こそが“かがやき”だとしたい。これからのチャーリーの将来に幸あらんことを願って、本書の感想の結びとしよう。 | ||||
| ||||
|
■スポンサードリンク
|
|
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!