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ファイアスターター
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ファイアスターターの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.53pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全36件 1~20 1/2ページ
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上下巻700ページの大作で、1980年のスティーブン・キングの初期の作品です。 70〜80年の頃は超能力ブームでユリゲラーや日本では関口少年のスプーン曲げなどがテレビ番組の特番で放送されていた頃です。本作はさらにアメリカの秘密政府組織による秘密実験が、何も知らない学生達に超能力を植え付けてしまうという設定になっており、同じく当時みんなが観ていた矢追純一の特番でUFOのエリア51やメンインブラック、キャトルミューティレーションなどの話題を思い起こさせます。 スティーブン・キングのスゴいところは、これだけのSFネタを扱いながらも嫌らしいほどの人間性と現実の厳しさを描き出すことで作品にリアリティを与えていることで、登場人物たちが身近に感じられてページがどんどん進んでしまう要因になっています。 ただ、本作に関して言えば、ストーリーの骨子が割と単純で簡単に想像がついてしまう展開なのが少し残念でした。ストーリーがあまり進まないのに対して、会話や脇の描写が過剰気味なので興醒め感を持ちながら読み進むような感がありました。 | ||||
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一生懸命探していた作品。『非常に良い』状態という事で喜んで購入。 読めない状態ではないが、酷くシワだらけのページが4ページも。正直に明記して欲しかった。値段に見合わない。有名大手の店は、もっと正直で安い。 騙されたみたいでがっかりしました。 | ||||
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古い作品で絶版品なので、経年状態は致し方ないです。 読み始ると、たちまちキングの初期の傑作に引き込まれました。 物語も怒涛の展開を見せる(下巻)です。 この疾走感、サスペンスに経年劣化は無関係です。 | ||||
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数十年前に好きで何回か読んだものです。楽しみました。 | ||||
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古い本で絶版でもあるだろうし、もとより美品を求めていたわけではなかったので少々の事は気にしないのですが… 表紙デザインが全く違うイメージだったのには面食らいました。 まぁ、確かに映画の印象ありきで興味を持ったわけですが上下巻で違うデザインを持つのはちょっと気持ち悪いですね。 自分としては大甘評価で★3つとしておきます。 | ||||
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恩田陸さんがキング作品の中でもお薦めとしていたが、主人公の少女チャーリーの苦悩がジワリと伝わって来る恐怖小説。いたいけの無い幼い少女を救いたい。上巻に続き、ラストに至るまで眼が離せない。 | ||||
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恩田陸さんがキング作品の中でもお薦めとしていたが、主人公の少女チャーリーの苦悩がジワリと伝わって来る恐怖小説。いたいけの無い幼い少女を救いたい。 | ||||
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本書は「キャリー」「デッドゾーン」などでお馴染みのスティーブン・キングの一連の超能力もののひとつである。 学生時代、バイト代欲しさに、ある新薬実証実験に参加したカップルが後に特殊能力を得る。 夫は人の心を「押す」ことによって自信を回復させたり、肥満に悩む女性に心理操作を行うことによってダイエットに成功させたりする、いわゆる「心理カウンセラー」として人並み以上の収入を得ていた。(自信回復師というべきだろうか) 奥様は冷蔵庫のドアを閉め忘れた際、手を触れることなく「閉める」ことができた。(本人は意識していない。) やがて娘が生まれ、彼女もまた「力」を持っていた。 念力発火能力。心に念ずるだけで火をつけることができた。 幼い頃は叱られると親の手を燃やたり、かんしゃくを起こすとぬいぐるみを燃やしたり、揚げ句はミルクが遅いと近くのものが燃え出していた。 夫婦はこの現象に手を焼いていたが、話し合うこともなく、いつの間にか各部屋には消火器が置かれていた。 平和に(?)暮らす一家だったが、公にされていない組織「ショップ」によって常に監視されていた。 やがて妻は殺され、残された夫と娘にも組織の手が及んでゆく。 二人は逃亡の旅に出ることとなる。 冒頭のあらすじはこんなものだ。 やがて二人は組織の手に落ち、幽閉され、父親は薬浸けにされ、娘は「実験」に参加させられる。 発火能力がどんなものかデータを取るのだ。 皮肉なことに、この実験が彼女の能力を高めることになり、コントロール力をも高めることになる。 最期には父親を殺され「奴らに思い知られてやれ。何もかも燃やしておやり。」という最後の言葉通りショップの要員達を次々と火だるまにしてゆく。 本作は「キャリー」とかなり共通点がある。 主人公が年齢の違いこそあれ「少女」であること。 最初のうちは「力」のコントロールができず、怒りにまかせているだけだったがやがて自在にコントロールする術を身につける。 最後にはその「力」をもって敵を殲滅する。 「怒り」が能力のボルテージを高める。 両作共、映画化され日本でも公開された。 「キャリー」が大ヒットしたのに対して本作は地味な興業成績であった。さして話題にもならず知る人ぞ知る作品となった。 やはり、ここはブライアンデ・バルマに監督をお願いすべきだったのではないかと思わざる負えない。 マーティン・シーンなど大物俳優を起用していたのに。惜しい。 主人公の女の子が愛らしかったのがせめてもの救いであった。 | ||||
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キング長編6作目はまたもや超能力者の話だ。その題名が示すように念力放火の能力を備えた少女チャーリー・マッギーが主人公である。彼女は生まれながらの能力者であるのだが、今まで登場してきた『シャイニング』のダニー、『デッド・ゾーン』のジョンと異なるのは両親が共に超能力者であり、しかもその両親も秘密組織≪店≫によって特赦な薬物を投与されて能力が開花した人たちであることだ。 そして人工的に作られた超能力者であるアンディとヴィッキー。前者の持つ力は“押す”力、即ち相手を自己催眠に掛けて思い通りに操ることが出来る能力で後者は物を離れた場所から動かすことの出来る念動力である。この2人が結ばれて念力放火の能力を持つチャーリーを生んだときのエピソードがまた壮絶だ。 組織によって作り出された超能力者が組織の魔の手から逃げ出し、逃亡の日々を続ける。そして追いつめられた時に超能力者はその能力を発動して抵抗する。しかし組織は新たな刺客をまたもや送り込む。ふと考えるとこれは日本のヒーロー物やアメコミヒーローに通ずる題材だ。つまりキングは既に昔から世に流布している子供の読み物であった題材をもとにそこに逃亡者の苦難と生活感を投入することで大人の小説として昇華しているのだ。これは従来のキング作品が吸血鬼や幽霊屋敷と云った実にありふれた題材を現代のサブカルチャーや読者のすぐそばにいそうな人物を配して事象を事細かに書くことによって新たなホラー小説を紡ぎ出した手法と全く同じである。つまりこれがキングの小説作法ということになるだろう。 そんなアンディとチャーリーのマッギー親子の前に立ち塞がるのは≪店≫が差し向けたインディアンの大男ジョン・レインバード。生きた妖怪、魔神、人食い鬼と評され、上司のキャップさえも恐れるこの大男はベトナム戦争で地雷によって抉られた一つ目の顔を持つ異形の殺し屋だ。彼はどこか超然とした雰囲気を備えており、チャーリーに異様な関心を示す。そして凄腕の評判通り、彼は見事にマッギー親子を手中に収めることに成功する。 しかしその後の彼は圧倒的な支配力を発揮するわけではない。雑役夫としてチャーリーが監禁されている部屋の掃除を毎日行って彼女の閉ざされた心を開かせようとする。それはまるで一流の心理学者が行うアプローチのようで、チャーリーの信頼を得るために同調と共感を時間を掛けて構築して徐々に彼女の頑なな精神の壁を開かせようとする。作中ではそれは金庫破りで例えられている。一流の錠前・金庫破りの名人からレクチャーを受け、師を超えるほどの技量を持つようになったレインバードは師が彼に与えた言葉、「金庫は女に似ている。道具と時間さえあれば絶対に開けられない金庫はない」を忠実に守り、実に粘り強くチャーリーという金庫に鑿をこじ入れていく。それもあくまで慎重に。 そして彼は≪店≫が望むようにチャーリーに念力放火の実験に協力させた後、事態が収拾付かなくなる前に親しい友人、雑役夫のジョンとしていつものように接し、彼女を和ませた瞬間に死に至らすことを至上の目的として任務に就いている生粋の歪んだサディストだ。このレインバードのような、心細い時に親身になってくれたと見せかけて実はいつでも命を落としてやろうと虎視眈々と狙っている相手が一番恐ろしい。 しかし一方でこのレインバードのような殺し屋が実は≪店≫にとっても一縷の望みであるのだ。それは実験するごとに増してくるチャーリーの念力放火の能力である。どのような耐火施設を建て、また零下15℃まで冷やすことの出来る工業用の大型空調施設を備えてもチャーリーの能力が発動すればたちまちそこは灼熱の地となり、全てを燃やし、もしくは蒸発させ、気化させ、雲散霧消させてしまうのだから。チェーリーの発する温度は既に3万度にも達しており、ほとんど一つの太陽と変わらなくなってきており、このまま能力が発達すれば地球をも溶かしてしまう危険な存在だからだ。日増しに能力が肥大していく彼女を抹殺することは実は世界にとって正しい選択肢であるとさえ云えるだろう。 しかしこのマッギー親子が望まずに超能力者になった者であるがために、チャーリーやアンディが危険な存在だと解っていてもどうしても肩を持ってしまう。常に監視され、実験道具にされたこの不幸な親子に普通の生活を与えてやりたいと思うのだ。 しかし終始どこかしら哀しい物語であった。上にも書いたように通常ならば人の心を操るアンディと無限の火力を発し、核爆発までをも容易に起こすことの出来る少女チャーリーはまさに人類にとって脅威である。しかしそんな脅威の存在を敢えて社会に遇されないマイノリティとして描くことで同情を禁じ得ない報われないキャラクターとして描いているのだ。特に今回は望まずにマッド・サイエンティストが開発した脳内分泌エキスを人工的に複製した怪しい薬品にて開花した超能力ゆえに安楽の日々を送ることを許されなかった家族の物語として描いていることに本書の特徴があると云えるだろう。 アンディの生計は自らの能力を生かした減量講座教室の講師である。減量できずに悩む生徒を少し“押す”ことで食欲を減退させ、ダイエットに成功させることを商売にしている。何とも超能力者にしては慎ましい生活ではないか。 思えばデビュー作の『キャリー』以来、『呪われた町』とリチャード・バックマン名義の作品を除いてキングは終始超能力者を物語に登場させていた。キャリーは凄まじい念動力を持ちながらもスクールカーストの最下層に位置するいじめられっ子だった。『シャイニング』のダニーは自らの“かがやき”を悟られないように生きてきた。ジョン・スミスは読心術ゆえに気味悪がれ、厭われた。キングは超能力者の“特別”を負の方向で“特別”にし、語っているのだ。一方でそれらの特殊能力を“かがやき”と称し、礼賛をもしている。 このどこか歪んだ構造がキングの描く物語に膨らみをもたらしているのかもしれない。しかしチャーリーに関しては念力放火よりも彼女が最後に大人たちを魅了するとびきりの笑顔こそが“かがやき”だとしたい。これからのチャーリーの将来に幸あらんことを願って、本書の感想の結びとしよう。 | ||||
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得に父親の能力が催眠や自己啓発と通ずるものを感じた。下手な心理テクニック本より勉強になる。ストーリー運びも興奮させられ、はらはらしながら一挙に読めた。 インディアンの敵役がコーエンのノーカントリーにでてくる殺し屋を彷彿とさせた。 いろんな作品の元素、源流となっていそうに感じる。映画を何十年も先取りしているのでは。80年に書かれたものとは到底思えない。超一流の作品。 | ||||
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Xメンなどアメコミは、キングが切り開いた世界を消化しているだけのような気がする。素晴らしい。まさに天才。 | ||||
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初期のステイーヴン・キング作品には、当時のアメリカや世界に漂う不安感や人間の悲劇、人目につかぬ不気味な物陰に潜む大きな悪や残酷な神といったものを臨場感たっぷりに描く傑作が多く発表されており、本書は傑作「デッドゾーン」の翌年1980年に発表された作品で、「デッドゾーン」に通ずる雰囲気も感じさせる作品です。 念力放火能力を持つ少女チャーリーとその父アンディの逃亡劇を骨格にエンターテイメントとしての面白さはもちろんのこと、そこにキングの文学的信念とも言える前筆のテーマが反映され、読み応えのある作品となっています。 アンディは学生時代に治験を受けた薬物によって、人を自在に操ることができる「押す力」を獲得している。 「脳は世界を動かせる筋肉である」との信念のもと、自身の持つ「押す力」を使って肥満に苦しむ女性の心に働きかけ、ダイエットに成功させることで 多少の金銭を得ていました。 このアンディが持つ「押す力」が逃亡劇で生かされ、チャーリーの持つ念力放火以上に存在感を持つのですが、この能力を使うと必ず自身の体調にひどく跳ね返ってきて多用することができないという制限をもうけることで、サスペンスフルな物語としての面白さがいやましてきます。 そしてアンディとチャーリー父娘の逃亡劇の中で現れる人物がとても魅力的です。 一人は農場主のアーブ。 彼がチャーリーに伝える思いがとてもいい。 「自分にたがをはめちまうのはよくない。やらなきゃならないことはなんだってやるんだ。せいいっぱい力を尽くしてやるんだ。そして人間にできることはそれしかない。『ぜったいできない』という人間に、やるべき義務を負わせること、それが神様はなによりも好きなんだ。おじさんはそう思うがね」 そしてもう一人は敵である《店ザ・ショップ》の工作員レインバード。 映画でもそうですが敵役の存在感が大きければ大きいほど、サスペンスフルな物語の魅力が増しますが、本書でのレインバードの存在は、その点で成功しています。 今回20年以上前に出版され経年による焼けで茶色くなった本書を引っ張り出して、久しぶりに再読してみましたが、やっぱりキングは凄いとあらためて思わされました。 現在、本書を含む初期傑作群のいくつかを文庫化していた新潮文庫の多くは絶版あつかいとなり、古本屋さんでしか手に入りません(最近は古本屋さんでも数が少ないです)。 キングほどのビックネームでも、初期の作品ということで絶版になってしまうこの現状はなんとかならないのでしょうか。 集英社文庫からは「呪われた町」、文藝春秋から「シャイニング」が新装版で出版されていますが、新潮文庫からは本書や「デッドゾーン」「クージョ」「クリスティーン」といった傑作群が長い間日の目を見ない状態にあります。 新潮文庫さん、キング作品の名作復刊を期待しています。きれいな本で読みたいです。 | ||||
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キング作品で、最も好きな作品です。他のキングの作品同様に、読者の思い入れを受けるであろう物語の主人公が最後には死を遂げてしまうのですが、不思議と読了感が爽やかに感じます。 主人公がなくなった時点で物語は完結しているため、普通の小説だとそこで終了してしまいますが、主人公を取り巻く人々に、後日譚を丁寧に語らせることが爽やかな結末をもたらしていると思います。 | ||||
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おもしろすぎる……。キング作品、読めば読むほど感服いたします。そして氏の作品がどれだけ世界のカルチャーに影響を与えているのかを思い知らされます。パイロキネシス。荒木飛呂彦氏の『バオー来訪者』。大ヒット海外ドラマ『フリンジ』。全てこの『ファイアスターター』がなければ生まれなかったのだと思います。下巻に向けて急展開! もう頁を捲る手が止まりません!! | ||||
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悲しい……。チャーリーかわいそうすぎる。あんなにかわいくて利口なチャーリー。ひどいなぁ……政府ってひどい。あとがきにもあったけど被験者への政府の対応は事実に基づいて書かれているとのこと。それにしても相変わらず文章表現の巧みさには感服します。どんどん読んでしまう。情景が目に浮かぶ。勉強になります! ああ……チャーリーの強さよ! キング作品のキャラの中でもかなり上位に入るでしょう。 | ||||
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2014年のいま初めて読んだが、もっと早く読んでおけば良かったと悔やまれます。 素晴らしい小説でした。いま思えば映画の「炎の少女チャーリー」のCMが あまりにも安っぽく見えたので、敬遠してしまっていました。映画は見てませんが。 火と氷で正反対なれども、今年流行の「アナ雪」も 絶対にここから着想を得ている!と思います。 あらゆるサイキックものの頂点にして原点、と言ってもいい。 もう一度販売して広くみなさんに読んでほしい。 | ||||
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訳者の深町真理子さんの事も凄く好きになっていた。 この本は本当に面白い。好きだと言う人を見るたびに嬉しくなる。 この本の痛快さは本当に素晴らしい。 | ||||
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恩田陸、桜庭一樹の小説・エッセィを読んでいると、ところどころに出てきて気になりマーケットプライスで購入しました。 ひとことで言うと「キングらしくないエンターテイメント」です。 邦訳された当時『IT』や『呪われた町』、あるいはデビュー作『キャリー』に慣れ親しんだ読者にとっては、やや困惑されつつも、心の奥底に静かな熱狂を植えつけたのではないかと想像します。 『呪われた町』が小野不由美の『屍鬼』につながっていくなら、宮部みゆきの『クロス・ファイヤ』や恩田陸の『劫尽童女』などにつながる少女サイキッカー(なぜかアメリカでは「サイコキネシス」ではなく「テレキネシス」のほうが一般的)の切ない宿命の物語です。 いつもの大人数を主人公にしたドロドロとした感情の渦はなりをひそめ、ただひたすらとある少女の出生にまつわる息もつかせないエンターテイメント作品となっています。 キングは恐怖4部作の前書きで、自作『霧』について「『ランゴリアーズ』と並ぶ黙示録的雰な品」という趣旨を述べていますがこの作品もそうじゃないかな? 今、これから、流行りそうな予感があります。 装丁が素晴らしく(あらすじを読んだ人は首をひねりそうな絵)、暗示的だと思います。できればこの装丁のまま、『キャリー』のように映画広告のようにならないように重版してもらいたいですね。 | ||||
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レビューで目立つ、宮部みゆきとの比較。 はっきりいって、比べないで頂きたい。 宮部のクロスファイアがこの作品のいわゆる「オマージュ」であることは知られた事実だが、クロスファイアそのものにハッキリと明記はしていない。 あらゆる部分でキングのファイアスターターを彷彿とさせるのはまだ許せるが、ひとつの表現「押す」 これをまで使ったことはキングファンとしてはどうにも許せない。 本作はまだ三十代のキングが瑞々しくも圧倒的な筆致で描いたSFだ。 素晴らしい親子愛、絶望的な逃避行は非常に現実的で読む者をフィクションからリアルへ押し流していく。 完成度が高い作品で絶版とは惜しいとしか言いようがない。 少し痛んではいるが買っておいて良かった。 | ||||
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超能力者と冷酷非情な秘密結社が繰り広げるサスペンス。 今読んでみると、色んな作品に本書が影響を与えているなと思う(宮部みゆき「クロスファイア」荒木飛呂彦「バオー来訪者」柴田昌弘「紅い牙シリーズ」等)。 女の子が発火能力を持っているという設定は宮部みゆきの「クロスファイア」と共通項。 「クロスファイア」の青木淳子は妙齢の女子だったが、こちらは10歳にならないくらい(だったと思う)の少女チャーリー。 彼女の父母はある秘密の人体実験に関わった為に超能力者となってしまう。そのふたりの間に生まれたのがチャーリー。彼女は生まれた時からその能力を持っていた。 やがて秘密実験を行った組織「ザ・ショップ」が彼らの能力を嗅ぎ付け、捕らえようとするのだが…。 上巻は父子の絶望的な逃避行が展開。絶体絶命ぶりに心臓がギュウギュウ締め付けられる。クロスファイアのように派手な戦闘シーンもあって、読み応えタップリ。 淳子の能力を解き放つ事への渇望、能力と生理現象を結びつけたような表現はこの作品に原典を見たような気がする。(前例がもしかしてあるかもしれないが) 私が特に感嘆を覚えたのは、超能力者の頭の中で起こっている異変を読者の脳内へ直接叩き込んでくるようなキングの筆致。 超能力の表現はこれ以前に宮部みゆきの作品を読んで「凄い」と思っていたが、これはまさにキングの真骨頂。 物理的に存在しないものをまざまざと読者の脳内に再構築させる力技。それだけでも私的殿堂入り作品。 超能力の派手で目を惹く出来ごとのかたわらに、そっと添えられたキングが繰り返し描くテーマがある。 親子の関係を描いた部分だ。 子どもを愛しいと思い、父親をいたわり頼りにする…普遍のテーマに混じって低く不協和音のように響いているのが「しつけ」。 幼い娘に「衝動」をコントロールするよう教えねばならないと父親は気づいてゆく。 父は「力」を使うと激しく消耗し肉体も精神も損なわれてゆく。対する娘の「力」は開放を待ちかねているように強大だ。 強大な力は恍惚とした境地へ彼女を誘い、開放には快感がともなう。 彼女の様子を見て取った父親はその衝動を統べるよう導こうとするのだが、幼い娘がそれを理解するのは難しいのだった。 理性が肉体や本能の叫びをまだ上回らない子どもを教え導こうと心痛める親の姿に共感する。 そしてその本能が非常に危険な結果に直結しているジリジリ・ヒヤヒヤする感覚に引きずっていかれる。 感覚や感情の根っこをガッチリ押さえ込まれて、物語世界に引込まれる。 キング作品のおそろしいところだ。 | ||||
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